サッカーは興味ないですね
クリスマス期間を終えるとドイツの街は一気に物寂しくなる。約一ヵ月もの間、広場を賑わせていたお店は撤去され剝き出しになったコンクリートには日中に降った雪がうっすらと積もっている。これから夜になるにつれ気温も下がるようだから帰る頃には靴跡が残るくらいの雪は積もっていることだろう。
「Guten Tag. (こんにちは)」
いつも通り裏口から入り更衣室で着替えを済ませ厨房スペースへ。私が顔を出せば見知ったスタッフたちから挨拶が返ってくる。そしてその中でもひときわ身長が抜きんでている人物が一人。この店のボスでありまた私の伯父であるその人は料理の仕込みに集中しているようだった。
「こんにちは、大和さん」
「おー!よく来たな。忙しいのに急に呼び出しちまって悪ぃな」
魚を一匹さばき終えたタイミングで声を掛ければいつも通りの屈託のない笑顔で迎えられる。身長は日本人にしては一八五と高く黒髪を脱色し銀髪に染め上げた風貌は若干の怖さを感じる。しかし中身はただの気さくなおじさんだ。
「大丈夫だよ、年末年始はガイドの仕事も落ち着いてるから。それにそろそろお小遣いも欲しかったし」
「それはお前の働き次第だよ。いつも通り店内の準備をお願いできるか?」
「分かった」
夜の営業はおおよそ一時間後。その間に店内の床掃除をしテーブルも一つ一つ拭いていく。
この店はドイツの都市ミュンヘンで日本料理を営む大和さんのお店だ。寿司と海鮮丼がメインで天ぷらなんかも提供している。ドイツの夕食はカルテスエッセンと言われ簡単に済ませてしまう人も多いがここミュンヘンには他国からの移住者も多い。そのため夕飯をしっかり食べたいと思う人もいる。また寿司をつまみにお酒を飲む人もいるため夜でも割と繁盛するのだ。
「Hallo.(こんにちは)」
「Hallo.」
「Haben Sie einen Tisch für zwei Personen?(二人なんだけど入れるかい?)」
「Ja. Es gibt Tische und Sitzplätze an der Theke.(ええ、テーブル席とカウンター席があります)」
「Kann ich bitte an der Theke Platz nehmen?(ならカウンター席でお願いできるかい?)」
「Ja, bitte.(どうぞ)」
夜の開店時間と共に早速お客様が一組。それなりに敷居の高い店のためお客様はスタッフが席へと案内している。そうしている間に次の組が来店し他のスタッフが対応にあたっていた。基本的にはカウンター席とテーブル席に客を通し、奥の個室は完全予約制。今日、個室の予約が入っていたのは一組だけのはずだからそこまで混乱もせずに店を回せるだろう。
「Hallo.」
店内の席があらかた埋まってきた頃、また一組の来店がみられた。扉のすぐそばにいた私が出迎えに行けばその人は少し驚いたようにこちらを見ていた。それもそうか、相手は私と同じ日本人。道端で時たま見かけるとはいえ、こういう形で出会うとどことなく懐かしさを覚え嬉しくなる。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「おお、日本語や」
日本語で挨拶をすればその人は感心したように声を漏らした。後ろにいたもう一人の男性も「さすが日本料理店やな」と笑っていた。
しかし感動したのは寧ろ私の方だった。この二人、同じ日本人でも関西の出身だ。しかも水色頭の彼の方はおそらく京都の出であろう。育ちは東京だが小学一年生あたりまでは京都に住んでいたので既視感を覚えた。
「生まれも育ちも日本なので日本語のご注文も大丈夫ですよ」
「それは安心やわ。予約した氷織いうもんになります」
「氷織様ですね、お待ちしておりました。個室のお席にご案内いたします」
個室へはテーブル席やカウンター席を避けて通せるような店の構造となっている。自身の来店を周囲に知られたくない人が個室を主に利用するためこのような構造になっているのだ。
「メニューは日本語のものでよろしいでしょうか?」
「そうしてもらえると助かるわぁ」
「ではこちらを」
先にコートを掛けるか聞いたが開いている椅子に置くということで彼らはすぐに席へと突いた。そして準備していた日本語のメニューを差し出せば二人は興味津々にそれを覗き込んだ。
「やっぱり握りは頼むやろ」
「せやな。あとは天ぷらの盛り合わせもやね」
「そっちは今日飲めるん?」
「えっ当然飲む気で来たんやけど。烏こそ明日帰国するんに飲めるん?」
「飛行機は夕方の便やねん。よゆーやよゆー」
「ほなピルス二つ頼もか」
「では先にお飲み物をお持ち致しますか?」
本来なら一度下がって呼び鈴がなったタイミングで注文を取るのだが具体的なドリンク名が出てきたので先に申し出る。すると水色頭の氷織≠ウんの方が「ほな飲み物だけ先にお願いします」と京都なまりで返事をくれた。
「あ、すんません。この本日の刺身盛り≠ヘ何がメインになります?」
烏≠ニ呼ばれていたツンツン頭の男性からの質問にも簡潔に答える。すると「ほなこっちの赤身の方がええか」と大阪なまりで唸っていた。同じ関西圏でも若干のイントネーションと話す速さが違うので出身地は判別がつく。
「他のご注文が決まりましたらこちらの呼び鈴でお呼びください。飲み物のご用意をしてまいります」
軽く一礼すれば二人も控えめに頭を下げてくれた。そして個室を後にし厨房へと戻る。
「ナマエ、予約のお客様ってもう来店した?」
冷蔵庫から冷えたグラスを取り出したところで同じく厨房にいたスタッフに声を掛けられた。しかし彼女の様子が少し変だ。だってそう尋ねる声があまりにも小さかったから。しかもちょっと早口だし。未だにドイツ語の早口は脳内処理をするのに時間がかかるのでもう少しゆっくり喋ってい頂きたい。
「来たよ。日本人の男性二人組」
「本当?!たしか予約名がヒオリ≠チて名前だったと思うんだけどそれって……」
「はい、八番テーブルの天ぷら揚がったよ!」
厨房スタッフの言葉に遮られるようにして彼女との会話が打ち切られる。そうなってしまえば彼女も仕事に戻るしかなくなり名残惜しそうに天ぷらを持ってフロアに出て行った。なんだったんだろう?
しかしそう悩む間もなく個室の呼び鈴が鳴らされたため私も仕事に戻ることとなった。
「お会計でお願いします」
おおよそ三時間だろうか。次の予約もなかったため時間無制限で個室を提供したところ彼らは閉店の十分前まで店にいた。そしてよく食べよく飲んでいた。クリスマス後の平日である今日にここまでお金を落としてくれるなんてかなりの太っ腹だ。年齢も私と同じくらいだろうに一体何の仕事をしているのやら。
「では、こちらが伝票になります」
個室問わず、ドイツは基本的にテーブルで会計を済ませる。だから私はトレイに金額の書かれたメモを伏せるような形で置いた。すると氷織≠ウんの方が迷いなくそれを取り、金額を見てから一枚のクレジットカードを差し出した。
「ほなこれでお願いします」
「かしこまりました」
「ゴチになりまーす」
「今日は僕が出したんやから次フランス遊び行ったときは烏が奢ってや」
「わかっとるわ」
ふぅん。この烏≠ウんって人はフランスに住んでるんだ。で、氷織≠ウんの方はドイツ住み。ますますこの二人が何をしている人なのかが分からなくなってきた。大学生ってわけでもないし企業勤めという雰囲気もない。何か特徴があるとすれば二人の身長が高いという点か。目視で大和さんくらいはあったから一八〇は超えているはずだ。
「こちらカードのお返しになります」
「ありがとうございます。料理すごく美味しかったです」
「せやな。こんな新鮮で上手い魚食うたの久しぶりや」
結局二人の職業は分からなかったがいいお客様には変わりなかった。ここの料理をベタ褒めしてくれて他の方にもすすめてくれるとまで言ってくれた。その言葉は決してお世辞ではないだろう。
「本日はありがとうございました。雪も降ってきたのでお足もとにお気を付けください」
「ありがとうございます」
「ご馳走さんでした」
日本人らしく頭を下げて二人をお見送りした。特に親密な会話をしたわけでもないがやはり母国語を聞くと落ち着くし日本の習慣は今でも体に染みついていることがよく分かった。今日あの二人に会えてよかったかもしれない。
余韻に浸るのもそこそこに食器を片付けるために個室へと戻る。やはりここは日本人と言うべきか、小皿などは同じ大きさのもので重ねられており〆に頼んだ茶漬けも米粒一つ残されていなかった。彼らの言葉通り、相当料理が口に合ったらしい。
「ん?」
テーブルの上を片付けていれば椅子のところに何かが置かれていることに気が付いた。手を伸ばせば画面が光りパスワードを要求される。えっこれってスマホじゃん。忘れたってこと?
「さっきのお客さんが忘れ物したみたい!届けてきます!」
今ならまだ間に合うかもしれない。私はコートも着ずにそのまま飛び出した。
奥の席にあったということは氷織≠ウんのものであろう。あの髪色を目印に通りに出て辺りを見回す。おそらく駅方面に向かったのだろうと予想を立てそちらの方向へと走り出す。
空からははらはらと雪が降っており人々の足跡を覆い隠していく。口から吐く息は白く頬に当たる風は鋭く痛い。でも走っているからか寒さはあまり感じなかった。
「……っ!お客様!」
街灯に照らされポッと色付いて見えたクリアブルー、その背に向かって声を張り上げる。
日本語で声を掛けたからかその人は自分のことだと気付いたらしい。足を止めてゆっくりと振り返った。
「えっ店員さん?」
「よかったぁ」
徐々にスピードを緩め、はぁと息を切らして彼の前で立ち止まる。驚いてこちらを見つめるその瞳の前に私は握りしめていたスマートフォンを差し出した。
「これ忘れ物です」
「えっ?!」
「おそらくお客様のものかと」
慌ててジャケットやズボンのポケットを叩き出す。しかしやはりスマホは見つからなかったらしい。そして顔を青くし苦笑いをしながら頭を下げた。
「たぶんポケットから落ちたんやな。わざわざありがとうございます」
「追いつけてよかったです」
「それより寒くあらへん?店まで送るからこれ羽織り」
「だ、大丈夫です!これでもドイツ暮らしは長いので寒さにも慣れてます!」
その人が徐に自分のコートを脱ごうとしたので全力で首を横に振る。
「そうな……、ふぇっ?!」
私たちがそんなやり取りをしていれば、パンパパンッ——と夜空に乾いた音が響いた。こんな大きな音で一体どこのパン屋の宣伝か。しかしなおも続く破裂音と甲高い笑い声から若者が騒いでるだけなのだと悟った。
「爆竹ですね」
「びっくりしたぁ」
ほっと胸を撫で下ろした氷織≠ウんはちょっと可愛らしかった。さっきの叫び声も可愛かったけど顔立ちも中性的だよなぁ。
「この辺りは割と治安はいい方なんですけど年末だからかはしゃいでる人も多いんですよね」
「そうなん?」
「はい。ああ、あとサッカーの試合がある日も荒れますね」
ここから少し距離はあるが同じ地区にドイツの有名サッカーチームのホームスタジアムがある。試合があるときはこの当たりも巻き込まれる形で賑やかになる。それだけならまだいいのだが酒が入った勢いで騒ぎ出したり最悪暴動が起こったりするのだ。
「看板蹴られたりゴミ箱ひっくり返されたり朝まで道端で寝る人もいるから困るんですよね」
今年のリーグ戦の時の光景を思い出してうんざりする。今はオフシーズンだからいいがまたリーグ戦が開幕されれば同じようなことが起こるだろう。そのことを想像したらついつい愚痴っぽい言い方になってしまった。
「キミはサッカーに興味あらへんの?」
「ないですね」
W杯やらCLの度に世間は賑わっているが私としては、別に……とどこか塩っぽい目で見てしまう。そもそもスポーツ全般に興味がなくオリンピックですらニュースで母国のメダル数を確認するくらいだ。
「ふぅん……そぉか。ほな、スマホありがとうね」
「はい。またぜひお越しください」
私がお辞儀をすればその人はひらりと片手を上げて雪降る道を歩いて行った。私も流石に身体が冷えてきた。急いで戻ろっと。
「おかえり。忘れ物は無事に届けられた?」
私が店へと戻れば他のスタッフが店内の後片付けをしてくれていた。私はそのお礼と届けられた旨を報告しながら服に僅かに積もった雪をはたき落とす。そして店の扉にcloseの札を掛けに出ようとしたところで唐突に冷気が吹き込んできた。
「ねぇ、ヒオリとカラスが来たって本当?!」
突如開けられた扉の先には同じく店で働いている女性スタッフの姿があった。しかし彼女は今日、お子さんが熱を出して休みを取ったはず。だから私が代わりに呼ばれたのだ。
「急になんなのよ。それより息子さんは大丈夫なの?」
「家族が帰ってきたから任せてきたわ!それよりも本当に来たの?!」
ひどく興奮気味である彼女を宥めるように後片付けをしていた女性が声をかける。すると店内の騒がしさに気付いたのが奥から大和さんたちも顔を出した。
「なに騒いでんだお前ら」
「あっヤマト!さっきまでヒオリとカラスが来てたって本当なの?!」
彼女の発言に一度、店内は静まり返る。そして誰かがフッと息を吐き出したかと思えばその場は笑いに包まれた。しかしひとり置いてけぼりの私は全く状況が分からない。
「あっはっはっだから頭に雪積もらせてまで来たのかよ!」
「当然よ!私が生粋のフットボールファンなことは知っているでしょう?!」
「本物は想像以上に大きかったわよね」
「ね。しかもP・X・Gのカラスまで来るなんて!同じ日本のクラブチーム出身なのよね?」
「ええ。今でも一緒に食事をするくらい仲が良いのね」
「つまり本当に来たってこと?!会いたかった!!」
スタッフたちの様子を蚊帳の外状態で見守っていれば、パチッと大和さんと目があった。すると思い出したように「ああ」と短い声を漏らした。
「接客はナマエがやったんだ。二人の様子を知りたきゃナマエに聞くといい」
「えっ?」
「そうなの?!」
ブーツのゴム底を鳴らしながら距離を詰めてくる彼女の姿に一瞬たじろぐ。しかしあっという間に目と鼻の先まで来ていてガッと両肩を掴まれた。
「二人は何の料理を頼んだの?それとどんな話をしてた?写真とか、サインはもらったのかしら?覚えてること何でもいいから教えてちょうだいよ!」
「えーっと、その二人というのは……」
「だからヒオリとカラスよ!」
「その人たちがなにか?」
「は……はぁ?!」
悪質なクレーマー並みに理不尽に怒られるが私は生返事しかできない。頭にクエスチョンマークを飛ばしている私を吊り目で睨みつける彼女。片や他のスタッフは閉店作業へと戻っていった。これ、私が面倒ごと押し付けられただけじゃん……
「ドイツに住んでいるのならヒオリの名前くらい聞いたことあるでしょう?!」
「あるようなないような……」
「ほらこの人よ!バスタード・ミュンヘンのヨウ ヒオリ!あなたと同じ日本人よ!」
目の前に彼女のスマホ画面を突きつけられる。そこには赤色のユニフォームを着た水色頭の青年が写っていた。
「えっ……この人サッカー選手なの?」
「そうよ!あのバスタード・ミュンヘンでMFを務めてるすごい選手なんだから!今シーズン最後の試合のアシストも素晴らしかったわ!」
——キミはサッカーに興味あらへんの?——
——ないですね——
もしかして私、ものすごく失礼なことを言ったんじゃ……
「またお店に来てくれないかしら!そしたらぜひ一緒に写真を撮ってもらいたいわ!」
店の外は今も変わらず雪が降っている。その景色を見て思い出すのは水色頭のサッカー選手の姿だった。