彼女はパンの種類でしか喋らない

言葉は呪いであり、戦うための術である。

養子として引き取られ、約十年間そう教えられた。
だから日常生活において言葉は必要ないのである。それに、現代においてのコミュニケーションなどメールや筆記で事足りる。

つまりは言葉なんかなくたって、困らないのだ。



「疲れたなぁ〜早く昼飯に行こうぜ」
「あんぱん……」
「ほらしっかりしろよ」

午前の授業を終え、真希ちゃんと共に食堂へと向かう。
呪術の使い方はいいとして、スタミナが足りない私としては体力育成の授業後は死んでいる。
 
「今めっちゃカツ丼食いたい気分だわ」
「カレーパン」
「あっ真希さーん!ちわっす!」

ふらふらと歩いていれば左手から一年生が走ってくるのが見えた。最近真希ちゃんに懐いている釘崎さんという女の子だ。
どうやら一年生も外で実践的な授業を受けていたらしい。釘崎さんの後からきた伏黒君と虎杖君も真新しいジャージがボロボロであった。

「お疲れ様です」
「先輩達も今から昼飯っすか?」
「あんぱん」

若いなぁ元気だなぁと一つしか年が違わない彼等がキラキラして見える。
今年の一年生は個性がある。よきかなよきかな。

「真希さん、あの人も狗巻先輩と同じ呪言師ですか?」
「そうだよ。棘と違ってあいつはパンの種類でしか喋らない」
「いや、それって狗巻先輩と同じですよね」
「二年生ってキャラ濃いっすよね」
「虎杖はそれ言えねぇだろ」

やんややんやと戯れる一年生達の会話に耳を傾ける。
今更自分が周りにどう思われていようとも気にしない。寧ろその初々しい反応に好感すら覚える。

さて、そんなことよりお昼は何を食べようか。そういえば先日任務で一緒になった七海さんという方がカスクートというパンが美味しいのだと言っていた。パンダが午前中は任務で学外に出ていると言っていたので買ってきてもらえないだろうか。彼の任務が終わったことはSNSの写真投稿で確認済みだ。因みにパンケーキの写真と共に「#共食いなう」とハッシュタグが付けられた写真は面白くなかったのでいいねは付けなかった。

「ただいま〜!人気者のパンダが帰ってきたよ!」

噂をすれば同期のパンダのお帰りである。これではパシリ…もといいおつかいを頼むことはできない。しかし、パンダはカスクートよりももっと私が欲しいものを連れ帰ってきてくれたのだ。

「パンダお疲れ。なんだ、棘も一緒だったのか?戻りは明日と聞いていたが…」
「五条先生も来て横浜の任務が早く終わったらしいぞ。駅で会ったから一緒に帰ってきた」
「しゃけ」

真希ちゃんの言うように狗巻君は明日戻ってくる予定だったのだ。だからせっかく手に入れた映画チケットも彼と一緒に行くことを諦めていたというのにこれは良い誤算だ。そしてよくぞここへ連れてきてくれたパンダ。

私はポケットからスマホを出して映画のHPをディスプレイに表示させる。それを片手に狗巻君のところへ向かい、彼の目の前にスマホを掲げた。

「食パン?」
「しゃけ。ツナマヨ」
「メロンパン!」

授業の疲れなど吹っ飛んで私は嬉しくなってその場でくるりと一回転した。
狗巻君の“しゃけ”は肯定用語である。つまりはデートへの誘いを受けて頂いたのだ。こんなに喜ばしいことはない。

狗巻君を好きになり、すでに何回もこのやり取りをしているが毎度この瞬間は嬉しくなる。
呪言師という肩書きを持っていても、私自身、花の女子高生である。好きな人とのデートに浮かれないはずはない。

「クロワッサン」
「しゃけ」
「メロンパン」
「ツナマヨ」

時間と待ち合わせ場所はあとで連絡しよう。
そしてお昼は真希ちゃんを見習って私もカツ丼を食べよう。明日への英気を養うために。映画自体はゴリゴリのアクション映画であるが私の中ではラブロマンス待ったなしだ。

「真希さんはあの人達が何喋ってるか分かるんすか?」
「棘は"しゃけ"が肯定で"おかか"が否定だ」
「先輩は?」
「"あんぱん"が肯定で"カレーパン"が否定だ」
「ツナマヨとかメロンパンは?」
「私にも分からん」
「いいじゃないの。若い子達の恋愛は応援しないと。ひゅーひゅー」

真希ちゃんと虎杖君達の会話は私の耳に届かない。もちろんパンダのお決まりの冷やかしもスルーだ。

明日は何を着てこうか。
そんなお気楽な事を考えながら食堂へと向かった。





両親は呪言も使えなければ呪霊も見えやしなかった。

でも私は産まれたときから変なものがよく視えた。そのことを何度か母親に言ってみたが気味悪がられたのでいつしか言わなくなった。

しかし、五歳の時に決定的瞬間が訪れる。
その日いつものように預けられた幼稚園で友達とボール遊びをしていた時のこと。そのボール欲しさに男の子が友達を押し倒して怪我をさせたのだ。

友達はぎゃん泣き。
その子の膝から流れる赤い血を見て私は幼いながらも怒りに震えた。
その時つい言ってしまったのだ。
「あんたも怪我すればいいのに!」

直後、あり得ないほどの強い突風が吹き抜けその男の子の体は文字通りに吹っ飛んだ。
足の骨を折りすぐさま病院送りに。彼は幼稚園を変え二度と私の前には現れなかった。

後は何となくお察し頂けるだろう。

その後私は呪術を扱うとある家系に引き取られ、みっちりと稽古を受けた。
そして昨年、表向きは宗教系の学校とされる都立呪術高専に入学しそこで狗巻君と出会った。

自分と同じ年齢の呪言師。加えて彼は基本おにぎりの具材しか喋らない。
既視感を覚えるのは当然のことだった。そしてほぼ一目惚れという状態で彼の事が好きになった。

本来、呪術師は恋人などの大切な人は作らない方がいいという。
理由は単純。自分がいつ死ぬのか分からないし、その相手に被害が及ぶという可能性だってある。

でも好きになるのは止められないし、自由だ。
今のところ狗巻君に私の気持ちを伝えるつもりはないけれど、一時の甘い夢くらい見させてほしい。

肉親の顔はとうに忘れた。
養子としての家に愛着もない。
だからこそ最期にみる走馬灯の中に彼との思い出があるのなら、それが私の生きた証になる。

だから私は彼をデートに誘うのだ。





二〇一八年×月○○日九時二十分———

デート当日。
買ったばかりのワンピースに身を包み、姿見で全身を確認する。
我ながら、悪くはないと思う。

時間を確認するとそろそろ出た方がいいだろう。待ち合わせ場所は渋谷駅だ。
お互い寮に住んでいるのだからもっと近くで待ち合わせをしてもいいのだが会う時は大体外で待ち合わせをしている。
これに関しては狗巻君たっての希望なのでよく分からない。初めは私と一緒にいるのを見られるのが嫌なのかと思ったが、以前学校外で五条先生に会ったとき散々冷やかされたが特に怒ったりはしていなかったのでそういう訳ではないらしい。

ハンカチや財布をバックに詰めているとスマホが震える。
ディスプレイを見ると"五条先生"という文字が表示され通話ボタンを押すのが躊躇われた。
嫌な予感しかしないが無視するわけにはいかない。

「ジャムパン」
『もしもし?休みに悪いねぇ』

全くもって悪びれた様子もなく先生は話を続ける。
私に電話ということは、余程の緊急事態なのだろう。

『赤坂の劇場に数匹の呪霊を確認。三級程度の雑魚共だが数が多そうでお前に頼みたい』

そうなれば呪言師の出番なのだろう。前回は狗巻君がこの手の緊急対応に当たっていたので今回は私に任務が回ってきたといわけか。

「あんぱん」
『んじゃ迎えの車は寮のところに着けてあるからそれ乗ってってね〜』

私が行くことは決定事項のようだった。
電話を切れば外からは車のクラクションが聞こえたので早くしろということなのだろう。着替える時間はなさそうなのでワンピースのまま、しかしせめて靴はパンプスからスニーカーにして車へと向かった。

移動中に狗巻君に連絡を入れる。すぐに既読が付き返事が返ってきた。
『残念。どこで任務なの?』と聞かれたので簡潔に説明すれば『気を付けてね』とまたすぐに返事が来た。

「着きました、ここです」

目的地へと到着するが、遠目からでも霊がうようよしているのが視えた。
バッグの中にはレモン水、のど飴、喉スプレーを常備いている。RPGでいう回復薬もしっかりと持ち合わせているし数は多そうだが何とかなるだろう。
準備は万全。

「食パン」

さぁ、仕事の時間だ。



同日、十六時三十二分———

私は五条先生を許さない。

何が「三級程度の雑魚共」だ。
しっかり二級の呪霊がいたではないか。準一級呪術師の私といえども、予告なしの任務となれば泣く。しかも休日を余儀なくつぶされたとなれば泣きわめく。
いや、被害ゼロで勝てたにしろ青春真っ盛りの女子校生の休日を潰した罪は重いぞ。
真希ちゃんにチクって先生のことタコ殴りにしてやるんだから。

私のことをここまで送り届けてくれた補助監督の方へと連絡を入れる。
呪言師ゆえ、気軽に話せないのでメッセージを送ればすぐに返信がきた。

『五条先生から名古屋まで迎えに来るように言われたので貴方の元へは行けません。すみません』

ふざけんな!
なんで東京から名古屋まで車で迎えに行かせるんだ。文明の暦である新幹線使えや。

ぐつぐつと煮えたぎる感情を抑え、劇場を後にする。
狗巻君とのデートはなくなり、おろしたてのワンピースはボロボロ、加えて足もとはスニーカーというミスマッチ。
この状態で帰るなどと、見世物もいいところだ。

しかし、これが私の決めた道だ。
齢五歳にして私は全てを悟った。
己は人に尽くすために生まれたのだと。そして呪言師としての使命を全うすることにより存在価値が生まれるのだと。

頭で分かっていても受け入れられないことはいくつもある。
それが今一度に押し寄せたような気がしてどうにも感情の整理がつかなかった。

「っ、げほ、ごほっ…!」

深呼吸をしたところで咽こみ、バッグの中から喉スプレーを取り出し喉の奥へと吹き付ける。勢いく噴射し、さらに咽る。それに苦い。この味はいつまで経っても慣れやしない。

「明太子」

夕暮れ時、西の空には真っ赤な太陽が一日の終わりを告げる。
それを背景に一つの影が私の方まで伸びていた。
逆光であっても、それ以上の言葉がなくても私は決して見間違わない。

「……!」

気軽に言葉を交わせない私達。
好きな人には決して見せたくはない、お世辞にも可愛くない姿であるにも関わらず私は彼の元へと駆け寄った。

劇場前のカラス一羽いない閑散とした場所で、世界の終りのような赤い夕陽に、どうにも私だけが取り残されたように感じ心細かったというのも理由の一つだ。

狗巻君はトントンと自分の耳を叩いた。
これは呪力で耳を覆えという合図だ。
呪言は“言霊”、音に呪力を乗せるわけで耳から脳を呪力で守れば自身に影響は及ばない。ただそれを永続的に行うのは難しい。だからこそ呪言師は厄介な呪術師ということで認知される。

しかし予め分かっていればそれほど脅威でもないのだ。私は自らの呪力で脳を守り洗脳が及ばないようにする。
ひとつ頷けば狗巻君にも意味が分かったのか、彼は口元まで覆っていたパーカーのファスナーを開いた。

「怪我はなさそうだね。でも、大丈夫じゃない顔してる」

狗巻君はとても優しい声をしているのだと思う。
彼と会話をするときは皆、その呪言に気を囚われるから知らないかもしれないが、とても穏やかな声をしているのだ。

「あんぱん……」
「普通に話して大丈夫だよ」

彼はもう一度自分の耳を軽く叩いた。
なんでこんなことを一々確認しなければならないのだろう。
呪霊も視れない普通の子だったら、せめて呪言師でなかったとしたら、私はもっと楽に生きられていたのだろうか。

「疲れちゃった」

疲れた。本当に。
私は人のために自身の身を投げうてるほど優しい人間ではない。
赤の他人ひとつの命より、自分の幸せを願ってしまうような人間である。

こんなガラガラな声ではなくて普通に貴方の名前を呼びたかった。
好きな人の前にでは可愛い姿でいたかった。
思っていることを素直に言えたらどんなに幸せなことなのだろうか。

「お疲れ様」

狗巻君は笑う。蛇の目と牙の呪印を添えて。
彼は自分の出生を呪ったことはないのだろう。
呪いを払う呪術師は、一番に自分の出生を呪うべきなのだ。

しかし、現実を覆すことなどできやしない。
頭では分かっているのに、それがどうにも悔しくなって私は顔を伏せてしまった。

「ねぇ、何で私たちばっかり頑張らなきゃいけないの?普通に生きることすら許されないの?」

何よりも誰よりも、私は“普通”を望む。
真希ちゃんのような意志の強さも、虎杖君のような使命感も、狗巻君のような優しさも私にはない。この道しかなかったから歩んでいるだけ。
でもここに来るまで反発もできなかった自分に腹が立った。呪言師になることを抗えば別の道が開けたかもしれない。でもそれが怖くて私は引かれたレールの上を歩いた。

「呪霊に怯えることのない世界を創りたいから。———なんてのは建前で、お家柄呪言師をやってるだけ」

彼の指が頬に触れる。輪郭をなぞるようにあてがわれ、上を向くように顎を持ち上げられた。

「こんな世界も自分の境遇も、正直嫌になることはあるよ。だけど高専のみんなと出会えたことには感謝してる。もちろん君にも」
「私も。変なこと聞いてごめん」
「そういうときもあるよ。だって僕らはただの学生だし」

“ただの学生”、その言葉に今の自分がどれほど救われたのだろう。
目から涙が溢れるのをぐっとこらえる。

「頑張ったね。いい子いい子」

狗巻君の手が頭に触れる。
暖かい手だった。

「帰ろうか。これ着て」

彼は自分が着ていたパーカーを脱いで私の肩に掛けてくれた。彼でも少し大きかったのに、私が着ればワンピースのような丈になってしまう。でも服も汚れていたので有難かった。それに狗巻君の匂いがして、それが荒れていた私の心を少しずつ穏やかにしていった。

「ありがとう」

結局目の端に溢れれてしまった涙を拭って、二人並んで歩き出す。
もう耳は呪力で守らなくてもいいのだろうか。
解除していいか聞くと、最後に一つだけと言って狗巻君は私の顔を見た。

「“しゃけ”は肯定、“おかか”は否定。じゃあ“ツナマヨ”の意味は何か分かる?」

狗巻語録に“はい”と“いいえ”以外の言葉があっただろうか。今までの会話を思い出してみるが、それらしい意味合いのものは想像つかない。しかしデートに誘うときなど“しゃけ”と同じタイミングで発せられることが多かったから肯定的な意味合いなのだろうか。

そのことを伝えてみたがどうやら違ったらしい。
「じゃあ教えてあげる」、と彼は歩みを止めて私の腕を引っ張った。重心がずれて前のめりになった私を受け止め、耳元に口を寄せた。

「“好き”って意味」

何を?誰を?
しかし、狗巻君はそれ以上のことは教えてくれなかった。ポケットの中から取り出したマスクをつけ「ツナマヨ」という。私の目を見てはっきりと。

だから私もメロンパン、と答える。
誰にも言ってないけれど、“メロンパン”は“貴方のことが好き”という意味なのだ。

言葉は呪いであり、戦うための術である。
言葉なんかなくたって、困らない。

でもいつか「貴方のことが好き」と言える未来を願っている。
呪言師ではなく、ただの人間として。