まずは友達からお願いします

残りのサンドイッチを無理やり口に詰め込んで、急いで制服のファスナーを口元まで引き上げた。

「こんなところにおったんか。ぼっち飯とか淋しいやっちゃなぁ」

いや、貴方もでしょ。
まだ口の中にあるサンドイッチを咀嚼しながらそう思う。

自販機の側に設置されたベンチ。日陰になっており、また風の通り道でもあるので気持ちがいい。のんきな鳥の囀りなんかも聞こえてゆったりとした時間が流れるここがお気に入りになりつつあった。しかし、私がようやく見つけた快適空間がこの男に見つかってしまった。

「同期ふたりしかおらへんのやから仲良おしよや」

本当はそんなこと思ってないくせに。
一応軽く頭を下げ挨拶っぽいものをする。そしてとっとと逃げようとしたらどっかりと隣に座りやがった。

「もしかして俺のこと怖がっとるん?あの時の事ももう怒っとらんし、怯えんでええよ。いきなり取って食ったりせえへんし俺がそない心の狭い男に見えるか?呪言に当てられて頭から血ぃ流して骨まで折られたことも今では全く恨んどらんよ」

めっちゃ根に持ってんじゃん。
でも彼の言っていることは事実であり、そして恨まれてもしょうがないことだった。

私は同期の禪院直哉に嫌われている。



登校初日にも関わらずオリエンテーションさえすっ飛ばして力試しを兼ねた任務に行かされた。

入学時の等級は共に準二級。そのため一人ずつで行ってもよかったのだが、「二人しかいないんだから交流を深めろ」とお節介な先生のせいで二人で行かされた。

それに対して禪院君は大変ご立腹であった。教師に十個くらいの小言をぶつけて、でも結局は私と一緒に討伐対象の呪霊がいる廃ビルに行くことになった。

「絶対に俺の視界に入るやないで。女のくせに出張られたらうっかり殺してしまうかもしれへんわ。ま、そしたら望み通り背中ぶっ刺したるからな」

この人めんどくさ。
それが第一印象というものだった。

唯一の同期であるが正直関わりたくない。
呪術高専という普通でない子達が集う場所。ここに来れば友達の一人くらいできると思っていたけれど、そんな夢も見事に崩れ落ちた。それならばせめて静かな学生生活を送りたい。

分かったの意を込めて頷く。そうしたら舌打ちされた。「まともに返事もしいひんとか猿以下やな」と私にも聞こえる声量で悪口を言われた。しないんじゃなくてできないだけなんだけど。でもそれをわざわざ文字に起こして説明するのも面倒なので黙ってやり過ごす。

廃ビルに到着すれば禪院君は術式を使いあっという間に奥へと行ってしまった。追いかけようとも思ったが先程の言葉を思い出し踏み止まる。また文句を言われるのも嫌なので大人しく入り口の所で待つ事にした。

廃ビルの一階には不動産会社が入っていたらしい。壁に貼られたままだったボロボロの不動産情報を見ていれば上で大きな音がした。禪院君だろうか。割と派手にやっているらしい。

このビル崩れないのかなと心配になっていれば階段の方から呪霊の気配がした。注意深く様子を伺うと一体の呪霊が階段を駆け降りてきたのだ。

後から知ったのだが、この呪霊は勝てないと分かった準二級のものが分裂したものだったらしい。だから当然、三級程度の雑魚にまで成り下がっていた。

そんな状態だとは思わずに準二級呪霊だと思った私は全力で言霊を放ってしまったのだ。

「"ブッ飛べ"!!」
「ぎぃやぁあああ!!!???」

呪霊は悲鳴ひとつ上げぬまま飛ばされた。片や禪院君はものすごい悲鳴をあげ壁をぶち破って外にまで転がり出た。そのあまりの断末魔に(死んでないけど)同じく吹き飛ばされた呪霊ですら「えっお前が叫ぶん?」みたいな顔をしていた。

呪言師である私は呪力を言霊に載せ相手に放つ。
私の発した言葉がちょうど階段を降りてきた禪院君の耳にまで届いてしまったのだ。そしてその言葉通り、見事にブッ飛んだというわけだ。禪院君は気を失って倒れていた。

呪霊を仕留めそこね、女の術式に当てられ、そして気を失ったまま運ばれるという醜態を晒された禪院君は私の事を目の敵にしている。
意識を取り戻した彼に何度も頭を下げ、手紙を書き謝ってはみたものの許してくれない。いや、表面上は許されたのだが根にもたれているのだ。
その結果、会う度に絡まれるという日常が続いている。



「呪言師なんて今どき絶滅危惧種や。術式の使い方が分からんくても大目に見たる。まぁでも俺やったらもう少し使いこなせるとは思うで」

禪院君のネチネチした話を聞きながらゴミを片付ける。そうして立ち上がろうとしたけれど、立ち上がれなかった。よく見れば隣に座った禪院君が私のスカートを思いっきり踏んでる。というか手で押さえている。絶対わざとじゃん。

「せや、学食でな今日から沖縄フェアやるんやって。ソーキそばとかラフテーがあるんやと。どうせやっすい食材使うとる思うけど気にならへん?自分がどうしても言うなら付き合ってやってもええで」

そうなんですね、丁重にお断りします。
グイグイと自分のスカートを引っ張る。が、抜ける気配がない。僅かな望みをかけ視線を動かし、踏んでますよアピールをする。

「なんや?俺の顔に見惚れてるん?」

うわっナルシスト乙。
いや、別に自分の容姿に自信がある人を悪く言っているわけではない。でも、なんだろう……俺様的な言い方?漫画の中のイケメン王子が言えば別かもしれないが同期に言われれば普通に引く。あと禪院君の顔は私の好みじゃない。

勘違いされたくなくて頭を全力で左右に振ったら「照れんでええのに」という斜め四十五度の返しをされた。この人頭大丈夫か?

早くどっか行ってくれないかな。それと口の中に残ったパンのパサつきが気持ち悪い。水を飲みたいところであるが禪院君がいるためそれも叶わない。

「それにしてもいっつも口元まで隠しとってむさい女やな。顔くらい見せろや」

不意に伸びてきた禪院君の手。
ファスナーのつまみを掴んだ彼の手を思いっきり叩き落とした。

驚いた彼を、私はそのまま睨んだ。
貴方はいいよね、容姿に自信があって。鼻筋も通っていて顎のラインもシャープでパーツの位置だって整っている。そして何も描かれていない透きとおるような肌があれば私のように顔を隠す必要なんてないんだから。

「"退け"」

口元を覆ったまま呟いた。決して大声ではない。それでもひと一人動かすには十分な呪いだった。
皺の寄ってしまったスカートを正して立ち上がる。そして急いでその場から立ち去った。


呪霊が視えることよりも、普通に会話ができないことよりも、私は自分の顔が嫌いだった。
口の端から伸びる線の先には蛇の目の模様。それは左右対称に描かれている。そして舌の上にも同じ模様があった。

『うわっ気持ち悪い!!』

初恋の男の子にそう言われた。
それから私は自分の顔が大嫌いだ。





今日の一限目は自習らしい。寮から教室へと向かっていたら先生にそう言われた。

呪術高専では術式や体術の授業があるが、もちろん座学もある。でも先生達も呪術師なわけで、人手不足になれば任務に駆り出されてしまう。入学してから一ヶ月ほど経ったが急な自習は今日で七回目だった。

教室に入ると禪院君がいた。自分の席に座って机に突っ伏している。寝ているようだった。
次の時間は自習になったので寝ていても問題はない。でも伝えなかったら「伝書鳩にもなれへんのか」と嫌味を言われそう。しかし起こしても「気も使えんのか」と舌打ちされそう。

一度考えることを放棄し、黒板の真ん中あたりに"自習"と書いた。
その後、恐る恐る禪院君のところへと近づいてみる。が、起きる気配がない。

それにしても禪院君の髪ってすごい。この金髪は染めてるんだよね?見事に馴染んでいるしプリン頭にもなっていない。金髪にするには一度脱色する必要があると聞いたことがあるが痛くはなかったのだろうか?

「ん……」

興味津々で頭を見てたら急に動き出した。
目を擦り頭を上げた彼と目が合って、気まずくなったので黒板を指さした。

「なんや自習か」

用件は伝わった。何事もなく収まってよかった。
私も自分の席につき鞄から教科書を取り出す。一限目は数学のはずだったので問題集に手を付けることにした。

十問ほど解いて答え合わせをする———が、八問不正解で泣けてくる。しかし小、中とほぼ不登校状態だったので当然と言えば当然の結果だった。

「自分、見た目は優等生なんに頭悪いんか」

てっきり二度寝したかと思えば起きていたらしい。禪院君はやる気なさそうに机の上に寝そべりながら私のノートを見ていた。

関わりたくなくて無視していれば椅子を引く音がした。きっと教室を出て行くのだろうと思ったのに、彼は椅子を引きずって私のところまで来たのだ。そして机を挟んだ真正面に座って机の上の問題集を取り上げた。

「おい、これ基礎の基礎やで。中三レベルの問題」

返して欲しくて手を伸ばすがそれも簡単に避けられる。

「まぁ女は勉強できんくてもええと思うけどな。馬鹿はアレやけどおつむが弱いくらいなら可愛がられるで」

この人、絶対いつか女に刺されて死ぬと思う。
立ち上がって腕を伸ばす。でも禪院君も立ち上がって手を高く上げた。身長差があるから当然届かない。

「女に必要なんわ見た目や。やっぱ綺麗な女横におった方が目の保養になるやろ?その点自分は———」
「"動くな"!!」

"女"という形容詞をつけて話される分にはまだいい。でも私個人の容姿について言及されたくはなかった。
だから呪言を使った。しかし禪院君に変化はない。なんで?彼は確かに強いけど私よりも格上というわけではない。現に先日までは有効だった。

「呪言は確かに強力で脅威やけど分かってたら防ぐのは簡単や。耳を呪力で覆えばええ」

確かに耳を守られれば声は届かない。でもそれは割と高度なことなのだ。手足に呪力を纏わせるのはイメージが付きやすいのでやりやすい。しかし耳は意識して動かすところでもないので集中力と繊細な呪力操作が必要になるのだ。それなのに彼は当然の如くやってのけた。

「これなら自分の言葉聞いても何も起こらへん。言いたいことあるなら言ったらええ」
「………返して」

言葉で伝えると簡単に返してもらえた。先程まで煮えたぎっていた怒りも冷め、毒牙を抜かれたような感じだ。
怒る気力も失せ項垂れるように椅子に座った。

「自分、今までどうやって生きてきたん?」
「………別に、普通」
「答えになってない」

今まで私がまともに話せた相手は師匠だけだった。
私の両親は普通の人だった。幼少期より術式を発動させた私は早々に親に見限られ呪術に詳しい人のところへ預けられた。その人は呪言師ではなかったけれど私に色々なことを教えてくれた。そして唯一、私と会話ができる人だった。

「人と会話したことはあんまりない。私にとって言葉は呪うための すべだから」

そんな人生の中で、初めて師匠以外の人と会話をした。
だから何を話せばいいのか分からなくてひどく緊張した。今まで頭の中ではたくさん会話をしていたつもりだったのに、いざ言葉で伝えるとなるとそれは想像以上に難しかったのだ。

立ったままの禪院君は再び椅子に腰を下ろした。もう私との会話は終わったものだと思ったのにどうやら違ったらしい。彼は机に転がっていたペンを手に取ってノートに何やら書き出した。それは数式だった。多分、正解の。

「これ、問題文を二つに分けて考える必要があんねん。で、この公式が前半部分の解」
「教えてくれるの?」
「同期が阿保だと俺の評価も下がんねん」

そんなことないと思うけど。
でも彼の申し出は有り難かった。鍛錬優先で師匠も私の勉強までは見てくれなかったから、いつも教科書と睨めっこしていた。

「…ありがとう、禪院君」

初めて名前を呼んだ。
初めて彼の目を見て話した。

「——ッ、よそ見しとらんで集中しぃ!」

だけど何故かキレられた。
やっぱりこの人よく分からない。

でも、二人だけの同期だし仲良くしてもいいかもしれない。





久しぶりにまた禪院君と一緒の任務になった。

今回報告されているのは三級ほどの呪霊らしいがとにかく数が多いらしい。
高速道路を下りて山中に一時間ほど走らせた場所に目的地はあった。廃業した温泉旅館だった。

「ここ潰れとったんか。昔来たことあったんに淋しいなぁ」

車から降りると曇天が目に着いた。この様子では雨が降るかもしれない。そんな心配をよそに禪院君はすでに旅館の方へと歩き出していた。
旅館の入り口付近で立ち止まり、辺りを見回りしている。私はその様子を隣で見ていた。

「あ?言いたいことあるなら言い」

最近の禪院君はすごい。私が何か言いたいことがあるとそれに気付いてくれる。そして呪力で耳を覆ってからわざわざ聞いてくれるのだ。

「家族で来たの?」
「なんやったかな、親父の会合についてったとかそんなんやったと思うで」
「そうなんだ」

さすがは禪院家だ。
でも例え付き添いであったとしても羨ましかった。温泉はまぁこの顔なので入れないとして旅行というものには憧れる。地理も歴史も知識不足、そしてある意味世間知らずな環境で育った私だが日本の名所を巡ってみたいとは思う。

「ジジイ共が酒飲んで騒ぎ散らしてつまらんかったんは覚えとるわ。あぁでも松の雪吊りがあったんは驚いたなぁ金沢でもないんに」
「雪吊り…?」
「雪で木の枝が折れんように縄を張るんよ。冬の風物詩、見たことないんか?」
「うん。あんまり出掛けたりもしないし」
「そうか」

すっかり廃れてしまったが、確かに雪が降れば風情がありそうな旅館だ。どうして廃業してしまったのか、勿体ない。

だがいつまでもお喋りをしている場合ではない。雨も降るなら早めに終わらせないと。
しかし、禪院君は中々その場から動かなかった。彼の「前を歩くな」という言いつけを私は今も守っている。だから私も動けなかった。

「もしかして自分、清水寺すら行ったことないとか言わへんやろな?」

急にこちらを向いた彼と目が合って、不意にそんなことを聞かれた。

「……………」
「おい」
「ないよ」

口元を隠していても周りの視線が怖い。
普通じゃないやつが何故ここにいるのかと、どうにも責められたような気分になる。だから人の多いところには行けず、出掛けたことも少なかった。

「淋しいやっちゃな」
「家族も友達もいないから」
「ふぅん」

しまった、今の言い方だと両親が死んでいると思われたかもしれない。……でもいいか、もうずっと連絡も取ってないしどこに居るのかも分からないんだから。

ようやく禪院君が歩き出したのでその後ろについていく。
旅館を囲む雑木林にも呪霊の気配がしたのでおそらく建物の中だけでなく外にも何体かいるのだろう。だから禪院君が中を、私が外を担当することになった。



報告通り、数は多いが強くはなかった。
途中から雨が降り出し視界不良のため時間がかかってしまったが全て祓除することができた。

それにしても意外と雨足が強い。待ち合わせ場所の旅館ロビーまで辿り着く頃には靴も靴下も、制服の下まで水浸しだった。

「うぉっびっくりした」

禪院君は既に仕事を終えていたらしい。外から現れた私が幽霊に見えたらしく軽くビビられた。この人、幽霊とか信じるんだ。私の中では幽霊も呪霊も似たようなものだけど。

彼が補助監督の人に連絡をとってくれている間、スカートの水分を絞る。汚れと劣化で擦り切れた赤い絨毯が水を吸ってさらに濃くなった。

「あと三十分でこっち着くて」

こくりと頷いて次は上着の水分を絞る。高専の制服はカスタマイズが可能だ。私の制服は顔の半分が隠せるようファスナーで開閉可能なパーツが着けられている。いつもはそのパーツに助けられているのだが今は水を吸って重くなっているので邪魔で仕方がなかった。

「それ脱いだらどうや」

着たまま水分を絞るのにも限界がある。だから脱いでそれができたらよかったのだが、中のシャツも濡れているのだ。きっと下着も透けている。

禪院君が自分の耳を指さし、呪力で覆った事を私に伝えた。だから少しまごつきながら「透けちゃうから」と小さく答えた。
すると禪院君は溜息ひとつついて自分の上着を脱ぎ出した。彼も服が濡れていたのだろうか?ジロジロ見るのも失礼かと思い再び絞る作業に戻る。そしたら目の前に上着が差し出された。

「これ着とき」
「いいの?」
「クリーニング出して返し」
「ありがとう」

ロビーのカウンターテーブルの裏に隠れて着替えをする。羽織ると自分のものとは違う香りがした。禪院君の匂いだった。

「せや、上着貸す代わりに一つ言うこと聞けや」

先程の上がった好感度が急降下した。でも正直タダで貸される方が怖かったので向こうから言い出してくれてよかったのかもしれない。

「一生パシリとかは嫌だよ」
「俺をどんな奴だと思っとるん?」
「縦横無尽の禪院様」
「まぁ当たっとるな」

否定しないんかい。
上着のボタンを閉めていく。やはり私の制服より大きくダボつくいてしまう。それでも冷えた体を温めるには十分だった。

「それで私は何をすればいいの?」
「顔見せて」

着たばかりの上着のボタンに再び手を掛けた。
いつまでも出てこない私を不審に思ったのだろう「どうしたん?」と声を掛けられた。
こちらからしてみれば、どうもこうもないのだ。そのお願いだったらパシリの方がマシだった。

「服、返す」
「は?なんで?」
「見せたくないから」

テーブルの上に乗せておいた自分の上着に手を伸ばす。が、置いた場所からなくなっていた。口元を手で覆って少しだけ頭を出すと禪院君が私の上着を取り上げていた。

「別にええやろ。減るもんじゃあらへんし」
「嫌だよ」
「何でなん?」

私の部屋に鏡はひとつしかない。
朝、身嗜みを整える時だけに使うそれ。私はそこに映る自分と一度も目を合わせたことはなかった。

「私が顔を隠すのは口や喉を守るためじゃない。生まれた時からある蛇目の痣を隠すために付けてるの。みんなが気持ち悪いって言う顔を隠してる」

師匠はこの痣を「呪言師の証なのだから誇りに思え」と言っていたけれど私にとってこれは呪いだった。呪霊が視えるというだけで普通じゃない私の、外見すら呪ったのだ。

この痣がなければ、親に見捨てられることはなかったのかもしれない。
もう少し学校に行けていたのかもしれない。
初恋の子に言われた言葉に、私は今も呪われている。

誰にも愛されなかったこの顔を、私だって愛すことはできなかった。

「そんなんあらへん思うけど」
「見たら絶対気持ち悪いって言うよ」
「まぁ俺、一度自分の顔見とるけどな」

一度引っ込めた頭を再びカウンターから覗かせる。
禪院君と目が合った。

「うそ……」
「初日、自分の言霊喰らったとき顔出してたやろ」

そうだ、確かに交戦するとき声を通りやすくするために口元のファスナーを下ろす。でもあんな一瞬で認識できたはずがない。

「よく見えなかったでしょ?」
「まぁな、だからもっかい見たいねん」
「見せ物じゃない」

カウンターの下に隠れて自分の頬を撫でた。凹凸もない肌。でもそこには確かに呪いが刻まれている。

「あの時の子に俺は会いたいだけやねん」
「私はここにいるじゃない」
「一目ぼれした女の顔くらい見たいやろ」
「嘘。調子のいいことばっかり言って」
「本当やもん」
「信じない」
「信じろや」
「でた、縦横無尽の禪院様」
「せやで」

ついに返す言葉もなくなって先に黙ってしまったのは私の方だった。
私は考えて考えて———
迷った挙句、少しだけ彼を信じてみようと思った。

「私の顔見て笑わない?」
「笑わへんわ」
「写真撮らない?」
「そんな趣味ないで」
「気持ち悪いって言わない?」
「もし言ったらあの時みたいに吹っ飛ばしてかまへんよ」

禪院君の上着を羽織り直す。そうして口元を手で隠しながら立ち上がった。
カウンターをぐるりと周り禪院君の前まで行く。
目の前に立った私を見ると彼は自分の手を私の方へ伸ばした。指先の一つが摘ままれて、そうして一本ずつ剥していく。

十回に及ぶその作業を終え、私の顔を覆うものはなくなった。禪院君の手が私の頬に触れる。私はやや俯いたまま彼の指の感触だけに集中した。おそらく蛇目をなぞっているのだろう、くすぐったい。なぞられた部分には禪院君の熱が乗せられて冷え切っていた頬が温かくなっていくようだった。

「可愛ええ顔しとるやん」

お世辞だったのかもしれない。
彼らしくもないけれど、そうとしか思えなかった。そしてそれはとても柔らかい口調だったのだ。

私は恐る恐る顔を上げて彼の顔を見た。そしたら本当に愛おしそうな物を見る目をしていたので本当に思って言ってくれたのだと確信した。

「そ、んな……」
「美人さんが隠しとって勿体ないなぁ。せや、今度京都観光しよか。どうせ自分ろくな知識持っとらんやろ?社会科見学兼ねて俺が案内したるわ」

一言多いのは最早彼の十八番である。
でも何一つ苛立ちを感じなかったのはその言葉の裏に隠されたものに気付いたからだった。

「美人は目の保養言うたやろ?めっちゃ俺好みの顔や、誇ってええで」

そしてどこまでも上から目線。
しかし彼のその言葉に私に掛けられた呪いが解かれたような気がした。

「私は禪院君の顔、好みじゃないよ」

言葉は人を呪うための術である。
だから私は絶対に嘘をつかない。自分の言葉の重みを理解しているから。
お世辞も言わない、おべっかも言わない。

だからありのままを彼に伝えた。そうしたら鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
それが面白かったのでつい笑ってしまった。私の記憶の限りでは、この日が人生で初めて声を出して笑った瞬間だった。

「でも不器用に優しいところは好き……かな」

言葉は人に感情を伝えるための術である。
だから私は本当のことしか言わない。真実しか伝えない。

「ン"ン"ッ!急に変なこと言うなや阿保!!」

呪力は視認できるものではない。だから今、呪力で覆っている彼の耳も普段とは変わらないはず。でもそれにしては椿の花のように耳は真っ赤になっていた。

「なんやねん急に!喋ったら阿保がバレるんやから黙っとき!」

そんなこと言わないでよ。
禪院君とのお喋りは楽しいんだからさ。

外からクラクションの音が聞こえた。きっと迎えが来たのだろう。

振り返ると今度は禪院君が自分の顔を手で覆っていた。あれだけ自慢していた自分の顔をどうして隠す必要があるのだろう。
先程彼がしたように、指を一本ずつ顔から剥がしていった。でも取れたのは右手だけで、大きな左手で顔全体をまた覆ってしまった。

だから私は彼の右手を繋いで歩き出す。彼が今も耳を呪力で覆っているか分からなかったのだからしょうがない。

外に出るともう雨は上がっていた。

ただの同期だった私たちが数年後に夫婦になることを誰が想像できようか。
私達の物語はここから始まる。
まずは友達からお願いします。