推しの嫁になったけど現実的に考えたら無理なので背負い投げして逃げてやった

筆で書かれたミミズの這うような文字は些か読めたものではなかったが「婚姻」という字は読み取れた。そして文末には「禪院直毘人」という名と禪院家のハンコが朱色で押されていた。

その「禪院」の文字を見たとき、頭がズキリと痛んだ。



あれ、これ呪術廻戦の世界じゃね??
だって“禪院”という苗字の読み方を知ったのは呪術廻戦でだし、そういえば私の父方の曾祖母の旧姓が加茂であったことを思い出す。禪院、加茂、そしておそらくもう一つは五条——つまりは御三家。うっ頭が。

そして思い出されるのは断片的な前世の記憶。
普通の家に生まれて、普通に育てられ、普通に就職して、普通にトラックに跳ねられて死んだ。いや、最後のは普通でないのでは?しかしトラ転という王道を引き当てたのだからある意味“普通”である。

とまぁ、冷静にここまでの惨事をすんなり受け入れられたのは一重に私が前世で元気にオタク活動をしてきたおかげである。
月曜は朝五時に起き定期購読しているジャ〇プを読み、通勤電車の中でネタバレをしない範囲でのツ〇ートを猛攻投下。グッズが出れば予約と飾るための棚の整理をし、アニメ化ともなれば深夜帯であろうともリアルタイムで鑑賞し友人に怒涛のL〇NEを送り付けるという嫌がらせもしていた。

もちろん二次創作も大好物だ。神絵師様や神作者様たちは原作では出番の少ないキャラにも息を吹き込んでくれた。そして死んだキャラ達には救済処置の施しを与えた。その神々の行いに私は “いいね”を百万回連打した。

転生も成り代わりも悪役令嬢ものも全て美味しく読ませていただいた。
だからなのか、今の状態も「支部で見たやつ!五百万回は予習したわ!!」という捻じれた思考にしか辿り着かなかった。

話しは変わるが、私調べによると全体の約五十六%のオタクには各作品に押しキャラがいる。私は夢女だったから押しは男キャラで自分が恋人だったら…と妄想するタイプの人間だ。——誰だ、いま痛い女って言ったのは。古の記憶を遡ると今までの彼氏(妄想)は高杉〇助、赤司〇十郎、キ〇ア、鈴屋〇造、神田〇ウ。そして旦那は雲雀〇弥。誰が何と言おうとヒバリさんは私の旦那だ。妄想だ、許せ。

と、まぁ歴代の彼氏(妄想)と旦那(妄想)を上げてみて分かるように、私はちょっとサイコパスっぽい強キャラが好きだ。まぁ、中にはサイコじゃない奴もいるが目つきが悪かったり言葉遣いが荒かったりするキャラが好き。特にそういうキャラは二次創作で夢主に優しいツンデレキャラとして書かれるからもっと好き。

以上のことを踏まえた上で、ついに呪術廻戦においても私を沼に引きずり込むキャラが現れた。
それが禪院直哉だ。まだ本誌登場のみで、描かれたのは僅か数コマ。しかしその印象は絶大ですぐさまSNSでトレンド入り、清々しいまでにクズと言われた彼に私は落ちた。
今までの押しは伏黒甚爾だったけど「既婚者だしな…」という妙な現実主義スイッチが入り沼にまでハマれなかった。だから早々に乗り換えて禪院直哉押しになった。関西弁という新たな性癖の扉を開かせてくれたのも彼だ。ありがとう。

私を良く知る友人からは「あんたそんなにMっ気強かったの…?DV志願者か?」と本気で心配されたが、あくまで二次元のキャラクターとしての話だ。私自身、妄想癖の強い夢女ではあったが現実との区別はつけられるオタクなのだ。現に、会社では “(グッズの)買い物と(コラボ)カフェ巡りが趣味”の女として猫を被った。

さて、随分と長い前置きになったが何が言いたいかって言うと“キャラ”としての好みと“男”としての好みは全くの別物ってこと。

だからね、嫁になるのは無理なんですよ。
だって、ここはもう私の大好きな二次創作ではなく“現実”になってしまったのだから。



「禪院家の時期当主だ。これほどの縁談がまさかお前に回ってくるとはな」

聞いてない聞いてない聞いてない。
私の結婚相手が禪院直哉だなんて聞いてないし、望んでない。

呪術関連の集会があるのだと言い家を出ていった父親は、戻るや否や私を部屋へと呼びだした。そして目の前に一枚の手紙を見せた。
筆で書かれたミミズの這うような文字は些か読めたものではなかったが「婚姻」という字は読み取れた。そして文末には「禪院直毘人」という名と禪院家のハンコが朱色で押されていた。

その「禪院」の文字を見たとき、前世を思い出したのである。

「お、お父様、私にそのような縁談は不釣合いなのでは———」
「お前の意思は関係ない。愚妻譲りの顔がようやく役に立ったな」

この家で私の人権は一切ない。
もう話は終わりだ、とでも言うように父親は手の仕草だけで私を部屋の外へと追いやった。

加茂家の遠縁である我が家には父親を頂点に一種のカーストが築かれている。
父方の曾祖母は加茂家の出ではあったが、術式は受け継げなかった身。加えて末の女であったから早々に本家を追い出されたらしい。そして神社の神主であった曽祖父と結婚し子供を授かった。そしてそのうちの一人が術式を受け継いだ父を生んだのだ。父は家系図を遡り、自分を加茂家に迎えるよう直談判に行った。しかし血筋大好きマンである加茂家は一度追い出した女から生まれた薄まった血を持つ父を認めなかった。

そこで父は考えた。
とりあえず加茂家潰したろ、と。

父は代々巫女の家系であった母を嫁として迎え、術式を受け継いだ子供を大量生産しようとした。そうして我が家系こそが赤血操術の本家だと名乗ろうとしたのだ。
本当にクズで浅はかな男だと思う。

母は四人の息子と一人の娘を生んだが難産であった娘———私の命と引き換えにこの世を去った。結果として、長男と四男だけが術式を受け継ぎ、そのほか私を含めた子供は術式を受け継がなかった。

芳しくない結果に父は次の手を考えた。
そうだ、他の強い血を混ぜて新たな術式つくったろ、と。

ここまで来ると頭が痛くなってくる。次男と三男は早々にそこそこの呪術のお家柄に婿として出されてしまった。
私はというとまだ十八の高校生ということもありこの家で過ごすことが許されていた。しかし、扱いとしては小間使い同然で人権などあったもんじゃない。家は立派であったが使用人を何人も雇える金はなかったので私が家のことを手伝っていた。また、嫁に出す前提で育てられたこともあり小さい頃から教養を身につけるために一通りのことはやらされた。

そうして、ある意味大切に育てられた箱入り娘である私に縁談話が舞い込んだ。
しかも、かの御三家が一つ禪院家からである。

禪院家の考えはなんとなくわかる。こちらが強い血が欲しいのと同じようにあちらもまたそう考えているからだ。しかし、だからといって次期当主の嫁が私でいいのか?私は術式も受け継いでいなければ呪霊すら視えない。選ばれた意味が分からない。

というか、ちょっと待て。
私、DV男(仮)の嫁になるのか?






結局私の了承などないまま、顔合わせの日となってしまった。

窮屈な着物は父親の付き人として外へ出るときに何度も着ているので慣れている。そして用意された料亭も次男と三男の結納のときに訪れたのだから馴染みはあった。しかし、いざ前世の記憶を思い出してから赴くと異様に堅苦しく感じた。
というか十八という花のJKを嫁に行かせるとか意味わからん。その頃の前世の私ときたらコ〇ケで散財するためにバイト三昧の日々を送ってたわ。

「ようやく会えたさかい。今日はよろしゅう」

関西弁に性癖を刺激されつつ、伏し目がちに彼を見る。
くそっさすがは禪院直哉、顔がいい。

でも私は知っている、その薄笑いの裏で男尊女卑を当然視していることを。
そして実のところは禪院家の次期当主となれるかは怪しいということも。

呪術師としての腕は確かだが、人としては最底辺の男である。故に禪院家からの人望にも欠けている。
現に彼は一人でここに来た。現当主である禪院直毘人はおろか従者の一人すら連れ立っていない。この場は私と私の父親と長兄のお兄様、そして直哉しかいない。実にカオス。

「我が愚女にこのような縁談、誠にありがとうございます」

禪院家の人間がいないことに眉を顰めつつも父が深々と頭を下げる。お兄様に続き私も頭を下げるが、二人よりもさらに深く沈める。
内心、なんで受けたくもない縁談受けてこっちが頭下げて礼を言わなあかんのや!と思いつつ今の体に定着してしまった所作に抗うことはできなかった。

「いやぁそれにしても写真で見るより別嬪さんやなぁ」
「……痛み入ります」

控え目にそういうと、彼は目を細め薄ら笑いを大きな笑みに変えて頬笑んだ。

「きっと低姿勢で男の三歩後ろを付いてくるような謙虚なお嬢さんやろうなぁ」

くっそっ顔がいい!!!(二回目)
あーあーこれはドストライクだ。クソな見合い話だとも思いつつ、実のところ生の禪院直哉を拝むことを心待ちにしていた自分がいた。まだアニメ化されていなかったからどんなボイスか気になってはいたがまさかの遊佐〇二——思わず脳内で合掌してしまった。

顔合わせと言っても所詮は愚女である私は会話に参入などもできず、直哉と父とお兄様での話が続いた。
私はと言えば十八年の間にこの身に染み付いた小間使い精神で彼らにお酌したり、卑しいと思われない程度に食事に箸をつけたりとひっそりと過ごしていた。

「御当主殿、少しお嬢さんを借りて外を散歩してきてもええですか?」

あと三十分くらいでこのつまらん顔合わせも終わるだろうか考えていたところで、直哉から誘いを受けてしまった。
もちろん私に拒否権はなく、酒が入り気をよくしている父は私と直哉を料亭の庭へと追い出した。

「さて、ほな行きましょか」
「はい」

直哉の三歩後ろを着いていく。

さて、これからどうしたものかと考える。
この男の嫁になったところで散々蔑まされ子供を産むためだけの道具になる未来しか見えない。しかし、あの家に戻ったところで高校卒業後は家での一切の雑用を任されるのだろう。父の下僕になる未来しかない。
しかし何より、彼らに歯向かう勇気が私にはない。前世の記憶を思い出し、多少図太くなったとはいえその前世が地味で根暗なオタクだったのだからしょうがない。

こんなことなら呪術高専の愉快な仲間たちの同級生設定で転生したかった。最強術式を持つ転生特典付きで。それか五条悟の寵愛ルートか夏油傑救済軸での総愛されルート。どれも支部で私が“いいね”を連打した神作品たちだ。

「お嬢さん、疲れとりませんか?」

武家屋敷を改装されて建てられた料亭の庭には梅の花が咲き誇る。
植木に沿って作られた石畳を歩いていれば不意に直哉が振り向いた。その完璧な薄ら笑いの顔からはどういう意図があっての声掛けだったのかは分からない。

「いえ、お花がきれいで見入っていましたわ。お心遣いありがとうございます」

頭の隅でよくもまぁスラスラとおべっかが出たなと自分で自分を称賛する。これも花嫁修業の賜物か。今思えば年端のいかぬ子供であったのに私もよくあれだけの習い事や教育を受けてきたものだ。でもちゃんとやらないとお母様の悪口を言われるのだから私は頑張ったのだ。

母の顔は写真でしか知らない。その写真もごく僅かだし、父から私への接触を禁じられている兄様たちから思い出話の類も聞けた試しがない。母を良く知る乳母も私が五歳の時には父に家を追い出されていた。

転生した身で、良く知りもしない母親ではあるけれど、私は彼女に感謝している。あの父親と夫婦となり散々な人生だったのかもしれないが、せめて天国では幸せでいてほしい。母の悪口が天まで届かぬよう、私は“立派なお嬢さん”になれるよう頑張った。

「ほんま、ええ子やねぇ」

僅かに冷えた指先が頬に触れる。それはするりと顎先へと移動して軽く持ち上げられた。
え?これは、まさかまさに、古の少女漫画にあるアレ———顎クイというものなのでは??

「こんな可愛らしい子を奥さんになんて、俺はとんだ幸せ者やなぁ」

見事なまでに脳内がバグり私はフリーズした。
片や直哉はうっとりとした顔で私の唇へと指を這わせる。ツツッと彼の指先についた紅を見て慌てて距離を取った。

「も、申し訳ございません禪院様。お手に紅が付いてしまいましたわ」
「これは俺がやったことや。あかん、今ので益々好きになってしもうたわ」

ほんの少し開いた距離を直哉の一歩で詰められる。
バグった頭では私死ぬんか?という思考にしか辿り着かなかったが、肩に腕を回されて逃げることもできなかった。傍から見れば抱きしめられているかのような状態で、直哉は私の耳元に顔を寄せた。

「これから奥さんなるんに、“禪院様”は冷たいんちゃう?直哉でええよ」

遊佐〇二ボイスゥウゥゥ!!!!
それはあかん!!反則だろ!!!!加えて関西弁!美味すぎる!転生してよかった!ありがとうございます(土下座)!!!

「い、いえ…そんな、恐れ多いです……」
「ふふ、可愛らしいなぁ」

ようやく直哉の腕から解放されたものの遊佐〇二ボイスの破壊力が強すぎて足元がふらつく。
それに気付いたのかは定かではないが彼の手は優しく私の腕を掴んだ。

「お手をどうぞ、お嬢さん」

彼の後ろを半歩下がって付いていく。そうしたら手を引っ張られて隣を歩かされた。

ドギマギしながら歩いていくと足元の石畳が途切れる。ようやく再起動し始めた頭で前を確認すれば料亭の入口へと来ていた。そしてそこには高級そうな黒塗りの車が一台。高級車と言えばベンツくらいしか知らない。そのベンツと思しき車のドアはグラサンを掛けた男(注:五条悟ではない)に開けられ、背後から直哉に押され後部座席へと詰め込まれた。

「え?これはいったい……」

長いロード時間を終え、正常に作動した頭で異常事態に気付く。
なんで車に乗ってんの?というか父親たち置いてきてないか?

「君が今日から帰る家は禪院家こっちや。俺の可愛い奥さん」

歯の浮くような台詞と共に手の甲に軽く口づけされる。そこには紅が薄っすらと付いていた。よく見れば直哉の唇は私と同じ色をしている。こいつ、いつの間に手に着いた紅を自分の唇に塗ったのか。

どんなに甘い言葉を囁かれようとも、少女漫画展開に陥ろうとも、これは全て奴の演技だ。禪院直哉がこんないい奴なわけがない。家に着いた途端、私を蔑み罵倒に暴力、そしてありとあらゆるハラスメントを仕掛けてくるに違いない。
逃げるなら今しかない。DV男(仮)の嫁になってたまるか。

「照れとって可愛ええなぁ。ほれ、返事は?」
「はい」

くっっっそ、顔がいい!!!!!(n回目)





あれよあれよという間に禪院家へと拉致られ、早一ヵ月が経ってしまった。
そして私はいま、禪院家の離れにある家で直哉と同棲生活(笑)を送っていた。

来て初めの頃は使用人の女性が三人ほどいたが、私が家事全般できることを知った直哉が彼女たちを追い出した。
それからというもの、朝早くに直哉を送り出し家のことを行い、夜遅くに帰ってくる彼を出迎えるという毎日を送っている。
なんか実家にいた頃とやっていることはあまり変わらない。

しかしやはり大きいのは禪院直哉という存在だ。
私としてはいつDV男に豹変するのか待ち構えているのだが、一向にその兆しが見えない。寧ろその正反対の対応っぷりについていけてない自分がいる。

「今日も俺の奥さんは可愛ええなぁ」

朝起きての第一声がこれである。
初めのうちは初手で散々甘やかし後から裏切るという新手のいびりかと警戒していたが、未だに本性を見せていない。というかゲロ甘過ぎて私の方が胃もたれを起こし始めている。五条悟が飲むコーヒー並みの糖度である。

「今日もええ子にしとったか?俺がいなくて大丈夫やった?」

そして帰宅時の第一声がこれである。
一番の脅威はお前やねん、と何度も言いそうになっているが私は黙って微笑み返している。

「俺の奥さんは世界一可愛ええなぁ。ぎゅぅっとしましょうなぁ」

極めつけは寝る前に絶対に抱きしめてくる。
因みにまだ直哉と籍は入れていない。禪院家の次期当主となった暁に私を迎え入れたいらしい。でも奴は私を“奥さん”と呼ぶ。私はというと今のところ“直哉様”呼びに落ち着いている。そう呼ぶと「直哉でええのに」とぷぅっと頬を膨らませる。くっそ顔が(以下略

というか直哉って何歳なんだ?公式で発表されてたっけ?今の私は十八、下手したらロリコ——おっと誰かが来たようだ。

まぁまだそれ以上のことをされていないのでギリセーフであるが、私はこれからどうすればいいのだろうか。





土日祝日問わず忙しくしている直哉であるが、久しぶりに休みが取れたのだと私に言ってきた。

「明日は天気もええし出掛けるで。初めてのデートやなぁ」

ふにゃふにゃと話す直哉に引きつつも私は二つ返事で頷いた。
なんせ、拉致られて以来の外出なのだから。

私はここに来てから高校も行かせてもらえなかった。どのみち、あと一ヵ月ほどで卒業の予定だったし出席日数も足りていたので問題はなかったが直哉が離れから出ることを許してくれなかったのだ。
また、数日前に禪院家の敷地から出てみようと試みたことがある。しかし禪院家の敷地はおろか、離れの建物から半径五メートル以上の場所にさえ行くことができなかった。

まさかの帳が下ろされていたのである。
しかもこの帳、対私に特化した“私にだけ”作用するように張られていた。これって確かかなり難しい術式じゃなかったっけ?

「なぁ、なんで外出ようとしたん?何が不満やったん?なんか欲しいもんでもあったか?それならネットでなんぼでも買うてええ言うとるやろ。それともまさか男か?外に男おるんやないやろな?俺を捨てるつもりか?こんなに愛しとるんに……」

そしてその日帰ってきた直哉には泣きつかれてしまった。
直哉が膝立ちになり、私の腰にしがみついてわんわん泣かれたときはめちゃくちゃ焦った。これなら怒鳴られた方がある意味マシだったかもしれない。

「直哉様にお会いしたくなりまして……」

だからこそ、心にもないことを思わず口走ってしまった。

「ほ、ほんま?ほんまに?俺に?あかん…今すぐ犯した———いや、籍入れるまでは我慢するって決めたんや……」

もう二度と帳には触れないと誓った。

———ということもありつつデート(笑)当日。

「今日はな、服を買い行こ。君に似合うもの見繕ったるからな」

三歩前を歩く直哉はご機嫌であった。そして久しぶりの外である私もご機嫌である。実家にいた頃も自分の時間というものがなかったから出掛けることは素直に嬉しい。

それにしても銀座か…呪術廻戦の世界は現実の地名とシンクロしているからせっかくなら池袋に行きたかった。アニ〇イトからのとらの〇な梯子してゲーセン寄って秋葉原ルートで出掛けたかった。服とか買ってもあの離れから出れないんじゃあ必要ないし、それよか殺風景なあの家に飾るグッズが欲しいわ。

「なぁ、なんで隣歩いてくれへんのや?」

そんなことを考えていれば、直哉が立ち止まり私も後ろで立ち止まった。

「恐れ多いです」
「そんな寂しいこと言わんといて」

手を引っ張られ、直哉の腕に引っ掛けられる。突然のことでつんのめれば、優しく抱き留められた。「俺の奥さんはおっちょこちょいやなぁ」と言われ頭を撫でられる。くっそ、か(以下略

腕を組んで並んで歩く。時折、すれ違う人が振り返り直哉の顔を見ているようだった。ほんと、こいつ顔だけはいいんだな。まぁ、今のところ性格も問題ないように思えるが…いや、ここで騙されてはいけない。いつ本性を現すか、心の準備はしておかなければ。

「ん?ちょっと外すで」

仕事の連絡だろうか。直哉がスマホを片手に私の元を離れた。
人の邪魔にならないよう、ショーウインドウを背に道の端に寄った。前世の記憶と同じように銀座には華やかな人が溢れている。しかし、時折缶バッチやラバストを付けたバックを持っている人もいて目を奪われる。あっあれはツ〇ステのEXぬいぐるみ…!私が前世で予約してたやつ!!届く前に死んだことが悔やまれるわ。

「こんなところで何してるの?」
「えっ?」

銀座にあまり似つかわしくないストリートファッション系の男に話しかけられる。
驚いてぽかんと口を開けていれば男は一歩距離を縮めて私の顔を覗き込んだ。

「君、すっごく可愛いね。俺この辺に詳しいんだ。もしよかったら案内しようか?」
「あ、えっと、……」

これがナンパという奴か!と内心少し感動してしまった。
前世でも今世でも初めての経験である。しかし、いくら何でもこんな怪しい奴に付いていく気にはなれない。もっとはっきりと断りたかったのだが、久しぶりに直哉以外と話した私は、しどろもどろになってしまった。

「どうしたの?もしかして気分悪いの?俺が休める場所に連れてってあげる」
「ちがっ———」
「なぁ、俺の奥さんに何しとん?」

男の手が私に伸びる寸で別の手が間に割り込んだ。
そして瞬きの間に男の腕を掴み捻じり上げた。

「痛ってぇ!何すんだよ!?」
「質問しとるのはこっちやろ。俺の奥さんに何したんか聞いとんねん」
「ヒィッ…!うぐっま、待ってくれ」
「な、直哉様それ以上はっ…」

男の腕は人の腕とは思えないほどに捻じり上げられていく。まるで雑巾のようだ。
ナンパ男に同情する気はないがこのままでは傷害罪に問われてもおかしくない。

「あ"?この男庇う気か?」

で、でたーーーー!!本誌の一コマにあった瞳孔が開ききったヤバめの顔だーーー!
ついに本性を現したな禪院直哉。そうだ、これがこいつの本性だ。

「い、いえ。とんでもございません…」

ナンパ男には悪いが犠牲になってもらおう。私は死にたくない。この世界には前世で好きだったアニメやゲームが存在していることが分かったので益々死ねなくなったのだから。

直哉は満足したように私に微笑み、その男を一思いに捻り上げ投げ飛ばした。その拍子にゴリッボキッという明らかに骨が折れた音がした。
直哉はおそらく腕力だけでそれをやってのけた。そしてもうひとつ気付いたことは帳らしきものを周囲に張っていたことだ。現に人々はこれだけの惨事が起きているにも関わらず、足を止めることはなかった。

「大丈夫やったか?怪我ないか?怖い思いさせてごめんな」

目の前の光景に青ざめていると直哉が私の頬を両手で包み覗き込んでいた。
無茶苦茶怖かったわ、お前がな。
こくこくと頷き大丈夫なことを伝えると、直哉が目の端に涙を浮かべる。
なんでお前が泣いとんねん。

「もう離さへんからな」

銀座の中心などということはお構いなしにぎゅうっと肺がつぶれるほどの力で抱きしめられた。

禪院直哉がDV男として覚醒する日は近い。
早く、逃げよう。





先日の一件があり、私は直哉から逃げることを本気で考えることにした。

といってもこの離れには帳が下ろされているので直哉のいない間に逃げるということは不可能だ。
そこで考えたのは、先日のように出かけたときに姿をくらますということ。次の週末は直哉と外食する約束をしているのでそこがチャンスだ。

そしてもう一つ、今後の生活についてだ。
もちろんあのクソ親父の家に戻る気などサラサラない。そこで、先日のナンパのこともあり改めて鏡を見た私は気づいてしまったのだ。私、めっちゃ可愛くないか?と。

直哉が毎日言ってはくるがぶっちゃけ右から左に流していたのだが、私めっちゃ可愛くないか?(二回目)
白樺のような白い肌に、艶のある黒髪。目は大きく黒真珠のような輝きがあり、ちょこんとした唇は品が良い。鼻は高くはないが、日本人特有の丸みを帯びたそれは親しみやすさを感じさせる。私、めっちゃかわ(以下略

ということで調子に乗って、直哉には黙って履歴書を芸能事務所に送ったところいい返事がもらえた。私の住むところも用意してくれるとのことだったので野垂れ死ぬことはない。



「そのドレス似合っとるなぁ。和服もええけど、そういうんも色っぽいなぁ」

頭の先からつま先までじっくりと見られる。十八の女に対してはあまりにも性的な目である。ケッと心の中で唾を吐きつつも今日で最後だと思い、照れたように笑っておく。

因みにこのドレス一式は先日銀座で購入したものである。着せ替え人形のごとく何十着も着まわしたが、結局直哉が納得せずオーダーメイドで作ってもらった。ちらりと見えたゼロの数が七個はあったような気がしたが見なかったことにした。

グラサンを掛けた男(注:五条悟ではない)が運転するベンツ(だと思われる車)に乗り、六本木にあるホテルへと移動する。
車を降り、ホテルのロビーへと進んだところで私は用意していた言葉を直哉に告げた。

「直哉様、私イヤリングを車内に落してしまったようです。探してきてもいいですか?」
「ほんまか?」

直哉の指が私の後れ毛に触れ、吐息が分かるほど顔が近づけられる。その横顔にほんの少しドキリとしたが、騙されてたまるかと気を引き締めた。

「俺が探しに行ったるで」
「いえ、すぐに戻ります。直哉様はどうかここでお待ちください」

直哉の言動には否定するべからず、というのを念頭に置いてきたが今日ばかりはそうはいかない。
後れ毛に触れた直哉の手を取り、ぎゅっと握ってお願いすれば黙って頷いてくれた。よし、これで離れられるぞ。

私は小走りで車へと向かう。
五条悟()には“直哉様への秘密のプレゼント”と言ってトランクにボストンバック一つを隠してもらっている。そして私が忘れ物を口実に取りに行くと伝えてあるので車はまだホテル近くに待機させている。

ホテルから少し離れたところでベンツ()を見つける。五条悟()にトランクからバックを出してもらい受け取った。

ついにこの時が来た!これで私は自由だ!
呪術廻戦の世界であるけれど、私はこれから芸能界で生きていく。この世界線を私のオリジナル作品にしてやるぜ!

「そちらはホテルとは逆方向ですよ」
「裏口から入って直哉様を驚かせるんです!」

お疲れサマンサ、五条悟()。本物の五条悟の六眼を生で見れなかったことは悔やまれるがまぁいいか。
ボストンバックを抱え、嬉々として駅へと向かう。ハイヒールのせいでやや走りづらい。どこかで靴だけでも履き替えたいがここから一刻も離れたいので頑張って足を動かす。
結構離れたところまで来れた。そして数メートル先の地下に降りさえすればこっちのものだ。
完全勝利S!!












「なぁ、何処行くん?」

がっしりと肩を掴まれ動きが止まった。
嘘だろ、何故バレたし。
些か早すぎる。しかも場所まで特定された。

「おかしい思ったんよなぁ。君の付けてるネックレスの信号がホテルからどんどん遠ざかっていくんやもん」

GPS!!まさかこんな初歩的なミスをするとは。
ってかこんな小さなネックレスにGPSって付けられるんか?いや、よく見たらこのネックレスのダイヤモンド私の親指の爪の三倍はデカかったわ。

「絶対に逃がさへんで」

後ろから包み込むように抱きしめられる。
これが“あすなろ抱き”!!木村〇哉さんのドラマにあったバックハグ!!
絶望的な状況下においても私は私を見失わなかった。

そしてこの時、私の頭に前世のある記憶が蘇った。
この世界に転生してからというもの私は後ろから体を触れられることはなかった。それは一重に男の後ろを常に歩いていたから。それに術式も受け継がなかった私が戦線に立つこともなく、誰かに襲われることもなかったからだ。

しかし、今まさに体を拘束されて人としての防衛本能が目覚めたのだ。
前世で私は確かにオタクであった。夢女であった。
しかし、もう一つの顔もあったのだ。
友人は私のことをこう呼んだ———












「実写版ランねーちゃん」、と。



「オラァァーーーー!!!」
「は?っうげぇ!!???」

直哉の腕をはたき落とし、緩んだ隙に右手で前襟、左手で右腕の袖を持ち、姿勢を低くして体の下に潜り込んだ。そして曲げた膝を伸ばす反動で直哉の体を浮かし地面へと投げ飛ばす。
全国高等学校柔道選手権大会で優勝経験のある前世持ちの私に敵はいない!!!

「あばよ!禪院直哉!!」

ハハハ!私に怖いものなど何もない。呪力が使えないなら物理で解決するのみ!!
歩きにくいハイヒールを脱ぎ捨て、私は地下へと飛び込んだ。



「…絶対に、逃がさへんで!!!」