私が好きな、はじめ君の話。
九井一は不良である。
うちのクラスに来ては柴君と何やら物騒な話をしている。どこそこのチームを潰すだの、金になる話があるのだの、裏切り者がいるのだの。同じ高校生かな?と思うくらいには異次元の話をしている。
「ねぇ柴君」
「ア?なんだぁ?」
はじめ君がうちのクラスから出て行って、私は柴君の席に向かった。柴君はその大きな体を丸めてまさに寝ようとしていたところで。歩み寄ってきた私を不機嫌そうに見上げた。
「今日も黒龍?の集会があるの?」
「だからなんだよ」
「私も行ってみたい」
「アァ?」
柴君はここらを締めている暴走族のボスらしい。で、はじめ君もいるチーム。だから柴君の許可さえ貰えれば私も行けると思った。
「なんでだよ」
「特攻服というものを見てみたい」
半分ほんとで半分うそ。だって自分から接点を作っていかないとはじめ君はどっか行っちゃうからさ。
「めんどくせぇな」
「私のお気に入りのチョコあげるから」
「いらねぇよ」
「今なら飴も付けてあげる」
「ウゼー」
柴君が我儘を言うせいで机の上にはどんどんお菓子が溜まっていく。チョコに飴に、クッキーにガム。後は何があったかなぁとポケットを探っていれば柴君が机に着けていた上半身を起こした。
「オマエのポケットどうなってんだよ」
「柴君と同じ制服のポケットだと思う」
「尋常じゃねぇほどの物出てきてんぞ」
「じゃあ、ふしぎなポケットだね」
ポケットを叩くとビスケットが増える歌知らないのかな。でもあの歌も謎だよね。叩いても一枚ずつしか増えていかないんだもの。鼠算式に増えた方がよっぽど理に適ってると思うんだ。まぁその理≠烽ったもんじゃないけどね。
「ハァ?」
「まぁそれは冗談ではじめ君のために食べ物は常備してるの」
知ってる?はじめ君って細身なのにめちゃくちゃ食べるんだよ。前にどれくらい食べれるのかなって思ってバレンタインに味の違うカップケーキ二十個送ったら一瞬でなくなったんだから。
「ボス、そういえば言い忘れてたことが……ってなんでオマエがいんだよ」
柴君のお眼鏡に叶うお菓子はないかと再びポケットに手を入れようとした時、はじめ君が戻ってきた。そして私と柴君を交互に見てから視線を机へと移す。
「なんだこれ」
「柴君に貢いでた」
「それオレ用の菓子つってたろ」
「安心して。まだ鞄の中にたくさんあるから」
ほらね。はじめ君は食いしん坊でしょ?任せてよ、私はちゃあんと分かってるんだから。はじめ君の好きなお菓子なら秒で答えられるよ。
「なんだぁ?ココの女かよ」
そんな私達の様子を見て柴君は少しにやついた顔で聞いてきた。もしかして柴君にはそう見えたのかな。そうだったら嬉しいなぁ。でもだからこそ柴君にも私達の関係を教えてあげないと。
「親友だよ」
一ヵ月前、中学の卒業式の日に私は告白した。
はじめ君の親友にしてくださいって。
だからありのままの事実を述べたのに隣からは盛大な溜息が聞こえてきた。うーん…この反応だと親友まではいかない感じか。あの時もいい返事してくれなかったもんね。
「ごめん、間違えた」
「…!」
「はぁ?」
柴君の大きな目が見開かれて。私はもう一度教えてあげることにした。
「友達だよ」
へらっと笑えば二人がすんっと真顔になった。
いやいや、急にチベスナのモノマネとか始めないでよ。
◇
九井一は情報通である。
五限目が終わり荷物をまとめて教室を出れば廊下にはじめ君がいた。柴君は休みだよ、と教えれば「知ってる」と返される。あっじゃあ私と一緒に帰ってくれるんだ!なんてはしゃげば二つ返事で頷いてくれた。
久しぶりに一緒に帰れるなぁなんてご機嫌で校門を出る。そして並んで歩き始めたところで、はじめ君は少し不機嫌そうな声で私の名前を呼んだ。
「昨日バスケ部の奴に告白されたろ」
はじめ君の情報網は私の身近の小さな出来事まで網羅している。すごいなぁ。でも私は告白されたこと誰にも話してないんだけどな、何で知ってるんだろ。
「そうだよ。よく知ってるね」
「クラスの女子が話してるの聞いた。で、なんて答えたんだよ」
「保留にした」
「ハァ?何でその場で返事しねぇんだよ」
だってせっかく告白してくれたのにその場で断るのも申し訳ないじゃん。で、どうしたものかと考えていれば向こうに週末一緒に出掛けようって誘われて。それで返事はその時で…みたいな流れになったから結果として保留になったのだ。
ありのままを答えればはじめ君は面白くなさそうに鼻を鳴らした。まぁこんな話、面白くないよね。女の子同士ならきゃっきゃっ盛り上がれるけど、男の子って感心なさそうだし。それにはじめ君にはもう心に決めてる人がいるから尚更どうでもいいよね。
「あのさ、」
「なぁ、」
せっかく一緒に帰れてるんだし、お互いに楽しい話をしよう。そう意気込んで声をかければ重なってしまった。気が合うねぇ、なんて笑えばはじめ君はやっぱりあまり楽しそうじゃなかった。
でも、こう言う場合は先に私に話すよう譲ってくれる。告白したときもそうだった。
しかし今日は違った。
「駅前に新しくできた店、今週オマエのこと誘うつもりだったんだけど」
「え?」
「白桃フェアやってるってHPに書いてあった」
「うそ?!」
新しくお店ができたことなんて知らなかった。もちろん桃のことも。でも何よりもはじめ君が私を誘おうとしてくれていたなんて。
「でもソイツとの予定あんなら無理だよなぁ」
「待って、一緒に行こう」
「向こうの誘いどうすんの?」
「行かない!」
というか、何なら今からお断りの返事をしに行こう!
私ははじめ君にそう宣言をして回れ右をした。きっと彼はまだ部活をしているはず。それなら来た道を辿って学校に戻る。
「じゃあ行ってくるね」
「いや、待て」
駆け出そうとした足がたたらを踏んでその場に留まる。振り返ればはじめ君より先に自分の手首に目がいって、引き止められたのだと理解した。
「別に明日でよくね?」
「こういうのは早い方がいいんでしょう?」
さっき自分で言ってたじゃない。
私の中での優先順位ははじめ君が一番上だ。たとえ彼と付き合ったとしても私の中で最も優先すべきははじめ君なのだ。それならやはり告白は断るべきで、私の中で答えは出ているようなものだった。
「オレと一緒に帰るつったろ」
「まぁそうだけど…」
「行きたい場所あんだけど」
「どこ?」
「ス◯バ」
「うん?」
「学校近くの店は男一人じゃ入りづれぇんだよ」
「そうかな?」
「そうなんだよ。奢るからオマエも付き合え」
「…!もちろんっ!」
私はまた進行方向を百八十度変えてはじめ君の隣に並ぶ。奢ってくれるから行くんじゃない。はじめ君が誘ってくれたから付き合うの。
「私も最近行ってないなぁ。新作出てるかな?」
「なんか甘ったるそうなやつ出てたわ。オマエが好きそうなの」
「そうなの?じゃあ私はそれにしよ。はじめ君は?」
「オレは別に…カフェラテでいい」
それ定番商品だよね。しかもス◯バじゃなくても飲めるやつ。でもはじめ君の場合はコンビニよりもス◯バの方選びそうだよね。私は味の違いとかあんまり分からないから拘りはないけど。
というか、そんなことよりも気になった事がある。
「私が桃好きなこと、はじめ君に言ったっけ?」
果物もだけど、飴とか飲料水とかは好んで選んだりする。私の友達はそのことを知っているけど特に公言しているわけじゃない。だからはじめ君にも当然言ったことはなかった。
「よく桃天飲んでるだろ」
まぁ確かにそうだけど。でもはじめ君の前では買ったこともないと思うんだけどなぁ。
なんで知ってるの?なんて野暮なことはもう聞かない。だって私のことを知ってくれているというだけで嬉しいから。それに私はいま、はじめ君に必要とされている。その肩書きが彼女でなくても私は満足なのだ。
「ス◯バの新作楽しみだなぁ」
「そうかよ」
自分でも分かるくらいには声が弾んでしまって、はじめ君には笑われる。なんだか今日は嬉しい事だらけで顔が緩んでしまう。これならあの日告白をした私も報われるってものだ。
「女友達の私がいてよかったね、はじめ君」
だから私は自信を持ってそう言うの。
でもありのままを伝えれば、はじめ君は微妙な表情をして私から視線を逸らしてしまった。
◇
九井一は頭がいい。
うちは中高一貫の私立校。学力も高く、所謂進学校というところでテストをすれば順位付けをして校内に貼り出す。その中でも九井一の名前はどの科目でも常に上位だった。
「おい」
「んー…」
放課後の図書室。風と温かな日差しが差し込むテーブル席で伏せっていれば肩が揺さぶられた。
ゆっくりと瞼を持ち上げ視線を動かす。するともう一度肩を叩かれ名前が呼ばれ。そこでようやく覚醒した。
「…はじめ君、おはよ」
「おはようじゃねぇよ。図書室で寝んな」
「違う違う。勉強してたんだよ」
「涎の跡ついてんぞ」
「うそ?!」
慌てて口元を拭えばクツクツと笑われて、なんだ揶揄われただけかと理解する。でも恥ずかしかったものだからムッとむくれて睨んでやった。
しかし次にはじめ君と目が合った時にはサッと顔を背けられてしまった。あれ?そんなに怖い顔してたのかな。それか寝起きでそうとう不細工だったとか…だからって無視しないでほしいな。
「はじめ君」
「なに?」
「いや、なに?じゃなくて何で無視するの?」
「あっちの本棚に用があんだよ」
「ふぅん…あっそうだ。いま暇だよね?」
「暇じゃねぇ」
「数学の応用問題が分からなくって」
逃がすまいとはじめ君の制服を掴んで引き止める。そしてようやくこちらを向いてくれたはじめ君に問題集を見せて、教えてほしいと付け足した。
「オレのクラスはまだここまでいってねぇよ」
「そっかぁ」
「まぁ分かるけど」
「ほんと?」
それなら、と私は一つ席を詰めてはじめ君に隣に座るよう促した。四人がけのテーブル席は三つの席が空いていたけれど目の前よりは隣に座って欲しかったから。
「では九井先生お願いします」
「しょうがねぇな」
ノートとペンも差し出して、文字が見えるように距離を詰めた。そういえば、中学三年間は同じクラスだったけど一度も隣の席にはなれなかったなぁ。だからこれは貴重な経験かもしれない。
「この問題はまず図を書いた方が分かりやすい」
「うん」
白く骨張った指先から、視線をはじめ君の横顔へと移す。鼻筋が通った横顔と吊り目は少し冷たい印象を与えるけれど私ははじめ君が優しいことを知っている。中三のとき、修学旅行先で迷子になった私を迎えに来てくれたんだよね。半泣き状態の私の手を取ってくれた時のことは今もはっきり覚えてる。
「これで頂点の座標が分かるから式を組み立て直して——」
中二の時は確か男の人に絡まれていたのを助けてくれた。三対一という不利な状況だったのに一人で伸してしまったのは本当に驚いた。でもその分怪我もしちゃって私が手当てしたんだよなぁ。
「二次関数は計算式が長くなるから凡ミスに気を付けること」
今まで色々合ったけどやっぱ中一の時の思い出が印象深いかな。二人で選挙委員をやって、私が資料の順番間違えてホッチキスで留めちゃってさ。あの時は下校時刻ぎりぎりまで付き合ってくれたよね。それでお礼を言うのは私の方なのに「お疲れ」って言ってジュース奢ってくれて……あの瞬間から意識した。
「で、こうなるわけ」
だから私ははじめ君のことが———
「おい、」
不意にムニっと頬っぺたを摘まれて現実へと引き戻される。いや、現実に戻ったとて目の前にいるのはやっぱりはじめ君で。だから摘まれてるにも関わらずどんどん頬が緩んでいった。
「オマエ聞いてんの?」
「はじめ君に見惚れてて聞いてなかった」
茶化すようにそう言って。
でもそれが私の本音だった。
こんなにも今はじめ君の近くにいれるのは告白をしたからだ。でも裏を返せばこれより先にはいけないんだよね。
「はぁ…」
揶揄われたことが気に障ったのかはじめ君は盛大に息を吐き出す。いや、溜息かな。どちらかといえば私の方が溜息つきたいくらいだよ。
でもはじめ君の場合はさらに頭を抱えだしたのだから、先程顔を背けられたのも相まって少し心配になってしまう。だから私はポケットの中へと手を忍ばせた。
「今日のはじめ君ちょっと変じゃない?」
「いつも通りだけど」
「頭痛いの?頭痛薬あげるね」
「痛くねぇしそれ飴だろ」
「違うよラムネ」
「どっちにしろ薬じゃねぇよな」
「プラシーボ効果って知ってる?」
「知ってるけどオマエがラムネって言ったからもう意味ねぇだろ」
確かに、と笑えば何故だがはじめ君は困ったような顔をしていた。そんなに呆れるような会話だったかな。まぁくだらない話ではあるけれどいつも通りの私達だよね——…私は少しだけ息苦しいけど。
「ねぇはじめ君。こっちの問題も教えて?」
やっぱりあの時に『告白』して玉砕しておくべきだったかな。
そんな後悔をしつつも私ははじめ君の隣にいることをやめなかった。
◇
九井一は一途である。
しかしそれは私に対してではない。
委員会に出たら久しぶりに他クラスの友達と再会してつい長話してしまった。先生に「早く帰れ」と怒られて、ようやく解散して私は荷物を取りに行くため教室へと足を向ける。窓の外を見れば雨が降っていた。家を出る直前に私に傘を投げてきたお母さんには感謝しないと。
「あれ?はじめ君だ」
自分の教室の前。薄暗い廊下ではじめ君の携帯だけが光っていた。
「オマエどこ行ってたんだよ」
「委員会だよ」
「とっくに終わってる時間だろ」
「いやぁつい友達と長話しちゃってさ。私に何か用だった?」
「傘忘れたろ」
「傘?」
「雨降ってきたからオマエのこと送ってやろうと思って」
傘は持ってきたよ。なんなら教室のロッカーに折り畳み傘もあるんだから。だけどはじめ君の言葉が嬉しかったから私は馬鹿なふりをして、ありがとうとお礼を言った。
はじめ君の傘に二人で入って、いつもより距離が近くて嬉しくなる。
他愛もない話をしていたらはじめ君がふと「明日も送る」と言ってくれた。
「柴君はいいの?」
その申し出は確かに嬉しい。でもはじめ君の重りにはなりたくないんだ。
「よくはねぇけど最近この辺りに見慣れねぇ奴らが出入りしてんだよ」
「黒龍の縄張りなのに?」
「あぁ。何があるかわかんねぇから暫くは一緒に帰ってやるよ」
「明後日も?」
「おう」
「明々後日も?」
「おう」
一週間後も?
———そう聞こうとして口をつぐんだ。
いけない、調子に乗り過ぎるところだった。
「ありがとう。はじめ君がいれば安心だね」
「オマエは転ばないように歩いとくだけでいいからな」
「そんなに鈍臭くないですー」
だって来週の木曜日ははじめ君にとって大切な日だからね。私の中での優先順位トップははじめ君だけど、はじめ君の一番は私じゃないってことくらい分かってる。
「送ってくれてありがとう。お礼にお煎餅あげるね」
「なんでそんなでけぇモンがポケットに入んだよ。つーか割れてんじゃねぇか」
「ビスケットじゃなくてお煎餅なら増えるかなって思ってさ」
「童謡を信じんな」
よく歌のことだって分かったね。さすが物知り!って言いたいとこだけど、もしかしたら私の考えてることだから分かってくれてたり。そんな妄想をしては、自分は本当に馬鹿だなぁと苦笑する。
「じゃあまた明日」
「夜も出歩いたりすんなよ」
来た道を戻っていくはじめ君の背を見送る。その右肩のジャケットは色が変わっていた。そういう優しいところを私は知ってる。だから私は自分の気持ちを伝えない。それは困らせるだけだもの。
だってはじめ君には好きな人がいるのだから。
◇
その事を知ったのは中二の時だった。
お盆に曽祖母の墓参りに行ったら霊園の入り口ではじめ君に会ったのだ。夏休み中久しぶりに会えた喜びからか、アイスを食べようとはじめ君を誘った。
コンビニでアイスを買ってそのまま駐車場で食べることにした。そして私は軽い調子で、誰の墓参りに来たのかと聞いてしまった。
「友達の姉貴」
その言い方がどうにも気になって、私ははじめ君に次々と質問をしていった。今思えばかなり無神経だったと思う。
「へぇ…もしかして好きだったの?」
「……あぁ」
その瞬間、私じゃ勝ち目ないって思った。
親族でもないのにお盆に墓参りに来ては線香とお花を供えている。そしてこの先もそれは続くのだろう。決して悪いことじゃない。でも彼女ははじめ君の心の中ずっといるわけで。だからこそ私が入る隙なんてない。
私ははじめ君の事が好きだった。
はじめ君に助けてもらった時に自分の気持ちに確信が持てた。だからそろそろ告白しようかなって思ってたのに。
「そうなんだ」
「まぁもう昔の話だけどな」
はじめ君は昔というけれど、その話を今聞いてしまった私からしたら現在進行形の気持ちであるように感じてしまった。きっと彼女には敵わない。だから諦めるつもりだった。でも三年になっても同じクラスで、諦めるどころかどんどん好きになってしまった。
そして中学の卒業式で私は告白をした。友達という線引きをしてこれ以上気持ちが大きくならないように。それと同時に、迷惑はかけないので傍にいさせてください、というメッセージでもあったのだ。
でも結局、迷惑かけちゃったなぁ。
「ソイツが大寿の女か?」
「あぁ。コイツらと同じ学校の奴の話だとな」
どうせならはじめ君の彼女と間違えられたかったよ。というか、はじめ君を見習ってちゃんと情報収集してほしい。
「私は柴君の彼女じゃないですけど」
「うっせぇなぁ。次暴れたらもう一発殴るからな」
連れ攫われる時に抵抗したら顔を殴られた。歯は折れてないけど口の中が切れて鉄の味がする。そうして無理やり彼等のアジトである雑居ビルまで連れてこられた。
「本当に大寿の奴は来んのか?」
「コイツの携帯から九井って奴に連絡入れた」
「誰だよソイツ」
「黒龍の親衛隊長。でも全然来ねぇな」
迷惑かけちゃった。もう友達すら名乗れないかも。
「ヒマだし遊ぶか」
向こうのリーダーらしき男が立ち上がり、私に嫌な笑みを向けた。
「大寿はやめてオレの女になるか?キレーな顔してっし結構オレのタイプだぜ」
「うーん…それならまだ柴君の方がいいかなぁ」
「ハッ!生意気な女!」
まぁ柴君よりもはじめ君なんだけどね。
男の手が伸びてきて、その後なにをされるかなんて容易に想像できる。だから触られた瞬間、思いっきり股間を蹴り上げて隙をつくって逃げようと思った。
「なんだ?」
その手が制服にかかる寸前、扉の開けられる音がした。ほぼ廃墟と化しているビルではその音は痛いくらい耳に響いた。
「やっと見つけた!!」
「っ、はじめ君…!?」
息を切らせて現れたはじめ君はすでにボロボロだった。白の特攻服は汚れているし口の端も切れている。でもしっかりと私のことを見ていた。
「ンだよ黒龍のボスはどうした?」
「ソイツはボスの女じゃねぇよ。返せ」
「嫌だと言ったら?」
「殺す」
扉の近くにいた二人がはじめ君に襲い掛かる。始めはその攻撃をいなして反撃していたけれど相手の人数は多い。だからあっという間に囲まれてしまった。
「う"ッ、…ガハッ!」
はじめ君の苦しそうな声が聞こえて視界が滲んだ。立ち上がって駆け寄ろうとすれば後ろから肩を掴まれ羽交い絞めにされた。
「ドー——はド突くのドぉぉ!!!」
殴りつける音に呻き声、そして男たちの下品な笑い声を吹き飛ばすほどの轟音が聞こえた。びっくりして身を縮こまらせる。そして次に目を開けたら扉が壊れていた。
「オマエが先に飛び出してくなんて珍しいなぁココ!」
「……悪りぃボス」
「いいや、ドブネズミの駆除ができて感謝してるくらいだよぉ!」
なんで柴君もいるんだろう。でも出てきたのは柴君だけじゃなく他の黒龍の人達もなだれ込んできて大変なことになってしまった。まさに抗争って感じだ。私を羽交い絞めにしていた人も加勢するためその中に突っ込んでいった。
「大丈夫か?!」
この抗争の当事者であるにも関わらず、未だに状況が呑み込めない私は呆然とその光景を見ていた。でもはじめ君が急いで私の元まで来てくれて、そこでようやく張りつめていたものが切れた。
「はじめ君こそ大丈夫?」
「オレの事はいいんだよ。立てるか?」
「うん」
はじめ君が手を引いてくれて、私達は柴君達より先に建物から出た。ここまでくればもう安心だ。でもまだ離したくなくて、私は手をきゅっと握る。そしたらはじめ君も握り返してくれた。
「顔、ごめん」
建物から少し離れたところで立ち止まる。そして私の方を振り返ったはじめ君は泣きそうな顔をしていた。はじめ君は本当にやさしい人だね。
「なんではじめ君が謝るの?」
「だって巻き込んだのはオレらの方だろ」
「ううん、はじめ君の忠告を聞かなかった私が悪いんだよ。それよりよかったの?」
「なにが?」
助けに来てくれた時、ものすごく嬉しかったんだ。もちろん怖かったっていうのもあるんだけど、はじめ君の中で私が一番になれたようで嬉しかったの。
「だって今日ははじめ君の好きな人の命日でしょ?私のせいで、ごめんね」
でも喜んじゃいけないよね。だってはじめ君の一番はあの子なんだから。たかが“友達”の私が思い違うなどなんて烏滸がましいことか。
「……なんだよそれ」
はじめ君が私に一歩近付いて。
———気付いたら抱き締められていた。
その状況に理解が追いつかず私は棒立ちのままでいた。口の中に残った唾液が不快で飲み込めばやっぱりまだ鉄の味がする。私は未だに真っ白な頭のまま腫れ上がった頬をはじめ君の服に埋もれさせた。
「はじめ君…?」
「オレが好きなのはオマエだよ」
顔を殴られたと思ったんだけどその衝撃は脳にまで響いていたらしい。
そう勘違いしてしまうくらいには、私はその言葉を信じられなかった。
「なっ…、いや、だって…」
腕に力が込められて重心が傾く。でもはじめ君が抱き留めてくれたから転ぶことはなかった。
「好きじゃなきゃこんなにオマエに構わねぇよ」
「で、でもっ私ははじめ君の親友で…」
「そんなの了承してねぇ」
腕が僅かに緩められ、顔を上げた。
今までで一番近い場所にはじめ君の顔があって息をのむ。
「オレはあの日、オマエに言うつもりだった」
心臓がうるさくて、うるさくて。
でもはじめ君の声ははっきりと聞こえた。
「それなのに先にオマエが親友になれっつったから自信なくしたんだよ」
どうやら私は盛大な勘違いをしていたらしい。
でもそれなら欲張ってもいいのかな。親友でも友達でもない関係になりたいと望んでもいいのかな。私が一番になりたいって言ったらなんて答えてくれる?
「はじめ君、もう一度言わせてもらってもいい?」
私はあの日の『告白』をやり直したかった。
「ダメだ」
でもそれははじめ君も同じだった。
「次はオレから言わせて」
私は一つ頷いて、その続きをはじめ君に譲った。
「オマエのことが好きだからこれからは彼女として一緒にいて欲しい」
その答えはずっと前から決まってた。
「私も、はじめ君のことが好き」
そしたら痛いくらいに抱きしめられて、九井一の説明に“馬鹿力”も書き足しておこうって思った。
そしてもうひとつ、これが一番大事なこと。
私が好きな九井一は、私の事が好きである。