「アンタに世話してもらった猫」と言われ信じるか否か

放課後、学校が終わったら河原へと急いで向かう。

真っ黒な石階段を一段飛ばして跳ねるように降りて行き最後は両足で着地。そして膝下ほどの雑草をかき分け橋の下まで向かう。
『彼』の寝床を覗き込めば姿がなく、お出かけ中だということがわかる。だからまだ名もなき『彼』を呼ぶために私は声を張り上げた。

「おーい、ご飯だよー!」

近くの猫じゃらしがカサリと揺れ、それがこちらへと近づいて来る。おいでー、と私がもう一度言えばピョンッと姿を現して挨拶をしてくれた。
私はバッグの中から給食で余ったパンと牛乳を取り出す。そうして寝床の横に隠しておいたお皿に牛乳を注いでやった。

元より『彼』は懐っこい性格ではあったが、ここ最近毎日会っていれば警戒心すらなくなってしまったらしい。一目散に駆け出して私の脚に擦り寄った。

「どうぞ」

そうしてお皿を差し出し、パンは千切って口元まで持っていってやる。そうすればパンを食べ、次いで牛乳へと口を付けた。

「お父さんもいいって言ってくれたんだ。だから明日、ようやく貴方をうちに連れていくことができるよ」

頭を撫でながら伝えれば、皿から口を離し顔を傾げられた。意味が分かっているのかいないのか。それでもこんな場所よりは居心地はいいんだと私は『彼』に教えてあげた。

「貴方のベッドも買ったんだよ。青いチェック柄で肌触りもいいの。それにオモチャもあるし爪研ぎ用の板もあるよ」

お母さんにはお願いしてお父さんも説得して、ようやく準備が整った。
一週間前に偶然にもこの場所で『彼』を見つけ、そして家へと招くまで随分と時間が掛かってしまった。その努力を私が一生懸命話しているのに当の本人は知らん顔でパンも牛乳も平らげた。

「全部食べたね……ってあー!髪の毛で遊ばないで!」

そして食事が終われば一頻り遊びたがる。最近では私の髪の毛がお気に入りらしく困っている。そしてそれに飽きれば私の膝の上でお昼寝をしてしまう。その気紛れさに飽きれつつも、それすら『彼』の魅力の一つなのだ。
丸くなってすやすや眠る『彼』を撫でながら私はまだ会話を続ける。

「貴方の名前はどうしようか。白いから『ユキ』とか?あーでも私の友達にユキちゃんがいるからなぁ。じゃあ白玉とか大福?なんかお腹空いてきたな……」

膝の上の『彼』は私を完全無視して眠っている。側から見たら私は一人で喋るヤバイ女だと思う。でもいっか。どうせここは私達以外誰もいないんだし。

「じゃあ明日迎えに来るからね」

西側から世界が茜色に染まっていく。

「ニャア」

その世界の真ん中で私達は約束した。

目の前の白猫である『彼』を明日迎えに行くことを。





放課後、学校が終わったら河原へと急いで向かった。

真っ黒な石階段を一段飛ばして跳ねるように降りて行き、最後は三段も飛ばして両足で着地。 
やっとこの日が来たんだと、昨日約束した場所で『彼』のことを呼んだ。

「おーい!出ておいでー」

そう呼べばいつもは辺りの草むらから姿を現すのに今日は中々出てきてくれない。

「どこにいるのー?」
「ここにいるけど」

びっくりして声のする方を振り返れば真っ白な髪の男の子が立っていた。まさか人がいるとは思わなくて、しかも初対面。どう反応すればいいのか分からなかった私はその場で固まってしまった。

「あれ?メシはねぇの?」
「え?ご飯……?」
「あーでも今日からアンタん家行くんだからいらねぇか」
「あのーどちら様で?」

尚も動けぬ私に、彼はサクサクと砂利を踏みしめながら距離を縮める。
そして目の前で立ち止まり私に衝撃の一言を言い放ったのだ。

「アンタに世話してもらった猫」
「は?………はぁ?!」

確かに真っ白な風貌は私が会っていた『彼』とよく似ている。でも、だ。目の前の彼は人間で、『彼』は猫。私だってバカじゃない。鶴…いや、猫の恩返しさながら現実で人間に化けるなど有り得ないことだ。

「嘘でしょ!?」
「つれないなぁ。オレ用のベッドもオモチャも用意してくれてんでしょ?青チェックの寝床、楽しみにしてたんだけどなー」

『彼』にしか話していないこと。
それを何故、彼が知っているのか。

「えっまさか……」
「ふぁ〜…それとエサはいらねぇから寝かせてくんね?眠いんだワ」
「はい?」
「いつもみたいに。早く座れよ」

彼の言うまま促され、定位置となっている剥き出しのコンクリートの上に腰を下ろす。そうすれば彼もまた私の膝が定位置であるかのように横になって頭を乗せた。

「えーっと、これは一体どういう状況なのでしょうか……」
「いつも通りだろ。今日は頭撫でてくんねぇの?」
「あ、はい」

未だ状況は掴めぬまま気紛れな彼の我儘に付き合う。でもどっからどう見たってこの人は人間だ。『彼』なわけがない。でもその『彼』も姿を見せないのだからもしかして……とまるでファンタジーのような可能性がほんの僅かに浮上した。

「あのー……貴方は本当にあの猫なの?」
「そう言ってんだろ」
「でも貴方人間ですよね?」
「アァ?細いこと気にすんなよ。それより『貴方』って呼び方やめろ」
「だって名前がまだ……」
「若狭」
「ワカサ?」

初めて聞いた名に驚いていれば今まで大人しく私に頭を撫でられていた彼が顔を動かした。下から見上げる様に私の顔を見て、そして紫色の瞳と目が合った。

「オレの名前は若狭な」
「はぁ」
「悪いが大福なんて名前は死んでも御免だ」
「それも知ってるの?!」

改めて言われると恥ずかしい。おそらく真っ赤になったであろう私を見て彼は笑っていた。別に大福でもいいと思うんだけどな。まぁでも本人(?)に言われてしまえばしょうがない。ワカサね、名前はワカサにしよう。

「あとアンタは友達と仲直りできたのか?」
「仲直り?」
「三日くらい前にケンカしたっつってたろ」
「あぁ、えっと…謝ったら許してくれたよ」
「よかったな。あと母ちゃんに塾通えって言われた話はどうなったんだ?」

私は『彼』に色々な話をしていた。猫相手に人間関係の悩みとか親への愚痴とか。それは『彼』だけにしか言っていないことだった。だが、目の前の彼はそれを知っていておまけに私の心配までしてくれた。

「ねぇ、本当にワカサはあの白猫なの?」

猫が人間になるはずない。
でも、それを言い切ることができない事実が目の前にあった。

よっ、と反動をつけて彼は起き上がった。『彼』よりもふわふわとした髪の毛が風で揺れる。呆然とそれを見ていたら彼の指が私の髪を絡め取った。

「そう言ってんじゃん」

髪で遊ぶ行為も一緒。
ワカサは『彼』だ…!

「ど、どうしよう!ベッド買い直さなきゃ!」
「別にアンタと一緒でもいいけど」
「それはよくないでしょ?!あ、それよりも先にお母さんに言わないと!」
「じゃあオレも一緒に行くよ」
「いや、でもいきなり言ったところで信じてくれないだろうし……そうだ、なんか猫っぽいことできる?!」
「猫っぽい?」
「ええっとそうだな…ネズミ咥えてくるとか!」
「ブハッ!バッカじゃねぇの!!」

こちらが大真面目に提案していると言うのに当の本人は真面目に考える気がないらしい。いや、一番困るのはワカサなんだからね。真剣に考えて欲しい。

「ナァ」

焦る私に爆笑のワカサ。でもその合間に割って入ったモノがいた。
それは紛れもなく昨日まで私が会っていた『彼』で。思わずワカサと『彼』を見比べて二人いることを確認した。そしてその現実を見たときに、湯を沸かした様に一気に顔が熱くなった。

「嘘じゃん!!」
「アハハハッマジでおもしれぇー!!!」

やっぱ猫が人間になるなんておかしいと思ったんだよ!どこのファンタジーかよって脳内で何度も突っ込んだわ!でもさ、あんなにも的確に言われたら信じたくもなるって!

「ああっもう!ほんと恥ずかし過ぎる!もう私を埋めてくれ………!」
「いいのか?コイツ引き取るんだろ?マ、本気で埋まりたいなら埋めてやるけど」

顔を覆っていた両手をずらしワカサを見る。そうすれば『彼』を抱き上げて喉元をさすっていた。『彼』は気持ちよさそうに目を細めている。

「やっぱりやめて」
「そう?まぁ埋ったくらいじゃあそのバカさは直らねぇだろうな」
「うっそれは……でも何で知ってたの?」

『彼』はワカサのピアスが大層お気に召したようで前脚でパンチして遊んでいる。「やめろやめろ」と言う割に『彼』を地面へと下ろさないところを見ると意外と優しい人だということが分かった。

「ここ近道でさ、よく使うんだよね。で、ある日デケェ独り言いう奴がいるなと思ってずっと聞いてた」
「声掛けてよ!」
「ヤダよ。最近のオレの楽しみだったんだから」

それなら他にも色々知ってるよね…だって人に言いにくいことを『彼』に話してたんだから。でもまぁいいか。だって『彼』は今日からうちの子になるわけで、そしたらここへ来ることもなくなる。それにワカサとは同じ学校でもないし二度と会うことはない。よし、全て解決だ。

「もういいからその子渡して。今からうちに連れて帰るから」
「ヤダ」
「うん……うん?」

ワカサがいつまで経っても『彼』を渡してくれない。私が手を伸ばせば『彼』を抱えたままひらりと避ける。何で逃げるの?!と言えば「捕まえてみろよ」と謎の鬼ごっこが開始された。これでも運動神経は悪くない方。だから私は、望むところ!と受けて立ってワカサを全力で追いかけた。

「いや、身軽すぎでしょ……」
「アンタも相当頑張った方だよ」

数分後、疲れ切って地面へと座り込んだ私とは裏腹に彼は呼吸一つ乱れずに立っている。ぜぇはぁ呼吸をする私の近くには心配するように『彼』がすり寄って来てくれた。
この状況からも分かるように途中は『彼』奪還の為ではなく、ワカサを捕まえたい一心で追いかけていた。本当にただの鬼ごっこだった。そしてこのザマである。

「じゃあ勝負に負けたアンタにはオレのお願い聞いてもらおうかな」
「はぁ?!いつそんなルールが追加されたの?!」
「今」
「後出しじゃん!」
「言ったモン勝ちだろ」
「答えになってない!」

そんな私の叫びも聞き入れず、ワカサは私の方へと歩いてきて目の前でしゃがみ込んだ。
気付けばもう夕暮れ時で、世界が茜色に染まっていた。白い髪がその日差しを受け淡く光る。

「アンタ今日からオレの彼女な」
「は?」
「明日もここに来いよ。オレが迎えに来てやるから」
「は?」
「あっ餌はいらねぇよ。その変わりおもしれぇ話用意しとけ」
「は?」
「じゃあな」
「は?」

茜色の世界の真ん中でワカサは一方的な約束をして去って言った。

「意味わかんないですけど…まぁいいや。もうワカサの事なんて忘れて帰ろ『ワカサ』……って名前どうしよう」

名前を決めるとこから始めないと。そう思いながら白猫の『彼』を抱き上げた。



———と、ここで終わればよかったのだが約束を守らなかった私に対し後日ワカサが学校へ単車で乗り上げてくる事案が発生。そして話を聞けば煌道連合という不良集団のトップにいるような人だった。その名も“白豹”今牛若狭 、喧嘩も強くて相当ヤバい奴。

「あー疲れた。ねぇ膝枕して」

でも私の前では豹の面影もなくただの猫である。
まぁ色々とあったが今も仲良くやっているということだ。

あ、因みに白猫の名前はワカサになりました。