エペル・フェルミエの妹はヴィル様のファンである

エペル・フェルミエには三つ下の妹がいる。

天真爛漫、純真無垢、ついでにお天馬という言葉がよく似合う少女である。

その容姿は瓜二つ。今でこそ体格や肉付きに差はあれど、幼き頃はよく双子の女の子に間違われていた。お隣のおばさん達を驚かすのはお手の物。両親でさえも騙され、よく悪戯をしていたのも記憶に新しい。ただ、曾祖母と祖母だけは一度も騙されてはくれなかったが。

大きな違いといえば、妹には魔力がなかった事だろう。魔法が使える兄を見ていつか自分もと夢見ていたが一定の年齢になっても魔力は感知されず、自分は魔道士にはなれないのだと知った日には落雷をも思わせる大声で泣きじゃくった。

しかし、それも翌日には「魔力がないなら筋肉だ!」と山二つ分駆け抜けていくほどの度量があるものだからやはり妹はお天馬であった。

子供が少ない豊作村。
遊び相手が妹であり、喧嘩相手が妹であり、そして守ってやらなきゃいけない相手が妹であった。

エペルがでかいカエルを捕まえれば負け時とヘビを捕まえてきて、木登りをすれば「私の方がすごいんだから」とさらに上をいく負けず嫌いな妹。
エペルの誕生日には新鮮な肉をと、猪を狩にいくほど勇敢な妹。

本能で行動する妹は度々危ない目にもあったがそれをエペルは魔法で助けた。そうすればエペルの魔力に僻む妹との喧嘩が始まるのだが次の日にはいつも通りの仲良し兄妹。
祖父母の林檎農園を手伝って、妹の作る林檎ジャムは家族の誰よりも上手かった。エペルが厚切りのバケットを火で炙り、そこにたっぷりとジャムを乗せればご馳走の出来上がり。にこにこと頬張る兄妹の姿を村人全員が笑みを浮かべて見守った。

ずっと一緒だった兄と妹。

しかし、その別れは突然に。
エペルにNRCからのお迎えがやってきた。
あの名門学校からのお誘いである。それこそ親戚もお隣さんも巻き込んで村を上げて喜んだ。

その時一番喜んだのは妹だったし、一番別れを惜しんだのも妹だった。
棺に入るまでずっと気がかりだったけれど、最後には「すっごい魔道士になってね!」と目と鼻を真っ赤に染めながら送り出されたのだ。

妹の為にも立派な魔導士になってやる。
そう誓って、エペル・フェルミエは旅立った。





エペルは週末のこの時間が好きだった。

「また電話を待ってるの?もしかして彼女とか?」
「ふふふっ秘密!」

ルームメイトに冷やかされても茶目っ気たっぷりにイタズラな笑みを添えて答えてみせる。
決まってこの時間帯は妹と電話をすることになっていた。

気を遣って部屋を出ていったルームメイトにお礼を言うと、丁度スマホから着信を知らせる音が鳴った。
すぐに出るのも恥ずかしいので三コール分聞いて通話ボタンを押す。

『兄っちゃ久すぶり!元気だった?』
「昨日も連絡すたべな。そっちはばっちゃも変わりね?」

懐かしい方言と共に妹の元気な声が響く。
電話は週に一度ほどだが、メッセージでのやり取りもいくらかしている。それに最近妹が始めたマジカメもフォローしているからそんなに距離があるようには感じない。しかし、やはり声を聞くと自然と口元が緩むのだ。

今日はおばあちゃんとアップルパイを作った。お隣さん家の畑を耕してたらモグラを見つけた。裏山にスズメバチの巣を見つけ、ひいおばあちゃんが魔法で燃やしたetc…
そんな他愛のない話を聞きつつ、自分も授業の事や部活の事を話せば妹はそれもまた興味深そうに聞き入った。

『寮での生活はどうなの?』
「あー…ヴィルサンっていう寮長さ目付げらぃでらげどそれなりに楽すいよ」
『ヴィルさん…?もしかしてヴィル様のこと!?』

電話越しにでも鼓膜が破れそうになり耳元からスマホを話す。
は?ヴィル様?なんじゃそりゃ??

『驚いだ!本当にNRCに通ってらんだ!それも兄っちゃと同ず寮!』

キャーキャーと聞こえる悲鳴にどこから話を聞けばいいのか分からない。
確かにヴィル・シェーンハイトといえば世界的トップモデルである。その美貌と、美に対するストイックな姿は老若男女問わずファンが多い。それに年頃の少女であれば彼に魅了されるのもよく分かる。しかし自分の妹がまさか…

「お、落ぢ着いで!もしかしてヴィルサンのファンなの?」
『“ヴィルさん”なんて気安ぐ呼んじゃまいねよ!本当さ、本当さヴィル様かっこい!』

自分の言葉が聞こえているのかすら定かではないが、妹は増々熱を上げていく。
そういえばマジカメにアップされる写真の中に、時折妹本人の姿もあった。以前は自分を一回り小柄にしたような印象だったのに、近頃では身体は少し丸みを帯びそれでいて腰元が引き締まり胸も膨らんでいた。

妹が少女から女性へと変わろうとしているのだ。
そう考えれば好きな男の一人や二人できていてもおかしくはない。
そして好きな芸能人ともなれば十人や二十人当たり前にいるだろう。

『そうだ!再来週のマジフト大会見さ行ぐはんで紹介すてよ!』
「えぇ!?それはわんつか…やめだ方がいよ」
『約束ね、兄っちゃ!』

やはり兄の声は届いていなかったのだろう。
次の瞬間にはツーツーという電子音が耳に届いていた。

可愛い妹の為、ヴィルを紹介するなど正直容易い。自分は色々な意味で目を掛けられているし、まぁ気に入られてもいるのでヴィルも嫌な顔はしないはずだ。

しかし、エペルはふと考える。

妹の容姿は自分によく似ている。しかも最近では女らしさも出てきて、可愛らしさから美しさに磨きをかけていこうというお年頃である。そんな原石をヴィルは放っておくだろうか。きっと自分よりもはるかに妹である彼女に執着するようになるだろう。加えて妹はヴィルに好意を寄せている。

彼氏…結婚…旦那…義弟……?

「うわぁあああああ!!!!!」
「ちょっエペル君どうしたの?」

部屋に響くは今生の断末魔———
その夜は壊れたエペルを一晩中ルームメイトが介抱した。





NRCで一二を争う大イベントであるマジフト大会。
さすがに寮の代表選手には選ばれなかったが、マジフト部として前座の試合に出させてもらうことになっていた。

自分の番まではまだ大分時間がある。

ちらりとスマホを見ると「もうすぐ着く!」のメッセージが届いており、ため息を付いた。
妹には適当に校内を案内してヴィルには会わせないつもりだ。最悪の事態を避けるためにも会わせない方が良いに決まっている。それに今日は出店もたくさん出ている。すぐに気もそちらに向かうだろう。

「お兄ちゃーん!」

電話越しに何度も聞いた声に振り返ると、自分と同じ髪色の少女がパタパタとこちらに向かってきていた。その姿に何人かの生徒が少女を見るために振り返る。

久しぶりに実際に見た妹の姿に、兄のエペルでさえも息を呑んだ。
薄紫色の髪に青みがかった緑色の瞳、腰まで伸びた髪はくせによりゆるふわな印象を与えている。今日は化粧をしているのか、陶器のような肌の白さに色づく頬と唇が印象的だ。あどけなさの中にも色気をほんのり含むその姿は禁断の果実のよう。
自分よりも少し小柄な少女には“男が守ってあげたくなる女の子”の要素がふんだんに詰まっていた。

「これお土産!お母さん達も来るつもりだったんだけど仕事が忙しいから無理だって」
「そうなんだ。でもお前だけでも来てくれて嬉しいよ」

手渡された紙袋の中には真っ赤な林檎がたくさん詰まっていた。それに妹お手製のジャムも。
それを有難く受け取ってお礼を言うと妹も照れくさそうに笑った。

「お兄ちゃん!さっそく紹介してくれるよね?」
「えーあー…ヴィルサンは忙しい人だから……その前に屋台を周ろう。お前が知らないものもたくさんあるよ」
「えー…」

不満そうに頬を膨らませた妹の可愛い顔に胸を痛めながらも腕を引っ張って連れて行く。
妹の気をヴィルから逸らしたいという思いもあったが、先ほどから妹に集まる視線が増えていた。遠目から写真を取ろうとしている生徒もいたので、エペルとしても早くこの場から離れたかったのだ。

「ほら!あっちに深海のアクセサリーを売ってるお店もあるよ」
「それも見たいけど……」
「あっエペル君ちょうど良かった!寮長が君の事探してて——」

なんとかひとつの屋台まで連れ込めそうになった矢先、ルームメイトである生徒に声を掛けられる。しかもこのタイミングで寮長が探しているなどとは、非常にまずい状況だ。
しかし、自分を呼び止めた彼は言葉を続ける前に自分と妹の顔を見比べハッと息を呑んで両手を口元に当てた。

「ももももしかしてその子、彼女さん…?」
「僕の妹だよ」
「いいいいもっいもう、妹!?」
「はい!いつも兄がお世話になっています!」

妹は一歩前に出てにっこりを笑って自己紹介をした。彼はみるみるうちに真っ赤な顔になっていく。
そういえば、ヴィルに会いたいなら標準語くらいはまともに話せるようにしておけと事前に言っておいたのだがちゃんと使いこなせている。
そのことに少し感動していると間髪入れずに妹が口を開いた。

「寮長というのはヴィルさ…ヴィル・シェーンハイトさんのことでしょうか?私もぜひ一度ご挨拶をしたいのですがどこにいらっしゃいますか?」
「ユリのように美しい肌…メレンゲのような柔らかな髪…コマドリのような可憐さ…はわっ控えめに言ってしゅき……」

割とガチで会いに来た妹は“寮長”という言葉を聞き逃さなかったらしい。
自分を差し置いて目の前の彼に情報を聞き出そうと詰め寄っていく。が、片やその彼は今もまだあわあわ言いながら訳の分からないことを唱えている。彼が馬鹿にしていたイグ二ハイド生と同じ喋り方になっているのだが気付いていないのだろうか。

「ヴィル様はどこにいますか?」
「ヒェッ僕話しかけられてる??うそ?この美少女実現してるの?夢か?白昼夢か?誰か僕を殴ってくれ!!!」

痺れを切らしかけている妹の拳が硬く握られていく。この様子では本気で殴りかかるだろう。
“物理で解決”は妹の座右の銘だ。
それにしても一年前だったら迷わず手を出していたのに、一度は耐えるという事を覚えたんだな。お兄ちゃんは嬉しいぞ…!

「おめ、早ぐ答えねど——」
「探したわよ、エペル」

ついににオーバーヒートでもしたのだろうか、妹の鉄拳を喰らう前に彼は奇声を上げながらどこかへ行ってしまった。
———と、入れ替わるように現れた“ヴィル様”の声にエペルは身震いをした。

「ヴィ、ヴィルサン…僕に何か……?」
「マジフト部として試合に出るんでしょ?また日焼け止めも塗らないだろうと思って忠告にきたのよ。———アラ、その子は?」
「初めまして!エペルの妹です。兄が何時もお世話になっています!」

隣にいた妹の表情は、思わず目を瞑ってしまうほどの眩しさだった。キラキラという効果音が視認できるほどに。
片やヴィルはというと、品定めをするようにつま先から頭のてっぺんまで少女を確認し目じりをほんの少し下げた。その表情は、彼が“お気に入り”を見つけた時の表情だった。

「そう。エペルにしては立派な妹ね。それに貴方もなかなか磨きがいがありそうだわ。化粧、洋服、アクセサリー、ヘアスタイル…興味があるものはあるかしら?」
「妹はそういうのに興味ないですから!」
「お兄ちゃん勝手なこと言わないでよ!私はヴィル様のファンなんだから!今日だって素敵な靴を履きこなして…ってあれ?」

三人でヴィルの足元を見る。
彼はいつも通り、ベルトの色と合わせ赤色の差し色が入ったヒールの靴を履いている。そして革靴のそれは一点の曇りもなく磨かれている。いつも通りの完璧なヴィルの靴。

「ヘビ柄の靴じゃないだと…!?」
「は?」

顔面蒼白の妹に唖然とするエペルとヴィル。
小声で「ヘビ柄じゃなくてパイソン柄と言うのよ」というヴィルのツッコミが聞こえた。

とんでもなく空気が悪くなったこの状況。
兎も角、妹の話しを聞く。

妹がヴィルを知ったのは一冊の雑誌であった。しかしそれはファッション誌ではなく、“月刊サバイバル”というバルカス先生も御用達のものである。その後半部分のサバイバルファッション紹介のコーナーでヴィルを見たのだ。その時の衣装がヘビ柄(元いいパイソン柄)やら動物の毛皮をモチーフにしたもので妹はそれに惚れ込んだのだ。
そしてパイソン柄の靴には“普段使いもできる!”とポップな文字で書いてあったという。
そのファッションを見て彼女は思ったのだ。

えっ…この人、現地で材料を調達して一から作っているの…!?
ほんとに人間?いや、神様じゃん。ヴィル様じゃん!———と。


因みにそれらは全て本物ではなく魔法合成で作られたものである。
動物愛護法やらそれに基づく団体も存在しているのだ。服の為に勝手に野生動物を捕まえて命を奪うなど犯罪である。

日常的に害獣とも言われる猪を狩っている彼女からすると世間とのずれがあったのかもしれない。
しかし、一般常識すら欠如している妹の姿にさすがのエペルも頭を抱えるしかなかった。

「やっと本物の山の神さ会えだど思ったのに…」
「本当におめは馬鹿!今時、狩人でもそったごどすねぞ!」
「えっもしかしてアタシ置いてけぼり…?」

因みに一連の話しは方言(早口)だったため、さすがのヴィルも理解仕切れなかった。
自分のファンである同寮の妹が持つ“ヴィル・シェーンハイト”の理想を壊してしまったと思いヴィルも表情が硬くなる。
ただし、現時点においてヴィルは何一つ悪くなく、寧ろここにいる一番の被害者である。

「エペル!そろそろ試合始まるから準備に行くぞ」
「ジャッククン!」

ジャックの登場は、この場における救世主のようだとエペルは歓喜の声を漏らした。
大分お馬鹿な妹とファンの理想を演じきれなかったと思い込んでいるトップモデル。この二人の板挟みなんて死んでも御免だ。

「すみません、僕もそろそろ行きま—」
「狼!?獣人さん初めで見だ!大ぎい!かっこい!耳ど尻尾触らせでもらってもいが!?」

水を得た魚のように息を吹き返した妹は飛びつくようにジャックに詰め寄った。
確かに今までの話を聞く限り、現実的に考えると妹はジャックのような外見が好きなのだろう。
ジャックも少し困惑しながらも尻尾がブンブン揺れている。

「ちょっエペル!この子は何だ?」
「キャー!声も低ぐで素敵!あの、その筋肉だば力もありますよね!わーど腕相撲すてください!」
「まぁジャッククンなら義弟もあり…かな?」

ヴィルの頭からは後輩の日焼け事情などすっかり抜け落ちていた。
それよりも、やらねばならないことができたのである。

「……三ヵ月先までドラマの撮影はない。直近であるのは新商品の化粧品CMと冬用のジャケットモデル……少しトレーニング量を増やそうかしら」

まるで嵐のように過ぎ去っていった一人の少女により、トップモデルは人生を狂わすようになる。



二ヵ月後———
“最短マッチョの作り方”というコーナーがファッション雑誌の巻末に追加されることになった。

これにより、ヴィルのファン層は若干拡大したらしい。