好きだから
あ、今日は来た。
私の前の席の男の子は不良だ。
髪の毛を染めていてピアスも付けている。学校に来るのもまちまちで、偶に大怪我して顔にでっかな絆創膏を張り付けて登校してくることだってある。
クラスの、特に女の子たちは怖くて苦手だなんて言うけれど私は彼——松野千冬のことをかっこいいと思う。
それはきっと、好きだからかっこよく見えるのだ。
「はよ」
「おはよう、久しぶりの登校だね」
彼は机の上にバックを置いて席に着いた。今日も授業は五限目まであるというのにそれは随分と軽そうである。
私は彼に言われる次の言葉を予想して机の中から一冊のノートを取り出した。
「悪いけどまた数学のノート見せてくんない?」
「言うと思った」
はい、と手渡せば「サンキュー」と猫目を細めてお礼を言われる。
友達からは「都合よく使われてるね」なんて馬鹿にされるけれど私としてはそんなこと何ともない。
だって私が好きな彼は、私という物語の中の“ヒーロー”なんだから。
みんなは松野君のことをよく知らないだけで、彼は決して怖い人なんかじゃない。
確かに不良だし、暴走族だし、喧嘩もするけど私と同じ中学生だ。
「助かったわ。これで一限目寝ても大丈夫そう。昨日集会あって眠いんだわ」
そんなことを言うけれど授業中はちゃんと起きてることを私は知っている。
「ねえねえ、昨日うちの犬の変な写真が撮れたんだ」
「マジで?見せてよ」
クラスではクールで滅多に笑ったりはしない。
でも、
「隠されたオモチャを見つけたと思ったらそれがお父さんの靴下だった時の表情」
「ぶっは!めっちゃしょんぼりしてんじゃん!」
犬の写真を見せたら顔をふやけさせてデレデレになる。
その顔が見たくて私の携帯の写真フォルダは愛犬でいっぱいだ。
松野君と話す度に、その顔を見る度に可愛いなぁ、愛おしいなぁと思ってしまう。
貴方のことがほんとうに好き。
私だけの“ヒーロー”になってくれないかなってひっそりと思っている。
◇
「さっきから携帯光ってない?」
「マジか」
放課後、荷物を教室に置きっぱなしにしてブリックパック片手に戻ってきた松野君にそう教えた。彼のバッグのポケットに入っている携帯が目についたのだ。
席が前後で、クラスの中では割と話すほうなのに私は松野君のメアドを知らない。まぁ交換するキッカケもないんだから当然か。
もしメアドが分かったら明日の授業の時間割りだって教えてあげるのに。
朝だって早起きしておはようメールだって送ってあげる。
「場地さんからだったわ」
「尊敬してる先輩だっけ?」
「そ。今日は学校来てるから一緒に帰らないかってさ」
場地さんが羨ましい。私だって松野君と一緒に帰りたい。
帰りがけにコンビニとか寄ったりしてさ、二人で肉まんとか半分こしてみたい。いや、もしかしたら松野君はあんまん派かもしれない。そしたら粒あんこしあん論争まで発展しそう。でもそれで会話が増えるならやっぱり一緒に帰りたい。
「走りに行くの?」
松野君ってバイクも持ってるんだっけ。おそらく無免許なんだろうけど後ろにだって乗ってみたい。
「どうかなー」
「千冬ぅいるかぁ?」
「場地さん!?オレの教室まですんません!」
ひったくるようにバックを掴んで教室を出ていった松野君。
その背中に「またね。」ってひとりごと。
だって貴方、次はいつ学校に来るから分からないからさ。
たとえ松野君が毎日学校に来たってそれじゃ足りない。
休みの日だって会いたいし。
寝落ち電話もしてみたい。
くだらないことたくさん話して、しょうもないことで笑いあって、通信料やばくなって親に怒られたりとかして。
だからまずは連絡先を知りたいのに、そんな勇気はちっともなくて。
私はそんな自分にあきれてしまうの。
◇
せめて松野君が私のことを意識してくれたらな、って。
そう考えていたら馬鹿なことをしてしまった。
洗面所に置きっぱなしにしてあったお姉ちゃんの香水をつけてみた。でも香水なんて付けるのが初めてで制汗剤と同じ用量でつけたらめっちゃ咽た。
「なんか甘い匂いしねぇ?」
「ごめん……」
登校したら早速そんなことを言われてしまった。
意識してもらえたのだから成功だと言ってもいいのだろうか。でも印象がマイナスになってしまったらそれは何の意味もないのだ。
「香水か?」
「お姉ちゃんの付けてみようかなって思ったらつけすぎちゃって……」
「ふぅん」
「すぐにタオルで拭き取ったんだけど、臭いよね…」
最悪だ。
傍にいたくないから帰るわ、なんて言われかねない。
シャワーを浴びて来ればよかったと心の底から後悔した。
「そんなことねーよ。それにオレはこの香り嫌いじゃねぇけど」
うそ。本当に?
私は単純だからさ、そんなこと言われたら期待しちゃうよ?
嫌いじゃない香りは、傍にいても不快じゃないという意味で。
オレ以外にオマエの匂いなんて知られたくねぇ、とか言ってもらったりして。
オレだけのものになってくれとか言われちゃったりしてさ。
そんな妄想を寝る前にたくさんして。
でも現実味はないから「明日こそは。」と意気込んでメアドを聞く手段を考える。
ベッドの上で愛犬を松野君に見立てて何度もシミュレーションするの。
貴方のことを考えながら「また明日。」ってひとりごとを言って。
夢で会えますようにとお祈りして、瞳を閉じるのだ。
◇ ◇ ◇
ラッキー。今日は席にいんじゃん。
オレの後ろの席の女の子はオレにビビったりしない。
髪の毛を染めていてピアスも付けている。学校に来るのもまちまちで、偶に大怪我して顔にでっかな絆創膏を張り付けて登校してもいつも朝の挨拶をしてくれる。
クラスの奴らは地味な女子なんて言うけれど、オレは彼女のことを可愛いと思う。
それは多分、好きだから可愛く見えるのだ。
「おはよう。二日連続の登校だね」
「なに?オレの事バカにしてんの?」
「ち、違うよ!」
「冗談だって」
もう!と頬を膨らませて怒る彼女はやっぱり可愛い。
まぁオレ以外、誰も知らなくていいけどさ。
だってオレが好きな彼女は、オレという物語の中の“ヒロイン”なんだから。
「オマエ、昨日の授業寝てなかった?いびきが後ろから聞こえてきた」
「いびき!?」
「まぁ寝息かな?」
「うっ…いや、今日こそは起きる!」
って言うくせに一限目に早速後ろから寝息が聞こえてきた。
でも二限目の体育の授業では元気にドッジボールをしていた。その姿につい見入っていれば目が合って、僅かに心臓が跳ねる。
もしかしてずっと見ていたことバレた?
ヤバイ、引かれたかな?っつーか普通に気持ち悪いよな。
「ぎゃぁ!?」
なんてごちゃごちゃ考えていたら彼女の顔面にボールが当たった。
怪我はなさそう。心配をする女子たちの真ん中で彼女は笑っていた。
たぶんオレが見ていたせいだよな。いや、そもそも彼女は見かけよりもおてんばだから同じ結果だったかも。
そういやバッグの中に冷えピタあったっけ。後であげようかな。話すキッカケにもなるし。
みんなの前ではおてんばだけど、みんなが知らない彼女をオレは知っている。
「昨日のさ、動物の特番みた?」
「見たよ。あの車椅子の犬の話すっごく感動しなかった?」
「それな!初めて付けてもらって、そんで飼い主の方走ってった時はめちゃくちゃ感動したわ」
「ティッシュ箱二つは使うほど号泣するよね」
「いや、それはない」
案外涙もろい。
特に動物が関わる感動秘話に弱い。
一匹の犬が何度も生まれ変わり大好きなご主人を探しに行くという内容の映画を見たときは開始十五分で泣いたと言っていた。オレも見たけどさすがに十五分では泣かなかった。
そうゆう話を聞く度に、彼女の新たな一面を知る度に可愛いなぁ、愛おしいなぁと思ってしまう。
君のことがほんとうに好き。
オレだけの“ヒロイン”になってくれないかなってひっそりと思っている。
◇
授業も真面目に聞いている彼女だけど国語が苦手らしい。オレが“虎”という漢字を教えてあげたらやたらと感動された。
それをみて柄にもなく勉強とか教えてやりてぇなって思った。マジで柄じゃねぇけど。
「ねぇこの前の犬の映画がね、続編やるんだって!」
「マジか!」
そんで一緒に映画も観に行きたい。
でもそしたら終始泣いてて映画に集中なんて出来ないかも。それでも箱ティッシュ用意して隣で並んで観てみたい。
HRのあとも後ろを振り返れば彼女がいて駄弁ることも多い。
でも今日は席にいなくて友達とお喋りをしていた。彼女は目立つタイプではないけれど友達は多い気がする。それは彼女が人の悪口を言わないからで、人を見かけで判断しないから。
だからオレみたいな奴にも“クラスメイト”として普通に接してくれる。
そう、オレは所詮彼女にとってはただのクラスメイトの一人だ。
オレにとって彼女は唯一オレに話しかけてくれる女子だけど、彼女は皆に平等に優しい。
それに気付いて少しだけ寂しくなる。
だから他に人がいれば彼女に話しかける勇気もなくなってしまう。
友達に囲まれる彼女に「ばいばい。」ってひとりごと。
気付いてくれなくてもオレの自己満足だから別にいい。
でももし付き合ったらオレはもっと彼女と堂々と話せんのかな。
待ち受け画面とか二人のツーショットとかにしてさ。
「この子、オレの彼女なんだぜ」って皆に自慢とかしちゃったりして。
バイクの後ろにも乗せてやりたい。怖いって言われるかな?でもそれならオレの腰にぎゅってしがみ付いてくれるかも。そうしたらどこに連れて行こうか。海かな?それとも夜景がきれいな高台?彼女持ちの奴に聞いてみっかなぁ。
でも、彼女がオレなんかを好きなわけないじゃん。
彼女は普通の子で、だからオレみたいな奴を好きになるはずもない。
当然、告白なんかできそうにない。
オレはそんな自分にあきれてしまう。
◇
せめて彼女がオレのことを意識してくれたらな、って。
そう考えていたら馬鹿なことをしてしまった。
買ったばかりの新しいワックス。つい張り切って髪に付けたらどうにも上手く馴染まなくって、気付いたらベトベトになっていた。
「なんか甘い匂いがする?」
「悪りぃ……」
登校したら早速そんなことを言われてしまった。
意識してもらえたのだから成功だと言ってもいいのだろうか。でも印象がマイナスになってしまったらそれは何の意味もないのだ。
「ワックスの匂い?」
「新しい買ったら馴染まなくて付け過ぎた…」
「そうなんだ」
「今日一日臭うかも…」
最悪だ。
オレが前向いた瞬間、ハンカチで鼻を覆っていたらどうしよう。
やっぱり学校サボればよかったと心の底から後悔した。
「私は平気だよ。それにこの匂い好きかも」
うそ。マジで?
オレバカだからさ、そんなこと言われたら期待するよ?
二度と買うかと思ったこのワックス、ダースで買うわ。
何ならオマエにもやるし。一緒に付けたら二人で同じ匂いがすんのかな。
そしたらオレの物って感じでちょっといいかも。
そんな妄想を寝る前にたくさんして。
でも現実味はないから「明日こそは。」と意気込んで何の話をしようか考える。
布団の中で好きな少女漫画を読みながら主人公を彼女に見立てて何度もシミュレーションする。
君のことを考えながら「また明日。」ってひとりごとを言って。
夢で会えますようにと小さく願って、瞳を閉じるのだ。
◇ ◇ ◇
その日は私と松野君で日直当番だった。
だからか、今日はいつも以上にたくさん話が出来た。
放課後、私が日誌を埋める様子を松野君はじっと見ている。椅子もわざわざ百八十度回転させて、私の机に頬付けを付きながら書かれていく文字を目で追っていた。
教室には私たち以外に誰もいない。
今日は一緒にいる時間も多く、雰囲気だって悪くない。
だから私は勝負に出た。
「松野君、話聞いてもらってもいい?」
「何だよ改まって」
でも、結局私に勇気はないから遠回しに貴方のことを探るの。
「私、好きな人がいてね。アドバイスもらえないかなって思って」
唐突に彼女がそんなことを言い出した。
日直当番で今日一日浮かれていたのにその一言で現実に引き戻された気分。
なんでオレが男の相談に乗らなきゃなんねぇんだよ。
「私は仲がいい方だと思ってるんだけどね、でも実際は連絡先も知らないし毎日話をするわけでもないんだ」
「…へぇ」
「今のままだと仲良くなるにも限界があって…だから今度遊びにでも誘ってみようかなって思うんだけど松野君としては——」
「やめとけよ」
目の前の彼は頬杖をついたまま、特徴的な猫目で私のことを見ていた。
なんでそんなこと言うの?っていうか本当に考えてくれた?答えが早すぎるんだけど。
「話聞く限りじゃ相手にはダチにすら思われてないんじゃね?そんな状態で遊び誘われたって行かねぇだろ」
オレだって誘われたことないのに。
こいつにそんな親しい男友達なんていたか?偶に教科書借りに来る隣のクラスの奴か?もしかしたら近所の兄ちゃんとかベタな展開だってありえる。
でもどちらにしろそんな奴やめとけよ。
オレだったらいつだってオマエと出掛けてやるし。
二ケツしてどこへだって連れてってやるよ。
だからさ、他の男になんて行くなよ。
「そっか……」
「あぁ」
私のことなんて眼中にない感じか…
オレの事だけずっとずっと見ていてくれたらいいのに。
それならせめて毎日学校に来てよ。
一緒に出掛けたいだとか、メアドを教えてくれなんて贅沢言わない。
貴方のことが好きだから、顔くらいは見せてよね。
それが難しいならさ、せめて学校来たときくらいオレのこと優先してよ。
バイクの後ろに乗ってほしいとか、彼女になってくれなんて贅沢言わない。
君のことを愛おしく思うから、さよならの言葉くらい返してくれよ。
「なぁ、オマエまた香水つけてんの?」
「付けてないよ。松野君こそまたあのワックスつけてる?」
放課後の教室。夕日で橙に染まる教室で告白出来たらなって布団の中でシミュレーションしてたっけ。
放課後の教室。松野君と日が暮れるまで駄弁って一緒に帰ろうと誘えたらってベッドの上でシミュレーションしてたなぁ。
それでふと息を吸い込めば———
君から、
貴方から、
甘いムスクの香りがしたんだ。