それはまだあまりにも不透明

死の間際には走馬灯を見るのだと、その時になって初めて分かる。

蜜柑農家の六人兄弟の末っ子として生まれた自分は中々に恵まれた人間であった。
四つのときに長男が通う剣道場に面白半分で着いて行き偶然竹刀を握ったところ忽ちその才能を開花させた。「ぜひうちの後継人に!」と師範に言われ私は十二になるまでその道場で世話になり、「ここにいるのは勿体ない。君はもっと人の役に立つべきだ」という言葉と共に鬼殺隊の選別試験へと送り出された。
元より末っ子で女である自分はそこまで家系に影響をもたらす人間でもなく、親も「まぁ頑張れよ」と応援してくれた。実に軽い。
無事試験も終えたが私は誰の継子にもならなかった。いや、なろうとした結果拒否されたわけだが着々と実力を付けていった。そして十四になる頃には柱の次に強いとされるきのえまで階級を上げた。

今夜は数名の隊員を連れ鬼が出るという山へと赴いたところ下弦の弐と遭遇。私以外の隊員が人質に取られ分が悪い戦いをすることとなった。無事に首を落としたが勝負は相打ちと言ったところか。腹から背に貫かれた攻撃のせいで血が止まらない。隊員の姿は見えないが生きていると信じたい。なんとか這いつくばって川沿いまできたがもうこれ以上動けない。技を連発したせいで呼吸での回復も追いつかなかった。

まぁ、死ぬのは嫌だが後悔はおおよそないといえる人生だったのではないだろうか。
ただ一つ心残りがあるとすれば女の子らしく生きてみたかったというくらいか。

可愛い小袖を着たかった。
華道や茶道なんかも習ってみたかった。
恋愛の一つもしてみたかった。
好きな人から櫛を貰えたらなんと嬉しい事か。

今世は無理そうだから来世に期待しよう。
さらば、私。


「ねぇ、生きてる?」
「っぶはぁぁああ!?」

三途の川を渡ろうとした時、顔面に水をぶっかけられ現世へと引き戻される。
腹と背は痛いし、身体は鉛のように思い。しかし回復の呼吸を意識もない中継続していたころをみると、どうやら私はまだ死にたくなかったらしい。

「生きてるなら早く言ってよ。手間取らせないで」

霞む視界に映るのは、髪の長い人物。声は中性的。
鬼殺隊なら誰もが知っている柱の一人。
霞柱 時透無一郎———

「す…みま……せ………ほかの、…たい……」
「喋らなくていいから呼吸に集中してもらえる?僕が時間を割いてまで助けに来てやったのに死ぬなんてそれこそ無駄」

彼に言われたことを聞き入れ呼吸に集中する。
身体の痛みと共に抱き上げられたかと思うとそのまま肩に担ぎ上げられた。

「ぐっ…!うっおぇっ!」
「ちょっと血吐かないでよ。藤の家まで連れていくからそれまで死なないでね」

時透さん、私腹に穴が空いてるんですよ。ついでに言うとあばらも折れてます。今折れた骨が肺にかすった気がしました。重症なことくらい一目でわかりますよね?助けに来ていただいたことには感謝しますし、その小柄な体で私を担ぎ上げられるのは尊敬しますがもう少し優しさってものはないのでしょうか。

「あ…、の………」
「うるさい。それ以上話したら捨ててくから」
「………」

また意識が朦朧としてきた。
目が覚めたら天国のお花畑か布団の上か。
東から昇る朝日を視界に捉え、瞼を閉じた。





目が覚めるとイ草の匂いがする部屋の布団の上に寝かされていた。お花畑でなくて一安心。
意識が戻ったことを確認されると、治療のために胡蝶さんがいる蝶屋敷へと運ばれた。
そして機能回復訓練も追え、二週間でまた動ける身となった。



「先日はお世話になりました。これ皆さんで食べてください」
「えぇ!いいんですか?ありがとうございます!」

退院して一週間後———私は再び蝶屋敷へと訪れていた。
今日は先日お世話になったお礼にと蜜柑のおすそ分けにあがった。
私がしばらく寝たきりだったと知らせを受けると実家から大量の蜜柑が届けられた。「寝込んだ時には蜜柑だよ!」と手紙が添えられていたが寝たきり=風邪と勘違いしている家族は暢気なものである。

「胡蝶さんはいらっしゃいますか?」
「今は奥で診察に当たっていまして……お呼びしますか?」
「いやいや!お忙しいなら大丈夫です。よろしくお伝えください」

三人の女の子たちにお礼を言い、蝶屋敷を後にする。
彼女たちに渡した大量の蜜柑とは別に腕の中には風呂敷に包まれた蜜柑がまだ残っていた。これは時透さんに渡す分である。私が藤の家で目覚めた時にはすでに彼の姿はなかった。随分と雑な運び方であり、胡蝶さんにも「それでよく生きてましたね」と驚かれたが命の恩人には変わりない。因みに私と一緒にいた隊士たちも無事に保護され全員の生存が確認された。私が腹に穴を空けたのも無駄ではなかったというわけだ。

今回の様に先陣を切って戦うこと多い私が誰かに助けられたのなんて初めての事だった。だからこそしっかり感謝の言葉は伝えておかねばと思った。

霞柱への屋敷を訪れたが随分と静まり返っている。が、人の気配がないというわけではない。主に鬼殺隊は鬼が活発に活動する夜に働くわけではあるが今は午後の三時。ついでに昨日は柱合会議があったそうだから今日はまだ屋敷にいる可能性が高い。

少し緊張したまま門をくぐり、戸に向かって声を掛けるが返事はない。もしかしたら道場にいるかもしれない。申し訳ないと思いつつ庭を通り裏手に回った。
次第にヒュンという風を切る音が大きくなってくる。窓格子越しに除くと木刀で素振りをする時透さんの姿があった。

刀を握って二ヵ月で柱まで昇格した天才と言えども努力はしてるんだな、と偉そうにもそう思った。それにしても霞の呼吸は独特だ。風の呼吸からの派生だが、掻き切るような荒々しさよりは研ぎ澄まされたような鋭さがある。

「あ……」
「何やってるの?」

ついつい見入っていたらばっちり目が合ってしまった。普段の時透さんは感情をあまり表に出さない人だが、今不機嫌であることは一目でわかった。
さすがに窓越しでは失礼かと思い道場の入り口まで回るとすでに彼もそこに移動していた。

「姿が見えず勝手に入りすみませんでした。先日助けていただいたお礼を言いたくて来ました」
「お礼?」
「下弦の弐との戦いで動けなくなっていた私を藤の家まで運んでいただきありがとうございました」
「……あぁ、あの時の。別に、それが任務だったからやっただけだよ」
「それでも貴方は命の恩人です。これうちの実家で育てた蜜柑です。もしよかったら召し上がっ」
「いらない」
「え?」

時透さんはすでに私への興味をなくしたのか道場真ん中へと移動し素振りを再開し始めた。
大量に送られてきた蜜柑の中から取り分け形と色の良い物を選んできたのにこれは解せない。うちの蜜柑は京都の料亭でも取り扱われるくらい上質なものなんだから。

「日がよく当たる場所で育ててるので甘くて美味しいですよ!」
「剥くのがめんどくさい」
「それなら、」
「邪魔。出てって」

いくらか食らいついてみたが聞く耳持たずといったところか。
しょうがないので屋敷を後にする。

感謝の言葉を伝えるのは大切なことだと思う。
私は周りに進められるがまま鬼殺隊に入ったわけだが、今となっては鬼を倒したことでお礼を言われることを糧として戦っている。ここに居る人達の中には親や兄弟を鬼に殺されたりと明確に鬼を恨んで戦う人が多い。しかし私は鬼に身内を殺されたというわけでもない。人に感謝されたいがために戦うなんて、あまり誇れたものではないのだがそれが本音である。というかお礼を言われて嫌な気持ちになる人なんていないのではないだろうか。

「久しいな」
「あっこんにちは冨岡さん」

とぼとぼと足元を見ながら歩いていると懐かしい声に名前を呼ばれた。
珍しい半々羽織は変わらずに、相変わらず表情は乏しいが私の尊敬する人である。

「胡蝶のところで休養していると聞いたがもう大丈夫なのか?」
「先週に退院してもう任務に勤めています。ご心配ありがとうございます」
「下弦の弐を倒したそうだな。よくやった」
「ありがとうございます……でも自分は大怪我を負ったのでまだまだです」
「隊員を庇ったからだと聞いたが」
「それでもまだまだです。ということで私を冨岡さんの継子にしていただけませんか?」
「断る」

これでフラれたのは通算四十二回目である。
私は水の呼吸の使い手ではあるが師は冨岡さんとは違う。水の呼吸は技が基礎に沿ったものであり使い手が多く存在する。その訳あって私を指導してくれた剣道場の師範も水の呼吸の使い手であった。元鬼殺隊ではあったが柱に成れるほどの腕はなかったそうだ。でも教えるのはうまく、基礎はきっちりと教え込まれた。しかしできる型は漆ノ型—雫波紋突きまでである。そのため冨岡さんの継子になりたいのだがどうにもそれが叶わない。

「教えてくれとは言いません。せめて看取り稽古をさせてほしいんです」

柱の継子となれば任務があった際に率先してその人の補助に付ける。継子でない隊士は上からの命により任務を割り当てられるのだから冨岡さんと一緒に働ける機会は少ない。また、同じ水の呼吸の使い手であるが私の階級が甲であるためにそれ以下の隊士達をまとめ警備に当たらされるものだから一層同じ任務にあたることがなかった。

「俺がお前に教えられることはない」
「だから見て盗みます」
「お前はすでに綺麗な型ができている」

いやいや型の種類の問題なんです、と言いたかったが埒があきそうにないのでこちらが折れることにした。ついでに彼の前に風呂敷包みを差し出す。

「これうちの実家で育てた蜜柑です。よかったら貰ってください」
「いいのか?」
「はい。甘くて美味しいですよ」
「ありがとう」

あ、笑った。
時透さんも冨岡さんももっと感情を表に出せばいいのに、と思ってしまう。まぁ二人の過去は知らないがきっと私みたいな成り行きとしょうもない理由で鬼殺隊をやっているわけではなさそうだからそれも難しいかもしれないけど。

「では私は今夜も任務があるので失礼します」
「あぁ。気を付けてな」
「ありがとうございます」


お礼を言う事は大切だ。
何故なら、今日言葉を交わした人が明日にはいないかもしれないから。
だから私は悔いを残さぬよう、ひとつひとつ言葉にするのだ。





任務に向かうときは何時だって緊張する。
しかし今夜の私はより一層緊張している。選別試験へ送り出された時以上に緊張しているかもしれない。

「絶対に僕の足は引っ張らないでね」
「はい……」

今夜の任務で時透さんの補助に付かされた。今までだって柱の同行をしたことはある。
胡蝶さんと一回、甘露寺さんと二回、煉獄さんと二回。三人とも柱という威厳や実力は確かにあったが比較的友好的に接してくれたのでこちらとしてもやりやすかったのだが、時透さんとは先日の事もありどう接したらいいか分からない。
しかも、今回は時透さんが私を同行者に指名してくれたらしい。それは実に光栄であり嬉しい事だが、理由が分からないので少し怖い。

「立て続けに下弦の鬼が二体やられた。そのせいで雑魚鬼が集団となって暴れまわっていると情報が入ってきてる。下弦の手中にあった土地が雑魚鬼の餌の狩場になってるってこと」

もっと存在を無視されるか思いきや以外にも色々と説明してくれる。私は彼の後を走りながら後れを取らないよう見通しの悪い林の中を抜けていく。

「鬼の出現場所は絞られていますか?」
「アテはある」

鬼殺隊内で警備担当地区を振り分けたとしてもそれを全て守るのは難しい。特に人里離れた場所は疎かになる。被害が出てから動くのは実にもどかしい。
半刻ほど林の中を走ると開けた場所に寺が見えた。戸は壊され壁には穴が空き、床には黒いシミのようなものがこびり付いていた。それが何時のものかは今考えたところでしょうがない。

「ここですか?」
「分からない。だから君に囮になってもらう」
「へ?」

間抜けな声を出したまま間抜けな顔をしたら、彼は淡々と言葉を繋げた。

「無駄な時間は使いたくないんだ。鬼にとって若い女は美味しいらしいよ。丁度いい」

彼の言う事は一理ある。だけどもう少し探索してからでも遅くはないんじゃないだろうか。

「あの、もう少しなんかこう……」
「僕は命の恩人なんでしょ?その人の言う事が聞けないわけ?それに僕の方が君より階級が高いんだけど。そこの陰に隠れてるから早く金切声で鬼を呼び寄せて」

異を唱える隙もないまま彼は姿を消してしまった。
彼の言う事は正しい。だけど、何かこう……思いやりと言うか仲間意識というか、人間味が欲しいところである。
ここまできたら彼の言う通り動くしかない。出来るだけ鬼を一カ所に集めるため、血の臭いが残る寺に踏み入り、背に日輪刀を隠す。顔だけ外に出して思いっきり声を張り上げた。

「きゃああああああ!!鬼に襲われるー!!嫁入り前なのに死にたくないよぉぉおおお!!!!」

金切声と嫁入り前という言葉で若い女アピールをしてみたが如何なものか。因みにこれは私の本音でもある。
その後も様子を見ながら叫び声を繰り返す。
すると徐々に何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
一、二、………とりあえず十体か。

部屋の奥に引っ込み様子を見ていると四方から壁を壊され一気に鬼に囲まれた。

「ほぉぉ!若い女だ」
「美味そうな匂いがするなァ」
「目玉をくれ!俺は人間の目玉が好きだ!」
「テメェは昨日喰っただろう?今夜は俺に譲れ!」

出るわ出るわ鬼鬼鬼。
ボロボロの壁を引き裂くように鬼がみるみる押し寄せてくる。
というかそこそこ引き付けてるのに一向に時透さんが来てくれないのだが。

「俺に喰わせろォ!!」

水の呼吸 参ノ型—流流舞い

連撃を繰り出し手前から順に鬼の首を切り落とす。

女である私には甘露寺さんのような筋力があるわけでもない。そして水の呼吸も漆ノ型までしか知らないのだから技の種類が豊富なわけでもない。
そんな私が何故、甲まで辿り着いたかというと五感を使い敵の弱点を突いているからだ。五感と言っても全てが常軌を逸するほどの敏感さを持っているわけではないし、一度に気を使えるのは二つまでだ。例えば目で鬼の筋力を見極め、耳で血液の流れを拾う。そしてもっとも体の筋力がほぐれたタイミングで急所を狙う。一振りで難しい場合は二度素早く首に攻撃を打ち込む。二度でも駄目なら四肢を斬り落とし次の機会を狙う。

漆ノ型—雫波紋突き

粗方鬼を切り倒したところで柱が軋む音が聞こえた。
漆ノ型で天井を打ち抜き外へ飛び出す。
ボロい建物はすぐさま崩れ落ち鬼を下敷きにした。私のお給料が貯まったらこのお寺を立て直すから許してくれ。

鬼の臭いがまた濃くなった。ここにいる奴ら以外にもまだこちらに向かってくる鬼はいそうだ。
それにしても時透さんはどこへ行ったんだろう。

彼の姿が見えぬままさらに建物の周囲に集まってきた鬼を倒していく。
私との力量差に観念した鬼には、せめてもの救いに伍ノ型でその命を奪った。

さて、見える範囲の鬼はすべて倒しきったわけだがまだすっきりしない感覚がある。それは聴覚がそう判断したのか、臭覚がそう捉えたのかは分からないがおそらくまだ鬼はいる。しかもそれは今倒した奴よりは強そうだ。

「時透さん!どこに行かれてたんですか?」
「全部片付けた?」

風の揺らぐ気配がして声を掛けられるよりも早く振り返り本音をぶつけた。ずっと姿を消していた時透さん。今さら現れて来て何でぼんやり立ってるんだ。

「……君、今僕の存在に気付いたの?」
「え、えぇ」
「ふーん」

聞いてきた割には薄い反応であるが、とりあえず戻って来てくれたことに安心する。一人で不安だったわけではないがこれでも二人で任務にあたっているのだからちゃんと仕事はこなしたい。それに柱が戦う姿は勉強になるから出来れば見たいものである。

「鬼、まだいますよね?」
「うん。あと十一…十秒でこっちに来るから」

徐々に肌を突き刺すようなピリピリとした感覚と鼻奥にツンとした臭いが襲う。それが昇華性の毒だと気付き袖で口元を覆い息を止めた。肺の残りの酸素からとりあえず三分は持つ。技は五つ繰り出すのが限界かもしれないが。

木をなぎ倒し現れたのはゴミの塊のような、私達の倍の背丈がある鬼だった。毒云々より普通に臭いを嗅ぎたくない風貌である。ここで戦った鬼の中では強い方だが下弦にも満たない雑魚鬼である。柱の手を煩わせるのも申し訳ない。無駄を嫌う時透さんの機嫌が悪くならないうちに私が仕留めるか。

霞の呼吸 伍ノ型—霞雲の海

私が踏み切るより先に靄に視界が覆われる。
時透さんの攻撃と認識するのと同時に目を凝らす。高い斬撃密度の超高速連撃が放たれているように思える。その斬撃で毒も散らされる。
視界が晴れる頃にはすでにそこに鬼の姿はなく、時透さんが刀を鞘に戻す背中だけが見えた。

「さっきの戦いみてたけど」
「え?あ、はいっ!」

見とれていたのは恥ずかしい。
しかし彼はそのことには気づいていなかったのか私の方を振り返り淡々と言葉を続けた。

「君、今まで努力してこなかったでしょ。噂に聞くほどの人間じゃなかったね」



自分に才能があることは自覚している。
でもだからと言ってそれだけで生き残れるほど楽な世界ではない。

師範には自信と自惚れは紙一重だと教えられた。
走り込みのし過ぎで血を吐いたこともあった。
水の呼吸の技を制御できず自身の骨を折ることもあった。
初めて目の前で仲間が殺された時、私はその後五日間不眠で片っ端から鬼を狩りに行った。

努力してきたつもりだ。
そう、 つもり、、、

心当たりがあったからこそ、私は時透さんに言い返すことができなかった。





煉獄さんが亡くなった。

彼は、とても強い人だった。
柱としての実力はもちろん誰よりも熱く、誇り高き精神を持つ人だった。
炎柱の名に相応しい人だった。

柱の一人が倒されたとあって甲ときのとの者にある指令が下された。
『三日間、柱一人の継子になれ』
しかも私達の方から希望を出せば誰の継子としても受け入れてくれるのだそう。これは岩柱の悲鳴嶼さんの案らしく、鬼殺隊の全体強化の前にまずは力のある者から鍛え上げたいらしい。
私みたいに喜ぶものもいれば、勘弁してくれと嘆くものもいたが上からの命とあっては従うほかない。

「本日から三日間お願いします」
「また君?」

少し前の私ならきっと冨岡さんの継子になりたがったのだろう。
しかし私が訪れたのは時透さんのいる霞柱の屋敷である。

「時透さんにご指導いただきたくて来ました」
「別に君が来るのは勝手だけど僕は面倒見ないからね」

柱内でこの期間限定の継子制度を決めたらしいが一部賛成をしなかった人たちもいたらしい。その多忙な任務上、敢えて継子を作らない人もいるのだから分からなくもない。冨岡さん、伊黒さん、不死川さん辺りがその例である。まぁ作らないというよりは稽古があまりにも辛く、ほとんどの者が逃げ出すからいないらしいが。
この期間限定の継子に乗り気ではなかった時透さんは安定の塩対応ではあるがとりあえず追い返されなくて良かった。

先日の同行任務での彼の言葉で、私は今まで見て見ぬふりをしてきた事と向き合った。
私は水の呼吸を使う事は出来るけれどそれを極めることは出来ない、のだと思う。
以前、自分でも型が作れないかと色々と試してみたことがある。しかし実践で使えるような型までにはならなかった。
生まれた頃からそれなりの才能があってだからこそ型の真似だけをして、さも自分の呼吸であるかのように思い込んでいた。以前、冨岡さんに言われた「綺麗な型」というのは教科書通りの型と言う意味で、そこに私が在るわけではない。

水の呼吸じゃ駄目だ。
でも、どうすればいいのか分からない。
だからそれを気付かせてくれた時透さんのところに私は来た。

これは私の事だから、教えを乞いたわけではない。でもやっぱり私は末っ子のあまちゃんなのでヒントの一つくらいは貰いたいものだ。
幸い、彼の継子に志願したのは私一人である。まずは彼と仲良くなることから初めよう。階級は上であれ私と同い年なのだからどうにかなるだろう。

継子生活一日目———

とりあえず時透さんの後ろを着いて回る。
手合わせをして欲しいと言ったら全力で逃げられたので全力で追い回してたら昼が終わった。何とも無駄な時間を過ごした気もするが基礎体力が向上した気がする。
夜は担当地区の警備に行くと言ったのでもちろん着いて行った。鬼とも遭遇しない満月の綺麗な夜だったので『宵待草』を歌っていたら無言で睨まれた。恋柱の甘露寺さんだったら喜んでくれたのに。

朝陽が昇り始めた頃、二人で屋敷に向かっていると冨岡さんと出会った。
「霞柱のところに行ったのか?」と聞かれたので頷いたら少しだけ悲しい顔をされた。そんな冨岡さんに「この人引き取ってください」と言って私を置いてこうとした時透さんにしがみ付いて帰路に着いた。

継子生活二日目———

三日間と言えども継子期間中は同じ屋敷に住むわけで、屋敷のものは自由に使っていいと言われたので朝食を作ってみた。普段は家政婦さんが食事洗濯などをしてくれるらしいが知らずに二人分作ってしまった。「知らずに作ってしまいました」と言えば意外にも無言で食べてくれた。特にふろふき大根を美味しそうに食べてくれた気がする。「これ、まだないの?」と聞かれたので代わりに蜜柑を差し出したら突き返された。

朝食を作ったのが功をなしたのか、時透さんが稽古をつけてくれることになった。といっても戦闘用絡繰人形の如く時透さんに技を打ち込まれるだけだった。でもやはり、間近で見る霞の呼吸の型は勉強になった。何度か彼の技を真似てみるも水蒸気のようなものが視認できる程度で“型”と言えるほど立派なものにはならなかった。でも何か近いものを感じる。霞の呼吸ではないけれど何か作れそうな気がした。

骨は折られなかったが体中がミシミシと痛い。でも夜は時透さんの警備へと着いて行った。雑魚鬼と遭遇したので水のような柔軟性と時透さんのような無駄のない動きを混ぜた動作で鬼の首を斬ってみた。首は落せた。時透さんは全ての鬼を私に斬らせてくれた。

継子生活三日目———

家政婦さんが作った朝食にふろふき大根がなかったので朝から作らされた。理由はどうあれ彼との会話は増えた気がする。
鬼が出るという情報を受け、昼から鬼出没の町まで向かっていた。「お団子美味しそうだな」と甘味屋の前で言ったら時透さんが寄ってくれた。みたらし団子を二人で食べたらなんと時透さんが私の分までお会計してくれた。「ありがとうございます」と言ったら「めんどくさかっただけだから」と言われたのでもう一度「ありがとうございます」とお礼を言った。

夜になった。
夜道を歩いていた兄妹が鬼に襲われていた。鬼は二体いた。一体の鬼がやられたのを見てもう一体は妹だけを攫おうとした。風よりも早く、雷よりも鋭い斬撃を、私と時透さんは同時に鬼に叩き込んだ。その瞬間、辺りが白く包まれた。それは霞よりも濃い白で、一瞬で晴れてしまったけれどその光景が脳裏に焼き付いた。

助けた兄妹にお礼を言われた。時透さんは無言だったので私が代わりに挨拶をした。「どうして何も言わなかったんですか?」と聞いたら「それが仕事だから」と言われた。だから私が「ありがとうございます」と言った。「何で君が言うの?」と聞かれたので「私の好きな言葉だからです」と言ってみた。「時透さんにもこの言葉の大切さが分かったら嬉しいです」と付け加えたら彼の匂いが変わった気がしたのでそれ以上は言葉を交わさなかった。

継子生活を終え、最後にお礼を言うために時透さんを探しているとやはり道場にいた。

「三日間お世話になりました」
「僕は何もしてないよ」
「私は与えてもらうために来たのではなくて、見つけるために来たので十分です」
「あっそ」

また素振りを再開させた時透さん。
その背中にしつこくももう一声掛けてみる。

「ふろふき大根作っときましたから!」

時透さんはピタリと動きを止めた。

「蜜柑も居間の机に置いておきましたから!」

無言で素振りを再開させられた。





音柱の宇髄さんが怪我の為、引退を余儀なくされた。

私宛にお館様から手紙が届いた。
柱に成らないか、と。

とても嬉しいお誘いだが、まだいい返事はできそうにない。
期間限定の継子経験で掴めたものはある。
それらしい型は出来つつあるがどれもあと一歩何かが足りない。

お館様も私の今の状態は少なからず把握されているはずだ。そうでなければ冨岡さんがいる今、水の呼吸の使い手である私を柱として着かせないだろう。

立て続けに柱がいなくなり、鬼殺隊の士気と統率を高めるためにも新しい柱はすぐにでも必要だろう。お館様の期待に応えるためにも早く自分の呼吸を身に着けたい。
するとここ最近日輪刀の色が変わってきていることに気が付いた。
水の呼吸を使っていたころは日輪刀の色は青色だったのにその色がここ最近では薄くなっていた。

刀の事は刀鍛冶に。
ということで刀鍛冶の里まで向かう事にした。
里まで行くには隠の方に運ばれながら向かう事になる。そういえば甘露寺さんと時透さんも刀関係で里の方まで出向いていると冨岡さんが言っていた。その時、「調子はどうか?」と聞かれたので「迷走中です!」と元気に答えておいた。多分、冨岡さんは私には水の呼吸の他に合う呼吸があることに気付いていたんだと思う。「頑張れ」と言ってもらえた。

耳栓、鼻栓、目隠しをされながら運ばれていたら、いきなり重心が歪んで地面に転げ落ちた。慌てて全て取り外すと私を運んでくれた隠の人が血を流して倒れていて、遠くでは煙が上がっており破壊される音があちらこちらで聞こえていた。

魚のような鬼が地を這うように襲ってきたので日輪刀で叩き切った。感触からしてこれは血鬼術により創り出されたものだ。嫌な気配もしたので近くにあった壺も念のために叩き割っておいた。

隠の人の傷の手当てをし、彼女を背負って煙が上がっている方へと向かう。きっとあれが刀鍛冶の里だ。鬼の襲撃と考えるならばきっと上弦の鬼に違いない。ここを探し当てられるのは雑魚鬼ではまず無理だ。
日輪刀の色は変わってしまったが、刃こぼれしているわけではない。まだ自分の呼吸は見つけられていないが戦える。


まず血と生臭い匂いが鼻に付き、次に崩れ落ちたアバラ屋が目に付いた。
と同時に大量の小魚が宙を泳ぎ、霞の残層が見えた。
時透さん、と気持ち悪いキラキラしたおっさんが木の上にいる。あれが鬼か……強い鬼ほど知性が高いイメージだがその分変わり者も多いらしい。

暢気にそう思っていると鬼が素早い速度で動く。時透さんの動きを追う前に、彼等の傍にいたお面を被った少年と傷だらけの男の人を見つけ鬼の攻撃をいなすために間に割り込む。

「時透さん!これ上弦の鬼ですか!?」
「丁度いいところに来たね。彼等を頼むよ」

時透さんの顔には痣のようなものが浮き出ている。しかしそれよりもまず時透さんが笑ったことに驚いた。話し方も雰囲気も、匂いも動作も依然と違っていた。彼という存在が、時透無一郎という人間が存在していると実感できた。

保護した二人と背負っていた隠の女性を木の陰に隠す。
というか男の人の方は血を流しながら手を止めることなくずっと刀を研いでいる。色々と大丈夫なのだろうか。

「お前ら食ってアイツを殺す!!」

趣味の悪い姿をした鬼が一瞬にしてこちらまで距離を詰めていた。
時透さんの傍には鬼の抜け殻みたいなものがある。それを身代わりに標的を私達に変えたのか。

この時、私の時間は他の人の百分の一くらいゆっくりと進んでいるように思えた。
全ての動作は鈍く感じられ、それと反して頭は驚くほど冴えていた。

すぐ後ろには三人の人間がいる。刀は大きく振りかぶれない。
助走をつけるには鬼との距離が近すぎる。
鬼の弱点である首は、奴の血鬼術である小魚が守っている。斬れないこともないがその間にまずは男の子が食われるだろう。

冨岡さん、次に時透さんの型が脳裏に浮かぶ。
でも刀を振り形作るのはどちらにも当てはまらない型。

刀を下からすくい上げる。
最も早くこちらまで伸びてきた鬼の手首を刃で撫でる。
瞬間、一気に刀を上に持ち上げながら薙ぎ払う。
宙に舞うは白の煙と血しぶき。
続いて身をかがめ、下半身を撫でるように一振りで断つ。

鬼の首は頼みます、時透さん。

「彼女、強いでしょ?俺の継子なんだ」

霞の呼吸 漆ノ型—朧

包み込むは淡い霞。

「……桃源郷?」

お面を着けた小さな刀鍛冶さん。
ここは残念ながら血生臭い現世です。
でもそう思えるほどの景色に見えたのなら、これは私の呼吸と呼んでいいでしょうか。
時透さんも認めてくれたみたいなので。

「くそオオオ!!!」

首を斬り落とされてもまだ口減らずだった鬼は、時透さんが頭を叩き斬ったことでようやく消えた。
相変わらず血を流した男の人は刀を研いでいたが、心配した男の子が私達の方まで駆け寄って来てくれた。
皆で勝利を喜んでいたら、時透さんがみるみる青ざめていって泡を吹いて崩れ落ちる。
咄嗟に彼を支えたが立っているのもやっとのようだ。

「刀……炭、治郎……届けないと」

譫言の様に繰り返しながらそれでもヨタヨタと歩き出す時透さん。私がいないと立つこともできず、気を失ってもおかしくないほどの流血。加えて疲労が大きいはずだ。彼が今動けているのは気力と使命感なのだろう。

「俺が、届けないと……俺しか…」
「私を頼ってください!」

この人は周りの事をよく見ているけど、結局いざとなった時に助けを求めようとはしない。全部ひとりで何とかできると思ってる。ひとりで何とかできないから私達は鬼殺隊という仲間や刀鍛冶、藤の家の皆さんに支えてもらっている。そのことに気付いてよ。
私が声を荒げたことに驚いたのか、ずっと前しか見ていなかった時透さんが顔を上げた。

「大怪我してる時透さんより私の方が動けます!役に立てます!人の心配してる暇があったら呼吸に集中して!無駄口叩くな!」
「ちょっ、まっ……う゛、うぇっ!」

いつかの時とは逆に、手負いの時透さんを労わりもせずに背負いあげた。
実はあの時優しくしてくれなかったこと少しだけ恨んでました。これでお相子ですよ。

時透さんはきっと研がれているあの刀を炭治郎という人に届けようとしている。確か鬼の妹を連れていて額に痣のある子だ。私自身面識はないが彼は鬼殺隊の中ではちょっとした有名人だから知っている。

「この刀、借りますね!」
「あぁ!?ふざけるなガキ!それはまだ第一段階までしか研いでない!」
「今はそれどころじゃないんですよ!時透さん!炭治郎さんという方はどこにいるんですか……って気を失ってる!?」
「あの、僕案内できます!」
「じゃあ道案内をお願い!小さな刀鍛冶さん!」
「待てくそガキ!!!」

隠の女性はもう大丈夫と言う事で里の人間を避難させるべく自力でそちらの方角へ向かって行った。
小さな刀鍛冶さん、名を小鉄という少年の道案内により時透さんを背負って炭治郎さんの元へ向かう。後ろから血だらけで追いかけてくる般若の顔をした鋼鐵塚さんはぶっちゃけ鬼よりも怖かった。



無事に炭治郎さんへ刀を届け、彼が上弦の肆を倒した。
また、後から知ったのだが時透さんがずっと戦っていたのが上弦の伍だったらしい。そういえば瞳にそう書いてあった気がする。その時はそれどころではなかったけど。

上弦の月を二体倒せたのは大きい。
しかし、その分被害も小さくはなかった。

刀鍛冶の皆さんは里を移し、怪我を負った者たちは蝶屋敷で治療を受けることとなった。

時透さんの体は案の定ボロボロで、肺には水も入っていたらしい。
そして三十九度以上の熱が下がらず、意識が戻らないため面会謝絶の状態だった。でもどうしても一目顔が見たくて、アオイさんに駄々をこねまくって十分間の接触が許された。ここで末っ子芸が生きるとは思わなかった。

重症の彼には個室が割り当てられていた。会えると言っても寝ているから言葉を交わせるわけじゃない。
ただの自己満足だけど、時透さんにはすぐにお礼を言いたかった。
上弦の伍と戦った時、私は確かにあの時自分の呼吸を見つけられた。

「ありがとうございます。時透さん」
「ん……」
「時透さん!?」

瞼がピクピクと動いている。寝かせといた方がいいのだろうか。でもここに来てからずっと意識がなかったと聞く。
彼の手を握り、恐る恐る頬を撫でる。顔に張り付いた彼の髪をよけ汗を指先で拭うとゆっくりと瞼が持ち上げられた。

「兄さん…ゆう、いちろう……兄さん」

時透さんにお兄さんがいたんだ。
彼の瞳は揺れている。おそらく現実と夢の縁にいるのだ。
なんて返事をしたらいいのか分からない。代わりに彼の手を強く握りしめた。

「手、離さないで……あのとき、最期…ごめ……」
「時透さん、最期じゃないです。私はここにいますよ。ずっと待ってます。手は放しません。休んでください」

彼のお兄さんだったらなんて声を掛けたんだろう。
そんな事はもちろん分からないから私の気持ちをそのまま伝えた。こんなところで死なないでくださいよ。時透さんに話したいことは、まだまだたくさんあるんですから。

静かに目を閉じた時透さんは、年相応の男の子に思えた。
自分が昔風邪をひいたとき、兄弟の誰かが必ず傍に居てくれた。兄が熱いお粥を冷まして食べさせてくれて、姉が寝間着を変えてくれた。他の兄弟達も代わる代わる私の様子を見に来て世話を焼いてくれた。本当は全部一人でできたけどその優しさが嬉しくて私は甘えていた。時透さんのお兄さんはいない。でもきっと彼の事だから今まで人に甘えた事なんかなかったんじゃないかな。私が今まで兄弟達から注いでもらった愛情を彼に分けてあげたいと思った。

「もう面会時間は終わりですよ」
「胡蝶さん、私に時透さんの看病をさせてもらえませんか?」
「カナヲに続き貴方もですか?」

時間を知らせに来た胡蝶さんにそう申し出たら、呆れたような顔をされた。どうやら胡蝶さんの継子が炭治郎さんの看病をしているらしい。
胡蝶さんには「看病の他にやることがあるでしょう?」とチクチク言われたが私も簡単には引き下がらなかった。胡蝶さんには末っ子芸の駄々をこねるが通用しなかったのでめちゃくちゃ頭を下げて頼み込んだ。

「夜の警備は時透さんの担当地区も見ますし、蝶屋敷の皆さんにも迷惑はかけないのでお願いします!」
「しょうがないですね……では熱が下がるまでは任せます。でも貴方は柱候補でもあるのですからここでいつまでも油を売っていてはいけませんよ」

ありがとうございます。でも時透さんの看病以上に大切な事なんて今はないんです。





「口当たりの良いものをと思い蜜柑寒天を作ってみました!はい、あーん」
「あーん……」

額に乗せる手ぬぐいを変え、身体を拭き寝間着の替えも行った。熱はまだ下がらないが汗をかいているということはその分体が内側で戦っているというわけで、回復に向かっていると信じている。時折目を覚ますので、その時に何とか上体を起こしてもらい水と食べ物を胃に入れ胡蝶さんお手製の薬を飲んでもらう。

「では次は薬です」
「苦いやつ……」
「良薬は口に苦しですよ」
「うぇぇ……」

この時の時透さんはちょっと可愛い。
私に弟がいたらこんな感じだったのだろうか。今までずっと人に甘えてばかりだったけれど、甘やかすのも悪くない。将来的に自分にも継子ができたら存分に甘やかそう。

三日間ほどで時透さんの熱が下がった。明日には機能回復訓練には移れるんじゃないかと胡蝶さんが話してくれた。
これで一安心だ。

次は自分のやるべきことをする番だ。

「冨岡さん、お願いします!」
「あぁ。……大丈夫か?すごい隈だぞ」
「大丈夫です!休んでいる暇はありませんから」

時透さんの容態が落ち着いたら手合わせをして欲しいと冨岡さんにお願いしていた。しかし、ただの手合わせではない。真剣を使った本気のやり取りだ。

「じゃあ俺が見てっからな。ヤバくなったら止めるからド派手に殺りあえよ」
「治療もするから任せてね!」
「おにぎりもたくさん作ってますからね!」
「それは今必要ないでしょう!」

元柱の宇髄さんとその三人のお嫁さん達には見届け人をお願いした。
私は柱になる決意をした。
でも甲としての実力が得られていたのは水の呼吸を使っていた時の私だ。だから新たに習得した自分の呼吸が柱に相応しい物か見てほしくて冨岡さんに手合わせを頼んだ。今回は真剣を使うのだからお館様にも許可を得るため鴉を飛ばすと宇髄さんを見届け人として付けるならいいというお返事を頂いた。

時透さんの看病をしている間も稽古は怠らなかった。胡蝶さんも言葉には出さなかったが柱が二人欠けた事を気にしている。そして私に期待をしてくれていることも。
でも私が欠けた二人の補充として柱に成るだけじゃ駄目だ。だからこそ現柱である冨岡さんに、引退を余儀なくされた宇髄さんに認めてもらわなければ意味がない。

「始める前にひとつ聞いてもいいか?」
「何でしょうか?」
「何柱になりたいんだ?」
「霧柱です。水の呼吸からの派生になりますが霞の呼吸の影響を強く受けています」
「なるほど」
「おい、始めるぞ」

互いに向き合って刀を抜く。
呼んだのは冨岡さんと宇随さん達だけのはずなのに、周囲からの視線がむず痒い。他の柱の方も何人か遠くから私達の事を見ているようだ。

「お願いします」
「手加減はしない」

霧の呼吸 壱の型———
水の呼吸 壱の型———

風が止み、音が無くなり、静かだが確実な命のやり取りが始まった。



真剣で手合わせした結果、二時間余り全力で冨岡さんとぶつかり合った。
本当に手加減なかった。本気で死を覚悟した。冨岡さんが強すぎて少し自信を無くしたが、冨岡さんと宇髄さん達に認めてもらうことができた。最終的には甘露寺さん、伊黒さん、悲鳴嶼さんもその場に姿を現し実力を認めてもらえた。甘露寺さんから「不死川さんも筋がいいって褒めてたわ」とこっそり教えてもらった。

寝不足だし、身体の節々は痛いが柱と認めてもらえた嬉しさで疲れは全く感じなかった。しかし打撲や切り傷、それと所々骨にヒビが入っているようだったのでその足で蝶屋敷へと向かう事にした。

西の空が茜色に染まりかけている。時透さんも今の時間なら落ち着いて会えるかもしれない。そう思いながら歩いていると目の前から速度を上げて近づいてくる人影が見えた。

「あっ時透さん。もうだいじょ……ッい、いひゃい!痛いですよ!」
「君さぁ!何で勝手にどこかに行ってるわけ?」

もう走れるようになったんですねと思ったのも束の間、そのまま勢いよく目の前まで来られ頬をつねられた。

「俺の看病してたんじゃないの?ようやく熱が下がったと思ったらいないし!それに俺がいない間に柱に成ろうと特訓して?それで真剣で柱と手合わせとか馬鹿じゃないの?」

昨日まで見ていた可愛いらしい時透さんはどこに行ってしまったのでしょうか。しかも看病も稽古も頑張ったのに馬鹿呼ばわり。今の私の姿を見たら他に言う事はないのでしょうか?
なんか物凄く腹が立ってきた。

「強くなろうとして何が悪いんですか?時透さんだって私は努力してない人間だって言ってたじゃないですか!だからすごく頑張って柱として認められようとしてるんです!」
「あの時は昔の記憶がなくて……っていうか君は俺の継子なんだから勝手に行動するな!」
「継子って三日間だけだったじゃないですか!」
「上弦の伍との戦いで俺の継子だって言っただろ!」
「そ、それは敵への撹乱の為ですよね?」
「はぁ!?」
「えぇ…?」

何なのだろうかこの不毛な言い争いは……すると彼はじっと私を見て口を二、三度開閉した後声を発した。

「君の呼吸を見つけるのだって僕も手伝ったでしょ?それなのに他の奴に先に見せてるし……ずっと待ってるって、手は離さないって言ったくせに……」

あれ?あの時言ったこと聞こえていたんだ。
というかこの言い方はもしかして、もしかしなくとも……うーん、何と言えば良いのだろうか。とりあえず拗ねられているようなので励ますことにした。

「あ、あの!時透さんにはすごく感謝してますよ!時透さんがいなかったら柱に成る覚悟も実力もなかったですし」
「もう柱に成るんでしょ。敬語じゃなくていいし、呼び方も無一郎でいい」
「じゃあ無一郎、本当にありがとう!今の私があるのは無一郎のおかげだよ」
「うん……」

見間違え出なければ、無一郎の頬は少し赤い。それは夕焼けのせいではないはずだ。
でもやっぱりまだ少し不機嫌。やはり熱が完全に下がるまで傍にいなかったのが不味かったのか。

「じゃあ帰るよ」
「は?え、ちょっと…!」

彼は流れるような動作で私を軽々肩に担ぎ上げた。というか今、あばらがぴきってなった。絶対、冨岡さんから食らった攻撃のヒビが広がった。相変わらず、こういうところは雑なのね。

「無一郎、私怪我をして…」
「看病してくれてありがとう」
「え?」

雑な運び方にしては、彼は私の体に振動が来ないようにゆっくりゆっくり歩いてくれている。当然、私の体勢からでは彼の表情は見えないのだけれど彼が頑張って話してくれているのが伝わってくる。

「刀鍛冶の里で僕を叱ってくれてありがとう。励ましてくれてありがとう。蜜柑寒天美味しかった、ありがとう」
「急にどうしたの?」
「ありがとうって言葉、君の好きな言葉なんでしょ?」
「そうだけど……」
「だからたくさん言ってみた。そばに居るって言ってくれて嬉しかった、ありがとう」
「……どういたしまして」

あ、今笑った気がする。でもその顔は鬼に見せたようなものではなくって年相応の可愛らしいものなんだろうな。見えないことがすごく残念だ。

「無一郎は可愛いね。あと、思ってたより幼いかも」
「はぁ?俺、男だし。それに歳だって君と同じだ」
「そうだね。でも、きっと私より可愛いよ」
「言ったな。……これから覚えてろよ」
「あれ?今なにか言った?」
「……君が柱に成ったら俺の屋敷の隣に屋敷を建ててね。それと毎朝ご飯を作りに来ること」
「なにそれ?」
「約束」
「はぁ…」



互いの気持ちを理解するのはもう少し先の事。

霞柱と霧柱———

二人の間はまだ視界不良。