雪のち魔法

雪を見ると“あの子”の事を思い出す。


豪雪地帯と呼ばれる場所にある祖父の家で冬に出会ったその子は、白いお皿に注いだミルクよりも真っ白な体に真ん丸な黒目を持っていた。
正確には山吹色のような毛皮を持っていたけれど、雪が積もってしまえば真っ白だと言っても過言ではなかった。

親とはぐれて、崖から落ちてしまったその子を私は助けたかった。
でも祖父は人間が手を差し伸べるべきではないと私に強く言った。

それでも子供だった私は、祖父に内緒でこっそりその子のところへ行き甲斐甲斐しく世話を焼いた。
水を与え、食べ物を運び、足に添え木をし包帯を巻いて、毛布を掛けた。

雪を見て、“あの子”の事を思い出さないことはなかった。



「またその顔しとる」

ちらちらと降る雪を窓越しに眺めていたらそう言われた。
声の主である仁王雅治は、当番日誌を書く手を止めてじっと私の顔を見た。

「“その顔”って?」
「むかーしの思い出を懐かしむような顔じゃ。でも嬉しそうではないの」

細目を数回瞬きさせて私の様子を伺っている。他人に無関心なように見えて、意外と彼は人の感情の揺れに敏感らしい。

「“また”って事はそんなに頻繁に“その顔”してた?」
「こっちが気付いてしまうくらいには」

自覚はなかったが、まさか顔に出ているとまでは思いもよらなかった。それも、あまり関わる頻度の少ない仁王君にまで気付かれてしまっていたとは少し恥ずかしい。
月に一度の日直当番の日でなければ、彼と話す機会なんてそうないのだから。

「答えを教えてはくれないんか?」
「え?」
「お前さんばっか俺に質問しちょる。なんでそんな顔しとるんか?」

こてんと小首をかしげて聞く彼は、いつもより少しだけ子供っぽく見えた。
ただ、この話は純粋に知りたがる彼に話すにはあまりいい話とも思えない。私にとっても“あの子”との思い出の結末は決していいものではなかったのだから。

「当たらずと雖も遠からず、かな」
「結局教えてはくれんのか。けちんぼじゃの」
「それより、日誌は書けたの?」

机に開かれたままの日誌を見れば、彼の分のスペースは半分くらい未だに白紙であった。

「手がかじかんで書けんのじゃ」

彼は手の甲が隠れるくらい伸ばしたセーターの上から「はぁ」と熱のこもった息を吹きかけた。
季節は一月の下旬で、もちろん教室にも暖房は完備されている。しかし、放課後の二人だけの教室で暖房をつけてくれるほど学校は優しくない。だから外まではいかないが教室内もなかなかに冷え切っていた。

「やさしー誰かさんが温めてくれんかのう」
「じゃあこれあげる」

私はポケットからカイロを取り出して彼の手に押し当てた。

「思ってたんと違う」
「まだ温かいでしょ?」
「心はちと寒いがの」

ぶつぶつ言いながらも、彼は受け取ったカイロを指先に押し当てて擦った。見かけ通り、寒いのはかなり苦手らしい。


もう一度窓の外を見る。
ちらちらと降っていた雪は、先ほどより勢いを増していて、これは積もりそうだなと思った。

「その顔は、見ていて切なくなるの」

ぽつりと言った彼の言葉は、窓ガラスに当たった雪の様に解けて消え、私の耳には届かなかった。





立海大付属中に通う三年生のほとんどは内部進学をする。しかし、内部進学と言えども一応は入学試験というものがある。進学の際は三年間の成績と、入試の点数で合否が決まるため勉強にそこまで力を入れる必要はないが放課後特にやることもない私は図書室で勉強をすることが多い。

今日も放課後は図書室で勉強をするつもりだった。しかし、一人の男子生徒に呼び止められたことによりその計画は狂うことになる。

「ちょっとええか?」

独特な口調は顔を見ずとも誰か分かる。
廊下で私を呼び止めた仁王君は相変わらず寒そうにセーターの袖口を伸ばして猫背で立っていた。

「どうしたの?」

日直以外で話すことなんてそうないものだから、少しだけ驚いた。

「着いてきんしゃい」

小さく手招きをした彼の後を追いかける。
今日の天気は久しぶりの晴れで、太陽が暖かな日差しを地上に届けてくれているというのに彼は「寒い寒い」と呪文のように小声で唱えていた。

「どれがええ?」

彼が立ち止まった場所には自動販売機があって、ホットの飲み物を指さしてそう言った。

「え?」
「早よしんしゃい」
「買ってくれるの?」
「おん」
「なんで?」
「ココアでええ?」
「あ、うん」

痺れを切らした仁王君がそう言ったものだから、よく分からなまま頷いた。お金を入れてボタンを押して、下から二本のココアの缶を取り出す。そして一本のココアを私の前に差し出した。

「ん」
「何もしてないのに受け取れないよ」
「カイロの礼」
「確かにあげたけど使いかけだよ?これじゃ釣り合わない」
「じゃあもう少し付き合ってくれるかの」

私にココアを押し付けて彼はまた別の方向へ進んでいく。下駄箱で靴を履き替え、ぐるりと裏庭に周り一つのベンチに彼は座った。
そこはとても日当たりのいい場所で、気温は低いけれど風も少なく晴れている今日に日向ぼっこをするにはちょうどいい場所だった。

「ほれ、ここ座りんしゃい」

ぽんぽんと二回自分の横を叩いて、私も座るように促す。
じゃあ…と言って座ってみたベンチは太陽に温められており、思ったよりも暖かくて感動した。

仁王君は指先をココアの熱で温めてからプルタブを押し倒して開け、一口中身を飲んだ。私も彼にお礼を言って、缶を開ける。一口ココアを口に含めばじんわりとした甘さが口に広がって体の中からもポカポカと温まった。

「今日は幸せそうじゃの」
「ココアが美味しいからかな」
「そっちの顔のがお前さんには似合う」

もう一口、彼はココアを飲んで満足そうにそう言った。

「仁王君はよく人を見てるね」
「プリ?」
「誰かにそんなこと言われたの、初めてだったからさ」

私ももう一口ココアを飲んだ。

「誰も彼も、全ての人間を見てるわけじゃないぜよ」
「そう?私と仁王君ってあんまり話したりしないから」
「話す頻度が少なくても、仲良くなりたい相手の事は自然と見てしまうもんじゃ」
「仲良く?私と?」
「ん」

暖かな日差しを受けているというのに彼の鼻先は赤くて、白い肌には面白いくらい映えていた。おまけに猫背なものだから、すごく珍しい生き物を見ているようで思わず笑ってしまった。

「勇気を出して言ったんに笑うなんてひどい奴じゃ」
「違うよ。嬉しかったの」

まっさらな青空に、私の声がやけに響いた気がした。
ひとしきり笑い終えれば、隣に座っていた彼は頬を膨らませて私を見ていてまた笑いそうになってしまった。
どうやら私は、冬に珍しい生き物に会いやすい体質らしい。

「じゃあ改めて、私達は友達ってことで」
「……ん。友達ナリ」



中学最後の冬に、とても珍しい生き物と友達になった。





朝にはうっすらと空を覆っていた雲は次第に厚さを増し、帰る頃には雪を降らせた。
図書室で勉強をしていたものの、大雪警報が発令されたとの校内放送を受け早々に学習を切り上げ帰ることにした。

部活動をしている生徒もおらず、昇降口へと向かう廊下は怖いくらい静かだった。見慣れた場所のはずなのに、全く知らない世界にいる気さえしてしまう。普段は走らない廊下を足早に駆け抜けようと足を踏み出す。

その時、廊下の先で白い尻尾が揺れるのを見た。
それは昔みた“あの子”のものにそっくりで、考えるより先に駆け出した。

冷たい空気が気道を抜け肺にたどり着く。そして暖かな息となって白い塊を作る。それは本来ならすぐ消えるはずなのに、霧のように広がっていき私の視界を狭めていった。

もう少しで追いつける。
しかし、スピードを上げ曲がり角を曲がったところで、何かにぶつかり思いきり後ろに転んだ。

その瞬間、霧は晴れて視界がはっきりした。夢からさめたような不思議な感覚。
その証拠にお尻の痛さと自分の荒い息遣いが、ここが現実であることを教えてくれた。

「びっくりしたぜよ」

声に気付き見上げてみれば、そこには目を丸くして私を見下ろしている仁王君がいて、雑に巻かれたマフラーの隙間からはひょこっと白い髪の毛が出ていた。

「ごめん、前見てなくて…」

こんなところに“あの子”がいるわけないのに、私は何を見ていたのだろう。白昼夢か、それともこれが狐につままれたとでも言うのだろうか。
いつまでも座り込んでいるわけにも行かず、仁王君に謝って急いでその場から立ち上がった。

「お前さん、どうしたんじゃ?」
「ちょっと急いでて…怪我はない?」

こくりと頷いたものの、彼は不思議そうに私を見てる。
薄暗い廊下では彼の髪の、白に近い銀髪が灯り火のように見えて狐ではなく彼につままれたような気になった。

「また“その顔”しちょる」

首を傾げた彼の髪が揺れた。
何となく自分でも自覚があった。「そう?」と誤魔化して笑ってみた顔も、仁王君にとっては予想通りの行動だったのだろう。
だからこそ彼は私から視線を外し、一度身震いをして窓の外を見た。

「ところでお前さん、傘は持っとるかの?」
「傘?持ってるけど…」
「持って来とらんのじゃ。慰謝料代わりに入れてくれんかの?」



すでに道はうっすらと白色になっていて、絶えず雪は降り続いている。
持っていた傘をパッと開いてその中に彼を招き入れた。二人にしては入るには狭すぎて、だから仁王君の方に傘をずらしてみたけれど「それはいい」と押しのけられた。でもそれすらも押し返して傘を彼の方へ傾けた。

「雪で濡れちゃうよ?」
「お前さんが濡れる」
「一応慰謝料だし」
「貸しんしゃい」

彼は私の手から傘を抜き取り、少し高い位置に持ち上げた。確かに身長は彼の方が高いからこの方が都合がよかったのだろう。
けれど私は気付いてしまった、その時彼が私の方に傘を傾けていたことに。
彼の右肩にはすでにうっすらと雪が乗っていて、寒がりの彼が少し心配になった。でもそれ以上に彼の優しさが嬉しかったから、何も言わずに黙っていることにした。

「この分じゃ明日は学校が休みになるかもしれんの」
「そうだね。そしたら仁王君は何するの?」
「一日中お布団の中じゃ」
「仁王君らしいね」
「お前さんは?」
「一日中コタツの中かな」
「似た者同士じゃな」

私達の間に会話が途切れても気まずくなることはなかった。
それは足早に帰る人々の騒音のせいか、寒さのせいか、それとも相手が仁王君だからなのか。

雪が積もる。
そこそこ都会であるこの街では、祖父の家で見る雪よりは白くないように見えた。
それでも黒いアスファルトを白色に染め上げるほどの力はあった。人の足跡が付いた場所にまた雪が積もって、痕跡を消すように雪が覆う。

「寒いね」
「寒いのう」
「ココアが飲みたい」
「おねだりか?」
「そうじゃないよ」
「気が向いたら奢る」
「そうじゃないって」

駅が近づくにつれ、人が多くなる。まだバスも電車も運行してはいるようだ。
人ごみで、しかも皆傘をさしているものだから歩きづらい。

「人が増えてきたの」
「本当だね」
「お前さん、電車の乗り場は?」
「2番ホーム。仁王君は?」

駅員さんが大声で今の運行状況をお知らせしている。その声にかき消されないように話をしていたつもりだったのに、仁王君からの返事はなかった。
隣を見ても知らない人で、これはついにはぐれてしまったらしい。人の邪魔にならないよう、構内の柱の陰に立ち止まって見たものの彼の姿は見つからない。

傘は貸してもいいとして、このまま勝手に帰るのも気が引ける。
ポケットからスマホを取り出す。確かクラスで一度グループLINEを作ったことがあるからそこから連絡を取れないだろうか。

「すまん、逸れた」

半年前から動いていないグループLINEをやっと見つけることができた時、彼は始めからそこにいたようにふらりと姿を現した。

「よかった見つかって」
「何しとった?」
「仁王君と連絡とれないかと思って」

ちらりと私のスマホ画面を見て、納得したように頷いた。

「傘、ありがと」
「もう大丈夫?」
「おん」

綺麗に折りたたまれた傘を受け取り、電光掲示板を見た。私が乗る電車は止まってはいないにしろ大幅な遅れは出てきているらしい。

「じゃあまた明日」
「気をつけてな」
「仁王君も」


2番ホームで待つも、まだ電車はこない。
時折吹く風は頬に当たり、このまま氷の像になってしまうのではないかと思うほど冷たかった。

不意にスマホが震えて、LINEの通知を知らせた。
ロック画面に見えたバーナーには短い文章で一言。

「鞄のポケット」

肩にかけていた鞄をみれば、ポケット部分には不思議なふくらみがあった。
そのふくらみの正体を知って、笑ってしまった。

すぐにLINEを立ち上げて、一言。

「ココア、ありがとう」





「今日で最後じゃの」

二月の下旬。
無事に入学試験は終わり、内部進学者分の合格発表も終わった。私も、そして仁王君も無事に春からは立海大付属高等学校への進学が決まった。
あとは外部の公立高校受験者が合格発表を待つのみで、やっと勉強から解放された私達は明日から卒業式までの間は自由登校になる。

そのため今日が卒業式前の最後の登校日になるのだが、運がいいのか悪いのか日直当番に当たった。

「実質もう春休みって感じだけど」

今日も彼にカイロをあげて、なんとか書き終えてもらった日誌を持って職員室に提出しに行った。
「職員室ばかり暖かくて、教師は茶ばかりすすっとる。職務怠慢じゃ」と愚痴をこぼす仁王君も、明日からの“公式”の休みは嬉しいのか声が弾んでいるように聞こえた。

「今日も学校来ないと思ってたよ」

試験が終わればもう内進を気にする心配もない。故に試験後は学校をサボる者も多い。仁王君もここ一週間ほど学校に来ていなかったのでてっきり今日も来ないものかと思っていた。

「寂しいこと言うの」
「しかも今日は結構寒いから」

昇降口へと向かう廊下ですら十分すぎるほど寒かったが、靴を履いて外に出たら刺すように冷たい風が頬を撫でた。
窓の外は曇り空。そういえば朝のニュースで「今日の寒さを最後に、日に日に暖かくなるでしょう」と言っていた気がする。

「どうしたん?」
「雪が降りそうだなって思って」

積りはしないがきっとこの様子では降るだろう。雪に関しての空模様には少し敏感なのだ。

「最後にもう一度だけ聞いてもええか?」
「なに?」
「どうして“その顔”しちょるん?」

その疑問は好奇心からか、ただの暇つぶし程度のものか。
しかし、理由はどうあれど面白半分で彼は知りたいわけではないのだ。それは、彼の目があまりにも純粋で綺麗で、不愉快にさせるような質問の仕方ではなかったから。

「面白い話じゃないけど、聞く?」

彼はこくりと頷いた。


結論から言えば、“あの子”は死んでしまった。
私が運んできた食べ物にも口を付けなくなり、足が治ることもなく、雪よりも冷たくなって息を引き取った。

私が関わったことで、人間の匂いが付き仲間が助けに来てくれなかったかもしれない。
私が関わったことで、無駄に苦しい時間を過ごすことになったかもしれない。

祖父が言ったように、関わるべきではなかったのだ。
私が関わったことで“あの子”にいい事なんて何一つできなかったのだから。


「俺はそうは思わんけど」

仁王君は静かに私の手を引いて両手でやさしく包み込み、自身の額に当てた。

「きゅ、急にどうしたの?」

その行為が恥ずかしかった私は、慌てて手を引っ込めようとしたけれど彼の手の中から抜け出すことはできなかった。
元よりお互いの手は冷たかったはずなのに、彼の熱が移動しているのかじんわりと温かくなった。

「独りで死ぬんは寂しい。最期に優しくしてくれた奴を恨む者なんておらん」

彼は目を閉じて、やさしいやさしい声色で言った。

「でも私の優しさは自分勝手の優しさだった」
「確かに優しさではなかったかもしれん。だって、見ず知らずの者を無条件で助けるのは優しさを通り越して“愛”っていうんじゃから」

彼は自身の手に少しだけ力を込めた。うっすらと目を開けてにっこりと笑って見せる。

「“助けてくれてありがとう”」
「なんで、仁王君がお礼を言うの?」
「“あの子”がそう言っとるのが聞こえたんじゃ」

それはきっと彼のやさしい嘘に違いなかったけれど、ずっと心につかえていたものがするすると溶けていったような気がした。

私はその言葉をずっと誰かに言ってもらいたかったかもしれない。でもその誰かが仁王君でよかったと、心からそう思う。

「雪じゃ」

私を包み込んでいた手を解放し、彼は自分の掌を広げて降ってくる雪を拾った。

「雪だね」
「よかった」
「何が」
「雪も見ても、お前さんが前みたいな顔しなくなったから」

鼻の頭を赤くして、目を細めて彼はそう言った。

「そっかぁ」
「おん」
「仁王君」
「なんじゃ?」
「ありがとう」

仁王君は笑ってくれた。寒いのが苦手な彼が雪の中で笑ってくれることなんて滅多にないかもしれない。

「あーあ。お前さんのせいで手が冷えたぜよ」

彼はいつものようにセーターの袖を引っ張ってそこに暖かな息を吹きかけた。

「ごめん…」
「温めてくれんかのう」
「カイロあげたでしょ」
「違う」

彼は私の右手に自分の左手を絡めて、一緒に制服のポケットに突っ込んだ。

「ちょっとおかしくない?」
「でも暖かいぜよ」


うっすらと彼の髪には白い雪が積もっていた。それは白いお皿に注いだミルクよりも真っ白で、“あの子”の事が思い出された。

でも彼の場合はぬくもりが、確かにそこにあったのだ。





三月になり、校舎裏には早咲きの桜が小さな花を咲かせていて、きっとそこが明日の卒業式の撮影スポットになるのだと思った。


「お前さんも人が良すぎじゃ」

三月に入ってからは、いよいよ三年生が学校に来る必要はなくなる。私だってずっと来ていなかったのだが、今日は本を返すために図書室に来ていた。
その帰り、久しぶりに会った担任に呼び止められ明日の卒業式の準備をお願いされたのだ。

「なんで自分らの式の準備やるかの」
「発注ミスして今日届いたんだって」

卒業式に付ける、コサージュとなる造花にリボンのついた安全ピンを刺していく。
仁王君はというと、今日が部活の“三年生追い出し会”だったらしく学校に来ていたらしい。

雑に椅子を私の机と迎え合わせにして物珍しそうに私の手元を見ている。かと思えば、ピンク色の造花を二、三個繋げて輪っかにして遊んでいる。
久しぶりに会っても彼はとても彼らしかった。

「仁王君はここにいていいの?」
「明日もどうせ集まるからええんじゃ」
「そういうもの?」
「これここに付ければええんか?」

コサージュを一つ持ち上げ、見よう見まねで付けたそれを見せてくる。私が頷けば、また一つ手に取り同じように付けていく。どうやら手伝ってくれるらしい。
一年間過ごした教室での最後の思い出が、彼のお蔭で一人ぼっちのものではなくなりそうだ。

「お前さんは高校も立海かのう」
「そうだよ。仁王君もでしょ?」
「おん。同じクラスになれるかの」

机の上にあった造花は数を減らし、コサージュとなったそれは箱に収められていく。会話はふわふわとしているが、手先は器用なのかコツをつかんだ彼は私よりも早く手を進めていく。

「どうだろう。もし、同じクラスになったらまた一緒に日直するのかな?」
「それもええの」

喉を鳴らして笑った彼は、楽しそうに見えた。
それもまた、私の中で冬から春に変わった証明のひとつになった。

「それで終わりか?」
「いや、これは余りかな」

予備で入っていた造花がひとつ余った。そうだ、これを春の訪れを教えてくれた仁王君に授けようではないか。
私は彼のしっぽに似た髪をまとめている部分に造花を引っかけた。銀髪にピンクの造花は、雪原に咲いた一輪の花のようだ。

「似合ってるよ。手伝ってくれてありがとう」
「お前さんのが似合うぜよ」

毛先を弄りながら造花を見ている。

「お礼ってことで」
「礼なんていらん。お前さんが困っていたら何だって助ける」
「慰謝料を払ったこともあるんだけど」
「…それは口実に使っただけじゃし」

カタン—と静かな教室で音が響いた。
それは仁王君が椅子を引いたからで、彼にしては珍しくきちんと座って真っすぐに私を見た。

静かな教室でもう一度音が響いた。
それは彼の呼吸音。

「そうするのはお前さんにだけじゃよ。だって愛しとうもん」

私が付けた造花を外し、目の前に差し出した。それを掌に隠して手首をくるりと捻れば、中からは本物の花が現れた。

「いつだって、何だってお前さんが困ってたら助ける。でも寒い日はちょっと時間がかかるかもしれないナリ。……好いとうよ」

四つほど小さな花をつけたそれを、私の髪に掛けた。

「やっぱりお前さんのが似合う」


無条件で助けるのは優しさを通り越して“愛”だと、貴方は私に教えてくれた。

私だって貴方の事を無条件で助けたい。

だから、それは、つまり———

「私も仁王君のことが好き」



暖かな春がやってくる。
でも、今から冬が楽しみだ。

雪が降れば、やさしいやさしい貴方との思い出が思い出せるのだから。



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