冴くんの本命が私だった件について
五つ下である弟のサッカー試合を見に来たらとんでもなく上手い子がいた。
ドリブル、パス、シュートどれをとっても正確で美しく、視野も広くて裏からの抜け出しも上手い。その子がボールを持てば一瞬にして戦況が変わり瞬きの間にゴールを決めていた。
「君すごいね!うちの弟と同い年なのに一人で三点も決めちゃうなんて!」
だから応援をしにきた弟のことなんてそっちのけで試合後に声を掛けに行った。
その子は「なんだコイツ」と訝しげな顔をしていたが興奮し切った私はそんなことはお構いなしにとベラベラと話し続けた。
「利き足も左だしチーノみたいになれそう。雨上りだったら今日のシュートで虹を掛けられたかもしれないね」
——今日の試合が雨上がりのピッチならば、僕の左足で虹を描いてみせるよ——
『チーノ』という愛称で知られるウルグアイ代表のアルバロ・レコバ選手の名言。左足のテクニシャンでドリブルもシュートも上手く、そして何よりフリーキックの美しいカーブによりファンを魅了していた。
その子は今日、フリーキックは打ってはいなかったがシュートの質を見る限り十分すぎる可能性を感じられた。
「チーノみたいに……」
知っているサッカー選手の名が出たからかその子の警戒心が徐々に解かれていく。それに気を良くした私はさらに彼を絶賛し、プロサッカー選手も夢じゃないね!なんて熱く語ってしまった。
「お姉ちゃん、もう帰ろうよ!」
「あっうん、ごめん」
どうやら随分と長話をしていたらしい。しびれを切らした弟に手を引っ張られた。しかも中々に不機嫌だ。私がほったらかしにしていたことを根に持っているのだろう。そんな弟に「今日の試合もかっこよかったよ」なんて声を掛けながら、最後に彼の名前だけは聞いた。
「冴だ。糸師冴」
「じゃあまたね、冴くん」
それが私と冴くんの出会いだった。
◇
冴くんはその才能をめきめきと伸ばしていった。体の成長に合わせて筋力も付き、キックはさらに強く試合中の持久力も上がったように思える。そんな彼を天才≠ニ担ぎ上げ報道するメディアも出てくるほどだ。そして冴くんにも弟がいたのかその子が練習に参加するようになってからクラブチームは目に見えて成績を残し始めた。
「あっ冴くんだ。おーい!」
制服のスカートが風でめくれないよう抑えながら手を大きく振る。中学で部活動に入ってからはめっきり弟の試合に見に行けなくなってしまったため冴くんと会うのは久しぶりだった。
「ん?」
コート上で自分の蹴ったサッカーボールを回収していた冴くんは私の声に気づいたのか顔を上げた。数ヵ月ぶりに見た姿は以前よりもまた身長が伸びたように思える。
「ひとりで居残り練習?」
そんな彼の下へ駆けていく。
西日が眩しかったのか冴くんはおでこのところに右手で傘を作りながらこちらを見た。
「おう、凛が風邪ひいたからな。つーか最近なんで練習見に来ねぇんだよ」
朗らかに話しかけに行ったのにいきなり不機嫌を突き付けられて困惑する。確かに試合を見に行った時には毎回冴くんにも話しかけてたから私が来てないことにも気づいたのだろう。ただ冴くんはいつも真顔だったから私のことなんて精々、同じチームにいる奴のうるせー姉ちゃんくらいの認識でいるのかと思っていた。が、どうやら違ったらしい。
「放課後も土日も部活があるから来られなくなっちゃったんだ」
「なに部だよ」
「サッカー部」
「は?」
「あっもちろん選手じゃないよ。マネージャーね」
サッカーファンの家族に囲まれて育った私ももちろんサッカーが好き。だから中学に入ったら絶対にマネジャーとしてサッカー部に入ろうと決めていたのだ。
てっきり冴くんなら「お前らしいな」くらい言ってくれるものだと思っていたが、どういうわけか眉根を寄せますます不機嫌になってしまった。男子ばかりの部でうまくやっていけないと思われたのだろうか。
「マネージャーの先輩だけじゃなくて部員の人にも優しくしてもらってるから結構楽しくやれてるんだ」
「あ?んなコト聞いてねぇよ」
私のこと心配してくれてるのかなぁ可愛いやつめ。なんて思っていたのだがそんなことはなかったらしい。不機嫌を通り越してキレられた。まったくもって理不尽である。
まぁでもうちの弟も最近キレやすいしな。昔はお姉ちゃんお姉ちゃんと慕ってくれていたのに今では隣に座るだけで「姉ちゃん来んな!」って怒ってくるし。きっとそういうお年頃なのだろう。
「冴くんはまだ練習してくの?」
私に背を向けてコートに戻ろうとする後姿に声を掛ける。その問いかけに返事はなかったが、見ててもいい?と聞けば「好きにしろ」と言われた。
「おー!すっごい綺麗なカーブ!」
コートの外で観覧させてもらいながら、その左足から繰り出されるシュートに一々絶賛する。うちの部員でもこれほどまでに美しく力強いシュートを決められる人はいないだろう。そして彼以上に努力家な人も。
「そろそろ暗くなるけど帰った方がいいんじゃない?」
「これでラスト」
そう言ってラスト一本も先ほどと全く同じカーブを描きゴールに打ち込んでみせた。その圧倒的なコントロールに思わず拍手。冴くんは出来て当然とばかりの無表情であったが不機嫌ではないようだった。
「すごいね冴くん。いつ見ても冴くんのシュート好きだな」
「……そうかよ」
「うん!前みたいには見に来られないけど冴くんのこと応援してるからね」
「おう」
年相応に小さく笑った冴くんはとても可愛らしい。あーあ、うちの弟もこのくらいの反応を見せてくれたらいいのになぁ。
◇
私の想像の倍以上の早さで冴くんは夢へのチケットを手に入れた。
冴くんが所属するクラブチームがU-15の大会で優勝を果たした。その際、中学一年生ながらもエースを任された冴くんが優勝の立役者となったのだ。その功績は海を越えスペインの有名チームレ・アール≠ノまで届き、その下部組織でサッカーをしないかとお声が掛ったのだ。
その返事はもちろんイエス。
そして明日、冴くんは日本を発つのだ。
「夏は比較的過ごしやすいみたいだけど冬は冷えるみたいだから体調管理気を付けてね。あと何にもなくてもご両親には電話するんだよ?日本語で話すだけでも気持ちが楽になるんだって。それと食事だけど…——」
大学受験の合間を縫って冴くんがいつも練習をしているコートまで来ていた。
しかし受験対策の特別授業を受け終えてから来たためとっくに日は傾いていた。それに今日もここに着ているかの確証もない。でも体調不良以外では一日も練習を欠かさなかった冴くんはやっぱりいた。
「母親かよ」
そして一人ベラベラと喋る私を冴くんは白けた目で見ていた。もうこの手の心配はご両親から何度もされたことなのだろう。でも私にとっても冴くんは実の弟のような感覚なので心配せずにはいられなかった。
「いよいよ会えなくなっちゃうんだから心配くらいさせてよ」
「別に一生の別れってワケでも……は?」
「あ……」
ぼろり、と右目から大粒の涙が零れた。そうなってしまえば堰を切ったようにもう片方の目からもとめどなく涙が溢れた。
「おい泣くなって」
「う゛ーごめん」
「つーか、なんでそっちが泣くんだよ」
まだ十三歳である少年が一人で異国の地に行くのだ。知り合いは一人もおらず、馴染みのない言葉や文化に囲まれながらただひたすらにサッカーをする。表面だけ見ればそれは確かに輝かしい夢への道だが、目を凝らせば茨の道であることは十分に理解できる。そしてその道を歩く冴くんのこれから≠想像したら泣けてきてしまった。
「だっで、…冴くんがっ……うぅ」
「あーもういい」
冴くんはジャージの袖を引っ張ってその袖口で私の涙を拭ってくれた。気づけば二十センチ以上はあった身長差も今や五センチにも満たなくなっている。この調子で成長すれば一八〇は超えるだろう。
「冴くんはやさしいね」
「そんなコト言うのはお前と凛くらいだ」
一通り泣いた私は存外とすっきりとした気持ちでいた。こんなに泣いたのは中学の時に初めてできた彼氏に「受験で忙しくなるから別れよう」と切り出されたとき以来だ。
「じゃあ私と凛くんにだけやさしいんだ?」
「まぁな」
「ふふっそれはちょっと嬉しいかも」
すっかり調子を取り戻した私は赤くなった目を細めて笑顔をつくる。だって私が冴くんのことを弟だと思っているように冴くんもまた私を姉のように思ってくれているのだと思ったから。現に冴くんも照れくさそうに頬を染めていた。
「日本を離れるのは淋しいけど、冴くんは冴くんのサッカーを磨いてきてね」
本当に伝えたかったことをようやく口にすれば冴くんも「ああ」と力強く応えてみせた。その瞳は夢と希望に溢れている。彼が歩む先に光あれと心から願った。
「最後に連絡先教えろ」
「そっか、冴くんもスマホ買ってもらったんだね。ちょっと待って」
スマホ画面をタップすると一件のメッセージ通知が届いていた。お相手は彼氏からで、私がもらい忘れた特別授業のプリントを代わりに預かってくれているという内容だった。さっすが頼りになる。返信は後でするとして、私はアプリ内のカメラ機能を立ち上げた。
「いまスタンプ送ってみたけど届いた?」
「おう」
「淋しくなったらいつでも連絡してきていいからね」
「淋しくはなんねぇよ。ただ、」
双眼のターコイズが私を捉える。改まって一体なにを言いたいというのだ。だから私は少しでも彼が言いやすいようにと「なぁに?」とわざと間延びさせて小首を傾げた。
冴くんの頬が西の空と同じような茜色に染まる。
「声が聞きたくなったら電話する」
ほうほう、なるほどなるほど。見た目は随分とかっこよくなったが可愛らしい部分はまだちゃんと残っていた。いいよいいよ、夜中でも早朝でも何時間だって付き合うよ。冴くんが飽きれるくらいどうでもいい話を延々としてあげよう。
「冴くん、いってらっしゃい!」
「あぁ、世界一のストライカーになるために」
可愛い弟の夢への道を私は元気に送り出した。
◇
『糸師冴 出場 凱旋マッチ』とデカデカと書かれたチケットを握りしめ国立競技場へと向かう。これは一週間ほど前に私宛に冴くんが送ってくれたものだった。
スペインへと旅立った冴くんとは、頻度こそ多くはないが今も連絡を取り続けていた。
日本との時差は八時間ほどあるが大学生となった私には時間に余裕があり電話で話すことも多かった。といっても通話時間の九割は主に私が話をしている。連絡をくれるのはほとんど冴くんからなのに彼はあまり自分のことを話したがらなかった。
だから冴くんがフォワードからミッドフィルダーに転移したこともかなり後になって知ったし、この試合の存在も先にニュースで知ったくらいだった。
「日本で試合やるんなら言ってよ!」
『安心しろ。チケットは手配済みだ』
「えっ本当?!」
『ああ。それで、今の俺を見てほしい』
話したくないなら無理には聞かない、聞きたくない。
でもスペインにいる冴くんが今の俺を見てほしいと言った。自分のことを話しもしなかった彼が見て≠ニ言ったのだ。これ以上の言葉はない。
「わかった。じゃあさ、応援用のうちわとか旗も持ってっていい?ユニフォームは現地調達だと売り切れそうだから予め持っときたいんだけどそっちで冴くんのユニって商品化されてる?」
『やめろ。何も持たずに普通の恰好で来い』
「いやぁここはやっぱり古参アピールしときたいし、コート上にいる冴くんにも私を見つけてほしいからさ」
『お前くらいどこにいたって見つけられる』
ほんと?なんてつい言いたくなってしまったが冴くんの視野の広さを鑑みれば確かにすぐに見つけてくれそう。それに話を聞けば送られてくるチケットは招待席らしくコートからの距離も近いらしい。サポーター席でもないなら私服で行った方が無難であろう。
「さっすが冴くん!」
『当然だ。その日は他の予定を入れるなよ』
「もちろん」
冴くんの姿をこの目で見るのは実に五年ぶりか。学年で言えば彼は中学生から高校生に。そして私は大学すらも卒業して社会人になってしまった。
短いようで長かった五年間。
久しぶりの再会に胸を膨らませながら国立競技場へと足を踏み入れた。
選手入場と同時にスタジアムは冴コールに包まれ、六万八千人の観客がスタンドを揺らした。そして冴くんはその声援に応えるかのように素晴らしい活躍をしてみせた。ミッドフィルダー故にシュート本数こそ多くはなかったがそれでも目を見張るほどのアシストで観客を魅了した。
新世代世界十一傑にまで選出された今の冴くんを私はこの目に焼き付けた。
「お帰りの方はこちらです!足元にお気を付けてお進みくださーい!」
「あの、すみません」
「はい?」
出口へと向かう人波を掻き分けてスタッフの方に声を掛ける。
実はチケットと共に手紙とパスが入っており試合後にスタジアムの裏に入れるよう手配をしてくれていた。
「ああ、お話は聞いています!どうぞこちらに」
「ありがとうございます」
親切なスタッフさんに案内され会議室のような小部屋に通された。
等間隔に並べられた椅子に座りそわそわしながら待っていれば部屋の扉が三回ノックされる。立ち上がりながら返事をすれば着替えを済ませた冴くんが姿を現した。
「冴くん!」
「久しぶりだな」
「昨日も電話したじゃん」
「バカ。会うのがだ」
ニュースや動画で冴くんの姿は十分に見ていて、先ほども生で試合を見たけれど正面に立たれると随分と背が伸びたことが感じられた。昔は胸の高さくらいまでしかなかったのに今では首を逸らして見上げるほどだ。
「綺麗になったな」
そして冴くんの場合はまんま五年ぶりに私を見たからか親戚のおじさんみたいなことを言われた。
最後に会ったのは高校生の時か。あれから化粧も覚えて服装にも気を使うようになったからかな。
「ありがと!冴くんに会うからメイクも気合い入れたんだ」
お世辞の一つも言えるようになった冴くんに笑って答えれば随分と長い間の後に「そうか」と返された。えっなに今の。もしや滑った感じ?それとも長い海外生活で日本語忘れちゃったのかな。
「そういえば前半十五分のときのパスすごかったね。相手の脚の間を三枚抜きってほんと神業だった!」
それから今日の試合の感動を私が賞賛するも冴くんは「ああ」「そうか」「まぁな」でしか返さなかった。もしや三文字以上の言葉を発せられないのかな。これならまだファミレスの猫ロボットの方がまともな受け答えできそう。
「えぇっと……冴くん、大丈夫?」
「ああ。それより——」
さすがに心配になり声を掛けたところで電話の着信音が響く。それは私のもので、机の上に置いておいたバッグの中で呼び出し音のフレーズを繰り返していた。
「ちょっとごめんね」
いつもはマナーモードにしているのだがあの人混みの中では気付かなそうだと思い、音が鳴る設定にしていたのだ。
表示された名前を確認すれば彼氏からで特に何も考えず反射で電話を取った。
「もしもし?」
『急にごめん。来月の旅行の話なんだけどさ、今サイト見たらこの前申し込みしそびれた旅行パックが再販されてた』
「えっ本当?!」
付き合って二年目記念ということで彼氏と旅行の計画を立てていた。そんなときにネットサイトで往復航空券と二泊のホテル代込みで一人あたり五万円の旅行パックを発見したのだが迷っている間に完売。だから泣く泣く諦めたのだがなんと再販になっていると言う。
『うん。あとひと枠みたいだし俺の方で予約していい?』
「お願いします!」
交通費とホテル代が安く済めばその分ほかのことにお金が使える。行先は北海道だから美味しい魚が食べられるお店とかも調べておかないとなぁ……あっそうだ。
『予約できたわ』
「ありがと!あとさ、そっちに家に私の腕時計ない?仕事用のやつなんだけど……」
『あー……アナログ時計のやつなら洗面所にあったわ』
「それだ!今日取りに行ってもいい?」
『別にいいケドそれならウチ泊まる?』
「泊りかぁどうしようか——っ?!」
背後に気配を感じ振り返れば冴くんが真顔で立っていて息が止まりかけた。だるまさんが転んだであれば確実にタッチされているであろう距離。しかし冴くんはぴったりと私の後ろに立っているだけだった。一体いつから私はスタンド使いになったのだろうか。
『どうした?』
「ゴメン、今出先ダカラアトデ掛ケ直スネ」
『わかった。じゃあまたな』
通話を終えたスマホをそっとバッグの中へと戻す——が横から伸びてきた手に手首を掴まれそれは叶わなかった。
「今の通話相手、誰だ?」
そしてどうやら冴くんは怒っているようだった。話を中断されたのがそんなに癪に障ったか。といっても冴くんは下手な相槌しかしてなかったけど。それはもう発売当初は大手企業がこぞって買ったが今や充電もされずに二度とその目に電気が通わなくなったペッパーくん並みの棒立ちだったけど。
「彼氏だけど」
「カレシ……?」
そんな初めて人の気持ちを理解したアンドロイドみたいに言わんでも……それともよっぽど私に彼氏がいることが意外だったのか。こう見えてもそれなりにアオハルしながら生きてきたんだけどな。
「うん、彼氏だよ。来月北海道にいく計画立ててそのことでちょっと」
「いつから付き合ってんだ?」
「え?えーっと……大学三年の時かな。当時、付き合ってた人に浮気されてそのこと愚痴ってたときに告白され——」
「は?」
いや、「は?」って言いたいのはこっちの方なんですけど。は?
まったくもって冴くんの怒りのツボがわからない。もうすでに攻撃ランクが最大まで上がってそうである。お願いだからせめてもう少し会話のキャッチボールしようか。
「ねぇ冴くん、さっきからちょっと変だよ」
「今まで付き合った男の数と経緯を時系列順に述べろ」
「唐突に記述式問題始めるじゃん」
こちらの話には耳を傾けてくれそうになかったので言われたとおりに答えていく。もちろん手元に紙とペンはないので口頭でだけど。
確か初めてできたのは中二の時でサッカー部の先輩に告白されて付き合ったっけ。高一の時の彼氏は二週間で別れたけど、初めて自分から告白した人とは卒業までの一年間は持ったな。大学では————とまぁ色々とあり彼氏なのか何なのかよくわからない恋愛を繰り返しもしたが今の人とは社会人になっても続いているので私は幸せである。
「おい、ふざけんじゃねぇぞ」
「は……、っ」
後ずされば机が腰にあたる。そして逃げ場をなくすように冴くんが覆い被さって両手を私の背後にある机に突いた。思わず身を引けばぐっと顔を近づけられる。
「俺がいたろ。なんで彼氏作ってんだよ」
「いや、冴くんスペインにいたじゃん」
「違ぇよ。ガキの頃から俺のそばにいたじゃねぇか、あれはなんだったんだよ」
「だって冴くんは私にとって弟みたいなもので……」
「オトウト……?」
マジか。どうやらまたアンドロイド化してしまったようだ。
しかしその隙をつき、腕の間から脱出することに成功した。
「じゃあまたね、冴くん!」
そして逃げるようにその場を後にした。
なんだったんだ、あの冴くんは。
彼氏ができたことを報告しなかったことに怒っているのか。それとも自分に恋人がいないからの嫉妬か。ともかく、無駄に恋愛の場数だけは踏んできたのであれがまずい展開につながることだけは察知で来た。しばらくは冴くんと距離を置くのが無難であろう。逃げるは恥だが身を守るってね。
◇
サッカー協会の十八歳以下の海外選手との契約を禁止するという規定とパスポートが切れたという理由で冴くんが一時的に帰ってきた。しかし特段、懐かしい気持ちにはならない。なぜなら前回、国立競技場で冴くんの試合を見に行ってからはほぼ毎日ビデオ通話をしていたからだ。
「冴くんってもしかして暇なの?」
だから都内ホテルのレストランにて対面したときの第一声がこれだった。
「忙しいに決まってんだろ」
ホテル上層階の大窓越しに見える夜景を正面に四人掛けテーブルの隣同士に座る。
コースメニューのメインだけを選び冴くんがすぐにオーダーを通した。
「でも毎日電話してくるじゃん。しかもビデオ通話」
「別にいいだろ」
「よくないって!大体電話掛かってくるの私が寝る直前だからすっぴんだし!」
「時差があるから仕方ないだろ」
「それはそうだけど」
ならせめてカメラはオフにさせてくれと言いたいところだが一度勝手にやったらキレられた。そして電話に出なかったら出なかったで翌日やたらと問い詰めてくる。もうめんどくさいったらない。
「酒じゃなくてよかったのか?」
「お酒苦手だからこれでいい」
一先ず、先に届いたノンアルコールで乾杯する。
窓の外には瞬く星とビルの灯りが煌めいている。そういえば北海道旅行で見た夜景も綺麗だったな。でも人がものすごく多くて全然ゆっくり見られなかったんだよなぁ。それもまた最後の思い出にしてはよかったかも。
「まだ付き合ってんのか?」
私の頭の中を覗いたかのようにそんなことを聞く。私はもう一度グラスを傾けて夜景に目を向けたまま答えた。
「別れたよ」
本当に良い人だったし結婚も考えられるような人だった。でも冴くんとの連日のやり取りに、どうしたって彼氏に後ろめたいような気持ちになり私の方から別れを告げてしまった。
「なら俺と付き合え」
「告白どころか問いかけでもなく決定事項っぽく言わないでよ」
食事が順に運ばれてくるが正直味なんて分からない。
ただただ私の頭の中では、冴くんと付き合う?私は冴くんのことが好きなのか?と自問自答が繰り返されていた。確かに小さい頃から彼を知っているから好きには好きだけど恋愛のソレというよりは母性愛的なものに近い。
「冴くんってさ、今までに彼女いたことある?」
「は?いたワケねぇだろ、お前がいんだから」
おぉ……リアクションに困る。
異国の地にいたとはいえ最近では日本のメディア出演も多く少なからず出会いの場はあるだろう。それに小、中学生の時はモテてたっぽいし。
「きっとこれからいい出会いがあるよ。なんたってもう世界の冴様なんだから」
「なんだそれ。お前以外いらねぇよ」
困った、どうにも想像以上に依存されてたっぽい。でもこれってさ幼少期に身近にいたお姉さんに初恋奪われましたって感じのノリじゃない?私の初恋はテレビ越しに見ていた教育番組の体操のお兄さんだったしそれと一緒な気がする。だからつまり、冴くんは叶わなかった初恋に今も夢みてるってこと。
「相談なら乗ってあげるから頑張って」
はい、これで証明終了。Q.E.D.
この話はおーわり!
「こちらコースメニュー最後のデザートになります」
トリを飾るデザートが目の前に運ばれる。和栗を使ったモンブランはドレスのような滑らかなクリームを纏い、てっぺんのマロングラッセは宝石のように美しい。
やや躊躇いながらフォークを差し込み一口頬張れば想像以上の舌触りの良さとほどよい甘さで感動した。あー疲れた脳に糖分が染みる。
「…………」
「…………?」
先ほどよりも夜が深くなった夜景はより輝きを増している。しかし背景が暗くなったことでガラス窓に反射した自分の姿がよく見えた。それはもちろん冴くんも。ただ冴くんは夜景を見ることもデザートに手をつけることもなくじっと隣を見ていた。腕を組み、背もたれに体を預けながら私の横顔を見つめていたのだ。
「あのさ、」
「なんだ」
二口目を食べる気にはなれずフォーク皿の上に置く。そして隣を見れば反射ではない冴くんの顔がはっきりと目に映る——冴くんってこんなにかっこよかったっけ……?
その美貌に気圧されながらも生つばを飲み込んで口を開いた。
「もしかして本気私のこと好きだったりする?」
「だからさっきからそう言ってんじゃねぇか」
スッと伸びてきた指が頬を撫でる。そしてこちらを意識づけるように親指で唇をなぞられた。
リップ取れちゃうじゃん、と頭の隅で文句を垂れつつもうるさく動き出した心臓にそれどころではなくなってしまう。
そして双眼のターコイズの奥にある熱に気が付いたとき、息が止まった。
「心の底からお前に惚れてる」
あっやばい。今のはちょっとときめいたかも。
「へ、へぇ〜……」
「まぁいい。これから分からせる」
弟のように思っていた彼に落ちる日もそう遠くはないのかもしれない。