「次にオバブロするの先輩だと思うんですよね」byトリックスター

ツイステッドワンダーランドに来て早数か月———

“オーバーブロット”という幼児化……失礼、闇落ちバーサーカー状態に出くわすこと計四回。

その経緯を簡単に説明すると、まずはリドル先輩がモンペママによる行き過ぎた教育の末にオバブロして。
次にレオナ先輩が第二王子の立場云々の乙女ゲ―攻略対象に一人はいそうなキャラの立ち位置でオバブロして。
イソギンチャク事件のアズール先輩が「グズでのろまなタコ野郎」という名言を残してオバブロして。
NRC唯一の常識人だと思っていたジャミル先輩がヒャッハー・どっかーん・ナイスショットの黒歴史と共にオバブロした。


以上の要約はいち監督生の独断と偏見なので真に受けてもらわなくてもいいが、私が言いたいことは「よく自分生きてたな」ということである。
毎度毎度泣きわめかれて、命狩る勢いで魔法を放たれてそれでも生きている私を誰か褒めてくれ。五体満足で歩けて今日も空気が美味い。これ、とても大事な事。

いきなり右も左も分からない世界に飛ばされ、私とて人の世話を焼いている場合ではないのだ。元の世界に帰る方法が見つかるまでは粛々と目立たず静かに学園生活を過ごしたい。厄介事を持ってくるのはグリムだけで十分だ。

一番の面倒事であるオバブロにはもう巻き込まれたくない。
そこで私にひとつの案が浮かんだ。
オバブロを事前に防げばいいのではないか、と。

四回もオバブロに出くわしていればその法則性は掴めてくる。
一つ目は魔力が高い寮長クラスの人物が引き起こすということ。
ここで重要なのは“寮長クラス”というところ。ジャミル先輩の一件で“寮長=オバブロ”という公式は私の中でなくなった。

二つ目は一つの寮で必ず一人がオバブロしているということ。
ここまででオバブロした四人は皆別の寮の所属だった。偶然かもしれないが仮説を立てるには十分だ。笑顔の裏では腹黒いトレイ先輩も、陰でキャラづくりが痛々しいと言われているケイト先輩も、マジフト大会でレオナ先輩にいいように使われたラギー先輩もなんやかんやオバブロしていない。因みにウツボの双子はオバブロするほどのストレスはためなさそうだし、カリム先輩は圧倒的光属性なので除外だ。何度も言うがこれはいち監督生の独断と偏見なので深くは聞かないでくれ。

となると残りのポムフィオーレ、イグニハイド、ディアソムニア寮の寮長クラスがオバブロすると予想できる。

その中でも私が次にオバブロするのはポムフィオーレ寮のヴィル先輩かルーク先輩あたりではないかと考えているのだ。

理由に関してはあまり大きな声で言いたくはないのだが、私は元の世界で大人気だったアニメ“名探偵〇ナン”の江戸川コ〇ンと同じ立場の存在であると考えているのだ。
それは決して推理が得意と言うわけではなく、“コ〇ンいるところに事件アリ”という一種の“歩く死神”と呼ばれる点においてだ。

米花町ではコ〇ンが現れるところで殺人事件が起きる。
NRCでは私が関わる人物にオバブロが起こる。
……自分で言って悲しくなってきた。

さて、話を少し戻すとフェアリーガラとイデア先輩の求婚事件によりポムフィオーレの先輩方と関わる機会が増えたのだ。
じゃあもう次のオバブロはヴィル先輩かルーク先輩ではないかと、私の思考は辿り着いたわけだ。

二人のどちらかがオバブロする前に私が慈悲深い愛を持って、その悩みの種を解消してあげればいいのだ。
もうオバブロに震えて待つ私は居ない。
真正面からそのお悩みを解消してやろうではないか。



「エペル、最近寮で変わったことはない?」
「変わったこと?」

ジャックを通じて話すようになったエペルに探りを入れる。
はぁ〜それにしても大きな瞳を瞬かせて困ったように首をかしげるエペルは地上に舞い降りし天使だと思う。エースたちが女だと間違えたのも頷ける。普段はブナブナうるさいグリムもエペルの前では品の良いにゃんこになるのだから解せぬ。

「そうそう。ヴィル先輩とかルーク先輩とか……」
「うーん。そもそもあの人たち自体変わってるし……あっそういえば最近ヴィルサンが新しい植物を育て始めたってルークサンが言ってたよ」
「植物?」
「“シーブ”っていう棘のある水草だよ。育てるのがすごく難しいんだけど化粧水の調合に使いたいんだって。全く、あの人たぢの考えるごどは分がね」

唐突の砕けた口調もとてもいい。これぞギャップ萌えである。
いや、そうではなくて水草か……うーん、これがキッカケになるのだろうか。アズール先輩の“ [#ruby=黄金の契約書—イッツ・ア・ディール#]”の時みたく全て灰と化したらオバブロしたり?でも水草でそれはさすがになさそうだなぁ。

「ごめん、そろそろ僕は部活に行くね」
「呼び止めてごめんね。部活頑張って!」
「うん!ありがと」

やば。天使に微笑まれた。天に召されそう。
そんな馬鹿な事を考えながら運動場へと向かったエペルに手を振って見送る。
残念ながらあまり有益な情報は得られなかった。というか、そもそも私は深海の商人たちのように駆け引き上手でもないのだから情報収集などまどろっこしいことはせず本人に直接聞きに行った方が早いかもしれない。これはポムフィオーレ寮にカチコミに行くべきか…

「何突っ立ってんのよ小じゃが。邪魔なんだけど」
「ヒェッっすみません」
「…アンタ、どうして化け物でも見たような顔してんのよ」

風に靡く髪は金から淡い紫に変わり、その滑らかな肌は顔はもちろん指の先まで陶器のように手入れされている。少し動けば鼻腔をくすぐる香水のかおり。口調は少しだけ毒を含んだような棘があるが、そこに彼の悪意はないので何故だかこちらの背筋がピンと伸びてしまうのだ。

「いやぁ〜ヴィル先輩のお美しさにびっくりしまして…」
「アタシが美しいのなんて当然よ。それにしてもアンタもようやく美的感覚が研ぎ澄まされてきたのね」

機嫌が良くなったヴィル先輩を見てほっとする。先ほどまでは本人に突撃だ!と張り切っていたがいざ目の前にすると正直ビビる。そういやいつの間にかグリムがいないんだが?もしや私に黙ってエペルのマジフト練に着いて行ったな。今日の夕食はツナ缶抜きだ。

「そういえば、先輩は美容にいい(?)水草を育ててるんですよね。順調に育っていますか?」
「アラ、良く知っているわね」
「エペルに聞いたんですよ。私も一応は女ですし少し気になりまして」
「ふーん。やっと小じゃがもやる気を出したのね。アタシの気が向いたら分けてあげてもいいけど?」
「いえ、それは結構です」
「ア゛?」
「ヒェッ」

だってタダより怖いものはないじゃないですか!そんなことは双子のウツボとぐずのろタコちゃんに嫌というほど味合わされたんだ。ヴィル先輩開発の化粧水なんて普通に買ったら150mlで一万マドルはするでしょ。怖くて貰えんわ。

どうやら機嫌を損ねてしまったらしいヴィル先輩は颯爽と私の横を通り過ぎていった。
まさかこれがオバブロの原因になったりはしないよね…?今の選択は正しかったと信じたい。

「やぁトリックスター!先ほどはヴィルと何を話していたんだい?」
「ぎゃあ!?」
「フフッそれは鶏が首を絞められた時のマネかい?」

猫が胡瓜を見たかの如く飛び跳ねれば、すぐ後ろでルーク先輩がにっこりとした笑みを浮かべて立っていた。こわっ。何時からそこにいたのだろうか。

「いえ、違いますけど…ルーク先輩はずっと私達が会話していたのを見ていたんですか?」
「そうだよ。三階の渡り廊下からキミとヴィルが話しているのが見えてね。急いできたのだが毒の君はすでに立ち去ってしまったようだ」

三階の渡り廊下からここまで一キロはあるのですが…。
ルーク先輩はかなり謎な人物である。悪い人ではないとは思うけど、読めない人と言うかなんというか…アズール先輩やジェイド先輩も他人に心を読ませようとはしないが、彼等の場合は“企んでいることがあるから読ませない”のである。しかしルーク先輩の場合はその“企み”すらあるのかないのか分からないのだから謎だ。

「ヴィル先輩が育てている水草の話をしていたんですよ。化粧水の素材になると聞いたので」
「あぁ、それなら私も世話をしているよ。八時間ごとに水を変え、温度による酸素濃度管理も細かくやらないと死んでしまうからね」
「ヴィル先輩が使う物なのにルーク先輩も手伝っているんですか?」
「もちろんさ」
「その見返りは?」
「さらに美しくなる毒の君が見られる。それ以上の見返りがあるというのかい?」

おっふ。砂糖菓子をさらに水飴でコーティングしたかのような台詞である。まぁ相手がヴィル先輩ともなると分からなくもないがNRCの生徒が本当に自分の利益なしに動けるものなのか?もしかしてルーク先輩もジャミル先輩のように偽っている姿なのだろうか。

「あの、ルーク先輩は悩みとかありますか?」
「相変わらずキミは先の読めない質問をしてくるね。そうだねぇ…あぁ、最近ヴィルが少し太ったのさ。美しい顔のラインが丸みを帯びてしまっているんだよ。ああっミゼラブル!」
「う〜ん少し違うような…では最近イライラしたり怒ったことはありますか?」
「それはノンさ。私はすぐに癇癪を起すほど自身にため込むことはしない。そんな質問をしてくるキミこそ私は心配だよ」

眉を下げて困ったような顔をされてしまった。
ルーク先輩がこの調子ならやはりオバブロするのはヴィル先輩の方なのだろうか?

いや、ちょっと待て。
これはルーク先輩が非常に病んでいるという証拠なのでは?

「大丈夫」という言葉を繰り返す人ほど精神状態が危ういという話を聞いたことがある。自分が気付けないほどの闇。まさにこれこそルーク先輩の心のSOSに違いない!

「ルーク先輩」
「なんだい?」

やんわりと微笑んだ先輩を真っすぐに見る。
私はこれ以上バブ化する年上男子の面倒は見たくない。自分よりもデカいやつら(ただしリドル先輩を除く)にギャン泣きされ殺されかけ(一番の加害者はジャミル先輩)挙句の果てにその後も何かと絡んでくるようになる(レオナ先輩にはパシリにされアズール先輩にはラウンジのメニュー開発の相談に乗らされる)未来はもうごめんだ。

「私がこの連続事件に終止符を打たせてみせますから!」

真正面で啖呵を切って(?)私はグラウンドへと駆け出した。やることが決まればあとは計画を立てるのみ。グリムを回収してオンボロ寮で作戦会議だ。

颯爽とは走り去った背後からは空を抜けるような狩人の高笑いが聞こえた。





先ずは情報収集からだとルーク先輩がどんな人なのか皆に聞いてみることにした。

エペルからは、先輩は授業の成績は良く、寮対抗のマジフトに出るほどの運動神経もあり、副寮長の仕事も完璧にこなす。そしてヴィル先輩への美への拘りを一番理解している人と教えてもらった。
ジャックからは、先輩は夕焼けの草原の出身だと教えてもらった。そこには獣人以外にもいるのだとその時初めて知った。
偶々授業が一緒だったカリム先輩からはスカラビア寮での宴に参加したりと陽気な一面もあると教えてもらった。
作りすぎたケーキを分けてくれたトレイ先輩からはサイエンス部に所属し中々に癖のある人だと教えてもらった

さて、これで粗方情報は揃った。
次にすることと言えばルーク先輩の監視である。今までの情報を元に行動パターンを推測して立ち回ればいい。



「ふなぁ〜本当にやるのか?」
「私はやるよ!グリムだってもう海の中で追いかけられたり砂漠を長時間歩くの嫌でしょ?」
「ストーカーするほうが面倒くさくて嫌なんだゾ」
「尾行って言って!」

今日は逃がさないとばかりにグリムを抱きかかえ、私は特別教室が並ぶ廊下でルーク先輩が来るのを待っていた。今日の放課後には部活動があったはず。そこでの先輩の様子を観察したい。

柱の陰に隠れながら待っていると帽子の羽を揺らしながらルーク先輩がこちらに歩いてきた。その歩く姿は何とも優雅である。本当に悩みなんてなさそう…いやいや、これから何か起こるのかもしれないのだから決めつけは良くない。歩く死神()の法則はそう簡単には覆せないのだ。

「フナ!?あいつこっちに来ないんだゾ?」

サイエンス部が使う実験室は私が隠れている柱のすぐ隣の教室だ。それなのにルーク先輩は進路を変えその手前の角を曲がってしまった。

「事件の匂いだ!行くぞグリム!」
「なんだか面白くなってきたんだゾ!」

乗り気でなかったグリムも私の熱に当てられたのか腕の中から飛び降りてトトトッと走り出した。置いて行かれるかと私も走り出す。クルーウェル先生に見つかったら大目玉だが今はそれどころではなかった。

「ふ、ふなぁ〜〜!?」
「あっれ〜アザラシちゃん何してんの?」
「グリム!?ってフロイド先輩どうしてここに?」

先に角を曲がったグリムの叫び声を聞いたかと思えば、191cmの男に首根っこを掴まれ宙ぶらりんになっていた。

「あはっ小エビちゃんもいる〜何してんの?」
「すみません、今急いでまして。グリムを返してもらえませんか?」
「あ゛?俺の質問無視してんじゃねぇよ」

フロイド・シンプルにヤバめ・リーチに捕まったのが運の尽き。これは当分逃がしてもらえなさそうだと思い、掻い摘んで状況を説明する。さすがにルーク先輩がオバブロしそうとは言えないので、悩みがありそうで心配なんですということにした。

「ふ〜ん、あっそ。小エビちゃんは面倒事に首を突っ込むのが好きだねぇ。でも今回は相手悪すぎィ」

フロイド先輩は意外にもすぐに引き下がり掴んでいたグリムを私の方へと投げ捨てた。それを慌ててキャッチする。今回はフロイド・気まぐれ・リーチの面白センサーには引っ掛からなかったのかやけにあっさりとしている。
拍子抜けしつつもお辞儀をして先を急ごうとしたその時、

「あんましウミネコくんに関わらない方がいーと思うよ」

ワントーン低い声でフロイド先輩がそう言った。


長い足を動かして人魚は去る。
先の視界に狩人の姿はなかった。





「今日の実験では“縮み薬”を作る。二人一組でペアを作るように」

来るべき魔法薬学の時間。しかも今日の授業は三年生と合同。もちろんルーク先輩もいる。
先日の尾行は失敗に終わったが今回はペアになりさえすれば何か情報が掴めそうである。大欠伸をしているグリムを抱えてルーク先輩の元へ急いだ。

「先輩!私と組んで頂けませんか?」
「おや?私でいいのかいトリックスター」
「先輩はサイエンス部に所属していると聞いたのでぜひお願いしたいです」
「フフッでは今日はキミと組もうか」

私が雛菊の根をすり潰している間にルーク先輩が他の材料を用意する。
今回の実験では死んだ芋虫やら動物の内臓などグロテスクなものも一部使うのだが先輩は表情一つ変えずにそれらをナイフでさばいていく。

「先輩はすごく手先が器用ですね。サイエンス部でもこういう材料をよく使うんですか?」
「そうだね。でも部活では薬草を取り扱うことが多いね」

そうなんですね、と相槌を打ちながら話を振るタイミングを伺う。
さてここからはどうするか、と手元のすり鉢をゴリゴリと動かしていると急に手元が暗くなる。驚いて顔を上げるとすぐ近くにルーク先輩の顔があり思わず一歩引く。しかし、それよりも早く先輩の腕が腰に巻き付き、グッと引き寄せられた。

「最近私のことを嗅ぎまわっているようだね。どういうつもりだい?」
「え、えっと…」

鷹の目のような鋭い眼光。まるで捕食者のようなその視線に私は身を強張らせる。
ここにきてフロイド先輩の言葉が蘇る。しかし、これを適当な言葉で切り抜けてはいけない。一つの行動が先の未来に大きな波紋をきたす。バタフライエフェクト待ったなしだ。

「隠れて先輩のことを調べていて、すみませんでした」
「ウィ、素直なキミはいい子だね。ただ、私は自分のプライベートに踏み込まれるのは嫌いなんだ。二度とこのような真似はしないでくれるかな?」
「分かりました。でも、ひとつお願いしたいことがあります」
「なんだい?」

勝手に尾行をしていた私が全面的に悪いわけで。そんな私が取引じみた事をするのは明らかにおかしい。でもこの学校で色々な人と関わっていくうちに変な自信と図々しさを持ってしまった私に怖いものはなかった。

「もし、先輩が悩んだり困ったことがあったら一番に私を頼ってください。どこまでできるか分かりませんが私が先輩を助けます」
「は?」

ルーク先輩は切れ長の目を大きく見開いて、品性のかけらもないほど口をぽかんとあけていた。
魔力の持たない自分がオバブロした先輩を助けられるとは思えない。今までは何とかなったのはみんなの協力と運が良かっただけだ。でも、もしそうなる前だったら。話を聞くことくらいはできるし、傍にいてあげることだってできる。ここが異世界だと知った時、元の世界に戻れるかという不安の中グリムが傍にいてくれたことが私の救いだった。「お前は俺様の子分なんだゾ」と言ってもらえたことで自分の居場所ができた気がした。

「私は、先輩の味方ですので」
「フッ…フフッ、あはははは!」

突如狂ったように笑いだした先輩に、私はおろか、周りにいた生徒もクルーウェル先生でさえも驚いた。

「トレビアン!さすがはトリックスターだ。キミになら私は追われることを許可しよう」
「は、はい?」
「無駄吠えが多いぞ駄犬!」

クルーウェル先生の一喝で会話は途絶えたが、その後ルーク先輩は終始ご機嫌であった。ルーク先輩も実はルーク・気まぐれ・ハントなのだろうか。

兎も角、無事に薬も完成し授業評価はA判定。

しかし、私の脳内には“?”が消えぬまま。
今日の観察記録はE判定だ。





ルーク先輩から尾行許可をもらえたものの、一向に情報は得られず二週間が経った。
というのも特別教室の前で張っていた時と同じく、姿を見つけてそれを追おうとするもいつの間にかに見失ってしまうのだ。もちろん、フロイド先輩が毎度絡んでくるためではない。

「全然、尻尾を掴ませてくれないじゃないか…」
「ブツブツうるさいわね、小じゃが」

テラス席の机に突っ伏していると飽きれ顔のヴィル先輩が向かいの椅子に腰を下ろしていた。相変わらず、今日もその美貌が眩しくて目が痛い。

「やっぱり私には尾行スキルが足りないんですよね。この世界には透明人間になれる薬とかないのでしょうか?」
「アンタ、脳みそにクレソンでも詰まってるの?さっきから様子が変よ」

見かけは小じゃが、頭脳はクレソン—その名は迷探偵監督生ってか?
これで次の“このマンガはすごい!”は貰ったな。

「あははははは」
「本当に大丈夫なの?」

死んだ魚の目になっている私は、顔面蒼白になりかけているヴィル先輩に事情を説明する。
まぁヴィル先輩はルーク先輩と同じ寮だし、ヴィル先輩も一応はオバブロ候補なわけだからいいかという安直な思考の元話すことにした。

「ルークに悩み事ねぇ」
「ルーク先輩って陽キャでコミュ力あって他寮の生徒にもガンガン絡むし人を否定しないし怒らないし喧嘩しないし、笑いのツボは分からないしマッドサイエンティストの一面もある良い人じゃないですか」
「後半の部分はいい人要素には含まれないわね」
「だからこそ、人知れずと膝を抱えて悩むことがあると思うんですよ」
「少なくともアタシはこの三年間そんなルークは見たことないわ」
「そりゃそうですよ。ヴィル先輩はルーク先輩にとって女神同等の気高き存在なんですから。そんな人の前で弱みなんて見せませんよ」

そうねぇとヴィル先輩も顔に手を当てて考えてくれた。
一番ルーク先輩の近くにいるヴィル先輩が分からないと知ったことで、私の仮説の一つが立証された瞬間だった。

「ルーク先輩って“友達”はいても“マブタチ”はいないですよね」

先輩とのイタチごっこの中で一つだけ気付いたことがある。先輩は絶対に人に深入りはしない。色んな人と会話はするけれど、その人に関わることを聞き出そうとはしないし自分の事を語ろうとはしない。
エース達に“マブタチ”と初め言われた時、それは死後だよと笑ってしまったが今ではその意味がよく分かる。気兼ねなく、腹を割って話せる彼等は確かに私の“マブタチ”なのだ。

「アンタの言う“マブタチ”は確かにいないかもしれないけれど、それに近しい人間ならいるわよ」

ずっと黙っていたヴィル先輩が口を開く。その顔には“にっこり”という擬音が相応しい口元が張り付いていた。

「ヴィル先輩ではなく?」
「えぇ」
「私の知っている人ですか?教えてください!」
「アタシは教えないわよ」

なんでだよ!と声を上げそうになったがここでまた先輩の機嫌を損ねては終わりだ。
これから映研の撮影だと言って席を立った先輩を、ぐるりと回りこんで引き留める。
この二週間、身を粉にして私は頑張ったんだ。尾行と言う名の不審な行動にあのルチウスからも威嚇され、うっかり男子トイレに突入してしまった際にはセベクからクソデカボイスで叫ばれた。学園新聞の見出しに“オンボロ寮の監督生 ついに精神がやられたか?”と書かれた日には枕を濡らして寝た。
情に訴えかけるように頼み込んだ末、「じゃあヒント」と言って一つだけ教えてくれた。

「最近のルークはよく姿を消すのよね。で、戻ってくるととても楽しそうな顔をしているのよ」

それ本当にヒントですか?と問いたくなったが続け様に

「もうすぐ例の化粧水ができるわ。今の答えが分かったら分けてあげてもいいわよ」

と言い残しメインストリートをランウェイのように歩いて行ってしまった。

ルーク先輩の“マブタチ”とも呼べる存在、そして楽しそうと言う発言…そういえば、前にラギー先輩からルーク先輩がレオナ先輩を追っかけまわしていたという話を聞いたことがある。イデア先輩の求婚騒動の時も喜々としてゴーストを追いかけていたし、ひょっとしてレオナ先輩なのか?

「やぁ私の尾行は上手くいっているかな?」
「うわぁっ!?」
「今日はエゾシカのマネかい?」

帽子を被り直したルーク先輩がにっこりとした笑みで後ろに立っていた。その笑顔ですら闇に思えてしまう私の心が荒んでしまった証拠なのだろうか。

「先輩が逃げるの上手すぎて全然ダメですよ」
「フフッまずは自分の気配を消さなければいけないよ。追う者も追われる者も生き延びるための手段としてね」

追う者と追われる者、肉食動物と草食動物、狩人とライオン———
何か繋がった気がする。

「あの、先輩———」
「副寮長ーー!!」

私の声を遮って、ポムフィオーレ寮生の二人が全速力で走ってきた。
彼等らしくない雰囲気に、もしや誰かがオバブロしたのではないかと不安がよぎる。

「ムシュー落ち着いて。ゆっくりでいい、話してごらん」
「実は…ヴィル寮長が育てていた“シーブ”が枯れかけているんです!寮長が映画研究会の活動の為、僕達が“シーブ”の世話を任されたのですが…」
「指示通りの酸素濃度で調整したはずなのに、水草の色が変色してしまったんです」
「分かった、すぐに向かおう」
「私も行きます!」

これがまさにオバブロフラグだ!!
初めは水草なんか…と思っていたがヴィル先輩があんなに楽しみにしていた化粧水の材料である。これが手に入らなくなると知ったらアズール先輩のようにオバブロするに違いない。

「なんでオンボロ寮の監督生が…」
「君に恩を売られる筋合いなどない!」
「ヴィル先輩から化粧水を分けてもらう約束をしているんです。そのシーブが手に入らなくて困るのは私もなんですよ」

さすがはプライド高きポムフィオーレ寮生。だがしかし、そんなことで引き下がる私ではない。後で一番に後悔するのは同じ寮の君たちなんだからな。
私はルーク先輩を見る。

「困ったことがあれば一番に頼ってくださいと言いました。私も行っていいですよね、ルーク先輩」
「ウィ。ではトリックスターの力も借りようか」



“古城”という言葉が相応しいポムフィオーレ寮の地下室。
授業で使う実験室の何倍もの広さがあるその場所では様々な植物が育てられていた。そしてその一角の水槽スペースに件の水草が揺れ動いていた。わずかな蕾、そして薔薇のようなトゲトゲの茎にヨモギのような葉をなしているが、その色は錆びた鉄色になり水も僅かに濁っていた。

「この変色の仕方は……おそらく酸素濃度が高すぎたことが原因だね」
「でもちゃんと教えられたとおりに調節したのですが…」
「今日は日中の気温も低く、この部屋の温度も設定より0.3度低い。それにより水の中の酸素量も変化したのさ。でも大丈夫、この分ならまだ助けられる」

ルーク先輩の指示のもと、私達は水槽の水を変えたり薬草用の回復薬を調合したり痛んだ葉を切り落とす作業を行った。
そして約二時間の作業の末、元の状態まで回復させることができた。特にルーク先輩が調合した回復薬の効果が凄まじく、水槽に入れた途端に生き生きといた緑色の葉に戻ったのだ。因みに薬の成分を聞いたところ黙って微笑まれたのだが、合法の物であると信じたい。

「実にマーベラス!皆よく頑張ったね」
「これで寮長に怒られずに済む!」
「副寮長、それと監督生もありがとうございます!」

薬品などを片付けに出ていった寮生二人を見届ける。
非常に疲れたがこれでオバブロフラグが回避できたと思えば安いものだ。

「トリックスター、やはりキミの活躍には目を見張るものがあるね。ヴィルの代わりにも言わせてくれ、ありがとう」
「いえいえ、それに私が勝手に着いてきてやったことですし」
「謙遜するところもキミらしいね」
「そうですか?それにしてもルーク先輩が怒らなかったことが意外でした」

そう、ルーク先輩は一度も彼等の事を怒らなかったのだ。自分の事ではないにしろ、あんなにもヴィル先輩に執着している先輩ならもっと彼等を責めると思ったのに終いには労いの言葉までかけていた。

「彼等は自分の非を認めていた。そして己の力量が分かったうえで私に助けを求めてきた。そんな彼等を私が今さら攻め立てる必要はないんだ」
「先輩はなんというか…非常に出来た人ですね」
「フフッありがとう」

私も二年後にはこのくらい寛大な心の持ち主になれるのだろうか。いや、先輩の爪の垢を煎じて飲んでもなれそうにない。
圧倒的光属性の先輩はオバブロとは無縁の存在のようだ。その結果が得られただけでも今日は十分な成果だったといえよう。

「それでは私もそろそろお暇しますね」
「あぁ、外まで送っていくよ。——待つんだ!」

自分の荷物を持った瞬間、先輩に腕を掴まれる。初めて聞いたその怒るような声に身体が動かなくなった。
ルーク先輩は私の手を持ち上げると、その指先を見てから睨んできた。

「何故手袋をつけずにシーブに触った?棘があるのは知っていただろう」
「でも開花前の物に毒はないと言われたので大丈夫かと」
「手当をする。こちらへ」

腕を掴まれたままズルズルと椅子があるところまで連れてかれる。
いや、私だって手袋くらい借りようと思ったさ。でも、ポムフィオーレの寮生って手袋に並々ならぬプライド的なものを持っているではないか。それこそ決闘時には「手袋を拾いたまえ!」と食ってかかるような人達ばかりだ。そんな人らに私が「手袋をかしたまえ!」と言えると思うか?否、言えない。

薬箱を持って帰ってきた先輩が、その中から薬を取り出し一カ所ずつ丁寧に消毒してくれた。左右共に手の甲や指先に小さな切り傷があって、中には棘が刺さったところもあったのだから手当てしてもらえて良かったかもしれない。

「すみません、ありがとうございます」
「…………」
「あの、先輩?」
「キミは何故自分を大切にしない?」

大袈裟に包帯を巻かれた手を握りしめながら先輩は私を見上げた。先輩は床に片膝をついていたから、それはまるで御伽噺に出てくる王子様のような雰囲気だった。
この場に似つかわしくない格好と先輩の言葉の意味が分からずに首をかしげる。

「女性が肌を傷つけるべきではない。それに、キミはいつだって無茶をしすぎだ」
「どうせ私は小じゃがですし、多少の無茶で人間は死にませんよ」
「そういう問題ではないのだよ!」

ぎゅっと手を握られ顔をしかめる。痛い、傷口がしみるのだが。
しかしそんなことはお構いなしにと先輩は言葉を続ける。

「ここ最近のキミの様子を私は観察していた。魔法の知識もないキミが皆と同じように授業を受け、男子生徒から浮かないように女性らしさも捨て、何かあっても使い魔を優先させる。キミは優しく、とても気高い。だからこそ、もっと自分のために気を遣うべきなんだ」

さすが光属性の人間は言う事が違いますね———と、笑って言えたら良かったのに不覚にもほんの少し…ほんの少しだけ泣きそうになってしまった。

日本人は特に周りからの目を気にする。
もちろん私もそのうちの一人で元の世界に居た頃から“普通”という言葉が似合う人間だった。

それがここに来てからはどうだ?
突然自分が“普通”でなくなって異端者扱いになったのだ。
勉強は人並みにできないと。
男子校でせめて見た目だけでも浮かないように。
グリムとは二人で一人なんだから私がしっかりしないと。

エースやデュースもいたからそんなに辛くはなかった。
慣れてしまえばこのくらいどうってことない。

でもそれを今まで褒めてくれた人がいただろうか。
皆の当たり前を“私の”当たり前ではないと知ってくれた。
それがこんなにも嬉しいことだなんて、私は今まで気付けなかった。

「先輩は本当によく出来た人ですね」
「キミはこれ以上、私を怒らせたいのかい?」
「いえ、そんなことはないです。すみません、素直じゃなくて。ありがとうございます」
「ウィ。これからはキミが無茶をしすぎないよう私が見守ることにしよう」
「それは大変心強いですね」

もしかしたら、近い未来に私の方が感情を爆発させていたかもしれない。
魔力がなくとも人は時に感情の制御が出来なくなるのだ。

ポムフィオーレでは誰もオバブロしなかった。
私も色んな意味で救われた。
こんな大団円も偶にはいいのではないでしょうか。





鐘の音と共にダッシュで教室を出て、メインストリートではなくサムさんのお店を目指す。少しでも道の開けたところに出てしまえば視界良好なためすぐに捕まるのだ。逃げることに関しては元の世界で“逃〇中”を予習済みである。因みにグリムは私を見捨てた。連日行われるようになってしまった鬼ごっこに耐えかね、エース達と放課後は過ごすようになってしまったのだ。

「丁度いいところにいたわ」
「ヴィル先輩、どうも…」

ミステリーショップ近くで息を整えていたところで声を掛けられる。
息を切らして汗を流している私とは裏腹に今日も今日とてヴィル先輩は美しい。

「これ約束の化粧水よ。一番にアンタにあげるんだから感謝しなさい」
「え?いいんですか」
「えぇ。ルークから聞いたけど、薬草の手入れを手伝ってくれたそうじゃない。それにあの答えも見つかったみたいだし」

例のルーク先輩のマブタチに近しい人っていうやつか。確かにその答えは分かったわけだが、そのせいで今とんでもないことになっているのをヴィル先輩は気付いているのだろうか。

「あの、ヴィル先輩たすけ——」
「ああっ見つけたよトリックスター!」
「ぎぃやぁあああ!!」
「フフッ今日はダチョウのマネかい?」
「相変わらずアンタ達はうるさいわね」

がっしりと肩を掴まれ、捕獲された草食動物の如く動けない。
出たな来たなルーク・狩人・ハント。

あの日以来、先輩は事あるごとに私を見つけては絡んでくるようになった。初めは手当の名目でそれならまぁ仕方がないかと思っていたが、その後は私の為に書いたという詩(縦読みも含む)を読んだり花をプレゼントされたりということが続いている。見守ると言った意味が大分違う。

さすがの私も頭お花畑ではない(何故ならクレソンが詰まっているから)のでルーク先輩のこの行動が何を意味しているか分かっている。
オバブロフラグを回避したために別のフラグを回収したなんて笑えない。

「おや?先日私が送った香水を着けてくれていないのかい?キミに似合うと思って調合したのに苦手な香りだったかな」
「そういう問題じゃないんですよ。そもそもプレゼントはもう結構ですと言ったじゃないですか」
「ルーク、アンタ重すぎるわよ」
「ヴィルまでそんなことを…いや、これは私がまだトリックスターのことを知り切れていないという証拠だね。そうだこの後お茶でもどうだい?」
「ヴィル先輩の話し聞いてました?」
「トレビアン!実にいい回答だね」
「今の話し聞いてましたか!?」

ずるずると引きずられていく私を無慈悲にもヴィル先輩は手を振って送り出した。その口が「アンタ一生逃げられないわよ」と動いていた。

今さらながらにオバブロよりも厄介なことがあることに気付く。
しかし、それを受け入れてしまえばおそらく私は元の世界へと帰れなくなるのだろう。

「私、用事があるので失礼します!」

来ていたブレザーを脱ぎ捨てルーク先輩から逃れる。
どこ行く当てもないけれど、走り周るしかない。

とりあえず、明日からはバルカス先生の授業まともに受けよう。
そう心に誓った監督生だった。

「フフッ始めよう。狩りの時間だ」


fin.