雨が降る日

「あのさ、ずっと君のこと気になってて……。俺と付き合ってくれない?」
「今はそういう事は考えられなくて…。ごめんなさい」

薄暗い雲が空を覆う、放課後の中庭にて。高校1年になって早3ヶ月。こういった申し出を受けたのは5回目だ。
氷帝学園は中高一貫であり、高校になってもほぼメンツは変わらない。そんな学校では珍しく、私は高校になってからこの学校に入ったのだ。氷帝学園といえば、海外への交換留学も盛んであるし、高校では珍しくドイツ語などの語学にも力を入れている。そこに惹かれて私は入学した。

つまり告白を受けるのも、私が外部からの入学で珍しいからなのだ。

「あー…。でも試しに付き合ってみるとかどう?」

はっきりと断ったはずなのに、試しに付き合ってみるとかどういう事なのだろうか?しつこい!って叫びたいとこだけど、相手は2年生だ。下手に断って逆恨みとかされるのも怖い。というか、この人の顔も名前も今日知ったのだけれど……

「そういうのもちょっと……。本当にごめんなさい」

私は頭を下げる。なんで私の方が頭を下げなきゃいけないのだろうか。でもここを穏便に収めるにはこれしか思いつかない。

「でもさ……」
「おっ、ここに居ったんか。探したで」

尚もしつこく言い寄られそうになったとき、やんわりとした関西弁がその場の空気を壊した。
東京にあるこの学校で関西弁の人物といえば、私の頭に思い浮かぶのはただ一人。同じクラスの忍足侑士だ。

「自分、日直やろ。先生が探してたんやけど……って取り込み中かいな」
「えっと……」

私たち二人が先輩を見やれば、バツが悪そうに彼は去って行った。私がほっと肩をなでおろしていれば、後ろから押し殺した笑い声が聞こえてきた。

「俺が来た時のバツの悪そうな顔。あれめっちゃウケたなぁ。自分もそう思わへん?」
「そんな笑うほどかなぁ?助けてくれてありがとうね」

忍足君は一頻り笑ったあと、私の方へと向き直った。

「でも、今日の日直は私じゃなくて跡部君と忍足君でしょ」
「せやな。まぁ、教室から中庭見たらえらい可愛い子が絡まれとったからなぁ」
「3階1年の教室からここまでは来るのに10分はかかるよ」

私がにっこりと応えれば、あかんなぁと苦笑いをされてしまった。

「本当はさっきの男がお嬢さんに告白するゆうて廊下で叫んどったの見たから後をつけてきたんや」

なるほど。それにしても廊下で叫ぶとか、さっきの先輩は何を派手な事をしてくれたのか。ただでさえ最近は跡部君の件で目立ってしょうがないのに…。

「まぁ無事で何よりやな。あの先輩はあんまりいい噂聞かへんから気いつけや」

そういって忍足君はポンっと私の頭を撫でる。イケメン且つ少女漫画にでてきそうな行動、声の柔らかさ、さらに眼鏡に関西弁という属性をもっている彼が、女子から人気が高いのもうなづける。
「お嬢さん」という呼び方や「可愛い」とか素で言ってくるのも、最初は恥ずかしかったのだが、これが忍足君の正常運転だと分かってからは受け流す事にしている。

「そうなの?じゃあ尚更助けてくれてありがとうだね」
「お嬢さんは彼氏ほしいとか思わへんのか?今のが初めてじゃないやろ」
「彼氏がほしいっていうか…。好きになったら付き合うものでしょ。それにあの人たちは私を見ていないもの」
「見ていない?」
「初対面の人に告白されても、じゃあ私のどこが好きなの?って話じゃない。そうじゃなくて、私の内面をみてから好きかどうか判断してほしい」

饒舌になり、つい話過ぎてしまったことに気付く。この話し方ではモテる女の自慢話のようだ。いや、決して自分がモテるだなんて思っていないのだけれど、こうも立て続けに告白されていれば、ちょっとくらい調子にはのってしまう。
鼻で笑われてしまうかと思い、伺うように忍足君を見ると、悲しそうな顔をしていた。私を見ているのだろうけど、その眼はどこか遠くを見ているようだった。

「せやなぁ…。本当の自分を見てくれへん奴は信用もできへんしなぁ」
「忍足君?」
「ん?…あぁ、今のは独り言や。感傷に浸る男前は絵になるやろ」

私が声を掛ければ笑顔と一緒にはぐらかされてしまった。
忍足君はこの通りのイケメンだし、女子から告白されているという噂も聞く。そんな彼でも彼女がいないことからして、何か訳があるとは思っていたが、私の考えに近いところがあるのだろうか…。

「話は戻るけどなぁ、今のもやけどこの前の………」
「あれ?雨降ってきた?」

薄暗い雲の隙間からポツポツと雫が落ちて来る。梅雨なのだから雨が降るのは仕方がないとして突然降って来るのはやめて頂きたい。そう思いながらぼんやりと空を眺めていたら手首をぐっと掴まれた。

「お嬢さん!ぼーっとしてないで早く校舎に行くで」

そのまま忍足君に引っ張られるようにして校舎へと急ぐ、私達が屋根の下に入った瞬間、ザーッと強く雨が降り出した。

「ギリギリセーフだね」
「自分、もっと慌てないといかんで。それに危機感ももたないと」
「雨で危機感なんて大袈裟だよ」
「そうやなくて……。お嬢さん、この前跡部のファンの子らに呼び出されとったやろ」

その場が静かになり、雨音だけが偉くうるさく耳につく。
確かに忍足君が言ったことは事実だけれど、今わざわざ話題にださなくてもいいのに…。ちょっとムッとした顔で彼をみる。何時もなら「可愛い顔が台無しやで」って冗談を言ってくれるのにこの時に限ってはじっと私の顔を見つめていた。普段は優しいけれど、譲れない事があると熱くなる面は彼にもあるらしい。こうなったら引かないだろうというのは目に見えてわかる。
私はしょうがない、と思い口を開いた。

「まぁね…。ほらドイツ語の授業を取ってる人、うちのクラスだと跡部君と私だけでしょ?で、跡部君が色々と私に教えてくれるのが一部の子からしたら面白くないみたいで……」
「跡部だってお嬢さんの立場くらい分かっとるやろ?」
「うん。でも私が気にしないでって言ったの。だってこの学校に来たのは勉強をしたいからだし…。このくらい平気だって」

私は彼に笑顔を見せた。確かに妬まれる事はあるけれど、決して全員ではない。クラスに友達はいるし、この学校に来たことを後悔はしていない。
私の様子を見て、はぁと大きくため息をつかれてしまった。

「そんな顔されたら怒る事も慰める事もできひんなぁ」
「どっちもお断りします」
「自分がそう言うんなら、俺は見守ることにするわ」
「それってストーカーなんじゃ……」
「ちゃうわボケェ」

忍足君にぺしっと頭に平手打ちを頂いてしまった。

「なんか私にだけツッコミのキレが良すぎない?」
「それはお嬢さんだけの特別サービスや」

忍足君は軽そうにみえるが人をよく見ている。そういえば外部入学した私に、一番に話しかけてくれたのも彼だった。「隣の席の子がべっぴんさんで嬉しいわ」と言われたとき「先生じゃないんですか?」と彼に言ってしまったことはよく覚えている。でもそれがキッカケでクラスに馴染めるようになったのだから彼には感謝している。





今日は朝からしとしとと雨が降っている。放課後になっても雨がやむ気配はない。個人的に、雨の日は髪の毛が変にうねってしまうのであまり好きではない。
初めて来る部活棟を歩いていれば、正面から髪を弄りながら歩いてくる忍足君が見えた。

「こんな所で何してるんや。お嬢さん」
「担任の先生から榊先生にプリントを届けてくれって頼まれて…。榊先生の部屋分かる?」

私はプリントの束を持ち上げた。部室棟には榊先生の個室があり、先生はそこにいる事が多いらしい。ただ、この部室棟は男子テニス部専用の場所であり独特の雰囲気があるため部員達意外はあまり近寄ろうとはしない。担任もそうらしく、日直だった私にプリントを押し付けてきたのだ。本来ならもう一人日直はいるのだが、風邪気味で早退をしてしまったため一人で来た。

「案内したるわ。ついでにプリントも貸しい」
「それは自分で持つからいいよ。あとこれ貸してあげる」

私はポケットから手鏡を取り出し、忍足君に渡した。さっきから髪を弄ってるわりにはちっともクセが直ってないんだから。
私達は二人で歩きながら榊先生の部屋を目指した。忍足君は鏡を見ながら髪を整えている。そこそこ彼の中で形になったのか、手鏡を返される。

「ありがとさん。こんな跳ねてたとは恥ずかしいわぁ」
「忍足君、髪の毛切ったら?テニスしてる時邪魔じゃないの?」

男の人で髪を伸ばしている人を軽蔑するわけではない。ただ、髪をまとめる事ができないうえにワックスなどで整えてもいない彼の髪は邪魔ではないのかな?と正直思ってしまう。
うーんと少し考えるそぶりを見せた後、私の行く手を遮るように正面に立った。

「なぁ、俺が髪伸ばしとる理由聞きたい?」
「え?」

返事を待たずに、私の顔に影が落ちる。身長が高い彼を見上げていたのだけれど、だんだんとその距離が近くなる。決して速くはない速度なのだから、避ける事もできたのに、何故か私の体はその場に固まってしまったように動けなかった。

彼の吐息が唇にかかる。

「髪が長いと、こうやってキスするとき周りには見られずにすむやろ」

バサッ——

唇と唇が触れる寸前、両手で抱えていたプリントの束を床に落としてしまった。
心臓の鼓動が早い。顔が火照っているのが分かる。

「えっと、あの……。か、帰る!」

彼の顔を見るのも恥ずかしくて、落としたプリントもそのままに私は一直線に来た道を駆け戻った。
これはいつものような彼のからかいだ。こんなことくらい、いつもなら笑って受け流すのに、今日はなぜかそれができなかった。だって彼の目がとても真剣に見えたから。

無我夢中で走り、部室棟から抜ける。別棟の校舎に入ってすぐの曲がり角で人にぶつかってしまい、ようやく我にかえる事ができた。

「す、すみません!」

勢いあまった私はぶつかった拍子に尻もちをついてしまった。相手も「痛い」と言いつつも、転ばなかったところを見ると怪我はさせなかったらしい。とはいえこちらの不注意なのだからちゃんと謝らなければと見上げると、そこにはこの前私に告白した先輩が立っていた。目が合ってしまった私は思わず身を硬ばらせる。先輩も私のことを思い出したようだった。

「君、この前はよくも逃げたよね。でもやっぱり俺と付き合いたくなっちゃったの?」

この人、ちょっとヤバいかも…と思い立ち上がって逃げようとした瞬間腕を掴まれる。

「痛いっ」
「ねぇ、付き合ってくださいって言ってみなよ。そしたら付き合ってあげる」

こういう時、どうしてたっけ。
そうだ、あの人が………

「なぁ、自分なにやってんの?」
「お前、この前のっ………痛い痛い痛い!」

低い声と共に、私の後ろから手が伸びてきて先輩の腕をぐっと掴んだ。私の腕は解放され、かわりに後ろへと優しく引き寄せられる。振り返れば今までに見たことがないような忍足君の顔があった。

「懲りないやつは学習もできひんみたいやなぁ。今後彼女に近づくな」
「離せよ!暴力沙汰になって困るのはテニス部だろ!」
「忍足君!私は大丈夫だから……」

私のことに巻き込んで忍足君に迷惑をかけるわけにはいかない。夏には大会もある。下手すれば男子テニス部にだって迷惑が掛かってしまうかもしれない。
私の考えていたことが分かったのか、肩をポンっと優しく叩かれた。一瞬だけ私に視線を合わせ優しく微笑まれた。

「それはこっちのセリフや。自分、こういった騒ぎ起こすん2回目やろ。もう後がないんとちゃう?今後、彼女に近づかないと約束できるか?」
「……っ!…分かった、約束するから離せよ!」
「本当やな?」
「あぁ、もう二度と近づかない!」

先輩は腕が解放されるのと同時にその場から逃げ出した。先輩の姿が見えなくなり、後ろからの呼びかけで我に返る。

「忍足君…」
「本当、自分は目が離せないなぁ」

さっきと違い、優しい声でそう言われて、今まで溜めてきたものが涙となって溢れ出した。すると優しく頭を撫でられる。

「もう大丈夫やからな。それと、さっきはいきなりすまんかった。……自分を、抑えられへんかった」

声は強張っているものの、私の頭を優しく撫で続けてくれる。

「最初は外部入学っちゅうことで気になっとっただけなんやけど、だんだんと面白いやつやなぁって思って……。でも笑ってる分、悲しんだり我慢したりしてる事も知って、支えてやりたい思うた。守ってやりたい思うた」

今までうつむいていた私は顔を上げ、忍足君を見つめる。

「お嬢さんは自分よりも周りの人を優先してしまうからなぁ。だからその分俺が大切にしてやる。守ってあげたる」

私は涙を手の甲で拭った。雨の音がやけに心地よく聞こえる。

「好きやで。俺と付き合ってください」
「はい。……じゃあ、忍足君のことは私が守ってあげるね」

私がそういえば、彼は目を見開いた後に困ったように笑った。

「お嬢さんは相変わらずやな。でも、そんなのも可愛いと思えてしまうんは惚れた弱みやな」


外はあいかわらず雨が降っている。
雨を好きになることはないだろうけど、君との思い出を思い出せるのであれば、雨も悪くはないかもしれない———




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