毒林檎のない世界ではモブキャラもヒロインになれるようです

目が覚めて五秒———
たくさんの浮かぶ棺桶に、しゃべる狸、青白い炎に囲まれ、ここが自分のいた世界ではないことを理解する。

「ぎゃーーー!狸が襲ってくる!ほら、逃げよう!」

私と一緒にここに来たであろう女の子に腕を引っ張られ、狸が繰り出す青白い炎から逃げるように駆け出した。

この世界に来て三十秒———
きっと私はこの世界でもモブキャラなんだろうな、と主人公ヒロインに手を引かれながら悟ったのであった。





要約すると、私達はどうやら異世界に飛ばされてしまったらしい。
ここに来た頃は記憶も曖昧であったが、生活をしていくうちに自分がどんな人間であったのか思い出されてきた。それにより、私がこの世界に来たことに驚かなかったことにも納得ができた。
私はゲーム、ファンタジー、妄想が好きな夢女———つまり乙女ゲー好きのオタクであったようだ。
王道学園モノから転生、トリップ、成り代わり等様々な乙女ゲ―をやり抜いてきただけあって順応は高かった。しゃべる狸を見ても、獣耳の男の子を見ても、やたらとイケメンしかいない男子校でも、ここが魔法というものが当たり前に存在する世界だと知っても私は「そうなんですね」の一言で終わらせた。

しかしやはりゲームと違うのは、これは現実でいつも画面越しに見ていた選択肢やパラメーターが表示されないと言うこと。それと、この異世界の主人公は私ではないという事だ。

私と一緒にこの世界に来た女の子は、それはもう最初からテンプレ的な行動をして一気にこの世界に馴染んでいった。非常に明るく前向きで「一緒に帰る方法探そうね!」と言ってくれる可愛らしい女の子だった。
そして彼女は主人公らしく、いつの間にかに狸———もといいグリムを手名付けて監督生としてナイトレイブンカレッジへの入学を決めてしまった。私と同じく魔法も使えないのに、さすが主人公は違う。



「学園長、植物園の花壇の手入れ終わりました」
「おや、貴方ですか。ご苦労様です。いやぁそれにしても魔法が使えないにも関わらず貴方はえらく真面目で働きものですね」

かくいう私もとりあえずはこの学園に身を置かせてもらっている以上、当初の約束は果たさなければならない。主人公はここの生徒となったが私は相変わらずの雑用係だ。異世界トリップもゲームでなければ上手くいかない。

「魔法が使えないから頑張って働くしかないんですよ」
「確かに!でも私は貴方の事はそれなりに買っていますからね。これからもナイトレイブンカレッジの奉仕に勤めてください」
「……はい」

ここでヒロインなら「元の世界に帰りたいからやってるだけです!」とか「魔法の方が早いので学園長がやったらどうです?」の一言くらい言えたかもしれないが、あいにく私自身がモブキャラ気質なのでそれはできなかった。

時刻は十三時過ぎ———
午後は自由にしていいというお言葉を学園長から頂いて私は大食堂へと向かった。食事はビュッフェ形式でここは私にも使用許可が出ている場所であるがいつも昼食事のピークを過ぎてからここに来る。女一人でというのもそうだが、私の服装は使用人が着るような丈の長いエプロンドレスだ。真っ黒な装いの為ここでは逆に目立ってしまう。

大食堂に到着しビュッフェの料理を片付け始めていた給仕のゴーストに声を掛けると「貴方の分は取ってあるよ」とお皿に取り分けられていたものを出してくれた。いつもこんな感じで食堂を利用しているため最近では気を利かせてくれる。オンボロ寮にいるゴーストとはえらい違いだと感心しつつ、お礼を言って近くのテーブルに腰を下ろした。

この世界に来てから、楽しみは食事と読書くらいだろうか。
食事に関しては様々な出身の生徒が集まっているとあって料理のバリエーションがすごい。私に用意された昼食は骨付きラム肉のソテーにコールスローサラダ、パンとリンゴジュースだった。ラム肉なんて結構人気のある料理だからきっと初めに取り分けてくれたものなのだろう。後で食堂の掃除を手伝おうと思った。

「あのっ…ここ、いいですか?」

トレーを目の前に手を合わせていただきますと言おうとした瞬間、声が掛けられ反射的に顔を上げる。机をはさんで向かい側に青い瞳のショートヘアの女の子が立っていた。……いや、違う。とても可愛らしい顔立ちをしているが制服を着ているから男の子だ。ここでの生活でいくらか生で見るイケメンに慣れてきたが、真っ向から話しかけられたのなんて初めてで心臓が止まりそうになった。

「え…?」
「他のテーブルは片付けていて、ここしか使えるところがなくて……」

何とか絞り出したカサカサの声に、鈴が鳴るような澄んだ声で彼は事情を説明してくれた。確かに、食堂の隅にあるこのテーブル以外はゴーストたちが机や床を掃除していた。

「どうぞ…」
「ありがとう」

少しだけ頬が緩み笑顔が向けられる。そのお顔は不意打ちである。私は目を逸らしながら彼に席を進めた。普段なら生徒達はこの時間は授業のはずであるが何故ここに……そんな疑問も浮かんだが今は問いよりも食事を済ませてこの場を去ろうという考えが優先された。

私は乙女ゲーよろしくここの人たちと仲良くする気はない。
皆さんのお美しい顔を拝見しつつ元の世界に戻る方法を探し、「夢落ちでした」というエンディング思い描きながら日々を過ごしている。
何度も言うが生粋のモブキャラである私は主人公張りのコミュニケーション能力は持ち合わせていない。だからこのイベントも回避するはずだったのだが———

「あの、どうかしましたか?」

一度手に持った食器を置き、恐る恐る顔を上げて彼を見た。
その青の瞳は真っすぐに私———の食事へと注がれている。
彼のトレーにはラザニアとルッコラのサラダ、トマトと玉ねぎのスープがあるにも関わらず、とても物欲しそうに私の食事を凝視しているのだ。

「えっ!?いや…その料理美味しそうだなって思って」

ガッツリとした肉料理を好むなど、彼の見た目からしたら想像もつかなかった。外見だけで判断をするのは大変失礼なことではあるが、それでもやはり彼の真逆の場所に存在する料理じゃないかと思えた。

「あの、もしよかったらまだ口を付けていないので食べますか?」
「ほーんに!?あんたひどい人やぁ。じゃっ交換したい」

先ほどの柔らかな笑顔とは別の子犬のような無邪気な笑顔で彼は叫んだ。
えっ今のは聞き間違い?外見からはとても想像できないような言葉が聞こえたのだが。
この状況に困惑しつつもトレーを差し出せば、彼のトレーがこちらへと渡された。なるほど、全ての料理を交換するのか。

お礼を言って受け取った食事を、彼は袖をめくってから手を使って食べ始めた。いや、骨付きだからその食べ方でもいいかもしれないがナイフとフォークは使わないのか。やはり意外というか…しかも彼の腕をよく見てみるとポムフィオーレ寮の腕章がついている。ポムフィオーレ寮は七つの寮の中でも取り分け優雅な者が揃うと聞く。そんな寮の人がこのような食事の仕方をするとはギャップ萌えすら通り越している。
唖然としていた私の視線に、今度は彼が気付いたのか我に返ったように慌てて布巾で手を拭いた。

「あっ…!ごめん、みっともない姿を……」
「いえ、お気になさらず…そんなに食べたかったんですか?」

このイベントをこれ以上発展させるつもりはなかったが、口を開けば言葉がこぼれ落ちた。そういえばこの世界に来てから初めて誰かに質問をしたのかもしれない。

「うん。サバナクロー寮の生徒が食べているのを見て憧れてたんだ」
「ビュッフェ形式なのに食べたことなかったんですか?」
「ヴィルサンやルークサンがいる手前ちょっとね……」

なるほど。私がポムフィオーレ寮生として彼を見ていたとするならば、彼はその模範的な生徒になろうとしていたのだろうか。外見と肩書きで彼を見ていた自分が少し恥ずかしくなった。

「私は誰にも言いませんので、好きなだけ食べてください」
「え?」

まずい、深入りしすぎてしまった。
選択肢が見えないと、やはりこの手の会話はやはり苦手だ。

「私は、その、貴方の寮の方に告げ口をしたりしませんし…会話をする人もここにはそんなにいないので…」

かといってロードしてやり直すことは出来ないので何とか会話を続ける。あぁ…明らかにコミュ障丸出しの会話である。ここに来てからはオンボロ寮で共に生活をしている女の子とグリム、それに学園長くらいとしか言葉を交わさないからコミュ障に拍車がかかったような気がする。

「ふふっありがとう。あっそういえば自己紹介がまだだったね。僕はエペル・フェルミエ、ポムフィオーレ寮の一年だよ。君の名前は?」
「私は———」

飴玉を転がすように私の名前を復唱して、彼は再び骨付き肉にかぶりついた。どうやら彼はマナーにうるさい先輩のせいで朝食を食べそこねた挙句貧血で倒れ、先ほどまで保健室で休んでいたから今がお昼休みになっているらしい。色素も薄いし肌も白いから貧血気味なのだろうか。だからこそ鉄分が高そうな食べ物を好むとか?

せっかく名前まで教えてもらったがきっと今後も関わることはないだろう。
彼との会話に下手くそな相槌を打ちつつ、私はラザニアを頂いた。





本来なら元の世界に帰るために資料の一つでも探さなければならないところなのだが、ここの図書室には面白い本が溢れすぎている。スマホもゲームもない今の私の趣味は読書だ。元より本好きという性分ではあったがここは異国の本が揃っていることに加え、全ての本の文字が読めるのだ。異世界にも関わらず言語が理解できるという事はよくよく考えればすごい事なのである。こればかりはトリップボーナスに感謝するしかない。

久しぶりに図書室に足を運んでみたが相変わらず広い。数分歩いて辿り着いた書籍コーナーから目ぼしいものを探す。面白そうな本を見つけたが残念ながら届かなかった。踏み台が欲しいのだが、魔法が使えるこの学校で必要のないものなのか見つからない。

「っつ!…あと少し!」
「どうしたの?」

背伸びしたりジャンプしたりとみっともなく足掻いていたところで鈴の音のような声に話しかけられる。
子犬の様にあどけなく、きょとんと一つ瞬きをしたエペルさんは私の方に近寄ってきた。まさかまた会えるなんて、と尻込みしつつ本棚と彼との空間に視線を彷徨わせる。

「すごく疲れているようだけど…」
「えっと、実は本を取ろうと思ったのですが身長が足りなくて」
「どの本?」
「左から六冊目の本です」

背伸びをしながら指さしたそれをエペルさんは「あれか」と一言呟いて宝石が付けられたペンを取り出し本に向かって振る。すると本棚に収まっていた本がするりと抜け出て浮遊し、私の腕の中にすとんと収まった。

「すごい!ありがとうございます」
「これくらい何でもないよ」

見かけ通りの重量となった本を抱きかかえる。そういえば魔法らしいものを初めて見た気がする。グリムが炎を出すのを見たことはあるがあれは勢いが良すぎてガスバーナー状態だし、授業以外での魔法は校則で使用範囲が決められていたりするから日常ではあまり見られない。“浮かす”という“いかにも”な魔法に私はひどく感動した。

「そんなに面白かった?」
「はい。魔法が存在するんだなぁって実感してしまって…」
「そっか。僕の両親も魔法が使えない人だったからちょっとしたことに喜んでくれたなぁ」

するとエペルさんは再びペンを振っていくつかの本を浮かせた。私の周りを本がくるくると回りながら移動する。

「エペルさんは器用ですね」
「飛行術は得意でその応用なんだ。こういう事もできるよ」

本を空中に浮かせたまま、ページをめくって見せる。知識がないのでよく分からないが、薄いものや小さいものに魔法を使うのは繊細な技術が必要なのだろう。少し得意げに彼は本を操って見せた。

「不思議…だけどやっぱり面白いです」
「こんなことで喜んでもらえるとは思わなかった。あ、それと敬語とか使わなくていいよ。僕達同い年でしょ?それに“サン”も付けなくていいから」

雑用係の私がそんな親し気に彼と接していいのだろうか。それに関りを持ったところで私はいずれ元の世界に帰る予定なのだ。例えここにいたいと願っても、夢はいつか覚めるし現実は無情だ。

「え…友達だと思っていたのは僕だけだったのかな?」

答えられずに無言で固まっていれば彼の眉毛がへたりと下がった。
好感度が下がる!と反射的に思ってしまった私は慌てて身を乗り出した。

「え!?いやいや、突然の事でびっくりして。寧ろ友達とか光栄すぎて…あ、あの友達でお願いします、エペル!私の事も呼び捨てでいいので!」

一息に言い終え彼の顔を見れば大きな瞳をさらに見開いて私を見ていた。私も自分の早口とどもり具合には正直引いている。なんだよ好感度って。モブキャラのコミュ障が足掻いたところで主人公にはなれないのに。

「ふふっおもすろい子やべ……あっまた言葉が!」

一人ネガティブモードに入っていれば、それを上回るほどの青白い顔になって彼は口を押えた。そして周りをキョロキョロと確認している。食堂での会話の時も思ったが、彼は貴族っぽく見えて実はかなり田舎の出の子なんじゃないだろうか。

「それって方言?隠さなくてもいいよ」
「方言?それが何なのかわからないけど僕の生まれた村ではこんな感じの話し方で……変じゃない?」
「確かに変わってるかもしれないけど、私は気にしないよ」

するとエペルはふにゃりと笑って、ちょっとだけ泣きそうに瞳を潤ませた。

「僕が配属された寮はとくに見た目やしきたりにうるさい人ばかりで、話し方を直せって言われてすごく息苦しかったんだ。だからそう言ってもらえて嬉しい、ありがとう」

ここの学校はとりわけ優秀な生徒しか入れなくて、その中でも見目も美しい彼がそこまで苦労しているだなんて思わなかった。人の苦労を他人の物差しで測ることは出来ないけれど、正直に話してくれた彼の事を私は受け止めたいと思った。だから上手くもない言葉で彼の事を必死で励ました。

「君は優しいね。ねぇ、もしよかったらまた——」
「エペルくん、ここにいましたか」
「げっ」

苦虫を奥歯ですり潰して飲み込んだようなひどい顔をしたエペルの視線の先には男の人がいた。サラサラのボブヘアが印象的で細身の人だ。

「放課後は晩餐会における王宮マナーを学ぶ約束をしていたじゃありませんか。…おや、貴女は……」
「こ、こんにちは」

男の人と目が合い、慌てて頭を下げる。腕の腕章から彼もポムフィオーレ寮の人だ。私を見ているその人の視線が突き刺さる。
先ほどまでのおしゃべりな私はどこへやら。やっぱり私は関りを持つべき人間ではないのだろうと、みるみる気持ちがしぼんでいった。

「…私は用事があるので、失礼します」
「えっもう行っちゃうの?」

エペルに呼び止められるも、目で挨拶をして出口に向かって歩き出す。エペルに迷惑を掛けないためにもこの場から去るべきであろう。
本を抱えて男の人の横を通り過ぎるとふわりと甘い香りがした。香水か、さすがだな。

「レディ、」

急いでこの場を離れたかったのに、品の良い声で呼ばれれば足を止めるしかなかった。恐る恐る振り返ると、これまた品の良い笑顔で彼は私に言った。

「女性の場合なら尚更、挨拶は『ごきげんよう』の方が美しいですよ」



この時驚いたのは彼が私を非難しなかったことだ。
自分に自信がなくて俯いてばかり。前髪で表情を隠し、後ろで長い黒髪を黒いリボンでまとめているだけ。服装も灰かぶり姫と同じくらいのものだと彼の目に映っていてもおかしくはない。それに喋り方だってうざったいなって自分で思う。
全てに気を遣える彼からしたら私に言いたいことなど他にもあっただろう。というか私にお小言を言う事すら煩わしいだろう。しかし呼び止めていってくれた言葉が“教え”だなんて、とても意外で、嬉しかった。





人は本当に興味のないものには嫌厭するのではなく無関心になることを私は知っている。

長女として生まれた私は、初めは蝶よ花よと育てられた。しかしある程度の年になり目鼻立ちがはっきりとしてくるとその顔は母が思い描いていたものとは違ったらしい。私への関心が薄れていったのと同時に生まれたのが妹だった。妹は母親が思い描いた通りの外見で、私とはあまり似ていなかった。

でもまず初めに言いたいことは、私は母親から殴られたり暴言を吐かれたりはしていなかったということ。食事も服も必要最低限のものは与えられたし、私が欲しいと言ったものは無理がなければ買ってくれた。

でも母は私を見ていなかった。

ある日、鉄棒から落ちておでこに大きなたんこぶを作って帰って来た時、母はいつも通り夕飯を作り妹と一緒にお風呂に入り、妹と一緒のベッドで寝た。
テストで悪い点を取ってみた。
母の口紅を折ってみた。
私が「おはよう」と言わなかったら、「ただいま」と言わなかったら母は私に声を掛けてくれるのだろうか。
母は何も言わなかった。

それからは人と関わるのが怖くなった。
この人に、私は見えているのだろうか?
そう思ってしまえば傷つくよりも透明人間になってしまうことを私は選んだ。
その中でもゲームという現実逃避先があったのは救いであった。
画面越しの彼等は私がどんな選択をしたって答えてくれるし、エンディングには夢も愛もある。
それが終われば私は空想の世界に入り浸って、自分が主人公である世界を描くのだ。


でも今は違う。
初めての世界で、真っ新なこの場所で、私は自分の存在を確立できるかもしれない。

翌日、私は背伸びをして一冊の本を図書室から借りた。
“レディのたしなみ”と書かれた本は、きっと空想の私を現実にできる魔法の本なのだと思った。





マナーを学んだからと言ってそれを披露する場がないのだから何かが大きく変化するわけではない。
でもエペルがよく話しかけてくれるようになったのはその賜物だと妄想して、そう思うと少しだけ成長できた気がした。

「今日もここにいると思った」
「よく分かったね。あれ?今日のエペルはなんだか楽しそうだね。何かいい事でもあったの?」

植物園で花壇の手入れをしていれば、木の陰からひょっこりとエペルが顔を出した。
最近ではいつもこんな感じで私に会いに来てくれる。彼の話は授業の事や寮のことが中心で、その話を聞くのがこの世界での楽しみの一つに加わった。フィンガーボールの水を飲んでしまった話も、本当は焼き肉が好きなのにマカロンが好きと嘘をついた話も、私が笑えばそれが良い思い出で消化されるようで彼は進んで失敗談を話してくれた。
今日はどんな話なのかと考えながら、スカートの埃を払い立ち上がる。

「今日はいつも頑張っている君に渡したいものがあります」
「えぇ?何かなぁ」

近くにあったベンチに並んで座る。植物園を散歩コースやお昼寝で利用する人は多いが、それよりもかなりの広さの為滅多に人には会わない。だからとても静かな空間で二人の時間が始まるのだ。
袋の中からガラスの容器が取り出される。その蓋を開けてエペルは嬉しそうに私の前に差し出した。

「最近、草むしりが多くてよくお腹が空くと言っていたので差し入れです」
「これウサギ…?あ、でも林檎で作られてるの?」
「そう!僕は林檎細工が得意なんだ。どうかな?」

林檎の皮をウサギの耳の形に切ることは私にもできるが、エペルが作ったそれは比べ物にならないくらいすごかった。林檎には細かい切れ込みが入れられており、皮も格子状の模様の様にむかれている。京都料理でよくみられる職人の飾り包丁並のできな気がする。

「すごいよ!こんなに繊細で可愛らしい林檎細工、初めて見た」
「ふふっ喜んでもらえてよかった。もしよかったら食べてみない?この林檎はばっちゃが送ってくれたものなんだ」

食べてしまうなんて勿体ないとも思ったが、このまま腐らせるほうが罰当たりである。一匹のウサギを摘まんで、いただきますと挨拶して一口かじる。シャリッという触感の後に甘い果汁が舌に広がる。でも甘いだけじゃなくて酸味も混ざっているからいくら食べても飽きなさそう。

「めえが?」
「うん!甘くて美味しい」

もう一個食べちゃおうと手を伸ばすと、それを楽しそうにエペルが見ていた。

「どうしたの?エペルも食べたいの?」
「いや。ひとめこきだったくせに、よう喋っちょるなって」
「エペルだって話し方が戻ってるよ」
「むっ。やがまし、あばぐちか?」
「えぇっと悪口って意味?そんなんじゃないよ。私はエペルっぽくていいなぁって思うよ」

長い前髪の隙間からエペルの目を見てそう言えば、彼は子犬のようなきょとんとした顔の後さっと目線を逸らされた。
人が勇気を出して言ったのにその反応は地味に傷つく…こんなオバケみたいな人間じゃあ説得力ないか。

「不意にそれは、反則だって……」

人は見た目が八割ともいうし、しょうがないかと思いつつ残りの林檎も美味しく頂いた。何はともあれお腹は膨れたから残りの仕事も頑張れそうだ。

「…ねぇ、まだここの花壇の手入れをやってるの?」
「うん。最近毎日やってるんだけど、どんなに抜いても雑草は生えてくるし花は自然交配で増殖を繰り返してるんだよね」

魔法が存在する世界では植物の育ちも早いのかありえない速さで成長していく。その手入れをここ最近学園長に頼まれているのだが、もう人間の私では手に負えない。そろそろ学園長にそのことを報告した方が良いかもしれない。

「君が手入れしてるから花も喜んでるんじゃない?」
「そうかなぁ」
「今度は僕も手伝うね。それとも林檎の差し入れが良い?」

可愛らしく笑ったエペルは林檎に負けないくらい甘くって。
だから彼の甘いそれを貰うために、学園長への報告はもう少し先でもいいかと都合よく先延ばしにした。





植物園の花達は増殖もして巨大化もし始めた気がする。アネモネが私の顔ほどのサイズになっている。まぁこのくらいなら栄養の多い土で育っていると考えればまだ納得はいくけれど大丈夫なのだろうか。今日、エペルが来たら相談してみよう。

「……エペル、何してるの?」
「うわぁ!って君か!」

そんな矢先、まずは手入れの為の道具を取りに行こうと倉庫に向かっていると背の低い木の陰に隠れるようにエペルがいた。私の顔を見て驚くも、少し安心した様子で笑顔を見せてくれた。

「実はルークサンから逃げてて…ほら、君も図書室で会った人だよ」

エペルに習うように私も木の陰に隠れるように隣にしゃがんだ。
あの人か。実は名前も聞けずに後悔していたのだが、ルークさんというのか。

「この前も思ったけど、どうして逃げるの?」
「……あの人たちは見た目やしきたりにうるさいんだ。歩く時の姿勢も食事の仕方も話し方も、全てが美しくないと怒るんだ」

確かにルークさんは品のある方だった。エペルの見た目も美しいから、それに見合うだけの品格と知識を与えたいのだろう。エペルからしたら型にはめられるのは息苦しいのだろうけれど、やっぱり私は少し羨ましかった。

「それだけエペルに期待してるんだよ。そこまで他人に親身になってくれる人は中々いないよ」
「でも何でもかんでも口出ししてくるんだよ?強くてかっこいい魔導士になりたくてここまで来たのに!あんな寮も先輩達も嫌いだ!」
「エペル、それは言っちゃダメだよ」

息を荒くした彼の服の裾を引っ張った。
エペルはみんなからたくさんの期待と愛情を注がれている。いいなぁ。羨ましいな。だってそれは私がもらえなかったものだから。エペルの気持ちも勿論わかる。自分の意志とは反対の事を強いられれば逃げ出したくもなる。でもね、

「エペルだって自分の理想や考えがあるよね。だからエペルの気持ちは分かるよ。でもその先輩たちは尊敬できないダメな人たちなの?」
「そんなことはないけど……」
「だったら先輩達を否定するのはよくないよ。まずは受け入れて、それから経験として自分に必要なものかどうか考えていけばいいんじゃないかな」
「う〜ん……」
「私が言うのだと説得力がないのかもしれないけど、愚痴はいくらでも聞くから」
「……君が言うなら、もう少し頑張ってみる」

少し返事を躊躇われたもののエペルは私の目を見て頷いてくれた。
ちょっと出しゃばりすぎたかもしれないけど、エペルの為になれたようでよかった。

「マーベラス!!実に素晴らしい考え方だ!」
「きゃあ!?」
「うわっ!?」

突然の第三者の声に二人で肩を震わせて驚く。エペルと同時に振り返ると、噂のルークさんが真後ろに立っていた。
サラサラのボブヘアが風でなびき、にこやかな笑顔を浮かべている。慌てて立ち上がり何か言わなければと思った時、先日彼に言われた言葉が思い出された。

「ご、ごきげんよう」
「ボン・ジュール、レディ。さっそく僕の教えを守ってくれるなんてね、トレビアン!」
「ルークサンがいるということは……」
「ルーク、エペルは見つかった?」

ヒッ——とエペルの小さな悲鳴が聞こえた。
彼の視線を辿ると私達の方へ歩いてくる人影が見える。

「ヴィル!ちょうど見つけたところさ。カラーのようなレディと一緒にね」
「はぁ?アナタ何を言って……って、え!?」

一瞬女の人かと思ったが、声の高さと身長で男性だと分かる。ここの世界の住人は皆揃って顔が良いが、とりわけ“美しい”という言葉がその人には合っているような気がした。
きっと私の世界に居たら舞台で歌ったり踊ったりの大女優になっていたに違いない。…男だけど。

「ちょっとアナタ!?」
「は、はぃ!?」

ぼーっとそんなことを考えていたらその人は両手で私の顔を包み込み、ぐっと顔を近づけた。頬を撫でられ、唇をなぞられ、近すぎて彼の高いお鼻が引っ付きそうである。めっちゃいい香りがする。え、なにこれ。どんな状況?

「なぁっ!?はんかくさせい事するな!」
「エペルくん、言葉使い」
「艶のある黒髪にそれに映えるきめ細やかな白い肌。瞳も黒真珠の様に真ん丸で睫毛は意外と長いわね…アナタ、化粧水はどこのものを使っているのかしら。輝石の国のものではないだろうし薔薇の王国のモノ?それにしては香りはきつくないわね。自分で調合でもしているのかしら」
「あ、の。近いです…」
「だってよく見たいんだもの!前髪は切った方が良いわよ、せっかくの綺麗な目がかくれてしまうわ。それにもっと笑いなさい。笑顔は一番の女の武器よ」
「彼女を放してください!!」

割り込んできたエペルにより、私はようやく彼から解放された。よろけた身体をエペルが腰に手を添え支えてくれる。
彼はポムフィオーレ寮の寮長であるヴィル・シェーンハイトだと、終始成り行きを見ていたルークさんが紹介をしてくれた。

「ルーク大変よ!カラーなんて花じゃ例えきれていないじゃないの、彼女は原石よ!ダイヤモンド…いえ、レッド・ダイヤモンドの原石よ!」

落ち着いたのかと思いきやヴィル寮長は尚も興奮した様子で私を見ている。

「ヴィルならそう言うと思ったよ。エペルくん同様、まだまだ癖はあるけれどきっと彼女は素敵なレディになれる」

ルークさんの素敵なレディという言葉が胸に刺さる。
女として彼等に評価してもらえることすらおこがましいのに、“素敵な”とはこの人たちの目はどうかしてるんじゃないのか?———と以前の私だったらそう思っていたかもしれない。でも私は少しずつ変わってきている。そして何よりも変わりたいと思っている。
“私”を見て欲しい。

「アナタ、明日ポムフィオーレ寮に来なさい。ハーツラビュル寮じゃないけれどお茶会に招待するわ」
「げっ…お茶会と言う名のアフタヌーンティーマナー講座だ…ねぇ、断ったほうが———」
「ヴィル寮長、ありがとうございます。ぜひ参加させてください!」

エペルの呼びかけも虚しく、私はお茶会に参加することを決めた。





翌日———
私の服装や髪型に何一つ変わりはないが背筋だけはしゃんと伸ばしてポムフィオーレ寮への鏡の前に立った。

一瞬視界が歪み、立ち眩みのような感覚の後目を開けると、目の前には立派なお城のような寮があった。校舎よりも少し時代を感じさせるような造りであり、セメントを固めて造ったというよりも石を積み上げて造ったという印象の建築だ。それでも古臭さを感じさせないのはお城の周りに白色の花がたくさん植えられていたからだろう。息を吸うと昨日のヴィル寮長の香りが思い出された。

「ようこそ!ポムフィオーレ寮へ。私達は君を歓迎するよ」

目の前の景色に気を取られていると、出迎え役を任されたルークさんに声を掛けられた。
挨拶をし、彼のエスコートにより寮内へと案内される。

「あの、エペルとヴィル寮長は?」
「エペルくんは中庭でティーセットの用意を、ヴィルは部屋で君のことを待っているよ」

そう言うと一つの扉の前で彼は足を止める。等間隔で三回ノックをすれば中からヴィル寮長の声が聞こえた。顔を上げて、開かれた扉の先を真っすぐに見る。

「本日はお招きありが——」
「待っていたわ!さぁさぁ早く中に入って!」

昨日あれだけマナーに関する本を読み頭に叩き込んできたというのに、その甲斐虚しく腕を引っ張られ部屋へと引きずり込まれた。
部屋の中は豪華な装飾品が壁を彩っておりアンティークものの家具がひっそりと並んでいた。中もまるでお城のようだと感心したのも束の間、床を覆いつくすほどのトルソーに掛けられた洋服の数に驚くこととなった。

「この服アナタに似合うんじゃないかと思って急遽取り寄せたのよ!メイク道具や装飾品もあるしまずは何から取り掛かろうかしら。あぁっ!それよりもまずは髪を切らなくっちゃ!」

あれよあれよと椅子に座らされ、一つに居束ねていた髪紐がほどかれる。ヴィル寮長は私に断りを入れてから器用に髪を少しずつ切ってくれた。そして何着もの服に着替え似合うものを選んでくれて、それに合う装飾品が見繕われた。そしてお次はと、椅子に座らされ化粧をする準備に入った。

「あの、私ここまでして頂いても返せるものが何もないのですが…」
「アタシが好きでやってるんだから気にしないの。でも確かに見返りはほしいところよねえ」
「お金とかは持ってないですよ」
「アナタからそんなもの貰ったってアタシが困るわよ。アナタから貰う物は、そうねぇ……」

メイクブラシを置く音が聞こえ、ゆっくりと目を開けるとヴィル寮長が目の前にいて相変わらずのその美しさに息を呑んだ。
透き通るように白い指先で、彼は私の唇にちょこんと触れた。

「白雪の様に美しい肌のアナタにはやっぱり真っ赤なルージュが似合うわね」

手鏡が渡されそれを覗き込むと、そこには見たこともない自分の姿が映っていて思わず鏡を落としそうになった。

「わたし…?嘘、みたい……これも魔法ですか?」
「魔法を使っての変化は所詮ハリボテよ。これは正真正銘のアナタ。アタシが少し協力してあげただけよ」

鏡越しに目が合えば、極上の笑みを彼は浮かべた。
トクトクと心臓の鼓動が速くなる。鏡の中の私は頼りなさそうで、どこか自信なさげで、表情筋のなさに泣きそうになるくらい顔が硬いけど、真っ黒な瞳の中に幸せの色が滲んでいた。

「さぁ行きましょう。エペルもルークもアナタを待ってるわ」

スッと手を取られそのまま部屋を出て廊下を歩き、中庭を目指す。

「結局私は何をすればいいんですか?」

ヴィル寮長は魔法でないと言ったけれど、私にとってはやはり魔法であった。先ほどの見返りという言葉が引っ掛かったまま。魔法が解けないうちにお返しはちゃんと聞いておかないと。

「笑いなさい。アナタの笑顔は人を勇気づける力がきっとあるわ。あっでも勘違いしないで頂戴ね。この世で一番美しいのは、もちろんアタシなんだから」

中庭へと続く門が開かれる。
ふわりと甘い香りが鼻を抜け、白い花が日の光を反射して目に飛び込んできた。白い花畑が一面に広がり、その真ん中に丸テーブルが置かれている。用意されたアフタヌーンティーセット、すぐ傍にはエペルとルークさんがいて私達の存在に気付いた彼らは準備の手を止めた。

「お待たせしました」
「これはこれは……思わず言葉を失ってしまったよ。やはり私の目に狂いはなかった。実に美しい」
「か、かわいい……」

きっとお世辞で社交辞令だろう。でもそんなことはどうだっていい。
彼等の目には私が映っている。私を見てくれている。
それは私がずっと望んでいたことで。嬉しくて、嬉しくて———

「ありがとうございます…!」

自然と笑えた。
その瞬間、白い大輪の花が咲き私は自分の居場所を見つけたのだ。





以前の私は臆病者で人との関りを断ってずっと閉じこもっていた。そのくせ自分を見てほしくて、理解してもらいたがっている矛盾だらけの人間だった。自分をモブキャラだと位置づけて置くことが楽だった。だってそうしたらどんな理不尽なことがあっても割り切れたから。
でも私はここでたくさんのキッカケを貰って、変わることへの勇気を手に入れることができた。

少しずつ少しずつもっと自分を変えれたらと思っていたのに、どうしてこうなった?

「いやぁ〜!これまた特例中の特例になりますが、貴方の入学を認めましょう!私、優しいので」

自分に自信を持てたあの日、私はポムフィオーレ寮の中庭の花を巨大植物に変えてしまった。それだけではなく、今まで私が世話をしていた学校中の花壇の花も成長速度が異様に早かったりありえないほどの増殖をさせてしまっていたらしい。つまり、私の魔法がその事態を招いてしまったのだということだ。

「私に魔法が使えただなんて…」
「魔法の中でも貴方のそれはすでにユニーク魔法と呼んでいいくらい特殊なものになります。やはりあの監督生だけではなく、貴方にもここにきた意味があったようですねぇ」

入学手続きはもう済ませてありますので明日から通えますよ。私はとびきり優しいですねぇ!とさらに自画自賛している学園長を半目で見やる。

「それとポムフィオーレ寮の入寮も認めます。本来なら闇の鏡に聞くべきですがシェーンハイト君とハント君から脅迫文…いえ、熱烈な嘆願書が届けられてしまえば他の寮に貴方を置けませんしね」

その後いくつかの伝達事項を聞き、オンボロ寮に戻り荷物をまとめた。監督生とグリムに事情を説明すれば、二人は私よりも喜んでくれた。一緒に学園生活を楽しもうと言ってくれて、「辛くなったらいつでもこの寮に戻って来てね」と私の逃げ場も与えてくれた。

「準備できた?迎えに来たよ」

ゴーストたちにも挨拶を告げて外に出ると、エペルがオンボロ寮の門のところまで迎えに来てくれた。ボストンバック一つに収まってしまった私の荷物を代わりに持ってくれて、二人で歩き出す。

「君が来るって寮の皆がすごく喜んでるよ。夜は豪華な晩餐会になりそう」
「えぇ?私、まだまだマナーなんて分からないよ」
「じゃあ二人で抜け出しちゃう?」
「エペル、本気で言ってるの?」
「冗談……でも半分本気」

ふふっと二人で笑いあって私は前を向いた。
前髪が短くなって視界が開けた気がする。改めてみたナイトレイブンカレッジはキラキラと光って見えて、生徒たちの夢や希望がたくさん詰まってるんだなと思った。

「じゃあ鏡を通ろうか」
「うん!」

覚めてしまう夢かもしれない。
でもこの出会いだけは夢落ちにしないために、私は物語の一歩を踏み出した。

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ユニーク魔法
信じられないような事ビリーブオアノット
一定時間、植物を急成長/巨大化させることができる。