吉田君、こっち見ないで
一目見た瞬間、胸が高鳴った。
その日は満月で白銀の光が煌々と街を照らしていた。それは家の屋根にもビルの壁にも反射して、入り組んだ違法建築物の隙間にまで真っすぐに降り注ぐ。そして遮蔽物もない公園のど真ん中ではその光はまるでスポットライトのようであった。
その中に佇む彼は正に主役。
光に当てられた黒髪は対比により一層目をひき、また肌は透き通るように白く見えた。しかし陶器のような滑らかな輪郭ははっきりと視認できる。長い前髪の隙間からは筋の通った鼻先が見え、そこから少し厚みのある唇を通り過ぎ下顎までが点と点で結ばれる。完璧なまでのEラインに、しかしその美しさにスパイスを加えるかの如く六つの黒いピアスが怪しげに光っていた。
「……、っ」
不意に向けられた晦冥の瞳に、ハッと息を呑む。どうやら呼吸をするのも忘れていたらしい。それほどまでに強烈な印象を私に与えたのだ。
まるで少女漫画の一ページのような、恋に落ちる瞬間を切り取ったかのような描写。しかしそのような展開になるほどこの世は美しくもなく、また平和でもないのだ。
「もしかして見てた?」
「ヒッ…?!」
現に彼の足元にはぐちゃぐちゃの臓物が転がっていたのだから。
◇
塾終わりでお腹が減っていたというのにとんでもない物を見せられたせいで昨日の夕飯は喉を通らなかった。しばらくは肉、特にひき肉は口にできないかもしれない。
それにしてもあの人めちゃくちゃイケメンだったな。歌って踊れるアイドルよりもイケメンだった。そして私のタイプドストライクだった。ただ、もう二度と会いたくはないけれど。
「チャイム鳴ってんだから席つけー今日はHRの前に転校生を紹介するぞ」
しかし何一つ感動を味わえない再会はすぐにやって来た。
月の光に変わり女子生徒の黄色い悲鳴を浴びながら教室に足を踏み入れたのは昨夜の彼。真っ黒な学ランに身を包み、口元には綺麗な弧を描いて短く挨拶をした。
「吉田です、よろしく」
「みんな仲良くしてやれよ。じゃあ席は窓際の一番後ろな」
ぽっかりと空いていた席に黒のピースがぴたりとはまる。ここがオセロの盤上なら私はひっくり返されていたかもしれない。だって吉田君の隣が私の席なのだから。
「ねぇ、」
朝のHRからそのまま担任の担当教科である一限目の授業が始まる。なるべく隣を意識しないよう教科書を広げていれば声を掛けられた。墨染色の瞳に昨夜ほどの冷たさはないが怪しさだけはそのまま引き継いでいた。
「は、はい…」
昨日の事を聞かれたらなんて答えようか。心臓の動きが早くなって手にはじんわりと汗が滲む。掌に教科書の表紙がひっついて、不快だった。
「悪いんだけど教科書見せてもらっていいかな?実はまだ揃えられてなくて」
「あ……うん、どうぞ」
しかしどうやら私の思い過ごしだったらしい。確かに明るい夜ではあったがただの観客であった私に舞台上の彼が気付くわけがないのだ。そんな事、少し考えれば分かるのに自分だけが思い上がっていたようで恥ずかしい。
「ありがとう」
自分の机を数センチ窓際へと動かせば吉田君は倍以上の距離を引きずった。トン、と机同士がぶつかって、その振動で掛けてあったスクールバッグが揺れる。そして溝に教科書の背表紙をはめて広げれば私達の間に隔たりはなくなった。
「今日は前回の応用からで——」
数学の授業では当てられることもある。だからしっかりと授業を受けなければいけないのに私の集中力はあっけなく切れた。いや、切らされた。だって隣から纏わりつくような視線を感じたから。
「……?」
何かに促されるようそちらをみれば青空をバックにした吉田君と目が合った。しかしその姿に爽やかさは何一つ感じられない。
やっぱり見るんじゃなかったと教科書に視線を戻そうとすれば彼の人差し指が遮る。骨張った指の先には切りそろえられた爪があり、その先はノートの端を示していた。
『昨日は驚かせてごめんね』
思い過ごしなどではなく吉田君には私が見えていたらしい。さいあく……という気持ちがありつつも少しだけ嬉しい。なぁんて思ってしまう私は下心のある人間なのだろうか。でも目の保養としてはいいものの、やはりお近づきにはなりたくないので気分はさいあくだった。
『私こそ逃げてごめんね』
吉田君が見やすいよう、少し斜めにして自分のノートの端に文章を書く。それを見た吉田君は再び自分のノートに文字を書いていった。日付欄などお構いなしにその上に斜めに言葉が綴られる。
『まさか同じクラスの人に見られるとは思わなかった』
吉田君はどうやら筆談をすすめるつもりらしい。私としては早々に切り上げたいところではあるが、何故彼が昨夜あの場所にいたのか気にはなる。しかも足元には血色のいい臓物までもが添えられていたのだから、もしかしたら人間の一人や二人、殺っているのかも……なんて失礼な想像までしてしまった。
『吉田君は何者なの?』
瞬き二回、それから一瞬だけ私を見て再びペンを動かした。その仕草だけで一気に脈拍が加速する。どんなに怖かろうとも、そしてヤバそうな人だと理解しながらも、やっぱりタイプなのは変わらない。この顔は反則だ。
『デビルハンター』
罫線の上に書かれた七文字に目が釘付けになった。
デビルハンターとは悪魔を退治する事を生業としている人間である。えっでも吉田君って高校生だよね…?デビルハンターって命に関わる危険な仕事だし、それを未成年がしているだなんて信じられない。でもこんな嘘をつく理由はないだろうし何より昨日の惨状が真実であることを物語っていた。
『そうなんだ』
筆談では何の意味もなさない相槌を打つ。吉田君はそれを見てからまた文字を書いた。今までよりも長い。だから書いている途中も目で追おうとした。そして吉田君は少しでも私が見やすいようにと腕を少し持ち上げて罫線と平行にペンを動かす。それにより距離が近付いていたことは後に気付いたことだ。
『今はある組織に所属していてこの学校に来たのは仕事の為でもあるんだ。あんまり目立ちたくないからこのことは秘密ね』
一通り読んで顔を上げれば、定規一本分である十五センチ先に吉田君の顔があった。それは私の呼吸を止めるには十分すぎるほどのインパクトがあり、まるでネジ巻きの切れた人形のように固まってしまった。しかし眼球だけは目の前の一挙手一投足を正確に捉えた。
ペンを握っていた人さし指は鉤形から真っすぐに伸ばされ、そしてほくろを通り過ぎ唇に添えられる。彼の唇は近くで見たら思いの外ささくれていた。それがゆっくりと開かれ人さし指に息を吹きかける。
「ひ み つ」
「ン”ン?!」
満塁の場面での特大ホームラン、性癖と言う名のスタジアムでグランドスラムを決めたのは吉田君だった。そして私の口からは出たのは歓声ではなくオッサンの咳のそれ。
「おいそこ、うるさいぞ!」
担任の一声にクラス中の視線が私に集約される。どうやら想像よりも大きな声が出ていたらしい。慌てふためく私を余所に隣からは何とも愉快な小さな笑い声が聞こえてきたが構っている余裕はなかった。
「すみません……」
「転校生がイケメンではしゃぐ気持ちも分かるが授業中に口説くなよ」
「なっ…?!」
本当にさいあくだ。お陰で私はクラス全員の笑い者。これ以上、吉田君に関わったら身を滅ぼすことになる。そして私の心臓は持たない。
「俺は口説かれてもいいけどね」
「……ッ」
だというのに、いとも簡単に殺し文句を投げつけてくる。もう無視だ、完全に無視してやる。筆談は続けない。隣は見ない。察しても絶対に目を合わせない。
だからもう、こっち見ないで。
◇
学校では全く授業に集中できなくなった。だって吉田君、全ての授業の教科書を持っていないから。お陰でほぼ毎時間机をピッタリとくっ付けている。そして時折、「これってどういうこと?」と質問をしてくる。前の学校では習っていない内容なのだろう。それ自体は構わないのだがその度に顔を近づけ囁くように聞いてくるので、私としては心臓が持たないのだ。
「もう閉めるから早く帰りなさい」
だから塾の閉館時間ギリギリまで勉強するようになった。外に出ればお月さまもいつもより真上にある気がする。だから少し遠回りにはなるが明るい繁華街の方から帰ることにした。
飲食店の多い大通りは平日の夜であってもそれなりに賑わいをみせている。酔っぱらいのサラリーマンを避け腕を組んだ男女の隙間を縫い足早に歩いていく。居酒屋の提灯は赤くスナックの看板は紫色、嬢のドレスのスパンコールが眩しくてガードレールの前には厳ついシルバーリングをジャラジャラつけたおにーさんが煙草をふかしていた。
だからこそ、黒が映えたのだと思う。
「吉田君……?」
確かにいた。何色にも染まらない黒を纏った彼が数メートル先を歩く。こんな時間に私服姿で繁華街をうろついている。彼もまた家へと帰る途中なのだろうか。しかし不意に方向転換し脇道へと入っていった。そちらは駅の方角でもないしあの道が住宅街へ続いているとは思えない。
……どう考えたって怪しいし吉田君がデビルハンターなら尚更関わらない方がいい。そう頭では分かっているのに、気付いた時には駆け出していた。
それなりに広さがあった脇道も進むにつれて幅が狭くなり室外機が多くなる。熱した空気が溜まっていて妙な圧迫感を覚えた。もうこの先には進まない方がいいかもしれない。だから十字路まで辿り着いたとき、真っすぐにではなく明るい右方向へと伸びる道を選んだ。
「うわ……」
しかしすぐに後悔した。その先はピンクのネオン看板がぶら下がるホテル街。やっぱり吉田君と関わると碌な事がない。そんな事実を噛みしめて後ずさる。ちょっと嫌だけど、やっぱり来た道を戻ろう。
「え?……ッ、——?!」
踵に何かがぶつかって、次いで背中に軽い衝撃を受けた。そしてこちらが確認する前に、口を塞がれ体を拘束される。腹の前に巻き付けられた腕は藻掻いてもびくともせず、また足元も背後から伸びた長い脚が膝を曲げさせないよう圧を掛けているので身動きが取れない。殺されるのか犯されるのか、最悪の二択が脳裏に浮かんだ。
「こんなところで何してるの?」
耳元で囁かれた言葉には嘲弄の色が窺える。そしてこの声には大いに聞き覚えがあった。
口元を覆っていた手が退けられたので顔を左へゆっくりと動かす。そうすれば案の定、吉田君がいた。
「吉田君こそ」
顔の近さは五センチにも満たなかったのだと思う。何故なら生温かい風に遊ばれた吉田君の前髪が私の顔を擽ったから。
それを意識した瞬間顔が熱くなり、自力で吉田君の腕の中から抜け出す。お陰で解放はされたものの慌てたせいか無様にコンクリートの上へと倒れ込んだ。打ちつけたお尻が痛い。
「大丈夫?」
「う、うん…!それよりなんでこんなところにいるの?」
「俺は仕事だよ」
そう言われて明るい方へと視線を向ける。目が痛くなる光に照らされた看板には時間と料金表が書かれている。そしてちょうど一組の男女がその建物へと入っていった。制服姿の女の子と父親ほどの年齢の男の人。そして改めて吉田君を見た。うん、逆もありなのでは?
「ねぇ、今最低なこと考えたでしょ」
「そんなことは……でも安心して、誰にも言わないから」
デビルハンターの吉田君は悪魔の一体や二体、簡単に殺れる。
そしてこの容姿なら女性の十人や二十人、ヤッていてもおかしくない。
「悪いけどキミの想像は全くの的外れだよ。デビルハンターの仕事でこの辺りに来てただけ」
「こんなところまで?」
「人が多く集まって欲が密集するところにはその分恐怖も集まりやすいからね。それとキミに会うため」
「はい?」
フッと笑って首を傾げると六つのピアスが怪しく光った。それに釘付けになり息が止まる。そして私を見下ろしたままゆっくりと口を開いた。
「俺のこと尾行してたでしょ?」
うっ、と顔を顰めれば笑われた。気付かれていたのは恥ずかしいし気まずい。しかしそれは吉田君にとっても気分のいいことではなかったはずだ。興味本位に悪いことをしてしまった。だけど謝ろうとしたところで一つの疑問が生まれた。
「じゃあ元から私だって気付いてた?」
「うん。足音と気配ですぐに分かったよ」
「じゃあ羽交い絞めにする必要なかったよね?!」
私が拘束された意味とは。危険人物でもなく、ましてや同じクラスメイトに何という非道な行い。いや、私が文句を言える立場じゃないんだけどね。それでも愉快な顔して「ごめんね」というその態度には苛立ちしか覚えなかった。
「次からは気を付けるよ」
「もう二度と後は付けないので結構です!」
「そんな冷たいこと言わないでよ。俺のこと口説いてくれるんでしょ?」
「しないよ?!」
担任のタチの悪い冗談を本人が鵜呑みにしないでほしい。ダメだ、これ以上相手にしても揶揄われ続けるだけ。もう早く帰ろう、今すぐここから撤退だ。
「…………吉田君」
「どうしたの?」
しかしコンクリートに手を付いたところで違和感を覚えた。今まで自分がなったことはないけれど何となくは分かる。だからこそ青ざめた。
「腰が、抜けたかも…しれない……」
後から拘束されたときか、それとも盛大に尻もちを付いたときか。ともかく下半身に力が入らない。どうやら魔女の一撃を喰らったらしい。
「えっ可哀そう」
私と目が合えば、一拍置いてそう言った。
それ絶対に思ってないでしょ。
「待って、どうしよう、本当に立てない」
「大丈夫だよ、とりあえず落ち着こうか」
魔女よりも目の前にいる吉田君の方が恐ろしく感じるのはどういうことだろうか。今だって立てなくなった私と視線を合わせるようにしゃがんでくれてはいるが、その目はどこか好奇の色に滲んでいる。まるで新しいオモチャを見つけたかのような眼差し。
「吉田君、」
「なに?」
「その……助けてほしい、です」
そんな吉田君に助けを求めるのは癪ではあるが今頼れるのは吉田君しかいない。それにやっぱり私は吉田君の顏に弱かった。こんな至近距離で見つめられたら心臓がうるさく動き出すのも必然で。そして吉田君がじっと見つめてくるものだから、それをやめてほしくて助けを求めたのだ。
「じゃあ俺は具体的に何をすればいいのかな」
しかいそれは返って悪手だった。吉田君は顎に手を添えながら、こてんと首を傾げてこちらを見てくる。こっちが腰を抜かしていることは分かっているはずなのに、どうして急にポンコツになるんだ。というか絶対わざとやってるよね?
「手を貸してください」
「それだけでいいの?キミは腰が抜けているわけだから俺の手を借りたところで立ち上がれないと思うんだ」
「大丈夫、とりあえずやってみる」
「もしよければ背負おうか?あっでも女の子の場合は横抱きの方がいいのかな。確かお姫様抱っ——」
「手だけでいいので貸していただけますか?!」
必死に訴えれば吉田君はくすくすと笑いながら自分が先に立ち上がり手だけをこちらに差し出した。それを掴んでなんとか立ち上がるも生まれたての小鹿より足元が覚束ない。それでも背負われるのも抱っこされるのもご勘弁であるのでよぼよぼと歩いていく。
「手じゃなくて腕を握ってくれても構わないよ。その方がバランス取れるんじゃない?」
「まぁ……」
「寄りかかってくれても構わないからさ。ほら、ここ掴んで」
「ありがとう」
何だかんだ吉田君は私の我儘を受け入れ速度を合わせて歩いてくれた。だからこちらもお言葉に甘え素直に差し出された腕に手を絡める。そうすれば先ほどよりも体勢が安定する。心なし脚にも上手く力が加わっているような気がした。もしかしたら治ってきてるのかも。
「迷惑かけてごめんね」
「いいよ気にしないで。それにしても……」
不自然に切れた会話、続きが気になり転ばないよう足元ばかり見ていた顔を持ち上げる。
「こうしてると付き合ってるみたいだね」
想像よりも近い距離にあるネオンピンクに照らされた吉田君の顏。前髪同士が触れ合って、こちらの位置からは普段は隠れてしまっている形の良い眉までもが覗き見れた。しかしそれよりもやはり目を引くのは大きな瞳。そしてそこに映り込む呆けた自分と目が合ってしまえば掴んでいた腕を離すしかなくなった。
「ぎゃっ?!」
結果、私の腰は砕けた。
◇
確かにヤバそうな人だとは思っていたがさすがにあれは人間性を疑った。
「さっきのは誤解だよ」
「誤解も何も見たままだよね?」
「だから違うって。お金を払ったら彼がイスになったんだ」
「そんな人いるわけないでしょ?!」
お昼休みの時間、別のクラスの友達に会いに行った帰りに廊下で吉田君を見つけた。しかしいつもは見上げるほど高い身長であるのに彼の頭は目線よりも下にある。そうか、イスにでも座っているのかと足元を見た瞬間にドン引きした。なんと四つん這いの男子生徒の上に腰を掛けていたのだから。
「同意の上さ。それに彼とは友達だよ」
「それイジメ加害者がよく言う台詞だよね」
その頃にはさすがに吉田君の教科書は揃っていて授業中に机を合わせることはなくなっていた。だから午後の授業が終わるや否や話しかけられる前に帰ろうとしたのだ。きっと人間椅子の目撃現場について何か言ってくると思ったから。しかしその予想は当てられたものの吉田君を巻くことはできなかった。
「俺はイジメなんてしないよ。彼の相談に乗っていただけさ」
別に先生にチクるつもりもなかった。ただ、厄介事に関わりたくないだけ。それでも「相談」と強調された言葉に思わず足を止めてしまった。
廊下の真ん中で吉田君の方を振り返る。
「相談?」
「うん。彼、実は彼女が欲しいみたいでさ。この前、人を紹介してみたんだけど上手くいかなかったから手っ取り早くモテさせようと思って話をしてたんだ」
「イスにさせて?」
「イスになる選択をしたのは向こうだよ」
これ以上、人間椅子に言及したところで吉田君の答えは変わらないだろう。それにしても恋愛事の相談か。確かに吉田君なら女性経験も豊富であろう。ただモテる人相手にその相談事はナンセンスなんじゃないかな。
「吉田君に相談しても参考にならなそう」
「どういう意味?」
「吉田君の場合、誘う側じゃなくて誘われる側だから」
それにもし吉田君から誘ったとしてもこんなかっこいい人からの誘いを断る人はまずいないであろう。人は見た目が百パーセントとまでは言わないが、だとしても彼からの誘いを断れる人がいたら見てみたいものである。
「そうでもないけどね」
「うそだぁ」
「じゃあキミならどこに誘ってくれる?」
「えぇ?」
小首を傾げては口元にだけ笑みを添える。色白の肌と相まってその表情は蝋人形臭さがある。でも彼はちゃんと生きている。その証拠に瞬き一つして目をほんの少し細めた。
「今時の高校生がデートでどこに出掛けるか分からないから参考までに教えて欲しいんだ」
「吉田君も今時の高校生なのに随分と面白いことを言うね」
「ははははははっキミには及ばないかな」
吉田君の笑いのツボが全くもって変わらない。それともあれか。結果的に腰を抜かして立てなくなった私が吉田君に縋りついた時のことを思い出しているのだろうか。結局あの日は私をおんぶして家まで送り届け、面食いの母親に勧められるがまま夕飯まで食べて帰ったもんね。
「その節はご迷惑をお掛けしました」
「いいよ。お母さんにも挨拶できたしね」
「誤解を生むような言い方しないで」
「そういう理由で夕飯を誘ってくれたんじゃないの」
「あれはお母さんが勝手に……もうこの話はやめよ」
このままでは吉田君のペースにはめられて墓穴を掘るだけだ。
逃げるが勝ちとばかりに会話を切り上げ廊下を進む。そうしたら吉田君も着いてきた。というか同じクラスなわけだから逃げれるはずもなかったのだ。
「さっきの話の続きだけど、デートに行くならどこがいいのかな」
そして続けられる会話。変に意識したら負けだ。だからこれは吉田君の友達の為の相談事だと思って答えることにした。
でもこちらも知識が飛ばしいため脳内の引き出しを開けながら漫画やドラマ、友達の話から得た情報を整理していくつか候補を挙げた。
「映画館とか遊園地とか…あとは水族館かな。田無水族館とかペンギンもいておすすめだって友達が言ってた」
「水族館か……なるほど、とても参考になったよ」
「あっヒロフミ君!ちょっといいかな?」
教室から顔を出したクラスメイトが吉田君のことを呼んだ。そうすれば「先行くね」と片手をあげて先へと行ってしまった。
私が少し遅れて教室に入れば吉田君は三人の女の子に囲まれていた。彼女達はクラスの中でも中心的な存在でお揃いの色付きリップを付けるような子達だ。そんなクラスカースト上位の子達が吉田君に目を付けるのは最早必然だ。
他にも吉田君狙いの女の子はたくさんいる。その見た目も去ることながら彼は誰にでも優しいのだ。校門前で気分の悪くなった他クラスの女子を助けたという目撃情報だってある。そして私が言わなくとも彼がデビルハンターであるという噂は広がっていた。どうやらデビルハンター部の人が言っているらしい。
イケメンで優しくて、おまけにデビルハンターという肩書付き。
だから私にだけ優しいわけではないし、もう秘密を知る仲でもなくなってしまったのだ。
聞き耳を立てるつもりもなかったけれど自然と聞こえてきた会話に彼が放課後カラオケに誘われていることが分かった。ほらやっぱり誘われる側じゃん。
遠めから見たその光景はテレビ越しに見るアイドルのような感覚に近い。自分じゃ手の届かない存在に思いを馳せているようなかんじ。でも、イケメンはやはりこれくらいの距離で見るのがちょうどいい。
私が好きになることはない。
なっちゃ、ダメ。
◇
メモ帳に書かれた住所と手書きの地図を頼りに家へと向かう。先生の絵心と字が汚過ぎて随分と遠回りをしたがようやく一軒のアパートに辿り着いた。しかし郵便ポストにも、またアパートの表札にも何も書かれていないのであっているのか不安ではある。
心を落ち着けるため一つ深呼吸をし、そして玄関のチャイムを鳴らした。
三十秒ほど待ってみたが返事がない。部屋を間違えたのか、出掛けているのかはたまた居留守か。しかし、何の前触れもなくガチャリと鈍い音が聞こえ金属の扉が押し開けられた。
「……びっくりした」
「急に来ちゃってごめんね。住所は先生に聞いたんだ」
そこから出てきたのは上下スウェット姿の吉田君。寝起きなのか豊富な黒髪はいつもよりもボリュームを増し、所々跳ねている。掠れた声に気だるげな瞳、でも思いのほか元気そうで安心した。
「いきなりどうしたの?」
「これ吉田君が休んでた間の学校のプリント。それと差し入れ」
そこまで重要でもない課題とお知らせプリントが挟まったクリアファイル、それとビニール袋を渡す。どちらも受け取り、クリアファイルの方は脇に挟んでいた。そして袋の中身を確認している。そこにはコンビニで買ってきた飲料ゼリーやスポーツドリンクが入っていた。
「わざわざ買ってきてくれたの?ありがとう」
「それは全然いいの。あの……ごめんなさい!」
そして私は吉田君に頭を下げた。
昨日、吉田君を含めたうちの学校の生徒数名が悪魔絡みの事件に巻き込まれたのだ。幸いにも死者は出なかったが巻き込まれた人は体感にして三日ほど建物内に閉じ込められた状態だったらしい。その場所が田無水族館だったのだ。
「私が田無水族館を勧めたから吉田君も行ったのかなって思ったら申し訳なくて」
吉田君には関わらない方がいい、と何度も頭で復唱しているのに私は自分から会いに来てしまった。その理由は謝る為ではあったけれど、ほんの少しだけみんなが知らない吉田君を知れたらなっていう下心があった。これではただのストーカーだ。だから私は二つの意味で頭を下げた。
「いや、田無水族館へ行ったのは別の用事があったからだよ。キミのせいじゃない」
「そうなの…?」
「うん」
「じゃあデートとか……」
「え?」
「あっ!」
意図せず出た言葉。うわっこれじゃあ吉田君のこと意識してるのバレバレじゃん。何ならデートだったかどうかを確認するために押しかけた『自称彼女』ヅラしてる女だと思われたかも。これはもう戦略的撤退と言う名の逃げに走るしかない。
「なんでもない今の忘れて疲れてるのにごめんねもう帰……っ、吉田君?!」
吉田君の顏は一切見ずに立ち去ろうとすれば、トン——と鈍い音がして、落としていた視線を持ち上げた。しかし顔まで上げることはなく彼の体は私の視界に入る。壁に肩を付けたままズルズルと体が落ちてきていたのだ。
慌てて扉を抑えて玄関へと踏み入れれば汚れなどお構いなしにその場に座り込んでいた。片膝を立てている彼の横にはいつも履いている一足のスニーカーが並べられている。
「大丈夫?!」
「今回は本気で死を覚悟したかな」
背中で扉を抑えながら同じようにしゃがみ込む。体だけではなく頭も壁に付けもたれ掛かる姿はアンニュイだ。学校では第一ボタンまできっちりと閉めている姿を思い返せばだらしなさすら感じる。でも、もしかしたらこれが彼の本質なのかもしれない。
「本当にごめんなさい」
「だから慰めてくれる?」
「うん。……うん?」
その姿に気を許したのがまずかった。しかし既に手遅れ。
立てた片膝の上に両手を置いて、そのまま寄りかかった体勢でこちらを見てくる。勝手に押しかけておいてなんだがもう帰りたくなってきた。とはいえ慰める、とは?
「具体的に私は何をすればいいのでしょうか?」
「どこまでだったらしてくれるの?」
「っ?!待った、やっぱり自分で考える!」
ちょっと吉田君、にやけながらこっち見ないで。今考えてるからね。それと割と必至だから。これは数学の応用問題よりも難解である。
「これでどうでしょうか?」
右手を伸ばして髪を梳く。そして頭をやさしく撫でてみた。
「意外と積極的だね」
「変な言い方しないで。うちの犬と同じことしてるだけだから」
我が家では穴掘りが大好きな柴犬を飼っている。よく貰ったおやつを地面に隠しては場所が分からなくなりくぅくぅ鳴いている。そんなときは頭を撫でて慰め、お母さんには内緒でこっそりおやつをあげている。
「俺はイヌじゃないんだけど」
「確かに、どちらかというと猫っぽいよね」
「ネコでもないからこっちの方が嬉しいかな」
頭を撫でていたはずの手が宙をかいた。その指先は自分よりも大きな掌に丸め込まれ、きゅっと小さくなる。あっ——という叫びすら上げられず、引き寄せられた体はスウェットの中へとダイブした。初めは訳が分からずに、しかしスン、と息を吸えば自分とは違う衣類と人の香り。うるさい心臓を落ち着けるために深呼吸をすればそれは逆効果で自爆しただけだった。
「あれ?大丈夫?生きてる?」
この場で死んだら私の死因は間違いなく心臓発作であろう。しかし己の心の臓は止まるどころか爆速で動いている。絶対その心音は吉田君にも聞こえているはずだ。でもこれ以上、笑われるのは嫌で必死に冷静さを取り繕った。
「いきなりコアラのモノマネをするのはやめて欲しいかな」
これが今の私にできる最大限の強がりだ。
「違うよ、彼氏になったときのシミュレーション」
でも何枚も上手の彼にしてみれば私のプライドを守る防御壁など吐息一つで壊せてしまう。
そして鼻血を吹き出した私が笑われるのはこの三秒後の出来事である。
◇
似つかわしくない朝の陽ざしを受けながら彼は学校に向かって歩いていた。その背に勇気を出して声を掛けようかどうか迷っていたら不意にくるりと振り返る。「やぁ」と右手を頭の上にかざしながら声を掛けられればもう選択肢は一つしかない。吉田君の下まで全力疾走した。
「おはよう。もう体調はいいの?」
「お陰様で。キミこそ貧血になったりしてない?」
「鼻血くらいで大袈裟な」
「三十分くらい止まらなかったじゃないか」
吉田君からの視線を避けるようにして明後日の方向を向く。そしたら小さく笑われた。
「一週間も学校休んでた吉田君ほどじゃないよ」
「あぁ、それは体調不良が理由だったわけでもないんだ。ちょっとやらなきゃいけないことがあってね」
「そうなの?」
「うん」
しかしその続きを教えてくれるつもりはないらしい。だからこちらも無理には聞き出さずに、そっかとだけ答えておく。
電線にとまった雀は鳴いていて、塀の上でくつろいでいる猫は大きな欠伸をしていた。なんとものどかな朝の時間であり頭上に広がる青空はまさに平和そのもの。
「水族館がなくなっちゃったから出掛ける場所も減っちゃったね。あ、でも最近駅前におしゃれなカフェができたんだって。それとデパートでは今チェンソーマンフェアをやってるみたい。二千円以上買うと限定ピンバッジが貰えるみたいで……」
でも吉田君に出会ってから私の心臓はざわついていて仕方がない。今までの日常が目に見えない形ではあるが崩れていた。その証拠に沈黙を恐れてつらつらとどうでもいいことを話し続けた。
「ふふっ」
頭上からの声に、我に返る。それと同時に自分の下手な演技に泣きたくなった。脇役にすらなれない自分は彼と同じ舞台にいるべきではないのに何を必死になっているんだ。
「一人で喋ってごめん……」
「いいや、続けてくれて構わないよ」
「もういいです」
「えぇ?せっかくキミが口説いてくれてるのに?」
「は……」
顔を上げれば大きな瞳と目が合う。その中の世界に色はないけれど自分の顔が真っ赤であることは分かった。
「ちょっと待って」
「俺は何もしてないけど」
でも色々と分かってるでしょ。私が吉田君の顏に弱いことも、惚れてることも、全部知ってるんでしょ。それが分かってて聞いてくるのはずるい。ずるいけど許しちゃう。
「吉田君、こっち見ないで」
「別にいいでしょ。減るもんじゃないんだからさ」
本気で好きになっちゃうから、やめて。