その彼女の肩書きは

季節外れの転校生———

そんな漫画の主人公みたいな肩書きを、まさか自分が背負うことになるなんて思ってもみなかった。

父親の転勤が決まったと知らされたのは一月前。
それにより私は十数年過ごした街を離れることになった。
せめて高校卒業までは友達と一緒の学校で過ごしたかった。今住んでいるところと転校先では距離もあり、気軽に会いに行くこともできない。
私の卒業までは単身赴任という形で父だけでも行けないかと尋ねたが、母親もすでに仕事先を見つけていたためそれは叶わなかった。

大人はずるい。
ごめんねといいながら、私が反論できないように外堀を固め、“お願い”と言いつつ決定事項を突きつける。
本当は転勤の話も一年以上前には決まっていたのだろう。母親の準備の良さを考えれば間違いない。
兄弟もいなく、私一人が反対したところで丸め込まれて結局はその決定事項に従うしかないのだ。

渋々頷き、友達とお別れをして私は長年過ごしたその街をでた。

高校二年の秋———
私は稲荷崎高校へと転校をした。





転校初日———
大阪弁なのか兵庫弁なのか聞きなれない方言を耳にしながら職員室まで辿り着き、担任に連れられ教室に足を踏み入れた。

軽く皆の前で自己紹介をしSHRから一限目の授業に入り、二限目に入る僅かな休み時間に私はクラスの女の子に囲まれた。

「分らんことあったら何でも聞いてね」
「季節外れの転校も大変やな」
「名前、なんて呼べばええ?」
「いまどこら辺に住んでんねん?」
「部活は何やっとってん?」

次々と飛んでくる質問と彼女達の自己紹介に、一人一人顔を覚えながら受け答えをしていく。

季節外れの転校生が新しい学校に行くというのは、アヒルが白鳥の群れに放り込まれたくらいの生きづらさがあると思う。
高二半ばともなればクラスカーストなんて構築されているだろうし、ここでうっかり目立って目をつけられでもしたら私の残りの高校生活は終わりだ。
今まで意識して過ごしてきた訳でもないがこちらが他所者な以上、出過ぎた真似はせず自然とクラスに溶け込んでいきたい。

慣れない方言を耳にしながら授業を受けクラスメイトと話し、なんとか一日を終えた。
終業のHRを終えると皆それぞれ部活や帰るために教室を出て行った。

荷物をまとめ、一日の疲れに小さく溜息をつく。
クラスの女の子は少なくとも皆いい人達だった。そこまで我の強い人もいないし上手くやっていけそうである。明日からの私の振舞い次第だけど…

「大丈夫か?随分疲れとるみたいやけど」

席から立ち上がろうと椅子を引こうとした時、後ろから声をかけられた。
自分のこと?と思いつつゆっくりと振り返れば色素の薄い髪色に、綺麗な瞳の男子生徒と目が合った。
私の溜息がうざかったのかと一瞬気負いしたが、普通に心配して声を掛けてくれたらしい。

「人に当たって疲れちゃったみたいで…このクラスの子は元気があってみんないい人達だね」
「そうやろ。やかましいかもわからへんけどみんなええ人やで」

小さく笑ってみせたその人は、今初めて認識した後ろの席の子だった。
そういえば、今日一日私はクラスの女の子に囲まれていた訳で彼には随分と迷惑をかけてしまったのではないだろうか?
私の席は窓側の後ろから二番目。前と右隣は女の子だからよかったけど男子からしたら近くで女子が騒ぎ立てていてさぞ煩かったかもしれない。

「今日は席に居づらくなかった?煩かったよね、ごめん」
「何で自分が謝るん?煩かったのは周りの女子らやろ」
「まぁそうだけど…」
「そんなん一々謝らんといて。自分が悪いことしてへんのに謝るのはおかしいで」

確かに…でも謝ること自体は半分癖のようなものなので簡単に直せるものでもない。
というか、この人意外と言う人なんだな。ちょっと苦手かもしれない。

「うん、ありがとう」
「そこでお礼を言うのも変やな」

かと思えばまた彼は小さく笑った。笑い方は上品だ。それに馬鹿にした感じでもない。
どうやら怖い人ではないようだ。

「俺、このクラスの学級委員やから困ったことあれば声かけてな」

そういうと彼はスポーツバッグを肩にかけ私の横を通り過ぎる。
その背中に慌てて声をかければ、彼の綺麗な瞳とぴったりと視線が合う。

「あの、名前を教えてもらってもいい?」
「あぁそっか。北信介や。よろしゅうな」

ほな、と短く挨拶をして彼はスポーツバックを担ぎなおして教室を出て行った。

本日何人目かも分からない自己紹介。
その中でも北君が一番印象に残った。





転校して早一週間———

特に大きな問題も起こらず私は自然とクラスに馴染んでいった。
移動教室に行くとき、お昼を食べるとき、大体同じメンバーで過ごすようになり私の立場も落ち着いてきた。

ただ一つ、困ったことがある。

(数学が分からない……)

五限目数学の授業を終え、放課後になっても私は教科書を開いたまま机にかじりつくことになった。

「ねぇ本当に大丈夫?ノートも貸そか?」
「今日の宿題で使うでしょ?教科書貸してもらえただけでも充分だよ」

ただでさえ苦手な数学、それに加え稲荷崎では前の学校よりも内容が先行していた。その上、転校前に全て揃えたと思った教科書も業者のミスで数学だけ手元にないという始末。
先生には事情を伝え、授業中は隣の席の子に見せてもらっていた。が、それでも授業内容を理解できたわけではない。

「困ったら連絡して!ノートの写メも送るし」
「ありがとう」
「ほな私部活行くから」

彼女は自分の教科書を私に託し、足早に教室を出て行った。
すでに人も疎らになった教室、私は再び自分のノートと教科書に視線を落とし勉強を始めることにした。

数十分後———
教室の戸を開ける音に驚いて視線を上げると、そこには北君が立っていた。

「なんや、自分まだおったん?」
「少し勉強を……北君は忘れ物?」
「委員長会議出とって今終った。で、荷物取りに来た」

スクールバックは持って行ったものの、部活の物はかさばるからと教室に置いていたらしい。
彼は自分の席に向かう途中、私の手元をチラリと見た。

「数学分からへんの?」
「前の学校では習っていないとこで…それに苦手なんだ」
「せやったら先生に直接聞き行けばええ」
「もう少し自分でやってみようと思って。それに“何が分からないか”が分からないくらい行き詰まってて…」

私は乾いた声で笑う。しかし北君からの返答がなく、窺うように顔を上げると彼はまだじっと私の手元を見ていた。
すると繊細ながらもゴツゴツとした指が伸びてきて公式を一つ指差した。

「これ習ったん?」
「習ったはず…でも応用になったときの使い方がよく分からなくて……この応用の公式じゃなくて、こっちの式を使っちゃいけないのかなって」
「ちょい貸して」

北君は教科書を手に取って一読した後、私の前に戻して式の解説をしてくれた。
根本的な公式への当てはめ方すら曖昧だったが、それを紐解くように簡潔に北君が説明してくれた。
なるほど、答えへの導き方は未だ怪しいが公式の意味は理解できた気がする。

「そういうことなんだ!だからこの公式を使うのね」
「せや。なんや勝手に話してもうたが余計なお世話やったな」
「そんな事ないよ。すごく分かりやすかった」
「おおきに」

北君は本来の目的を思い出し、机の上にある荷物を手に持った。運動部なのだろうか、黒い大きなスポーツバックだ。

「時間取らせてごめんね」
「俺が勝手にやったことやから謝らんといて」
「あ、ええっと…じゃあ、ありがとう」
「どういたしまして」

謝り癖がどうにも直らない私に眉を顰めたものの、素直にお礼を言えば北君はやんわり笑った。

「部活頑張ってね」
「おう。帰り、あんまり遅ならへんようにな」

このクラスはいい人だらけだなと小さく笑って、私も荷物を持って教室を出た。
職員室にいた先生に色々と教えてもらい、これで中間テストもなんとか乗り切れそうである。

帰る頃にはすっかり日が暮れていて、それでも心地よい疲れと共に家路に着いた。





今日に限って母親が寝坊した。

中間テスト当日、稲荷崎にも学食はあるが今日はお昼も勉強するため友達とお弁当にしようと約束していたのに。

謝る母からお金をもらい、学校に行く前にコンビニに寄ることにした。
学校から家までの間にコンビニがあるのは有難い。

駐車場を横切り店内へと入ろうとしたとき、入口の脇に空き缶が転がっているのが目に付いた。数メートル先にはゴミ箱があるのになぜ捨てないのだろうと疑問に思う。
特別私に自然愛護の精神や道徳精神に基づく偽善主義者という志しはないがこういうのを見るとモヤっとしてしまう。
その空き缶を拾い上げ、ゴミ箱へと捨てた。

コンビニに入るとレジには何人かの人が並んでいて、中には同じ学校の生徒もいた。
私も早く買って学校に向かおうと菓子パンと野菜ジュースを選んでレジに並ぶ。

「おはよう」

自分の番を待っていると不意に声がかけられた。
振り向けば北君がペットボトルのお茶を持って並んでいた。

「おはよう」
「自分、いつも昼はコンビニなん?」
「今日はお母さんが寝坊しちゃって…」

北君は私の手元を見て、もう一度私を見た。

「栄養偏ってそうやけど、いつもであらへんなら安心したわ」
「野菜ジュースあるよ?」
「野菜と野菜ジュースはちゃう。バランスよう食わな体壊すで」

北君は偶にお母さんみたいな事を言うなぁと思う。私の母親よりお母さんっぽい。
そう言えば「なんやそれ」と笑われてしまった。私としては褒め言葉だったのだけれど。

レジの番が来て私は左へ、すぐ隣のレジも空いて北君がそちらに進んだ。
私の方が会計の品が多かったため、北君に遅れながら外へと出ると彼はまだ入り口にいた。

「せっかくやし一緒に行かへん?」
「うん」

私のことを待っていてくれたのだろうか。向かう方向も行く教室も同じなら断る理由もない。
一瞬、「男女で?」とも思ったがうちのクラスは男女ともに仲がいいと聞いたのでこれも自然な流れなのだろう。

そのまま学校へと足を向ける。
テストについてお互い問題などを確認しながら歩いていくとあっという間に教室に着いてしまった。

テスト終了後、苦手な数学も無事に乗り越えて手応えがあったと言えば「よかったな」と北君は笑ってくれた。





肌寒い季節となりシャツの上からカーディガンを羽織るようになった。
稲荷崎は校風が割と自由で、学校指定のカーディガンもなく自分の好きな色を選べる。生徒の中にはパーカーを着ている子もいるし個性が出るなと思う。
しかしあまり目立ちたくもない私は、肌触りがよさそうな柔らかいグレー色のカーディガンを選んだ。

今日は前日よりも五度ほど気温が下がり、私と同じように今日からカーディガンやパーカーを着てくる子が多かった。

「おはよう」
「おはよう。色、一緒やな」

北君とは席が前後ということもあり、朝の挨拶もいつの間にか当たり前となった。
そして最近では一言二言他愛のない会話が交わる。

「本当だね」
「ええよな、灰色」

お互いに今日着てきたカーディガンを見て驚いた。
北君と色が同じだ。それにボタンの色も黒で、もしかしたら同じメーカーのものかもしれない。

「うん。なんか動物の毛の色みたいで温かそうだなって思って選んだ」
「その発想はなかったわ」
「北君は?」
「バァちゃんが俺ならこの色が似合うやろって」
「お婆ちゃん見る目あるね。似合ってるもん」
「ほんま?それなら嬉しいわ。君も似合っとるよ」
「あ、ありがとう…」
「なんで驚いてんねん」
「なんか、びっくりして……」

北君は感情が読み取りづらい、と私は思っている。
笑ったり、人に注意したりはするけどその時に感情が大きく揺らぐことはない。表情も、笑っているのは分かるけど社交辞令なんじゃないかと不安になることがある。
だけどその分、ちゃんと言葉で言ってくれるのだ。
それが良くも悪くもストレートで、私の周りに今までいないタイプの人だったからどうにも反応に困る時がある。

「そういえば、日誌は取り行けたか?」
「うん。花瓶の水は変えてチョークの準備はした」
「もう朝の仕事終わっとるやん。ありがとう」
「部活も入ってないしこれくらい大丈夫だよ」

せっかく話すようになったんだから北君のことをもっと知らないと。
そんな私の気持ちが届いたのか、今日の日直当番は私と北君だった。前の学校では隣の席の人と当番であったがこのクラスでは列が奇数になるため席の前後でペアを組んで回しているらしい。

「ほな日誌の科目のとこは俺が埋めとくわ」
「ありがとう」

預かっていた日誌を北君に渡す。
その時、僅かに指先が触れた。一瞬だけ触れた彼の指はひんやりとしていた。



授業が終わり、私は放課後もう一度花瓶の水を替えに行った。うちのクラス担任は華道部の顧問であり、花が好きということで教室にはいつも生花が飾ってある。約一週間ごとに変わるその花を見るのが好きだった。今はガーベラがクラスに彩りを与えてくれている。

「花瓶の水替えてきた」
「朝もやってへんかった?」
「朝は時間がなくて花瓶の中は洗えなかったの」

定位置に花瓶を置き花の向きを整え、自分の席へと向かう。後ろの席では北君が日誌の一日の出来事を書く欄を埋めていた。私はお昼休みに先に書かせてもらったので北君が書き終えれば日誌を提出して日直の仕事は終わる。

「君、ちゃんとしとるよな」

席に座って体ごと振り返ると、ちょうど日誌を書き終えたタイミングでそう言われた。

「“ちゃんと”してる?」
「黒板消すんも花瓶も日誌の内容もちゃんとやりおる。ここまでやろうとする人間あんまりおらへん思う」
「それを言うなら北君もじゃない?授業で使った年表、片付けるとき時代順に並べ直してた」
「気付いてたんか。なんや、ああいうのちゃんとやらなぁ気が済まへんのや」

北君がいう“ちゃんと”の意味が分かり、なるほどなぁと思う。
私は仕事だからやっているだけだけど、北君は自分の中のルールというか習慣というか、“当たり前であるべきこと”を自分の一部にしている。義務でもないし、人に強制させるわけでもないそれを、ひとつひとつ積み重ねている。
それが分かった時、北君を初めて知れたような気がした。

「私もこれから北君を見習おうかな」
「別にそんなんせえへんでも君は十分ちゃんとしとるよ。そうじゃなきゃわざわざ空き缶拾うてゴミ箱に捨てへん」
「空き缶…?」

北君は筆記用具を片付けながら静かに言った。

「一緒に学校行った日、コンビニの前でゴミ拾うとったやろ」
「えっ見てたの?」
「背後におったからな」

見られていたのか…少し恥ずかしい。

「十分ちゃんとしとる。ええ子やで」
「私、褒められてる…?」
「うん。人の行いはな、誰かが見てんねん。それは先生かもしれへんし、赤の他人かもしれへんし、神様かもしれへん。今回は俺やった。だから俺は君がええ子やってちゃんと褒めたい。……なんや、俺めっちゃ上から目線やな」

私よりも何故か照れ臭そうに笑った北君に心臓がきゅっと縮んだ。

あぁ、これは…
このタイミングで自覚するなんて。

「ん?どうした?」
「いや、なんか、褒められ慣れてないから嬉しくて…ありがとう」
「一瞬引かれたかと思って焦ったわ」
「そんなことないよ」
「よかった。ほな日誌出し行こうか」
「この後部活あるでしょ?私やっとくよ」
「どうせ職員室のとこ通るし平気や。それにせっかくやしもっとお喋りしようや」


私、北君のこと———

言葉の続きを脳内で掻き消して、荷物をまとめて一緒に廊下に出る。

同じ色のカーディガンを着て並んで歩く。
朝見た時に「お揃いだね」なんて言わなくてよかった。

北君には知られたくない。
この思いを伝えるには早すぎる。

私が貴方のことを好きだってこと。





休日であるにも関わらず、忘れ物をしたため学校まで取りに来た。
“ちゃんと”していると、北君に褒めてもらった矢先にこれだ。
恋心を自覚した自分は相当浮かれてしまっているらしい。

生徒は少ないように思えたが、運動場からは野球部がボールを打つ音が聞こえ、遠くではジャージを着て走っている集団が見えた。
耳をすませば音楽室からは吹奏楽部の美しい音色が聞こえる。その音色は懐かしさを感じさせた。

中学高校と吹奏楽部に所属していたが、転校先では入部しなかった。稲荷崎の吹奏楽部はかなり有名で全国大会で金賞を取るほどのレベルだ。前の学校は県大会出場がやっとという実力であったし、入部したとしてついていけないだろう。
音楽をやれない悲しさはあったが、入部は諦めた。

職員室で教室の鍵を借り、忘れ物を回収し鍵を返しに戻る。
職員室を出ると、ちょうどお昼時とあって購買へ向かう生徒が多く見られた。
そういえば、北君はバレーボール部に所属していると言っていた。しかも稲荷崎の男バレは強豪であり全国大会の常連らしい。北君は「自分は上手い方じゃない」って言ってたけど所属しているだけで十分すごいと思う。

北君を一目だけでも見たいような……
でも迷惑だろうな。

「あっ」
「っすみません…!」

ぼーっと考えていたせいだろう。
前方から歩いてきた人にぶつかってしまった。

「すんません、大丈夫ですか?」
「いえ、こちらこそすみません」
「侑がよそ見してるから」

彼が落としたタオルを慌てて拾い上げ、手渡す。
背が高い男子生徒だった。目立つ金髪に、おまけにイケメン。隣にいる切れ長な目の男の人も背が高い。
臙脂色のジャージを着ているが、背中が見えないのでどこの部活かは分からなかった。

「すみませんでした、失礼します」

学年もよく分からないが、先輩だったら余計に怖いので当たり障りなくその場を後にする。

「あっ!ちょい待ち!」

早く帰りたかったのに呼び止められたら行くにいけない。
ぶつかった際の慰謝料でも請求されるのだろうか。この体格差では圧倒的に負けてしまう。こうなれば先手必勝で再度謝るしかない。

「あの、ほんと、ぶつかってすみませ———」
「あんた、北さんと同じクラスやろ?!」
「………北君?そうですが…あ、バレー部の人ですか?」
「やっぱり!グレーのカーディガンに標準語!角名、この人やって!」

私の質問には答えず、角名と呼んだ人をこちらまで来るように手招きした。その人は「へー」と興味のあるようなないような反応をして一瞥した。

「私が何か……?」
「サムがな、あんたと北さんが一緒におるとこ見たって!仲良う登校しててなぁゆうて。ほんで北さんが珍しく楽しそうしとったさかい絶対なんかあるやろうって気になっとって。まさかこんなところで会えるとは!後でサムに自慢しよ!」
「侑落ち着け。その人めっちゃ引いてるし、先輩だから」
「せやった!いきなしすんませんした!」
「いえ、大丈夫です…」

どうやら彼等は北君と同じバレー部の一年生らしい。
侑という人の早口にはいかんせん頭が追いつかないが何か色々と勘違いされているような…私としては嬉しい反面もあるが、北君にとっては迷惑だろう。勘違いで、その上後輩から冷やかされるなど大分鬱陶しいと思う。

「侑行こう。飯食う時間なくなる」
「せやな。ほなまたな、先輩!」
「え、あっはい」

せめてそれだけでも訂正したかったのに、彼等は嵐のように去っていってしまった。

忘れ物を取りに来ただけなのに、随分大きなモノまで受け取ってしまった気がする。

来る時よりもずっしりと重くなった鞄を抱えて、結局北君の姿を見るのも叶わぬまま家に帰った。





「おはよう」
「おはよう北君。あの、」
「北ー!ちょっとええか?」
「おーなんや」

別に自分からわざわざ聞かなくたっていいのだけれど、先日のバレー部の人達の話が気になって週明けの朝一北君に聞こうと思った。
けれど、北君が同じクラスの男子生徒に呼ばれたためそれは叶わない。



「男子バレー部にいる金髪の一年生って知ってる?」
「金髪?二、三人いた気がするけど」
「侑って名前だったような…」
「それ宮兄弟や!うちの学校で超有名な双子」

お昼休みに、友人三人と食事をしながら彼等のことをダメ元で聞いてみた。そうしたらかなりの有名人ということがわかった。
私に声をかけた子は宮侑といい高校ナンバーワンセッターと呼ばれているらしい。バレーはあまり詳しくはないが、確かトスをたくさんあげるポジションだったと思う。

「宮侑と宮治いうてめっちゃバレー上手いんよ」
「おまけにあの顔やから他校にはファンクラブあったりしてな」
「同じ学校にいるうちらからすると喧嘩ばかりのお騒がせ兄弟やけど」

出るわ出るわ宮兄弟の武勇伝と喧嘩の歴史。
一年生ながら早々に強豪バレー部でレギュラー入り。とある練習試合では二人合わせてサービスエース十五点を獲得。バレーの上手さに加え、あの顔立ちもあり試合ではわざわざうちわを作って応援に来る女の子もいるらしい。
その反面、試合で片方がミスれば掴み合いの喧嘩にまで発展。また、治と間違えて侑に告白してきた女の子には真正面から文句を言い大泣きさせた等々。
どこまでが本当なのかは不明だが、まぁとにかく目立つ人達らしい。

「喧嘩するとうちのクラスの北がよう駆り出されるで」
「『人様に迷惑かけんな』の一言であの兄弟黙らせたん時は凄かった」
「北は面倒見もええよね。事実、後輩女子にモテるし」
「えっそうなの?」

ずっと聞き手に回っていた私が声を上げれば「知らんかったの?」と首を傾げられた。
正直、そんなこと考えたこともなかった。

「委員長会議でやたら話しかけに来る一年女子がおるんよ。大した要件でもないのにな」
「他校の女子マネに告られたんも北やなかった?荷物持ってくれたとかで」
「あったねー!わざわざうちの文化祭来て告っとった!」
「へぇ…」

口の中がカラカラで、掠れた声が出た。

まぁ、うん、そうだよね。モテるよね。
転校してきた女の子に自然と声を掛けて優しくしてくれるような人だもの。
その優しさが誰にでも向けられるのが北君だ。
その優しさを特別だと感じる子はきっとたくさんいる。
私のように。

「そういえばインハイ後にブラバンの子と噂になってへんかった?」
「いま吹奏楽の部長やっとる子やろ」
「吹部と男バレ交流あるからその噂濃厚だよねー女の子の方も否定しんかったみたいやし」

ぎゅっと心臓が縮こまって、どくどくと脈打つ血液が体内を循環する。
自分で聞いといたくせにもうこれ以上聞きたくなくて、私はわざと音を立てて椅子を引き立ちあがった。

「ごめん、私図書室に本返しに行かないとだった。色々と教えてくれてありがとう!」

頭の中で色々な思考がぐるぐると回る。
自惚れも大概にしろ、と自分に何度も言い聞かせる。

私が続けることを諦めた部活で頑張っている子。
部長ともなればさぞかしリーダーシップもあり“ちゃんと”とした子なのだろう。

私は北君の特別なんだ、と少しだけ思っていた。
でもそれは転校生という肩書きがあったからだ。
私自身にはなんの魅力もない。

「あっ!先輩や!」
「あの人か?」

宮兄弟だ。
侑君と同じ顔の銀髪の男子生徒も一緒にいた。恐らく彼が双子の片割れの治君なのだろう。

「こんにちは。宮侑君と治君、ですよね?」
「おぉ!俺らのこと知ってくれとる!」
「ツムが先日はご迷惑おかけしましたー」
「お前、なに自分だけええ子ぶっとん?」
「俺はええ子やし」
「あ、あの、私は全然迷惑じゃなかったです。大丈夫です」

ここで喧嘩を起こされては、私の手には負えない。
あぁそうだ、せっかく会えたのだからこの人達が勘違いしていることを訂正しておかないと。
私と北君の間に特別な関係はないのだから。

「この前言いそびれたのですが、私と北君は——」
「わかっとるで!先輩は北さんの女やろ?」
「俺、先輩と北さんが一緒に歩いとったの見てんけどあんな北さん初めて見た」

言葉を続けようにも、どうにも二人のペースに引っ張られ私は口をつぐんでしまう。
でも治君の今の発言はどういう意味なのだろうか。

「“あんな”?」
「うーん。表情はいつもと同じやけどオーラ?雰囲気?が丸っこい感じ」
「なんやそれ。サムの言っとること意味不明やと思うけど、つまりは恋して———」
「それ、お二人の勘違いです。私達はそんな関係じゃないんです。気のせいですよ」

柄にもなく、少しだけ大きな声が出た。
だからそれはただの転校生に優しくしてくれていただけなんだって。
ああ、もう。頭がぐるぐるする。
それしか言えない自分に悔しくなって、益々自分が惨めに思えてくる。

「えーそんな事あらへんて」
「俺らは先輩らのこと応援しとるし」
「なにやっとん?」

好きな人の声がした。
毎朝、私に向けて挨拶をしてくれるその声がものすごく愛おしい。
けれど、今は息が詰まるほど苦しく感じた。

「侑、治。彼女に何の用や。というかお前ら知り合いやったんか?」
「北さん?!いや、実はこの前落ちたタオル拾うてもろて」
「ツムがその時のお礼を言うとったんです。俺は偶々居合わせました」
「ほんまか?」
「本当だよ。偶然二人に会ってその時の話になったの」

するすると出る二人の会話に私も合わせる。今となってはそれがすごく有り難い。
これ以上、北君に迷惑をかけたくない。
それに今は会いたくなかった。

侑君と治君は目で合図をし、足早に去っていった。

「びっくりした。二人に絡まれてんのか思たわ」
「そんなことないよ。普通に話してただけ」
「せやったらよかった。そういえば、」
「ごめん、私図書室に行かないと」
「え?」
「ごめん」

ごめんしか言えない自分。
私こんな駄目な人間だっけ。

「ちょい待ち!」

手を捕まれる。
北君のひんやりとした指先。でもぬくもりを感じた。
そういえば手が冷たい人は心が優しい人だって何かの本で読んだ気がする。

「どうしたの?」

靄のかかった頭で、自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。
せっかく優しくしてくれたのに、こんな態度しか取れない自分が嫌になる。

「手ぇ熱いのに顔が青白い。熱あるやろ?」
「大丈夫だよ」
「答えになってへん。保健室行くで」
「大丈夫だから…!」

手を引かれてもなおその場に踏みとどまった私に、北君は少しだけ驚いたように振り返った。いや、もしかしたら怒っていたのかもしれない。けれど今の私ではそこまで分からなかった。

「これ以上、北君に迷惑はかけられない」

声が震えた。
あまりにも自分が情けなくて情けなくて。

手からぬくもりが消えた。
自分から距離を取っておいて、北君が離れてしまうと途端に寂しくなる。

でもそんな寂しさも一瞬であった。
瞬きひとつの間に、彼は一歩私との距離を詰めていて。
また一呼吸の間には私のおでこに彼の手が触れていた。

「やっぱ熱がある。頼むさかい無理せえへんでくれ。保健室、行こう」

優しく優しく、まるで子供をあやすように。
こくりと頷いた私の手は、次はしっかりと握られた。
北君の手は私より大きくて、少しだけ冷たくて、そして優しい人の手だった。
なぜだが涙が出そうになってしまったのは、熱のせいだと思いたい。

「北君、ありがとう」

“ごめんね”ではなく“ありがとう”と言えたのは、きっと貴方に出会えたからだ。





その日は結局早退をした。
自分では大したことないと思っていたのに、次の日には四十度まで熱が上がりほぼベッドの上で寝て過ごした。

季節の変わり目であり、転校の疲れもあったのだろう。
大事をとってもう一日学校を休んだが、その日の午後にはすっかりよくなっていて私は久しぶりにスマホのトークアプリを開いた。

友達からは心配するメッセージが届いていて、一つ一つ丁寧に返していく。
そうすればすぐに返信がきた。いまは授業中でしょ、と思いながら嬉しくなって笑ってしまった。
「もう大丈夫!明日には学校に行けるよ」と送ればまたすぐに帰ってきて、その内容に私はスマホを落としそうになってしまった。

『北があんたの連絡先知りたいんだって。教えてええ?』

そんなことされたらまた勘違いをしてしまう。
でも北君に言われて早退しなければもっとひどくなっていたかもしれないし、周りの人にも風邪を移してしまっていたかもしれない。
断る理由はない、寧ろ私がお礼を言わないと。

『いいよ』

と短い返事に驚いた顔のネコのスタンプを添えて返す。すると『了解!』という吹き出しがついたクマのスタンプがすぐに送られてくる。その画面を見ながら背中からベッドに倒れこんだ。

まずは謝って、お礼を言って。
でも謝るのはなしかなぁ。
これからどうしよう…
そんなことをもやもやと考えながら、猫のように丸くなって目を閉じた。



〜♪〜♪

スマホの音で薄っすらと目を開ける。
どうやら考え込んでいるうちに寝てしまったらしい。

音を頼りにスマホは引き寄せ、ディスプレイを見て勢い良く起き上がった。
てっきりメッセージで送ってくると思ったのに。

「もしもし」
『突然ごめんな。今少しええか?』
「うん」

六コール目でようやく出た私の声はカサカサで、少しだけ震えていたように思えた。

『熱下がって良うなった聞いて…ほんまに大丈夫か心配になって電話した』
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
『あとこの前、保健室に連れ行く時強引にしすぎた。ごめん』
「何で北君が謝るの?悪いことしてないじゃない」

初めて北君と話した時に言われたこと。
それを思い出して小さく笑えば、電話越しにも彼が笑ったのが分かった。

『そうやな。良うなって何よりや。バランスよう食べなあかんで』
「野菜ジュースばかり飲まないようにします」
『せやな。梅粥食べて長ネギの味噌汁飲んで寝たらええ』

相変わらずお母さんみたいなことを言う。
でも、それが嬉しくって。
あぁやっぱり好きだなぁ。一緒にいたいなぁと思ってしまう。

「あの…」
『北さん。あ、電話中でしたか?』
『ああ。……ごめんな、ちょっと待ってて』
「部活前にありがとう。私はもうだいじょ———」
『この前も朝言いかけたの聞けへんかった。話聞く、待っとって』
「うん」

私が声掛けたこと、気づいてたんだ。
そんな小さな小さな彼の優しさが日に日に積み重なって大きくなっていったんだ。

『吹奏楽の部長が体育館に来ていて、北さんに用があるって言ってます』
『地区予選の打合せはおわったはずやけどな……わかった』
『北!黒須監督が明後日のテレビ取材の件で話し合いたいって!』
『そうか。吹部との打合せ終わったらすぐ行くて伝えといて』

でもやっぱり住む世界が違うんだって。
電話越し、遠くで聞こえる部員達とのやり取りを聞いて思う。

私じゃダメだ。
少なくとも今の私では。

『待たせたな。それで、どうした?』
「ごめん、大したことないんだ。私もっと“ちゃんと”するために頑張ろうと思って。その事に気付かせてくれてありがとう。部活がんばってね!」

北君が何か言おうとしていたのは分かったが、それを最後まで聞き終えずに通話を切った。

言い逃げもいいところ。
北君はきっと訳がわからなかっただろう。
もしかしたら嫌われたかもしれない。

でもきっと今のままでは気持ちを伝える事もできないし、友達としているにもおこがましい気がしてしまう。

もし、私に自信が持てるようになったらせめて告白だけはさせて欲しい。


◇ 


習い事を始める事にした。

中学高校では吹奏楽部に入ったけれど、小学校まではピアノを習っていた。その時は出来なかったけれどずっとエレクトーンにも興味があり、これを機に始めてみることにした。

上鍵盤、下鍵盤、足鍵盤それにエクスプレッションペダルとピアノにはなかった難しさがあり、始めのうちはうまく出来ずにもどかしさを感じたが、練習成果が徐々に出始めるとすぐに夢中になった。

勉強以外にも、それこそ北君にとってはバレーボールのような何かに励むことで自分に自信が持てるようになるのではないかと考えた。

理由としてはあまり褒められたものではないが今ではよかったと思っている。
両親も、私が転校先で部活に入らなかったことを気に病んでいたらしく習い事を始めたいと言ったら喜んでくれた。
現にエレクトーンも買ってもらった。決して安いものではないのにそこまでしてもらえて、私は益々夢中になった。

朝も少しだけ練習して、放課後はすぐに学校を出て楽器屋で楽譜を探したり、先生の元へ習いに行ったり、家に帰ればすぐに鍵盤に触れた。

北君とは仲が悪くなったわけではない。
ただ、ちょうど時を同じくして席替えがあり前後の席ではなくなった。

朝の挨拶も毎日することはなくなって、お互いに連絡先は知っていたけれどメッセージを送り合う事もなかった。

今までは学校の友達や北君と話すことしか楽しみがなかった。しかし習い事を始めた事により私の日常は確実に充実していた。

北君の事は今でも好きだ。
自分に自信が持てたら告白しよう。



「私ね、信介君のこと好きなの」



しかし、世の中自分の都合のいいようには進まない。
北君に彼女が出来るという可能性を、私は考えていなかった。

その日の放課後は図書室に寄って本を返して、帰ったら練習の続きをしようとぼんやりと考えていた時だった。

校舎裏の花壇のところ。
真っ白なノースポールが揺れて、女の子の甘い声が聞こえた。

なんて魔が悪いのだろう。
辛うじて近くの自販機の影に隠れて息を殺す。

「あのな、この前も———」
「私じゃダメかな?今までようさん相談にも乗ってもろうて、信介君だって私のこと嫌いやないでしょ」

甘ったるい、砂糖菓子を煮詰めたような声。
自分に自信がある子にしかできない立ち振る舞い。
彼女は何度も北君の下の名前を呼んだ。

自分に少しだけ付いていた自信がハラハラと剥がれ落ちていくように思えた。

「あの、飲み物買いたいんですけど」

石像のように固まってしまった私に声が掛けられる。
驚いて顔を上げると切れ長の目の男子生徒が立っていた。臙脂色のジャージを着ている。そうだ、初めて侑君と会った時に一緒にいた子だ。角名という名前だったと思う。

「すみません」
「いえ。そういえば、」
「……っ!ちょっと匿って!」

ザッザッという砂利を踏み締める音が聞こえ、角名君を押しのけて自販機の横にあったゴミ箱の影にしゃがみ込む。

「なんや角名か。こんなところで何してん?」
「北さんと同じで飲み物買いに来たんですよ。またあの人に捕まってたんですか?」
「ああ。部活中は迷惑や言うてるんやが…」
「あんな状態じゃあ無理そうですけど。あんまり優しくしてるとあらぬ人にも勘違いされそうですね」
「それどういう意味や?」
「別に」
「……俺は先に行く。時間までに戻れよ」
「はい」

僅かに見えた北君の後ろ姿。
それがひどく懐かしく思えた。

「もう行きましたよ」
「っ突然すみませんでした!」

すっかり忘れていた恩人に気付き、慌てて立ち上がり頭を下げる。
そういえば私は角名君のことを覚えていたが、彼は私の事を覚えてくれていたのだろうか。そうでなければ私は完全な不審者だ。

「いえ。さすがに匿ってくれ言われた時は驚きましたけど」
「貴方とは以前、侑君に声を掛けられた時に会っていてそれで咄嗟に…私の事覚えてないかもしれないけど……」
「先輩のことは覚えてますよ。で、分からないのは何故北さんを避けているかということですが」

淡々とそう言って角名君はじっと私の事を見た。
一年生だが少し大人びて見える彼に自然と背筋が伸びる。
助けてもらったので嘘をつくつもりもないが、何となく正直に話しづらい。

「北君が女の子に告白されている姿を見まして…」
「それは分かります。俺が分からないのはどうして隠れたかったのかってこと。堂々としてればいいじゃないですか」
「いや、流石に気まず過ぎるよ。それに北君も満更ではないんじゃない?」

先程の場面を思い出す。
ちらりと見えた相手の女の子は吹奏楽の部長の子だ。

吹部とバレー部の部長が付き合っている。
字面としても流れとしても自然で互いに部活に励んでいる者同士、彼等を否定しようとする人はいないだろう。
こういう人たちのことを世間は“お似合い”と呼ぶのだ。

「は?先輩それ本気で言ってます?」
「誰がどう見てもお似合いでしょ」
「いや、そういうことではなく……というかまだ付き合ってなかったんですか?」
「それは貴方達の勘違いで……」
「うわぁ……マジか」

今まで表情の乏しかった角名君の顔が歪む。
彼がどう思っていたかなど、大方想像はつくが私と北君は勘違いをされているような関係ではない。
優しい北君が不慣れな転校生に親切にしてあげていた図がそう見えただけだ。

「あっそういえば飲み物買いに来たんですよね?助けてくれたお礼に奢ります」
「別にいいですよ」
「私の気がすまないので。お茶?それともスポーツドリンク?」
「じゃあスポドリでお願いします」

ひんやりとしたスポーツドリンクを渡すと「ありがとうございます」とまた無表情に戻りお礼を言われた。
体育館へ向かう角名君を見送り重い足を校門まで向けようとした時、彼は静かに私を呼び止めた。

「来週日曜、春高予選の決勝なんです。見に来たらどうですか?」
「え?」
「北さんはおそらく試合には出れませんが、色々と分かるんじゃないですか。じゃあ、スポドリありがとうございました」
「ちょっと…!」

「なんで?」や「私が行っても…」なんて言葉を言う前に彼は走り去った。
言い逃げしないでよ、と思いつつ自分も以前北君に同じことをしたのだと思い出し反省した。

先程の告白風景が頭の中にフラッシュバックする。
しかし、気が付けば私はスマホを取り出して"春高バレー 予選決勝 兵庫 会場"でネット検索をしていた。





こんな風に運動部の試合を見に行くのは初めてのことだった。

さすがに決勝ということで盛り上がっているのかロビーには学生やOB、はたまたテレビ局など多くの人でごった返していた。

するすると端に逃げ、パンフレットを見て構内図を確認する。二階が応援席らしく地図を頼りに稲荷崎側の応援席へと向かう。
階段までたどり着いた時、高齢の女性が手すりを使いゆっくりと上っている姿が目に映った。ここの階段は急だから大丈夫だろうかと心配になりながら後ろをついて行くと、ガクンと彼女の身体が傾いた。

「おばあちゃん!大丈夫ですか?」
「ごめんなさいね、よろけちゃって」

階段から落ちそうになったおばあちゃんを支え、そのまま反対側の手を引きながら二階まで上りきった。

「ありがとうねぇ親切なお嬢さん。助かったわ」
「無事でよかったです」
「あら、貴方も稲荷崎の応援なの?」
「はい。友達がバレーボール部なんです」
「私もねぇ孫の応援に来たのよ」
「そうなんですか?もしよければ席まで一緒に行きましょう」
「あらあら、ありがとうねぇ」

のんびりと話すおばあちゃんの隣を歩き観覧席へと向かう。
お孫さんのために電車を乗り継いで来たらしい。しかも一人で。おばあちゃんは私も一人で来たと知ると「同じね」と笑って一緒に応援しようと誘ってくれた。

観覧席に辿り着くまで随分と時間がかかり、その頃にはすでに前のほうの席は埋まっていた。スペースを探し、二人分空いていた後方端の席に並んで座る。おばあちゃんは自分のせいで良い席に座れなかったのだと謝ってくれたが、私としてはひっそりと見たかったので有難かった。

スターティングメンバーがアナウンスされ、一人一人コートへと入っていく。メンバーは殆どが三年で、稲荷崎は最後に宮兄弟の名前が呼ばれ整列となった。
角名君の言った通り北君はメンバーではなかった。それならどこにいるのだろうと控え選手の方にも目を向けるが見当たらない。

そのうちに試合が始まった。
初めて生で見たバレーボールは圧巻で応援すら忘れてしまうほどに私は見入った。

その途中、稲荷崎のタイムアウトのとき一人の選手が足を引きずりながら外へ出て行った。その時、一瞬だが北君の姿が扉の隙間から見えたような気がした。

「あっ北君…?」」

距離も遠いから見間違いかもしれない。私が会いたいと思っていたからそう都合のいいように錯覚したのかもしれない。
それでも思わず出てしまった彼の名前。それを聞き逃さなかったおばあちゃんに不思議そうに顔を覗き込まれた。

「どうしたの?」
「いま、友達がいた気がして。あの怪我をした選手に付き添うために外にいたみたいで」
「そう。もしかしたら孫かもしれないねぇ」
「え?あの、おばあちゃんのお孫さんの名前って…」
「しんちゃん言うのよ。北信介」

こんな偶然、本当にあるのかと驚いているとおばあちゃんはバッグの中から写真を取り出した。綺麗な桜の木の下で、少しだけ幼い顔の北君とおばあちゃんが一緒に写っている。隣には“稲荷崎高校入学式”と書かれた看板があった。

「あの子はねぇ試合には出へんけど仲間思いの優しい子なんよ」
「分ります。回りを見ていて困っている人がいれば声をかけてくれる。厳しいこともいうけどその中にちゃんと優しさがあるんです」
「あらあらそう言うてくれて嬉しいわ」
「いつも助けてもらってるんです。私はお礼を言うことしかできていないんですけど…」

支えになれたら、とそんな大それたことは私にはできない。
でも北君が優しいことは誰よりも知っているつもりだ。それを私はたった五文字の言葉でしか本人に伝えられていないのだけど。
その時、小さくて暖かい手が私の頭に触れた。

「お礼を伝えるのはね、簡単なようでややこしいのよ。しんちゃんが辛いときに側におって声をかけてあげてや。神様は側におってくれとっても声はかけれへんさかいね」

それに、とおばあちゃんは私の頬を両手で包み込んで優しく言った。

「お嬢さんも十分優しい子やから」

体の中にポッと灯がともったように暖かくなった。
北君の優しさの原点はおばあちゃんなんだ。


“思い出なんかいらん”


稲荷崎男子バレー部の横断幕。
初めて見たときは少し寂しいような言葉に思えた。
でもそれだけじゃない。

“今、これからをどうするのか”
常に前を見るその言葉に背中を押され、私はようやく動き出す決心がついた。





稲荷崎高校が無事に勝利を収め、全国大会への切符を手に入れた。
閉会式まで見届け、おばあちゃんにお別れを言い彼のもとへと急ぐ。
ロビーへ行くと試合を終えた選手たちや応援に来たその学校の生徒が多く集まっていた。

臙脂色のジャージを目印に北君を探すが人も多く見つからない。せめて角名君が見つかればどこにいるか知ってそうだけど。

「高校ナンバーワンセッターとの呼び声が高いですが、これに対して如何思われますか?」

人に流されないよう壁沿いに進んでいくと見覚えがある金髪が目に入る。
地元のアナウンサーを前に侑君がインタビューを受けていて、ちょうど受け答えをしていた。

彼もまた北君の場所を知ってそうだが、さすがに今声をかけることは出来そうにない。
当てもなく探すより、彼の取材が終わるのを待つ方がいいだろうか。しかし、それよりも早く北君の元へ行きたくて足が自然と動いてしまう。

「あ、サム!見つけたで!」

アナウンサーの後ろを通り過ぎた時、その大声に驚いて振り向けば侑君とばっちり目があった。ついでにアナウンサーとも。

「わ、わたし?」
「先輩どこいっとったんですか?!こっち来てくれへん」
「サム後は任せた!…あ、すんません取材の途中でしたね。えーそれに関しては———」

改めて取材の受け答えを始めた侑君の姿を後ろに、私は治君に腕を掴まれ人混みを抜け外へ出た。

「どういうこと?!」
「角名に色々と聞いてな。まぁ俺らも先輩を応援しよかと」

治君は私から手を離して振り返り、にやりと悪戯っ子のように笑う。

「北さんに会いに来たんやろ?告白するために」

彼らにとっては“ようやく”ということが治君の顔を見てよく分かる。
「そうだよ」とはっきり答えれば彼は試合に勝った時のように嬉しそうに笑った。
善は急げやと、彼は歩く速度を速め私は追いかけるように付いていく。

「それにしても北さん試合に出てなくて驚かへんかった?」
「少しだけ。でも角名君に聞いてたから」
「なんやあいつ抜け駆けしよって!」

抜け駆けとも違うと思うけど。
でもそれを言ったところでさらに話がややこしくなりそうだったので、私は違う言葉を彼にかける。

「あの、なんで皆そこまで応援してくれるの?」

治君の襟足を眺めて彼の言葉を待つ。

「バレーボールも弱肉強食の世界。上手いやつ六人がコートに立てる。誰もがそこに立ちたい思っとるけど、まぁ、北さんはその辺の関心はあんまないな」

思っていた内容と違う返答に疑問を持ちつつ治君の言葉に耳を傾ける。
彼はちらりと振り返り、私が着いてきていることを確認すると再び前を向いた。

「飯食って学校行って勉強してまた飯食って寝る。その反復の中にバレーがあって、勝ったとか試合に出れたいうのは北さんにとっての副産物なんや。結果はあんまし重要視してないし。別にそれをとやかく言うつもりはない。練習は誰よりも真面目やしな。ただな、偶に後輩として思うんや。あーこの人と一緒にコート立ちたいなぁって」

突然立ち止まり、治君の背中に突撃する前に踏み止まる。
そして勢いよく振り返った彼にがっしりと両肩を掴まれた。

「先輩が隣にいて支えてくれたら、なんやその夢が近づく思たんや!」
「そっか」

そんな自信はないけれど。でもそう在りたいと切に思う。
治君は外を指さして、北君の居場所を教えてくれた。もうあとはひとりで行ける。

「ありがとう!これ、差入れです!」
「うわっ重っ!!」

バックの中に入れてあったビニール袋をそのまま渡す。どちらにしろ角名君にも渡すつもりだったから多めに買ってきてよかった。

「どれがいいか分からないからたくさん買ってきたの。角名君と侑君にもありがとうって伝えてね」

しっかりと地面を蹴って北君のもとへと向かう。
もう足は固まらない。
前にだけ進んでいく。


・・・

一仕事終えた宮治は満足そうに彼女の背中を見送った。

そろそろ角名も北さんを呼び出せた頃だろうと一息つく。
しかしその余韻に浸る間もなく、背後でゆらりと動いた人物に声を掛けられ猫のように軽く飛び跳ねた。

「なんで素直に“先輩にも幸せになって欲しいんです”の一言が言えないのか」
「角名!いつからいたんや」
「バレーボールも弱肉強食の世界〜から」
「まぁまぁ聞いてんな」

彼女にもらった袋を見せれば、あの人らしいなと角名が珍しく笑った。
もう一度彼女が向かっていった先を見て口を開く。

「思わず惚れそうになったわ。俺もあんな彼女欲しいわ」
「それ、北さんの前で絶対に言うなよ。圧で殺される」
「圧って!!…でもまぁ、確かに」

笑うに笑えん、胃がキリキリと痛む冗談だ。
意外と北さんは嫉妬深いというか心配症というか。もとよりそんなきらいはあったが、彼女といい感じになればそれが目に見えて分かるようになったと一部の後輩たちは思う。

だったら早く自分のものにしてしまえと、おせっかいにも先輩思いの俺らは協力してしまったのだ。






会場の横には緑地スペースがありその花壇の近くと彼がいて、足音で私の存在に気付いたのか振り返った。

「どうして…」
「北君、忙しいのにごめんね。少しだけ時間ちょうだ———」
「信介君!」

私達の空間を割くような声。
いつかの時の、あの子の声。

「あんなぁ、やっぱ部員一同で挨拶したいなって話になって。全国での応援もあるしちゃんとしときたいやん?時間作れへん?」
「ごめん、今はちょっと…」
「あっもしかして取り込み中?」

あの時、告白していた女の子。
私に見せつけるように北君のジャージの裾を引っ張る。
「ごめんね」と後から付け加えた台詞も表情を見る限り全くそんなことは思っていないだろう。
強いて言えば“北君を取っちゃって”「ごめんね」だ。

みんなにも協力してもらったのに、ここで踏み止まるわけには行かない。
今日でも明日でも結果は変わらないかもしれない。
でも今ここで行動しなかったら、私は絶対に後悔する。

「少しだけ、ダメかな?」
「私たち部員を待たせてるんだよね。だから、ね?」

にっこりと笑った表情の裏にあるどろりとした感情。
でも私が自分勝手な行動をしているのも事実だ。

「俺が用あるのはこの子やから」

でも私がどうするか決断を下す前に北君がはっきりとそう言った。
彼女の手を払い除け、差別する様な視線を向ける。

「はっきり言わへんかった俺が悪いけど、君の事好きにはなれへんわ。ブラバンの応援にはいつも感謝してる。もちろん君にも。せやけどそれ以上の感情を君に向ける事できへんわ」

北君の声は決して大きくはなかったし、低くもなかった。でも有無を言わさない圧と、絶対に揺るがない芯の強さが感じられた。

何も言えなくなってしまった彼女を残し、北君は私の手を握り優しく引く。
指先はいつも少し冷たい北君の手。
でも手のひらは心地いいほどに暖かかった。

「それと君の“ちゃんと”はちゃんとやない。挨拶もせんでええから。俺、この子と話したい事あるしもう行くわ」



そのまま会場入り口側まで連れて行かれる。
遠くの方で稲荷崎の生徒がバスに乗る姿が見えた。
きっともう時間がない。

「最近北君のこと少し避けてた。ごめんなさい」

お互いに向き合って、目を見て。
それでも繋がれた手はそのままに。
私はずっと心に抱えていたものをはきだしていく。

「北君はちゃんとしてて、本当にすごくて。私もそうなれたらって思ったのに、どんどん卑屈になっちゃって、勝手に側にいるのが辛くなって避けてた」

自分の視線がどんどん下がり、ジャージのファスナーに目がいく。

「私ね、北君と話すのがすごく楽しくて、小さな事でも褒めてくれるのが嬉しくて、もっともっと一緒にいたいって思って。でも今の自分じゃ相応しくないなぁって思ってね」

伝えたいことの半分も言葉にできていない。
でも、震えそうになった手を北君は優しく包み込んでくれている。

「もっと自信が持ててからって思ったのに、やっぱり寂しくなっちゃって。あのね、私は……」

嗚咽が混じりそうになった時、私の頭に彼の手が触れた。
優しく優しく、いい子だと囁く様に撫でられる。
その手が下がり、頬へと移動するとゆっくりと上を向かされて。

「これ以上聞くには恥ずかしいわ。悪いけど続きは俺から言わせて」

熱くなってしまった頬に触れる彼の手はとても心地がいい。
私はこくりと頷いて唇をきゅっと結んだ。

「自分がなんかしたのか思てずっと悩んどった。転校生やった君と話す様になって、ぼんやりしとるようで誰よりも周りを見とって。そんな君をいつしか目で追うようになったんや。転校生でも、クラスメイトでもあらへん。一人の女の子として見るようになった」

たっぷり三秒見つめあって、彼の唇が動く。

「もっと早く言いたかった。君の事が好きや」

色白の彼の頬が鮮やかに彩る。
恥ずかしそうに、でも目は離さない。

「私も好き。北君の彼女にして貰えますか?」
「もちろん。よろしくお願いします。……なんで泣いてんねん?」
「え?」

再び伸びてきた彼の指が頬に触れる。
自分でも無意識に流れた涙に、途端と面白くなり笑ってしまった。
そうしたら北君は今までに見た事がないくらい柔らかく笑っていた。

「あのーお取り込み中大変申し訳ないですが集合みたいで」
とても申し訳なさげに聞こえない声色に驚いて、二人で慌てて距離をとる。
どうも、と私への挨拶を付け足した角名君は特段表情を変えるわけでもなく私たちの顔を見比べる。

「角名!お前、さっきバスの乗車場所変わったって嘘ついたな」
「すみませんでした。説教は後で侑と治含めて聞きます」
「あの、これは私のせいで…角名君達は何も悪くなくて…!」

私が言いかけた時、角名君は北君に見えないように人差し指を立て口元に当てた。もうこれ以上言うなということなのだろうか。
確かにここで訂正をしていたらもっと戻るのが遅くなってしまう。北君を呼び出してくれたのはおそらく角名君だからお礼も言いたいが、また今度にした方がいいだろう。

「また連絡するわ」
「わかった。あと、これ差入れ」

バックに入っていたもう一つのビニール袋を取り出す。こちらはタオルにくるんで冷めないようにして持ってきた。

「北君、冷え性みたいだから。あんまり運動部の差入れっぽくないけど…」

温かいレモンティーとカイロ。だって北君は冷え性みたいだったから。
しかし、それを見た角名君が吹き出すように笑った。
やっぱり変だったかなぁと思っていたら北君も笑い出したので、私は別の恥ずかしさで赤くなることになった。

「変だったのか…」
「違う違う。やっぱ君はちゃんと見とるなって思て、嬉しかったんや」
「でも笑われた…」
「ほんまやで。ありがとう。帰り気ぃつけてな」

最後に頭を撫でられ、北君は急いでバスへと向かった。
その姿を見送っていると、同じく駆け出そうとした角名君と目が合う。

「先輩方お似合いですよ」

私がずっと言われたかった言葉。
「ありがとう」といえば彼は満足そうに頷いて北君の後を追いかけて行った。

思い出はいらないわけではないけれど、過去に囚われすぎてはいけない。

“思い出なんかいらん”

それは私の教訓になりそうだ。


◇ ◇ ◇


「北さん泣いとったな」
「なぁ。あの人泣くんやな」
「びっくりした」

春高の全国大会が終わり、三年が引退した。
元々レギュラーであった侑と治は新しい背番号のユニフォームを貰い、俺も正式にレギュラーとなった。

そしてキャプテンは北さんに。
元々部長業務はこなしていたが、試合に出れるとまでは思っていなかったらしい。
今日、ユニフォームをもらった時北さんは泣いていた。あの人のこと、ずっと機械か何かかと思ってたのに。

「これで一緒に試合でれるな」
「なんやサム、そんなに北さんと試合でたかったんか?まぁ俺もやけど」

双子の後ろを歩きながら、いつも立ち寄るコンビニを目指す。
試合に出れたのは北さんの日々の成果だと思う反面、それだけではないとも思う。精神的な支えあってこそ。今となってはそれが誰かは言うまでもない。

「角名ーさっきから黙ったってどないした?」
「いや、あそこに北さんいるなーって思って」

俺が指さした方向を息ぴったりに見た双子。
すると侑の方は目を輝かせ、治の方は若干顔を顰めた。

「先輩やん!北さーん、センパーイ!」
「ツム、やめとこって」
「もうバレたから行かないと変だって」

走り出した侑の後ろを小走りでついて行く。
どう見たって俺ら邪魔者じゃん。北さん表情変わってないけど絶対内心ご立腹だよ。先輩は笑ってるけど。

「みんな久しぶり。ユニフォーム貰ったんだって?」
「そうそう!俺が7で、サムが11、角名が10!そして北さんが1や!!」
「日々の練習の成果だね、おめでとう!」

侑は嬉しそうに先輩とハイタッチをする。
悪い事は言わないからやめとけ。あとですごい圧 が飛んできても俺は見捨てるからな。

治は俺の隣に立って北さんの表情を伺っていた。
それもそのはず。彼等が付き合いたてのころ、治と先輩が付き合っているという噂が流れたからだ。 

治は春高予選決勝の日、先輩を北さんに合わせるため彼女の腕を引き会場を走っていた。その姿が何人かの生徒に目撃されていたのだ。
女子に絡まれる事は多いが治から女子に近づく事はないので、噂になるのはある意味必然だった。

それを後から知った北さんが———
もちろん怒鳴ったりはしなかったらしいが、呼び出しから戻ってきた治の顔が死んでいたのでおおむねのことは察した。

「侑達は何しに来てん」
「ここのコンビニ寄ろうとしただけですって」

侑達が北さんと話している隙に、俺は先輩に近づいて声を掛けた。
そういえばずっと気になっている事があったのだ。

「嫌がらせとかされたりしてないですか?」
「嫌がらせ?」
「北さんのこと好きだった人から」

ずっと北さんに付き纏い、理由をつけて部活中にまで来ていた女。何度自分が伝書鳩代わりにされたことか。

「別に何もないよ」

その心配も杞憂だったらしい。まぁプライド高そうな女だったし、自分が振られたということを知られないためにもイジメなんてものはしないのだろう。

「それならよかったです」
「角名君ってすごく優しいよね。分かりづらいけど」
「……おーきに」
「関西弁も話すんだ」
「先輩も関西弁デビューしたらどうですか?」
「で、そこ二人は何こそこそ話しとんのや」

あっやば。俺が目つけられる。
何もないですよ、という俺と北さんのやり取りを先輩は楽しそうに見ていた。
こっちはそれどころじゃないんですよ。詫びにスポドリ何本奢ってもらおうかと思わず脳内換算する。

「そういえば次の練習試合、北さんキャプテンとしてデビュー戦ですよね」
「せやったな」
「一般も見に来れる試合やったな」

この状況を打破するため話題を変える。そこに目が合った侑と治が助け舟を出す。
そうなんだ、と驚いた彼女を見るとまだそのことを話していなかったらしい。先に俺が言ったことで北さん機嫌悪くなるかな。墓穴掘ったかも。

しかし、そんな心配も次の彼女の一言で寧ろ最善の一手であったとわかる。

「絶対応援に行く。だって、私は北君の彼女ですから」

侑と治の煩いくらいの口笛に、誰よりも真っ赤になったのは北さんで。

まぁスポドリなくてもお礼とお詫びは十分か。

だって北さんにこんなレアな顔させられるの、先輩だけですから。