策士の道も一歩から
廊下をギリ怒られない速度で歩いていた。今の私の速度なら競歩の全日本大会で新記録を出せるかもしれない。そしてようやく辿り着いた教室に首だけを突っ込んで室内を確認した。
「おい不審者、人のクラスでなにやっとんねん」
しかし友人を見つけるより先に不躾な関西弁に声を掛けられた。そういえば同じ部活の大阪人もこのクラスだったか。振り返れば予想通りの人物がこれまた不躾な目でこちらを見ていた。
「不審者じゃないし。寧ろそっちがストーカーなのでは?」
「目の前にうっさい足音立てながら歩いてるやつおったら嫌でも目に入るやろ。歩行速度も速いからてっきり幻の巨人かと思ったわ」
「世界を踏み潰す地鳴らしじゃないんだわ。そもそも私の推しはアルミンだからイェーガー派とは相容れないかな」
「自分いっつも金髪碧眼のキャラ好きになるなぁ見た目しか見てないんか?」
「は?歴代の推しが偶々金髪碧眼なだけだから。ってゆうかアルミンの良さを顔で語ろうとするなんてまだまだ……」
おっとただでさえ時間がないのにこれ以上、推しトークに時間を割くわけにはいかない。残りの昼休みはあと十分もないのだ。目の前の薄青髪糸目の男はほうっておき再び教室の中へと視線を向ける。
「そない探したとこでうちのクラスに金髪碧眼なやつはおらへんで」
「だから探してないって!それよりモッチーいる?」
「モッチー……ああ持田さんのことか」
壁にしがみつくように教室内を窺っていれば目の前に僅かに影が落ちる。思わず見上げれば桐島の腕が壁に付いていて私に覆い被さるようにして教室を見回していた。桐島ってパッとみ細くて弱っちそうなのに意外と身長あってガタイいいんだよな。この位置から見ると巨人みたいだよ。
「教室にはおらへんみたいやな。もしかしたら次が移動教室やからもう教室出ていったかも」
「マジかぁジャージ借りたかったのに」
なぜ私がこのクラスまで来たかというと五限目の体育に必要な体操着とジャージを見事に忘れてきたからだった。体操ズボンはスカートの下に履いているからいいとして上がなくて困っている。だからワイシャツの上からジャージを着て誤魔化そうと考えたのだが頼みの綱であった友人がいないとあっては諦めるしかないか。
「なんやそんなことか」
先生に怒られるだけでなくワイシャツ姿で授業を受けるとか恥ずかしすぎる。だからこれは私にとってかなりの危機的状況だというのに桐島には軽く受け流された。そしてそのまま教室へと入っていく。ちょっとは同情くらいしてよ。
「ほれ、これ使い」
「えっ?」
しかしすぐに戻ってきて私の前に綺麗に畳まれたジャージを差し出した。胸元には『桐島』と刺繍が入っている。
「今日体育あったけど暑かったから着なかってん。俺のでええなら使い」
「いいの?!」
「その代わり礼は弾んでな」
「ちゃんと借りは返すって!マジ助かる、ありがとう!」
意外や意外、まさかここに神がいたとは。
桐島にお礼を言い授業に遅れまいと更衣室へと急いだ。
「おっジャージ借りられたんだ!ってかデカくない?」
授業へはギリ間に合いクラスの友人とも合流した。
今日は室内でバレーボールを行う。だからネットの準備をしながら昼休みの苦労を語った。
「それがさ友だちがいなかったから部活の人に借りたんだよね」
「『桐島』……ってもしかして野球部エースの桐島?!」
「そうそう。だから大き——」
「「「「なんだって?!」」」」
余った袖を持ち上げれば背後から怒声にも似た叫びが飛んできた。そして年末年始セール並みの勢いで女子たちが突進してくる。いやこれ売り物じゃないんだけど。というか桐島のジャージに価値ないでしょ。
「えっなに?!みんなどうした?!」
「だってあの桐島くんのジャージでしょ?!」
「あのってどの?!」
「大阪出身の野球部エースで超絶イケメンの桐島秋斗に決まってんじゃん!」
「そんな桐島という人物は存じ上げないかな……ちょっ危ないから引っ張らないで?!」
「意外と大きい〜うわっなんかいい匂いする!」
「マジ?!私にも嗅がせて!」
こわっ女子の本気が怖すぎる!なんだこれ、ふれあいコーナーでちびっ子に囲まれるウサギになった気分だ。かと思えばみんな顔を近づけてくる。これぞ猫吸いならぬジャージ吸い……えっこわい。
「貴方たちなに騒いでるの!まだネットも張れてないじゃない!」
悪目立ちをしていたせいか先生に怒られようやく皆が離れてくれた。
とんだ目にあったなとぶかぶかな袖を捲し上げていたら女教師の鋭い眼光が飛んでくる。
「今回は見逃すけど授業中に彼氏のジャージは着てこないように!」
いや彼氏じゃないんですけど。
しかし言い訳をすると余計に面倒くさいことになりかねない。だから謝罪の言葉だけを口にしてその場を収めた。
◇
この西東京の中でも野球の名門と知られる氷河高等学校。そんなうちの学校に大阪からの野球留学生としてやってきたのが桐島秋斗である。ポジションはピッチャーで左投の左打。変化球も多く投げられ直球の速度も一級品だ。そして二年生になった今では野球部エースの名を背負っている。
「いやァ段々と暑くなってきたねェ」
「あっお疲れ寺門」
「悪いんだけどさァそのスポドリってまだ余ってるゥ?」
日曜の部活も終わり二台のウォータージャグを片付けようとしたところで寺門に声を掛けられた。
ゴールデンウィークも明け、春の気配も日に日に薄れていく。運動をすれば汗をかくようになり自然と給水の回数も増える。寺門もどうやらそうらしく、おおよそカタギがかけるものではなさそうなサングラスを外し汗をぬぐっていた。
「あと一杯分くらいならあるかも。ちょっと待ってて」
「おっラッキー」
紙コップを一つ取り出して古い方のジャグを傾け最後の一滴まで注ぎ込む。こちらは今年買った新しいジャグとは違い最後の方の出が悪いのだ。そして宣言通りちょうど一杯分あったスポドリを寺門へ渡した。
「はい、どうぞ」
「サンキュー」
ギザ歯を見せお礼を言い、早速コップに口を付ける。
ふとグラウンドを見渡せば寺門以外にも多くの部員がまだ居残り練をしていた。もうすぐ春季大会があるため皆いつも以上に熱が入るのだろう。
部員の掛け声や素振りの音、土を蹴る音に、空ではカラスが鳴いている。そんな中私の耳に飛び込んできたのはブルペンからの鈍い捕球音だった。
「なになに?なんかオモシロいモンでも見つけたん?」
「え?……あぁ、桐島めっちゃ投げ込んでるなぁって思って見てただけ」
今日の練習でもかなり投げていた。元より桐島は涼しげな見た目に反してお笑い好きだし、最近では一年ピッチャーの巻田を弄り倒しては一年に恐れられているような変人だけど野球に対しては真摯だ。でも努力している姿をあまり人前で見せない。
「桐チャンねェ……変化球の一つでも覚えようとしてんじゃないの?春季大会はイイ実践の場だろうしねェ」
「夏のための?」
「そゆこと」
高校球児たるもの甲子園というのは憧れの場であり目標の地である。その中でも桐島はほかの部員以上に甲子園を強く意識している。そういえば大阪で弟も野球をやってるって言ってたな。詳しくは知らないが桐島がわざわざ東京まで来たのも弟さんと何かあったからだろうか。
「ってかさァ俺ずっと聞こうと思ってたことがあんだけどよォ」
「なに?」
もったいぶらせながら話す寺門の言葉に耳を傾ければぐっと顔を近づけられた。
そんなに周囲に聞かれたくない話なのか。もしやブツの受け渡しとか賄賂の話とかそっち系?悪いけど相手が寺門だとそう疑っちゃうんだよなぁ。もちろんいい人なんだけど見た目があまりにもヤから始まる自由業の人間なので。
「桐チャンと付き合ってんの?」
しかし飛んできた質問は健全な高校生らしい質問だった。へぇ寺門ってそういう話もするんだ。でも生憎、私では面白い話はできそうにない。
「悪いけど桐島と組んでM-1目指す気はないかな」
「そうゆう意味じゃねェって分かってんだろォ。で、マジのとこは?]
「付き合ってないに決まってんじゃん」
寺門にとっても分かりきった答えだったのか「そォかァ」とそれ以上深入りはせずに納得してくれた。
側から見たら私と桐島は付き合ってるくらい仲が良く見えるのだろうか。部内で話す頻度は確かに多い方だとは思うが寺門や九条、沼田とも同じくらい話はしてると思う。
「逆に私も聞きたいんだけどさ」
「なにィ?」
「桐島ってモテるの?」
スポドリを飲み終えた寺門はくしゃりと紙コップを握りつぶした。そして先ほどと同じように顔を近づけてはギザ歯を見せる。だからその顔やめい。
「おっおっなに?気になっちゃう感じィ?」
「まぁ……なんかクラスの子も桐島のことよく知ってたからどうなのかなって」
変に思われたくなかったので、単純な疑問ですけど?という顔をして聞いた。
寺門はこんな調子の人間ではあるが本人が嫌がることをしつこくやってはこない。だからこちらの質問にだけ答えてくれた。
「そりゃそうよ。大会の時、桐チャンの名前呼ぶ人らもいるでしょ?」
うーん……それはそうだけど基本的にその野太い声の主はもっぱら野球好きのおっさんたちじゃん。右からおっさんおっさん一つ飛ばして氷河大好きおじさんみたいなとこある。そのため異性の受けがいいかは正直判断がつかない。
「私が聞きたいのは女子人気なんだけど」
「モチロンあるよォわざわざ試合見に来る女子もいるし告白だってされたことあるって噂も聞くし」
「えっその話詳しく……」
「随分と盛り上がっとるなぁお二人さん」
唐突に肩を掴まれ重心が揺らぐ。おかげで前のめりになりかけた体が引き戻された。振り返れば噂のご本人がいて「お疲れさん」と帽子を脱ぎながら笑みを浮かべていた。
「桐チャンお疲れ。今日はもう上がり?」
「せやで。それで二人はなに話しとったん?」
冷ややかな目を向けられ内心どきりとする。別に本人に隠すようなことでもないけれど、モテ男マウント取られるのは嫌だし適当に誤魔化しとくか。
「桐島と巻田で今年のM-1出たら面白いんじゃないかって話してた」
「ハァ?人間とゴリラじゃ会話でけへんやろ予選敗退や」
「じゃあコントの方にする?」
「小道具として生もの持ってけへんやろ。バナナなしじゃ手名付けられへんからこっちじゃ出場もできひんわ」
少々無理のある内容だが寺門が口を出してこなかったので話は見事に逸れていった。
それにしても見た目は別としてなぜ桐島がモテるのか私は正直理解できない。こんなにも笑いに取り憑かれた男のどこがいいのか。
「そろそろ学校も閉まる時間やな、俺はもう行くで」
「オウお疲れ」
「あっジャグは私が持ってくからいいよ」
「どうせ水道行くからついでや。自分はもう一つの方持ってき」
古く重たい方のウォータージャグが桐島の手により持ち上げられる。そして宣言通り水道の方へと歩いて行ってしまう。私の元に残ったのは新しい軽量設計のジャグだけだった。
「ちょっと待ってよ桐島!じゃあ寺門もお疲れ!」
「お疲れチャン」
それを慌てて掴み桐島の後を追いかけた。これはマネージャーの仕事なんだからさすがに洗うところまでやらせるわけにはいかない。
「いやァ〜オモロいモン見れたわ」
「どうした寺門。なんか、顔がその……アレだけど」
「犯罪者予備軍みたいって言えよ」
「おっ九条と沼田じゃん。ねェちょっと聞いてよォ」
前言撤回、桐島には多少はモテる要素があるかもしれない。
◇
なんだか申し訳ない気持ちになって桐島のジャージを三回ほど洗ったところ返すのが随分と遅くなってしまった。
「これ、ありがとう」
「なんや?……ああ、ジャージか。てっきり借りパクされたと思たわ」
木曜に借りて月曜の朝練後に返したらそんなことを言われた。こちらとしても何も言い返せない。だからこそ私はあの時の約束を自ら口にした。
「返すのと遅くなったのはごめんて。でもお礼はちゃんとするから」
朝の廊下を二人で歩く。クラスは違うが桐島とは同じ階の教室だ。
「ほぅ。何してくれるん?」
「まぁ無難に購買でなんか奢るよ。お菓子がいい?それともジュース?」
「うわっおもんな。俺のジャージの価値はその程度かいな」
「その程度でしょ。っていうか食べ物以外はなしね」
それは高いものを奢らされるというよりは桐島の無茶ぶりに対する自衛だった。この男は見た目に反して関西のノリというか、お笑いに対して執着している節がある。現に一つ下の巻田という部員が入部してからは悲惨なほどに弄り倒されていた。
「普段菓子類は食べへんねんけど」
「じゃあルーズリーフかシャー芯でいい?」
「どっちも買うたばっかやねん」
消耗品だから別にいいじゃん。それならばとスポドリやボールペンなんかも提案してみたが一向に首を縦に振らなかった。そんなに考えることか?と段々とこちらが面倒くさくなってきたところで桐島が小さく声を上げた。どうやら何か思いついたらしい。
「決まった?」
「自分、いつも昼飯はどないしてん?」
「お昼?お弁当持ってくるか学食で食べるかだけど……」
「今日は?」
「学食」
「ほな決まりやな」
気付けばもう自分の教室の前まで来ていた。桐島のクラスはこの二つ先にある。だから私が後ろ扉の前で足を止めれば桐島もその場で立ち止まり、そしてこちらを向いた。
「学食で奢ってもらおか」
「うわっ購買で買うより高くつくやつ」
「アホか、誰も一食分出せなんて言うてへんわ。俺が食いたいモン一品だけ奢ってくれたらええよ」
「それならまぁ……」
「決まりやな。ほな昼に」
「わかった、じゃあね」
自身のクラスへと向かう桐島の背中を見送り自分も教室に入る。そして友人らに朝の挨拶をしながら席に座った。
とりあえずこれで桐島への借りも返せるわけで私としてもすっきりする。もっとエグい要求でもされるかと思ったが学食で一品奢ればいいだけなんて割と良心的だな。よかったよかっ——
「…………あれ?」
今日の昼、私は桐島とご飯を食べるのか?
「お腹空いたー!お昼行こ!」
「この時間ならまだ学食空いてそうだよね」
「日替り何かなぁ」
四限の授業も終わりお昼の時間。そういえば桐島とどうやって合流するか考えてなかったな。野球部員は基本的にオフの日以外スマホの使用を禁止されている。だから連絡手段がなかった。
「ごめん、今日は他の人とお昼行ってきていい?」
いつも一緒に食べている友人らに断りを入れる。三人には「いいよー」と言ってもらえたので彼女らとは廊下で別れ、ひとり桐島のクラスへと向かった。
「早く購買行こうぜ!物がなくなっちまう!」
「おい、置いてくなって!」
どうやら桐島のクラスは授業が長引いたらしかった。二人組の男子生徒を横目で見ながら教室を覗き込む。桐島は……と思ったらちょうど出てきた。
「うわっびっくりしたぁ」
「なんやクラスまで来てくれたんか」
「うん。待合せ場所も決めてなかったからね」
「ありがとう。ほな行こか」
なんかやけに素直だな。というか機嫌がいい?四限終わりなんてお腹の虫が騒ぎ出して苛々しちゃうのが常だというのに。そういえば試合でもピンチの時ほど投球の調子が上がるみたいだし極限な時ほど調子がいいのかな。
「もしかして桐島ってドMだったりする?」
「は?いきなりなに言うてんねん。セクハラで訴えんぞ」
素直ではあるが可愛げはない桐島に、やっぱり通常運転かと思い直した。
「何食べよっかなぁ桐島はもうメニュー決めた?」
さて、ところ変わって食堂である。
行列の長さはまずまずと言ったところで売切れのメニューもなければ席もまだ空いているようだった。注文の列に並びながら上に掛けられたメニュー表を見やる。
「生姜焼き定食やな。あと一品奢るの忘れとるわけないよな?」
食堂で言う一品とは副菜やデザートを指した品のことだ。定食だけでは物足りない人たちはそれを追加で購入したりする。ちなみにこれらはメインのおかずとは違い予め用意されており食べたいものを事前に選んでトレーに乗せる形式で提供される。
「ちゃんと覚えてるって。好きなの選んでよ」
「ほなこれにするわ」
そして桐島が選んだのはチョコケーキだった。まぁなんと可愛らしい。しかし他の一品系は百〜二〇〇円くらいのお値段に対しチョコケーキは二五〇円と若干お高めだ。確かに自分で買うのは躊躇われる値段だから奢られるにはちょうどいい品なのかもしれない。
「いいよ。じゃあ私がお会計するからトレーに乗せて」
「よろしゅう」
チョコケーキを乗せ自分のお昼を注文し会計をする。レジは複数あるので各々精算し再び合流した。
「あそこの席空いとるな」
そしてやはり一緒にお昼を食べることは決定しているらしい。桐島が二人分の席を見つけすぐに確保してくれた。
「じゃあこれ桐島の分ね」
「有り難くいただくことにするわ。それにしても自分、意外にもそうゆう物食べるんやな」
チョコケーキを自分のトレーから桐島の方へと移動させる。その最中、桐島の視線は私の昼食へと注がれていた。
「そう?」
目の前のトレーにはチキンカツ丼が乗っている。ちなみに味噌汁とお新香付きである。学食にしては中々のクオリティだと思う。いつも人が食べているのを見ては美味しそうだなぁと思っていて、今日初めて注文してみたのだ。
「食堂で見かけるときは大抵うどん食べとったから」
「えっなんで知ってるの?!マジのストーカーじゃん!」
「自分の声がうっさいから嫌でも目に付くねん」
そんなに私の声って目立つかな。寧ろ桐島の方が地獄耳なだけな気がする。思えば気づけばいつも背後にいるもんな。メリーさんか。
「うどん以外も食べるよ。でも丼ものはあんまり食べないかな、というか頼みづらくって」
「確かに女子が頼んどるとこはあんま見ぃひんな」
いただきますをして互いに箸をつけ始める。茶碗を右手に持ち一口分の生姜焼きを白米の上でワンバウンドさせてから口に運んだ桐島からは育ちの良さが感じられる。こういうところも女子からの評価が高そうだなと思いながら自分はどんぶりに手を添えた。
「でしょ。だから友だちと一緒の時は躊躇っちゃうんだよね」
「そうなん?寧ろ男とおるときのが頼みづらいやろ」
意外と肉厚で美味しい。タレのついた白米とともに堪能していれば桐島は味噌汁を飲みながらこちらを見てきた。なんかさっきからやたら食べてるとこ見られてる気がするんだよね。正面の席にいるからかもしれないけどそれにしたって視線が痛い。
「普段男子と食べないから考えたこともなかったよ。だけど桐島になら気を使うこともないかなと」
頼んだ時は食べきれるか心配だったが箸は自然と進み残りは半分ほど。女友だちといるときは食べる速さとかメニューとか、自然と合わせてしまっていた自分はいる。だけど相手が桐島なら別にいいか、という気になる。現に向こうは向こうでマイペースに食べていてデザート以外のものがトレーからなくなっていた。
「随分と雑な扱いやな」
その言葉とは裏腹に桐島はどこか嬉しそうだった。今の会話のどこに喜ばしい要素があったというのか。いや、寧ろ哀れまれているのか…?女っ気がない私への同情だろうか。確かに色気より食い気の私ではあるがそう思われるのは癪である。ちょっとは女の子らしいところでもアピールしとくかな。
「チョコだけじゃなくてチーズケーキもあったらいいのになぁ」
しかし結局は食い気が勝る女なので、桐島のチョコケーキを見てはそんなことしか言えなかった。
桐島はフォークをスポンジに差し込みながら私を見る。チョコレートの生クリームは少し溶けかけていた。
「チーズケーキ好きなん?」
「うん、ケーキっていうかチーズが好きなんだよね」
チーズとは魔法の食べ物だと思う。あれが乗ってるだけで料理が一気におしゃれになるし美味しくもなる。こんなにも美味しい物が合法的にあっていいのかと疑うほどだ。
「トッピングにもチーズがあればいいのにな。チーズチキンカツ丼とか美味しそうじゃない?」
「まぁハズレはせえへんやろな。物珍しさで人気も出るやろうし」
「だよね、食堂の目安箱に投書してみようかな」
「案外ええかもな。現にそれで追加されたメニューもあるみたいやからな」
「じゃあ実装されたらお昼付き合ってね」
「……は?」
えっなんでそんな意外そうな顔してんの。今までの私の話聞いてなかったのかな?女友だちと一緒だと頼みづらいから桐島を召喚せざる負えないんだって。
そう改めて丁寧に言ってやれば桐島は食べかけのままフォークを一度皿の上に置きこちらを見てきた。
「別に昼飯くらいいつでも付き合うたるわ」
「じゃあ次はカツカレー頼むときに声かけるね」
「容赦ないな」
桐島は鼻で笑ってから再びケーキを食べ始めた。しかし食の進みが悪い。だから思わず、口に合わなかった?と聞けば「甘い」とだけ返された。チョコケーキだから当たり前のことだと思うんだけどな。その日の桐島はちょっと変だった。
◇
七月——
ついに甲子園への切符を賭けた夏の大会が始まる。
氷河は周囲の期待通りに危なげなく決勝へと駒を進めた。そして西東京大会決勝、対戦相手は野球の名門帝徳。氷河もそして帝徳も『自分たちが勝つ』と信じて疑わず試合に臨んだ。
「セーフ!ツーランスクイズ!逆転サヨナラだァー!!」
試合の立ち上がりは決して悪くはなかった。六回裏まで来て両者無得点——からの七回表、桐島の初ヒットからの先制点が氷河に入った。そして運命の九回裏、ここで帝徳を完全に抑えられれば氷河が甲子園のチケットを得る。しかし、
「西東京大会優勝は帝徳高等学校!!」
勝利の女神が微笑んだのは帝徳だった。
彼らもまた当たり前のように勝たなければいけない学校だったのだ。
本格的な暑さを増す八月。学生であれば夏休みだと浮かれる時期ではあるが部活に所属している生徒の多くは七月と変わらない日常を送っている。ただ、授業を受けていた時間を部活動に充てるだけだ。それは甲子園行きが叶わなかった野球部にも言えることだった。
「ハァ〜飽きてもた。巻田クンの返しは毎回同じでオモんないわ」
「意味わかんねェっスよ!」
「それがオモんない言うてんねん。今日はもう上がるわ」
そして今日も今日とて桐島は巻田を弄っている。
いつもの部活、いつもと変わらぬ光景。でもなんだろう……
「なんか桐島元気なくない?」
「そォ?」
「会話にキレがないっていうか……そう思わない?」
「ますます分かんねェわ」
違和感を覚え寺門に聞いてみたが特にそうは感じなかったらしい。九条も沼田も同じような反応だった。
「そんなの俺らじゃ分かんないよ……」
「だよなァ」
「明らかおかしいって。ちょっと三人で様子見てきてよ」
「それは…ちょっと……」
「なら自分で行けばいいだろ」
「そうは言うけどさ沼田、私よりもみんなの方が桐島と距離近いじゃん」
それを言ったら三人が顔を合わせて「お前が言うな」と盛大なツッコミを入れられてしまった。いつもは自分がボケを拾う側なので反応に困る。そう困惑していたら悪い顔した寺門に背中を押された。
「自分がなんとかしてきな。ウチのエースのメンタル管理もマネージャーの仕事の内よ」
九条は無言で頷き、沼田は「頼んだ」とだけ言う。この同学年共は全く頼りになりそうにない。そう判断し練習を切り上げた桐島を急いで追いかけた。
どうやら寮へ帰るわけではないらしい。桐島は駅の方へフラフラと歩いていく。そちらの方面には本屋やスポーツショップ、また商業施設もあるから気分転換にでも出掛けるつもりなのだろうか。
そして私はと言うと追いかけてきたのはいいがなんて声を掛けたらいいか分からずただのストーカーと化していた。桐島に元気がないことも私の思い過ごしかもしれないし、逆にそうだったとしても本人が触れられたくないことだってある。
「もしかして氷河高校の桐島さんですよね?!」
「ん?」
やはり余計なお世話か、と自問自答していたところで桐島が足を止めた。そのため慌てて近くにあった雑居ビルの影へと隠れる。どうやら人に話しかけられたようだ。隠れながら様子を窺えばその二人組は他校の制服を着ていた。
「私たち西東京大会の三回戦目に当たった学校の吹奏楽部員です」
「あぁ、校歌をマーチング調で演奏しとったとこですか?」
「そうです!よく分かりましたね」
「珍しいな思てよぉ覚えとります」
「嬉しいです〜!」
あー……これは中々に厄介な場面に出会してしまったかもしれない。というかやっぱりモテるのか。それに桐島も割と友好的に接している。私の心配は杞憂だったか。
「桐島さんのピッチングが凄すぎて見入っちゃいました!」
「途中から桐島さんがスリーアウト取らないかな〜とか思っちゃったりして!」
「それはアカンやろ」
「決勝戦は惜しかったですけど最後まで諦めなかった姿には感動しました!」
「……ありがとう」
それにしても他校の人にまで認知されてるのすごいな。ピッチャーという目立つポジションであることを差し引いてもあそこまで関心を持たれるのか。まぁ偶に記者の人もうちに来るし……ともかく今は私の出る幕じゃない。もう帰ろ。
「あっあと弟がいるって本当ですか?」
その場から立ち去ろうと思ったのに、どうにも足が動かない。まるで接着剤で固めてしまったかのように靴底が地面から離れなくなった。
「あー私も聞いたことある!同じ左利きのピッチャーだっけ?」
「そうそう!今年の甲子園優勝した大阪陽盟ってところにいるんですよね?弟さんも——」
「ごめーん!しゅうちゃん待ったぁ?」
とはいえ私の意志さえあればいとも簡単に足は動くわけで。部活でそれなりに鍛えられた脚を武器に桐島の元へ突っ込んで行った。
「なんかここ来る途中でしゅうちゃんに似合いそうな服見つけてねレディースもあったからお揃いで買おっかなぁって思って見てたら遅れちゃったの、ごめんね?」
桐島の右腕に自身の腕を絡ませバカップルぶりをアピールする。もはやバカップルの正解が何かもよく分かっていないが漫画やアニメの知識と記憶を頼りに演じる。今の私はクレしんのミッチーだ。
「それでねそれの服ね真ん中にゴリラの絵が描いてあってすっごく可愛かったんだぁしかも後ろにはバナナがプリントしてあってね二人で並ぶと人房になるの〜!すごくない?!だから二人で見に行こ?ね?」
だがこちらのヨシりんには顔を思いっきり背けられ反応はイマイチ塩である。しかしここまできたら突っ走るしかない。場の空気を読んだら負けだ。私が傷付くから。
そろそろ己のSAN値に限界を感じたのでここいらで終止符を打つことにした。
「またぺアルック増えちゃうね!——で、そこの二人は私の彼氏に何か用ですかぁ?」
「あー……特には」
「私たちもう行くんで。それじゃあ」
第六感でやべぇ女だと気付いたのか彼女たちはそそくさとその場を立ち去った。後に聞こえてきた「メンヘラ女じゃね?」「桐島さんの趣味疑うわ」の言葉には中々胸に刺さるものがあった。まぁ桐島も道連れだからいっか。
「困ってたみたいだから勝手に助けちゃった」
すでに気付いていることだろうが改めて説明をする。しかし隣からの返事がない。その代わりマナーモード中のような小刻みな振動が返ってきた。
「…………ッ」
「ん?」
思わず桐島を見上げる。顔は背けられてたが確かにその肩は震えていた。もしや相当嫌な思いをしたのだろうか。確かに帝徳に負けたこととか家族のこととか色々好き勝手言われてたしな。
「ブッ……アハハッ『しゅうちゃん』て!親にも呼ばれたことあらへんわ!」
だからこそ慈悲の心を持って桐島を見守っていたのに唐突に吹き出された。
「はぁ?!私なりにラブラブカップルの面倒くさい彼女演じた結果なんですけど?!」
「やからってしゅうちゃ……しかもこの時代にぺアルックて……アカン、めっちゃツボったわ。ヒーッオモロ!」
こいつ…!人が恥じを捨てて助けてやったというのになんという態度。
そして私も私だ。いつまで桐島と腕組んでんだろ。いつの間にか本当に面倒くさい女になってたわ。
「ハァ〜よう笑ったわ」
「結果的に助かったでしょ?感謝してよね!」
「……もちろん感謝はしとるよ」
ラノベヒロイン並みのツンデレを披露して組んでいた腕を解く。しかし私と桐島の距離は保たれたままだった。相変わらず近い——その理由が手を繋がれていたと気付くまでにそう時間はかからなかった。
「え……なにこれ」
「俺らラブラブカップルなんやろ」
「だからそれは演技であってそういう設定にしたってだけだから」
そもそも桐島の彼女でもないし。そしてそのことは本人が一番分かってるというのに手は一向に離されない。こちらは全くもって力を入れていないのに桐島が離さないのだ。自分よりも厚く、マメだらけの掌が私の手を掴んでいた。
「なら最後までやり通してもらおか」
「もう危機は去ったでしょ」
「まだ近くにおるかも分からへんし礼もしたいからもうちょい付き合うてくれへん?」
「お礼はいいよ。前に私もジャージ貸してもらって助けられたし」
「その礼はもう済んだやろ」
切り離すことこそ意味が分からないんだけど。しかし桐島は譲るつもりはないのか私の手を引きながら歩いていく。一体どうしたもんか。
「でもなぁ……」
「この先にチーズケーキが美味しいカフェがあるんやけど」
「それを早く言ってよ。レア?ベイクド?」
「どっちもあるけどレアチーズケーキは数量限定やな」
「とりあえず今すぐ行こうか」
我ながらチョロすぎる。でも好物には抗えないんだ。
「自分チョロすぎるやろ」
「それは私が一番分かってるから言わないで」
「ホンマ単純で心配になるわぁ誰にでも尻尾振って着いてくんやないで」
「子どもじゃないんだから相手見て着いてってますー」
「俺ならええんか?」
「桐島なら全然いいけど」
気付けば繋がれた手を握り返していた。
これは単なる迷子防止だ。特に深い意味はない。
「へぇ……なら期待してもええか?」
骨張った皮の厚い指からは熱が伝わってくる。
だから私はやっぱり手を繋いだまま大真面目に答えた。
「私も期待してるよ。レアチーズケーキが残っていることを」
桐島は糸目を僅かに見開いて。
そして「ハハッ」と短く渇いた声で笑った。
残念ながら左隣からは表情が窺えなかった。
「やっぱり一筋縄じゃいかへんか」
今日レアチーズケーキがなかったとしても桐島とならまた一緒に行ってもいいとは思ってるけど。
でも今はこの時間を大切にしたかったから、ケーキ楽しみだなとだけ言っておいた。