凡は凡でも好きのうち

掲示板に貼られたクラス表を仰ぎ見て自分の名前を探す。まずは一クラス目……ない。その隣のクラス……にもない。じゃあさらに隣のクラスは……重い。

「あだっ」
「おー俺の名前みーっけ」

斜め四十五度を見上げていた頭が一転、斜め四十五度下の足元を見つめていた。それは私の頭を肘掛け代わりに使う輩のせいであり、おまけに今日は腕の上にさらに顎まで乗せてきたせいでもあった。

「相変わらず代り映えせえへんメンバーやな」と盛大な独り言を発する度に頭のてっぺんから振動が伝わってくる。私は下を向いたまま手だけを伸ばし頭に乗せられた腕をバシバシと叩いた。

「重量オーバーです」
「なんや自分、肘掛けの自覚が足りてへんで?」
「顎乗せは追加料金を頂きます」
「ちゃっかりしてきたのう」

ようやく頭が軽くなり乱れた髪を手櫛で整える。今日から晴れて高校二年の新学期というのにとんだ仕打ちである。ぶすっとした顔で振り返れば予想通りの人物がいて「朝から変顔とは元気なやっちゃな」と鼻で笑われた。

「旅人くんの今日の髪型はいつも以上に決まってるね」
「おっほんまか?」
「うん。蘭ねーちゃんのツノを忠実に再現できてると思うよ」
「ほう一年経ってようやく関西のノリについてけるようになったか。でもなぁそれは京都人の返しやねん。ここは大阪な」
「あだっ」

ストンと手刀がつむじに落ちてくる。朝から地方差別主義を唱えるこの男は一度罰せられた方がいいと思う。私が関東から引っ越して来たって聞いたときも「関東人てダシの取り方分からへんから卵焼きに砂糖ブチ込むんやろ?」と謎に突っ掛かって来た男だ。

「じゃあなんて返したら正解なの?」
「せやなぁ旅人クンは今日も背ぇ高くてイケメンで面白くてツッコミのセンスも——」
「あっ私の名前あった」
「おい!振っといたんなら最後まで付き合えや!」

カァカァ鳴くカラスを無視して掲示板に目を走らせていた。そしてようやく見つけた自分の名前。それは彼が先ほどまで見ていたクラス表と同じ枠内に書かれていた。

「旅人くんと同じクラスだ」
「またかいな。と同じクラスとかおもんないわ」

それはもう大袈裟にやれやれと肩を落として見せる。
凡≠ニ言われ続けて早一年。逆に非凡≠ェ何かを教えていただきたい今日この頃である。というか凡≠フ方がよくないかな?本音と建て前を使い分け協調性を何より重んじる日本人らしい性格。しかしその全てを体現した私のような人間を旅人くんは好ましく思っていないようで何かにつけて突っ掛かってくる。

「今日から肘掛けと言う名の第二の人生がリスタートされるのかぁ」
「よぉ分かっとるやんけ、ほら行くで」

大きな手でわしっと頭が掴まれて方向転換させられる。そしてそのまま新しいクラスへ。しかし頭の上に乗った手は離れずに、これではさながらUFOキャッチャーの景品状態である。

「なぁ見てーデカいマスコット取れた」

そしてそのままクラスメイトに私を紹介するという始末。席の大半が埋まっていた教室にどっと笑いが起きる。「これで掴みは上々やな」じゃないんだわ。私は凡のままでいいんだから悪目立ちさせないでよ。

「うわっ旅人相変わらず性格わるっ」
「あ?なんやお前も一緒のクラスかいな」
「みたいやな。ほらそこの子、意地悪カラスのところにおんねんでこっち来いや」

黒髪ロングの女の子に手招きをされ呆然としていたら、「ほな行ってき」と大きな手でぽんと背中を押される。その勢いが強くてたたらを踏んで前のめりになればきゅっと抱き留められた。わっめっちゃいい匂いする。

「もう!旅人は人に優しゅうすること覚えな!」

なんとか坂にいてもおかしくないくらい可愛くって、よく通る声に自分の意見をはっきり言えるこの子は彼が好きそうなタイプだなって思った。なんだか二度目の敗北宣言を受けた気分。でもいっか。凡≠ナある自分の身の程は十分弁えているつもりなので。

「やって俺、凡な人間には優しくできひんもん」

烏旅人という男はそういう人間なのだから。





大阪に転校してきたのはちょうど一年前。理由はよくある親の転勤で私の中学卒業を待ってこちらに引っ越してきた。しかし教育熱心な母に勧められ通うことになったのは中高一貫の私立高。だからこちらに越してきた当初は相当病んだ。

学業についての不安はないが問題は交友関係だった。すでに出来上がっているグループに入るのがどれだけ大変なのか親は分かっていないのだ。しかしどう足掻いたって進学先を変えることは出来ず、そのまま入学初日を迎えた。

「自分初めて見る顔やんな。外部受験組か、なぁどこ中やったん?」

そしてガチガチに緊張してクラスへと足を踏み入れた私に最初に声をかけてきたのが旅人くんだった。彼にしてみれば三年間通い詰めた代わり映えのしない学校生活に、私という存在に何かしらの刺激を求めたのかもしれない。

「え、あ……△△○○中学です」
「ん?なら自分、最近まで関東住んどったん?」
「そうです」

からの卵焼き地方差別主義論を聞く羽目になったのだが、これを見ていたクラスメイトに同情され無事に友達は出来た。だから、まぁ理由はどうあれ旅人くんには感謝をしている。
そしてこの時、今まで自分の周りにいないタイプの人だったから純粋に興味を持った。

「おい関東人」
「なにその呼び方」
「自分の唯一の個性をアピールしとってんやぞ。んなことよりコレ、早よ出し」

入学してから二週間ほど経ち、その日の日直当番であった旅人くん経由で先生から入部届を再度渡された。皆はほぼ中学から同じ部活を引き継いでおり、自分はどうしたらいいか決められずにまだ出せていなかったのだ。

「そうだった、ありがとう」
「まだ決めてなかったんか。こっちでも同じ部活に入ればええやろ」
「それができたらいいんだけど生憎なくって」
「何部やったん?」
「管弦楽部」
「カンゲンガクブ?」

これまた親の英才教育により習わされていたバイオリン。だから中学でもその手の部活に入っていたのだがこの学校にはなかった。母もその事は分かっているのできっと近いうちその手の教室を見つけてくるのだろう。

「意外とお嬢やんけ」
「そんなことないよ」
「どーせ家では紅茶しばきながらマドレーヌ食ってんのやろ」

とんだ偏見である。だが事実でもある。確かに母はよくその組み合わせでおやつを出すが私はあまり好きではなかった。

「まぁね。でも実は隠れて昆布茶啜って柿ピー食べてるよ」
「なんや案外分かる口やん」

てっきり笑われるかと思いきやそんなことはなかった。コーラが好きそうな顔して彼もまた意外にも昆布茶が好きらしい。私の偏見も大概だった。

「んなら部活は帰宅部でええやろ」
「それってありなの?」
「おう。俺も入ってへんし」

せっかく背が高いのに勿体ない、そう言えば外部のバンビ大阪ユース≠ニいうサッカーチームに入っているのだと教えてくれた。

「サッカー部もあるのにチームに入ってるんだ」
「こっちは四歳からやってんねんで?それにいずれは日本代表になるつもりやからな、そっちのが都合ええねん」
「へぇかっこいいね」

この時、烏旅人という人物に憧れを持った。私も同じ時期にバイオリンを習い始めたが、ただ続けているだけで夢と語る迄には至らなかったから。だからこの時の言葉は紛れもなく本心だった。

「おーおーもっと言うてくれや」
「かっこいいかっこいいかっこいいかっこいいかっこいいかっこい……」
「待て待て待て、バリエーションなさすぎやろ!」
「だってもっとって言うから」
「普通は言い方変えるわアホ!」

凡≠好かないくせに普通を語るなんてこの人変わってるなと思う。そしたら「自分変人やな」と先に言われた。その言葉そっくりそのままお返しします。

「そうは言っても旅人くんがサッカーしてるとこ見たことないからなぁ」
「なら今週土曜試合あるから見ぃきや」
「分かった、行く」
「えっほんまに?」

いや、来いって言ったのは貴方でしょうが。あっでもこれは押すなよ押すなよ〜的なフリだったのかな?大阪のノリって難しい。

「ごめん、一度断ってからの三度目のフリで『行く』って言うべきだったんだよね」
「さっきから何の話しとんのや」
「だからノリツッコミの話でしょう?」

きっとこれは関東人に対する私への挑戦状なのだろう。だから会話の内容は問われないわけで如何に上手く返せるかが審議になる。大阪でさらに友達を増やすためにもこのスキルは身に着けた方がいい。

「自分ほんまアホすぎんな」
「あだっ」

人生初の手刀はここで初めて喰らった。
そして旅人くんは私の元から去ってしまったわけだが、試合を見に行くと言ってしまった手前その約束を破るわけにはいかず本当に見に行った。

「ほんまに来たんか」
「ほんまに来ちゃいました」

さすがに一人では行き辛かったので友達を誘った。そして偶然にも彼女の彼氏がバンビ大阪ユースにいるらしく、そのお陰で試合前の旅人くんにも会うことが出来た。

「自分ヒマすぎるやろ」
「事実ヒマだしね。それにサッカーしてる旅人くんを見てみたかったし」

はい、と差し入れに持って来たスポーツドリンクを手渡す。旅人くんはそれと私を交互に見てフッと笑った。

「カッコイイの言葉じゃ足りへんほど活躍したるからよぉ見とき」

そして言葉通りに旅人くんはその試合で大活躍だった。
サッカーのルールと言えばボールをゴールに入れたら点が入ることくらいしか知らなかったのだが一目で旅人くんが上手い事は分かった。ボール捌きに圧倒的フェイント技術、相手を牽制しながらシュートまで持って行く視野の広さ。

「すご……!」

そしてこの瞬間、語彙力を失うと共に恋に落ちた。
もとより好意を抱いていたのは確かだったのだが有言実行する姿に一瞬でドボンした。

「えっうそ、マリサやん」

しかし恋に落ちるスピードよりも速くジェットコースター並みの勢いで失恋を味わうこととなる。
試合後、再び彼女と共に選手の元へと向えば旅人くんと向かい合う女の子の姿が見えた。遠目でも分かる可愛らしい雰囲気の子。他の人達も遠目で彼女の事をチラチラと見ているようだった。

「すごく可愛い子だね」
「小学校の時も男子からモテとったで。あっそれで面白いのがさ……」

そして友達から旅人くんがその子のことが好きだったのだと教えられた。そして彼女からの告白を断ったことも。その理由はサッカーで遠距離になるから、だったらしい。

「せやけどマリサは今彼氏おるさかいね、それを旅人に自慢しに来たってとこやな。可愛い顔して意外とプライド高うて気ぃ強いんよ」

ああゆう感じの子がタイプなんだ。それで今は彼女を作る気もないと。例え小学生の時の話だとしても日本代表になりたがる人の心は今も変わっていないであろう。

「ほれ大活躍やったろ?ちゃあんと褒めてくれや」
「ボール捌きがかっこよかったしフェイントもかっこよかったしシュートを決める瞬間もかっこよかったです」
「うわっなんもおもんな。二点やな、二点」

二点……それが私の人間としての点数。うん、知ってた。

「結局自分は凡やな」

そして極めつけはこれ。私は平々凡々の凡≠ネのだ。彼が一番「おもんない」と思うタイプの人間。だからどう頑張ったって彼女になれるわけでもなく、精々凡≠生かして弄られるポジションにいるしかないのだ。





秋口に開かれる学校もあるらしいがうちの学校の体育祭は五月に行われる。運動部なら目立ってやんよ!とばかりの大はしゃぎなイベントなわけだが万年体育三の成織をキープし続ける私からしてみれば如何にクラスの足を引っ張らないかの不安しかなかった。

「学年対抗種目のメンバー集合ー!」

だから参加科目も足の速さやセンスを取られない競技を選んだ。二年の学年種目は二人三脚二組と五人ムカデ二組が交互にバトンを受け渡すリレーだ。皆の脚を紐で結ぶわけなので足の速さよりも協調性が重視される。

「ほな組み合わせ決めよか」

この時期は放課後も部活動の時間より体育祭の練習が優先される。だからリレーの参加者でグラウンドに集まった。号令をかけたのはクラス委員でもある『姐御』だ。私がこのクラスで初めて仲良くなった女の子であり、黒髪ロングの美人且つはっきりと物を言う姿に敬意(と書いて恐れと読む)を称して皆がそう呼んだ。

「俺は当然二人三脚やな」
「旅人の他にニーサンやりたい人おる?」
「俺もー」
「ウチも!」

旅人くんがやるなら私も……なんて考えが一瞬過ぎるが足を引っ張る未来しか見えないのでやめておいた。元より五人ムカデの志望だったし。
誰も名乗り上げずにいれば残り一人は姐御になった。そうなってしまえば陸上部の彼女とサッカーで足に自信のある旅人くんが組むのも必然で。軽口を叩きあう姿を見ながらお似合いだなって思った。しかし、

「お前はふざけとんのか?!何度息合わせ言うたら分かるん?!」
「はぁ?!アンタこそあたしのスピードに合わし!」

数分後に互いの肩を掴みあう喧嘩にまで発展していた。やはりこの手の競技は何よりも息を合わせることが重要のようだ。

「こないな奴は願い下げや。メンバーチェンジで」
「それはこっちのセリフや!誰かこのアホンダラカラスと組める人おる?!」
「マジでしばくぞコラ!」

そうは言ってもあのやり取りを見せられた後に組みたいと名乗りを上げる猛者などいない。私も穏やか面子に囲まれた五人ムカデの真ん中ポジを譲るつもりはなかった。どうかもう一組のペアと話し合ってそちらで決めて頂きたい。

「おい凡、」

そう厄介事から目を逸らしていたら旅人くんが目の前に現れた。でも私に話しかけているとは限らない。ここにいるメンバーは皆協調性を大事にする凡ばかりなので。だから目の前から見下ろしてくる視線も周囲からの同情の目もすべて気のせいである。

「自分、俺と組みや」

しかし無情にも肩叩きを喰らった。つまりは私を指名してきたのである。

「むりです」
「やる前から諦め取ったらそこで試合終了やで」
「一度終了した人に言われても……」
「やかましわ!コイツ借りてくで」
「むりむりむりむり!」

悲しきかな、穏やか面子故に引き留めてくれる者は一人もいなかった。
それからこちらがどんな言い訳を並べても、だから何だとばかりに「で?」の一言で返されるので抗議するのをやめた。きっと私の華麗なるズッコケぶりを目の当たりにしてもらえれば諦めもつくだろう。

「足痛ないか?」
「うん」

私の右足と旅人くんの左足が結ばれる。それにより体が密着し心臓までもうるさく動き出すがこの時の私の心境は、彼のスピードに着いて行けずに足もぎ取られないかな……だった。

「ほなとりあえず軽くトラック半周走ってみるか」
「牛歩の如くゆっくりでお願いします」
「アホか。最終的に難波のスピードスターになんねんで」
「それって人生の終了を意味するのでは?」
「あ?」
「なんでもないです」

ほな行くで、と肩に腕を回されたのでこちらもおそるおそる彼の体操着を掴む。そして、せーの!の合図で結ばれた足を一歩踏み出した。滑り出しは順調。途中から加速し出した時には文句の一つや二つ叫んだがそれでも何とか転ばずに走りきれた。

「意外と走れるやん」
「いやいやいや!これは奇跡だから!本番は絶対転ぶ!」
「基本は俺の方に体重掛け取ったら転ばへんわ。それと自分、内側やねんからもっと歩幅は狭くてええで。あとは……」

意外や意外。ごねる私を説き伏せたのは根性論ではなく実に論理的な意見だった。走り方や重心のかけ方を分かりやすく解説してくれた。そういえば学校の成續も悪い方ではないし、分析能力に長けているのかもしれない。

「なるほど」
「頭で理解したことをアウトプット、それを本番でもすればええねん。まぁインプットもできひんような奴はああなるけどな」

その指さす方には穏やか面子に檄を飛ばす姐御の姿があった。寧ろこっちより向こうの方が大変そうである。選んでもらってよかったかも。

「ほな次はペース早めんで」
「じゃあゾウくらいの速さからお願いします」
「知っとるか?ゾウって本気出すと時速四十キロで走れんねんで」
「えっ」

それから体育祭まで地道に練習した結果、学年対抗種目でうちのクラスは一位を獲得した。しかもアンカーの私たちが追い抜いての逆転ゴールだった。体育祭においてこれほどの功績を残すことは二度とないだろう。

「あんだけ順調やったんになんで最後コケるん?」
「それは旅人くんがラストスパートをかけたのがいけない」

そして最後の最後にバランスを崩し倒れながらゴールテープを切ることも一生ないだろう。まぁでも楽しかったからなんだっていいか。

「おはよーさん」
「ちょっ、肩外れる!」

しかし体育祭後、ひとつだけ変化が起きた。それは肘掛けの場所が頭から肩に変わったことである。どうやらこちらの方が高さが合うらしい。なんか益々の鳥っぽくなってしまった気がする。しかし、私たちの距離が近付いたかは微妙である。





梅雨の季節は湿気で髪がうねるのであまり好きではない。今日も昼過ぎから雨の予報だった。窓の外へと目を向ければその空は確かにぐずついている。

「アカン!世界史のプリントやってくるの忘れた!」

そんな憂鬱な気持ちを振り払うかのように横から机のタックルを喰らわされた。危うく吹き飛びそうになったペンケースを慌てて掴む。このカラスは奇襲攻撃というものが好きらしい。でもこちらの心臓には悪いので普通にやめて頂きたい。それにそこ旅人くんの席じゃないし。

「びっくりさせないでよ」
「ちょお自分見せて!」
「世界史得意なんだから自分で解いた方が早いんじゃない?」
「この十分休みで解けるかアホ!あとで購買で何でも買うてやるから!な?」
「はいはい」

どうぞ、とファイルの中から取り出したプリントを机に滑らせる。そうすれば旅人くんは自分の方に引き寄せて答えを写していった。それ私のシャープペンなんだけど。

「おい、何しとんのや」
「旅人くん描いてる」

ペンケースからもう一本シャープペンを取り出してプリントの氏名欄のところに芯先を伸ばす。これでも絵心はある方。友人にも「LIMEスタンプとして売れそう」と言われるくらいにはクリエイティブな絵を描ける。

「微妙に似とるとこがイジり辛いな」

そして中々高評価だった。こういうのは特徴を強調すれば自然と似てくるもので、旅人くんの場合は太めの眉と涙袋にカラスの羽のような髪を描き足してやればいい。

「でしょ?」
「でも本物はもっとイケメンやからな。もうちょい上手く描き」

一々注文が多いな。そう思いながら顔を上げれば確かに目の前にイケメンがいた。プリントを写す横顔。間近で見ると尚の事、顔の骨格や彫の深さがよく分かる。それと同時にやっぱり好きだなぁと、燻ぶっていた恋心がまた熱を吹き返した。

「なぁ、」
「え?」

せわしなく動かしていたペンを止めこちらを見る。いけない、ぼーっとしてた。

「なに見惚れとんのや」

口角を上げ、白い歯を見せながら笑う。

「ごめん、かっこよかったから」

ぼーっとしてたから思ったままを口にした。
そしたら先ほどまで見せていた笑みが消え失せ真顔になる。え、そんなまずいこと言ったかな。

「自分、偶にえらい不意打ちしてくるよな」
「うん?」

机タックルをかましてくる旅人くんに言われたくないかな。それに私は物理的にはなにもしてないんだけど。しかし反論する暇もなく、旅人くんは残り二問の答えを解答欄に走り書きして早々に席を立った。

「ほなおおきに。あとで何か買うたるからな」
「別にいいよ」
「遠慮せんとき、まいう棒くらいなら奢ったるわ」
「じゃあコンポタね」
「おーおー百でも二百でも買うたるわ」

さすがにそんなにいらない、そう言おうとしたとき頭に軽い衝撃を受けた。
それは席を立ち私の後ろを通りすぎる旅人くんがしたことで。大きな手で二回、私の頭に触れたのだ。いつもは手刀なのに、やさしく二回ぽんぽんって。湿気で膨らんだ髪の上からでもその熱は十分に伝わってきた。

否、不覚。本日二度目の奇襲に顔が熱くなった。





制服が夏仕様になり、期末テストを終え、ついに夏休みに投入した。友達と遊びに出掛けたり、家族旅行の予定もあるけれど基本的には塾とバイオリン教室の往復で毎日同じことの繰り返しって感じ。ただ、暑さだけは日々最高気温を更新し、夕方になっても三十度越えの今日は堪らずコンビニへと避難した。

「旅人くん?」
「ん?なっ…!どしてこないなとこおるん?!」

ひんやりとした空気が頬を撫でて気持ちがいい。次いでに冷たい飲み物でも買おうと奥の棚へと向おうとしたら雑誌コーナーに良く知るカラスが羽休めをしていた。そして私に気付くなり雑誌を隠す。なるほど。

「私はバイオリン教室の帰り。旅人くんは?」
「俺もサッカーの練習帰りやねん」
「で、帰りにえっちな本を立ち読みしていたと」
「ちゃうわボケ!」

表紙にグラビアアイドルいますけど。なんなら巻頭カラーで特集組まれてるみたいだし。ふぅんそっか。やっぱりそういう子がタイプなのか。顔だけでなく立派な代物をお持ちの女性が好きだと。

「健全な男子高校生らしくていいんじゃないかな」
「中身は青年漫画やねん!」
「でも見てたのカラーページだよね」
「なんで見えとんねん!」

夏休み中に会えて嬉しい気持ちと、好みのタイプを再確認させられたフクザツな気持ちが混ざり合い無≠フ感情になった。そして凡人が無を極めると真顔になる。

「じゃあ、また」

飲み物を買い、足早に店を出た。そして駐車場の日陰で冷たい飲料水を胃に流し込んでいたところで声を掛けられる。この時、旅人くんが追いかけて来たことには少し驚いた。

「なぁ腹減ってへん?」

彼は少し気まずそうな顔をしながら、苦し紛れにスポーツバックの中からラッピングされた袋をいくつか取り出した。それ貰ったものなのでは?というツッコミは一度置いておき、似たり寄ったりの包装だったので少し近付いてそれをじっと見つめた。

「それなに?」
「なんやと思う?」
「うーん……なんかちょっとお酒の匂いがする気がする」
「ウイスキーボンボンやと」

その単語で思い出されるのはバレンタインでの出来事か。
やはり旅人くんの事が好きだった私は彼にチョコレートを渡そうとした。でも本命だなんて気取られたくもなかったから凡≠ノちなんでウイスキーボンボンを用意したのだ。そして、ほら大阪人の腕の見せつけどころだぞ?と盛大なフリまでしたのに「自分で五人目や!全力でいじりにくんなや!」とキレ芸を見せられただけだった。

「夏場にチョコ……というかなんでそんなにたくさん貰ったの?」
「今日、俺の誕生日やねん」
「えっ?!」

本日の日付は八月十五日。旅人くんの誕生日情報は初めて知った。しかし夏休み中ともなればクラスで話題に上がることもないし、今日出会わなければずっと知らないままだったかもしれない。

「誕生日おめでとう。お盆の日に生まれるなんて持ってる、、、、ね」
「せやろ?そのせいで誕生日にも弄られてんねんけど」

それはもう運命なのでは……しかし私もここでぼーっとしているわけには行かない。今この瞬間の出会いこそがもはや運命なのだ。だから旅人くんに一声かけて再びコンビニへ駆け込んだ。

「これ、誕生日プレゼントってことで」

そしてアイスを渡した。残念ながら今日に限ってお財布を忘れてしまったため電子マネー残高で買えるものがこれくらいしかなかったのだ。といってもコンビニで買えるものなどたかが知れているけれど。

「ええの?」
「こんなもので申し訳ないけど」
「いや嬉しいけど。ちゅうか自分の分は?」
「私は大丈夫」

それを受け取ると旅人くんは早々に袋を開ける。そしてバニラアイスが包まれたモナカを取り出して、ちょうど真ん中あたりでパキリと割った。

「ほれ自分の分」
「旅人くんが全部食べていいよ」
「あー……この後家族で焼肉行くねん。だから腹いっぱいにさすわけにはいかんのや」
「そっか。じゃあ、頂きます」

袋に入った半分を受け取ってひと口かじる。間に挟まっている板チョコが無性に甘く感じた。

それからは夏休み中に何度かこのコンビニで鉢合わせることがあった。同じような毎日が繰り返される中でのちょっとした楽しみ。特に暑い日の遭遇率が高かったから八月の最後の日まで塾も教室も頑張れた。

今思えばそれは、紛れもなく私の青い春だった。





鼓膜が割れるほどの大きな拍手と眩しいほどの数多のフラッシュ、そんな息苦しい空間から解放されようやく外に出ることが出来た。空調が聞いていた室内よりも外のひんやりとした風の方が心地よい。その風に攫われそうになるスカートの裾を抑えながらヒールを一歩踏み出した。

西の空には家に帰ろうとするカラスの一家がカァカァ鳴きながら飛んでいる。それをぼんやりと眺めながら駅のホームで電車が来るのを待った。それにしても足が痛い。靴だけでも履き替えて来ればよかったかも。

「……、っ」
「あっスンマセン!」

普段は履かないヒールを長時間履いていたことで私の脚は相当ガタがきていた。だから背後に軽くぶつかられただけで顔面ダイブを決めることは最早必然で。しかし向こうの反射神経が余程よかったのか倒れる前に体を支えられた。

「あ、ありがとうございます」
「ほんまスンマセン、荷物ぶつけてもうて……は?」
「え?」

びっくりして言葉を発せれなかった私の頭上から聞きなれた声が降って来た。パッと顔を上げればそこには大きな親カラスが一羽、まん丸な目をして見下ろしていた。

「旅人くんだ。奇遇だね」
「いや、奇遇やのうて自分なんちゅう恰好してん?」

オフショルダードレスがそんなに物珍しかったのか。それともワックスでまとめてもらったこの髪型か。はたまたスノーシルバーのアイシャドウを乗せたこの顔か。しかし体型は残念ながら貧相ではあるので、ずり落ちたストールを肩に掛け直してから旅人くんと向き合った。

「コンクールの帰り」
「コンクール……あぁ、バイオリンのやつか。どやったん?」
「審査委員賞もらった」

と言っても楯も楽器も花束も親に預けてきたので貴重品の入ったバッグくらいしか持っていない。本当は私も母の運転する車で一緒に家に帰るつもりだったのだが外の空気を吸いたくて一人で帰ることにした。

「おー!すごいやんけ!おめでとさん」
「ありが……くしゅんッ」

しかし、夕暮れ時の気温までは想定しておらず思わずくしゃみが出た。電車に乗ってしまえば少しはマシだろうか。でも最寄駅から家まではまた歩かなければならない。せめて帰るまでに日が落ち切らないことを祈るばかりである。

「ほれ」
「え?」

ストールの上から腕を擦っていれば目の前にジャージが差し出される。それは今旅人くんが着ているものと同じだった。

「寒いんならこれ着とき。練習試合ある日は替え持って来とんねん」
「いや、いいよ」
「使うてへんから安心しい」

旅人くんの気遣いは嬉しいがその恰好で電車に乗って家まで帰るのはさすがに恥ずかしい。さすがにこの服装とジャージはミスマッチすぎる。

「自分、降りる駅どこや?」

ここで駅名を伝えたことでまさかのご近所であったことが発覚する。一年と半年ぶりの真実。だから旅人くんは私を家まで送ると言った。今日はサービス精神旺盛だと感動しつつも全力で断った。練習試合後と言うからには疲れていると思ったから。

「んな柔な鍛え方しとらんわ」
「でも……」
「ほらもう電車来んで、早よ着ぃ」
「うわっ」

受け取れずにいたジャージを広げられ肩に掛けられる。そこまでされてしまえば着るしかなくなりストールを外して腕を通した。うちとは違う柔軟剤の香り。そしてそこに混ざる別の匂いにも気付いてしまい、やっぱり借りるんじゃなかったと思った。

「で、家の方角どっちなん?」

秋の日暮れは想像以上に早く、電車が最寄り駅に着く頃にはすでに辺りは暗かった。
街灯が照らす夜道を指させば「ほな行こか」とゆるりと答える。どうやら本当に送ってくれるらしい。そして一歩踏み出そうとした私の目の前に手が差し出された。

「なに?」
「手、」
「手がどうしたの?」
「さっき階段でコケそうになっとったろ。だから掴まり」
「そんなにどんくさくないよ」
「二人三脚でコケといてよう言うわ」
「あれは旅人くんがペースを早めたせいだよ」
「着いて来れへん時点で十分どんくさいわ。ほれ行くで」

無遠慮に手を掴む。私の気など知らないで。

「自分の手ぇ冷たっ」

でもそういうところが悔しいくらいに好きだった。

「旅人くんは子ども体温過ぎる」
「やかましい」

日暮れ前よりも気温は下がっているはずなのにジャージがいらないほどに体が熱かった。でも今さらこれを返すつもりはないし、手を離すつもりもない。

「ねぇ知ってる?手が冷たい人は心が温かいらしいよ」
「ハァ?遠回しにディスっとんのか」

そうじゃなくって中身を見てって言ってるの。だってメイクでどう頑張っても限界はあるし。でも結局、その中身もダメなんだよね。だからこそ揶揄うにはちょうどいいクラスメイトであろうと思っていたのに、最近では上手くそれもできなくて嫌気が差す。そして段々と欲張りになる自分が、もっと嫌だった。





季節は移り変わり十二月になる。日本にはお正月を待ちわびる歌があるが、その前にもイベントがある事はご存じだろうか。寧ろ十代の若者たちにとってはお正月よりもこちらの方が指折り数えるイベントなのかもしれない。

「ねぇ、彼氏欲しない?」
「「欲しい」」

いつものメンバーでお昼を食べているときだった。姐御の問いかけに対し左右の二人が秒で頷く。一歩出遅れた私も慌てて、欲しいですと口にした。

「実はさ、塾で仲いい男子がおるんやけど面子集めて合コンしないかって話が出とるんよ」
「ほんま?!」
「その人どこ校?!」

要はクリスマスに向けて彼氏彼女を作る為の合コン。なんだか高校生らしいな、とどこか他人事のように聞いていたら自分も参加メンバーにされていた。しかし彼氏云々の前に初対面の人とのコミュニケーション能力が皆無なので行くのはかなり躊躇われた。

「もしかして旅人のこと?」
「ぅえっ?!」

その日の帰り、姐御と一緒に帰っていた時に合コン辞退の申し出をしたらそんなことを言われてしまった。予想外の返しに思わず声も裏返る。そんな私を見て姐御は困ったようにやさしく笑った。

「隣で見とったら嫌でも気ぃ付くわ」

今まで自分の気持ちを誰にも話したことはなかった。別に隠していたわけじゃなかったけれど、どうこうなりたいわけでもないし。それに私が旅人くんの話をすることで姐御もその気になったら嫌だなって思ってた。だって傍から見たら二人はお似合いに見えたから。

「えっあたしが旅人と?んなわけあるか!」

謝りつつも洗いざらい白状すれば一転、彼女はこの世の終わりのような顔をした。そして終いには「この世の雄がアイツとゴリラしか居らんくなったらあたしは迷わずゴリラを選ぶ」とイケメンゴリラの画像を見せられたので何も言えなくなった。それと同時に彼女に彼氏がいないことが思い出される。趣味がK-1観戦の彼女のストライクゾーンはものすごく狭いのだ。

「そ、そっか」
「今のままであんたが幸せならええけど他にも目ぇ向けたらどや?それに学校以外で友達作る機会も多くないやろ」

確かに、あまり堅苦しいことは考えずに大勢で遊ぶと考えれば気が楽なのかもしれない。それに最近では教室で旅人くんと顔を合す度にしんどくなる自分もいて、気分展開がしたかった。

「やっぱり私も合コン行く!」
「よし!じゃあこの後ドラスト寄ってメイク用品見に行くで!」
「い゛っ?!」

バシッと思いっきり背中を叩かれる。姐御のこういうところはつくづく旅人くんに似てるなって思う。私はこういう人に絡まれる相でも持っているのだろうか。ただ、姐御に対しても悪い気はしないので私がこういう人を好きになる傾向にあるらしい。

「そんなに気合入れて行くものなの?」
「当たり前や!それに自分だって彼氏は欲しいやろ?」
「まぁ、うん……うーん」

私の煮え切らない返事にやはり彼女は色々と察したらしい。でもそんな陰湿な空気も笑い飛ばし、茶目っ気たっぷりに先の言葉を続けてみせた。

「流暢にしとる向こうも悪いねん。少しは煽って焦らせたらええ。いつまでもお前のところにおると思うなーって!」

彼女の言葉に救われ、週末の合コンが少なからず楽しみになった。



ルーズリーフがなくなったので購買に買いに来たときだった。ポケットのスマホが震えメッセージの通知を知らせた。そうか、今も向こうは昼休みか。

「なにそんなとこ突っ立っとるん?」

購買を出たところの柱に寄りかかっていれば上から声が降っていた。それが誰かはすぐに分かったので顔を上げる前に慌ててスマホ画面を胸元に隠す。そしたら「エロ動画でも見とったんか?」と些か女子に言う言葉ではないセリフで揶揄われた。

「旅人くんと一緒にしないでくれる?」
「学校で見るかアホ」
「見てることは否定しないんだ」
「見てない言う方が嘘っぽいやろ。それに健全な男子高校生ならセクシーな美女や可愛らしゅう子は定期的に拝みたくなる」

そんなこと聞きたくなかった。
へぇ、と適当な相槌を打ちつつも、今気になっているのはメッセージの方だった。さっき話しかけられた拍子に画面をタップしてしまった気がする。そうなると既読マークが付いているわけで早く返信をしたかった。

「そういやこの前の合コンどやったん?」

しかし旅人くんはまだ会話を続けるつもりでいるらしい。しかも私の隣で同じように柱に寄りかかりながら買ってきたばかりのブリックパックにストローまで刺して。購買でお茶パック買う人初めて見た。

「まぁ……楽しかったよ」

メッセージを返せていないスマホを握りしめる。合コンのことはクラスでも話をしていたからきっとそれを聞いていたのだろう。でも、だからと言って何故その感想を私に聞いてくるのか。

「ええ奴おったか?」
「ええ奴ってなに?」
「彼氏にしても良さそうな男」

合コンはそこまで身構えることもなく純粋に楽しめた。皆ノリもよかったしカラオケは盛り上がった。さすがに終始あのテンションには着いていけなかったけれど一人話しかけてきてくれた人がいたから気まずい思いもしなかった。

「そういうのは分からないけど話が合う人はいた」
「どんな奴?」
「神奈川の出身でスポーツ推薦で大阪に来たって人」

自己紹介のイントネーションで私も関東の出身だと気付いたらしい。だからこっちに来て驚いたことや互いのローカルネタを話して二人で盛り上がった。そして今連絡を取り合っている相手もその人だった。

「よかったな、自分と気ぃ合いそうな奴見つかって」

そう言い終わるのと同時に二〇〇mlの紙パックが音を立てて潰された。そしてもたれ掛からせていた背筋を伸ばして私の目の前を通り過ぎていく。向かう先は同じ教室だというのに先に行っちゃうんだね。だからこそ、その背中に声を掛けた。

「なんや?」
「旅人くんはさ、彼女つくる気ないの?」

私が直接本人に聞いたことはなかった。今さらこんな質問に何の意味もないけれど聞いたら諦めがつく気がした。長年の片想いに終止符を打ちたかったのだ。

「あらへんよ」

その答えは分かっていたはずなのに、頭を殴られたような衝撃だった。
結局私の手元に残ったのは購買で買ったルーズリーフとスマホだけ。そしてメッセージを改めて確認すればそれはクリスマスに会わないかという内容だった。
震える指を画面に滑らす。だからか、『いいよ』と返事をするのに随分と時間が掛かってしまった。





当日はホワイトクリスマスということで街を行き交う人々は浮足立っていた。そして日が暮れ始めればイルミネーションが一斉に輝き出して家族や友人、恋人たちを華やかに取り囲む。しかし府内でも有名なこのスポットで私は一人だった。

「こないなとこで何しとんねん」

みんな幸せそうだなぁと通りの端で傍観者を決め込んでいれば突如掛けられた声に驚く。初めに視界に入ったのはロングコートの裾、その視線を徐々に持ち上げていけば旅人くんがいた。偶然と言うには出来過ぎた出会いに思わず、えっストーカー?と思わず素が出てしまった。

「アホか。地元でイルミネーションあるんはここしかないやろ、自分以外にもクラスの奴に会うたわ」

そっか。だからあの人もここに行こうと誘ってくれたのだろう。等間隔に植えられた街路樹にはシャンパンゴールドの電球が巻き付けられそれが辺りを光の海へと染め上げていた。またこの中の数本の樹木には特別な装飾が施されているらしくそれを見つけた人たちが楽しそうに写真を取っていた。

「クラスの人と遊んでたの?」
「いや、クラブチームの彼女いない連中とカラオケで歌い倒してその帰り」

そう親指で指し示した先には盛り上がる一つの集団が見えた。そして彼らは旅人くんがいないことに気付かないのかどんどん先へと進んでいってしまう。このままだと置き去りにされてしまうのだと思うのだけれどいいのだろうか。

「みんな行っちゃうよ?」
「別にええねん。男だけでイルミネーション見たっておもろないやろ」

かと言って私と見ても面白くないと思うんだけど。
旅人くんは通行人の邪魔にならないよう、私の隣に並んだ。そして不躾に「デート帰りか?」なんて聞いてきた。分かってるなら聞かないで欲しかったかな。

「男女が二人で出掛けることをそう呼ぶならその帰りだね」
「えらい棘のある言い方やな」
「……ごめん。八つ当たり」

経験値の少ない私でもクリスマスに会えばそういう展開になるのも分かってた。事実、私が察するよりも先に友達にも「絶対されるね」って言われてた。だからそうなってもいいかなって思って家を出た。でも数刻前にされた告白を私は断ってしまった。

「なんか違うかなって」

随分と贅沢で我儘な理由で。会話も弾むし一緒に居て楽しい。好きか嫌いかと聞かれれば好きだと即答は出来るけれどそれで付き合うのはちょっと違う。そんな状態で旅人くんと会ってしまって自分の中のぐしゃぐしゃな感情をぶつけてしまった。

「ならええか」

黙って聞いていた旅人くんが吐き出すようにそう言った。なにそれ。人の不幸は蜜の味ってこと?それはさすがに性格悪すぎだよ。しかし口に出さずとも顔に出ていたのか大きな手が目の前に広げられ待ったを掛けられた。

「性格悪いん言うのはナシな、基本は勝てる勝負しかせぇへん主義やねん。それにこれでも上手くいってたら身ぃ引くつもりでおったんやから」

でもフリーやったら話は別や、と言いながら私の正面に立った。久しく会話もしていなかったものだから顔を見るのは随分と久しぶりなように感じる。そして彼は私が今まで見たこともないような真剣な顔をしていた。

「なら俺が候補になってもええよな」
「は……?え、なんの?」
「この流れなら分かるやろ。彼氏や彼氏」

彼氏という単語に頭がフリーズする。絶対にならないであろうその肩書き、しかし何度夢見たかは分からない。でもやっぱり信じられなくて私は冷静に現実を見つめた。

「でも私のことタイプじゃないでしょ」
「なに勝手に決めつけとんねん」
「初恋のマリサちゃん見れば分かるよ」
「ハァ?!なんで自分がマリサのこと知っとんねん!」

初めて試合を見に行った時に彼女を見たと伝える。すると「あー……」と叫びにもならないため息がその場に落ちた。やっぱりそうなんだ。そのことに気付いてしまえばもう突き放すしかなかった。

「可愛くて自分に自信がある子、ああゆう子が好きなんだよね」

服もメイクも髪形も、いつもより時間をかけたから今日の自分には自信があった。でもそれもメッキのようにはらはらと落ちていく。だからもう自分の中の言い訳を並べて武装するしかなかった。

「好きなタイプと惚れる相手はちゃうやろ」

しかし、その言葉を跳ね返すには彼の声は硬かった。
でもその考えには確かに自分でも共感できるところがあった。歌番組で見るアイドルグループや旬の俳優さんで好きと思える人は優しい雰囲気の人が多かった。それこそ私に告白してくれた彼もそんな感じの人だ。

でも私の中で恋愛にまで発展しなかった。
だから、きっと、この感覚こそが——

「それが恋ゆうもんじゃないん?」

恋なのだ。
複雑に絡み合っていた感情がほどけていき、自分のことを肯定できた気がする。しかし晴れやかな気持ちの私とは裏腹に、旅人くんはその大きな手で自分の顔を覆ってしまっていた。

「ちょお今見んといて」
「なんで?」
「俺今めっちゃハズいこと言うた」

すぐれた哲学者の一人であるプラトンは、愛に触れると誰でも詩人になるという言葉を残した。だから今の言葉は紛れもなく愛の告白だったのだ。

「やだ」

背伸びをしてその腕を掴む。しかし悲しきかな、こちらがどんなに力強く引っ張ってもぴくりとも動かない。きっと傍から見たら私がぶら下がっているように見えるだろう。

「自分はいつからそない性格悪くなったん?」

そのルーツを知るには去年の春にまで遡らないといけないかな。この世にはね、初対面で地方差別主義論を唱える人がいるんですよ。おまけに人様のことを肘掛けにもしてくるんです。

「私の好きな人が毎日私のこといじめてくるから移っちゃったんだと思う」
「は…………」

でもその人は私の書いたラクガキを消さずに提出して先生に怒られても「名前書かんでも俺って分かればええやろ」と開き直る面白い人で。言われたことを気にしてからかコンビニではわざとらしくメンズ雑誌を読むようになったんです。

「それは今、私の目の前にいる人です」

烏旅人って人なんですけどご存知ですか?

「ほんまに?」
「ほんまに」

きっとこの顔を姐御が見たらアホヅラカラスって笑うんだろうな。それほどまでに呆気にとられた顔をしている。だからしばらくは一問一答が続いた。

「俺?」
「俺です」
「彼氏になれるん?」
「彼氏になれます」
「自分が彼女?」
「自分が彼女です」
「ちょお紛らわしいからオウム返しやめてもろうてええ?」
「それを言うならカラス返しなのでは?」
「ほんっまに自分は……」
「わっ」

久しぶりの手刀が飛んでくる。しかし、それを予知できても体育の成績三を誇る私が避けれるはずもなく、甘んじて受け入れるために目を閉じた。
しかしそれは大した衝撃にもならず頭の後ろに添えられて、そのまま倒れる形で抱きしめられた。

「今まで会うてきた奴の中で一番非凡やな」
「非凡……?」

普通を貫き通してきたはずの私がついに非凡$骰垂受けてしまった。
でも本当に伝えたいことは次の言葉だったらしい。

「好きっちゅうことや」

嬉しいはずなのに、喜ぶべきはずなのに、お腹の底から湧きだすこの感覚。どうやら非凡宣告をされたことで私の情緒も常人から逸脱したらしい。なんだか全てが面白くなってきた。

「あははははっ!」
「いやなに笑ろうてんねん!」

浜ちゃんでもそこまでキレのあるツッコミはできないんじゃないかな。
旅人くんの胸に顔を押し付けたまま、ひぃひぃ笑っていればついに手刀がつむじに落とされた。しょうがなく顔を上げれば仏頂面とご対面。だから慌てて謝り、嬉しくて…と言い訳をすれば「寒いから早よ帰んで」と手を取られた。その掌は相変わらずの子ども体温で安心した。

「ねぇ」
「なんや?」

シャンパンゴールドの道を並んで歩く。あちらこちらではイルミネーションを楽しむ声やシャッター音が聞こえた。居心地のいい雑踏の中、雰囲気とテンションに押されてらしく、、、ないことを言いたくなった。

「好きな人と見るとイルミネーションってもっとキレイに見えるね」
「……そうか」

詩人になってはみたがどうやら彼の心には刺さらなかったらしい。しかもその返しは面白くなさすぎ。二点だよ、二点。
旅人くんが黙ってしまったので私も大人しく隣を歩く。
キラキラしたイルミネーションに気を取られていたら人にぶつかりそうになった。でも間一髪、手を引っ張られたことで事なきを得る。ありがとう、と言ったらずっと前を見ていた旅人くんがこちらを向いた。そしたら繋がれていた手に力を込められて気まずそうに口を開いた。

「別にイジメてたわけやないからな」
「今さら姐御に泣き付いたりしないよ」

「何かされたらすぐにあたしに言い!しばいたるから!」が彼女の口癖だった。どうやら新学期時のファーストインプレッションが最悪だったので彼女なりの気遣いらしい。ただし、有言実行するタイプなので言ったら本気でやる。

「そうやのうて、」

どうやら彼が言いたいことはそうじゃないらしい。しかしその言葉の続きは中々発せられない。もしやフリ待ちか?とあらぬ方向に行きかけたところで唇が僅かに動く。だから黙ったままその続きを待った。

「好きな子にはちょっかい出しとうなるやろ」

鼻の頭を赤くしながら消え入りそうな声で言う。
その言葉に、私はまた声を出して笑ってしまった。