このあたしが同じクラスのオタクくんを好きになるなんて絶対にありえない!

新しい学年になると必ず行われる自己紹介。特に高校一年時のそれとなれば三年間の印象を決めると言っても過言ではないほどに重要であろう。だから誰しもが好印象を残そうとする中、様子の違う生徒が一人。

「趣味はアニメ鑑賞と漫画とゲームとデッキ構築です。アニメに関してはほぼすべて通っては来ているので大体の話は分かります。よろしくお願いします」

やばっこの人、見た目通りのオタクじゃん。
それが二子一揮に対する第一印象である。


◇                      


「えーバイトしてんの?いいなぁ」
「って言っても知り合いの店の手伝いってかんじだけどね」
「カフェとか?」

入学して一週間、徐々にクラスでも仲良しクループができつつあった。かく言うあたしも初手の自己紹介をしくじらなかったおかげで二人ほど仲のいい子ができた。

「一応、飲食店だけどそうゆう感じのとこでもないよ」

そして今は授業合間の休み時間に駄弁っていた。一番後ろであるあたしの席を囲むようにして二人がいる。そしてバイトをしているあたしに対し二人は興味津々な顔をした。

「それでも行ってみたい!場所どこ?ググる!」

友人の一人は前の席の椅子に座りスマホ片手に顔を近づけた。
しまった。やっぱりこの話題は伏せとくべきだったか。でも部活には入らないからいずれにしろバイトをしていることは言わざるを得なかったであろう。

「知ってる人に来られるの恥ずかしいからやめて」
「いいじゃん!SNSに上げて宣伝もするしさ」
「そうゆうとこでもないし……」
「あの、」

もう一人も乗り気になっちゃったしどうするか……そう内心焦っていたところで背後から声が掛る。三人同時に振り向けばそこには目を覆うほど重い前髪を持つオタクくんが。

「えっなに?」
「そこ僕の席なんで退いてもらってもいいですか?」

見た目に反したはっきりとよく通る声で椅子に座っていた友人に告げる。同級生にも関わらず敬語で言い放たれたその言葉に友人は慌てて立ち上がった。

「あっごめん」
「いえ」

あたしたち三人の視線を浴びながら彼は黙って椅子を引いて席に座る。そしてこちらに一切の関心を向けることなく鞄の中からカードの束を取り出した。それはトランプでもタロットでもなくてカードゲームのデッキであった。一枚一枚カードを並べながらより分けたり、時に思考するようにじっと見つめている。

「うわぁ……」
「なんかすごいね」

その様子に友人らは唖然とした様子で見ていた。ついでに言うと若干引いていた。正直あたしも驚いている。でもそれは彼のオタクな一面ではなく、オタクであってもコミュ障ではないということを知ったからだった。



今後のあたしの人生に一切の関わりはなさそうなのでオタクだろうが陰キャだろうがどうでもいいが、このもさもさ頭はどうにかならんのかと日々後ろの席から思っている。授業中、黒板を見るたびに視界に入るしウザったいったらない。どうか隣の席の丸坊主な磯野を見習ってほしい。

「最後に体育祭の日程表配るぞ」

ショートHRの締めとばかりに担任がプリントを列ごとに配り出す。そんなことより早く席替えしないかなぁと思いながら前から回ってきたプリントを受け取った。

「先生、一枚足りません」

プリントから顔を上げれば先ほどあたしにプリントを渡した手は天井に向かって高く上げられていた。いや足りないって一番後ろのあたしにまでプリント回ってんじゃん……と思ったが前の机にはプリントがなかった。

「おー悪い。どっかでプリント余ってないか?」
「こっちに余りあります」
「じゃあ回してやってくれ」

窓側の列で一枚余りが出たらしくそれが横伝いに送られてくる。しかしそれはあたしを経由することなく彼の下へと届けられた。

「ねぇ、……おーい」
「僕ですか?」

だからHR後に声を掛けた。といっても一度の呼びかけに気づいてもらえなかったので自分の机に乗り上げる形で腕を伸ばし椅子を叩くことで気付かせた。

「さっきはありがと」
「何がですか?」
「プリント」
「ああ、大したコトではないので」

本当に大したことではないと言った感じに淡々と答えられた。この人、人間に興味ないのかな。思えばいつも一人で机にカード並べたりスマホ弄ってるしな。初手の自己紹介ではクラス全員引いてたし。たぶん友達と呼べる人もいな——

「二子!早くサッカー部行こうぜ!」
「磯野くん、重いです」

磯野、お前その頭で野球部じゃないんか?……じゃなくて、二子ってクラスに友達いたの?しかもサッカー部ってマジ?うちの学校はそこそこ強くて有名なはずなんだけど。

「週末には二年の先輩たちとの紅白戦もあるし練習しなきゃだろ」
「そうですね」
「二子がいれば一年の勝利も夢じゃない!」
「それは頑張り次第だと思いますが……あの、席から立ちたいんでそろそろ腕退けてもらっていいですか?」

運動部特有のやり取りを茫然と見ていたらあっという間に二人は教室から出て行ってしまった。まさかあのオタクくんが運動もできるタイプのオタクとは。しかもチームメイトからの信用もありどうやら頼られてるっぽい。あと少なくとも陰キャでもないっぽい。





恋愛感情の類などは一切持ち合わせていないがここ最近、二子一揮のことが気になってしょうがない。

あれだけのオタクムーブをかましておきながらサッカー部の人らには一目を置かれ放課後はいつも集団になって部活に足を運んでいる。一度、遠目で部活での練習姿を見たことがあるがボールを蹴りながら走る姿にマジでやってるんだと驚いた。しかしその姿は案外サマ≠ノなっていた。

「じゃあ選抜リレーの練習やってくか!」

そんなあたしの日常に二子一揮のことをよく知ることのできるイベントが舞い込んできた。六月に行われる勿忘草学園体育祭。その男女混合選抜リレーにあたしと二子も選ばれたのだ。

「とりあえず走順から決めるか?」

選抜メンバーは男子三人、女子三人からなり交互にバトンを繋いで一番早くゴールしたクラスが優勝といういたってシンプルな競技だ。男子は二子と磯野と陸上部の男子が、女子はあたしとテニス部とバスケ部の子が選ばれている。
体育祭期間の放課後、あたしたちは早速練習をするため着替えを済ませグラウンドに集まっていた。

「だな、まずアンカーは陸部のお前に任せるコトにして……で、なんか二子の方で作戦合ったりする?」

この場の仕切り役になっていた磯野が二子に意見を求める。その様子に残りのメンバーは「は?」という顔をしていた。特に陸上部の男子はそもそも二子が選ばれたことに納得がいっていないようで怪訝な顔をしていた。

「なんで僕に聞くんですか?」
「だって作戦と言えば二子じゃん。なんかないの?」
「作戦なら俺はあるけど」

そして二人の会話に割って入ったのは陸上部の彼であった。いくらサッカー部とはいえ日々走る脚を磨いている彼の方が知識はあるであろう。

「どんな作戦?」
「個々のタイムを上げるのが一番手っ取り早いだろ。走る時の姿勢の改善と基礎的なトレーニングをやろう!」
「それはさすがに非効率的ですね」

皆が嫌な顔をする前にぴしゃりと容赦のない言葉が飛んでくる。お馴染みの敬語ではっきりと言ってみせたのはやはり二子だった。

「は?どうゆう意味だよ」
「姿勢の改善はともかく体育祭まで一ヵ月もない中でタイムを上げるためのトレーニングは非効率のように思います」
「じゃあお前は他に作戦あんのかよ」
「テイクオーバーゾーンで勝負します」

そう言うと二子はしゃがんでその場にあった石ころを手に取った。それに続くように磯野も同じようにしゃがんだためあたしたちも倣う。二子は地面に楕円にグラウンドのトラックを描きその直線になっているところに印をつけた。

「男子と女子が交互にバトンを渡すことになりますからここのゾーンは極力男子が走るようにバトンをもらいます」
「そりゃあまぁ当然だろ」

陸上部の彼もそのことに異論はないらしい。ただ二子の作戦はその先にあった。

「このバトン渡しがどれだけスムーズにいくかで全体のタイムが変わります。なのでこの練習に時間を割きましょう」
「隣のクラスは陸部の奴が三人もいんだよ。それでほんとに勝てんのか?」
「二〇一六年のリオオリンピック、陸上男子四〇〇メートルリレーで日本は銀メダルを取りました。一〇〇メートル九秒台の選手がいないにも関わらずこの好成績を残せたのはバトンパスの技術が素晴らしかったからだと言われています」

いつも通り敬語で淡々と話す二子の説得力はすさまじかった。

「まぁ……そうかもな」

これにはさすがに反論できなかったらしい。陸上部の彼はすっかり黙り込んでしまった。
きっとこの流れなら二子の作戦が採用されるだろう。それに練習ならともかくトレーニングはやりたくないし。でもあたしはそれよりもこんな状態で体育祭までの期間練習することの方が嫌だった。

「隣のクラスは確かに足早い人多いみたいだけどさ、その分の巻き返しはしてくれるんでしょ」

陸上部の彼に向って言えばようやく顔を上げてこちらを見てくれた。あたしは畳みかけるようにしてさらに言葉を続けていく。

「陸部の一年の中で一番足早いって聞いたよ。だから最後はアンカーで一位搔っ攫ってきてよ」
「そうそう!ものすごく足早いんだから一番にゴールテープ切れるって!」
「ウチらも頑張るけどさ、場合によっては逆転ゴールでヒーローになっちゃうかも?!」

そして女子だけが使える技、空気を読んでとりあえずおだてとく≠ェ発動したことで最終的に彼も快く二子の作戦に合意した。

「さっきはありがとうございました」

一先ず男女二組になって練習することになった。三番走者のあたしと四番走者の二子がペアとなり場所を移動する。その時、二子が突然そんなことを言ってきた。

「え?」
「彼を説得してくれて助かりました」

顔半分が前髪に隠れて相変わらず表情は読み取れない。でも彼があたしのことをまっすぐ見て話してくれてることはわかった。

「あー……あたしもあの人の練習内容は微妙だなって思ったし」
「そうですか。でもありがとうございます」
「別に大したことじゃないって」

真面目というか律儀というか。イマイチ二子一揮の考えてることがわからない。だからか、思わず照れ隠しも相まって先日の二子と同じようなセリフを言ってしまった。

「大したコトですよ。僕だったらああいう風に上手くまとめられませんでしたから。ミョウジさんだからできたコトだと思います」

全く予想もしていなかった返事にあたしはもう何も言えなかった。

「じゃあ練習始めますか」

しかし二子はいつも通りに淡々と物事を進めていく。こっちはどんな顔したらいいのかわかんないってのに。
あたしはできる限り平常心を保ちながら手に持ったバトンを握り直した。

「そうだね。よろしく」
「よろしくお願いします」

——そして体育祭当日、あたしたちは安定した走りを見せ危なげもなく一位の栄冠を手にした。





学校から家までは自転車で片道三十分。冬の雪の日はさすがに乗れないが雨にも負けず風にも負けず毎日自転車通学している。運動部でもないあたしが選抜リレーの選手に選ばれたのはこのおかげなんじゃないかと思っている。

「ただいま」
「「おかえりー」」

普通のご家庭にはないようなドアベルを鳴らし扉を開けば二人の女性に迎え入れられる。まだ開店前だからか化粧は薄く、ドレスの上にパーカーを羽織った変な格好をしていた。

「あれ?お母さんは?」
「整体行くんだって。だから代わりに留守番頼まれた」

週に二回、近くの酒屋からお酒を納品してもらっている。今日がその日だからオーナーである母の代わりに受取をお願いされたのだろう。

「そっか」

ここは自宅兼飲食店を営む我が家である。二階を住居として使い一階が店になっている。夕方から日付が変わる頃まで営業しているこの店は所謂スナックだ。

「ママに要でもあった?」
「醤油買って来てって言われたからさ」
「あっそれ頼んだのウチ!」

カウンターの奥から顔を出した彼女が大きく手を振る。スクバに突っ込んでいた醤油を取り出し手渡せば「助かった!」とお礼を言われた。

「なんか作ってるの?」
「焼きうどん!仕事始まる前に食べようと思ってさ〜ナマエも食べる?」
「じゃあちょっともらう」
「オッケー!あっそこの紙袋に入ってる服ナマエにあげる!」

そばに置いてあったジーユーなファッション店の紙袋の中を覗いてみるとブラウスやらスカートやらキャミソールがこれでもかと詰め込まれていた。また通販で服のサイズ選びに失敗したな。

「ほぼ新品っぽい服ばかりなんだけど本当にいいの?」
「いいよいいよ!安物だし気にしないで!」
「アンタもいい加減学習しなよ。ってか痩せな!」
「はぁ?!ウチの場合は胸が大きいだけだし!」

終わりの見えない言い争いを右から左にムーディー流しつつ服を物色する。サイズ的に着られそうだし有難く頂戴しよう。あたしの服のほとんどは店のおねーさま方からのお下がりだ。

「じゃあもらうね、ありがとう」
「ここがウチの店よ、ほんと助かったわぁ」

カララン、と軽い音が鳴り母が帰って来たことが分かる。しかし振り返ってみて息が止まった。どうして、なんで、同じクラスの二子一揮がいんの。

「どこに運べばいいですか?」
「とりあえずそこのテーブルに置いてもらっていい?」
「ママおかえりー随分と若い子引っ掛けてきたじゃん」

まだこちらの存在に気付いていないようだったので忍者の如く足音立てずに素早くカウンター裏へと移動した。

「なに言ってんの!実は帰り掛けに割る用の炭酸が切れてたこと思い出して買ってきたんだけど途中で袋が破けちゃって……その時彼が助けてくれたのよ」
「恩人じゃん!」
「それほどでも」

カウンターの中からこっそりと様子を伺えば机の上には破けたビニール袋と丸みを帯びたペットボトルが五本並べられていた。

「本当にありがとう。お礼にジュースでも飲んで行かない?」
「いえ、そこまでのコトはしていませんので」
「ってかその制服って忘学のじゃない?」
「あらほんと!娘のこと分かるかしら、ナマエって言うんだけど」
「ナマエ……」
「焼きうどんできたよー!ってアンタ何やってんの?」
「えっ?!」

焼きうどんを乗せた大皿を手に現れた彼女が不思議な顔してこちらを見下ろしていた。そしたらもちろん店内の人らにもあたしの存在はバレるわけで。もう出ていくしかなくなった。

「……どーも」
「こんにちは。ここ、ミョウジさんのお家だったんですね」
「知り合いなん?」
「同じクラスの人」

マジで知られたくなかった。これに関しては二子だからというわけではない。小学生のときにクラスの子に知られて「夜の店の子にはお母さんが関わるなって」だとか「お前の母ちゃんみたいなスカートにしてやるよ!」と言われスカートをハサミで切られたこともあった。それからあたしは外では家のことを言わないようにしている。

「へぇ〜二子くんはサッカー部なんだ!今日は部活休みなの?」
「はい。先週末が試合だったので今日はオフ日なんです」
「せっかくだから二子くんも焼きうどん食べてきなよ!」
「ではお言葉に甘えて頂きます」
「二子くんはオレンジジュースとリンゴジュースどっちがいい?」
「リンゴジュース頂きます」

にも関わらず、まさか同じクラスの人にこんな形で知られるなんて。っていうかなんで馴染んでんの?みんなと大皿囲んで焼きうどん食ってんじゃないよ。





梅雨に入り息の詰まるような空模様がここ最近続いている。今朝も雨が降ってたからレインコートを着用して自転車を漕いだ。おかげさまで靴下は今もまだ少し湿っている。
放課後になり雨足は弱まったもののまだすっきりとしない。でもあと少しすれば雨も止みそうである。今日はお店の定休日でもあるし乾ききっていないレインコートに再度腕を通すのも嫌だったので図書室で時間を潰すことにした。

「雨上がった?」
「んーたぶん止んでるっぽい」

一時間半ほど経った頃だろうか。課題の消化も終わり適当に本を読んでいれば隣の席からそんな会話が聞こえてきた。彼女たちもまたあたしと同じく雨が止むのを待っていたらしい。窓の外を見れば確かに分厚かった雲の隙間から光が漏れていた。
あたしもそろそろ帰るか、と思い読んでいた本を雑誌棚へと戻す。意外とサッカーのスゴイ話を読むの面白かったな。

「雨続きで室内練ばっか!マジだるいわぁ」
「だよなぁ。だからかサッカー部は早めに練習切り上げるらしいぜ」
「マジかよ!」
「マジマジ。ほんと羨ましいよなぁ」

昇降口に向け一人廊下を突き進んでいれば先の渡り廊下で屯している集団を見つけた。グラウンドを使う運動部が雨天のためここで練習していたのだろう。そしてサボっているというわけだ。

「あっそういやさウチの学年にパパ活やってる女子がいるって噂知ってる?」
「はぁ?なんだよそれ」

渡り廊下では案外声が響くということをご存知ないのだろうか。コンクリートに声が反響するんだよ。しかしそんなことなど気にもせずに彼らは会話を続ける。遠回りにはなるけど道変えよっかな。

「夜中に派手な私服で繁華街歩いてたりとかおっさんとブランドショップで買い物してたとか、そんな話があるワケよ」
「まぁ確かにパパ活かも?つーか誰だよ」
「隣のクラスで体育祭でリレーもやってた子だよ!確かー……ミョウジとか言うんだったかな」

進行方向を変えたと同時に足が止まる。しかし次の瞬間には反射で柱の陰に隠れていた。

「あーわかったかも。あの人なんとなく目立つよな、ちょっと分かるわ」
「だろ?バイトやってるらしいんだケドどこの店かは頑なに言わねぇみてぇだしさ」
「ふぅん。そうゆうのって一回でいくらくらい稼げんだろ」
「一万とかかな?いーなー俺も女だったらおっさんに媚びて小遣いもらいたかったわ」

反響した笑い声を背中で受けながら道を引き返す。
なにがパパ活だ。Web漫画の広告の見過ぎだっての。頂き物の派手な服を着てて何が悪い。繁華街の中に家があるんだからあたしにとってあそこは生活県内なんだよ。それとブランドショップに一緒にいたのは店の常連さんだし。ずっとショーウインドー眺めてて店員さんに不審がられてたからあたしから声掛けて、聞けば今年成人する娘さんに何あげたらいいか分からないっていうから相談乗ってたんだよ。

本当に男はろくでもない生き物だ。それは母を妊娠させておいて蒸発した男を知っているからなおのことそう思う。全員が全員そうだとは思わないが少なくとも人を見た目の印象だけで判断する男は嫌いだ。あたしが地方知事にでもなった暁には野良猫の去勢手術支援と共にそれを人間の雄にも適応できるような条例を立ててやろう。目指せ女性社会。

「危ない!!」
「え?——ぶっ?!」

あまりにも非現実的であり道徳観や論理観に欠けたことを考えていたからだろうか。
あたしの目を覚ますようにサッカーボールが顔面にぶつかった。



朝から雨が降っていたから遅刻しないようにといつもより十五分早く家を出て、それで丸一日湿った靴下で授業を受けて。今日は店も休みだから家でのんびり撮り溜めたドラマでも見ようと思ったけど早く帰るのも叶わずに。挙句、クソみたいな自分の噂話を耳にしてサッカーボールを顔面に食らうなんてね。こんな日にはつい大きな声であのセリフを言いたくなっちゃうよね——なんて日だ!!

「「本当に、すみませんでした!!」」
「いえ、よそ見してたあたしも悪いので……もう本当に大丈夫です」

小さい峠すらも乗り越えこちらとしては大峠のどん底で叫びたい気持ちである。しかしこちらの不注意であったこともまた事実。あたしが通ろうとした渡り廊下ではサッカー部員が居残り練をしており誰も来ないだろうとドリブルやパス練をしていたところに足を踏み入れてしまったのだ。

「捻挫も癖になるものだししっかりと診てもらった方がいいだろう」

そして事態は思いのほか大事になってしまった。顔にぶつかったボールはその瞬間こそ痛かったがそこまで強く蹴られたものでもなく、寧ろバランスを崩した際に段差で足を挫きそれが猛烈に痛かった。保健室の先生にも処置をしてもらったがサッカー部の顧問まで出てきてしまい病院にも連れて行くと言い出してしまった。

「かなり腫れてますけど見た目ほど痛くはないので大丈夫です。それに帰宅部なので大会や練習とかもないですし」
「本当に大丈夫か?」
「はい」

正直めちゃくちゃ痛いけど家に連絡されて親に心配かけたくない。何より先ほどから頭を下げ続けている二名の部員が些か可哀そうになってきた。きっとこの後、顧問の先生に怒られることになるだろうし。
だからあたしは精一杯の強がりで平然と立ち上がり、逃げるようにして保健室を後にした。

「あー……痛い、マジで痛い」

しかし駐輪場に辿り着いた瞬間に音を上げた。捻挫ってこんなに痛いものなんだ。正直舐めてたわ。一先ず雨も止み空模様が安定していることは良しとしてここから三十分自転車を漕いで家まで辿り着けるだろうか。運賃をケチらず電車を使うという手もあるが結局駅までは歩かなければいけないのでそれはそれでキツイ。

「ミョウジさん」
「うわっ?!」

覚悟を決めて自転車に鍵を差し込んだところで後ろからぬっと現れた人物が一人。そこには顔のない男、ではなく重すぎる前髪で顔の半分が隠れた二子がいた。

「びっくりした!音もなく背後に立たないでよ!」
「さっきから声掛けてました」
「えっそうなの?ごめん。で、どうかしたの?」
「足、かなり痛そうですね」

二子の頭が僅かに傾きあたしの足に視線を落としたことが窺えた。靴下を脱いで湿布と包帯が巻かれた右足首はさぞ痛々しく見えただろう。

「ちょっとだけね」
「ウチの部員がすみませんでした」
「そのこと知ってるんだ。でもなんで二子が謝るの?」
「居残り練してた二人は一年だったんです。僕が上がる直前にもかなり強めにパスを出し合っていたので注意すべきだったかと思いまして」

なんか二子と話してると調子が狂う。それと同時に自分という人間がとても惨めに思えてきて、あたしは自称気味に笑った。

「あたしの不注意でもあったから仕方がないよ。ある意味、自業自得」

良からぬことを考えていたから罰が当たったのだ。今日はもう帰ろう。それで早く寝よう。明日はきっといい日になるさ。

「今から帰るんですよね?僕が送ります」
「は?」
「この前、焼うどんご馳走になりましたしそのお礼も兼ねて送ります」
「でもそれはお母さんの荷物を運んでくれたお礼だったじゃん」
「それにしてはもてなしてもらいすぎました」

二子はあたしの返事を待たずしてハンドルに手を掛け自転車を通路の方へと移動させた。かと思えばそのまますたすたと駐輪場の出口へと歩きだしてしまう。

「あとその時にミョウジさんのお母さんに言われたんです。『あの子は意地っ張りで見栄を張ることが多いからよく見ててあげて』と」

なにその両親との顔合わせの時に娘の婿に言うようなセリフは。お母さんも多感な男子高校生に滅多なことを言わないでほしい。といっても二子はあの場にいた誰よりも精神年齢は一番高そうではあったが。

「お母さんの言葉なんて気にしなくていいよ。それに二子が帰るの遅くなるよ」
「僕の家もあの辺りですよ。普段は電車通学してます。あれ、言ってませんでしたっけ?」
「初耳だけど」
「そうでしたか。だからミョウジさんを送るコトで僕の帰りがものすごく遅くなるコトはないです」

駐輪場を出てもう校門の外にまで来てしまった。そして二子はこちらを振り返って「僕がこの自転車に乗っていいなら後ろにミョウジさんを乗せて走ります」と言ってくれた。なんでそうゆうことを照れもせず言えるのだろうか。もしや彼女いたことある?いや、ないな。と〇.三秒で結論を出す。

「……じゃあ、お願いします」
「はい」
「最初に言っとくけど軽くはないからね」
「女性であれど人ひとり分になるのだからそれなりにあるでしょう」
「その言い方なんか引っかかるな」
「すみません、どう答えたらいいのか分からなかったので。ただ、これでもサッカー部で鍛えてはいるので乗せて漕ぐ分には問題ないかと思います」

非常にわかりづらいが気を使ってもらっていることくらいは分かる。だからそれ以上は何も言わずに荷台へと跨った。そうすれば二子は脚に力を入れてペダルを踏む。始めのうちはふらついたもののすぐに安定して風を感じられるほどの速度で走り出した。



「二子ってさ、変わってるって言われない?」

数分ほど走り、なんとなく無言のままいるのが気まずくて会話を振ってみる。
二子は前を向いたまま一定の速度で危なげなく自転車を漕ぎ続けたまま、一拍おいてその質問に答えた。

「変わってるのかは分かりませんが中学の時にいじめにあっていたので世間一般から見たら変わっている$l間だったかもしれませんね」
「え、あっ……ごめん」
「別に僕は気にしていませんよ」

まぁある意味想像通りというか、やっぱりそうだったんだなぁとか失礼に思ってしまった自分はいた。でも二子は本当に何でもないようにそう話す。もしかしたらその顔はひどく歪んでいるかもしれないし昔のことを思い出して胸を痛めているのかもしれない。でも二子は怒らないだろうという確信はあったからあたしはその優しさに甘えてさらに踏み込んだ。

「二子はさ、周りからの視線とか評価とか気にならないの?」
「気にならないですね」

今回は即答でそう断言して見せた。

「自分のやりたいコトをしているだけで毎日が楽しくて幸せなんです。それが僕の全てなので他人はどうでもいいです」
「……なんかいいね、そうゆう考え」
「? ありがとうございます」

ここ最近、二子のことが気になっていた理由が自分の中で少しわかった気がする。あたしはたぶん二子に憧れてたんだ。ちゃんと自分を持っていて己の体裁よりも自分の意見を尊重できるそんな彼が羨ましかったのだ。

「あたしって、ほんとバカ」

目の前の深緑のブレザーにもたれ掛かるようにしておでこをぶつける。小学生の頃にあったいじめ紛いなことももう気にしてないし、パパ活をやっているなどとあたしのことを良く知らない人間に言われていることもどうでもいい。ただ、その場で怒ることもできなかった自分に漠然と腹が立つ。お店のことは恥でもないし女手一つで育ててくれているお母さんのことは尊敬している。それなのにあたしは逃げた。

「あの、」
「うわっ?!」

キキッ、という甲高いブレーキ音と共に自転車が急停止させられる。一度めり込んだ顔を上げると先の信号は赤だった。それからこちらを振り返った二子と目が合った。重たい前髪の隙間からはまんまるな大きな瞳が覗いている。

「今のセリフもう一度言ってもらっていいですか?」
「…………は?」

二子ってもしかして髪上げたら結構可愛い顔してるんじゃない?なんて考えていたらよくわからないお願いが飛んできた。

「今のセリフもう一度言ってください」

いや聞こえなかったから、は?って言ったわけじゃないんだけど。その意図はなんなのさ。あと初めは可愛いと思ったけどなんか目がギラギラしてきて怖い。

「え、なんかやだ。ってかなんで?」
「僕が好きなアニメでそのセリフがあるんです。アニメ八話目のサブタイトルにして僕の心を抉ったセリフなのですがそのシーンがまさに今脳内に流れ込んできました。そのセリフというのは想い人の幸せを願って魔法少女になった彼女が自分自身の希望を断ち切られ徐々に精神的にも荒廃してゆき大切な親友をも傷つけてしまったと自嘲しながらに呟いたもので…——」

お、おお……急にオタク出してくるじゃん。よくもまぁ噛まずにすらすらとそんなセリフを口にできるな。こちらの脳内処理が追いつく前に次のことを話されるからまったくもって理解が追いつかない。

「じゃあ帰ったらそのアニメ見なよ。ほら信号変わったよ」
「そのシーンだけ見たとして、結局全話見返したくなるものなんですよね。今期のアニメもまだ追い切れていないですし原作厨の母親にマウントを取られ始めたのでそっちの履修も始め」
「早く進め!」
「分かりましたよ」

なんかもう、色々考えたり悲観するのも馬鹿らしくなってきた。
嫌がらせのつもりで荷台に指をひっかけ身体を後ろへ仰け反る。案の定、御者からは「バランスとりづらいので重心傾けないでください」と小言が飛んでくる。その言葉を無視して見上げた空はどこまでも遠く青く澄んでいた。おまけに七色の虹までかかっている。それを教えてあげれば「まるで新海作品の作画ですね」という独特な返しをしてきた。リアクションに困るからやめてほしい。

今日は朝からツイてなくて最悪で。イラついたし自分に情けなくなったりして。顔面にボールを食らうという醜態をさらし足は痛いしマジで散々だった。しかもどういうわけか二子に二ケツしてもらって帰ることになるなんて。なんだこれアオハルかよ。

ああ、ほんとうに。なんて日だ。