迎えに来たよお姫様

バイオリンの稽古から戻れば部屋の前には玲王がいた。

「玲王?」
「おかえり、遅かったな」
「ただいま。先生の話が長くて……」
「あーあの人、ニーノ・ロータの話すると止まんないよな。そこからいっつも映画の話にまで派生する」
「今日はゴッドファーザーの話を延々と聞かされたよ」

洋画は好きだけどマシンガントークで一方的に語られては些か疲れてしまう。
はぁ、と肩を落としながら玲王のもとまで歩いて行けば「頑張ったな」と当然のように頭を撫でてくる。子ども扱いしないでよ、なんてむくれれば「そう思ってるうちはいつまでも子どもなんだよ」と言って笑われた。同い年だというのに玲王には大人の余裕があってちょっと悔しい。

「それで、私に何か用だった?」

玲王の手を軽く叩けば案外あっさりと離れていった。そして彼はもう一方の手に持っていた物を私の前に差し出す。それは三ヵ月ほど前にアメリカで放映された映画のDVDで、私がずっと見たいと思っていた洋画だった。

「えっもうDVD化されてたの?!」
「いや、まだだ。でもウチの取引先にこの映画のスポンサーがいてさ、先に送ってもらった」

アメリカ映画にしては珍しいラブロマンスもので、日本での上映もなかったマイナー作品だ。サブスクに上がるかどうかも怪しくて半ば諦めていたのにまさかそのDVDが手に入るなんて。さすがは総資産七千五十八億円の御影コーポレーション御曹司、御影玲王の力である。

「すごい!」
「早速今から見ようぜ」
「玲王も見るの?」
「なに?俺が見ちゃいけねーの?」

そうじゃなくて、派手なアクションものでもないから玲王には刺さらないと思うんだけどな。だから玲王の時間を無駄にさせたくなくてそう言ったのに当の本人は意地悪されたと思ったらしい。大きな瞳に対して短くカットされた眉が眉間に皺を寄せていた。

「違う違う!恋愛ものだから玲王は興味ないと思ったの」
「俺だって恋愛ものくらい見るっつーの!先に部屋行って準備してくっからお前も着替えて早く来いよな」

私が何と言っても初めから自分も見るつもりでいたのだろう。昔から玲王はなんでも自分の思い通りにしてしまう。確かに彼の後ろには巨大な財力があるが、第一にとても頭がいい。それは学業の成績に関してだけを指すのではなく、株式投資や世界経済にも明るく見聞が広い点をいう。まだ十四歳という若さでありながらも御影家の跡取りとして表に立っても恥ずかしくないほどに優秀な人だ。

「お待たせ。遅くなっちゃってごめんね」

大都会のど真ん中、自社ビルタワマンの最上階が御影家の家≠ナあり、このフロアにはシアタールームも兼ね揃えられている。さすがに映画館ほどの広さはないが、それでもリビングにあるテレビの三倍は大きく音響もばっちりだ。

その部屋の中央に置かれた大きなソファで玲王はノンアルスパークリングワインを嗜んでいた。他にもソファの前に置かれたガラステーブルの上にはスコーンやサンドイッチ、新鮮なフルーツが乗ったティースタンドも用意されている。

「別にいーって。ん?それ新しい服か?」
「うん、この前出掛けた時にお母さんが買ってくれたんだ」

クローゼットの一番手前にあったワンピースを手に取ったのだが、確かにおろしたての服だった。せっかくならお出掛けのときにおろした方が服も喜んだかもしれないのだけど白地のワンピースなので汚すのが怖い。さらに言うならばシャネルの服なので物凄くお高いのだ。

「へー似合ってんじゃん」
「ありがとう」
「だけどお前の性格からしてその服だと気ぃ使って外には着て行けなさそうだな」
「うっ…分かる?」
「お前のコトなら何でもわかるっつーの。なら俺が普段着られるような服選んでやろうか?」
「それは嬉しいんだけどブランド物はちょっと……」
「あの人と一緒にすんなって。ZOZOで買うならいいっしょ?」
「それなら大丈夫かな」
「よし!じゃあこの玲王サマのコーディネートを楽しみにしておけ!」
「うん!」

玲王は自信満々にそう言って、しかしさも当たり前のような顔をして笑うのだ。

「お前そこじゃ見にくくね?もっとこっち来いよ」
「ううん、ここでいい」
「は?何でだよ」
「だってこのソファ気持ちいいから途中で寝ちゃうかもしれないの。そしたら玲王の方に倒れ込んじゃう」
「今さらなに水臭いコト言ってんだよ。お前が見たい映画なんだから一番の特等席にいなきゃ意味ねーだろ」

玲王は自分の隣をぽんぽんと叩いて手招きをする。でも万が一の場合、寝顔を見られるのも恥ずかしかったから、玲王の服に涎垂らしちゃうかもなんて言って脅かしてみる。そしたらブハッと息を吐くよう笑われて「寝そうになったら鼻摘まんで起こしてやるよ」とおちょくられた。

「ねぇ、わざと寝かそうとしてない?」

そして玲王の言う通りに隣に座れば、私の頭を支えるようにソファと首の隙間に自身の腕を差し込んだ。その状態で引き寄せられれば玲王の肩に自分の頭が乗っかって完全に身体はリラックスモードに突入する。

「別に。この方がお前だって楽だろ?」
「でも玲王は重いでしょう?」

何度も言うが私と玲王は同い年だ。でも彼はいつもどこかお兄さんで、私を手の掛かる妹のように扱う。しかしそれにはちゃんとした理由がある。

「ンな柔じゃねーよ」
「そういう意味じゃなくて同じ体勢のままでいたら腕が痺れちゃうよ」
「お前はそんなコト気にしなくていーの!黙って俺に甘やかされとけ」

玲王と私は確かに家族である。でも血は繋がっていない。

「また丸め込まれた気がする……」
「ほら、拗ねてないで映画見ようぜ。再生すんぞ」

私は御影家の温情で引き取られた運のいい@{子に過ぎないのだ。





私たちの出会いは至って単純、玲王のお父さんと私のパパが親友だったのだ。二人は同じ大学で同じ学部に所属し、卒業後の進路は違えどその後も交流は続いた。しばらくして私のパパはアメリカ人のママとの出会いを機にアメリカを拠点に仕事をするようになる。それからは玲王のお父さんがアメリカに来るたびに家に招いては話に花を咲かせていた。

「イ、…ラッシャイ!」
「まぁ可愛らしい!こんにちは」
「久しぶりだね。今日は妻と息子も連れて来たんだ」

そして玲王に初めて会ったのは八歳のサマーホリデー期間中のことだった。
玄関のチャイムが鳴り走って玄関扉を開けた先には玲王のご両親と玲王がいた。玲王は同い年とは思えないほどに落ち着いていて「はじめまして、御影玲王です」と握手を求めながら自己紹介をしてくれた。

「〜〜っ!」
「え?おいどこ行くんだよ!」

しかし、当時の私ときたら彼の手を取るどころか顔もまともに見ることが出来なくてすぐに奥へと引っ込んだ。だって自分のカタコトな日本語とは違い、彼の話す英語はとても流暢で綺麗だったから。
結局私は二階の自分の部屋に逃げ込んで己のみっともなさに膝を抱えていた。下の階からは楽し気な笑い声が聞こえる。

「……ya」
「お邪魔します」
「っ?!」

等間隔のノックオンに反射で返事をすれば玲王が扉を開けて入って来た。彼は音も立てずに静かに扉を閉め、ベッドの上にいた私のそばまで歩いてくる。そしてアメジストを思わせる大きな瞳をこちらに向けて、ニッと口角を上げた。

「Souvenir!」

そう渡されたのは日本のお菓子やキャラクターグッズ、それとポストカードだった。私自身、日本に行ったことはなかったけれど日本が大好きだった。日本のお菓子は上品で美味しいし、派手ではないが丸っこいフォルムのキャラクターたちは可愛い。そして四季折々の風景には私の体に流れている半分の血がその文化を懐かしんでいるようだった。

「So beautiful!オ、…オシロ?」
「城じゃなくて寺だな。鹿苑寺ってのが正式名称だけど金閣寺つった方が分かりやすいか」
「?」
「This isき、ん、か、く、じ!」
「キンカクジ…?」
「そうそう」

玲王は私のことを笑うことなく、すごく丁寧に英語と日本語を交えて日本のことを教えてくれた。

そして彼が帰国してからは私のペンフレンドになってくれた。電子メールでやり取りできるこの時代に、文字通り手紙でやり取りをした。玲王が英語で書いてくれるから私も負けじと日本語でお返事を書いて。すると次の手紙には私の書いた手紙のコピーが同封され、文法のおかしなところが赤ペンで修正されていた。それに対しては正直ちょっとムカっときた。だから頑張って日本語を勉強して、それで玲王から『Excellent!』の花丸付きの手紙のコピーが返ってきたときは素直に嬉しかった。

『今度会ったら日本語の発音も教えてやる』
『旅行先で食べた石垣牛のイチボが美味かった。お前が日本に来たとき連れてってやるよ』
『友禅和紙の折り紙だ。お前が好きそうだから送るな』
『来年の冬休みにはそっちに行けるかもしれない』

彼とのやり取りは楽しかった。異国に出来た初めての友人は私の世界を広げてくれた。だから玲王にとっての私も同じ存在になりたい。今度、こちらに来たら玲王でも知らないアメリカの素敵な場所を紹介してあげよう。そう書き綴って手紙をポストに投函した。



その日は朝から雨が降っていた。分厚い雲が空を覆い、ザァザァ降りでもないのに一粒一粒の質量が大きいものだから傘に当たる雨音がうるさかった。

「可哀想に……」
「仲のいい家族だったのにね」
「本当に残念だわ」

日本でいうところの梅雨の時期、私の両親が事故で亡くなった。わき見運転をしていたトラックが歩道を歩いていた私たちに突っ込んだのだ。パパは即死、ママは病院に運ばれたものの処置の甲斐なく息を引き取った。

「それであの子は誰が引き取るの?」
「ウチは無理よ!息子が三人いるんだもの!」
「俺の家も余裕がない」
「父親側の親戚は?」
「聞いたことはないが……」

私はというと打撲や擦り傷を負ったものの大きな怪我はなかった。両親が私を守るように覆い被さってくれたおかげだった。でも私には不幸を悲しんでいる暇さえない。まだ十にも満たない自分にこの世界で一人生き抜く力などないのだから。

「まぁ孤児院が妥当でしょう」
「そうだな。器量のいい子だ、きっとすぐに新しい家族が見つかるさ」

その現実に耐えられなくなって、走った。六月の雨は冷たくてみるみる身体の芯が冷えていく。水分を吸った服が膝にへばり付いて何度も転びそうになった。でも足は止めずにがむしゃらに走り続ける。頬を伝う涙は雫に溶け嗚咽は雨音が飲み込んだ。

「待てよ!」

不意に腕が掴まれ急停止する。同時に雨は止んだ。自分の頭上には黒い傘が傾けられていてそれが雨を防いでくれていた。

「玲王……」

彼も同じように喪服に身を包んでいた。まさか日本から来てくれていたなんて。ずっと手紙でやり取りはしていたものの玲王と実際に会うのはこれが二回目のことだった。

「そのままじゃ風邪ひくぞ。これ羽織ってろ」

玲王は一度傘を私に預け、来ていたジャケットを脱いで私の肩に掛けてくれた。彼のものを濡らしたくなくてすぐに返そうとしたけれど「着てろ」と強く言われてしまえば何も言えなくなってしまう。

「行くぞ」

黙り込んでしまった私から傘をもらい受け、そして冷えきった手を何の躊躇いもなしに掴む。私の方に傘を傾けてくれるから玲王の肩はあっという間に濡れてしまった。

「父さん、ちょっといいか?」
「玲王、お前どこに行って……二人ともずぶ濡れじゃないか!すぐに拭くものを!」
「はい、ここにご用意がございます」

控えていた鉤鼻の老婆にさっとタオルを差し出される。しかし玲王はそれを受け取ることなく一歩父親に歩み寄る。同時に私のことも引き寄せて、握られたままの手に力が込められた。

「父さん、まだ今年の誕生日プレゼント何が欲しいか言ってなかったよな。俺、コイツが欲しい」
「は……?」

玲王のお父さんも、後から来たお母さんも、そして私も彼の言葉の意味が理解できなかった。唯一、玲王の隣で控えていた老婆だけがにっこりと微笑んでいた。

「俺はコイツが欲しい。何なら今年の分だけじゃなくて金輪際プレゼントはいらねぇ、だからコイツを連れて帰りたい」

人のことを誕生日プレゼントって……犬猫のペットを飼うのとはわけが違う。いや、犬や猫も尊い命であって簡単に飼うことなんてできないのだけど。つまり、何が言いたいかと言うとひとりの人間を引き取るだなんてそんな簡単に言うべきではないってこと。

「一体お前は急に何を言い出すんだ」
「そうよ、玲王。みんなを困らせないで頂戴」
「は?欲しいモノは全て手に入れろって、教えてくれたの父さんじゃん!」

もちろん玲王の両親は納得しなかった。
そしてこの言い争いは私の盛大なくしゃみにより幕を閉じる。

「玲王、さっきはありがとう。嬉しかった」

葬儀も終えて、帰国しようとする玲王にお礼言った。現実味ではないにしろ玲王がそう言ってくれたことが嬉しかったのだ。皆が私を腫れもの扱いする中、玲王だけが私のことをちゃんと見てくれた。それだけで十分だった。両親を失った悲しみは一生癒えることはないだろうけれど二人の分まで生きていこうと、自分を励ますことができたのだ。

「同情で言ったワケじゃねぇよ、俺は本気だ」
「さすがにそれは無理だよ」
「俺に不可能なコトなんてないんだよ!いいか、お前は俺を信じて待ってろ!」

そして玲王はその言葉通りに私を手に入れた。手に入れたというと語弊があるが、両親を説得して私を御影家の養子として迎えたのだ。それにより生まれ育ったアメリカを離れ日本に行くことになったけれど不安はなかった。

「だから言ったろ?欲しいモノは絶対に手に入れる主義なんだよ」

それは紛れもなく玲王がいてくれたからだ。
それから玲王はずっと私のいいお兄さんでいてくれようとする。私に色んなことを教えてくれたし習い事の合間を縫って日本各地の名所を案内してくれた。

楽しかったし嬉しかった。でも満足は出来なかった。だっていつまでも玲王には妹扱いされてばかり。玲王の優しさは家族愛の延長故のものなのだ。一人の女の子として私は大切にされていない。贅沢過ぎる悩みだとは思ってる。でも自分の気持ちに嘘は付けなかった。

私はとっくに玲王のことが好きになっていた。





「ねぇ見て!外にものすごく長い車が停まってるわ!」
「ロールスロイスのゴーストじゃなくって?」
「えぇ、でもあそこまで長いとスタンダードタイプではないわね」

授業が終わり帰り支度をしていればクラスメイトが窓の外を見て何やら騒いでいる。少し気にはなったけどこの後はダンスのレッスンが控えているから早く帰らないと。

「中の内装はどうなっているのかしら」
「それよりも誰が乗っているかの方が気になるわ」
「もしかしたら芸能の方かもしれないわよ。ほら、うちの学校よく映画撮影に使われるから」

ここは伝統ある女子高等学校でお嬢様学校と称されるくらいには各界のご令嬢が多い。だから初めは誰かのお迎えだろうと思ったがどうやらそうではないらしい。そして窓際には一人、二人と生徒が増えていく。

「あっ車から誰か出て来たわ!……学生さんかしら?」
「あの制服、白宝高校の生徒よ」
「顔までは分からないけれどすごくスタイルがいいわね!」

白宝高校、その学校名を聞いて自分も慌てて窓に近づいた。
高校は玲王と別の学校に進学していた。これは主にお母さんの意向で、女の子なんだから女性らしい教養を身に付けられるようにと私に女子校を勧めたのだ。

「見て!カメラのズーム機能で拡大してみたらものすごくイケメンよ!」
「モデルかしら?お顔が小さい!」
「きゃあ!こっちに手を振ってるわよ!」

窓から身を乗り出すようにして外を確認すれば校門のところに玲王が立っていた。オダマキのような深く艶のある髪を靡かせて、私に気付いたのか手を振っている。
何か約束をしていただろうか。それにしたって目立ちすぎだ。私は慌てて荷物を掴み、先生に怒られない速度で急いで玲王の下まで向かった。

「玲王!どうしたの急に?」
「お迎えに上がりましたお姫様」

イマイチ状況が掴めていない私の手を取って甲に軽く口付けをしてみせる。その一連の流れが優雅で思わず見惚れてしまった。玲王の前世はきっと本物の王子様だったに違いない……じゃなくて、これは一体どうゆうこと?

「今からどこに行くの?」

言われるがままに車に乗せられればリムジンは走り出す。
車内にはL字型に座席シートが設置されておりドリンクホルダー付きのテーブルもある。そこに用意されていたシャンパングラスに玲王はノンアルコールシャンパンを注ぎ入れた。もちろん飲み物もグラスも冷えている。

「秘密。じゃなきゃサプライズで迎えに来た意味ないだろ」
「この後ダンスレッスンがあるんだけど……」
「もう先生には連絡しといたわ。つーか、自分の誕生日くらいンな真面目に習い事しなくたっていいっての!」

そう、確かに今日は私の誕生日だ。玲王にも朝一に「おめでとう」と言ってもらい綺麗な花束を貰った。それから「本命のプレゼントは楽しみにしとけ!」なんて言われたけど、まさか今から連れて行かれる場所がそれに当たるのだろうか。

「そういうものなのかな。でも玲王のトレーニングは良いの?」

今年の夏に行われたサッカーワールドカップ。その決勝戦を見て玲王は「欲しい」と言った。世界が熱狂する勝利と栄光の唯一無二の金杯、サッカーで頂点を取れた者だけが手に入れることができるそれを玲王は「俺だけの宝物にしたい」と言ったのだ。

それから彼は両親の反対を押し切り、ばぁやが集めたチームR≠フメンバーと共にプロサッカー選手になるための練習に励んでいる。そんな彼は多忙なはずなのに誕生日という理由だけで私に時間を割いてくれるなんて。嬉しいけれど何をやってもすぐに飽きてしまう玲王がようやく見つけた夢を邪魔したくはなかった。

「だーかーらー!今日はお前の誕生日なんだからンな気ぃ使わなくていいの!お姫様はお姫様らしく好きなだけワガママ言え!」
「わっ…?!」

ストン、と痛くもない手刀を落され口を噤む。玲王はこちらに気を使わせないように立ち振る舞うのが上手い。それは彼が幼い頃から金融術の延長で学んだ人心掌握帝王学によるものなのだけれど、それでもその中にはちゃんと彼の優しさがある。

「何でも私のお願い聞いてくれるの?」
「おう、但し今日だけな。だから無理難題も聞いてやる」

その顏は王子様というよりボスのような高慢っぽさがあった。でも嫌いじゃない。だから私は玲王の言葉に甘えてさっそく命令を下した。

「じゃあ今日一日、手を繋いでくれる?」
「……は?そんなんでいいの?」
「御影玲王の時間は安くないでしょう?それを独り占めしてるって実感したいから、繋ぎたい」

家族でも手を繋ぐことくらいは許されるだろうか。
玲王に嫌がられてないかな、と不安になりながら様子を窺う。そしたら手元のノンアルシャンパンを一気に煽り、コンッと音を立ててグラスを置いた。お酒が入っていないとはいえその様子に不安を覚える。玲王…?と声を掛ければ彼は顔を伏せながら自身の髪をくしゃりと握りつぶす。しかしもう一方の手は私の膝に置いてあった手を優しく包んだ。指先が冷たい。

「そんなの、誕生日じゃなくたってしてやるっつーの」

ボソボソ喋る言葉は聞きとれない。でも運転席のばぁやだけはミラー越しに笑っていた。

「玲王?」
「ン゛ンッ……ハイハイお姫様の仰せのままに。いいか、今日は存分に甘やかしてやるから覚悟しとけ!」
「うん!」

それから玲王のエスコートっぷりはすごかった。私がずっと気になっていたアフタヌーンティーが有名なお店を貸し切ってくれて、また貸し切りの映画館では来月公開の映画を先行上映してくれた。おまけにエンドロール後には主演の二人が私へのメッセージを残してくれるというサプライズ付き。相手はその場にいないのに、お会いできて光栄です!なんて思わず叫んでしまった。

その後は御影家御用達の料亭に連れてってもらった。そこでは私の好きな食材でオリジナルのコースが振舞われ大満足であったことはいうまでもない。そして洋菓子よりも和菓子が好きな私には誕生日ケーキの代わりに花を模した練り切りの詰め合わせが用意された。

「この花の花言葉にも意味があるんだぜ」
「どんな意味?」
「自分で調べろ」
「うっ……なら命令です、花言葉の意味を教えてください!」
「よく聞こえませんでした」

アレクサのマネをされ、ベぇと舌を見せられる。しょうがないのでスマホに写真を収め、後から調べることにした。

「今日はありがとう」

お腹も心も満たされリムジンに乗り込む。車内でも私たちは手を繋いだままだった。食事のときはさすがにしなかったけどちょっとした移動でも映画のときでも、玲王は私の手を取ってぎゅっと握ってくれた。

「おい、まだお前の誕生日は終わってねぇぞ」

時刻は夜の二十一時を過ぎたが確かに今日はあと三時間ほどある。まだなにか用意してくれているものがあるのだろうか。窓の外を見れば家とは別の方向に向かっているような気はする。きっと玲王のことだから夜景でも見せてくれるのだろうか。

「ってコトで今からアメリカに行く」
「…………はい?」

しかし彼の行動は私の想像を月よりも高く跳び超えていた。今からって、近所のコンビニに行くのとはわけが違うのだ。加えて国外では飛行機の本数も限られている。明日は土曜で学校がないとはいえそれでも無謀な発想だ。

「ばぁや、目的地への到着時刻は何時だ?」
「おおよそ九時間ほどのフライトになりますからあちらの時刻で十六時頃には着くかと」

しかしそれを実現してしまうのが御影玲王という男。最短最速で行きたいのなら自家用ジェットを使えばいいじゃない、ということで御影コーポレーションのロゴが入ったジェット機に案内された。

座席はリムジンと同じようにソファタイプで快適。トイレはもちろん完備しておりシャワールームまである。そして一番驚いたのはベッドまであること。キャンピングカーよりも広くて設備が充実している。

「先に休んでいいぞ」

シャワーを浴びて歯磨きとスキンケアも済ませて、ばぁやが用意してくれた寝間着に着替えた。そうして玲王に促されベッドの中に入れられる。布団を首元までしっかり掛けられて、母親がそうするように頭も撫でられた。

「玲王は?」
「俺はまだやるコトがあんの」

頭を撫でていた手が頬に触れてふにふにと摘ままれる。相変わらずの妹扱い。それが面白くなくて、むず痒い。だからワガママな子どもになりきって、ぺしりと手を叩き落とせば捕まった。

「なに?」
「俺がやるコト、それはお前の寝かしつけ」
「なっ……必要ないよ!」
「今日一日、手ぇ繋いでほしいんだろ。今はまだ今日だ。ほら電気消すぞ」

有無を言わせぬままベッド周辺のライトが落とされ薄暗くなる。玲王は私の手を握ったまま、もう片方の手で布団の上からぽんぽんと身体をたたく。それはものすごく心地よくて快眠セラピストの資格でも持ってるのかと思った。

「おやすみ。俺のお姫様」

そうして玲王が額に口付けを落すのと同時に深い眠りに落ちていった。



一度も目覚めることなく十分な睡眠をとり、私たちはアメリカの地に降り立った。入国審査も驚くほどスムーズで御影家のすごさが窺える。

「ここに連れて来たかったんだ」

そして玲王に案内されたのは墓地だった。私を産んでくれたママとパパが眠る場所。埋葬したあの日から一度だって訪れたことはなかった。

「十六歳になったお前を誰よりも祝いたかったのは二人のはずだ」

Sweet sixteenという言葉がある様に、アメリカでは女の子の十六歳の誕生日を盛大に祝う習わしがある。その文化は州によっても差があるし年々薄れてはいる。それでも十六歳は女の子が大人の階段を登り女性の仲間入りをするという伝統は現代にも残されている。

「ママ、パパ……!」

まだ大人の女性と言うには未熟だけれど、それでも二人が亡くなったあの日から随分と大きくなった。この地を離れて日本に行って。二人のことを思い出す機会は減っていたけれど忘れたわけじゃない。

「うッ…うぅ……」

三人で過ごした思い出が次から次へと溢れてきて涙が零れた。嗚咽を上げてよろけそうになった私を玲王は抱き留めた。そして流れる雫をシルクのハンカチで拭い、黙って隣にいてくれる。日が暮れて夜の帳が下ろされてもなお、私が満足するまでずっとそこにいさせてくれた。

「ありがとうね、玲王」

日本へと帰るジェット機の中でお礼を言った。私でも気づかなかった私のやりたいことに玲王は付き合ってくれた。忘れられない誕生日になった。

「その顏が見れてよかったよ」
「えっ今すごく目元腫れてるからブサイクだよ」
「そういう意味じゃねぇよ、バーカ」

赤くなった鼻先を摘ままれる。ちょっと玲王の方が子どもっぽいかも。目元を濡らした私だけが子どもじゃないみたいで安心した。

「今日は疲れただろ。もう寝るか?」
「ううん。もう少し玲王の隣にいていい?」

繋がれた手を握り返して玲王の肩にもたれ掛かる。日本との時差の関係でアメリカではまだ私の誕生日だ。だからお姫様のワガママは許される。

「ッ、……」
「もしかして玲王は疲れてる?それなら……」
「ちげーわ!好きにしろよ!」
「ありがとう」

深夜十二時の鐘が鳴るまで。この魔法はまだ解けないで。





白宝高校は進学校としては有名だがサッカー部のレベルは低い。でも玲王はそのサッカー部を立て直し次々に試合で白星を挙げていった。それでも未だにお父さんはいい顔をしないが玲王の活躍ぶりを見れば時間の問題かのように思える。そして玲王のサッカーの才能を認めるかのように日本フットボール連盟から一通の封書が届いた。

「強化指定選手って……すごい!日本代表合宿ってこと?」
「それはまだ分かんねぇケドな。でもこれに参加するコトが日本代表になる最短ルートだと思ってる」

玲王の夢がついに現実味を帯びてくる。だったら私のすべきことは玲王の背中を押すことだ。

「玲王なら絶対日本代表選手になれるよ!頑張って!」
「おう!行ってくる!」

ずっと近くにいたから知っている。高額なおもちゃ、入手困難なゲーム、ブランドものの洋服……何を貰っても玲王の心が満たされることはなかった。成績もトップで運動神経も抜群。おまけに顔立ちも十二分に整っていて友人も多かった。でも彼はいつもどこか退屈そうだった。

そんな彼が「欲しい」と言った唯一無二の宝物——ワールドカップの金杯。それを手に入れることは決して簡単なことではないだろう。でもだからこそ玲王を夢中にさせるのだと思う。大人もたじろぐほど聡明な彼ではあるが、その胸の内は誰よりも無邪気で熱い。

「スコア三対四で青い監獄¥\一傑の勝利です!!」

そして玲王はU-20日本代表との試合に途中から出場し見事な活躍を見せた。私はその姿を見て、本当に、本当に嬉しかった。勝ちが決まったあの瞬間、玲王の本当の笑顔が見れた気がした。

その興奮は数日経っても覚めることなく、一時帰宅が許された玲王と久々の再会を果たした時には自分から抱き着きに行ってしまうほどだった。

「うおっ?!」
「玲王っほんと玲王はすごいよ!おめでとう!」
「ははっありがとな!」

なんでお前が泣いてんだよ、と困ったように笑って涙を拭ってくれる。それが懐かしくて、どこに行っても玲王は玲王なんだと安心できた。

一通りの再会を懐かしみ二人並んでソファに腰掛ける。一時帰宅と言っても玲王は自宅に帰って来たわけではなくホテル生活を送っていた。それは両親と折り合いが悪いせいだ。自分の後継者として育ててきた一人息子が在らぬ道に進んでいるのだ。U-20日本代表戦での活躍を見てもなお両親は玲王の夢をよく思っていない。

「あの試合は録画してあるんだけど玲王が出場してからのシーンは何度も見てるよ!」
「試合なんだから通しで見なきゃ意味ねーだろうが」
「だってサッカーのことよく分からないんだもの。私の中で重要なのは玲王が活躍してるかどうかってこと!」

テレビで見てたからカメラが切り替わる度に玲王を映して〜!って念を送ってたんだから。そういえば試合の動画を切り抜いて玲王だけのスーパープレー動画も作ったんだった。これはぜひとも本人に見てもらわなければ。

「そうだ、これなんだけ……っ、玲王…?」
「ありがとな」

バッグの中かタブレットを取り出そうとすれば隣から引き寄せられた。そして玲王は私の首筋に顔を埋めながら囁く。甘い香水の香りがした。

「お前が応援してくれたから頑張れた。ワールドカップで優勝したいなんてのは所詮俺のエゴで人様の応援なんざ必要としてねぇケド…それでもお前のその顏見たら、なんかスゲー励まされた」

また私に気を使ってくれているのだろうか。でもそれにしては腕の力が強くてこんな自分でも玲王の力になれたんだって自惚れちゃう。私に玲王が必要だったように、玲王にも私が必要なのかなって。互いに互いを求めてた、みたいな。

「……すき」

しまった。
言うつもりなんてなかったのに。私の気持ちは誰にも告げずに死ぬまで隠して生きるつもりだったのに。喉のあたりの筋肉が緩んで、思考が働く前に言葉として零れ落ちていた。

「おい、今なんて……」
「帰る!」

こんなの玲王を困らせるだけだ。玲王の夢を誰よりも応援しているのに、それを私が邪魔してどうする。これからって時に余計なことで悩ませて、私のせいで両親とさらに険悪な関係になることだってある。

「待てよ!」
「この後用事があるの!絶対に遅れたらダメなの!だから、っ」

回らない頭で必死に言い訳を吐きながら扉を目指す。でも私がそこへと辿り着く前に腕が掴まれた。

「待ってくれ」

追い付いた玲王が後ろから私を抱きしめる。花の香りが鼻腔を擽り頬に紫色の髪が当たる。視線を落せば以前より太くなった腕が鎖骨の上に巻き付いていた。

「さっきの言葉、マジなヤツ?」

吐息が耳に当たってくすぐったい。僅かに身動ぎをしたら玲王の腕に力が籠った。もう逃げられない、言い訳もできそうにない——もう、元には戻れない。

「……ずっと玲王のことが好きだった。ごめんね」
「なんで謝んだよ」
「だって玲王にとって私は家族でしょう?でも私は玲王のことを一度だって家族として見たことなかった」

御影家の御曹司でもなく、お兄ちゃんでもなく、玲王という一人の男としてずっと見ていた。こんなの玲王からしたらあまりにも、きもちがわるい。

「そうか」

身体を拘束していた腕が緩めば淋しさを覚える。足は床とくっ付いてしまったように動かなくて後ろ手に肩を引かれても振り返ることはできなかった。

「なぁ、こっち向けって」
「今ひどい顔してるからやだ」
「あっそ」
「ひゃっ……」

じゅっ、という鈍い音が耳に届き首筋に痛みが差す。皮膚の薄い所に唇が寄せられそこに痕が残された。そしてそれは一カ所だけではなく、一つまた一つと増えていく。堪らなくなって身を捩れば腕を引かれてその勢いで身体が回る。そして私の首筋に紅い花を散らした男は、私の唇をいたずらにかすめ取った。

「ぁ、……」
「俺も一度だってお前のコト家族だなんて思ったことねぇよ」
「れお……」
「本当はずっとこうしたかった——何よりも誰よりも、愛してる」

強く痛いくらいに抱きしめられ。それからどちらともなくキスをした。

その日、私たちは一線を超えた。

十六歳の誕生日にもらったプレゼントの中に秘められた竜胆の花言葉。寄り添ってくれる形が家族から恋人に変わった。でも許されない関係だって分かってる。ただ、一瞬だけ夢を見させて欲しい。この一瞬だけは……——



「大学はこの学校に行きなさい。もう手配は済ませてある」
「経済やビジネス学はもちろんだけど、マーケティングや都市研究学も学べるのよ。きっと貴方の将来のためになるわ」

高校三年の春だった。お父さんとお母さんに呼び出され、渡されたのは大学のパンフレット。英語で書かれたそれは紛れもなくアメリカにある有名大学で、二人が玲王に進学させようとしていた学校だった。

「俺も通っていた大学でな、アイツと出会ったのもここだった。お前にとってもこれほどいい学校はないだろう」
「優秀な人材が集まるところには素晴らしい学びがあるものよ」

パパの名前を出してもっともらしいことを言う。それでも彼らの言ってることは正しい。でも、だからこそ気付いてしまった。私が今まで薄っすらと感じていたことに確信を持った瞬間だった。

「私がそこに行けば、御影家のためになりますか?」

私が玲王の代わりになるのだ。元より彼をサポートするために育てられてきた。玲王がピアノを習っていたから私はバイオリンをやらされた。玲王が欧州言語を学んでいたから私はアジア圏の語学を教えられた。社交界での立ち振る舞いも私に高い服を買い与えたのも、全ては御影玲王の品格を上げるため。

「もちろんだ」

その玲王が自分たちの管理下に置けないことを悟ったから私を代わりにしようとしている。玲王ほどではないけれど器量は悪くない方だ。それは優秀なパパの親友であったお父さんが一番よく知っている事であろう。

「えぇ」

そして彼らは分かっていているのだ。養子である私が決して自分たちに歯向かわないことを。

「……分かりました」

でも事実そうだ。彼らへの恩義は私の一生を持って返すつもりでいた。例え玲王の代わりでも、保険でも、こんなにも恵まれた環境で十分すぎるほどの教育を受けさせてくれた。
そして私が玲王の代わりになることで、玲王が自由に生きられるならそれこそ私の本望だ。お父さんにもお母さんにも感謝しているけれど、私を支えてくれたのは間違いなく玲王だった。でも、だからこそ私は玲王とはお別れしなければならない。



「じゃあ行ってきます」

——一年と半年後、私は二人の進める大学に入学することとなった。この頃になると玲王はイングランドに移住しプロのサッカー選手として活躍するようになっていた。

『試合のチケット用意しとくからお前も見に来い!』

散々誘われたけれど、結局一度も彼の試合を現地で見ることはなかった。
そして日本を発つのと同時に玲王との連絡も断った。





生まれ故郷へと舞い戻り、大学生活という名の一人暮らしが始まった。本当は使用人を数名つけるという話だったが今まで周りに頼りっぱなしだったから自立したいという意見を押し通し一人暮らしの許しを貰った。でもさすがに住む場所までは選べずに両親が用意したセキュリティに強いマンションの一室で暮らしている。

「ねぇ、経済学の論文テーマ決めた?」
「アジア圏のグローバル・マクロ戦略についてまとめようと思ってる」
「データ収集大変じゃない?もしよければ統計学に強いインド出身の知人を紹介するわ」
「いいの?」
「その代わり私の論文を手伝ってくれる?」
「分かったわ」
「じゃあ決まりね!」

大学生活はそれなりに充実している。さすがは人種のるつぼと言うべきか色々な国の人が集まっている大学では新たな出会いや発見も多い。

「昨日のマンシャイン・Cの試合見たか?」
「もちろん!ナギのスーパープレーに興奮して寝付けなかったよ!」
「それとミカゲのアシストだ!あのコンビネーションは見ていてとても熱くなる!」

懐かしい声が聞こえ意識がそちらへと向く。花壇の横に添えられたベンチには二人の男性が座って話し込んでいた。

「コンビネーションならレ・アールのサエとリュウセイの連携も僕は好きだけどな」
「確かに彼らが出ると戦況が一変する。それにしてもどのチームもニホン人が強いな」
「来年のワールドカップはニホンが優勝するかもしれない」

そして玲王はというと今や現役のプロサッカー選手として高校時代の友人である凪誠士郎と共に目覚ましい活躍と成績を収めていた。それなりにサッカーに詳しくなった私も彼らの試合はネット配信で追っている。だからこそ玲王がどれほどすごい選手になったのかはよくわかった。野球やバスケットボールがメジャーとされるアメリカでもその名を耳にするほどだ。

「——で、さっそくだけどこの後時間ある?……聞いてる?」
「えっ……あ、ごめんなさい!大丈夫!」

玲王との連絡を絶ってから一年は経過した。メールアドレスも電話番号も何もかも変え、それはばぁやにも告げていない。

「なんだか正門の辺りが騒がしいわね」
「何かあったのかな?」

でもこれでよかったのだ。私が玲王の代わりに彼の生きるはずだった道を歩んだと知ったらきっと怒るだろう。そして自分と同じようにあの両親から離れられるように手を差し伸べてくれたかもしれない。でもそれでは玲王の夢を邪魔していつまでも迷惑を掛けることになる。だからこれでよかったのだと、そう自分に言い聞かせた。

「モデルのウィリアムじゃない?」
「さすがに髪色が違い過ぎるわよ。あぁサングラスを外してくれないかしら」

現実を見るように友人が指さす方を見れば、確かに門の周りには人だかりができていた。テレビの撮影か何かだろうか。アメリカは日本と比べて何もかもスケールが違うため突如スターが現れて一般人を驚かすというバラエティ番組も存在する。

「あれってサッカー選手のレオ・ミカゲじゃないか?」
「何を言ってるんだ、こんなところにいるわけないだろう」

正門までの道は綺麗に舗装されている。レンガが敷き詰められ真っすぐに外へと伸びている。迷うことも躓くこともないその道は私の人生のようなものだった。でもいつもその先にいるのは、

「あっ顔が見え……おい、レオだ!本物のレオ・ミカゲだ!」

……どうしているの。

「ごめん、今日は行けない!」
「ちょっと?!」
「この埋め合わせは必ずする!」

友人の顔も見ずに玲王から逃げるよう走り出す。当の本人は周囲に気付かれたのも分かったうえで余裕の笑みを見せていた。そして黄色い声援を受けながらファンからの声に応え、握手をして、写真撮影にも応じている。

「お嬢様、お久しぶりです」
「……っ、ばぁや?!」
「再会の余韻も覚めやらぬまま恐縮ですが今はお急ぎを。ささ、こちらでございます」

彼女とも会うのは久しぶりだった。出会った頃から何一つ変わっていないばぁやは、やはり今も変わっていなかった。つまりは玲王第一主義。
彼女に促されるまま停まっていた車に押し込められた。窓硝子にはスモークが掛かっており運転席の男性には見覚えがあった。確か玲王と雇用関係を結んでいる御影の息が掛かっていない人だ。

「ではまた後ほど」

そしてばぁやは魔女のような大きな口に弧を描いて私を見送った。

車はしばらく街中を走行し、米国でも名のあるホテルへと入っていく。それからエントランスに寄ることなくホテルスタッフからルームキーを渡された。それと花束も。紫色をメインとして作られたそれは実に彼らしい。もう逃げる隙も無かった。

目眩がするほどの浮遊感に包まれながら最上階へ。カードキーをかざせば鍵の開く音。しかしその扉は私がドアノブに触れる前に開けられた。

「久しぶりだな、元気してたか?」
「玲王、なんで……」
「俺のが早く着くようにそっちの車には遠回りしてくるよう伝えてあったんだよ」
「そうじゃなくて!」
「ははっお前の言いたいコトは分かってるって。とりあえず中入れよ」

一歩踏み出して部屋の中へ。後ろで扉の閉まる音。それと同時に視界は暗くなって。

「お前に会いに来たんだよ」

玲王に抱きしめられていることが分かった。せっかくの花束は私たちの間でぐしゃぐしゃに潰れている。甘く爽やかな香りが私たちを包んでいた。

「玲王……」
「ここならファンもパパラッチも入って来ねぇし家の監視もないだろ」
「家の監視……?」
「お前にヘンな虫が付かないようにあの人たちが雇ってた奴らのコト。気付いてなかったワケ?」
「まったく……」
「ほんと俺がいないとダメだな」

相手もプロなんだから気付くわけないでしょ。そうむくれれば片手で顎の下をすくわれ両頬をむぎゅっと握りつぶされた。ブサイクになるからやめてよね。あと化粧で手が汚れるよ。

「もうれ……ん、っ」

しかし文句を言う前に唇が奪われた。一度重なって、頬を掴んでいた手が肩にまで下りてくる。そしたら再び引き寄せられて二度目は深く重なった。

「……なんで勝手にいなくなった」

キスの合間に咎められた。それは怒っているというよりは拗ねているような言い方だった。

「玲王に迷惑かけたくなかったから」
「バカ!黙っていなくなられた方が迷惑なんだよ!俺がどんな思いでいたか知らないくせに……!」
「凪くんと楽しそうにサッカーしてたじゃない」
「それとこれとは別だ!」
「同じだよ、もう私がいなくても玲王のことを認めて応援してくれる人はたくさんいる。だから……」
「なら、なんでお前が泣いてんだよ」

玲王の親指が目の下に触れて。そこでようやく自分が泣いていることに気が付いた。そしたら耐えてきたものが止めどなく溢れてきて。ついにはその場で泣き崩れてしまった。

「ごめっ…ごめんな、さいッ」
「悪ぃ、強く言い過ぎた」
「ちが、う…私がっ……ごめ…、ぅ」
「分かったから、もう謝んな」
「だっ…ヒッ……は、っ」
「怒ってないからとりあえず落ち着け、な?一度息止めて、ゆっくり呼吸しろ。ゆっくりでいい」

そして過呼吸気味になった私を抱き上げてベッドまで運んでくれた。
キングサイズのベッドに並んで座る。横になると上手く呼吸が出来なくなるから玲王に支えられたまま息を整えた。本当に自分が情けない。

「落ち着いたか?」
「うん、ごめんね……むっ」
「だからもう謝んなって」

頬をむぎゅっと掴み意地悪く笑ってみせる。あの時の玲王とそっくりな顔をしていた。それを見たらこちらもようやく緊張が解け、今までのことをぽつぽつと話すことが出来た。この大学に来たこと、学校で学んでいること。そしてこれはあくまで想像だけど私が玲王の代わりに家を継ぐ可能性があること。

「まぁあの人たちが考えそうなコトだわな」
「私が継ぐことで玲王がサッカーできるならそれでも構わないんだけど……」
「よくねーだろ!それにお前が会社の利益のために結婚させられる可能性もあんだぞ」
「政略結婚ってこと?いくらなんでも今の時代にないでしょう」
「いーやあるね!相手が日本人とも限らねぇ!世界の経済状況を見るに今後発展する国は……」

それから玲王は経営者目線で色々なことを話しだした。玲王は夢中になると話が止まらなくなることがある。それは自慢したいとかじゃなくて、自分の脳内整理のために話してるんだと思っている。

「今後はAIが労働の主軸になってくからな。そっからさらに十年後まで見通すなら×○社の富豪と結婚させられる可能性が高い」
「あの…玲王は会社を継ぐことも考えてたの?」

でもその話す内容に違和感を覚えた。趣味の範囲と言うにはその知識はあまりにも膨大で、そして「俺ならこうする」という彼の経営者としての野心も窺えた。

「継ぐというよりは乗っ取りかな。俺が代表になった暁には世界的に支社拡大させて新事業にも手ぇ出すつもり。今もそのあたりの情報収集もやってるし」
「えっ?サッカーは?玲王は夢を諦めるの?」
「夢は諦めねーよ。いいか、俺の目標はワールドカップの金杯を手に入れるコトだ。日本代表選手として試合に出て、そこで優勝したらおわり。で、そしたら俺は次のステージに行くワケ」

じゃあワールドカップで優勝したらサッカー選手を引退して戻ってくるってこと?そんなあっさりやめていいの?世界には玲王のプレーをもっと見たいと思うファンはたくさんいるはずだ。

「それで玲王はいいの?」

そう聞けば玲王は得意げに笑って私の肩に腕を置いて引き寄せた。でもそれは恋人というよりは男子高校生の悪ノリ感がある態度で。イタズラを考える子どもの作戦会議ってかんじだった。

「いいか、俺は野心家なんだ。一度しかない人生をサッカーひとつで終わらせるなんてもったいないだろ。欲しいモノは全て手に入れてやる!そんでそれにはお前も含まれている!」
「私も?」

話の内容に頭が着いて行けずに聞き返せば、ブハッと息を吐くように笑われた。ずっと思ってたけど玲王のそれちょっと失礼だよ。でもこちらがむくれれば頬を潰されるのは分かっていたので眉間に皺を寄せるだけに留めておいた。

「『お前が欲しい』って言ったろ?俺が人生で初めて欲しいって思ったのがお前なんだよ。手放してやるつもりねぇかんな」

出たなエゴイストめ。でもそんなところに惚れてしまった私が今さら彼を拒む理由もないわけで。玲王の服を掴んでこちらに引き寄せた。もちろんそれは唇を奪うため。

「私も玲王が欲しい」

玲王の顔が真顔になって、でもすぐにお返しされた。そしてそのまま押し倒される。

「じゃあ今から襲ってもいい?」
「もう襲われてる気がするのですが」
「先に手ぇ出してきたのはそっちだろ」
「誘拐してきたのはそっちだよ」
「監禁してないだけマシだと思え」
「かんきん……」
「悪ぃ、もう限界だわ」

顔に影がさして目を瞑った。
あとは二人、溺れていくだけである。





二〇二六年七月——FIFAワールドカップで日本は初の優勝を果たした。決勝戦はドイツ。後半アディショナルタイムのラスト一秒まで熱い試合展開が繰り広げられ、四対三という結果において日本が金杯を手にすることとなる。

そしてその一週間後、玲王はサッカー界からの電撃引退を発表した。次々に飛んでくる記者からの質問にもひとつひとつ丁寧に答えていく。そのなかで「サッカー界での俺の役目は終わった。次は御影コーポレーションを背負う人間として新たな一歩を踏み出したい」という発言は翌日のスポーツ新聞の一面を飾った。

玲王が策士だったのはこの会見を両親に言わずに行ったこと。その上で自分が後を継ぐことを直接的ではないにしろ宣言してしまったのだ。さすがに御影コーポレーションの面子に掛けても「息子が勝手に言いました」なんてことにはできない。

「ねぇ本当にこのタイミングで言うの?」
「どうせ喰らう説教なら一回の方がマシだろ」

記者会見を見ていたお父さんに呼び出され、その時に私たちの関係も白状した。お父さんはそれはもう頭を抱え、お母さんは目眩で倒れそうになっていた。しかし持つべきものはばぁやというわけで、彼女がフォローに回ってくれたおかげでその場で勘当されることはなかった。

「この際お前たちの交際に関してはどうでもいい。だが玲王、お前が本当に俺の後を継ぐつもりなら結果を出してみろ」
「ハッそんぐらい元から覚悟の上だわ」
「ならお前にシンガポールと台湾拠点の経営権を与えてやる。五年で利益を倍にさせろ」
「ンなモン三年もあれば十分だわ!ただしコイツも連れてくからな。で、アンタの言う通りの利益を出せたら俺らの結婚を認めろ」
「いいだろう。だができなかった時はそれ相応の覚悟はしておけ」

それからの三年という月日はあっという間だった。国も違う二拠点の利益を上げるのなんて簡単にできるはずもない。そこで効率的な手段として玲王がシンガポールを、私が台湾支社の実権を握り経営を務めた。そしてここでは大学で得た交友関係が役立った。大学を卒業した時点で各国の大手企業勤めもおり、企業を立ち上げている者もいる。そんな彼らの話を聞きつつ、傾向と対策を考え自社の事業拡大に尽力した。



『ほんとマジで長かったわ』

電話越しでも分かるくらい玲王はくたびれていた。でもその声色には安堵と喜びが伝わってくる。

「でもこれで目標達成だね」

だって私たちはこの三年でお父さんの試験とも言われる期待に応えることができたのだから。玲王が担当するシンガポールの方が資本が大きいため時間を要したがそれでも期限は守った。

『だな!来週にでも日本に戻って父さんに報告すんぞ』
「来週?すぐに行くんだと思ってた」
『すぐとかムリ!まずはお前んトコに行くからな!ったく、やっと俺らの関係も公に出来たってのに仕事で会えないとか辛すぎンだろ』

確かに互いにシンガポールと台湾に住んでいたので一緒に過ごす時間はほとんどなかった。加えて飛行機を使わなければ会いに行けないためその時間を作るのも難しい。テレビ通話こそしていたが半年以上は直接顔も見ていなかった。

「その必要はないよ」
『は?それってどうゆう……』

目の前のチャイムを押せば電話と扉の向こうから同じ電子音が聞こえた。次いでバタバタと足音が近づいてくる。スマホの通話はいつの間にか終了していた。

「なんで……」
「会いたくて来ちゃった。それとこれも玲王に」

百八本のバラの花束。きっと玲王のことだからこれだけで十分意味は伝わっただろう。でも、あえて言葉でも言わせてほしい。

「私と結婚してください!」
「は……はぁぁああぁ??!!」

どうしよう、玲王の顔が今世紀最大にすごいことになった。いつも完璧でいる分、その差がひどい。言うなれば作画崩壊だ。

「なんでお前から言うんだよ!」
「私が言っちゃダメだった?」
「いや、悪かねぇし嬉しいけど俺だって色々考えてたわ!」

だよね、玲王はそういうの拘りそう。確かに私のために色々考えてしてくれるのは嬉しいけれど私にとって重要なのはそこじゃない。

「じゃあそれはそれで楽しみにしとくね。でもこれは受け取ってほしい」
「そりゃあ貰うけどよ……」
「その代わり返品不可だから。私が玲王のこと世界で一番大切にするから玲王も私のこと大事にしてくれる?」

ちょっと重かったかな。でもこれが私のエゴなのかも。
私がいたずらっぽく笑えば玲王もその顏に笑みを浮かべる。悪代官のような玲王らしい顔だった。

「お前こそ後で重すぎて別れたいって言ってもゼッテェ逃がしてやんねーからな!」

もちろんだよ、私だけの王子様。