マーガレットな恋をした

毎年、四月に行われる新入生に向けた部活紹介の会。そこで一連の部活動紹介を見終えた新入生の表情は夢と希望に溢れていた。と言ってもおおよその生徒が中学と同じ部活に入ることだろう。私もその口で結局は中学と同様、吹奏楽部へと入部した。

そんな私も今年が高校生活最後の年になるわけで、もはや夢と希望ではなく現実と受験の二文字しか頭に浮かばないが少しばかり淋しくなる。だけどまだ四月だし夏から本気を出せばいいと高を括り今はまだそんなに焦ってはいない。

「まだ運ぶもの残ってる?」
「あっちょうどよかった!悪いんだけど譜面台お願いできる?」
「りょーかい」

自分の荷物を音楽室へと運び終え再び体育館へと戻り声を掛ければ手伝いをお願いされた。譜面台三台とそこに載せていた譜面をまとめて体育館を後にする。

「あっ」
「え?……わっ?!」

体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下へと出た瞬間、軽トラに跳ねられた。これは一体何事か。私は知らぬに校外へと瞬間移動をしてしまったのだろうか。

「スイマセン、大丈夫ですか……?」

見事に尻餅をつき譜面台が音を立てて倒れた。お尻の痛さから一先ず生きていたことに安堵する。そして自分に覆い被さるぬっとした影に気付き慌てて顔を上げた。

「あーはい……なんとか」

私にぶつかったのは軽トラなどではなくちゃんとした人だった。ただ、思ったよりデカい。どこまでも続く脚を辿り、首が痛くなるまで傾けたらようやく相手が誰だか認識できた。

「降谷せんぱーい!」
「どこいった?」
「こっちに行ったと思ったんだけど……」

そうそう、野球部二年の降谷暁って子だ。一年生のうちからレギュラーとしてマウンドに立ち秋季大会からはエースナンバーを背負っている。いつもはスタンド席から見ているのであまり実感がなかったがいざ目の前で見てみると思ったより大きいな。

「……っ!」
「ん?」

彼はこちらに迫ってくる足音に肩を震わせたかと思うとピャッと脱兎のごとく柱の影に隠れた。なんで一人かくれんぼしてるんだろ。しかしその理由はすぐに分かった。

「遠目で見たけどやっぱかっこよかったよね!」
「うんうん!サインとかくれないかなぁ」
「さすがにそれは気が早すぎでしょ!せめて握手から!」
「そっちの方が図々しくない?」

真新しい制服に身を包んだ女子生徒が三人……だけでなくその後ろからもわらわらと出てきた。どうやら春の甲子園で活躍したエース様を探しているらしい。すごい人気だな。

「あのっすみません」
「え?」

倒れた譜面台を回収しながら横目で彼らの様子を窺っていればなんと向こうから声をかけてきた。

「野球部の降谷先輩を見かけませんでしたか?」
「ああ、その人なら北校舎の方に行ったよ」
「ほんとですか?!ありがとうございます!」

ごめん、嘘なんだ。
彼に恩を売る気も、ましてや彼女たちに恨みがあるわけでもないが面倒事は避けたいタチ。今ここで彼らが集まって騒ぎにでもされたら通行の邪魔になりそうだったのでどこかに行って欲しかったのだ。ただそれだけ。

「もう行ったよ」

彼女たちが校内へと消えていくのを見届けてから柱の影に隠れていた彼に声を掛ける。イケメンにも関わらず、その時のぽけっとした顔はあどけなく幼く見えた。

「あ、はい」

そしてとてつもなくコミュニケーションが下手くそだった。そういえば大会の時に受けていた取材を後からテレビで見たこともあったがあれも中々に淡白だったな。取材慣れしていないからだと思ってたけど単純に会話をするのが苦手っぽい。

「じゃあね」

まぁこちらとしても感謝されたくて彼女たちを追い払ったわけじゃないからいいんだけど。
私は譜面台と譜面を持ち直してその場を後にした。





名門と謳われるだけあってうちの野球部の設備はかなり充実している。寮完備はもちろんのこと、室内練習場に二面のグラウンドまであり他校との練習試合もよく行っているらしい。

「もう一本!」
「っしゃあ!」

普段なら野球部以外の生徒が立ち入ることは到底ない場所。しかし私はそこへ朝一番に足を運んでいた。というのも、野球部キャプテンの御幸一也に会うためである。
春の都大会真っ只中の野球部の応援には吹奏楽部も応援に行く。その時に演奏する曲目を増やしたため予めキャプテンに一報入れておきたいのだ。

カーン…——!
カキーン!

あちらこちらから掛け声やボールを打つ音など、野球部は朝から元気である。御幸はキャッチャーだからブルペンあたりにいないだろうか。そんな当たりをつけながら道沿いに歩いていく。

「おいおいまだやんのかよ!」

室内練習場だったら出直すしかないなと思っていたがそんな不安はすぐに掻き消される。整備されたブルペンから御幸の声が飛んできた。

「あと十球」
「ふざけんな、そこまで付き合ってたら朝飯に遅れるわ。あと五球な」

そして御幸の正面に立っていたのは降谷くんだった。まぁ投手と捕手だから二人でいるのも変ではないか。それにしてもあの御幸がちゃんと先輩らしく振る舞ってることに感動する。御幸とは昨年同じクラスだったが人をおちょくってくるようなイメージしかなかったため意外だった。

「球上擦ってる、もっと低く!」

投げては取って、一球ごとにアドバイスを送る。その様子を邪魔にならないようこっそり見守った。

……どうしよう、今さらながら自分がとても場違いな気がしてきた。そもそも曲目の確認自体、吹部の部長の仕事なのだ。しかし彼女は未だに私と御幸が同じクラスだと思っているらしく当然の如く私から御幸に話すようお願いしてきたのだ。まぁいつも通りのテンションで引き受けた私にも非はあるのだが。

「ラスト!」

そのため同じクラスでもなくなった御幸と会うために朝イチでここにきた。休み時間を縫って会いに行ってもすれ違ったら二度手間だし朝練後なら高確率で捕まえられると踏んだのだ。

「よし、今のはよかったぞ。本番も力みすぎずその調子な」

だけど御幸の立場からしたら普通に迷惑だよね。もしかしたら部員以外がこの辺りに立ち入るの嫌かもしれないし。せっかくここまで来たけど改めた方が無難か。

「あの、」
「うわっ?!」

回れ右をして立ち去ろうとしたところで不意に声を掛けられた。その気配のなさに思わず肩をビクつかせれば背後には降谷くんが無表情で突っ立っていた。こやつ、木の葉隠れの里の者か?

「この間はどうも」

軽く頭を下げた降谷くん。その言葉と行動にいよいよ訳がわからなくなり脳内で?≠飛ばしていたところで「助けてくれた」と彼は小声で付け足した。……あぁ、女の子たちを巻いた時のことか。

「どういたしまして」

あの時のことをわざわざ言ってくるなんて律儀な子だ。っていうかよく私のこと覚えてたな。学内外問わず有名人な降谷くんとは違い私は村人Bならぬ生徒Zくらいの立ち位置にいる人間なのに。

「なにやってんだお前ら」

そして満を持してのサングラスMの登場である。正直どう収集をつけたらいいか分からなかったのでここでの御幸の登場は助かった。これで本来の目的も果たせるし。それにしても無駄にニヤニヤするんじゃないよ。

「なにも面白いことはないから」
「つっても降谷との組合せが意外すぎてな。つーかお前ら知り合いなん?」
「それは一先ず置いといて私は御幸に用があって来たんだって」
「俺に?」

スクバからクリアファイルを引っ張り出し中から一枚のプリントを取り出す。そこには誰もが知っているようなアップテンポの曲がいくつか記されている。普段から野球漬けの毎日であまりテレビを見ないような彼らでも知っているであろう曲だ。

「ヒッティングマーチで使えそうな曲をリストアップしたんだ。部員も増えたみたいだし代打の人が打席に入った時とかにも演奏できたらなってことで部長から御幸に渡すようお願いされたんだ」
「おお〜いいじゃん!みんなにも見せるよ」
「あと何か演奏してほしい曲があったら教えて」
「わかった。それにしてもいつも悪いな、吹部だって忙しいのに」

御幸が柄にもなくそんなことを言ってくる。なんかこういう一面を見るとキャプテンらしくなったなぁと一丁前に上から目線で思ってしまう。

「野球部の応援も部活動のうちだよ。それに春の甲子園の雪辱を果たしてもらいたいし」
「ハハッだとよ、エース」

その言葉に呼応するように御幸の背後で降谷くんが青色のオーラを纏っていた。そんなLEDみたいに発光せんでも……もう少し早くそれができてたらノーベル賞取れたかもしれないね。

「僕がエース。僕がチームを勝たせる」

無表情であり淡々と言ってのけたが確かにその言葉には重みがあった。一年のうちから随分と期待されており、また世間の期待からもっと天狗になっているかと思いきや実に謙虚な姿勢だ。

「さっすがエース、頼もしいね!引き続きスタンドから応援してるよ」

若者の言葉に胸を打たれ純粋にエールを送る。一歳しか変わらないのに何故だか母性本能がくすぐられる。現に分かりやすく頬を染めた彼を見て可愛いと思ってしまった。

「だとよ!なら今日の朝飯はどんぶり飯四杯余裕だな」
「えっ?!」
「御幸は後輩いじめすぎないの」
「いや……食べます」

私に軽く頭を下げ寮へと足早に戻った彼は本当にやるのだろう。その後ろ姿を見た御幸が「いい刺激になったな」とこれまたニヤニヤしていた。降谷くんも大変だな。遠くから君の胃袋がもたれないように祈ってるよ。





あっ降谷くんだ、と思った時には目が合って。前に少しだけ話したこともあったから無視するのもなぁと思い、ひらひらと小さく手を振って見せたらペコリと頭を軽く下げられた。どうやら向こうも私のことを覚えていてくれたらしい——そこまではよかったのだが、

「えっなんで隣に座るの?」

なぜだか私の隣の席を陣取ってきた。
学年が上がり、各委員会も新しい人が就任する。そのため今日は学年が上がって初めての委員会の日だった。
降谷くんも私と同じ委員会だったらしく教室で顔を合わせたのが数分前の出来事だったわけだがしれっと隣に座ってきた。

「ここ空いてたので」

いや、なんでだよ。他にも席空いてるじゃん。というか委員会は各クラス二名ずつだから私の隣には後から来るクラスメイトが座るんだって。それと付け加えるなら席は学年とクラス順で決まってるから。一年が窓側で三年が廊下側だから。

「ここは同じクラスの子が座る場所だから。あと降谷くんは二年生でしょ?二年は向こうの席だよ」
「…………」

そう教えてあげるも降谷くんは黙ったまま私を見続けた。
……いや、なんでだよ(TAKE2)黙ったまま見られたって意味が分からないよ。目は口ほどに物を言うということわざはあるがその目は何も考えてない人の目と一緒だよ。というか死んだ魚の目に近い。

「……生きてる?」
「生きてますけど」

とりあえず死んではいなかったか。しかし一向に動く気配を見せない。そろそろトイレに寄ってから行くと言った同じクラスの子も来るだろうし移動してもらわないと困るんだけど。

「ねぇあれが降谷先輩?」
「そうそう、かっこいいよね」

ひそひそと、しかし彼女たちの話声は私の耳にまで届いた。そして周囲を盗み見れば教室のあちらこちらから降谷くんに熱い視線が届けられているのに気づく。どうやら人に話しかけられたくなくて逃げてきたらしい。とはいえ私のところに来なくても……

「降谷くんと同じクラスの子は?」
「たぶんあそこに座ってる人」
「たぶん?」
「クラスの人のこと覚えてないんで」

降谷くんって友達いるのかな。寮生だし野球部の人たちとはそれなりに仲がいいだろうがクラスに友達いなさそう。別に友達を作らなくてもいいがせめて同じクラスの子の顔と名前は覚えたげなよ。

「降谷くんって二年何組?」
「Bです」
「なら前から二列目のあそこの席だよ。だからあの人はたぶんじゃなくて絶対同じクラスの人。で、その表情でいたら不躾に話しかけてくる人はいないだろうからそろそろ戻ったら?」

一つずつ丁寧に説明しようやく重い腰を上げてくれた。本当に世話のかかる子だなぁ……って御幸も同じこと思ってそう。





放課後、日誌を出しに職員室へと行けばそこには降谷くんの姿もあった。降谷くんは担任から何やら言われているようだったが距離があったためさすがに内容までは聞き取れなかった。しかし俯きながら職員室を後にしたのできっとあまりいい話ではなかったのだろう。

「失礼しました……うわっ?!」

自分も用を済ませて職員室を後にする。そして出た瞬間、目の前に壁が聳え立っていたのでつい声を上げてしまった。

「なにしてるの?!」
「あ、どうも」

その正体は降谷くんの背中だった。扉の真ん前に突っ立っていた降谷くんはどことなく浮かない顔をしている。

「担任の先生から何か言われたの?」

挨拶されてしまった手前、こちらとしてもそのまま立ち去ることはできず声を掛けてみる。そしたら降谷くんは死んだ魚の目で「小テストの点数悪くて怒られました」と呟いた。どうやら日誌を出しに行ったところ担任から小言を喰らってしまったらしい。

「そうだったんだ……なら部活の人に教えてもらったら?御幸とか頼めば見てくれると思うよ」
「でも今は御幸先輩にリードのことを教えてもらっているので」
「なにお前ら俺の話してんの?」

噂をすればとばかりに降谷くんの後ろから顔を出したのは御幸だった。相変わらずその顔にはニヤニヤというオノマトペが張り付いている。

「そうそう。降谷くんに部活で御幸にいじめられてないか聞いてた」

小テストの点数が悪かったことは黙っておいた方がいいだろう。だから適当な嘘で誤魔化した。

「はぁ?寧ろ俺が毎回降谷のワガママに振り回されてんだけど」
「そうなの?」
「隙あらば球捕れって言ってくるんだよ。つーかお前こそ降谷のこといじめてたんじゃねぇの?遠目だといびってる様にしか見えなかったわ」
「失礼な。迷える子羊だった降谷くんのお悩み相談に乗ってただけだし。前にも御幸がキャプテンになったとき相談に乗ってあげたでしょ?」
「お前のそれマジで当てになんねぇわ。そんときも『野球部らしい頭にするなら手伝うよ』つってバリカン持ち出してきたし」

御幸がキャプテンという立場に思い悩んでるようだったから私なりの励ましのつもりだったんだけど。あとバリカンを扱う腕には自信がある。弟の髪を月一で刈っているのでその辺りは安心して欲しい。

「御幸はパッと見チャラいからまずは見た目から作ってあげようとしたんじゃん」
「それがズレてんだよ」
「とりあえず今からでも頭まるめて……ってなんか降谷くん燃えてない?!」

圧を感じて隣を見ればLEDどころか青い炎のようなオーラを身に纏っていた。サタンの子かよ。

「いえ燃えてないです」
「いや、実際には燃えてないけど熱気はあるよ」
「熱くないです」

降谷くんって天然なのかな。もう少し寡黙な印象があったんだけど実は何も考えていないだけだったのかもしれない。もちろんマウンドの上では違うだろうけど。

「ふっ……くくっ」
「御幸も笑ってないでちゃんと後輩ケアしてあげなよ」
「やだよ。つーかお前はいつまでもここにいていいのか?」
「あっやばい、今日は合奏練入ってるんだった!じゃあね!」

二人に手を振って急いで音楽室へと向かう。
背後でなおも笑っている御幸にもう一言くらい何かを言ってやりたかったがこれ以上、遅れるわけにはいかないので我慢した。





部活終わりはお腹が減るというもので家に帰る前に友人二人とコンビニに立ち寄った。そしてこの時の話題と言えばやはり最近ノリに乗っている野球部のことだった。

「今週末も野球部の応援だね。ってか今年強くない?」
「だよね。この分だと夏の甲子園も行きそう」
「一年生で上手い子も入って来たみたいだし行ってほしいよね」

経験を身につけた三年生にまだまだ伸び代がある二年生、次いで即戦力になるレベルの一年生まで入ってきたのだから夏も期待できることだろう。
そう思いながらどの菓子パンにしようか真剣に吟味していれば横から二人分の視線が飛んできた。

「えっなに?」
「野球部のことよく知ってんね」
「御幸に聞いた」
「クラス別れても仲良いんだ?」
「別に仲良くないよ」
「実は付き合ってんじゃないの?」
「ないない、絶対ない」

それよく聞かれるけどマジでない。御幸はその顔の良さから女子人気も高いがクラスでは基本的にぼっちだし(スコアブックを常に眺めてるから誰も話しかけられない)、若干ヤンキー染みた倉持くんと話してるとこくらいしか見たことない。
私は偶々二年の初めに席が隣だったから話す機会があったってだけでそこまで親しいわけでもないのだ。

「でも向こうがあんたのこと好きかもしんないよ?」
「それはもっとないよ。あの人の恋人は野球だから」
「んなわけあるか!球児と言えども男子高生じゃん!」
「間違えた。ボールが恋人だったわ」

メロンパンとチョココロネ、どちらを手に取るか迷い結局二つとも買うことにした。今食べられないなら明日のおやつにすればいい。

「またそうやって誤魔化す!」
「はいはい」

友人らから逃げるようにしてレジへ。そしてスクバから財布を取り出したところであるものを見つけた。それは古典の教科書で私が今日家に忘れた物でもあった。

「げっ」

つまり今スクバの中にあるのは人から借りた物でその相手は御幸だった。やばい、返すのすっかり忘れてた……明日、古典の授業があるから忘れずに返せよと言われたのに見事に忘れた。そして明日返したとて「お前借りたこと忘れてたろ」と小言を言われる未来しか見えない。

「ごめん、友達に教科書返すの忘れたから学校戻るわ!」
「は?もうどの部活も終わってみんな帰ってるでしょ」
「野球部だからまだいる!」

パン二つ入ったビニール袋を手に引っ掛け来た道を戻る。後ろから叫ばれた「それって御幸?やっぱり付き合ってんじゃん!」という友人の叫びには、付き合ってない!と語気強めに応えておいた。



野球部のグラウンドは眩しいくらいの明かりで照らされておりまだ部活をやっていることが窺えた。きっとこの後、彼は夕飯を取るため一度寮に帰るはずだからその時が御幸と会うチャンスであろう。

「今日の練習は以上!」
「「お疲れ様でした!!」」

暗くなった空に響く野太い声に練習が終わったのだと確信する。今日は全員グラウンドで練習してたみたいだし寮近くで待っていれば会えるだろう。

「あれ?なんでこんなとこにいるの?」
「川上くん」

とはいえ部員の視線に晒されながら待つのも嫌だったので少し離れたところで張っていれば同じクラスの川上くんに声を掛けられた。実際に会話したのは二、三回程度だが話し易い相手なのでこのとき声を掛けてくれたのは正直助かった。

「御幸に借りた教科書返しに来たんだけど今どこにいるか分かる?」
「もうすぐ来ると思うけど……あっ御幸ー!」

川上くんが声を掛けた方を見ればこちらに来る集団の中に御幸がいた。御幸は一瞬驚いた顔をしたが川上くんの後ろにいた私を見るなり半笑いしてた。おそらくなぜ私がここに来たのか分かったのだろう。

「ごめんね川上くん。ありがとう」
「いいよ、じゃあまた明日な」
「またね」

お礼を言って送り出せば川上くんと入れ替わるようにして御幸がきた。そしてその半笑いの顔面に教科書を突き付けた。

「ごめん!借りっぱなしだった!」
「ほんとそれな」

やはり私の姿を見た時点で返しに来たことが分かったのだろう。「どーも」と小言の一つも言わずに受け取ってくれた。

「お前ずっとここで待ってたのか?」
「いや、帰りがけにコンビニ寄った時に思い出して戻ってきた。あっそうだ、御幸にどっちかあげるよ」

手首に引っ掛けていたビニール袋の中からメロンパンとチョココロネを取り出す。そうすると御幸は面食らったような顔をした。

「いいよ。そもそもどっちも自分が食べたくて買ったもんだろ」
「まぁね。でもさすがにどっちも今食べないし。今週末も試合あるから差し入れってことで一つあげるよ」

寮があるとはいえこんな時間まで練習をやってる彼らに何かしてあげたいと思ったのだ……という気持ちもありつつお詫びとお礼と言うのが正直なところ。

「御幸はどっちが好き?」
「えーっと」
「こっちのが好きそう」
「決めつけんなよ。まぁ好きと言えば好きだけど……」
「御幸先輩」
「うぉっ?!」
「わぁ?!」

御幸の後ろからぬっと現れた影。街灯があるとはいえ心許ない灯りの下ではそれが心霊的な何かではないかと錯覚するほどだった。

「なんだ降谷かよ」
「びっくりしたぁ」
「あとで捕ってもらってもいいですか?」
「悪いけど今日は沢村と約束してんだよ」
「…………」
「ダメだ、今日は沢村優先」

沢村って降谷くんと同じ二年生ピッチャーだっけ。なんか変わった球投げる子だよね。降谷くんからしたらライバル的な存在なのかな。そして私は両手にパンを持ったまま二人の会話を見ているわけだが中々に居づらいな。

「つーかお前、それ言うために俺に声掛けたわけじゃねぇだろ」

御幸の一言に降谷くんの肩がビク付く。そして御幸の後ろを見た。えっ私になんか用だった?

「もう飯の時間だし差し入れは遠慮しとくよ。もし野球部に、ってんなら降谷にやってくれ。じゃあな」

如何にも空気を読んで立ち去ろうとする御幸にそれ以上声を掛ける気にもなれずその背をただ見送る。
野球部の大半もすでに寮内へと姿を消しその場に残されたのは私と降谷くんだった。

「えーっと私に何か用だった?」
「その………………」

沈黙が長いな。御幸も空気読んで去るくらいならフォローを入れてから行って欲しかったよ。しかし助言だけは残してくれたので私は降谷くんの前にパンを差し出した。

「これどっちかあげる」
「え?」
「さっきコンビニで買ったやつだけどもしよかったら」

降谷くんは二つのパンを見比べる。
そして三十秒間の思考の末チョココロネを手に取った。

「ありがとうございます」
「ものすごく悩んでたね」
「先輩がどちらが好きか考えてました」
「えっ私?」
「先輩がメロンパン食べたそうな顔をしてたのでこっちを選びました」

そんなに私の顔がメロンパンだったか。特にパンの顔したヒーローに憧れていたわけじゃないんだけどな。

「そう?まぁ降谷くんがよければそれでいいよ。じゃあ私は帰るね」
「待ってください」

ひらりとと振った手がきゅっと握られた。
その出来事に身体は硬直し瞬き二回。しかし降谷くんはいつも通りの無表情でゆっくりと口を開いた。

「送ります」
「…………は?」
「送ります。門のとこまでになりますけど」

野球部のグラウンドと門までの道は心許ない街灯が照らしているだけ。確かに薄暗くてちょっと怖い。でもあくまでここは学校の敷地内なわけで不審者が現れる確率はかなり低い。

「いやいいよ。降谷くんはこの後夕飯でしょ?食べそびれちゃうよ」
「大丈夫です。それに食べるのも遅くないので」

なおも手は握られたまま。そして向こうは頑なに引く気がないと見た。そうなってしまえば頷くしかなくなって、お願いしますと言うしかなくなった。

「……………………」
「……………………」

——で、一緒に歩いているわけだがまぁ会話がない。降谷くんが何か話したいことでもあるのかと思ったが当の本人は話出す気配も見せないし。そろそろこの沈黙にも耐えきれなくなってしまったし私から話題を振るしかないか。といっても共通の話題なんて精々御幸に関することくらいだろうか。

「先輩と御幸先輩って、」
「え?」

脳内で話の切り出し方を考えていれば唐突に降谷くんが口を開いた。思わず隣を見上げれば示し合わせたように目が合う。と言うよりももっと前から降谷くんは私の方を見ていたようだった。

「付き合ってるんですか?」
「はい?」
「好きなんですか?御幸先輩のこと」

今日の私は御幸一也に呪われているのだろうか。皆、口を開けば御幸御幸と……私よりもみんなの方が御幸を好きなんじゃん。

「恋愛的な意味では好きじゃないね」

ゼロコンマ一秒で回答すれば降谷くんは目を見開いた。付き合っていないことでそんなに驚かれるとは思っていなかった。

「さっき『好き』って言い合ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
「僕は聞きました」
「あー……それたぶんパンのことだと思う。御幸はメロンパン好きそうだよね〜みたいな話してた」
「そうですか」

ぽぽぽっと降谷くんの周りに花が飛ぶ。そしてどこか満足そうに頬を染める姿に初めて会話をしたときの既視感を覚えた。何考えてるか分かりにくいかと思ったけど喜怒哀楽の喜は案外わかりやすいのかも。

「それを聞いて安心しました」

可愛らしいとこあるじゃん、とその顔を見つめていたところで以外にも降谷くんは会話を続けた。降谷くんに興味を抱き始めていた私は純粋にその言葉の意味を聞き返す。

「なんで?」
「僕は先輩のことが好きみたいなので」

門まではあと一メートルもない。でも私の足は地面にくっ付いてしまったかのように動かなかった。和やかな雰囲気が一転、その一言には隕石が落ちたかのような衝撃があった。

「え、なっ……」
「先輩のこと好きです。……たぶん」

たぶんってなんだよ。いやでもこれって告白だよね……?ものすごく不確定だけど。本気にしていいか微妙なところだけども。好きって言われたからには告白のはず。

「たぶん好き……なの?」
「はい。人を好きになったことがないので確定はできないんですけど」
「じゃあどうして好きって思ったの?」

生まれて初めて告白というのを受けたにも関わらず嬉しい気持ちよりも疑問符が脳内を駆け巡っている。しかし降谷くんは至って冷静に、そして自分の気持ちを頑張って言葉で伝えようとしてくれていた。

「先輩を見かけると嬉しくなるんです。もっと話してみたいなって思うし知りたいって思う。でも僕以外の人と話しているのを見るのは……あまりいい気がしないです」

私が立ち止まったことによりできた距離を埋めるように降谷くんが戻ってくる。
街頭の周りを飛ぶ羽虫の音と砂利を踏みしめる音。それが妙にリアルで今この瞬間が現実であることを思い出させてくれた。
そして降谷くんは私の前に立って再び口を開いた。

「マーガレットに載っていた漫画にこの気持ちは恋だと描いてありました」
「降谷くんってマーガレット読むんだ」
「先輩のものを前に読んだことがあります」

野球部の恋愛教本はマーガレットだったのか。確かに間違ってないしとても素晴らしい作品の数々が掲載されているからいいんだけども、なんか、こう、実際に言われるとむず痒くなってしまう。

「そうなんだ」

だから自分の気持ちどころか気の利いた言葉も返せなくて相槌くらいしか打てなかった。当事者であるのにまるで他人事のような態度だ。でも降谷くんはここにきていつも通りのポーカーフェイスを決め再び私の手を取った。そして門の方へと先導してくれる。

「いきなりすいませんでした。返事はなくてもいいので」
「え?」

握られた手は私を送り出すためのもので引き留めるためではなかった。だからかすぐに手放される。

「先輩に振り向いてもらえるように頑張るので僕のこと見ていてください。じゃあ」

軽く頭を下げ走り去る降谷くんに私はもう何も言えなかった。だって見間違いでなければその耳は赤く染まっていたから。

これから私はどうすればいいのだろうか。というか私は降谷くんのことが好きなの?これから好きになるのか……?
もう私一人では抱えられない。こうなったら御幸に相談するしかない。やっぱり明日も御幸に会いに行こう。まぁ気の利いたアドバイスをもらえるかは別だけど。



「ねぇ聞いてよ御幸。昨日、降谷くんに告白された」
「へぇ〜ならこれからあいつのことよろしくな」

やっぱり相談する相手間違えたっぽい。