博多弁女子VSポムフィオーレ寮長の仁義なき戦い

ヴィル・シェーンハイトは息を呑む。
少女のあまりの美しさに。

入学式が執り行われている鏡の間に突如として表れた獣と少女。その少女の方に目を奪われたのだ。

雪の様に真っ白な肌にガーネットを思わせる品の良い紅い唇、絹のように美しい黒髪と黒曜石を思わせるほどの深い色の瞳———
紛れもなく彼女はヴィルが今まで出会った女性の中でもっとも美しかったのだ。

モデルの仕事をしている以上、美意識の高い女性と接する機会は多い。しかし、よく観察してみれば凹凸のある肌をドーランで塗りたくっていたり、髪は枝毛だらけだったり、はたまた非合法レベルの魔法薬を使って美を創り上げている者もいた。
そういう人間を見るたびに同じ場所に立つ者として恥ずかしく思い、自らの美を追求した。
その結果、自他共に認めるヴィル・シェーンハイトが出来上がった。

この世で一番美しいのはアタシ———

誰もがそれを疑わないし、自分にも絶対的自信があった。

しかし、目の前の少女はヴィルが一目見て声を失うほど美しかった。
さすがに一番美しいとまでは言えない。しかし、少女が女性へと成長した暁にはもしかしたら自分よりも———そう思えてしまうくらいには美しかったのだ。

まだあどけない少女を見てヴィルは心を決める。

「学園長、その子はポムフィオーレ寮で面倒をみるわ」

異世界から身一つでやって来て、オンボロ寮へと放り投げられそうになっていたその少女を引き取ったのだ。

少女がさらに美しい姿へと変貌を遂げれば、自分を脅かす脅威になるかもしれない。
しかし、ヴィルにとってそんなことは二の次三の次の話。
美しくか弱い少女をあんな埃だらけで雨漏りもする場所には一秒だって置いておけない。

「あの、いいんですか……?」

震える声で少女は問う。
大きな瞳に真珠のような美しい涙を添えて。

「もちろん。さぁ、いらっしゃい」
「オレ様も行くんだゾ〜!!」

今にも折れてしまいそうな少女の白い手を取る。
何やら余計な毛玉まで着いてきてしまったがそれを差し引いてでもヴィルは自分の行動に満足していた。
加えて今年の新入生は中々に粒ぞろい。エペル・フェルミエという美少年も入寮したことだし、自分が三年の代でこれだけの生徒が揃えばきっとポムフィオーレ寮の歴史に名が残るであろう。

鈴の音のような声に落ち着いた話し方から、きっと元の世界では良家の娘に違いない。
明日から…いや、今日からきっと薔薇色の学園生活になるだろう。

「本当に助かったぁ〜家に帰ろうとしとったら突然ここしゃぃ来てしもうて…それにしたっちゃ物が浮いとーんにはたまがった!ここん人達はみんな魔法が使えるんと?ファンタジーみたい。それにしたっちゃ皆しゃんかっこよかね〜漫画ん世界んごたーばい。あ、それよりも貴方んことはなんと呼べばよか?」

「シャラップ!!!!」

ヴィル・シェーンハイトは少女の手を強く握った。
中々に躾がいのある生徒がきたものだ。





なしてこうなった!!!???
片や少女は頭を抱える。

学校から家へと帰ろうとしていたところまでは覚えている。しかし、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちており、気付いたら棺桶が浮かぶ不思議な空間にしゃべる狸と共にいたのだ。
そしてよく分からんうちに、とてもとてもお顔が美しいヴィル・シェーンハイトさんに声を掛けられ私はポムフィオーレ寮でお世話になることになった。

そして私はさらに頭を抱えた。
なんじゃこの寮は!?みんな上っ面ばかりの綺麗な言葉を並べて、美しく盛られた料理を行儀よく食べて、暇さえあれば鏡を見て化粧をしている始末。意味わからん。

私は九州の山奥で生まれ、両親は旅館を経営していた。旅館と言うと聞こえはいいが、要は民宿である。料理上手な母とサービス精神旺盛な父、近くで農業を営む兄が野菜をおろして家族経営で切り盛りしている小さな宿である。私も手伝いをしていたからそれなりのマナーは父に教えてもらっていた。しかし父は私に言ったのだ「お客様には実家んごとくつろいでほしか。やけんこちらがいらん気までまわす必要なか」と。現にリピーターのお客様も多くて私を孫の様に可愛がってくれる人もいた。「貴方の方言を聞くとここに来たって感じがするわ」ともよく言ってもらっていた。

だから今までも言葉遣いに関して怒られたことはただの一度もなかったというのに、ヴィル先輩は違った。単語ははっきりと、語尾は伸ばさない、アクセントの位置は正しくetc...勘弁してくれ。
髪に寝癖がついていれば即座に捕まり数分かけてセットさせられる。リボンタイには香水をつけること、口を開けて笑うの禁止、歩く歩幅は肩幅で、寝間着で部屋の外には出ない、挨拶の時は微笑むことetc...勘弁してくれ(二回目)
まぁ、身寄りもない私を受け入れてくれたあの寮には感謝している。だが、ここでの生活も早数か月が経った。正直そろそろ限界が来ている。



「はぁ……」
「どうしたんだ監督生?気分でも悪ぃのか?」

昼食のオムライスが半分以上残った状態でため息が出てしまい、慌てて口元に手を添える。しかし、時すでに遅し隣に座っていたエースに心配そうに顔を覗き込まれた。

「いや、そんなことは……」
「本当に大丈夫なのか?また飯を半分以上残しているぞ」

正面に座っていたデュースもまた私の顔を不安げに見ていた。
いや、違うんだ違うんだよ……もう洋食に飽きてるんだよ。
実のところ一番辛いのは食事だった。

私の好物は納豆ご飯と豚骨ラーメンだ。この二つのローテーションで生きていけると言っても過言ではないほどに好きだ。しかし、納豆に至ってはそもそもこの世界には存在しない。ヴィル先輩に納豆とは何かと聞かれたので「腐った大豆です」と答えたらよほどの貧乏人だと思われたのか翌日に三大珍味の詰め合わせを頂いた。どうせなら明太子がよかった。また、後者に至っては学食にもあるにはあるがポムフィオーレ寮生が食べるものではないと言われ食べることが許されていない。どうやら啜る音がダメらしい。

「えぇっと…飛行術の授業でちょっと疲れちゃったのかも」
「大丈夫か?保健室に行くか?」
「おい、グリムのせいだぞ!お前が監督生を連れまわすから!!」
「ふなっ!?」

エースがグリムに掴みかかりそうになったので慌てて腕を掴んで止める。
この二人とはなんやかんやあって今では非常に良くしてもらっている。リドル先輩のオーバーブロットを止めてからというもの、レオナ先輩やアズール先輩の事件でもお世話になった。ある意味彼等のおかげで私はナイトレイブンカレッジに通えるようになったともいえる。しかし、最近ではやたらと過保護なのだ。個人的にはもっとフランクに接して欲しいのだが、二人の場合は特に女の子扱いが過ぎる。

「エース落ち着いて。ちょっと食欲がないだけだから…心配してくれてありがとう」

彼の目を見て応えればみるみる顔が赤くなっていった。いやいや、君の方が保健室に行った方がいいのでは?

「そ、そうか?お前がそう言うんなら……」
「エース、お前いつまで監督生に腕を掴まれたままでいるんだ?」
「ちっ違うってば!デュース顔が怖ぇぞ!!」
「男の嫉妬はほんと見苦しいんだゾ。デュースの肉食ってやるゾ!」
「おいっ!グリム!!」
「なーに騒いでるんだお前ら」

トレイ先輩の登場により三人は一瞬にして大人しくなる。さすがはハーツラビュル寮の兄貴である。というよりもリドル先輩の存在を懸念したらしい。が、今日は珍しくトレイ先輩一人であった。
そこで私はあることに気付く。トレイ先輩のユニーク魔法でオムライスを納豆ご飯に変えられないのだろうか。

「トレイ先輩、ひとつお願いがあるのですが」
「どうしたんだ監督生?」
「このオムライスを納豆ご飯の味にできませんか?」
「ナットウゴハン?なんだそれは」

まぁこうなるよね……さすがに腐った大豆とは言えない。私は学んだ。
納豆の作り方は諸説あるが蒸した大豆を稲の藁苞で包み、四十度程度に保温し一日ほど発酵させたものと説明すれば伝わるのだろうか。

「トレイ先輩、まず納豆というのは——」
「アラ、ごきげんよう。ハーツラビュル寮の皆さん」
「ヒッ…!」

何でヴィル先輩がここに…いつもならとっくに化粧直しのために食堂から出ていっているのに。
「随分と楽しそうねぇ」というヴィル先輩の顔は笑っているのに目は笑っていない。

「お前んとこの寮長は相変わらずケバ——」
「ヴィル先輩は今日もお綺麗ですね!こんな時間まで食堂にいるなんて何かあったのですか?」

エェェーーースゥ!命が惜しくばお前は黙っていろ!!私は先日それを言ったら恐ろしい目にあったんだ!!今後、飲食物に毒を混ぜられても私はお前を見捨てるぞ!!!
ヴィル先輩からは無言の圧力を感じる。「これ以上話すな」と目が言っていた。
初対面時に会話をしたところ強制的に黙らされた。理由はもちろん言わずもがな。それからはヴィル先輩のパワハラという名の熱いご指導を経てそこそこ標準語というものを話せるようになった。しかし、あまり長く話すとボロがでる。故に一度に120文字以上話すなと言われた。まさかのツ〇ッターより文字数制限が厳しい。ちなみにこれを破った場合は丸一日何を話してもネコ語になるという魔法が掛けられている。もはや呪いだ。

「少し騒がしかったから気になっただけよ。貴方こそ何かトレイに言いたい事でもあったんじゃないかしら?」
「ななな何でもありません……」
「ん?いいのか監督生。遠慮しなくていいんだぞ」
「そうだぞ。トレイ先輩の“薔薇を塗ろうドゥードゥル・スート”でナットウゴハン?にしてもらうんじゃ——」
「(グリム!ツナ缶奢るからデュースを一発殴ってきて!)」
「ふな!?覚悟するんだゾ、デュース!!」

デュゥーーースゥ!お前も黙ってろ!君の気持ちは嬉しい、だが空気を読め!頼むから!空気!読んで!!!
トレイ先輩に呼び止めてしまったことへの謝罪をし、ヴィル先輩に全力の愛想笑いをすれば二人は食堂を出ていった。
絶対、寮に帰ったらヴィル先輩に呼び出される。エース、デュースとどんな会話をしていたのか、食事を残すな、声が大きい、どもるなetc...理由が想像できすぎてため息が出る。勘弁してくれ(n回目)

「監督生、もしよかったらこれやるよ」

皿に残ったオムライスを無理やり胃へと詰め終えると、エースはポケットからキャンディーを取り出して手に握らせてくれた。ピンクに黄色にオレンジと着色料がふんだんに使われてそうな飴ちゃんである。ちなみに飴は黒飴派だ。というかそもそもお菓子はあまり好きではない。
私の中でおやつと言えば兄が育てた西瓜やトウモロコシだったし、秋になれば母が干し柿を作ってくれた。そういえば胡瓜に明太マヨをつけて食べるのが一番好きだったなぁ。

「これもやるよ監督生」

お次はデュースが棒付きのぐるぐるキャンディーを私にくれた。絵本で見るような形だが、故郷の料理が食べたい私から見たらそれはナルトの絵柄にしか見えなかった。あぁ久留米ラーメンでもいいな。

「二人ともありがとう……」

二人の気持ちは嬉しかったのだが、感情が先走り暗い顔で返事をしてしまった。まずい、ヴィル先輩はもういない…よね?いや、それよりもエース、デュースの顔が真っ青だ。今さらでもあるが失礼なことをしてしまったと思い、しっかりお礼を伝えようと再び口を開いた瞬間ふたりは勢いよく立ち上がった。

「これだけじゃ足りねーよな?!待ってろ購買で買ってきてやっから!」
「え?あ、そうじゃなくて…」
「待てエース、俺も行く!監督生、ナットウゴハンも見つけたら買ってくるからな!」
「ちが…」
「なんだなんだお前らぁ〜じゃあ俺様の分も買ってもらうんだゾ〜!」
「グリムも待って…って行ってしもうた……」

五限目が始まる直前、彼等は山のようなお菓子を買ってきて私の机に置いた。しかもそれを見ていたクラスの子達もお菓子を分けてくれて菓子で溺れ死にそうになった。
嬉しいけど違う。違うんだ…

同情するなら胡瓜くれ。





エース、デュースを初めとして、私もこの世界に友人と呼べる人がそこそこできた。しかし、中でも“心の友”と呼べるのは彼一人であった。
それはエペル・フェルミエという少年だ。

彼も私同様なかなかに言葉の訛りがひどかったのだ。
ヴィル先輩とルーク先輩に目を付けられている私達は度々呼び出されてはマナー講座を受けさせられる。そうなると自然と仲が良くなるわけで、私達はあっという間に心を許し合った。
ストレスなく話したい。大口を開けて笑いたい。マナーを気にせず食事をしたい。
そんな時は決まってエペルと一緒に寮を抜け出して空き教室でダベるのだ。

土曜の午後———
ストレスマッハになっていた私はとにかくエペルに愚痴りたかった。土曜は午前授業、午後休みだから早々に教室を後にしようとしたらヴィル先輩に捕まった。そして二時間かけてコース料理のマナーを教わった。一々食器を取り換えなくたっていいじゃないか、と言えばそこから歴史について延々と語られたので私は静かに口をつぐんだ。

寮内をウロウロしていると談話室でエペルの姿を見つけた。
しかし、寮生二人と共に何やら話をしている。聞こえてくる言葉の端々を繋げてみるとどうやら新作の香水の話をしているようだった。エペルがすごくつまらなそうな顔をしているのも頷ける。

「ごきげんよう。皆さん」

ヴィル先輩直伝の微笑みが上手くできているか定かではないが、意を決して彼等の輪に加わる。

「やぁマドモアゼル。君は今日もお美しい。まるで荒野に咲く一輪の花の様に可憐だ」
「そうだ、もしよければ君の意見を聞かせてくれないかい?女性の意見をぜひ聞きたいんだ」

げっそりとしたエペルを横目に彼等は二種類の小瓶を私に差し出した。どうやら噂の新作の香水らしい。ぶっちゃけどうでもいいわ。リボンタイに付けている香水すら我慢しながら使っているのに。

「どちらの香りでも似合われるかと思いますわ。お二人ともマナーも立ち振る舞いもとても素敵ですから」

歯が浮くような話し方に相変わらずそわそわしてしまうがこれがこの寮での常識であり日常だ。結果、答えは出ていないが二人とも嬉しそうに部屋に戻っていった。

「ありがとう助かったよ。あの二人の退屈な話に付き合わされて困ってたんだ」
「そんな気がしたよ」

談話室のソファに二人で並んで腰を掛ける。金色の繊細な刺繍が施されたソファはきっと目玉が飛び出るくらい高いものなのだと思う。その分、座り心地は抜群にいい。

「昼食はヴィルサンに捕まってただべな」
「そうなんばい。一回ん食事で何度もフォークば変えるんおかしかって言うたら長うなった」
「毎回意見ば言える君がすごいど思うよ」
「こん寮ん人たちはみんな細かすぎる。うちにとっては全部が不思議で理解できんの」

悪い人たちでないのは分かる。でもそれにしたって度を超えているのは問題なのだ。

「なんとかヴィル先輩ば出し抜けんかなぁ。こげん窮屈な生活———」
「随分と楽しそうねぇ。エペルもアナタも」

まるで心臓を矢で射貫かれたように息が止まった。それはエペルも同様で、私達は油の切れたブリキ人形の様にギギギッと後ろを振り返った。

「言葉遣いが直っていないようなのだけど。アタシの聞き間違いかしら?」
「ヴィルサン…少しだけ、つい…ごめんなさい」
「素直なエペルは許してあげる。明日はルークと一時間のレッスンね。それで、アナタは?」

いつもいつもいつも私はこの人の威圧的な態度に屈してきた。
だがしかし今日は違った。ヴィル先輩から視線を外して黙り込む。いつも素直に聞き入れていたけれど今日ばかりは一週間分のストレスも溜まっており私は謝りたくなかったのだ。

「アナタの欠点はその言葉遣いだけなのよ?誰もが羨む美貌を持っているのにそれが全てをダメにしているの。その汚い言葉遣いを直しなさい」

私は勢いよく立ち上がった。
水がギリギリまで注がれたコップの中に石が投げ込まれたような感覚だった。
その言い方は何なの?私の何を知ってるの?私は自分の博多弁に誇りを持っている。母も父も兄も、田舎町の友達もご近所さんも皆好きだ。私だけじゃなくて、その人たちも否定された気がしてどうしたって先輩を許せなくなった。

「何でそげなことば言うんと?!ここしゃぃきてからうちはずっと否定しゃれ続けとー!もう限界ばい!うちゃ自分ん見かけなんてどげんでんよかし話し方も食事んマナーも気にしとねえ!自分らしゅう自由に生きたかばい!先輩ん価値観ばうちに押し付けんでくれん!もうこげんところに居とねえ!!!」

ついに感情が爆発した。私に魔力があったら絶対にオーバーブロットしていたであろう。
自室にだって戻りたくない。どうせ無理やりこじ開けられる。どこ行く当てもないけれど自由になりたい一心で私は鏡に向かって走った。
談話室を飛び出し、ポムフィオーレ寮の門を抜け、鏡舎へと転がり出る。

「いてっ!んだよテメェ……って草食動物じゃねぇか。危ねぇだろうが」

逃げることに必死だった私は前を見ることも忘れ、思いっきりぶつかり倒れこんだ。顔を見なくてもその相手が誰だか分かり、本能的に身震いをする。いや、それよりもヴィル先輩がブチ切れた方が何倍も怖いかも…今さらながら自分がかなりのことを仕出かしたことに気付いた。ヤバイ、涙出てきた。

「おい!…チッ何とか言えよ」
「も〜レオナさんが怒鳴るから監督生くんビビっちゃったじゃないっスか。ほら、大丈夫っスか?」

ラギー先輩もいたのか。じゃあまだレオナ先輩には殺されずに済みそうだ。この人たちには何の恨みもない、寧ろ被害者である。謝らないと。そして早くこの場から離れないと。

「にゃにゃにゃ!にゃーにゃ、にゃやぁ……に゛ゃ!!??」

呪い発動してるやないかーーーーい!!!!!
このことに関してはすっかり忘れていた。確かにさっきの発言は120文字は軽くオーバーしていた。これじゃあ二十四時間ネコ語しか話せない。助けも頼めない。もしや詰みか?
目の前のレオナ先輩もラギー先輩も真ん丸な目でこちらを見ている。というか獲物を見るような目をしてないか?言葉はあれだが人間だぞ、我は非力な人間ぞ?どうか食べるのはやめてくれ。

「レオナさん、これはちょっと……オレ、トイレ行ってきていいっスか?」
「待て、俺も行く」
「にゃにゃっ!?」

逃がしてたまるかとレオナ先輩の腕にしがみ付く。とりあえず食べられなかったことには安心したが、ネコ語しか話せない以上ここで二人に見捨てられたらマズイ。
先輩方の耳は何のためについているんですか、レオナ先輩に至っては同じネコ科でしょう?ラギー先輩は動物言語が得意って言ってたじゃないですか!私の言葉分かりませんか!?という内容をにゃーにゃーと話してみるが伝わらない。
足元に光の線が映り慌てて振り返ると、ポムフィオーレ寮へと続く鏡がうっすらと光っていた。誰か来る…!?

「にゃーぁ!!……に゛ゃ!?」
「ヴィルから逃げてんだろ?いいぜ俺たちが助けてやろう」
「レオナさんは優しいっスねぇ。それではサバナクロー寮へご案内〜」

レオナ先輩に肩へと担がれて、ラギー先輩にはシシシッと怪しく笑われた。





レオナ・キングスカラーは目の前の少女を見る。

サバナクロー寮へと連れ帰り、ちょうど談話室に居たジャックに彼女を預けレオナとラギーはトイレへと駆け込んだ。
数分後、談話室へと戻ると少女は落ち着きを取り戻したのか大人しく椅子に座っていた。

「で、お前は何であいつから逃げてんだ?」
「にゃあ〜……」

そうだ、ネコ語のままだった。もう一度トイレに行こうか迷ったレオナを他所に、ラギーが彼女の元へと近づいた。

「監督生くんは不用心すぎるっス。だからあいつらに付け込まれるんスよ〜ほら、これで大丈夫っス」
「それはどういう意味……あっ戻った!」

ラギーはしゅるりと少女のリボンタイを解く。
通常、人体に継続的に魔法をかけ続けることは大魔導士であっても簡単になせるようなことではない。あのタイからはやけに甘ったるい香りがした。それがきっと魔法薬を織り交ぜたものだったのだろう。魔法薬学はヴィルの得意分野だ。

「よかったな」
「ラギー先輩ありがとうございます。ジャックも心配してくれてありがとう」
「んで、お前は何で逃げてんだ?」

少女の肩は小さく震える。
こいつをビビらせんじゃねぇとばかりにジャックに睨まれた。いつからお前はこいつの飼い犬になりやがったんだと思いつつ、ラギーを見ると思いのほか心配そうに彼女を見ていた。こいつも大概毒されているなぁと思いつつ、少女を連れ帰ってきた自分も大概だと思った。
彼女が静かに息を吸う音が聞こえ、耳を澄ました。非力な草食動物の鳴き声はさも小さかろう。しかしその情けも杞憂に終わる。

「ヴィル先輩ん態度、あん寮ん風習についていけんで飛び出してきた!!上品に、美しゅう…息がつまるような生活……うちゃもう耐えられん!聞いてくれん、今日だって———」

「マジっスか…」と言ったラギーの言葉にここにいた全員が頷いた。
自分もこの少女に世話になった身ではあるが、こんな感情を表に出す人間ではなかった。頭はキレるが自分で行動は起こさず、いつも一緒にいるハーツラビュルの奴らと毛玉が動いていた。というか、今思えば彼女が動く前に周りが行動をしていたような…。

「あん美容オバケが!!鏡ば見るのがそげん楽しか!?香水は本当によか匂いか!?大人しゅう飯ば食うて楽しか!?そげなと絶対違う!!そう思うやろう?」
「あぁ…」
「そうだな…」
「そうっスね…」

少女の言っている意味は半分以上理解できていないがここでイエス以外の返事をすれば、どこぞの真っ赤な女王様のように首を跳ねかねない勢いである。

草食動物が肉食動物の上をいった日として、今日はサバナクロー寮の歴史的日になるのかもしれない。





「レオナさんっ!監督生が可哀そうですよ!」
「そうですよ!オレらで助けてあげましょうよォ!」
「こうなりゃポムフィオーレに殴り込みだ!!!」

三十分後、サバナクロー寮の談話室には人が溢れかえっていた。
騒ぎを聞きつけた奴らが一人二人と増えていき、最終的には部屋に収まらないほどのサバナクロー寮生が少女の話を聞いていた。

彼女は無自覚ではあったが、言わずもがなナイトレイブンカレッジの全生徒に好かれていた。そして彼女のために何かしたいと思うのは当然の心理。彼女が白と言えば鴉は白だし、海を空と言えば常識を反転させる。それほど皆が彼女の虜であった。
高嶺の花であった少女が蝶のように飛び立って地に舞い降りた。その瞬間、誰もがその蝶を守るために手を差し伸べた。ここにオアシスを作るのか、はたまた新たな地へと運んでやるのかは今から決めなければならないことである。

「あの、そこまではちょっと……」
「お前の話を気かねぇ奴のところなんかにいるな。俺だったらとっくに寮を飛び出してるぜ」
「ジャックもそう思うの?」
「でも、一矢報いるにはいい機会なんじゃないっスか?ねぇレオナさん」

最終決定はサバナクロー寮長へと託される。
レオナは少女の顔をじっと見る。これまでの彼女の活躍とここまでに至った経緯を踏まえ、“最も自分が得をするような”答えを導き出した。

「いいぜ。俺が知恵を貸してやろう。とりあえず今日一晩は匿ってやる」

王の一声によりサバナクロー寮の生徒たちは歓喜の声を上げる。今日は宴をするのだと、妙に皆が張り切りだして準備を始めた。

夜九時以降に物を食べても怒られない、みんなで一緒にゲームができる、就寝時間をうるさく言われないetc...少女にとってはその当たり前こそが自由だった。
その日彼女はサバナクロー寮生たちと夜通し遊び、ラギーの服を借りて談話室で寝落ちした。すやすやと眠る可愛らしい少女を襲おうとするものはただの一匹もいなかった。

翌日、少女はサバナクロー寮を後にする。寮生たちは独り立ちをした彼女を涙しながら送り出した。意外と情に厚い奴らだった。

「レオナさん、アズールくんとこ行かせて良かったんスか?」
「草食動物がどうなろうが俺には関係ない。だが、これから面白いことになるのは間違いない」
「ふ〜ん。まぁオレはこれが手に入ったんでいいっスけどね」

そう言って取り出したのは少女が寝間着として使っていたシャツである。

「1000マドルから初めて、何マドルまで跳ね上がると思います?シシシッ」

これから談話室では闇オークションの始まりかと、レオナは鼻で笑った。





アズール・アーシェングロットはレオナからの知らせを受け、モストロ・ラウンジで少女を待っていた。

日曜日の開店時間は十一時から。早番であったジェイドとフロイドに仕込みやら掃除を指示しつつ、バーカウンターの一角で先週の売上表を見つめている。しかし、それが頭に入ることはなく昨晩の出来事を思い出していた。

モストロ・ラウンジの閉店作業を行っているとポムフィオーレ寮のヴィルが血相を変えて飛び込んできたのだ。監督生が寮を出ていって帰って来ないのだと。
校内を探し、ハーツラビュル寮にもおらず、それならばきっとフロイドのところだと思ったらしい。確かに気まぐれフロイドは彼女のことを気に入ってはいるが今日は会っていないようで、自分ももちろん見かけてもいない。
暴れだしそうになる彼を説得し、ようやく追い返せたと思ったところでレオナから連絡があったのだ。

サバナクロー寮にいる監督生をオクタヴィネルで引き取ってくれと。
ふざけるな、ともちろんアズールは言った。こちらにメリットがない上、ヴィルに見つかりでもしたらこちらの損害が大きすぎる。
しかしレオナが言うには、彼女はポムフィオーレに戻る気もなく寧ろ新しい寮を探しているとのこと。「あいつがバイトした日は売り上げが伸びたらしいなぁ」と言ったニヤニヤした奴の顔が目に浮かんだ。

アズールは頭の中で天秤に掛ける。確かに、少女が一度ラウンジのバイトに入った日は売り上げが三割増しだった。それに彼女をヴィルへの取引材料にすれば一石二鳥。ついでにフロイドのやる気を底上げしてもらえれば一石三鳥。

「こんにちは」
「あっれぇ〜小エビちゃんじゃ〜ん!どったのォ?」

レオナにも何かしら思惑がありそうではあったが、アズールは一度少女を引き取ることに了承をした。
早々に彼女を発見したフロイドはグラス磨きを放り出してべったりと彼女にくっついた。やれやれ…と思いつつこれも計算通りだとアズールはこっそりと笑い、彼女を迎え入れた。

「私をここで働かせてください!」
「おやおや。ヴィルさんの許可は取ったのですか?」
「えぇ?小エビちゃんも働くのォ〜?オレ嬉しい!もちろんいいでしょアズール?」
「ジェイド、フロイドをお願いします。貴方は奥の部屋へ。契約事はきちんとしなければなりませんからねぇ」

眼鏡を直すふりをして、手で表情を隠しながらアズールは笑う。
さぁ、この少女をどう利用してやろうかと心が躍った。





少女には考えがあった。
もうあの寮へは帰らない。しかし、身一つで生きていけるほどこの世界は甘くはないことにも気付いていた。
これからの住居は当初の予定通りオンボロ寮にすること。そしてあそこをリフォームするためにお金を貯めることだ。学園長からある程度のお金はもらっているが大掛かりなリフォームとなればそれなりに金がいる。それに畑も作り、大豆や胡瓜や西瓜を育てるという夢もできていた。

「さて、ここで働きたいとのことですが貴方の保護者であるヴィルさんがそれを許すとは思えないのですが?」
「私も自立したいと考えてるんです。あの寮を出て一人で生活する。その第一歩としてここで働きたいんです!」

VIPルームにて重厚な椅子に腰かけながらアズールは少女を見る。
契約は慎重に。まずは彼女の意思がどれほどのものか見定めるところから始めなければならない。

「ヴィルさんは随分と貴方を大切に思っているように私には見えます。そんな彼の気持ちに反してまで貴方はここで働きたいのですか?ポムフィオーレ寮の方々もさも心配していることでしょう」

今まで世話になったヴィルに、そして寮生たちに対して未練はないのかを確認する。行く当てがないならオクタヴィネルで面倒を見てもいいとアズールは思っていたのだ。その方が何かと都合がいい。
しかし、一瞬少女の表情が歪んだ。どうやら少なからずの未練はあるらしい。

「あんなに貴方の事を理解している人はいないと思いますよ?」

少女の表情がさらに曇ったのでアズールは止めの一撃を放つ。大した覚悟がないのなら彼女をここへ引き留めておくメリットはない。こちらだってそれなりのリスクを背負っての契約だ。この程度ならさっさとヴィルに報告をし、貸しを作っておいた方がいいに決まっている。

「それ、本当に思うと……?」

答えが出たか、とスマホを取り出そうとした時か細い声が聞こえ動きを止めた。
目の前に立っている少女は肩を震わせている。そして勢いよく顔を上げた。

「うちん事なんかいっちょん分かっとらんばい!いつも自分ん意見と価値観ば押し付けてうちん自由ば奪う!先輩がうちん事ば理解しとー?ふじゃけんでくれん!貴方ん目は節穴と?眼鏡に度入っとーと?タコん脳みそは九つあるんやなあ??どげんしたらうちん事が理解できとーちゅう結論に辿り着くんと????」

アズール・アーシェングロットは思った。
こいつフロイドよりも厄介だ、と。

もはやアズールの事などお構いなしにと彼女は話し続ける。
え、何この子めちゃくちゃ怖いやん…これがあの監督生?ナイトレイブンカレッジのアルテミスとまで呼ばれた監督生?いや、待てよ…アルテミスは攻撃的な側面を持つともされていたような……というか今はそんな事はどうでもいい。今すぐタコ壺に入りたくて隠れたくて堪らないのだが。

「——やけん寮ば出てお金ばためて自分ん場所ば作るばい!ここで働かしぇてくれん!!」
「はぃいっ!!」

アズールは急いで引き出しの中から契約書を取り出す。しかしそれは黄金ではなく白の紙である。しかもモストロ・ラウンジで働く最低規約だけが書かれた契約書は彼のメリットになりえそうな事は何一つ書かれていない。それほどにアズールは驚き、焦り、早くこの状況から脱したかったのだ。

「よかった!これで私も今日から働けますね、ありがとうございます!」

花の様に笑った少女はなんと可愛らしい事か。
契約書にサインをし、喜々として部屋を飛び出していった彼女の背を見送る。あとはジェイドとフロイドに任せよう。そしてさっさとヴィルに連絡をし彼女を引き取り来させなければ…しかしその前に———

「少し、休みますか……」

背もたれに掛けてあったひざ掛けをすっぽりと頭から被り、机の下へと潜り込んだ。
陸は本当に怖い場所である。




物事はそう上手くは進まない。

「ホラ、帰るわよ」
「帰りません!」

ランチタイムを終え人が疎らになった頃、ヴィルは現れた。
アズールが連絡を入れたのかは定かではないが、モストロ・ラウンジ利用者の四割はポムフィオーレ寮生でもある。どちらにしろ時間の問題であった。

「今からここを貸し切りにして頂戴。彼女と話し合うから」
「はぁー?ベタちゃん先輩それはないっしょ?じゃあ貸し切り料金六割増しで払ってよ」
「分かりました…今日はもう店を閉めます……」
「アズール、本気なのですか?まだお客様もいらっしゃるのに」
「お代は結構ですからお客様を返してください。もう嫌だ…タコ壺に入りたい……」
「おーいアズールどったのォ?またオーバーブロットしちゃう??」

先日の事件以降、ジェイドとフロイドはアズールに対して過保護気味である。自己中心的な生徒が多いナイトレイブンカレッジでも友情は存在する。それが中々に癖のあるウツボ兄弟に対しても言えることだった。

十五分後、ヴィルと少女の二人きりになったモストロ・ラウンジは静かであった。空調音と、水槽の水を循環させるモーター音だけが響く。

「勝手に出ていってどういうつもり?アタシ達すごく心配したのよ」

しばらく放っておけばすぐに帰ってくるだろう。しかし日が暮れても帰って来ない少女を心配してポムフィオーレ寮生総動員で探したのだ。まずは校舎から始まり、彼女の友人がいるハーツラビュル寮にも訪れた。オクタヴィネル寮にも訪れ、もしかしたらと思い汚いオンボロ寮の中にまで彼等は足を踏み入れた。最終的にヴィルは恥を忍んで他の寮長にも電話を掛けた。しかし皆、彼女の行方は知らなかった。もちろんレオナは嘘をついた。もちろんマレウスは忘れられた。

「それは、ごめんなさい……」

少女も頭を冷やしていた。モストロ・ラウンジに来ていたポムフィオーレ寮生たちからも「心配していたんだよ」という声をたくさんもらっていた。それにヴィルが迎えに来た時、少しだけ安心してしまった自分がいたのだ。

「……アタシも少し言い過ぎたと思っているわ。アナタの人格まで否定するつもりはなかったのよ」
「え…?」

少女はこのとき久方ぶりにヴィルの顔を見た。いつも完璧である彼の顔は、やはり寝不足なのか肌に張りがなく、目元は少しだけ化粧崩れをしていた。普通の人ならそこまで気付かないだろうけれど、ポムフィオーレ寮生ならばその違いはすぐに分かる。彼女は自分が思っている以上にすでに立派なあの寮生だったのだ。

「ただ、アナタに魅力があるのも事実。それは誰もが持てるものではないのよ?だからこそ私達は努力して皆に憧れを持ってもらえるよう演じ続けなければならない」
「自分を偽ってでも?」
「そうよ。でも、さっき言ったようにアナタの人格を否定するつもりはないのよ。だから……まぁ寮にいる時くらいは、大目に見てあげる」
「本当ですか…?」
「えぇ。それに、もうリボンタイに香水をつけなくていいわ」
「ばり嬉しか!ヴィル先輩ばり好いとー!!」

キャーキャー言いながら手を上げて喜ぶ少女の姿は、些か褒められたものではないけれどつい許せてしまったのは親馬鹿心からなのか。ヴィルは頭を抱えながらも、少女がようやく彼女らしく笑ってくれたことに安堵した。

「少しは落ち着きなさいよ」
「あっすみません……ではラーメンを食べるのも許してもらえますか?」
「あんな塩分の高いものを……三ヵ月に一度ならいいわ」
「週一で!」
「馬鹿言わないで」
「せめて月一」
「はぁ…わかったわ」

それからいくつか決め事をして二人はモストロ・ラウンジを後にした。

少女は改めて寮生達に迷惑を掛けてしまったことを謝り、再びポムフィオーレ寮の一員として生活することを決めた。





相変わらずの歯の浮くような上っ面の会話に、マナー重視の食事、休み時間の化粧直しは欠かさない寮生たちだが少しだけ変化があった。

「そん装飾品はどこん国んもんやい?」
「今日は一段と目覚めん良か朝やったばい。鳥んしゃえずりが美しゅうてね」
「ラーメンってばりうまかもんなんやなあ。感動したばい」

「これはどういうことかしら?」

まさかの博多弁が大流行である。
額に青白い血管が浮き出たヴィルは隣にいた少女に問いかけた。

「私考えたんですよ。言葉遣いも一人が使うから変に聞こえるだけで皆で使えばおかしくはないと。だから博多弁をポムフィオーレ寮の公用語にしましょう!」

確かに大目に見るとは言ったが、ここまでの事態になるとは想定外である。
早急に何とかしなければナットウゴハンが流行るのも時間の問題であろう。

「話があるわ。着いてきなさい」

少女とヴィル・シェーンハイトの戦いはまだまだ続く。(続かない)