空からあめが降ってきた。
雨じゃなくてアメ。飴。
口に入れると甘かったり酸っぱかったりするお菓子。
レモン、アップル、ソーダ、オレンジ、グレープ———
カラフルな包み紙の飴が青空を背景に私の頭上に降り注ぐ。
集中豪雨。いや集中豪飴を降らせた後、その飴玉は地面に散らばっていた。
もちろんそのままにしておくことも出来なくて一つ一つ拾い集めていく。
確かこれは今週発売されたばかりのお菓子だ。好きな女優さんがCMをしていたからよく覚えている。
「悪りぃ!もしかして当たったりした?」
地面に影が落ちて、顔を上げる。
そうしたら真っ赤な髪に風船ガムを膨らました男子生徒が立っていた。
「少しだけ…でも大丈夫だよ。これで全部だと思う」
拾い集めた飴玉をハンカチに包んで渡した。結構な量を拾ったので両手で渡してもこぼれ落ちてしまうのだ。
「サンキュー。いや〜菓子食おうとしたら赤也に見られて取り合いになってさ。そんでそこに真田と柳生の風紀委員コンビに見つかって揉めあっているうちに手が滑って窓から落としちまったんだよ。本当災難な日だぜぃ」
聞きなれた人物の名前が次々と出てきたので記憶を遡っていく。
そういえば隣の席の幸村君も赤也とか真田という人物名をよく口にしていた気がする。柳生君は2年の時同じクラスだったからよく覚えている。
ということは男子テニス部の人だ。名前はー……丸井ブン太、だったと思う。
「そうだったんだ。じゃあこれあげるね」
私は自分の鞄の中からホワイトチョコレートでコーティングされたドーナツを取り出した。家の近くにできたケーキ屋さんに売っていて、個包装になっているため母がお弁当と一緒に持たせてくれたのだ。しかし、お腹がいっぱいになってしまったため食べずに待っていた。
「マジでいいのかよ!?」
「うん。これで少しは災難な日じゃなくなったでしょ?」
「確かに、そうだな」
今まで不貞腐れていたような顔が、一瞬にして笑顔になった。
真っ赤な髪が眩しくて人懐っこい笑みが印象に残った。
「俺、部活あるから行くわ」
「うん。部活頑張ってね」
遠ざかっていく彼の背中を見つめた。
その後ろ姿が一瞬リンゴ飴に見えてお腹が鳴った。
でもあのとびきりの笑顔を見れたので、ドーナツをあげた事に後悔なんてしなかった。
◇
私が好きな女優さんがCMをしているお菓子は、期間ごとに新しい商品を出すらしい。
先週までは飴だったけれど、今週はチョコレート菓子がその女優さんのパッケージ仕様になる。
朝早く家を出て、コンビニでお目当てのお菓子を買った。
大きな黒目に、艶のある唇、良い匂いがしそうなサラサラな髪。朝からパッケージの彼女に見惚れてしまう。その姿に元気をもらって学校へと向かった。
教室でお弁当を食べ終えて、私は鞄の中のお菓子へと手を伸ばした。昼食後は毎日ではないけれど、友達と持ち寄ったお菓子を交換することが多くある。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
喜々として再度パッケージの彼女に見惚れていた私に声が掛けられた。
振り返ったらにっこりと笑みを浮かべている幸村君が立っていて、にやけていた顔が一瞬にして真顔に戻った。
「ど、どうしたの?」
「ブン太が君の事探してるみたいでさ。ちょっと隣のクラスまで一緒に来てもらってもいいかな」
「わかった」
そのままお菓子の箱を抱えたまま、幸村君の後に着いて行った。
何も考えずに着いてきたのだが、“ブン太”というのが誰かわからず一瞬混乱した。
それがこの前、飴を降らせた丸井君の事だと思いだした時には彼のクラスでその赤髪を見たときだった。
「ブン太が言ってたの、彼女じゃない?」
幸村君に促されるように、私は一歩前に出た。そうしたら丸井君は膨らませていたガムをパチンと割って目を輝かせる。
「そうそう!よかった見つかって!幸村君、サンキューな」
「じゃあ俺は先に失礼するよ。また教室でね」
幸村君は彼と私の顔を見て満足したのか、カーディガンを揺らして教室へと戻っていった。
「私に何か用だった?」
「これ借りたまんまだったからさ」
丸井君は私の前にハンカチを差し出した。綺麗に折りたたまれたそれを見て、先日拾い集めた飴をこのハンカチに包んだまま彼に渡してしまったことが思い出された。
「忘れてた。わざわざありがとう」
「俺の方こそ。っていうかその手に持ってるのもしかして……」
彼の視線の先にはチョコレートの菓子箱がある。
目敏くみつけた彼は、やはりかなりのお菓子好きらしい。
「朝コンビニで買ってきたんだけど、食べる?」
「いいのか?サンキュー!」
箱を開けて、個包装になっているチョコレートを彼に渡した。そうしたらさっそく袋を開けて大きな口に放り込んだ。
口の中でチョコが溶けていくたびに彼の顔がほころんでいくのが分かる。
「美味しい?」
「おう!そういえば俺は貰ってばっかりだな。今度なんかやるよ」
「別に気にしなくていいよ」
「俺がそうしたいんだって。好きな食い物あるか?」
「何でも食べるけど…」
「分かった。じゃあ期待してろぃ」
昼休みを終えるチャイムが鳴って、廊下が教室へと戻る生徒でバタバタと煩くなった。
「教室に戻るね」
「おう。じゃあな」
自分のクラスへと戻る廊下で、彼にあげたチョコレートを私も口の中に入れた。
じんわりと広がる甘い味。
チョコが美味しかったのももちろんだけど、同時に彼の表情も思い出されて私も自然と笑顔になった。
◇
最近では鞄の中身が教科書よりもお菓子の比重が増えてきた。
というのも女優さんの宣伝効果が絶大だったらしく、コンビニで対象商品を二つ買えば彼女のクリアファイルが手に入るという新たなキャンペーンが始まってしまったからである。
ファンとしては是非とも全種類そろえたいところ。
クリアファイルは全部で4種類。そして商品を2つ買わないと貰えないのだから、お菓子の消費が追い付いていない。
「またそれ食べてるの?」
だから友達も私がお菓子の袋を持っていればそのような言葉をよく発するのだ。
「食べない?」
「そのお菓子は飽きた」
「だよね……」
個包装になっているとはいえ、対象の商品は大袋の物が多い。
今はクッキーを消費中。お菓子は好きだが、同じものでは飽きてしまう。
「あ、いた」
本日、何個目かのクッキーを口に放り込もうとした時、廊下から私を呼ぶ声が聞こえた。
「丸井君?」
目が合えば小さく手招きをされて、彼のところへと急いだ。
「どうしたの?」
「これ。前言ってたやつ」
目の前に差し出されたのは可愛らしい一口サイズのマドレーヌで、透明の袋にはピンクのリボンまで巻かれていた。市販のものではないような気はしたけれど、マドレーヌはすごく綺麗な形をしていて美味しそうな匂いまで漂わせていた。
「いいの?っていうかこれってもしかして……」
「俺の手作りだけど」
「嘘!?すごいね!」
お店に並んでいても不思議ではないクオリティのそれに、丸井君とマドレーヌを交互に見てしまった。
休日にお菓子作りをすることもあるが、私より上手いことは一目で分かる。
「本当に貰っていいの?」
「もちろん。そんなに喜ばれるとは思わなかったわ」
美味しそう、というのも勿論だがクッキー生活を送っていた私にとってはそれ以外のお菓子をくれた彼に感謝しかなかった。
「あ、ちょっと待ってて」
消費しきれず困っていたお菓子の事を思い出し、急いで自分の席に行き彼の元へと戻った。押し付けるわけではないがお菓子好きの彼には是非ともこの消費をお手伝い頂きたい。
「丸井君、クッキー食べない?」
「え?また貰っていいのかよ」
「実は食べきれなくて困ってて…」
「そっか。じゃあ有難く頂くぜ」
彼は今日もその場で袋を開けてお菓子を食べた。
その場で食べなくてもいいのだけれど、彼のほころんだ顔を見られるのでそのことは黙っておいた。
「これ美味しいな。っつーかお前から貰う物、全部うめぇわ」
「本当?」
それはあの女優さんのお蔭なんだけどね。
「なぁ、今度俺の好きな菓子も教えてやるよ」
「え?」
「それは俺の手作りだけど、売ってる菓子でも美味いものあるからさ」
「そうなんだ。ありがとう」
「とりあえず明日は昼飯食ったら購買に集合な」
「わかった。楽しみにしてるね」
「ブン太、ちょうど良かった」
教室へと戻ってきた幸村君が、丸井君の姿を見てそう言った。
だから明日の約束以上の事は話さずに自分の席へと戻った。
貰ったばかりのマドレーヌを一つ摘まんで口へ入れれば、バターの良い香りと卵の控えめな甘さが口に広がった。
隣の席の幸村君が自分の席へと戻ってきたから、廊下の方を振り返って確認すれば丸井君と目が合った。
私の手元と自分の口元を指でさして、ジェスチャーで「美味しいか?」と聞かれたので私は笑顔で親指と人差し指で丸を作った。そうしたら少しの間の後、彼も笑顔になって小さく手を振ってくれた。
「マドレーヌ、そんなに美味しいの?」
私たちのやり取りを見ていたのか幸村君がそんなことを言った。
あまりに綺麗な弧を描いて笑うのだから、少しだけ恥ずかしくなった。
「うん。すっごく美味しい」
「よかったね」
少しだけ含みを持たせた言い方が気になったけど、そんなことも口に入れたマドレーヌの甘さがかき消してくれた。
◇
彼からのお菓子はその日のうちにペロリとたいらげ、残っていたクッキーも友達の協力のもと完食した。
まだ彼女のクリアファイルはそろっていないけれど、今日はコンビニには寄らず真っすぐに学校に向かった。
もちろんそれは昼休みに大切な約束があったからだ。
お弁当を食べ終えて、購買へと急いでいけば彼がすでにそこで待っていた。
「遅れてごめんね」
「いや、俺も今来たところだから」
二人でお菓子の陳列棚に向かう。
昼時のピーク時を外してきたためか、人も少なくお菓子を探すにはちょうどいい時間。
コンビニほどではないが、購買もなかなかに品ぞろえは充実している。
「これなんか俺のおすすめ」
彼が手に取って見せたお菓子はスノーボールクッキーで、昨日までクッキーの消費に苦しんでいたにも関わらず食べてみたいな、と思ってしまった。
「いいね。美味しそう」
「お前のおすすめは?」
おすすめか…。最近ではパッケージとクリアファイルに惹かれて買っていたのでいざ聞かれてしまうと即答ができない。
視線を彷徨わせていると、一つの商品が目に入る。そういえば、と思い出してそれを手に取った。
「これ美味しいよ」
「ポテトチップス?」
それはポテトチップスにチョコレートがコーティングされたもの。色々な会社で似たような商品が発売されてはいるが、私が食べた中では少し厚めのギザギザのポテトチップスを使用しているこのメーカーの物が一番美味しいのだ。
「見たことあるけど食ったことはなかったわ」
「私、これと丸井君のおすすめのお菓子買うから少し食べてみる?」
「いいのかよ?」
「もちろん」
「じゃあ俺はこれとこれとー……」
片っ端から、と言っていいほど彼は棚からお菓子を抜き取っていった。
よく胃に入るなぁと感心しつつも、彼の食欲に心配になる。
私もここのところお菓子を食べ過ぎてるので人の事は言えないが、体重管理はしっかりしようと心に決めた。
「ここでいいかな?」
「うん。あの、それ全部食べるの?」
お菓子を買い込んで、外のベンチへと移動した。彼の袋にパンパンに詰め込まれたお菓子を見てついそんなことを聞いてしまった。
「今は全部食べねーよ。ただ放課後も腹減るからさ」
なるほど。確かにテニス部の彼なら代謝も良くてそうなるかもしれない。
彼がさっそくポッキーの箱を開けたものだから、私もポテトチップスの袋を開けた。久しぶりにその匂いを嗅いで、お昼ご飯を食べたのに胃が欲するのを感じた。
「いただきます」
「いただきまーす」
パリッと、ポテトチップスの塩味と滑らかなチョコレートの味が口の中に広がった。
久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しい。
パリパリと食べていると、隣からの視線が注がれていることに気が付いた。
隣を見たら丸井君がじっと私を見ていて、お菓子を分けてあげることを忘れていたことに気付く。
「ごめん丸井君。分けてあげる約束、忘れてたよ」
「あ、いや、そうじゃなくって……」
開けたポッキーの袋を左手に持ったまま歯切れの悪い返事をした。
彼ならとっくに一袋食べていたと思ったのに、それは半分も減っていなかった。
「お腹痛いの?」
「ちげーよ!その、美味そうに食うなぁって思ってさ」
「だって美味しいんだもん。丸井君だって美味しそうに食べてるよ」
「俺の事は別にいいんだよ」
「そんなことないよ。これ食べてみて」
私がお菓子袋を差し出せば、彼はそこから一枚取り出して口へと運んだ。
「ね。美味しいでしょ?」
彼の顔がほころぶところを見たくて、つい早めに声を掛けてしまった。
そしたら笑顔になる前に顔が赤くなったから私は驚いて顔を近づけた。
「どうしたの?」
「か、顔が近いっつーの!」
「ごめん…」
「いや、そうじゃなくって……味なんか分かんねぇよ……」
「美味しくなかった?」
「…美味かったよ」
話が噛み合わないところもあったけれど、その言葉を聞けた私は満足してもう一枚お菓子を口へと運んだ。
丸井君はというと、その後もお菓子を口に運んでいたけれどポッキーの二袋目すら開けることなく昼休みを終えた。
◇
最近、丸井君がうちのクラスに顔を出すことが増えた。
なぜそれに気付いたかというと、隣の席の幸村君が彼に呼ばれて席を立つ回数が増えたからだ。
ついでに私に話しかけてお菓子をくれる時もあれば、声を掛けずに自分の教室に帰ることもある。
でも目が合えば、彼は必ず私に手を振ってくれるのだ。
「今日の放課後ヒマか?」
この日は幸村君にではなく、私に話しかけに来てくれた。
昼休みや放課後の予定を聞かれるときはお菓子を買いに行こうと誘われる。だから私の返事もすでに決まっていた。
「うん。今日も購買にする?」
「いや、今日はコンビニ行かねぇ?新商品多いしさ」
そういえば、例のクリアファイルがあと一枚で揃うところだった。
最近は彼からのお菓子の差し入れも増えてきたので、すっかりコンビニに行く習慣がなくなっていた。
「いいね。じゃあ昇降口で待ってるね」
「りょーかい」
約束した後、彼はいつも噛んでいるガムを私にくれた。
グリーンアップル味のそれを噛むと、丸井君の香りが鼻に抜けた感じがした。
放課後の楽しみを風船ガムに吹き込んで、丸く膨らませてみせた。
「あっ!」
放課後、コンビニのお菓子コーナーに着くや私の目の前にはあの女優さんのポップが目に飛び込んできた。どうやら次の商品はマシュマロらしく、パッケージにはウインクをして微笑む彼女の姿があった。
「なんか美味そうなもんでもあったのか?」
私の肩越しに覗き込んできた彼に、手に取った彼女のお菓子を目の前に見せた。
「これ新商品なんだけど、私が好きな女優さんが宣伝してるの。すっごく可愛くない?」
丸井くんは顔を近づけて、まじまじとパッケージの写真を見た。
顔が私に近づきすぎて、一歩引いてしまったのはここだけの話だ。
「そうか?」
「そうだよ!目大きいし唇柔らかそうだし髪の毛サラサラなんだよ」
「んー…。そうかもしれないけど細過ぎ。俺はこのくらいの方が好きだけど?」
お菓子を持ち上げていた私の二の腕を、ふにゃりと摘まれた。彼はさらにふにふにと私の二の腕を触るものだから、恥ずかしいのとくすぐったいので一気に顔が真っ赤になった。
「な、何するの!」
「こっちのマシュマロの方が俺には美味そうに見えるわ」
「マシュマロじゃないよ!」
真っ赤になった私を嗜めるように笑った。
熱の引かない顔をお菓子の陳列棚に向けて、必死にいつもの私を取り戻す。
「これは買う!あと一つはどうしようかなぁ」
丸井君も彼女のポップを見てクリアファイルのことを理解したのか、対象商品であるチョコレートを手に取った。
「これでいいのか?」
「それもクリアファイル貰えるね」
そうしたら私の手に持っていたらマシュマロも取り上げて、二つの品を持ってレジへと進んでいった。
「自分で買うよ」
「俺が食いたいだけだって。それと、これ使って家庭科室で焼きマシュマロ作ろうぜ。お前は早くクリアファイル選べよ」
その日、私が一日中ご機嫌だったのは言うまでもない。
お昼休みに話しかけてくれたから。
彼女のクリアファイルが揃ったから。
お菓子を買ってもらえたから。
焼きマシュマロが美味しかったから。
でも一番の理由は、君と放課後コンビニまでの道を歩いたからなんだよ。
なんてことに気付いたのは少し先の話である。
◇
やっと揃った4枚のクリアファイルを、学校に持って行って友達に見せた。
放課後の教室で一枚一枚彼女の魅力について語っていたら、それを見ていた担任にプリント印刷の仕事を押し付けられた。
友達は上手いこと逃げ出して、私は一人で下校時刻ギリギリまで仕事をする羽目になった。
ようやく終わったと昇降口まで行けば、あめが降り出していた。
今日は飴じゃなくて雨。しかも大雨である。
こんな帰りが遅くなるとは思っていなかったから傘も持って来なかったし、置き傘もない。
待っても止みそうな気配もないので、私は覚悟を決めて雨が降る地へと足を踏み出した。
鞄の中身を守るように前に抱えて、視界が少しでも見えるように手を頭の前に当てて屋根を作る。
「おい、ちょっと待てって!」
校門を潜り抜けて、靴に水が染みてきた。
そう思った時、不意に腕が引っ張られて今まで降っていた雨が止んだ。
いや、確かに雨音はするのだけれど私の頭上には降っていなくて、ついでに腕には制服の上からでも分かるくらい温かなぬくもりがあった。
「丸井君!」
「お前、この雨の中走って帰ろうとしたのかよ」
「傘忘れちゃって……災難な日だよ」
「風邪ひいたらどうすんだよ。これで拭けって」
彼は鞄からタオルを取り出して私の頭をわしゃわしゃと拭いてくれた。
それと同時に寒気を感じてくしゃみも出たものだから、丸井君が追いかけて来てくれてよかったと思った。
「大丈夫か?」
「うん。丸井君のお蔭でね」
「災難な日じゃなくなったか?」
どこかで聞いたその言葉。
そういえば初めて会った日にした会話がそんな内容だったね。
彼もそれに気付いたのか、思い出したように笑った。
「とってもいい日になったよ」
「そりゃ良かった」
彼はそのまま私を傘に入れて、家まで送ってくれた。
タオルは洗って返すと約束して遠ざかる背中に「ありがとう」と叫んだ。
振り返って手を振ってくれた彼の肩は私よりもびっしょりと濡れていて、傘をずらしてくれていたことに気が付いた。
もう寒気なんて感じなかった。
そのかわり体温が急上昇したのを感じた。
◇
彼といると楽しい。
笑顔を見ると嬉しくなる。
お菓子がいつもより美味しく感じる。
でもその感情の中に、“愛おしい”という気持ちが追加された瞬間は突然の事だった。
でも認めてしまえばすごく単純な事。
私は丸井君が好きなんだ。
「最近、ブン太と仲良くしてくれてるみたいだね。ふたりは付き合ってるの?」
新たに彼に芽生えた感情。
そのことに気付いたかのように幸村君がそんなことを言った。
授業が終わり、片づけをしていた教科書を落としそうになる。
「えっと…仲はいいけど、まだそんなんじゃないよ」
「“まだ”ってことは何時かなるのかな?」
つい言ってしまったその言葉を指摘されて、一気に顔が熱くなった。
幸村君は楽しそうに見ていて、なんでもお見通しな事に気付いてしまった。
「そ、そういう意味じゃなくてよく分からないって意味で……!」
「ふーん」
「何が言いたいのでしょうか?」
「ブン太は結構モテるよ」
「本当!?」
「幸村君っ!」
私が前のめりになってそう聞けば、幸村君は肩を揺らして笑った。
そうしたら廊下から彼を呼ぶ声が聞こえた。その声の主は風船ガムを大きく膨らませて、パチンと割った。ガムが割れた下にあった彼の表情はとても不機嫌なものだった。
「丸井君だ」
「どうやら相当機嫌が悪いみたいだね。行きたくないなぁ」
「部活の事じゃない?部長さんのお呼びだよ」
「君が行っておいでよ」
「わ、私が行ったらおかしいでしょ!」
「幸村君ってば!!」
幸村君がわざとらしくぐずって席から立たなければ、もう一度丸井君が大きな声で彼を呼んだ。
初めて聞く彼の大きな声に驚いて、いよいよ本気で怒るのではないかと幸村君を促した。
「早く行った方が良いよ」
「そうだね。じゃあ行ってこようかな」
彼は丸井君とは裏腹に、楽しそうな弾む声でそう言った。
二人の様子が気になって、幸村君の後を目で追いかけた時に丸井君と目が合った。
何時もなら必ず手を振ってくれるのに、今日はすぐに目を逸らされた。
胸がちくりと痛んだ。
◇
彼女が宣伝を務めるお菓子もこれで最後らしい。
初回に発売された飴に、さらにピーチ味を追加して新パッケージとなったこれが最後。
丸井君がクラスに来なくなった。
お菓子が美味しくなくなって、食べる機会も少なくなった。
きっとまだピーチ味は食べていないはずだ。それを理由にして放課後会いに行こうと思った。
幸村君に聞いたらもう三年生は引退したから部活はないと言っていた。それから聞いてもないのに丸井君は図書室で勉強していることも教えてくれた。
でも図書室に彼の姿はなくて、代わりに窓の外で赤髪が揺れるのが見えた。
鞄からお菓子の袋を取り出して、校舎裏に行ったであろう彼の姿を探す。
彼の声が聞こえた。校舎裏の大きな一本木のところ。
そこはいわゆる告白のスポットになっている場所で、私の嫌な予感が的中した。
「ブン太君の事が好きなの」
女の子の消え入りそうな声。
声を掛けることも出来なくて、静かにその場から逃げた。
「ブン太は見つかった?」
「幸村君……」
花壇で水やりをしていた幸村君に声を掛けられる。彼の足元では水を与えられたばかりの花達が嬉しそうに揺れていた。
「見つかったんだけどダメだった」
「告白は出来なかったという事かい?」
穏やかな笑みを浮かべて当たり前のようにそう言った。
「バレてましたか?」
「分かりやすかったからね」
ずっと持っていた飴玉の袋が風でかさりと揺れた。
こんなたくさんの飴、一人じゃ食べきれないよ。
「幸村君、これ食べない?」
彼の前に飴袋を差し出した。
それを見て彼は困ったように笑っている。
「せっかくだけど遠慮しておくよ。あそこにいる人に怒られるのも嫌だしね」
彼の目線は私にも飴玉にも注がれていなくて、代わりに私の後ろのもっと先を見ていた。
振り返ると赤髪の彼がいて、珍しくガムも膨らませずにそこにいた。
驚いた顔で私たちを見ていて、彼は大きく一歩踏み出してこちらに走り出した。
今さら自分の気持ちなんか伝える気も起きなくて、真正面から拒絶されるのも怖くて、私もその場から駆け出した。
走って走って。
でもテニス部の彼に足の速さで勝つはずもなくて。
「待てって!」
腕を掴まれた瞬間、バランスを崩した。
だからそのまま引かれるままに丸井君と一緒に倒れこむ。
そうしたら手に持っていた飴玉が袋から飛び出て、私達の上に降り注いだ。
レモン、アップル、ソーダ、オレンジ、グレープ———
今日はおまけにピーチも。
「悪りぃ!大丈夫か?」
「う、うん」
隣を見れば丸井君も私と同じように横に転がっていて、その赤髪に飴玉をたくさん身に着けていたものだからつい笑ってしまった。
「飴玉ついてるよ」
「お前にもたくさんついてるよ」
そう言って彼は私の髪や制服に乗っていた飴玉を拾い集めてくれた。
彼の手が触れたところに熱が帯びる。
「丸井君はさっきの子と付き合うの?」
やっぱり丸井君の事が好きなんだなぁって。
そう思ったら拗ねたような言葉がこぼれ落ちた。
「見てたのか?」
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど…」
「断った」
「本当!?」
勢いよく起き上がったら、まだ服に乗っていた飴玉が飛び散って丸井君の上に降らせた。
でも、次は彼の目線が逸らされて拗ねたような声で言葉を発した。
「お前こそどうなんだよ」
「え?」
「最近、幸村君がお前と仲がいいって自慢してくるんだぜ?それにお前好きな奴いるんだろ」
予想もしていなかった言葉が次々と出てきて、思考が追い付かなくなった。
でもその方が良かったのかもしれない。
思考を働かせてる暇が合ったら、思ったまま単純に言葉にしてしまえばいいのだから。
「好きな人、いるよ」
「それってやっぱり……」
「丸井君だよ」
飴玉よりも大きく目を見開いて、私を見た。
「あんなに一緒にいて好きにならないわけがないよ」
「マジで?」
「マジです」
先ほどの私の様に彼も勢いよく体を起こして、飴玉を地面へと落とした。
「俺もお前の事が好き。あんなに幸せそうに食う顔見たら好きにならないはずがない」
そういえば私の「ダメだった」という言葉に対して、幸村君は「フラれたの?」とは聞いてこなかったな。
こんなにも単純だったのかと後になって気付かされる。
地面に散らばった飴玉を、今日はふたりで拾い集めた。
互いに飴玉を口に放り込めばやっぱり彼の顔はほころんで、飴がより一層甘く感じた。
そんな私の顔に影がかかって、彼の柔らかい唇が重なった。
ぺろりと余裕そうに自分の唇を舐めた丸井君とは裏腹に、私は彼の髪色にも負けないくらい真っ赤になった。
それは今まで食べたどんなお菓子よりも甘くて甘くて、忘れられない味だった。