伝えきれない男とすれ違いコントを極める女のラブコメディ

軽やかにヒールを鳴らす私とは裏腹に、後を着いてくる革靴は大層重い足取りだった。

「やったね!これで軽く一億は梵天に入るんじゃない?」

都内某所、会員制のフレンチレストランにて。全席個室のこの店は重要な取引が行われるときに使用する。今夜もまさにその理由でここ来た。そして私の様子を見て分かる通り、その結果は完全勝利Sだ。

「まぁな」

しかし、梵天の経理を一手に担うかの男はあまり喜んではいないようである。後ろを振り返ればちょうどネクタイを緩めていた。鬱陶しそうに首を振れば肩まで伸びた髪も揺れる。その銀の糸を視界に入れ私は、なぜ?と首をかしげる。

「ココくんは嬉しくないの?」

九井一——梵天の金周りを全て管理している男である。ココくんとの付き合いは一年くらい。元々私は別の組織にいたのだが、その組織が梵天に潰されたときに引き抜かれた。役割的にココくんと行動を共にすることが多く、気付けば「ココくん」と呼ぶくらいには親しい間柄になっていた。

「そんなことねぇけど」
「にしては喜んでないよね?」

今日の商談は梵天でも過去一大きな金が動くと言われていた。だからこそこの一ヵ月は寝る間も惜しんで準備をしたし、ココくんも相当入れ込んでいた。というのにどうにも反応が薄い。

「これでも喜んでるわ。つーか、オマエこそよくそのテンションでいられんな」

エレベーターのボタンを押せば電子の数字が動き出す。しかしこの階まで到着するには少し時間がかかりそうだ。

「どういう意味?」
「オッサンに体触られてたろ」

あぁ、そのことね。確かに話し合いをしている最中、不躾な視線を向けられたりセクハラめいた言葉ももらった。終いには酔ったふりして腰や尻を触られたがその程度だ。もちろん気持ち悪かったし、脳内では中指突き立てながら愛想笑いをしていたが結果的に商談は梵天優位でまとまった。

「大金手に入るんだし別にいいでしょ」

特有の電子音がエレベーターの到着を知らせる。そうすればココくんが扉を抑えてくれたのでお礼を言って先に乗り込む。私がボタンを操作して、ココくんが隣に並んだ。それを確認して一階のボタンを押す。

「あくまで交渉人だろ?ハニトラ要因まで任されてねぇんだからそこまでしなくていい」

確かに私は交渉術を買われて梵天に引き抜かれた。だから体を売る必要もないし、もちろん私もそんなことはしたくない。でもそれなりにこの世界にいれば”女”という武器が必要になることもある。

「これも交渉術の一つだって」
「オマエは一応オレの部下扱いなんだよ。勝手な事すんな」

確かに私は梵天内で幹部と同程度の扱いを受けてはいるが組織図上ではココくんの部下扱いとされていた。というのも私に戦闘能力がないからである。下手すれば他の組織に目を付けられ脅迫材料に使われる恐れもある。ボスからのお達しもあり、現状このような待遇を受けさせてもらっていた。

「でも…」
「『はい』か『イエス』以外の返事はいらねぇ」
「うわぁパワハラ上司」
「ア?」
「あっ一階に着いた!」

先程と同じ電子音が響き再び扉が開かれる。そして逃げるようにエレベーターから降りた。ココくんって基本いい人だけど偶に融通が利かないところがあるから困る。灰谷兄弟から飲みに誘われたと言えば明日の仕事に支障が出るから行くなと言われ、三途に銃の使い方を習おうとすれば時間の無駄だと一蹴された。そしてボスと一緒にたい焼きを食べていれば一応は自分の立場を考えろと怒られる始末。

「おい、走ると転ぶぞ」
「大丈夫だって」

オカンはちょっと黙ってて。娘は絶賛反抗期です。これ以上のお小言頂く前に帰ったろ、と早歩きで外へと向かう。しかしヒールが入口の大理石を踏んだところで地鳴りのような騒音が耳をつんざいた。出ればバケツをひっくり返したような大雨が。最悪だ。天気予報を見て来ればよかった。

「やべぇな」

私に追い付き隣に並んだココくんも外の景色を見て似たような感想をこぼしていた。互いに傘は持っていない。しかしさすがは敷居の高いレストランといったところか、店の前にはタクシーが控えている。しかしほとんど出払っていて一台しか停まっていなかった。それでも一台あれば十分だ。

「とりあえずタクシーで、…っくしゅん!」

湿気を纏った冷たい風が肌を撫でる。夜も深く、気温も大分落ちているようだ。傘よりも上着を持って来た方が良かったかもしれないな。そんな後悔と共に鼻をすすって身震いをしていれば、目の前にジャケットが差し出された。

「オレので良けりゃ着ろ」
「え?いや、悪いからいいって」
「風邪引かれても困んだよ」
「じゃあお言葉に甘えて」

過保護だなぁと思いつつもそこは素直に受け入れておく。

「サイズ大丈夫か?」
「うん、ありがと」

まぁココくんのことだから私にだけしてるってわけじゃなさそうだけど。事務の女の子達も「九井さんは梵天内でまだ上司にしてもいい」ってよく言ってるし。そうとなればここは一つ部下らしく胡麻でも擂っておくか。

「今まで一番女の扱いが上手いのは蘭さんだと思ってたけどココくんも中々やるね」
「は?」
「安心して、社内でもちゃんと噂は広めとくから。人相は悪いけどその分ギャップ萌えとばかりに優しさのバーゲンセールを不定期に開催するって」
「テメェふざけんな人の善意を踏みにじりやがって。今すぐ脱げ」
「え、唐突な飴と鞭?それともこれがツンデレってやつ?」
「返せ」
「だが断る」

このリジュネ装備を手放して堪るかと胸の前で襟をかき集める。でも実際にその気はなかったらしい。その代わりに盛大な溜息つかれたけど。掛ける言葉を探していれば「早く行くぞ」と背中を押され、タクシーに押し込まれた。





店を出てから三十分。渋滞に巻き込まれ、ついには全く動かなくなってしまった。というのもこの先の道が冠水しているらしい。先の道にはテールランプの光の川が出来ていた。

「どうすっか…」

幸い、私の家はここで降りても徒歩で帰れる距離。しかしココくんの家はさらに先にある。下手すれば車内で朝を迎えることになるかもしれない。

「ココくんもうち来る?」
「は?」

そこは「いくいく〜!」くらいのテンションで返してもらってよかったんだけどな。傘はないから結局濡れることにはなるけれど、うちに来ればタオルも貸せるし服も乾かせる。いつ動くか分からない車内にいるよりはマシだと思うんだ。

「いや、でも…」
「運転手さんこれ運賃です、お釣りはいらないので。よし、走るぞココくん!」
「なっ?!勝手に決めんな!」
「駄々こねない!」
「こねてねぇわ!」

渋るココくんを車内から引き摺り出し、雨降る夜道を全力疾走した。





水浸しになりながらも私の家へと辿り着き、タオルをココくんに渡す。私も自分の体を拭きつつ、借りたジャケットはクリーニングに出して返すと約束した。

「別にいいけど」
「よくないよ。あっでも傷んじゃったかな?それなら弁償するよ」
「しなくていい。つーかそんな金あんならもっといいとこ住めよ」

玄関先で髪の水滴を拭いながらココくんは家の中を見回した。1LDK築三十年の賃貸マンション。オートロックもなければインターホンも付いていない。でも私はこの家に何一つ不満はなかった。

「寝るだけにしか帰ってこないしここで十分」
「オマエの給料ならもっといいとこ住めるだろ」

先に脱衣所に入り少し物を片付けて給湯器のスイッチを入れた。古いマンションではあるけれどお風呂とトイレが最新設備なのは有難い。

「住むところにお金かけても勿体ないでしょ」
「防犯とか色々あんだろ」
「こんなところの方が逆に狙われないんだって。ほら、お風呂の準備できたよ」

脱衣所から顔を出せばココくんは未だに玄関で突っ立ったままでいた。床はフローリングなんだから気にせず入ってくれていいのに。こっち来て、と声を掛ければわざわざ靴下を脱いで来てくれた。律儀だなぁと感心する。そしてこちらまで来たココくんに新しく用意したバスタオルと着替えを手渡した。

「はい、これ使って。シャンプーとかも私のでよければ使ってくれていいから」
「おう……つーかこの服誰の?」
「三途の」
「はぁ?!」
「うっそー」
「ア゛?」
「そんなガチギレしなくても…」

ちょっと揶揄っただけなのにさ。反社はおっかない人しかいなくて困っちゃうね。
弟が置いてったの、と付け加えてそのまま脱衣所の扉を閉めた。去り際に、ココくんからは私が先に入れと言われたが濡れた服を乾燥機に掛けるという名目で半ば強制的に入らせた。さすがに客人に風邪を引かせるわけにはいかないからね。

自分もタオルで身体を拭いて一度着替える。そしてココくんと入れ替わりで私もシャワーを浴びた。そのまま脱衣所で髪を乾かしながら時計を確認すればとっくに日付は超えていた。しかし音からして外ではまだ相当な雨が降っているようだ。服が乾いたとしても今日は泊ってもらった方がいいかもしれない。

「いや、服乾いたら帰るわ」

しかし、そう提案してみたものの断られてしまった。
ココくんはボスへの報告を終えたであろうスマホを持って立ち上がる。

「雨まだ振ってるよ?来客用の布団もあるしそれ使ってくれていいから」
「いや、いい」
「もしかして雨漏りの心配してる?確かに古いけど補強工事はちゃんとやってるから心配しないで」
「そうじゃねぇよ」

じゃあ潔癖か?そういえば前に竜胆くんとペットボトルの回し飲みをしていた時もこの世の終わりみたいな顔してたっけ。でも布団に関しては定期的に天日干しもしているしどうか安心していただきたい。まぁどうしてもって言うならココくんが私のベッドを使ってくれてもいいし。

「男が泊まるわけにいかねぇだろ」
「私は気にしないけど」

はぁ、とそこで盛大な溜息をつかれた。ほらやっぱり疲れてる。シャワーも浴びてせっかく体も温まったんだからここにいた方がいいよ。そう声を掛けてみるもココくんはあまり良い顔をしない。

「オマエはもっと自覚しろ。狭い空間で男と二人きりになるんだぞ?寝てる隙に襲われるかもとか、少し考えりゃあ分かるだろバカ。だからオレは泊まらねぇ」

ココくんの言っていることは理解できたが、納得したかどうかは別の話である。だってこの空間にいるのは私とココくんで、互いにその気がないなら間違いは起こらない。だから私としては問題なしだと思うのだけれどココくんはやはり帰るつもりらしい。うーん…どうしたら説得できるのだろうか。

「あっ分かった」

私は一つ名案を思いつきキッチンへと向かった。そして冷蔵庫と戸棚を漁り、必要な物を揃えて盆にのせる。それらが落ちないようバランスを取りながら大して長くもない廊下を走りココくんの元へと戻った。

「今日は飲もう!」

泊まる=寝るという行為であるなら、寝なければ泊まったことにはならない。この命題の真に気付けた私は天才なのでは?

「オマエはバカか?」

出◯哲◯かな?また唐突にディスられたんだが。バラエティのてっちゃんの場合は最大限の賛辞とも言われるその言葉も、梵天のはっちゃんにかかればただの暴言である。せめてもう少し暴言のバリエーションを増やしてほしいわ。

「飲んでオールすれば問題ないでしょ」
「おい、オレの話聞いてたか?少しは危機感持てつってんだよ」
「危機感も何も…ココくんはそういうことする人じゃないでしょ」

梵天に来た頃は私のことを煙たがる人間もいた。ぽっと出の私に重要な仕事が任されれば妬まれたし、ボスと寝たから今のポジションに付けたのだというデマも流された。裏切り者の汚名を着せられたり、偽の情報で危ないところに行かされたこともあったけど、その度にココくんが助けてくれた。

「今日だって向こうのセクハラオヤジを追い払ってくれたよね」

この裏社会において、人を信用することは命を預けることに値する。それほどまでに暗箭傷人のような行為が当たり前に行われる世界。そんな中でも私はココくんに心を許しつつあった。

「これからも頼りにしてるね。ってことで飲もう!」
「ったく…わぁーったよ」

ココくんは座り直して、そして何故かばさっとバスタオルを頭から被った。白饅頭の出来上がりである。髪が乾いていなかったのだろうか。それとも山姥を切った写し刀のまねっこかな?でも髪色的には本科の方だと思うんだ。

「おーい、ココくん起きてる?」

いや、もしや寝たか…?しかし呼びかければ顔を上げてくれた。なんだ遊んでただけか。勘違いさせないでよね、なんて膨れれば「オマエがな」と言われた。もしや私の心を読まれたのだろうか。やっぱり写しの方だったのね、理解不足でごめん。

「とりあえず慰労会ってことで乾杯しよっか」
「それなら明日ボスがやってくれるってよ」
「そうなんだ。でもせっかくならココくんと二人で祝いたいな」

みんなでやる飲み会だと有象無象の修羅の国になって会話もまともにできないしね。
プルタブに指を引っ掛け二本の缶ビールを開ける。洒落っ気はないがこのままでいっか。それを一つココくんに手渡した。

「それ他の奴には言うなよ」

あー確かに。先に祝杯上げてたなんて知れたらあの人達ねちねち言ってきそうだもんね。じゃあこれは二人だけの秘密ってことで。

「もちろん!じゃあ乾杯!」
「乾杯。お疲れさん」

缶の当たる安っぽい音が部屋に響く。
それを一気に喉に流し込んだ。





ふっと意識が浮上して重い瞼を持ち上げた。それと同時に体の下敷きになった右肩に痛みを感じ顔を顰める。しかも腰の上に何か重たい物まで乗かっているようだ。
一先ず体勢を変えようと、よっこらせと身を捻って体を反転させた。そしたらあらびっくり。目の前にはココくんの顔があった。

「えーっと…」

蘇るは昨夜の記憶。あー…うん、やらかした。これは散々飲んで寝落ちしたパターンだ。ココくんの腕を枕にしていたあたり、相当迷惑をかけたことが分かる。というかココくんの肌綺麗だな。万年、目不足ですとばかりに隈を作っているくせに羨ましすぎる。お高い化粧品でも使っているのだろうか。私もスキンケアくらいもう少しお金をかけようかなぁ。

「ん…」

まじまじと至近距離で顔を見ていればココくんの睫毛が震えた。それと同時に私のお腹が小さく鳴る。悲しきかな、こんな状況でも腹が減るのが人間である。さすがにお腹の音まで聞かれていたら恥ずかしいな、とココくんの様子を伺った。そしたらようやく目が覚めたらしい。三度の瞬きの後、ココくんと目が合った。

「ねぇ、お腹空かない?」
「……この状況での第一声がそれかよ」
「ココくんも食べる?」
「おう」

自分だって即答じゃん。まぁ昨日の会食ではそんなに食べられなかったしね。痺れていない方の腕をついて起き上がればお腹の上に何かがずり落ちた。ココくんの腕だった。どうやら抱き枕代わりにされていたらしい。ならお互いさまってことで謝らなくていいか。

ローテーブルに散らかった空き缶をゴミ袋へとまとめキッチンへと移動した。しかし、冷蔵庫の中を確認するも不規則な生活が続いていたため大した食材は入っていない。そこで冷凍庫を確認すればタッパに入れられたご飯とラップに包まれた鮭が発見された。二つともそこまで古いものではないので使えそうである。

「何作んの?」

ココくんも私の後を着いてきたらしい。そんなピ○ミンみたいにならなくても…向こうで待ってていいよ、と声を掛けるが首を横に振られた。そんなにお腹が空いているのだろうか。ピ○ミンよりはチ○ッピーに近いのかもしれない。

「お茶漬け」
「茶漬けを“作る”って言うのか…?」
「もしかしてパスタ茹でるのは料理じゃねぇって言うタイプの人?はい、ギルティ」
「誰もそこまで言ってねぇだろ」

ガスコンロのグリルに火を点けてその間に鮭の下準備をする。凍っていてもアルミホイルを使えば上手く焼くことが出来る。電子レンジでご飯を解凍させ、その間に鍋に水を入れてだし汁の準備に取り掛かる。

「市販のじゃねぇのな」
「だから作るって言ったでしょ」

というかココくんはいつまで背後にいるつもり?もしや私はスタンド使いだったのかだろうか。どうりで毎回的確なツッコミが飛んでくるわけだ。但し、私の意思に反して動いてるけど。

「そんなに物珍しい?」
「まぁ」

あーココくんの家って絶対にオール電化だよね。キッチンもIH使ってそう。でも魚を焼くならガスを使ったグリルの方が美味しいはず。築三十年の底力を見せてやるわ。期待してて、と大見栄切って親指立てれば「ヘマしないように見といてやるよ」と言われた。小姑か?余計なお世話である。働かざるもの食うべからずだ。私もスタンド使いらしくココくんに手伝いをさせた。

「できた!」
「おー美味そう」

白米の上には身はふっくら、皮はカリカリに焼けた鮭。そこにかつお出汁と昆布茶をベースで作っただし汁をかける。上には胡麻と海苔、そしてどんぶりの縁にはワサビも添えて完成である。飲んだ翌日はやっぱりこれでしょ。

「「いただきます」」

両手と声を合せてから箸を取った。鮭の身をほろほろほぐして馴染ませて、お米と一緒に掬い上げる。うん、だしの加減もちょうどよく荒れた胃にもやさしく染みた。皮はちょっと焦げたけど私としてはこれくらい苦い方が好き。甘鮭だから尚更だ。

「毎日食いてぇかも」

ココくんのどんぶりを見ればもう半分はなくなっていた。随分とお気に召したらしい。ただし、その発言は嬉しいけれどいくら何でも如何なものか。自分への特大ブーメランになってない?

「ココくんこそ危機感持ちなよ」

その言葉って下手したプロポーズだよね。相手によっては本気にしちゃう子もいるんじゃないかな。

「どういう意味だよ」
「毎日食べたいなんて結婚してくださいって言ってるようなもんでしょ」
「別にそんなつもりじゃねぇよ」
「そう?でも勘違いする子もいるから気を付けた方がいいよ」
「じゃあオマエは勘違いしたわけ?」
「うーん…そもそも胃袋掴まれてころっといくような人は無理かなぁ」

男をつかむなら胃袋をつかめと言うけれど生憎私は料理上手ではない。お茶漬け以外で得意料理を三つ上げろと言われればパスタ、うどん、ラーメンだ。茹で時間に関しては任せといて。でもそれ以上のことは出来ないので料理の腕には期待しないで頂きたい。まぁ嫁ぐ予定もないから私には関係ないか。

「ん?ココくんどうしたの?」

最後の一粒まで掻き込んだところでココくんがこちらを見ていることに気が付いた。もしや量が足りず私のを狙っているのだろうか。

「別に」
「やっぱり量足りなかった?」
「そういうんじゃねぇから」
「賞味期限切れの納豆ならあるけど食べる?」
「いらねぇ」
「良い感じに熟成されてると思うんだよね。ちょっと待ってて」
「やめろ」

どうやら腹は膨れたらしい。ごちそうさま、とまた二人で声を合せて食器の片づけをした。だが、そこでなんとココくんが皿洗いを名乗り出てくれた。お言葉に甘えてお願いをする。そして一人リビングに戻った私は換気のために窓を開けた。爽やかな透明な風が髪を撫でる。昨日の雨は嘘のように上がっていた。

「ん?電話…?」

ぐっと伸びをしていればテーブルの上のスマホが鳴った。ディスプレイを見れば“三途”の二文字が。昨日の商談結果を知りたいのだろうか。いや、でもそれは夜の内にココくんがボスに連絡入れてたしな…あっ今夜の飲みの事かな。店決めの連絡だろうと当たりを付け、迷わず通話ボタンをタップした。

「もしもし」
『出ンのおせぇ…って、は?』
「切れる前に出たからいいでしょ」
『はぁ?!なんでオマエなんだよ!!』
「いきなりなに[[rb:キレ>、、]]てんの?洒落か?」
「おいバカ!それオレのスマホ!」
「え?!」

慌てて手の中のスマホを確認すればそのカバーは私のものとは違っていた。機種自体同じものだったから全く気付かなかった。未だに喚き声が聞こえる電話を躊躇いなく切る。しかし、時すでに遅し。

「ご、ごめん…」
「ったく」

部屋に静寂が訪れるもまたすぐに手元のスマホは震え出す。言わずもがな同じ人間である。それをすぐに切るもまた着信がくるという無限ループ。

「オマエのスマホも鳴ってんぞ」

一生回答権の回ってこない早押しクイズ大会の如くタップゲーを繰り返していればココくんがスマホを手に取った。それこそが本当の私のスマホである。しかし着信相手を私が確認する前にそれはココくんの手により切られてしまった。

「なんで切ったの?!」
「蘭からだった」
「うわっ」

そうしている間にまたスマホは鳴り出した。しかもそれは私達の手元以外からも聞こえて来る。おそらく互いのバッグに入っている仕事用の物である。なんだこれ、スマホの大合唱かな?と言いたくなるくらいにはとにかく煩い。

「とりあえず電源落とすぞ」
「うぅ…分かった」

計四台のスマホには黒き石板になってもらうことにした。最後にディスプレイに表示されていた名前が「ボ」から始まって「ス」で終わる人からだったが見て見ぬふりをする。でもこれも一時しのぎに過ぎない。顔を合わせればきっと根掘り葉掘り聞かれるに違いない。

「本当にごめん…」

もう面倒くさい未来しか見えない。今夜は慰労会ではなく拷問会になりそう。いや、その前に一度事務所の方にも顔出さないとだった。三途たちがいたらどうしよう。でもボスを味方に付ければ誤解は解けるか…?あっでもさっきワン切りしたばっかだったわ。

「やっちまった事はしょうがねぇだろ」
「まぁそうだけど…」

私が頭を悩ませているというのにココくんは随分と余裕そうである。何か策でもあるのだろうか。どうするの?と聞けば「何とかする」と返される。うーん、まぁココくんの事だから何とかしてくれるだろう。とりあえず任せておくか。

さて、うちにいつまでもいては物騒な輩が乗り込んでくるかもしれない。そう考え家を出ることにした。といっても行く先は梵天事務所なのであまり気は乗らないが。

「そろそろ行くか」
「あっココくん忘れ物!」

身支度をして家を出る準備をする。窓の戸締まりをしていた私は床に落ちていたものを拾い上げた。シャツと一緒に掛けていたから気付かなかったのだろう。自分の荷物とそれを持ち、先に玄関へと向かったココくんを追いかけた。

「なに?」
「ネクタイ」
「あっ悪りぃ」
「こっち向いて」
「は?」
「着けてあげる」

ココくんの両手ふさがってるしね。だからネクタイを広げて、さぁ首を差し出せとばかりにこちらを向くのを待った。しかし、ココくんは硬直したまま動かない。

「どうしたの?」
「いや、オマエ不器用なんだから結べねぇだろ」
「失礼な。弟にも『姉ちゃんに締めてもらうと頭が真っ白になって身も心も軽くなる』って褒められたんだから」
「絞まってんじゃねぇか。早く貸せ」

私の手からネクタイが消える。そしてココくんは鞄を床に置いて自分で着け始めてしまった。せっかく私の華麗なるネクタイ結びをお披露目しようと思ったのにさ。

「照れなくていいのに」
「自惚れんな」
「あらやだ可愛げのない人」
「うっせぇ」
「もう分かったから落ち着いてよ。それでネクタイは結べた?」
「なんでオレが窘められたみたいになってんだよ」

ココくんが床に置いた鞄を持ち上げる。そして私が次に確認したときには首元で位置を調整しているところだった。私がやるより早い。確かに出番はなかったかも。

「ん?オレの鞄どこいった」
「ここだよ。はい、どうぞ」

両手で鞄を差し出す。あっそういえば弟にもう一つ褒められたことがあった。「姉ちゃんは料理のレパートリーは少ないし不器用だし減らず口は絶えないけど愛嬌はあるよね」と言われたんだ。それは確かちょうどこんな風に荷物を手渡した時で——おや?

「え、もしかして照れた?」

ネクタイの時とは打って変わり私の手にはまだ鞄が残っている。玄関の段差だけでは埋まらない身長差に、そのまま視線だけを上へと向ける。そしたら頬を赤くしたココくんの顔が。おやおやこれはこれは…ようやく私のターンがきたってことかな。いつやるの?今でしょ!

「ココくん照れたでしょ!」
「ちげぇし!自惚れんな!」
「あっもしや私に惚れたな、ぁッ?!い゛っ…、ちょっと痛いんですけど?!」

強烈なまでのデコピンを額に食らった。梵天幹部の中じゃ一番非力そうなのに指の力は強いのか。あまりの痛さに風穴空いたかと思ったわ。赤くなったであろう額を撫でる私を余所にココくんは外へと出てしまう。私も靴を履いて慌ててその背を追いかけた。

「もう待ってよ!」

たたらを踏んで外へと出る。足早に出ていったと思ったけれどココくんは扉のすぐ横で待っていてくれた。ココくんって恥ずかしがり屋の割には素直だよね。だから私もつい揶揄い過ぎたと反省した。

「さっきは言い過ぎた、ごめんね?」
「あんま変なことぬかすんじゃねぇぞ」
「うん」

和解成立である。よかったよかったと安心して家の鍵を取り出した。戸締まりは忘れずに。一緒に付いているキーホルダーを指先に引っ掛けて、鍵穴へと差し込んだ。

「もう惚れてっから」

建付けの悪い扉だから思いっきり閉めてからでないと鍵が掛からない。そのせいでココくんの声は見事にかき消された。

「ん?今なんか言った?」
「だからオマエもアイツらへの言い訳は一応考えとけよ」
「え、部下の失態をカバーするのが上司の役目では?」
「都合のいいときだけ寄せてくんな」

ああ言えばこう言うなぁ。全く困ったものである。でもやっぱり頼りにはしてるからさ、後処理はよろしくね―――え、なになに?ふざけんな、だって?はぁ?!さっきは何とかするって言ったじゃん!

そんな責任の押し付け合いをしながらも、雨跡残る朝の道をふたり並んで歩き出した。