友達やめてもいいですか?

高校の時に作ったグループチャットは今でも年に数回稼働する。年始のあけおめ挨拶は定例行事と化しているがその他にも[次の週末地元帰るんだけど夜集まれるやつおる?]みたいな飲みの誘いみたいのも偶に打ち込まれたりする。現に今通知を告げたのがその類だ。

「来週か……」

髪を乾かしていたドライヤーの電源を切り手帳を引っ張り出す。スマホがいくら便利になろうとも私は紙の手帳に予定を記入するタイプだ。そして今月のページをめくり来週末の予定を確認すればそこは見事に空白。

東京から地元茨城までは電車で二時間ちょっとだしまぁ行けなくもない。久しぶりに実家の愛犬にも会いたいしチャットの様子を見る限り今回の飲みはそれなりに人も集まりそう。

[私も行く!]

簡潔な文と共にダッシュする犬のスタンプを送信する。するとすぐに[ミョウジも参加な!了解!]と返ってきた。
私は手帳に添えられたペンで真っ白だった空間に『帰省 飲み会』と書き込んだ。あとでお母さんにも帰ること伝えておかないと。
久しぶりに旧友たちと会える楽しみと共に手帳を閉じた。





場所は元クラスメイトの実家が経営しているいつもの居酒屋だった。そのクラスメイトは本日不在であるがその子のお父さんにも面識があるため今回も破格の値段でコース料理を振る舞ってくれた。

「ナマエは今東京だっけ?」
「そうそう。東京の大学行ってそのままあっちで就職した」
「都会いいなぁ!よっシティガール!」
「その呼び方ダサすぎる」

集まったのは私入れて六人——男三人の女三人。傍から見れば合コンのような組み合わせだが生憎、私たちの間には恋愛のれ≠フ字もない。昔のように中身のない会話をして笑ったり、ふざけたりする。少しだけ大人になった今となっては仕事の話題なんかも増えたけど根本は変わっていなかった。

「はい、皆さまご注目〜!」

飲み会が始まって一時間ほど経った頃、本日の幹事役が手を打って立ち上がった。その声に皆は一度おしゃべりと箸を止め、私も手元のグラスを飲み切って静かにそれをテーブルに置いた。

「どうしたんだよ急に。一発芸でもしてくれんの?」
「しねぇよ!そうじゃなくって今日はスペシャルゲストが来てくれてるからさ」
「スペシャルゲストぉ?」
「ハードル上げすぎでしょ」

ヤジを飛ばされつつも幹事は楽しそうにニコニコ笑っている。
この時は私も他の皆と同様に大した期待はしていなかった。

「あーうるせぇうるせぇ!じゃあ紹介するぞ、今や世界的サッカープレイヤーその名も……七星虹郎選手です!」
「ど、どーもー……」

幹事の掛け声とは裏腹に控えめに出てきた黒髪の青年。お気に入りのヘアバンドは外されてセンター分けの髪の隙間からは大きな瞳が覗く。私たちと同じだけ年を取っているはずなのにその顔は高校時代を何も変わっていないように思えた。でも間違いなく、同世代で一番出世した人物であった。

「えっ七星じゃん!」
「マジか!お前今フランスにいるんじゃねぇのかよ?!」
「オフシーズンでこっち戻って来てんだ」
「昨日、七星から遅くなるかもだけど俺も行きたいって連絡あったんだよ」
「もー変なフリで紹介するなっぺ!じょわじょわしたぁ」
「ははっその訛り相変わらずだな!」

七星虹郎は高校の時のクラスメイトだった。
そして当時、私がほんのわずかに恋心を抱いていた相手である。



私の地元は世間一般的に見て「田舎」と呼ばれるような場所だった。バスは一時間に一本あればいい方で終電も二十二時にはなくなる。近所におしゃれなカフェもなければコンビニすらなくて、台風に見舞われれば簡単に陸の孤島と化す。

家までの道の街灯も少なくて近くの林からはガサガサと虫なのか獣なのか分からない気配が絶えずあった——だからこそ背後に感じた気配に対し当時高校一年の私は躊躇いなくスクールバッグをぶん回した。

「せいっ!!」
「えっ、あ、ちょっ……イッ?!」
「あれ?七星?!」

スクバは見事クリーンヒット。しかしその相手は獣でもなければ虫でも不審者でもない、同じクラスの七星虹郎だった。
彼はバッグが当たったであろう脛を抑えながら地面に蹲る。慌てて駆け寄り、大丈夫?とごめん!を繰り返す私に涙に濡れた瞳を向け自嘲気味に微笑んだ。

「いや〜いいスイングだったっぺ」
「本っっ当にごめん!猿とかイノシシかと思って……」

ちょうど昨日、近所の農家さんが害獣の被害にあったと聞いたのだ。厳しい冬を終え春を迎えた今は山の動物も人里へと降りて来る。農作物を食い荒らす彼らが人に危害を加えることも少なくなく親からも気を付けるようにと言われていた。

「用心に越したことはないから良い心がけだべ」
「でもちゃんと確認しなかった私が悪いよ。あの、うちこの近くなんだけど寄ってく?」
「え、ミョウジさん家もこの近くだべ?」

生まれも育ちもこの辺りではあるが前に住んでいた家が土地開発の関係で引越しを余儀なくされ最近こちらに越してきたのだ。私の高校進学と重なるタイミングだったからある意味ちょうどよかった。
話を聞けば七星の家はうちから五百メートルほど先にあるとのことだった。

それからは家が同じ方向ということもあり互いの部活終わりの時間が被れば一緒に帰ることが増えた。といっても待ち合わせをするわけでもなく七星が私の姿を見つけて声を掛けてくれたり、逆に私が七星の背中を追いかけて肩を叩いたりってかんじ。今思えばこの時間はかなり楽しかった。



「やっぱこっちの空はキレイだっぺなぁ」

そして数年ぶりに顔を合わせた飲み会後の今日も私たちは当たり前のように一緒に帰った。
もうとっくに終電なんてない時間で家までの約四十分の道のりをあの日と同じように並んで歩く。

「だよね。夕方にコタローの散歩に行ったんだけど夕日もめっちゃキレイで感動した」
「ミョウジさん家の柴犬だっぺ!うわぁ懐かしぃ〜今も元気にしてっとか」
「うん。すっかりおじいちゃん犬だけど朝夕の散歩は欠かさないしご飯もいっぱい食べてるんだって」
「ならもっと長生きしてもらわねぇと」

そういえば学校帰りだけじゃなくて朝にコタローの散歩をしているときに会うこともあった。七星は毎朝、家の周りをジョギングしていて私が散歩当番の日はよく顔を合わせた。七星はどうも動物に好かれやすいのか警戒心の強いうちの犬ともすぐに仲良くなってめいっぱい可愛がってくれたのを覚えている。

「七星の家も変わりない?」
「なぁんも変わりねぇっぺよ。父ちゃんも母ちゃんも相変わらずで……あっでもうちに俺のグッズ飾る祭壇?みたいの作られてたのは恥ずかしかったべ」
「そりゃあ今や世界的サッカープレイヤーだからね。それにわざわざ海外のサイトから購入してくれるなんていいご家族じゃん」
「それがアイツからもらったみたいで。ほらミョウジさんも会ったコトあっぺ、俺の幼馴染の——」
「ああ、あの子ね」



七星の幼馴染である彼女と初めて会ったのは高一の夏だった。夏休みも朝から夕方まで部活があって、それはもちろんサッカー部にも言えること。だから休み期間中も七星と帰る時間が重なることがあり一緒に帰っていた。

「サッカー部は来週試合だっけ?」
「そうだっぺ。いやぁ〜じょわじょわすっぺ!」

十七時を過ぎた今もまだ空は明るくてその青と木々の緑のコントラストの下を並んで歩く。近くの林からは絶えず蝉の鳴き声が聞こえるがそのうるささにも慣れっこだった。

「七星もベンチ入りしてるんだよね?よっ零院防高校 期待のストライカー!」
「そんなおだてねぇでよ。試合に出れるかはまだ……」
「虹郎ー!」
「うぉっ?!」

後ろから小走りで駆けてきて七星の肩を組むように飛びついてきた女の子。その呼び方と様子からただの友達なんかじゃないと確信した。

「あーもー!いづも驚がせるなっつってっぺ?」
「もう慣れたでしょ。っていうか私くらい受け止められないんじゃ次の試合でも活躍できないんじゃない?」
「なんで俺が試合に出るコト知ってんだ?」
「おばさんに聞いたに決まってんじゃん!——あっごめん、もしかして虹郎の彼女さん?」

完全に気配を消していた私に彼女の目が向けられる。しかし私が答えるよりも早く「この子は友達のミョウジさん」と七星が紹介してくれた。私が小さく頭を下げれば彼女はにこりと笑い、七星とは小さい頃からの付き合いなのだと話してくれた——所謂、幼馴染だ。

「ぽけぇ〜としてそうで虹郎は意外とスポーツできるんですよね、まぁサッカーだけなんですけど」
「それしか取り柄がねえみだいに言うな!」
「国語とか数学の成績は大抵一か二でしょ。それにしても虹郎も隅にはおけないね」
「は……はぁ?」
「まぁいいや、私は先帰る。じゃあ今後も虹郎のことよろしくね!」
「あ、うん」

なにを勘違いしたのかは分からないがそう言い残して彼女は去っていった。
嵐は去っていったのにどうにも胸にもやもやとした感情が残る。隣にいた七星は「まったくもぉ」と言いながら肩に掛けたエナメルバッグを掛け直した。

「すごく元気な子だったね」
「昔からああなんだよなぁ。小せえごろがらななんも変わってねえ」
「仲がよさそうだったからてっきり彼女さんかと思っちゃった」

思わず刺っぽい言い方になり慌てて隣を向く。しかし七星は時に気にする様子もなく額の汗が飛ぶほどに顔を左右にブンブンと振っていた。

「ないない!毎年バレンタインにはチョコもらうけどアイツとはそーゆー関係じゃねぇ。それに俺恋愛とかよく分からないし……そういや中二の時に告白された時もびっくりしたなぁ」
「告白、されたことあるんだ」

胸の内のもやが大きくなる感覚。今まで気にもならなかった蝉の鳴き声がやたらと耳についてうるさい。その雑音を脳内から追い出せた頃には私の中に芽生えたつぼみはすでに米粒並みにしぼんでいた。

「その子とは仲良かったけどビックリして断っちまっただ。男女の友情はねぇのかなぁ」

七星は恋愛に興味がない。というか恋愛そのもの、Like∴ネ外の「好き」の感情を知らないのだ。そんな相手に自分の気持ちを伝えたとて理解はしてもらえないだろう。そして互いに気まずくなれば今の関係性は確実になくなる。ならば私はこれからどう行動をするべきなのか。

「なに言ってんの」
「あいたっ」

項垂れた七星の背中を叩く。そして私は自信満々に、己に啖呵を切るような気持ちではっきりと言ってやった。

「さっきあの子にも言ってたけど私と七星は友達だよ?男女の友情成立してんじゃん」
「おお!確かに!」

蕾が花咲く前に気づけてよかった。そのおかげで心の傷は最小限に抑えることができたのだ。



「あっうち見えた」

あっという間の四十分の帰路。いや、ゆっくり歩いていたから一時間以上はかかっていたかも。でも疲れは一切感じなかった。それは同時に会話が一度も途切れなかったことを意味する。

「もうここまで来てだが」
「お陰様で楽しかったよ」
「こちらこそだべ」

空の上では店を出た時よりも強く星が輝いているように感じる。今日の思い出にその輝きを目に焼き付けたいのにどうにも物淋しくなって視線は徐々に下がっていく。しかし私が完全に下を向く前に横から小さな笑いが聞こえてきた。

「なに?」
「いや、ミョウジさんとまたこんな風に一緒に帰れんのが嬉しくて」

満天の星空の下で頬をかきながらそんなことを言う。

「なんなの急に」
「だって再会したときミョウジさんうんと綺麗になってだがらさ。でも中身は昔のまんまで安心したんだ」

天然のたらしか。自覚がないと言うのは本当に恐ろしい。でもこういうところが七星のいいところである。嘘がつけなくて素直でストレート——そういうところが好きだった。

「えらく褒めてくれるじゃん。さてはフランスに行って口説き文句を習得してきたな」
「はぁ?!俺はそんなんじゃ……」
「七星のくせに〜」
「あー!頬っぺたぐりぐりすんなっぺ!」

先ほど自分で頬をかいていたところに人差し指を押し当てる。

「友達からの制裁」
「もー!」

七星とは付き合っているわけでもないしもう恋愛的な意味で好きではない。今の私たちは友達だからこそこの距離感が許されているのだ。





星がキレイで静穏な地元からビルの明かりと雑踏に包まれた東京へと戻ってきた。次に帰るのはおそらくお盆休みだ。それまではきっと学生時代の友人とも顔を合わせることはないだろう。

[ミョウジさん、助けてください!]

しかしそんな私の想像とは裏腹に先日の飲み会から三日も経たないうちに同級生からメッセージが飛んできた。しかもその相手は七星。しばらくは日本にいると言っていたがまさか向こうから連絡があるとは。そしてどうやら緊急事態っぽい。私は急いでスマホにメッセージを打ち込んだ。

「あっいた!七星、こっちこっち!」
「ミョウジさん!よ、よかったぁ〜」

平日の十八時半すぎの東京駅は家へと帰宅する人間でごった返している。その人混みを避けるように改札口の柱にへばりついていた七星の下へ小走りで駆け寄った。七星はつば付きの帽子と不織布の白マスクを着けていた。

「ごめんね、営業先から来たから遅くなっちゃった」
「全然大丈夫だっぺ!寧ろこだとごろでまで来てもらって本っっ当すまねぇ!」

七星からきたSOSは「東京駅で迷った」という内容だった。私も上京したての頃はそれはもうこの迷宮ダンジョンに散々振り回されたのでその気持ちはよくわかる。だから七星には極力動かないようにしてもらって私が七星のいる場所まで赴いた。

「今日の仕事は終わってたし問題ないよ。この時間は特に人も多いし七星も大変だったね」
「もう構内図見でもわがんねえし駅員さんは捕まんねえし周りの人は歩ぐの早ぐで本当に心細ぐで……」
「東京駅は特に複雑だからね。その中でこの改札口まで出てこれた七星はすごいよ、頑張ったね」
「ううっそれ以上優しくしねえでぐれ。本当に泣ぎそうだ」

帽子とマスクの間にある瞳が涙で滲む。同じ年で七星の方が背が高いというのにどうにも小さな子どもに接している感覚になる。
七星が落ち着いたところで彼がどこに行きたいのか改めて聞いた。

「このウィークリーマンションに行きたいんす」

どうやら今日までは実家で過ごしていたらしい。しかしオフシーズンと言えどもトレーニング、また取材なんかの仕事もあるわけで利便性のいい東京に一時的に住むことにしたんだとか。そんなことをスマホで地図を見せてくれている七星から教えてもらった。

「なるほど」
「東京駅からだどまずは大手町駅さえ行くみでえなんだげどその駅がどこか分からんくて」
「えーっとここだと千代田線を使うことになるから……こっちから行こうか」
「了解っす!」

大きな荷物は先に送ったらしく七星は黒のリュック一つを背負っていた。その判断は実に英断であったと思う。
なるべく人に流されないよう通路の端に沿って歩いていく。偶に後ろを振り返りながら七星が付いてきていることを確認した。

「ミョウジさんはスゲェなぁ」
「まぁこれでも数年は東京に住んでるしね」
「そうでねぐで仕事のできる女性って感じでかっこいいべ」

七星を見れば非常にキラキラとした目で私の服を見ていた。なるほど、パンツスーツの女性=しごできの印象があるらしい。でもそう見えていたらこちらとしても嬉しい限りである。営業先で舐められないようにと少しでも大人っぽく見えるよう服や化粧には気を使っているので。

「ありがとう」
「そんな高え靴も履いで足痛くなんねえの?」
「五センチヒールの靴だし大丈夫だよ」
「ほぇ〜」

通路が狭くなるにつれ自然と人が密集し始める。私は人の隙間を縫うにも慣れているがやはり七星にとっては未知の海域だったらしい。十数秒目を話した途端、数メートルほど後ろに流されていた。

「わわっミョウジさん!」
「七星!」

幸い七星は背が高い方。だからなんとか見失わずにすみ、人ごみに溺れかけていた七星の手を掴み引っ張り上げた。

「ひぇ〜また迷子になるとこだったっぺ」
「ごめん、私がちゃんと見てなかったから」
「ミョウジさんが謝るコトじゃねぇべ!俺がとろいから悪いんだ」
「そんなことないよ。私も普段はこの路線使わないから舐めてたよ。でも時間的にさっきよりも人は落ち着いてくるはず」

十九時を過ぎれば最大の帰宅ピークを過ぎるので少しはマシになると信じたい。私は引っ張り上げた時のままであった七星の手を握り返した。

「えっミョウジさん?!」
「今度は絶対に逸れないようにするから安心して着いてきて」
「で、でででも手が……!」
「今の私の気持ちとしてはコタローのリードを握っている感覚」
「つまり俺は犬ってコト?!」

大型犬のリードは離さぬようしっかりと握りしめ再び人ごみの中へと突入する。
階段を下って歩いて、それでまた上ってひたすらに歩いていく。そうしてようやっと目的の改札口が見えたところで握りしめていたリードを緩めることができた。

「着いたよ七星」
「ほんとだべか?」
「うん、お疲れ様でした」

改札を抜けてもまだホームまでの距離はあるが一本道だし迷うことはないだろう。

「よかったっぺ〜!」
「次に来る電車に乗ればマンション最寄りの駅に辿り着けるから」
「この恩は一生忘れねぇべ!」
「あははっ友達なんだから気にしないでよ」

そう笑えば一瞬、七星の瞳が揺らいだ。しかしそれは彼自身が帽子のつばに手を掛けたことですぐに隠された。

「じゃあ俺はそろそろ行くべ。今度ちゃあんとお礼させてな」
「そんな気にしなくていいよ。じゃあ気をつけてね」

しかし次の瞬間にはいつも通りの七星だった。マスクも付けてたし私の見間違えかな。
リュックは前に抱えて持った方がいいよーという私のアドバイスを最後に添えれば七星は大きく頷いて人混みの中へと消えていった。





デスクの上で充電したスマホが通知を告げる。それは仕事用のスマホではなかったけれどもう定時後だしいいだろうと判断し迷わず手に取った。すると予想通りの相手からメッセージが届いていた。

「最近なんか楽しそうじゃない?」
「えっ?!」

自然と頬が緩んでいたのだろう。隣にいた同僚であり友人の彼女がにやにやとした笑みを浮かべていた。その顔には言わずとも「男できたの?」の文字が書かれている。

「そっちが想像しているようなことは起きてないよ」
「えーでも周りにお花飛んでたよ」
「違うから。ずっと疎遠になってた友達と最近連絡取り合うようになってそれが楽しいだけ」

七星とはあれからも連絡を取り続けていた。といってもその内容に大した中身はない。
東京駅のダンジョンクリアをしたその日に[マンションついた!ありがとう!]の連絡があり、それからは七星が[コタローに似てる!]と柴犬のイラストを送ってきたり彼が池袋にいると言えば私が[ここのラーメン屋美味しいよ]と返したりしていた。

「その友達って女?」
「……違うけど」
「やっぱりそうじゃん!えーどんな人?」
「おっよかった!みんないるじゃないか」

同僚からの尋問も外回りから戻ってきた上司の一言で中断される。その後ろには入社二年目の後輩もいた。そういえば大型商談の最後の詰めに今日は上司も同行すると言ってたっけ。

「みんな聞いてくれ、先期から進めていた◯×商事のソリューション案件がついに決まったぞ!」

その一言に私を含めた課の人間が盛大な拍手を送った。競合もいてかなり難航していたようだがうちに軍配が上がったらしい。相手は規模の大きい会社だし相当な粗利が期待できることだろう。

「ほら、お前からも一言」
「はい。この成果は僕だけの力ではなく相談に乗ってくださった皆さんのお陰でもあります。ありがとうございました!」
「それでも二年目でこれだけの成果はすごいことだぞ。この後、祝勝会を上げるつもりでいるが参加できるやついるか?」

つまりは飲み会か。周りの様子を見ているとほぼほぼ行く感じであった。帰っても家に食べるものはないし課だけの飲み会なら平和に終わることであろう。

「私も参加します」

自分のノートパソコンをシャットダウンし荷物をまとめて席を立った。



歓迎会シーズンでもない平日の居酒屋は予約なしでもすんなりと入れた。コースは二時間の飲み放題。そして今日は上司が奢ってくれるとのことで皆好きにメニューを注文することになった。

「これでうちの課の未来も安泰だな!」

乾杯をし食事が卓に回り出した頃、再び上司が彼のことを褒めた。私の真向かいに座る彼は「僕はまだまだです」と驕ることなく顔を左右に振る。するとふと彼と視線が交わった。

「実は今回の案件、ミョウジさんにも色々とご相談させて頂いてたんです」

皆の視線が私へと移る。確かに◯×商事の前任は私だったから引継ぎ含めて彼には色々とアドバイスはしたがそう名指しで褒められるほどの偉業は成し遂げていない。というか彼は本当に優秀で一のアドバイスで十を学び、過去の事例を見せてやればそれを応用して最適解を導き出せるような人なのだ。

「そんな私は全然…!」
「引継ぎ資料も丁寧でしたしあとは向こうの専務が高校野球好きなことも書いていてくれたので初めの話題に事欠きませんでした」
「そんなことも控えてるの?」
「いやいや、こういうのも大事だから…!」
「あとは洋菓子よりも和菓子が好きだから謝罪の菓子折りは餡子を使ったものを持って行った方がいいとか」
「過去の失態が生きてるな!」
「その話はもうやめてください!」

同僚や先輩方に笑われ顔から火が出そうだった。ただ自分の経験を彼が活かしてくれたのならそれはそれでいいことだ。私は顔の火照りを冷ますように手元のジャッキを一気に煽った。



「「「ご馳走様でした!」」」
「いいよいいよ、今日はお疲れさん。明日からも頼んだぞ」

飲み放題の時間が終わり上司にお礼を言って解散に。皆がバス停や駅に向かう中、私もさぁ帰るかと足を踏み出したところで本日の主役であった彼に声を掛けられた。

「ミョウジさんも駅に向かいますか?」
「うん」
「ならご一緒していいですか?」
「もちろん」

飲食店やカラオケ店の看板が照らす道を並んで歩く。店内はそこまで混んではいなかったが繁華街の歩道は自分たちと同じようなほろ酔いのスーツ姿の人で賑わっていた。

「改めてですけど本当にミョウジさんには感謝してるんです」

しばらくすると雑踏の中で意を決したように彼がそう言った。私はその発言に小さく笑い隣に並ぶ彼を見上げた。

「そんなに向こうの専務の野球好きが商談に影響したの?」
「いや、そうじゃなくって…!それとあの場もミョウジさんを揶揄う気なんてなかったんですから!」
「あははっ別に怒ってないよ」

皆の前で笑われたのでちょっとした仕返しである。でも本当に怒ってはない。七星然り、真っ直ぐで素直な子は思わずいじりたくなってしまうのだ。私の悪いクセである。

「それはよかったです。……あの、でも本当にミョウジさんには助けてもらってばかりなんです。入社したてでまだ人の名前と顔を覚えられていないときにそっと教えてくれたり、残業してたら缶コーヒーとチョコをくれたりとか。結構、精神面で救われてたんです」

そう頬を赤らめた彼に面食らう。まさか過去の自分の行いにここまで感謝される日が来ようとは。

「大したことしたつもりはないけどそう言ってもらえて嬉しいよ」
「毎月数字に追われる中でなかなかできたことじゃないですよ!それに——」

それからも彼は私のことを褒めちぎった。なんかここまでくると褒められすぎて怖くなってくる。見返りになんかせびられたりするのかな……いや、これは相当酔ってるな。口調はいつも通りだけど会話がふわふわしてるぞ。

今までも飲み会で一緒だったことはあるが彼の場合は自分のキャパを知った上で適切な量を飲んでいた印象がある。しかし今日は飲み会の主役で、また隣に上司が座っていたこともありつい飲みすぎてしまったのだろう。

「あとはぁ、朝一でミョウジさんの顔見ると今日も一日がんばろうって気になれてー……」
「ちょっとストップ!自販機で水買ってくるから待ってて!」

彼を大通りから一本入った道で待たせ、目に付いた自販機で水を買い秒で戻る。ただペットボトルの状態で渡しても不安だったため、キャップを取ってすぐ飲める状態で手渡した。

「とりあえずこれ飲もうか」
「すみません、ありがとぉございます」
「あっ溢れた!」

柔らかいペットボトルの素材のせいか彼が握った瞬間に水が溢れ出した。しかしそんなことは気にもせず水を飲むものだからスーツはどんどん色を濃くしていった。

「えぇ?」
「また溢れるから動かないで!」

見るに見かねてバッグから取り出したハンカチでシミを叩く。水だから汚れが残ることはないだろうがこれで風邪をひかれたりでもしたら困る。

「ミョウジさんって面倒見いいですよね」
「こんな盛大に溢されたら誰だって同じことするって!ティッシュもあるけど……」
「あの、」

ハンカチを持っていた手が不意に掴まれる。びっくりして顔を上げると思いのほか彼の顔が近くにあって驚いた。それにまたも驚いて後ずされば一歩距離を詰められる。背中に冷たい雑居ビルの壁が当たった。

「僕、実はずっとミョウジさんのことが気になってて」
「え……」
「職場上の関係もあるから今まで言い出せなかったんですけど僕はミョウジさんのことが——」
「おにーさん、大丈夫ですか?」

言葉と共に近づいてくる身体に困惑していれば彼の身体が唐突に仰け反った。その肩には大きな手が掛けられている。そこから視線を辿るように見上げると彼の後ろには黒髪をセンター分けにしたスーツ姿のイケメンが立っていた。

「なっ、は?」
「だいぶ酔ってるみたいっすね。目の前の女性怖がってるっすよ」
「あ……」

その一言で一気に酔いが覚めたのか彼の顔が青白くなった。そして私に深々と頭を下げて「すみません、今のは忘れてください!」とだけ言い残し猛ダッシュで立ち去っていった。あれだけ走れるのであればおそらく大丈夫であろう。それにしても仲裁に入ってくれたこの人は一体……

「ご迷惑掛けてすみません。助けて頂きありがとうございました」
「え?」

怖がってこそいなかったが困っていたのは事実。だからお礼を伝えたのだが今度は向こうが困惑する番だったらしい。大きな瞳をぱちくりさせて私を見つめる。……あれ、もしかして

「七星……?」
「そうだっぺ!急に他人行儀にならねぇでよ、びっくりしたぁ」
「うそでしょ?!」

七星ってこんなにかっこよかったっけ?!これぞ馬子にも衣装ってやつか。でもそれはきっとスーツを着てたからってわけじゃない。今の行動が私の胸を打ったのだ。

「うそじゃねぇべ!本物本物!」
「なんでスーツ?というかなんでこんな所にいるの?!」
「今日はサッカー協会のお偉いさん方と会食だったぺ。そこのホテルでやってその帰り」
「普通に歩いてて大丈夫なの?七星有名人じゃん」
「ちょうど夜風に当たりたかったし、それに試合中みてぇにバンダナ付けてとユニ着てなきゃ案外気付かれねぇもんだべ」

だがしかし、今の七星はサッカー選手というよりも別の面で目立っている。だって下手したら新人ホストに見えるんだもの。

「そうなんだ。それにしてもこんなところで会うなんて偶然だ……」
「にしても自分は危機感なさすぎだべ!」
「お、おお?」

いつものまん丸な目が吊り上がる。七星が怒るとこなんて初めて見た。それにこんなに風に声を荒げたところも。

「夜にこんな暗え脇道入ったら危ないべ!」
「私はただ会社の後輩を介抱しようとしただけで……」
「そんで襲われたら意味ねぇべ!」
「向こうは酔ってただけだし」
「ならなおさら危機感持たねぇでどうすんべ!男はオオカミだ!」

そう言う言葉も聞いたことはあるが生憎私はオオカミよりも猿やイノシシの方が怖かったりする。

「わかったよ、これからは気を付けるって。助けてくれてありがとね」

とはいえ目の前のワンコも中々に獰猛なので宥めるようにお礼を伝える。しかし私のことが未だに信用できないのか七星の眉は顰められたままだった。

「その返事の仕方、ちゃんと分かってんすか?」
「わかってるよ。これでも友達の助言は大切にしてるんだ」

脇道から見える大通りは眩しく夜を遊ぶ大人が行き交っている。しかしそろそろ皆、帰路に着くのか駅方面に向かう人が目立った。

「七星ももう帰る?駅に行くなら一緒に……」
「友達ってなんだべ」
「え?」

光の指す方へ足を伸ばそうとすれば引き留めるようにポツリと言葉が落とされる。再び踵を下ろし振り返れば七星が熱を帯びた目でこちらを見ていた。

「ミョウジさんから見て俺は友達としてしか見れない男だべか?」

わずかに胸の奥がうずく。そして脳内にフラッシュバックしたのは一緒に帰ったあの夏の日の光景だ。目に痛いくらいの青い空と緑の木々。その時のむせ返るような暑さと息苦しさを思い出しては妙にイラついた。

「七星が先に言ったじゃん、私たちは友達だって。男女間でも友情は成立するものなんでしょ?」

等間隔に植えられた街路樹くらいしかないこんな都会に蝉なんているわけないのに、鳴き声の幻聴までもが聞こえてくる。あの時の七星の言葉は私にとってはトラウマだったようだ。
それと同時に私が過去の気持ちを引きずっていることに気付いてしまった。

「そっすけど……でもその先を見たくなっちまったべ」
「は、」

詰まったような息が口から吐き出された。
七星の今から言おうとしている言葉を予想して、それが信じられなくて。

「だからもう、友達やめてもいいですか?」

今さらそれをそっちが言うのか。
先に友達の線引きをしてきたのは七星のくせに。だからこっちは失恋飲み込んで一生友達で付き合う覚悟をしたというのに。今になってそっちから友達をやめようだなんて自分勝手すぎ。可愛い顔してとんだエゴイストじゃん。

「……なんで?」

いじわるでわざと聞いた。だって嬉しかったけどまだ信じられなかったから。
でも本当は七星の口から聞きたかったんだ。友達の先の関係ってやつを。

「ミョウジさんのコトが好きだから。一人の女の子として付き合いたい」

嘘がつけなくて素直でストレート——やっぱり七星は変わっていない。どうやら私だけが無駄な駆け引きをするような大人になってしまったようだ。でもこのまま意地だけ張っていても仕方がない。だってここ最近また七星と連絡を取り合うようになって、しぼんでしまった蕾がもう無視できないくらいには膨らんでいたから。

「うん。これからは彼女としてよろしくお願いします」

数年越しに咲いたこの花をこれから大切に育てていきたいと思った。