素直になれなかった私たちは今、

空の澄み切った青色と桜のコントラストが綺麗だった。

「随分と温かくなったよね。ついに春が来たって感じ」
「だよなぁ。そんで明日からは春休みだな、つってもほぼ部活だけど」
「じゃあ帰省はしないの?」
「そのつもり。そっちは?」

学校と寮の中間地点にあるこの公園はお花見の穴場スポット。そこまで大きくもないけれど樹齢百年と言われる桜の木が植えられていて、公園の隅に置かれているベンチからの景色は美しい。定員二名の特等席だ。

「私も。帰るのも大変だしいいかなって思ってる」
「マジか!じゃあ部活ない日遊ばない?少し遠出してさ、神戸とか行きたいんだよね」
「いいね、楽しそう!」

ともなればそこに座るのは恋人同士か、またはそうなるであろう男女と相場が決まっている。現に寮生の間では有名な噂というかジンクスがあった。それは『このベンチに座って桜を見た二人は結ばれる』というもの。だからもう、期待しかなかった。

「なにやってんの?」
「……っ?!」

完全なる不意打ちに叫びそうになる。が、寸でのところで口を押さえて踏み止まった。しゃがんだままの体勢で振り返ればそこには自分よりも一回り以上大きいスニーカー。そのまま足をなぞるよう、すーっと視線を上に持って行けば我が友である角名倫太郎が不思議な顔してこちらを見下ろしていた。

「かくれんぼ?」
「違うけど隠れて!」

遊んでいるわけではないけれど見つかってはいけないので角名君の発言は当たらずとも遠からず。しかし事情を説明している暇はないので手を引っ張って座るように促した。コンビニ帰りなのかその手にビニール袋が握られていたのでガサリと音を立てた時は焦ったが草木を揺らす風音のおかげでかき消された。

「何事?」

こちらの不審者丸出しの様子に引きもせず角名君は促されるまま私の隣にしゃがみ、そして声のトーンを落としてそっと聞いてきた。私は声を発さずに人差し指で先ほどまで見ていた方を示す。そこには同じ寮の友人である彼女と、角名君も知っているであろう男子寮の生徒が並んで座っていた。

「笹山じゃん。で、隣は……女子寮の人?」
「そうそう」

茂みに隠れながらこそこそと会話をする。しかし私は心の中で、笹山君がんばれ!とめちゃくちゃ応援していた。なにせ彼からは恋愛相談を受けていたからだ。そして今の二人の様子を見る限り雰囲気もかなりいい感じ。だからこれはほぼ勝ち確イベ。いけるぞ笹山君!

「他にもお店調べとくね」
「俺も調べてみるよ。……あのさ、俺ずっと言いたかったことがあるんだけど」
「え?」

そして時は来た。当事者でないにも関わらず何故だかこちらの方が緊張してきてしまう。言葉通り、私は手に汗握って二人のことを見守った。きっと、絶対、上手くいくと信じて——



「笹山フラれたね」
「だね……」

というのはフラグでしかなく、角名君の言う通り笹山君はフラれてしまった。そしてあれだけ彼の背中を強く押していたこともあって私も大分へこんでいた。もう笹山君に合す顔がない。

「今夜は男子寮で笹山を励ます会が開かれそうだな」
「そしたら全力で励ましてあげて」
「いや、俺は精々記録係だから」
「なんと無情な……」

角名君と並びながら寮への道を辿る。笹山君たちがいなくなった後に公園を出たから日は西へ傾いていた。日照時間は長くなったが日が傾くとまだ少し肌寒い。

「まぁあいつのことだから立ち直りは早いと思うよ。それに相手に嫌われてフラれたってわけでもないみたいだし」

前に伸びる二つの影を眺めながら先ほどの告白シーンを思い出す。そして彼女の言葉を脳内で復唱した。フラれてしまった笹山君のことは可哀そうだとは思う。でも彼女の言ったことに、確かにと納得する自分はいた。

「そうだよね。でも二人にとっても付き合わない方がきっとよかったよ」
「どういう意味?」
「ほらあの子も言ってたでしょ、あと一年で卒業だって」

春休みが終われば私たちは三年生だ。部活も勉強も一番頑張らないといけない年になる。だから恋愛ごとに割いている時間はない、というのが彼女が告白を断った理由だった。特に私たち寮生は全員県外の出身。皆が地元に戻るとも限らないけれど付き合ったとて卒業したら遠距離になる可能性の方が高いと思える。それから疎遠になって別れるというのは容易に想像できた。

「今がよければいいって思って笹山君のこと応援してたけど、あの子の言ってること聞いたら確かになぁって思っちゃったんだよね」

相手が好きならなおさら辛いと思う。だったら『友達』という線引きをしてその枠の中で付き合っていた方が楽なように思える。楽しかったときの思い出だけを詰め込んで卒業する。それがきっと一番いい。

「つまり残りの高校生活で付き合うのはナシってこと?」
「そうだね」

笹山君が上手くいったら私もその波に乗って告白しちゃおうかなぁとか思ってたけど彼女の話を聞いて保守に回ることにした。現に今回の告白があったから春休みに二人で遊びに行くのもなしになったみたいだし。彼らは友達のままだったらできたはずの思い出を一つ失ったのだ

「ならいっか」

笹山君への罪悪感と自分の高校での恋が終わったことに情緒が搔き乱されていたところで、フッと目の前に影が落ちた。危うくぶつかりそうになったので慌てて足を止める。目の前に立ちはだかった角名君の顔は太陽に照らされていてオレンジに色づいていた。

「えっどうしたの?」
「笹山の後を追おうと思って」
「は……」
「俺、好きだったんだよね。あんたのこと」

搔き乱されるどころではない。私の情緒は日本海の荒波に飲み込まれてしまったんじゃないかってくらいすごい勢いで攫われて渦巻いていた。

「好きって、私のことが……?」

脳で考えるよりも先に脊髄反射で聞き返した。とっくに私の体からは魂が抜け出ていたので、気持ちとしては台詞を選んで操作キャラに言わせている感覚に近い。だからこそ私は角名君の言葉を聞き返すことができたのだと思う。

「そう」

本当に?本当に私のことが好きなの?……え、やばい。両想いなんだけど。

そう、笹山君の告白が上手くいったら私は角名君に告白しようと思っていたのだ。勝算があったわけじゃないけれど、それでも女子の中では角名君とは一番仲がいい自信があった。だからお情けでもノリでもいいから付き合ってくれないかな…くらいの下心はあって。でもまさかの両想いだったなんて。確実に今、私に春が来ている。

「あのっ……実は私も——」
「まぁでも重く受け止めなくていいから」

返事をしようとしたら角名君が私の言葉を遮った。その表情はいつも通りの、すんとした顔で大きな感情の起伏はないように思える。そして朝のニューストピックを伝えるアナウンサーのように淡々と大きくも小さくもない声で話を続けた。

「そっちが彼氏作る気ないってのは分かってる。ただ自分の気持ちにケジメつけたかっただけだから気にしないで。今まで通りでいいから」

確かにそうは言った。そうは言っちゃったけども、ちょっと状況が変わったから弁解させてほしい。彼女の話を聞いて高三で付き合うのはないよなぁって思ったけどやっぱり好きな人とは付き合いたいし友達の関係じゃできないこともしたいよ。すぐに意見を変えて調子のいい奴って思われそうだけど自分の気持ちに嘘は付けない。

「待って。今まで通りとかじゃなくて、その……」

あれ?角名君泣いてる……?
目元が夕日に反射して光ったような気がした。もしかしたら気のせいだったかもしれないし、ただ目が乾燥しただけかもしれない。それにもう花粉の季節だからアレルギー症状でそうなっただけかもしれない。

「あー……普通に無理だよね、ごめん」

私はこの時、過ちを犯した。それは角名君を泣かせてしまったことかもしれないということではなく、言葉を詰まらせてしまったことだった。そしてそのせいで角名君に最悪な勘違いをさせてしまったのだ。

「そんなこと言わないでよ!全然今まで通りでいいって!私、男女の友情は存在すると思ってるタイプだから角名君のことも友達だと思ってるし!というか寧ろもう親友みたいな!ほらあれだ、ズッ友ってやつ?!」

そして私はこの時、二度目の過ちを犯した。脳がキャパオーバーして余計なことまで言いまくってしまったのだ。本当にこの口は肝心なことは伝えられずに余計なことを言う時だけはよく回る。

「ぶはっやっぱいいね、あんたのそういうとこ」
「あ、あははー……」

こっちはなんにもよくないよ。でも今さら、やっぱり……なんてことは流石に言えなくて。これからもよろしくってことで終わった。滅多なことをいうものではないが、自暴自棄になってなんかもう死にたくなってきた。

「ズッ友って言葉使う人まだいたんだな」

うぅ……もういっそのこと殺してくれ。





二年前の春、スポーツ推薦枠で兵庫にある稲荷崎高校へと進学した。私はバドミントン部としてその話をもらったけれど稲荷崎では他の部活でも多くの人を推薦で取っている。だから県外から来る学生のための学生寮を持っていた。その寮の新入生歓迎会で顔を合わせたのが角名君との出会いだった。



へージョーシン、へーじょーしん、へいじょうしん、平常心……そう心の中で唱えては、目の前を行く彼女の後を追う。名前だけの副部長であったのにまさかこのような形で駆り出されるとは思ってもみなかった。といっても私は付き人程度だけど。

「すみません、男バレの部長おります?」

男子バレー部の練習場である第三体育館。その入り口でバド部部長である彼女が近くにいた男子生徒に声を掛けた。銀髪の彼は「ちょい待っとって」と言って「侑〜!」と叫びながらその人を迎えに行ってくれた。その姿を彼女の後ろで見つつ視線だけで角名君を探す。しかし、アップをしている集団にもストレッチをしている輪にもいない。

「えい」
「ひっ……冷たぁ?!」

右頬にひやりと冷たいものが当たり思わず飛びのく。頬に触れればそこは確かに冷たくなっていておまけに湿っていた。それは買ってきたばかりのミネラルウォーターのボトルが押し当てられたからであり、それをした犯人は言わずもがな角名君である。
私の想像通りの反応に満足したのか彼は僅かに口角を上げて、息を吐くように控え目な声量で笑ってみせた。

「相変わらずいいリアクション」
「今のは不意打ちだったからですー」
「胡瓜を蛇と見間違えて飛び跳ねる猫みたいだった」
「あっそれ昨日テレビでやってたやつでしょ?私も見てたよ」
「マジで?その番組でさゴリラが水しぶき上げてダンスする映像あったじゃん?寮でそのモノマネし出した奴がいてめっちゃ笑った」
「なにそれ、私も見たかったなぁ」
「実はここにあったりして」
「さすがです」

隣に並べば私の身長に合わせてスマホが下げられる。動画の再生ボタンが押されれば二人して小さな画面をのぞき込んだ。そしてその数秒後には過呼吸になるくらいヒィヒィ笑ってしまった。モノマネのクオリティが高すぎる。

「すごい!来週の男女寮合同の新歓でやったら絶対受けるよ!」
「俺らもそう言ったんだけどクールな先輩キャラでいきたいから嫌だって」
「えー勿体ないなぁ」
「あのーこっちの用事終ったんやけど……」

男バレ部長との話を終えた彼女が申し訳なさそうに私の肩を叩いた。いけない、思いのほか盛り上がり過ぎてしまった。

「あっごめん!なら戻ろっか。じゃあね」
「ん、部活頑張って」

ばいばい、と手を振って第三体育館を後にする。
私の心配事は杞憂に終わり今の心境は凪というべきか至極穏やかであった。昨日のことがあって身構えてたけど意外と普通に話せてるじゃん。どうやらこちらが気負い過ぎていただけのようだ。

「相変わらず二人は仲ええな」
「そうかな?」
「おん。もういっそのこと付き合うたらええのに」

彼女の言葉に胸が痛む。でも私としてはもう割り切ると決めたのだ。そしてそれは角名君が一番そう思っている。



三月の最終週の土曜日に寮の新入生歓迎会が行われる。それは毎年男女寮合同で開催しておりお菓子を食べながら雑談したり、二、三年生が芸を披露したりと一種の催し物にもなっている。女子寮ではダンスと歌で盛り上げるようだが、生憎目立つことが苦手な私は買い出し係という裏方に回った。

「ごめん、お待たせ!」
「別に。俺も今来たとこ」

そして男子寮の買い出し係担当は角名君だった。これに関しては随分と前に寮長を通して聞いていたから特に驚きもしなかった。そして緊張も。だから、行きますかぁなんて言いながら近所のドラッグストアへと向かった。

「今年は寮生何人入った?」
「八かな。そっちは?」
「十五」
「えっ多いね?!」
「だよね。部屋数もギリでさ、危うく相部屋になるとこだった」

大通りに出てそのまま道に沿って歩いていく。平日の十時過ぎともなれば交通量も歩行者もそれほど多くはない。しかし春休み期間でもあるものだから私服姿の同じ学校であろう子たちがちらほら見られた。

「三年で相部屋はきついよね。相手が後輩じゃなくてもちょっとしんどいかも」
「それな。一人の空間と時間が欲しい」
「受験もあるしね」
「あーヤダヤダ現実見させないでよ」
「まぁまぁ安心してよ。今から見るのはお菓子だから」
「そういう意味じゃないんですけど」

徒歩十分ほどで目的地に着く。私たちが頼まれているのは菓子類でドリンクや飾りつけの装飾品などは他の人が用意することになっている。だから二人だけの買い出しでも負担は大きくないのだ。

「ほら今日は好きなお菓子が買えるよ!最高学年の権限振りかざして選んじゃってよ!」
「言い方」

私がカゴを手に取れば横から伸びてきた手にスッと奪われる。マジックのような一瞬の出来事に唖然としてしまったが角名君は何食わぬ顔でそのままカゴを持ってくれた。そのスマートすぎるような行動に驚きつつも、ありがとうと言えば「いーえ」とこれまたクールに返される。角名君ってぼーっとしてそうで意外とこういうところ見てたりするよね。

「とりあえず定番は欲しいよね」
「じゃあこの辺の大袋買ってこ」

カントリーマアムにパイの実、それとブルボン商品にハズレはないと思っているので個包装になっているものを見繕いカゴに入れていく。甘い物だけじゃ飽きるだろうってことでポテチやプリッツ、揚げせんべいなんかも追加。また、最後まで悩んだ挙句、新歓の場で戦争を始めるわけにはいかないという理由できのこたけのこのお菓子は買わなかった。

「やっぱりそれ買うんだ」

そして角名君が最高学年の権限を振りかざして選んだのはチューペットだった。長細い容器にフルーツ味の液体が入っていて凍らせて食べるもの。食べるときに容器の括れた部分を折って食べることから我が家ではパッキンアイスと呼んでいた。

「だって好きだし」
「私もそれ好きだよ。というか角名君のおかげで再熱した」

一年の時の新歓で私と角名君は向かい合わせの席だった。そのとき、先輩から振られた雑談の中で角名君はチューペットが好きと言ったのだ。その意外過ぎる好物に皆は笑っていたが私は思わず興味津々で聞き返した。

「それで翌日にコンビニ五軒はしごするとは思わなかったよ」
「よく覚えてるね」

懐かしさも相まって無性に食べたくなった私はそれを早速探しに行った。でも今の時代コンビニには売ってないんだね。五軒目に訪れたコンビニで偶然会った角名君にそう告げられ「ドラストになら売ってるかも」と二人して買いに行ったことがあった。それはまさに今いるこの店だ。

「あれは衝撃的だった。あんたも随分物好きだよね」
「角名君にそう言ってもらえるのは光栄だね」
「なにそれ嫌味?」
「ううん、褒めてる」
「そういうことにしといてあげる」

一袋十六本入りのチューペットがひとつカゴに入れられた。全員に行き渡る数ではないが全員が食べるのかはまた別の話になってくるので口は挟まないでおく。きっと好きな食べ物と聞かれてチューペットと答える男子高校生は古今東西探しても角名君だけだろうな。

「そっちはほしい物ないの?」
「あるにはあるけど些かマイナーかなって」

と、角名君を色眼鏡で見つつも私も人の事を言えない節がある。だからスッー…と目を泳がせながらお菓子の棚へと視線を移した。

「さすがにチューペットよりは知名度あるでしょ」
「うーん……どっこいどっこいかな」
「ど……フッ」
「なぜ笑った」
「別に」
「それ答えになってないんですけど」
「面白い日本語使うなって思っただけ」

絶対馬鹿にしてるよね。まぁ友達にも「おばあちゃんと話してる気になるわ」って言われたりもするから今さら気にしてないけどね。事実、実家で同居している祖母の話し方に似ていると家族にもよく言われる。

「私にとってはごくごく一般的な日本語です」
「他になんかないの?」
「言われて出るようなものでもないですー」

角名君を置いてお菓子コーナーの棚をぐるりと回る。この流れなら今さら笑われたって気にすまい。そう思い十代の若者がおおよそ選ぶことのないような品物を手に取った。

「なにそれ」
「寒天ゼリー」

フルーツ味のゼラチンに砂糖をまぶしたお菓子である。確かフランスではパート・ドゥ・フリュイって言うんだっけ。フルーツゼリーと呼ばれることもあるらしいが祖母が「寒天ゼリー」と言っていたのでそれで覚えてしまった。

「あーばぁちゃん家で見たことあるかも」
「食べたことは?」
「ないね」

ですよねーと分かりきった返答に落胆することはなく。しかし、これを出したら寮生全体のセンスが疑われかねない。やっぱりやめておいたほうが無難か。そう思い止まり棚に戻そうとしたら横からお菓子が掻っ攫われた。

「え、それはいいよ」
「いいじゃん買えば」
「他のお菓子に紛れてたら絶対浮いちゃうよ」
「俺だけに恥かかせないでよ」
「まさかの道連れ発言」
「っていうかここまで来たら賭けない?どっちがより選んでもらえるか。知名度はどっこいどっこいなんでしょ?」
「その言葉使いたかっただけでしょ」
「オッホホ」

目を細め、特徴的な声で笑ってみせてはそのままレジに向かってしまった。しかし理由はどうあれ買ってもらえるのは嬉しい。そして喧嘩まで売られてしまったわけで私も逃げるわけには行かない——今ここにチューペット派閥と寒天ゼリー党と戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。

そして新入生歓迎、当日。

「一個も食べてもらえなかった!」
「俺は一本減ったよ」
「自分で食べたんでしょ」
「バレた?」
「すぐ分かったよ」
「最近の若者にはウケませんな」

水面下で起きていたこの戦いは両者の敗北で幕を閉じることとなる。食の好みに関してだけ言えば私たちは生まれてくる時代を間違えてしまったようだ。故に我々は傷心を癒やすために後片付け後の食堂で駄弁っていた。

「角名君も食べる?美味しいよ」
「じゃあもらう。チューペットいる?」
「ありがとう。でも一本は多いから半分こっつね」

凍ったそれを真ん中で割り片方を角名君に差し出した。先端が付いている方と丸みを帯びている方。界隈では先端がついている方が若干量が多くなるので取り合いになるという話も聞くが、そちらの方を迷わず角名君にあげた。

「半分こっつ……」

しかしそれを受け取った角名君は手元のチューペットをただ見つめていた。そしてちらりとこちらを見る。

「もしかして今さら一本食べたいとか言う?」
「違う。半分こっつって言い方いいなって思って」
「そう?」
「俺もこれから使お」

どうやらまねっこ角名君がまた出てきてしまったようだ。
それから切り口側を口に含んでからも「やっぱいいな」と独り言ちている。だから私も同じように食べ進め、いいでしょと同調しておいた。





梅雨の時期はグラウンドが使えなくなるから憂鬱だと嘆く運動部員も多い。しかし室内競技であるバドミントン部にとって天候はあまり関係ない。だからこそ天気予報なんて毎朝チェックしているわけでもない私は見事にやらかしてしまった。

「お疲れ」

空にうっすらと張っていた雲は徐々に黒く重くなっていき、そして部室の戸締まり当番であった私が帰る頃には雨が降り出していた。

「あっ角名君、お疲れ」

傘なんて持って来ておらず置き傘もない私は部室棟の入口で二の足を踏んでいた。もしかしたらあと数分で止んだりしないかなぁなんて甘いことを考えてしばらく様子を見ていたのだ。

「誰か待ってるの?」

私とは違い備えのいい角名君の手には黒色の傘が握られていた。偉い、ちゃんとしていらっしゃる。だからこそ私は自分が恥ずかしくなっていらない嘘をついてしまった。

「うん。体育館の鍵返しに行った友達待ってる」
「そっか。これから雨酷くなるみたいだから早く帰った方がいいよ」
「うそ……」
「ほんと。じゃあね」

悲しい置き土産情報を残し角名君は自分の傘をパッと開いて部室棟を後にする。その背中を見送って私は改めて空を見上げた。確かに先ほどよりも雨の勢いが増しているように思える。
学校から寮までは徒歩十五分だから走って帰れば半分くらいの時間で帰れる。いっそ濡れるのは覚悟のうえで急いで帰った方がいいだろう。でも今出たら角名君に追い付いてしまう。

「あれ?」

最低でも十分は時間を置いた方がいいかなと考えていたらこちらに歩いてくる影が一つ。それは先ほど別れたばかりの角名君で真っすぐに部室棟に向かっていた。

「どうしたの?忘れ物?」
「うん、ちょっとね」

畳んだ傘の水滴をバサバサと払い、チラリと私を見る。そして目が合えば「預かっててもらってもいい?」とお願いされそのまま反射で受け取ってしまった。私に傘を預けた角名君はそのまま部室棟の廊下を歩いてく。

「なんで角名戻って来てん?」
「忘れ物」
「珍し〜部室ならさっきツムが閉めとったで」
「ちょおサム!先に帰らんといて!」
「お前が遅いからやねん。なぁ角名が部室に忘れ物したんやって」

廊下の先で角名君がバレー部の人たちと話す声が聞こえてくる。そして角名君は部室の鍵を受け取ったようだった。

「俺らもう帰るから明日の鍵開け頼んだで」
「マジか」
「朝七時な」

バレー部ってそんな早くから朝練やってるんだ。さすがは全国大会出場の常連なだけある。うちの部もあるけどもう少し遅いからなぁ。

「あっすんません」

どうりで朝は角名君と会わないわけだと一人納得していれば肩に衝撃を喰らう。どうやら私のことが見えずにぶつかってしまったらしい。背が高いからしょうがない。

「いえ、大丈夫です」

端に避ければその人は私に軽く頭を下げてもう一人と一緒に傘をさして去っていた。あれがこの学校でも有名な宮兄弟か。バレー部主将である宮侑とは一言二言話したことあるが片割れである宮治と話をしたのは今が初めてだった。と言っても、今のが会話と呼べるのかは不明だが。

「傘預かってくれてありがとう」

それから少しして角名君は戻ってきた。何を忘れたのかは知らないが角名君の持ち物は特に増えていないように思える。私も一々聞くようなことはせずに預かっていた傘を角名君へと返した。

「まだ友達来ないの?」

しかし傘を受け取った角名君はすぐに帰ろうとはしなかった。雨脚は先ほどよりも強くなっているというのに随分とのんびりとした様子だった。

「うん」

そしてくだらない嘘をついてしまった私は言い出すタイミングを失って嘘を突き通すしかなくなってしまった。本当のことを言っても角名君は馬鹿にしたり呆れたりはしなさそうだけど、なんかもう引くに引けなかった。

「その友達、もう帰っちゃったんじゃない?」
「え?」
「雨すごいし職員室からの方が校門にも近いからそのまま帰ったんじゃないかって思った」

スマホ確認してみたら?と促され、鞄の中からスマホを取り出す。画面をタップして新着メッセージを確認するももちろん友達からの連絡なんてない。でも私はその流れに乗らせてもらうことにした。

「友達からごめんねって連絡入ってた」
「気が付いてよかったね」
「うん。……あ、あのね角名君、実は私傘持ってなくて」

そして流れのままに白状した。しかしそこですぐにあることに気付く。これって、傘入れてって遠回しに言ってることになるのでは?やばい、恥ずかしすぎる。しかも図々しすぎる。そして私のいらない口も回り出した。

「だから全力で走って帰ることにするよ!自分は濡れても今ならまだ鞄の中身は無事に済みそうだし!じゃあ角名君は気を付けて帰っ」
「これ使う?」

テンパる私を余所に角名君は自分の鞄の中から折り畳み傘を取り出した。普通の傘だけじゃなく、折り畳み傘まで常備しているなんて、なんてできた人なんだ。

「いいの?」
「うん。俺は使わないし、それに荷物も少なくなって助かるし」

恐らく軽量タイプの最新の傘。少しだけ見えた角名君の鞄の中はそこまで何かが入っているわけでもなかった。でもその一言があったから私は遠慮せずに借りることができた。

「ありがとう」

そのまま角名君と一緒に寮までの道を辿った。寮に着く頃には靴も靴下もびちゃびちゃになっていて、でも傘のお陰で制服と鞄はそこまで濡れずに済んだ。角名君には本当に感謝しかない。



「角名君、おはよう」

そして翌朝、私は角名君に傘を返しに行った。返しに行くと言っても女子寮と男子寮は塀を隔ててお隣同士。だから女子寮の前で学校に向かう角名君のことを待っていた。

「おはよ、今日は早いね」

耳に入れていたイヤホンを外して角名君は私の前で足を止めた。そんな彼の前に乾かして綺麗にした折り畳み傘を差し出す。

「傘貸してくれてありがとう」
「急いで返さなくてもよかったのに」
「それだけじゃなくてこれも渡したかったからさ」

昨日の雨の名残で水溜まりがあるものの、今日は梅雨の合間の快晴だ。でもやっぱり借りた物はなるべく早く返すというのが礼儀と言うもの。

「……ようかん?」
「そうそう、ひと口ようかん!この前おばちゃんがたくさん送ってくれたからお裾分け」
「ブレないね」
「なにが?」

と言うのは建前で、実は朝一緒に登校したかったから。そして私の思惑通りにそのまま一緒に登校することができた
七時前に登校する生徒は少なく、寧ろ散歩中の犬を見ることの方が多い気さえした。それもまぁ私は角名君のことしか見ていなかったからあまり関係のないことだったけど。

「傘貸してよかったわ」

学校に着いて互いの部室に行くために分かれる直前、角名君がそんなことを言った。私に傘を貸して角名君に何のメリットがあったというのか。でも察しのいい私はすぐに気が付いた。

「またおばあちゃんから送られてきたらようかんお裾分けするね」
「……ちょっとこのまま動かないで」
「うん。……いたっ」

そして私は角名君からデコピンを喰らうはめになった。どうやら私の予想は大ハズレだったらしい。でもある意味、正解だったなと未だに角名君のことが好きな私は心の中で笑うのだった。





中間テスト、模試、小テスト、模試、そして期末テスト……と三年生らしい日々が慌ただしく過ぎていき夏休みへと突入した。大学受験は高三の夏で決まるとまで言われているが私としては勉強よりも部活だった。最後のインターハイはどうしたって気合が入る。

「お疲れ」

だから部活動後も時間が許す限り自主練に励んでいた。私以外に体育館に残っている部員は多くいる。だから端に置いていた飲み物を取りに行ったタイミングで笹山君と鉢合わせた。

「笹山君もお疲れ。まだやってくの?」
「おう、大会も近いからな。そっちもまだ練習してくだろ」
「うん。でもちょっと休憩」

汗を拭いながらその場に腰を下ろす。日も暮れて開け放たれた扉から風は入ってくるが夏の体育館は蒸し暑い。それもあってか少しだけバテていた。練習はしたいが体を壊しては元も子もない。

「なぁ、ちょっといいか?」
「? うん」

水筒を傾けて一息ついていれば私の隣に笹山君も座った。その表情は真剣で少し身構えてしまう。そして彼は周囲に人がいないことを確認してから話を切り出した。

「今週の土曜に夏祭りがあるじゃん?それに誘おうと思ってるんだ」

どこの地域でも夏になったらお祭りをやるのが常であろう。もちろん稲荷崎の周辺でも夏に開催されるお祭りがあり花火も打ち上げられる。私も一昨年と去年に友達と一緒に見に行った。

「誘うってもしかして……あれ?でも付き合ってはないんだよね…?」

笹山君が声を潜めている意味を理解しぼやかしながら聞き返す。彼らは私が茂みの中から見たままの通り付き合ってはいないはずだ。現にあの後、笹山君からも「ダメだったわ」とメッセージが送られてきていた。

「うん。でも友達としては今も普通に話すし、思い出作りくらいはしときたいなって」
「なるほど」
「でもさ、それって女子的にはどうなの?」

笹山君からの相談を受けて彼女の気持ちになって考えてみる。実はあの後、彼女からも告白を受けて振ってしまった話は聞いていた。そのとき彼女は後悔しているとも言っていたのだ。お断りした理由はどうであれ、彼女も彼に少なからずの好意があったらしい。

「誘うのはいいと思う。でもあの子の場合、二人でってなると断ると思う」
「あー確かに」

春休みに二人で出掛けようとして結局断わられてしまった記憶が思い出されたらしい。笹山君は頭を抱えてしまった。しかし彼はここで塞ぎこむような人ではなかった。

「あっじゃあさ、みんなでって言ったら来てくれるかな?」
「それならまだ可能性はありそうだね」
「だよな!ってことで協力してくんない?」

だからこそフラれてもなお、彼女との友情を育んでいるのだ。そのガッツには脱帽するし協力はしたいがあまり私を巻き込まないでほしい。

「えっ私も一緒に行くってこと?」
「そう!」
「えー……そんなの明らかに私お邪魔虫じゃん」
「さすがにもう一人男誘うって!ほら、角名とかどう?二人って結構話すよな」

数秒前の考えを撤回しよう。笹山君、どうぞ私を思う存分巻き込んでくれ。いやでもちょっと待って。笹山君って角名君が私に告白したの知らないのかな?あの時の口ぶりだと笹山君にはそのこと話してると思ったんだけどな。それとも敢えて角名君を連れてこようとしているのか……

「笹山君、角名君から聞いてないの?」
「角名から?……あっもしかしてあいつ彼女いんの?!」

でも笹山君は本当に何も知らないようだった。終いには「角名の奴、そういう話寮でも全くしないからなぁ」とまで言っていた。本当に偶々だったらしい。でもこのチャンスは見過ごせない。私は『協力』という名目で笹山君の話に乗ることにした。



寮の門限は二十時が基本。でも夏祭りがあるこの日だけは特別に二十二時までの外出が許可されていた。

「やっぱ人多いね」
「だね。笹山君たち見つけられるかな」

そして私たちは寮を出て夏祭りの会場へと向かっていた。全員運動部で、日中は部活があるから一度着替えてから集まろうということになったのだ。

「二人とも身長あるから直ぐに見つかるよ。それと、今日は付き合わせちゃってごめんね」

待ち合わせ場所までの道すがら、彼女は唐突にそんなことを言い出した。どうやら笹山君から「四人で祭りに行こう」と声を掛けられた時点で自分に合わせてくれたのだと感じ取ったらしい。

「気にしないで。それに私もお祭り行きたかったし」
「ありがとう。でも私たちのことは気にしなくていいからね、二人は二人で楽しんで」
「それってどういう意味?」
「だって角名君のこと好きなんでしょ?」

目的地まであと少しといったところで彼女はとんでもないことを言ってきた。私は今まで誰にも角名君のことを好きだと言ったことがない。それどころか好きな人がいるということも言ったことすらなかったのだ。理由は単純、女子寮の世界は狭く一人に言ったら全員にバレていらないお節介を妬かれるからだ。しかし、唖然としている私を余所に彼女は確信を得たように小さく笑った。

「ほら、雨の日に折り畳み傘で帰って来た時があったでしょう。黒だかららしくないなって思ってたら次の日に角名君に傘返してたからさ」
「あ、あれはただ傘を借りただけで…!」
「それからも偶に二人で朝一緒に行ってるよね?」

まさか見られていただなんて。周囲にバレたくないと思いつつも自分の詰めが甘すぎて泣けてくる。そして彼女の言っていることもまた事実。角名君の登校時間が読めるようになった私は時折わざと早起きしては朝に出会えるように量っていた。

「うん……」
「あっでも誰にも言ってないから安心してね。それと私は二人のこと応援してるから」
「それは——」
「あっ来た!おーい、こっちこっち!」

彼女に言いたいことはまだまだあったけれど待ち合わせ場所に到着してしまった。視線の先にはこちらに手を振る笹山君とスマホ片手に立っている角名君の姿がある。彼女の言った通り、周囲の人よりも頭一つ分抜きんでている二人はすぐに見つけられた。

「二人ともお待たせ」
「遅くなっちゃってごめんね」
「そんな待ってないから大丈夫」
「無事合流できてよかったわ」

じゃあ行こうかと祭り会場の中心部へと歩きだす。といってもやはり人が多いので笹山君と角名君に前を歩いてもらい私たちはその後ろを着いて行った。花火が上がるのは一時間後だからそれまでは屋台のものを買って食べようかという話になっている。

「はい、広島焼き一つお待ちどう!」
「今年の花火は去年よりも数が多いらしいよ」
「ねぇママかき氷食べたい」
「その浴衣かわいいね!」

祭り会場のあちらこちらで楽しそうな声が聞こえてくる。それは友人同士であったり家族連れだったりと様々だ。でもやはり目に留まるのは恋人同士であろう手を繋いでいる二人組であった。

もし私が角名君と付き合えてたらあの人たちのように二人きりで来る未来もあったのだろうか。手を繋いでお店を回って一緒に花火を見ることができたのかな。でもそんな贅沢を言える立場でもない。恋人同士ではないにしろ今日この場に共にいること自体、奇跡に近いのだから。

「あっチョコバナナある!俺買ってきてもいい?」
「最初に甘い物買うんだ」
「別にいいだろ!」
「ふふっじゃあ私も買おっかな」

よそ見をしているうちにチョコバナナの屋台に行くことが決まりかけていた。うーん…私は甘い物よりはしょっぱい物が食べたい気分。笹山君たちが買いに行っている間に別の屋台にでも行こうかな。角名君もそんな雰囲気だったし。

「ねぇ、角名く……」

と声を掛けようとしたら彼らの姿が消えていた。というかどうやら私が人に流されてるっぽい。そしてあれよあれよというままにチョコバナナの屋台からも大分離れてしまった。一先ず脇に逸れてスマホを手に取るも電波状況はあまりよろしくない。現にメッセージアプリから連絡を取ろうと試みたが読み込みに時間が掛かっている。これはもうしょうがない。この荒波に打ち勝ち自力で合流するほかない。

「…っ、見つけた」

そう覚悟を決め大縄跳びの如く突入するタイミングを見定めていたところで腕が掴まれた。そして再び道の脇へと連れ戻される。振り返れば僅かに息を切らした角名君がそこにいた。

「角名君!よかったぁもう一生会えないかと……あだっ」
「フラフラどっかいかない」

喜びと安堵で大袈裟にその感謝を述べようとしたところで些か可愛くないデコピンが飛んできた。表情こそいつも通りであるが割と怒っていらっしゃるらしい。そりゃああのリア充二人の下に一人取り残されたとあれば気まずいもんね。

「ごめん……」
「声掛けててくれれば着いてくから」
「え?」
「たこ焼きの匂いに誘われたんでしょ」

私たちのすぐ横にはたこ焼きの屋台がある。それは今まさに私が求めていたしょっぱい食べ物だった。……じゃなくて、もしかしていま揶揄われてる?

「そうじゃないから!人が多くてはぐれちゃっただけだから!」
「まぁまぁあの二人には黙っててあげるから」
「そうじゃないって!」
「俺たこ焼き買ってくるけどどうする?」
「行く!!」
「ははっめっちゃ素直」

角名君の後を追いかけてたこ焼きの列に並ぶ。しかしメニュー表を見て一つ八個入りであることに気付いてしまった。他にも食べたいものがあるから胃の容量的に八の個のたこ焼きは重い。

「なに悩んでるの?」
「八個はちょっと多いかなって」
「なら半分こっつする?」
「おぉっ使いこなしてる!」
「でしょ」

謎のドヤ顔をした角名君に拍手を送りつつ、その申し出は有難く受けさせてもらった。ちょうど半分の金額の硬貨を渡せば角名君がお店の人に声を掛けて買ってくれた。もちろん箸を二膳もらうことも忘れない。

「そういえば笹山君たちはどうしてるんだろ」

道の端にあったコンクリートブックの上に腰掛けて食べていた時、彼らの存在を思い出した。私としてはもう別行動でいいくらいだけどそういうわけにもいかないよね。それに角名君だって気を使って私に合わせてくれてるだけで実は気まずい思いとかしてそう。

「連絡はないね」
「送ったメッセージにも気付いてないよね」
「まぁあいつらのことは放っておけばいいでしょ。他に食べたいものある?」

しかし気を使っていたのは寧ろ私の方だったらしく角名君は淡々とそんなことを聞いてきた。その様子は笹山君に話しかけるのと同じ感覚だったと思う。なんでもない会話なのに、無性に『友達』という二文字が脳裏にちらついた。

「あるにはあるけど今日はいいかな」
「今日はって、祭りは今日だけじゃん。いいの?」
「うん。それより二人のこと探しに行かない?やっぱり花火はみんなで見たいしさ」

恋人と友達の線引きをしたかったのは私の方なのにいつの間にか欲張りになっていた。このままじゃ本末転倒だ。

「当ててもいい?」
「なにを?」
「食べたい物」

ゴミを袋にまとめ立ち上がろうとすれば突如始まったなぞなぞクイズにより呼び止められてしまった。半端に浮かせた腰を下ろし再びブロックの上に座る。私は一瞬だけ迷って、でも角名君からの無言の圧に負けて一度だけの回答権を受け渡した。

「チャンスは一回ね、それではどうぞ」
「ラクガキせんべい」
「なんで分かったの?!」

正解の一言よりも先に驚きがまんま口に出ていた。角名君は「ホホホ」なんて上機嫌に笑っている。
薄いクリーム色のせんべいに筆でシロップを塗りザラメを付けて食べるあれ。お祭りの出店の中では一番好きな食べ物だ。しかし中学校に上がったあたりから、ちょっと子どもっぽいかなぁと周囲の目が気になるようになって食べられずにいた。

「それくらい分かるよ」

角名君は立ち上がり普段は猫背ぎみの背筋をスッと伸ばして辺りを見回す。周囲よりも頭一つ抜きんでた身長では遠くの景色もよく見えるのだろうか。ある方向で視線が止まり、切れ長の目がさらに細められた。

「あれっぽい……気がする」
「え?」
「食べるんでしょ」
「いや、でも、たぶんお客さんは小さい子しかいないと思うし……」
「自分も小さい子じゃん」
「なっ…身長の話じゃない!」

百八十越えの人から見たらほとんどの人間が小さく見えるであろう。だから私が小学生と間違われるくらい小さいってわけでもない。しかし角名君は私のことをそれこそ子どものように扱ってきた。

「さっき迷子になりかけたんだから同じでしょ。保護者同伴なら大丈夫だって」
「保護者……?!」
「今日を逃したら当分食べられないんじゃない?いいの?」

そして畳みかけるように追い込んでくる。私は心の中で食欲とプライドを天秤にかけて揺れていた。しかし打ち勝ったのは人間の三大欲求のひとつだった。

「行く!!」
「よく言えました」

その声はいつもよりも弾んでいてどことなく機嫌がいいようだった。
それから角名君の先導の下、店を目指す。相変わらず人は多かったけれど角名君が時折振り返っては着いてきていることを確認してくれたのではぐれることはなかった。

「いらっしゃい!」

そして私は数年ぶりにらくがきせんべいの屋台へと訪れた。姉妹と思われる女の子二人が両親に付き添われてお客としていたが幸いスペースは空いている。机の上に並べられたピンク、青、黄色、緑のザラメは昔の記憶通りキラキラと宝石のように輝いていた。その様子に幼心が擽られ私は嬉々としてお店の人に声を掛けた。

「すみません、一枚ください」
「もう一枚ください」

硬貨を握った手を差し出せばもう一本横から腕が伸びてくる。繊細な顔立ちからは想像もできない太く鍛えられた腕は確かにバレーボールをやっている人のものだった。

「角名君もやるの?」
「せっかくだからね。といっても初めてだけど」

お店の人が二枚のせんべいを透明のビニールを貼った机の上に並べた。やはり机は子どもの身長に合わせて作られているのかかなり低い。だから角名君は膝を折って腰を曲げて、できるだけ高さを合わせていた。そのせいか身長は今の私とほぼ同じくらい。

「そうなんだ!じゃあこれがデビュー戦だね!?」
「戦いなんだ?」

並んでスマホを見たりそれこそさっきみたいに腕を引かれて距離が近くなったことはあったけれど、今までで一番顔が近い。だから気恥ずかしさと緊張で心臓が一気にうるさくなった。因みに思考もまとまっていなかった。

「これ何書けばいいの?」

気を取り直して筆を持つ。角名君は初めてだからかベタ塗という発想がないらしい。せんべいを見つめながら固まってしまった。そんな角名君を見て、せっかくなら……と思いついたことを言ってみた。

「抱負を書かない?」
「抱負?」
「うん!お互い大会も近いしさ」

筆を持ち直してサラサラとせんべいの上に走らせていく。シロップは透明だから上手く書けたかはわからない。でもこれも醍醐味といったところではないだろうか。

「お願いします」
「はいよー」

お店の人に手渡してせんべいの上に四色のザラメを降りかけてもらう。そうして浮き上がってきた文字を見て、角名君は切れ長の目をさらに細めてまじまじと見た。

「全国……えっなにこれ毛玉?」
「『全国優勝』なんだけど」

優勝の漢字を筆で書くにはさすがに無理があったらしい。見事に潰れてせんべいの上にはカラフルな毛玉が二つ描かれている感じになってしまった。ちょっと縁起悪いかも。

「できた」

爆誕させてしまったカラフル毛玉と睨めっこしていればそのうちに角名君も書き終えたらしい。同じようにせんべいを渡しザラメを降りかけてもらっていた。そうすれば次第に文字が浮き上がってくる。目を凝らしても斜めから見ているせいか読み取れない。

「なんて書いたの?」

屋台の横のスペースにはけて角名君に声を掛ける。そうすれば袋から取り出し横持ちにしてこちらにも見えやすいようにしてくれた。

「『ゆーしょー』…?」
「優勝」
「ひらがな?」
「なら入るかなって」
「あんまカッコつかないね」
「それは言えてる」

顔を見合わせたら同じタイミングで吹き出した。抱負に『ゆーしょー』は気が抜けすぎている。でも角名君が私のを見て合わせてくれたのが嬉しかった。二人合わせたら『全国優勝』だ。

「写真撮ってもいい?」
「じゃあ俺も撮ろ」

私は右手に、角名君は左手に持って文字を並べる。それをスマホに収めた。

「あっ笹山君からだ」

ちょうど取り終えたタイミングで新着のポップアップが現れる。アプリを立ち上げてグループチャットの内容を確認すれば今連絡に気が付いたことと、合流したい旨が記されていた。どうやらもう二人きりの時間は終わりらしい。

「高台の入口に集合ってことはあっちかな?」
「だね。行きますか」

他の祭り客も花火を見るために移動をしたのか先ほどよりは屋台周りの道は空いたように思える。それでも二人並んで歩くほどの余裕はない。だから結局、角名君の後ろについていく形になった。

「はぐれないように気を付けてね」

そう言うなら「手を繋がない?」って言ってほしかった。
もし私たちが恋人同士だったのならここで自然と手を繋げていたのかな。保護者なら子どもの手くらい引いてよ、なんて理不尽な悪態をついては自分の滑稽さに自己嫌悪。私ってこんな人間だったっけ。

「うん、大丈夫」

手を伸ばせばすぐに届くこの数センチが、ひどく遠く感じた。





特別なにかきっかけがあったわけじゃない。一目惚れってわけでもなかったし部活も違えば三年間同じクラスになることもなかった。でも廊下で見掛けたら挨拶はして、昼休みに購買で会えば紙パックのリプトン片手にたわいもない話をした。新しい味が出ると真っ先に飲みたがる私とは裏腹に角名君はいつも同じ味を飲んでいた。

今思えばそのことに気付いた頃には、私は角名君のことを好きになっていたように思える。



「へぇ〜土曜の特別授業取ったんや」
「うん、さすがに勉強やばいからね」
「えっ大学受験するん?てっきり推薦でもう決まっとると思ったんやけど」
「ないない!だってバドは高校で辞めるし」
「ほんまに?!勿体ないわぁ」

季節は巡りワイシャツにカーディガンを羽織るようになった。朝晩の寒暖差は日に日に増し、日もだいぶ短くなったように思える。そして私は本格的な受験勉強に日々を追われることとなった。

「プロになって食べていけるほどの実力もないしね」
「でも全国には行っとったやん」
「行っただけで大した結果は残せなかったよ。だから一般入試で受ける」

上には上がいると思い知らされた夏だった。負けた時は悲しかったけれど自分の結果に後悔はない。だからこそもうこれ以上、頑張ろうとは思わなかった。

「そっか。じゃあお互い頑張ろな!」
「そうだね」
「ほな私は塾あるから行くわ」
「うん。ばいばい」

友人とは別れ一人購買へと向かう。この後は自習室で勉強するつもりだから飲み物を買いたかったのだ。

「あっ角名君だ」
「ん?」

ちょうど購買から出てきた角名君と鉢合わせた。制服に似合う似合わないはないとは思うけれど、角名君の場合は袖口が掌にかかるくらいのオーバーサイズのカーディガンが一番似合うと思っている。春と秋にしか見られない貴重な姿だ。

「なんか久しぶりだね」
「そだね。カーディガン着てるの見るの初めてだし」
「一昨日から急に寒くなったから慌てて出したんだ」
「俺もだよ。夜も冷えるから掛布団出した」
「えっ私はまだタオルケットなんだけど」
「いや感覚おかしいでしょ。そんなだとまた風邪ひくよ、あんた季節の変わり目に弱いんだから」

即座に指摘された内容には苦笑いをするしかない。そういえば二年のこの時期にひどい高熱を出したっけ。

「今年は大丈夫だよ」
「その大丈夫は信用できないんだけど」

登校はしたものの気分が優れず、昼休みに保健室に行こうとしたら階段を踏み外して。そのとき偶然居合わせた角名君がいなかったら転落して大怪我をしていたかもしれない。

「少なくとも体調悪い状態でもう学校は来ないから」

へらっと笑えば角名君は呆れたように笑う。そして私の肩に掛かったスクールバッグを見て小首を傾げた。

「部活引退したの?」

部活をやっていたころは今の倍以上の荷物があった。それに放課後になればすぐに部活へと行っていたからそう思ったのだろう。

「うん。インハイで終わりにした」
「そっか。お疲れ様」

一緒に祭りに行き互いのインターハイも終え、そして夏休みが明けてからまともに角名君と話したのは今日が初めて。今までの私たちと言えば部活のこととかネットで見た面白い記事の話なんかが中心だった。だから進路の話をしたことはなかった。

「角名君はまだバレー続けてるの?」

稲荷崎の男子バレー部は全国的にも強豪校として有名だ。ここ数年はインハイも春高も全国大会に出場しており、優勝には届かずともいい結果を残している。そしてリベロを除き六人のレギュラーに角名君は二年の時から選ばれていた。

「まぁね」
「じゃあプロになるの?」
「そうかもしれないね」

どこか他人事のようにそう言った。あまり聞かれたくない話題なのだろうか。そういえば今までも角名君が自分について話すことは多くなかったように思える。部活の話も他の部員のことが中心で初めてレギュラーになった時くらいしか自分のことを話してくれなかった気がする。

「そっちは今から自習室?」

そして自然な流れで話題は逸らされた。こちらも無理に聞き出すつもりはなかったので、そうだよと軽く返す。そしたら目の前に紙パックが差し出された。レモンティーのそれは角名君がいつも買う定番商品だ。

「これあげる」
「いいの?角名君が飲みたくて買ったんじゃないの?」
「だったけど、今から部活行くし飲むタイミングもなさそうだからやっぱりいいかなって」
「じゃあ……ありがとう」

角名君の様子には違和感を覚えた。でもその正体を突き止める気にはならなかった。私が聞くことで逆に角名君を追い詰めることになると思ったし何か気の利いたアドバイスを言えるわけでもないと思ったからだ。

「勉強頑張ってね」

手の中のレモンティーは冷たい。日に日に最高気温が低くなる中ではこの商品を手に取るのは今年最後になるかもしれない。

窓の外の広葉樹の色は変わり金木犀の香りが秋の訪れを告げる。きっと数週間後にはブレザーを羽織る様になってマフラーを巻いて、雪降る空を見上げては春が来るのを憂鬱な気持ちで待ちわびるのだろう。

高校生活は、あと半年もない。





カーディガンの上にブレザーを着て、参考書の入ったスクールバックを手に取り寮を出た。
今日は希望者のための特別授業が行われる日。部活を引退してから土曜に学校に行くのは初めてで人通りの少ない朝の空気が懐かしく感じるほどだった。部活をやっていた頃は土日の朝も七時過ぎには学校に着いて朝練をしていたというのに今ではその時間に起きるようになっていた。だから土曜の今日も学校へと向かう私が角名君と顔を合わせることはなかった。



「おはよー!あなたもこの授業取ってたんだ!」

特別授業が行われる教室へと向えば二年の時に同じクラスだった友人に声を掛けられた。今回は三年生の中で希望した生徒が受けられる授業のためクラスは関係ない。だから顔こそ見たことあれど名前の知らない人も教室にいた。

「うん。特に数学が危なくて取ったんだよね」
「私もだよ。理系が軒並みヤバすぎてこの前の模試も散々だった」

授業を受けるのはおおよそ三十名ほどと言ったところか。学年の人数に対しては少ないように思えるが大半の生徒は塾に通っているため取る人が少ないのであろう。

「授業始めるから席付けー」

彼女と受験についての悩みを話していたところで先生が教室へと入ってくる。土曜でチャイムが鳴らないから時間になっていることに気付けなかったということもあり、私は慌てて黒板に貼られた座席表を確認し自分の席を探した。

あ、宮治だ。

廊下側から二列目の一番後ろが私の席、その隣の廊下側の席に宮治が座っていた。宮兄弟がいる場所は大抵騒がしくて目立つからすぐ気付くものなのだが今日は全く分からなかった。それはやはり片割れがいないからだろうか。意外と一人でいるときは大人しいらしい。そんな彼を横目で見つつ私も席に着いた。



「あっ」

授業が始まり十五分ほど経った頃、隣から小さな声が聞こえた。目だけでそちらを確認すれば宮君がペンケースの中を漁っている姿が見える。続いてため息一つつき、シャープペンのキャップを外し上についている小さな消しゴムでノートを擦っていた。きっと消しゴムを忘れたのだろう。

「あの、」
「ん?」

自分のペンケースの中から消しゴムを一つ取り出す。私も以前、寮に消しゴムを忘れたことがあった。その時に購買で買い直したため二つ持っているのだ。

「よかったらどうぞ」

シャープペンについている消しゴムで消せなくもないだろうけれど消しにくいし何故か黒く汚れるんだよね。その経験があったので彼にもそうなってほしくない気持ちで消しゴムを渡した。私にはもう一つあるので貸したところで問題ない。

「おおきに」

控え目にそう言って受け取った彼に、一日借りてていいですよと付け加えておく。特別授業は夕方まであるのでその意味を含めて言ったのだ。
彼はこくりと頷いて、再度ノートに消しゴムを当てた。



日は傾き、夕日が教室をオレンジに染めたところで長かった特別授業が終わった。今さら聞けないような基礎的な内容の解説ではあったがかなり身になった気がする。先生が作ったプリントも貰えたし今後の自学習も捗りそうだ。

「あの、すんません」
「はい?」
「消しゴムありがとうございました」

荷物をまとめていたところで宮君に消しゴムを差し出された。あぁそうだ、貸していたことをすっかり忘れていた。彼の手から、どういたしましてと受け取ってペンケースの中へと仕舞う。しかしこれで用は済んだというのに彼は未だにこちらを見ていた。

「えっと、まだ何かありますか……?」

じっと見つめてくる視線の痛さと学年一とまで言われる顔の良さに当てられて、おっかなびっくり聞き返す。膝の上においたバッグを抱きしめるようにして返答を待っていれば、椅子に座ったままこちらに体を向けていた宮君は「あぁ、」と短く発してから私の問いに答えた。

「角名の彼女やなって思て見てました」
「えっ?!」

何が一体どうしてそのように勘違いされたのだろうか。驚きと行き場のない感情がごちゃまぜになり胸元のバッグを強く抱く。おそらく今日貰ったプリントは全てぺしゃんこになったことだろう。そしてその様子を見ていた彼は大きな瞳をさらに見開いて小首を傾げた。

「違いましたか?」
「ち、違いますね!?」

バクバクと囃し立てる心音により食い気味で彼の言葉を否定する。宮君は「すんません」と謝りつつもどこか腑に落ちない顔をしていた。生憎それはこちらも同じである。だからうるさい心臓をどうにか落ち着かせて声が上ずらないよう気を付けながら聞き返した。

「どうして私と角名君が付き合ってると思ったんですか?」
「お前たち、もう戸締まりするから早う出てき」

しかしその答えを聞く前に先生が私たちの間に割り込んできた。辺りを見回せば他の生徒はすでに帰っていて教室には私と宮君しか残っていない。そのため、促されるまま荷物を抱えて教室を後にした。

「追い出されてもうたな」
「ですね」

そのまま成り行きで宮君と帰ることになってしまった。といっても昇降口までの廊下を一緒に歩いているだけだけど。

「そういやさっきの質問にまだ答えてへんかったな」
「……うん」

平日はあれだけ賑わっている校舎も今は静まり返っている。閉め切られた窓では木の葉を揺らす風の音すら聞こえずに、また運動部の練習も終わったのかグラウンドにも人はいなかった。

「今年の夏祭り、角名と一緒に行っとったろ?まぁ他の人らもいたみたいやけど」

私の様子を窺うように斜め上から宮君は視線を投げて来る。私はそれに気付かないふりをして、寮の友達と四人で行ったよと短く返した。割と失礼な態度だったにも関わらず、宮君は特に気にするそぶりもなく淡々と会話を続ける。

「角名のやつ初めは俺らと行く約束してたんよ。でも急に別の友達と行くことになったゆうて断わってきよって。まぁそれはええねんけどあいつにしては珍しいこと言うてきたから不思議やったんよな」

宮君の言葉は私に話しているというよりは一人で答え合わせをしているかのようだった。
上履きが床を鳴らす音だけが時折、耳に入ってくる。

「花火会場で角名の姿見つけて、そしたらあんたも一緒におるやん。どこかで見たことある人やなぁ思っとたら前に雨の日に角名のこと待ってた人やって思い出したんよ」
「あれは待ってたというか、角名君の傘を預かってただけで……」
「預かる?……あぁ、だから角名のやつ折り畳み傘取りに戻ってきたんか」

前だけを見ていた顔を勢いよく回転させる。その突然の動きに宮君は大層驚いた様子だった。私は宮君を見上げたまま言われたばかりの言葉を聞き返した。角名君は折り畳み傘を取りに行ったの?と。

「あいつ部室のロッカーに折り畳み置いてっとるからな。俺も借りたことあるし。自分の傘は持っとったんに部室に戻ってきたのはあんたに傘貸すためやろ」

じゃあ角名君は私が嘘ついてたことにも気付いてたのかな。いつ気付いたのかな。だとしてもあの雨のなか戻ってくるだろうか。でも、角名君はわざわざ戻って来てくれた。その事実は変わらない。

「そうだね。でもそれでどうして付き合ってるって思ったの?」
「そこはまぁ勘やな」

かなりのんびり歩いていたけれど気付けば昇降口まで辿り着いていた。下駄箱はクラス別に場所が決まっているため一度宮君とは別れる必要がある。だからこそ私はその場で足を止めた。そうすれば宮君も釣られるようにしてその場に踏み止まった。

「もしかして鎌をかけられたってこと……?」

宮君の話を聞く限り私と角名君が付き合ってると勘違いするような確信めいた情報は一つもなかった。それに角名君から何か聞いた様子でもなかったし。そして極めつけに本人に「勘」とまで言われてしまえばつまりはそういうことなのだ。

「まぁ…そうとも言うな」
「もう驚かせないでよ!すっごくあせちゃったよ!」
「すまん!悪気があったわけやないねん!ただ角名のやつあんま自分のこと喋らへんから気になったんよ……ほんますまへん」

面白半分で聞いた節もあるだろうが宮君が頭を下げて真剣に謝る様子にこちらもこれ以上、怒れなくなる。それに結局は私が一人で慌てふためいていただけなので宮君を責めるのも違うように思えた。だから、もういいよと許して宮君には顏を上げてもらった。

「揶揄うつもりはなかったんよ」
「もう分かったから大丈夫だよ」
「ただな、最近あいつの様子が変やねん。やから彼女なら何か知っとるかと思て声掛けてみたんや」
「変ってどういうこと?」

宮君曰く、最近の角名君はどこか上の空らしい。部活にはいつも通り顔を出すし、試合での調子も悪くはない。でもみんなで他愛のない話をしているときなどその輪に入ってこなくなったらしい。

「元よりお喋り好きってわけでもないけど俺らが騒いでれば鋭いツッコミを飛ばしてきたりはすんねん。でも最近はそれがない。まぁ話しかければ普通に乗ってはくるやねんけどな」

宮君の話を聞くうちに先日の角名君の様子が思い出された。私が何となく覚えた違和感の正体はこれだったのかもしれない。

「まぁ俺の思い過ごしかもしれへんけど」

それぞれ下駄箱によって靴を回収し、そして校舎を出たところで再び合流した。
一度一人になったことで冷静になったのか宮君は言い訳のようにそう言った。でも私は首を横に振る。だってそれはきっと思い過ごしなんかじゃないから。

「夏休み明けに一度会ったとき私も角名君の様子が気になったんだ。だから私も気に掛けとくね」

と言っても次にいつ会えるか分からないけれど。ただ宮君は私の言葉を聞いて安心したのか「頼んだで」と言った。その一言は信頼してくれているようで少し嬉しかった。

「ほな、俺は部活行くから」

太陽はもう沈んでおり西の空にはマジックアワーが広がっている。その薄命をバッグにして宮君は体育館へと向おうとしていた。まさか今から練習に参加するつもりなのだろうか。というかまだ部活をやっているのか。

「部活引退してないの?」
「春高までおるよ。ただバレーは高校で辞めるから勉強も両立してやっとる」

宮君ほどの実力があればプロでもやっていけそうなのに高校で辞めちゃうんだ。でもだからこその両立ってすごいと思う。彼も彼で他に夢があるのだろうか。

「そうなんだ。部活頑張ってね」
「おおきに」

宮君とは別れて一人校門を目指す。

風が吹けば落ち葉を揺らしスカートから覗く脚を冷やした。そろそろ寝るときに毛布も追加した方がいいかもしれない。だって風邪をひくかもしれないから。ただ、もう冬だから逆に平気かなぁなんて思ったり。季節の変わり目ってわけじゃないからさ。

『だからあんたは風邪ひくんだよ』

きっと角名君だったらこう言うんだろうなって想像したらちょっと笑ってしまった。それと同時に虚しくなって、誤魔化すように僅かに赤くなった鼻を啜った。





日曜は顧問も早く帰りたいからか大会前じゃなければ十七時で強制的に部活が終わるんだよね——そんなことを角名君が言っていたのを思い出し、宮君と話した次の日にさっそく行動に移ることにした。

今私は図書館に来ており、ここから寮に帰るのにちょうど学校の前を通る。だから角名君と帰路が重なるタイミングを狙う。もしかしたら友人と共にいる可能性もあるが、学校から少し歩いた先の交差点で寮と駅方面へと向かう道が分かれるのでそこで角名君はおそらく一人になるはずだ。

会う機会がないのなら待ち伏せをするまでである。世間ではこれをストーカーと呼ぶらしいがこれまでも朝に待ち伏せをしてきたから今に始まったことではない。そして未だ避けられていないからセーフだ。

「もうすぐ十七時……ん?えっ?!」

校門近くの電柱の影で時間を確認していればスマホに新着メッセージが届いた。受信時にスマホが震えた拍子に指先がポップアップに触れる。そしたらそのままチャット画面に飛んでしまった。トーク画面には『今どこにいる?』の一言が表示されている。そして驚いたことにその送り主は角名君だった。

『図書館に行ってた!今帰ってるところだよ!』

既読を付けてしまった手前、急いでこちらも返信する。そしたら送ったメッセージにもすぐに既読が付いた。

『俺も今部活終って帰るとこ。帰り道で会えるかな?』

まさかの一文に思わずスマホを落しそうになった。こんな風に声を掛けてもらったのは初めてのことである。だから私は思いのままに『会える!!』と馬鹿みたいな返事をしてしまった。しかしそれにもすぐに既読が付き数秒で返事が来る。

『相変わらず元気だねw』

もう二週間は角名君の声を聞いていない。それでも鮮明に私の頭の中では角名君の声で再生された。



「部活お疲れ様」

校門前は目立ちそうだったから学校近くの交差点のところで待ち合わせをした。私が先に着いて、その数分後にすぐに角名君も来た。制服ではなくジャージ姿の角名君は新鮮だ。そんな彼に声を掛ければ「そっちもお疲れ」と返ってくる。このやり取りも今や懐かしい。

「今年の春高もシードで出場が決まってるのにバレー部は練習熱心だね」
「まぁ今年は特に負けられない相手がいるからね」
「去年、一回戦目で戦った宮城の代表のこと?」
「そう。まぁインハイでは県代表落ちてたから春高で全国来るか分かんないけどね」
「そこは頑張って来て欲しいよね。勝ち逃げは許さん!」
「なんか急に武将っぽくなった」

寮へと向かう道をゆっくりと歩く。少しでも一緒にいたいからわざと歩幅を縮めて歩いてる。角名君がどう思っているのかは分からないけれどいつも合わせてくれるから、きっと同じ気持ちなんだと私は都合よく解釈している。

「そういえば昨日の特別授業どうだった?」

取り留めのない会話の中で角名君が唐突に話題を変えた。互いの近況報告なんていつものことだけどあまりにもピンポイントすぎるネタに一瞬思考が停止する。そして角名君の視線も相まって緊張した。

「よかったよ。先生の解説分かりやすかったし各教科の対策プリントも貰えたし。あっ角名君もプリントいる?コピーしたいならあとで寮から取ってくるよ」

ありのままの感想を言ってみたけれどどうやらこれは角名君の求めていた答えと違ったらしい。僅かに眉間に皺が寄った。何が違ったのだろうか……しかしその答えに辿り着く前に角名君はジャージのポケットからあるものを取り出して私に見せた。

「これ治から」

それはよくあるプロテインバーでチョコレート味だった。コンビニや購買でも手軽に買えて私も部活がある時はバッグに忍ばせ居残り練の前によく食べてたっけ。

「宮君から?」
「昨日のお礼だって」
「そっか、わざわざよかったのに」

意外と律儀な人だなぁと失礼な感想を浮かべつつ、お礼を言ってプロテインバーを受け取る——が、角名君の手が離れなかった。バーの端と端を握って謎の綱引き状態。思わず足を止め、角名君?と声を掛ければ先ほどと同じ顔をして私のことを見下ろしていた。

「二人って仲良かったっけ?」
「え?昨日初めて話したくらいの仲だけど……」
「ならお礼って何の?」

なるほど、宮君は私と角名君が会うキッカケ作りのためにこれを用意してくれたのか。でもなんか角名君の圧が強い。そしておそらくプロテインバーは袋の中で砕けているであろう。

「消しゴムを貸したんだ。宮君とは隣の席で忘れたみたいで困ってたから」
「それだけ?」
「それだけだよ」

角名君は一拍置いて「そっか」と呟き、続けて「ごめん」と言ってようやく手を離してくれた。
再び歩きだしたけれど角名君はなにも話さなくなってしまった。刺すように冷たくなった風よりも沈黙の方が痛く感じる。だから私は意を決して例の話題に触れてみることにした。

「角名君は最近どう?」
「どうって別に普通だよ。部活はまだ続けてるし去年の今頃と同じ感じ」

会話には乗ってくるがどこか距離があるその答えにはやはり違和感がある。無理に聞き出したいわけじゃない。でもやっぱりほっとけない。角名君にとって私は『友達』の一人で宮君よりもその関係性は薄いのかもしれない。

「私は、今の角名君は去年と同じには見えないよ」
「まぁ学年は上がったからね」
「そうじゃなくて!」
「…、っ」

だけど好きだから、何かしたいって思っちゃうんだ。
ひとりで熱くなってしまい、思わず声を荒げてしまった。驚いた角名君に、ごめんと一言謝る。しかしそのまま図々しく会話を続けた。

「前は走り込みで全力疾走してないのがバレたとか基礎練手抜いてたら主将に怒られたとか、そんな話ししてても角名君が真剣にバレーに取り組んでることが分かった。練習はしんどくてもバレーが好きなんだろうなってそう思ってた。でも今はそうじゃないのかなって……」

勢いよく切り出したのに最後の方は尻すぼみになってしまった。なんとも情けない。そして再び襲うは痛い沈黙。

「フッ……ふはは」

しかしそれを破ったのは角名君の笑い声だった。割とシリアスな感じだったのになぜ急に笑い出すのか。角名君の少し低い声が人通りの少ない道ではよく響いた。

「な、なにごと?!」
「いや、ごめん。俺のこと心配してくれてるのかなって思って」
「心配するに決まってるでしょ!」

だって私は今も角名君のことが好きなんだから——とまでは勢いで言えなかったけど。
じーっと角名君の顏を見つめていればふと目が合う。それから「あんま見ないで」と言っておでこを軽く弾かれた。ひどい。でも昔の角名君が戻ってきたような感じがした。

「別に無理に聞き出したいわけじゃないから。でも愚痴くらいは聞くし私でよければ相談にも乗れたらなって……そう思っただけ」

自分の言動に照れ臭くなり言い訳のように付け足した。そして角名君はそれをまたニマニマした顔で聞いていたから余計に居た堪れない気持ちになる。顔を背けて明後日の方向を見ればそこには星空が広がっていた。

「じゃあお言葉に甘えようかな」

隣で角名君が静かにそういった。だから私はチラリと様子を窺って、でもそれでは逆に話しにくいだろうと思い前を向いたまま、うんとだけ答えた。

「自分が何をしたいのかよく分からないんだよね。バレーはまぁ好きだけどプロでやってこうなんて今まで考えたこともなかったし、かといって他にやりたいことや夢みたいなものもなくてさ。でも割とみんな考えてたみたいなんだよね」

例えば宮侑はプロのバレーボール選手に、宮君は飲食業を開くことが夢らしい。また具体的な夢はなくともこの分野を学びたいとかこの大学に行きたいとか、そう言った話を周りもしていたのだとか。

「学校経由でいい話をもらったからそれで俺はバレーを続けることを選んだけど、こんなんでよかったのかなぁって思うわけですよ」

客観視したような口ぶりから角名君が俯瞰的に自分を見ていることが分かる。角名君は自分の将来を自分で決めずに流されてそうなったと思ってるみたいだけど、私からしてみたら十分悩んで決めたように思えた。

「それって角名君の実力が認められてお声が掛かったってことでしょ?私はよかったと思うよ」
「でもスポーツ選手って寿命あるから一生続けることなんてできないじゃん。それに俺は侑ほどの熱量もない。こんな人間がプロになるなんて笑えるよ」

自傷気味に笑ってみせる。それに対して私はまたふつふつとお腹の中が煮えだってくるのが分かった。今の発言こそ角名君らしくもない。

「だけど角名君は期待に応えられる人だよ」

本人は練習は手を抜いてるなんて言うけどそれは手の抜き方を知っているだけ。目に見えた情熱はなくても負けず嫌いであることは分かる。そうでなければこの強豪校で二年からずっとレギュラーでいられるはずもない。そして以前はスロースターターなんて言われていたけれど今となっては調子の上げ方も早くなった。そこに至るまでに何の努力もしていないわけがない——その事実を一つ一つ言葉にしていく。

「それに私たちまだ十代なんだよ?あと十年も二十年も生きてくのに絶対的な進路を今すぐに決める方が難しいって!」

バレーを続けることは成り行きかもしれないけれどその先に何もないわけじゃない。色んなことを経験すれば考え方も変わるし多くの人と関われば視野も広がる。

「試合に出るようになったら絶対に呼んでね!うちわ持って応援に行くから!」

頑張っての一言はプレッシャーになると思ったので言わなかった。でも私は角名君の味方だよって、それだけは分かってほしかったんだ。

「あんたには本当に敵わないわ」

強張っていた表情を緩めて角名君は笑う。

「さすがに全力疾走したら角名君の方が速いと思うよ」
「そういう意味じゃないって分かってるでしょ」
「ごめん、揶揄った」

だから私も冗談めかした返事をした。

冬の初め、夜の空気は澄んでいる。
その時に言われた「ありがとう」の言葉は星のきらめきよりも美しく私の記憶に残った。





大学入試の筆記試験を終え、私は抜け殻状態で電車に揺られていた。答案用紙は全て埋めれたものの自信があるかと言われると何も答えられない。周りの受験生たちが「過去問より難しくなかった?!」なんて言っていたのでそうであったと信じたい。ともあれ、やるべきことはやったのであとは結果を待つだけである。

「おかえり」
「え?……えっ角名君?!何でいるの?!」
「迎えに来た」

そういえば一時間ほど前に「試験お疲れ様」って連絡もらってたっけ。その時に何時にこっちに着くのか聞かれた気がする。まぁそれももぬけの殻となった自身の指先が文字を打ち込んで返信したのであまり記憶には残っていなかった。

「そんなわざわざ……もう夜なのに」
「夜だから来たんだよ。暗いし危ないでしょ、荷物も貸して」

受験した学校は県外で新幹線と電車を乗り継いで帰って来たので今の時刻は十九時過ぎ。街灯はあれど夜道は暗くキャリーケースを引きずって一人寮に帰るのは正直少し怖かった。だからこそ来てくれたのは有難く、そして嬉しかった。

「ありがとう」

駅から寮に向かって歩きだす。
幸いにも先日の夜中に降った雪は残っておらず道は歩きやすい。戸建ての庭に植えられた椿の花はすでにいくつか落ちており冬の終わりを暗に示していた。きっとあと十日もしないうちに斜向かいの家の桜が咲くのだろう。

「日中はかなり温かくなってきたけど夜はまだ冷えますな」
「だね。……あの、試験の手ごたえは聞かないの?」
「聞いた方がよかった?」
「ごめん。やっぱり聞かないで」
「じゃあ聞かない。だけどとりあえずお疲れ様」
「ありがとう」

角名君の優しさを噛みしめながら並んで歩く。今までにも二人で帰ったことはあったけれど今日はいやに特別なように感じた。おそらくそれは今日が一緒に帰る最後の日になると思ったからだ。

「角名君は明日引越しだっけ」
「うん、明日向こうに荷物運び込んで明後日から練習に合流する予定。で、卒業式の日にこっちに一度戻ってくる」
「春休みもないんだ」
「それな。少しはダラけたかったわ」

とは言いつつも角名君はどこか楽しそうだった。その顏に迷いはなく未来だけを見ていた。彼をプロの選手としてテレビで見る日も近いかもしれない。

「そっちは実家に戻るんだっけ」
「そうだよ、大学も実家から通える距離だからね。一週間後に退寮予定だけどまだ何にも片付けてないや」
「意外と時間かかるから覚悟しといた方がいいよ。見つけた漫画読みだしたら終わりだから」
「うわぁそれ絶対やる」

いつも通りのテンポの会話。
いつも通り笑いあって軽口叩いて。揶揄われてまた笑う。
いつも通り歩幅を狭めてゆっくり歩いてみたけれど当たり前に終わりはくる。

「送ってくれてありがとう」

寮の前へと辿り着く。ギリ門限には間に合った。
角名君に改めてお礼を伝えればいつも通りの落ち着いた顔で淡々とした返事がくる。

「いいよ。あんたといるの楽しいから」

そう言われた瞬間、泣きたくなった。

あぁ、やっぱり好きなんだなって自分の気持ちを再確認した。『友達』という枠の中で付き合っていた方が楽なんじゃないかって思っていたけれど現実はひどく苦しかった。角名君と出会ってからの三年間、そしてこの一年で気持ちは大きくなるばかり。あの時素直になれてたらこんなことにはならなかったのかなって、今だからこそ思う。

「私もだよ。……じゃあ、またね」

だけど何もかもが遅すぎてもうどうしようもなかった。ここで言えたら少しは楽になれたのかもしれない。ただ、目に水の膜が張ったことが自分でも分かったから「好き」の言葉は飲み込んだ。ひどい泣き顔を晒したくはなかった。

「またね」

次会う約束もしていないのに、その言葉しか思いつかなかった。





「久しぶり〜!髪切ったんだね」
「えっマジ?俺もその大学なんだけど!」
「式のあと部のメンバーで写真撮らないかって話してたんだけど来れそう?」

学校の北にある山が見事な春色に染まった今日、私たちは稲荷崎高校を卒業する。卒業式自体は恙なく行われ、その後は各クラスに戻り級友との別れを惜しんだ。部活の友人とも写真を撮ったりアルバムに寄せ書きなんかもして、後輩たちからはお花を貰った。寮へと顔を出せばそこでも「卒業おめでとうございます!」と温かな言葉で迎えられる。春の日差しも相まって私の胸はずっとぽかぽかしっぱなしだった。

「そっちは地元に帰るんだっけ?」
「うん。第一志望のところも受かったしね」
「そうだったんだ、おめでとう!離れちゃうけどまた遊ぼうね」
「もちろん!」

別れの日というよりは旅立ちの日という感覚に近い。だから涙は見せずに友人たちとは最後まで笑顔で過ごした。何もこれが一生の別れと言うわけではない。



「まだいるかな……」

寮に行った帰りに公園にも立ち寄った。そこまで大きな公園でもないけれど樹齢百年とも言われる桜の木が立派に生えている。風が吹けば花弁が舞い落ちてベンチに座っている私の足元まで飛んできた。そんな桜色の景色の中、スマホを見つめてはどうしようかと考えあぐねていた。

「何してんの?」
「うわっ?!」

トーク画面と睨めっこしていれば唐突に後ろから声が掛けられた。完全に目の前のことに集中していたので全く気配に気付けなかった。座りながらも腰を抜かした私は身体を縮こまらせながら振り返る。そしたらまさに連絡を取ろうとしていた角名君が不思議な顔してこちらを見下ろしていた。

「びっくりしたぁ」
「まさかそんなに驚かれるとは。ごめん」
「大丈夫」

うるさい心臓を押さえつけ平静を装う。改めて角名君を見れば制服のネクタイを緩めブレザーを全開にしていた。それほどまでに今日は過ごしやすい気候なのだ。そしてその下に着たカーディガンを見て、いよいよ見収めかとまた少し寂しくなる。

「誰か待ってたの?」

もう卒業式も終わり友人たちとの挨拶も済んだ。この後にみんなで集まってカラオケに行こうという話も出ていたけれど今日中に実家に戻るため私は断っていた。現に今も新幹線に乗る駅で卒業式に来てくれた両親が私のことを待っている。

「角名君を待ってた」
「俺?」
「ちょうど今どこにいるか連絡取ろうとしてたからびっくりしたよ」
「そうだったんだ。なんか用だった?」
「じゃん!これを一緒に食べようと思って」
「おっチューペットじゃん」

寮の冷蔵庫から回収して来た一本のチューペット。去年の夏に買ってその余りが残っていたので持ち帰って来たのだ。この気温で多少は溶けてしまったもののまだ形を成しているため溢さず食べられるはずだ。

「半分こっつね」
「ありがと」

イチゴ味のそれを半分に割って渡す。もちろん角名君の方が若干長い方だ。
切り口を口に含めばイチゴの香りがする蜜が口の中に広がる。温かくなるにつれて今年もたくさん買うことになるだろう。

「角名君も寮に寄って来た帰り?」
「うん。それで今からバレー部の集まりに行くとこだった」
「えっ時間大丈夫?!」

今日を逃したらバレー部の人とも当分会えなくなるのではないだろうか。角名君に連絡しようと思ったのはチューペットを口実に私が最後の思い出作りをしたかっただけ。それに付き合わせてしまったようで申し訳ない気持ちになった。

「平気平気。どうせ他のやつらも遅れて来るだろうし」
「そんな呑気な……」
「それにあんたとも最後に話しときたかったしね」

最後、という言葉が重く心に圧し掛かる。でもそれを悟られたくなかったから、私も!これぞ以心伝心みたいな?!って馬鹿みたいに答えておいた。角名君からは「なんか古い」って笑われた。でも、それでよかったのだ。

「ゴミ捨てて来るよ」
「ありがとう」

最後は飲むようにしてチューペットを食べ終えた。空の容器は捨ててきてくれると言ってくれたので有難くお願いする。ふとその背中を見れば記憶よりも大きくなっているような気がした。身長が少し伸びたのかなぁという感想と、それと同時に角名君がどんどん私の知らない存在になっていくのかなと感じて虚しくなる。

「ねぇ見て、これ捕まえた」
「え?」

そんなことを考えながらぼぅっとしていれば角名君が重ねた両手を私の前に差し出していた。手の中に何かある。そして「捕まえた」という単語を聞いて私はベンチから勢いよく立ち上がった。

「ほら」
「わーっ?!」

絶対虫じゃん!!……しかし私の想像は裏切られ中から出てきたのは寒天ゼリーだった。

「意外とハマって自分でも買うようになったんだよね。あげる」

ころんと掌に転がされた黄色のレモン味だった。日に当たると砂糖の粒がきらきらと反射して宝石のように光り輝く。ちょっと角名君の瞳の色に似てるかも。

「やっぱり角名君のこと好きだなぁ」
「…………は?」

気付けばそんなことが口から零れ落ちていた。しかし私は自分でも驚くくらい冷静だった。寧ろ安堵したくらいだ。胸につかえていたものがようやく吐き出せたかんじ。

「実はずっと角名君のことが好きだったんだ。話してて楽しいし一緒にいるのが心地よくて、気付いたら好きになってた。自分から告白しようと思ってた時期もあったんだから」

明日角名君と会うこともないし、距離が離れてしまえば偶然道端でばったり…なんてこともなくなる。これっきりで一生の別れは嫌だけど、それでも今日で『最後』なんだと思ってしまえば今の私に怖いものなんてなかった。

「角名君が私のこと好きって言ってくれたとき本当に嬉しかったんだ。でも三年で付き合うのはナシって言っちゃったから自分もそうだって言えなくなっちゃって……ほんと馬鹿だよね」

よく回る口も言いたいことが言えたためかその勢いは徐々に速度を落としていった。

そして一度深呼吸。

改めて角名君を見れば切れ長の目が大きく見開かれていた。それはもう大層驚かせてしまったらしい。その顏も可愛いなと思いつつ最後の言葉を口にした。

「急に変なこと言ってごめんね。全部忘れてくれていいから」

この気持ちにお別れを。
あの時の角名君と同じように私は自分の気持ちにケジメを付けたかっただけだ。今さら返事を望んでいるわけでもない。だけどそれにしたって最後の最後にこんなことを言うなんてもはや嫌がらせでしかないと思う。でも言わないことには前に進めない気がした。

「じゃあ…——」

せめて笑顔でさよならしよう。

「なんで謝るの?」

しかしそれはできなかった。何故なら角名君が私の手首を掴んで引き留めたから。

「だって迷惑でしょ」
「迷惑なんかじゃないし。ってゆうかあんたの気持ちには何となく気付いてた」
「は…………」

口を半開きにして固まってしまった私を見て角名君はフッと笑った。それから手首から手を離し、そして改めて手を握られた。

「俺のこと目で追ってるなって感じるときあったし一緒に帰る時はいつもより歩くのが遅い。朝早く学校に行くようになったのも俺に合わせてくれたのかなって……自惚れだった?」

口の中がカラカラで、呼吸はしているのに頭は酸欠のようにくらくらする。でも辛うじて、私は首を横に振ることができた。きっと今の顔は信じられないくらい真っ赤に違いない。だって角名君がフッと小さく笑った声が聞こえたから。

「フラれたけど告ったことであんたが俺のこと意識してくれないかなって思ったんだよね。だから俺としては告白成功かな」

今の状況を頭で理解するより先に心がじんわりと温かくなる。嬉しい気持ちが込み上げてくる。でも一つだけどうしても喜びきれないことがある。

「でも私たちこれから離れ離れになっちゃう……」

このことがあるから私は付き合うことに尻込みをしてしまったのだ。今日中にはこの街を去って、四月からは大学生としての生活が始まる。そして互いに進む道も違う。

「だから?」
「え?」

そんな私たちが上手くいくわけがないって私はそう思っていた。でも角名君は違った。

「まぁ確かに会えなくなるのは淋しいけどスマホがあるから連絡は取れるしビデオ通話にすれば顔も見れる」

淡々と事実だけを述べていく。確かに角名君の言うことは分かるけどそれでも不安は拭えない。だって新しい生活を送る中で角名君に好きな人ができてしまうかもしれない。そしたら遠距離である自分に勝ち目があるとは思えなかった。

「でも、他に好きな人が出来ちゃうかもしれないよ?」

私の言葉に角名君は眉をひそめた。そこで自分が言葉足らずだったことに気付く。今の言い方じゃあ私が角名君を捨てて他に好きな人を作るっていう風に聞こえない?

「あ、ちがっ……」
「それでも俺はそいつに負ける気ないけど」

意図せず悪女ムーブを飛ばしてしまった自分に対しそう断言した。でもすぐに「うわっカッコつけ過ぎた……」と顔を背ける。

「私もだよ!」
「えっ」

その姿を見て、私は今まで抱えていた不安も憂いも何もかも吹き飛んで角名君の手を握り返していた。

「角名君が他に好きな子ができても絶対に惚れ直させてみせるし!いや、私がそこまでいい女ってわけじゃないんだけど角名君がロングヘア好きなら髪も伸ばすし大人っぽい人が好きならヒールも履けるように頑張るし…!絶対誰にも渡さないから!」
「ふっ……ふはは!」

青空に角名君の声が響いた。少し低い、普段はそこまで大きくもない声が清々しいくらい春の空に広がった。

「あんたはそのままでいいよ」

その一言で、ようやく私は私らしく笑うことができた。花びらを散らし青葉に見守られながら夏を過ごし、紅葉に頬染め、厳しい冬の寒さを超えた蕾が再び芽吹いた桜のように。長く蓋をしていた感情が溢れ出した。

「もっと早く言えてればよかったな」
「俺は割と楽しかったけどね」
「何が?」
「友達以上恋人未満みたいな関係。それに結局そっちから告白してもらえたしね」

うーん……この一年、楽しくなかったわけじゃないけどそれでも物足りなさはちょっとある。付き合えてたら堂々と朝も一緒に登校できただろうし夏祭りで手を繋ぐこともできたかもって。そう思うとちょっと悔しいというか…

「角名君と恋人っぽいことしたかったなぁ、なん——」

なんて思ったわけですが、私が言い終わる前に口は塞がれた。それはそう、まさしく恋人っぽい方法で。

「えっこういう意味じゃなかったの?」

視界いっぱいに角名君の顏があって今の出来事が自分の妄想でないことが分かった。だからこそ、私は今まで我慢してきた分だけ欲張ってわがままを言った。

「一瞬で分からなかったから、もう一回いいですか?」
「素直だね」
「もう嘘つきたくないから」
「俺も」

これはある意味誓いのキスだったのかもしれない。
もう自分の気持ちに嘘はつかないという約束の。

「角名君だいすき」

素直になれなかった私たちは今、

「俺のが好きだよ」

互いの気持ちを素直に伝えあっている。