羊の夢はおひるね日和

「悪りぃ!ジローの奴見てねぇか?」

私の放課後は、テニス部員のこの一言から大抵始まる。
蛇口をひねりホースの水を止め、走ってきた小柄な男の子へと近づいた。
今日は彼の幼馴染である向日君が捜索係に任命されてしまったらしい。

「見かけてはないけど場所は多分わかるよ」
「本当か!?」
「うん。見つけたらテニス部の方に連れてくね」
「やった!これで跡部にうるさく言われなくて済むぜ。悪りぃけど、頼んだぜ」

赤髪を揺らして飛ぶように向日君はテニスコートへと戻っていった。
園芸部である私は一度道具を花壇の隅に寄せ、彼の捜索へと向かった。



季節は6月、気温は25度、雲一つない快晴。
比較的過ごしやすいこんな日は、風が吹いてお日様の光がよく当たる場所に彼はいる。
そうなると場所は限られてくるわけで、私は真っ先に思いついた場所へと急いだ。

テニスコートから少し離れた用具倉庫の裏手、その近くにあるクスノキの下。そんな場所で、木漏れ日の温かさに身をよじりながら気持ちよさそうに眠っている、探し人を発見した。

向日君が苦労して探していたにも関わらず、そんな事はお構いなしにと芥川慈郎は気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「ジロー君、起きて」

私が声を掛けても当然目を覚ますことなく、コロリと寝返りを打って再び寝息を立てた。

「向日君も探してたよ」

寝ている彼の頬っぺたをツンツンと突いてみた。彼の頬は柔らかくて赤ちゃんのそれに似ている。
そうしたらむにゃむにゃと口を動かして薄っすらと目を開けた。焦点が合わないのかしばし瞬きを繰り返している。

「ん〜……」
「目、覚めた?」
「あ、おはよ〜!今日も君が起こしに来てくれたの?うれC〜!」

私の声を聞いて意識がはっきりとしたのか、起き上がって人懐っこい笑みを向けた。
この様子だと本日の寝起きは悪くないようだ。

「おはようジロー君。今日は天気もよくてテニス日和だよ。部活行こう?」
「でもお昼寝日和でもあるよ〜。君も一緒に寝よう?」

一度目覚めたものの、まだ寝足りないのか彼は欠伸をして私の腕を引っ張った。
確かに彼の言う通り、暖かな風が頬を撫でお昼寝したくなる。しかし向日君と約束した以上、私が誘惑に負ける訳にはいかないのだ。
彼が再び横になろうとしたものだから私は引かれた腕に力を込めてそれを制した。

「ジロー君!明日からはね、雨が降る日が多いんだって。だから当分外でテニスできなくなっちゃうよ?」
「えぇ!それは嫌だC〜…」
「でしょ?だから今日はいっぱいテニスしよう」
「うん!じゃあ君も一緒に行こう!」
「え?ちょっと……」

先ほどの眠気はどこへやら、彼は勢いよく立ち上がり私の腕を掴んだまま走り出した。
ジロー君は単純で素直で自由で、周りの人を困らせることも多いけれど、どこか憎めない。だからテニス部の人達も彼には少しだけ甘いのだ。

ジロー君を連れて行くと言ったのに、何故か私がジロー君に連れてこられた状況を見て向日君には大口を開けて笑われた。
「今日は試合もあるし見ていけば?」というお言葉に甘え、彼の試合を見学させてもらうことにした。

先ほどまで寝ていたとは思えないほど右に左にボールを追いかけて、彼は得点を決めていった。
普段はのんびりしている事が多いけれど、一度のめり込むとその集中力はすごい。今はその対象がテニスであり、彼を唯一魅了するものかもしれない。

試合はジロー君の勝利となり、観覧席にいた私と目が合えば彼は大きく叫んでVサインをした。
少し恥ずかしかったけど、私も胸の前で小さなVサインを作ってみた。





天気予報は外れることなく、どんよりとした雲が雨を降らせていた。
園芸部の活動はもちろんお休みで、放課後は早々に帰ろうと思っていた。

そんな時、見覚えのある髪型の男の子が保健室に入るのが見えた。湿気のせいでもあるのかいつにも増してくるくるでもこもこの髪型は間違いなくジロー君で、もしかしたら何かあったのではないかと急いで保健室へと向かった。

保健室前のボードには“先生不在。何かあれば職員室まで。”の文字が書かれていて、私は控えめに三度ノックして扉を開けた。
窓の外ではしとしとと雨が降っていて、奥にあるベッドのしきりのカーテン越しに影が揺れた。
静かにそのカーテンを引くと、掛け布団を抱き枕の様にして寝ているジロー君がいた。

「また寝てるの?」

そう独り言のように呟いて、彼の柔らかな髪を触れた。細い髪が指の間を抜け、またくるりと元の形に戻る。それが面白くて繰り返し触っていたら、彼は身じろぎをしてうっすらと目を開けた。

「ん〜……」
「ごめん、起こしちゃった?」
「……夢をみてた」
「夢?」
「木の下でお昼寝する夢」
「夢の中でも寝てたの?」

私がくすりと笑えば、彼はいい夢だったんだよと楽しそうに言葉を続けた。

「風が吹いて、お花の香りもしたんだ。あんなところでお昼寝してみたいなぁ」
「そんなに素敵な場所なら私も行ってみたいな」
「じゃあ俺が連れてってあげるね」

外はしとしとと雨が降っているのに、彼は太陽のように笑い、暖かな日差しを私にそそいだ。

「そういえば、なんでジロー君はジャージなの?」

先ほどは遠目からで分からなかったが、彼はテニス部のジャージのファスナーを真上まで上げて着ていた。今日、部活があるとしても教室からここへそのまま来たであろう彼が身に着けているのは違和感があった。

「制服濡れちゃったから」
「傘忘れたの?」
「ん〜…ねぇ、お話しよう」

彼は枕に顔をうずめながら、まどろんだ目で私を見た。
私の話を聞いていなかったのか、それとも寝ぼけているのか。
でも、私の袖を引っ張って言われてしまえば、彼のお願いを聞くしかできないのだ。

「いいよ」
「最近、一番楽しかったことは何?」
「え〜と……あ、この前友達と綿菓子を食べに行ったの。虹色ですっごく大きくて、枕にもできるくらいふわふわだったんだよ。綿菓子を帽子みたいにして写真を撮ったんだけどだけど……」
「ん〜………」

案の定、彼は私の話の半分も聞かないで眠りに落ちてしまった。

早々に帰るつもりだったけど、そんなことはできなかった。だって彼は私の袖をつかんだまま眠りに落ちてしまったから。
その事を言い訳にして、私は彼の寝顔を眺めながらもこもこの髪を撫でてみた。





3月に種まきをして、それから大切に育ててきた子たちが花を咲かせてきた。
白、ピンク、黄色、青色――まだまだ蕾のものもあるが、日に日に花壇が彩られていく。梅雨のせいで茎が折れたり根が腐りかけたりもしたが、何とか持ち直してくれてほっとする自分がいる。

「お、もう花が咲いてるじゃねーか。綺麗だな。お前が育てたのか?」

放課後、傷んでしまった葉の一部を切り落としていればそんな言葉が聞こえてきた。そちらを見ると、長髪でジャージ姿の男の子が咲いたばかりの花をまじまじと見ていた。

「宍戸君。そうだよ、やっと咲いたんだ」
「去年は雑草しか生えてなかったのにな。花もきっとお前に感謝してるだろうよ」

構内の一角の、それほど大きくもない花壇。掃除は行き届いているが目立つほどの場所でもない。そんな場所にも関わらず宍戸君はよく見ていてくれていたらしい。

「ありがとう。頑張った甲斐があったかも。宍戸君はもしかしてジロー君を探してる?」

せっかく褒めてもらえたけれど、普段言われ慣れない言葉にむず痒くなってすぐに話題を変えてしまった。
だって、きっと今日の捜索係は宍戸君だと思ったから。
彼の表情が笑顔から苦笑いに変わったところを見るとどうやら当たりだったらしい。

「あー…そうだった。ジローの居場所分かるか?」
「たぶん今日は体育館の裏か部室棟の非常階段のとこだと思う」
「マジか!いつも思うけどお前ってスゲェよな。ジローの居場所すぐ当てちまう」
「そんな事ないよ。もしかしたら違うかもしれないけど…」
「当てもなく探すよりマシだって。ありがとな!」
「ちょっと待って!」

すぐに方向転換して走り出そうとした彼の背中に声を掛ける。

「どうした?」
「私が探しに行こうか?間違ってたら悪いし……」
「いや、俺が行くよ。せっかく花が咲き始めたんだ。お前もまだやりたい事あるだろう?」

手に持っていた園芸バサミを見る。確かに、数日前から手入れをしているこの作業を今日中に終わらせたかった。

「うん。もしそこにいなかったらごめんね」
「気にすんな。ありがとよ」

宍戸君は面倒見がよく、後輩にも慕われているのだと、ジロー君が自慢げに話していたことも記憶に新しい。同じ幼馴染と言えど、向日君やジロー君のお兄さんみたいな存在だ。
そんな彼は任せとけ、という言葉を残して体育館の方へと走っていった。



一通りの仕事を終えて、園芸バサミなどを倉庫へと片付けた。

宍戸君にジロー君の居場所を聞かれてから大分時間が経っていたが、彼がちゃんと見つかったか心配になった。
まだテニス部は部活動時間で、気になった私はこっそりとテニスコートを覗いてみることにした。

コートからは球の打つ音と部員たちの声が聞こえてくる。だから私はこっそりと柱に隠れながら様子を伺った。
向日君がコートで打ち合いをしているところを見ると、正レギュラーが試合形式で練習をしているらしい。しかし、辺りを見回してもジロー君の姿はなかった。

「あの、どうされましたか?」

背伸びをしたらもう少し先まで見えるかもしれない。そんな事を考えていたら後ろから声がかけられ転びそうになった。
大丈夫ですか?という呼びかけと共に目があったのは色素の薄い髪色の背の高い男の子だった。

「大丈夫です。勝手に見ててすみません…あの、ジロー君って部活に来てますか?」
「芥川先輩ですか?宍戸さんが探しに行って………あ、宍戸さん!」

そう言った彼の目線を辿っていくと、宍戸君が猫背になってこちらの方に向かって来ていた。
何故、猫背なのか。
それは金色のふわふわとした物が宍戸君の背中の上で動いているのを見てすぐに分かった。

「お帰りなさい、宍戸さん!」
「ジロー君、見つかったんだね」
「長太郎、それにお前も来てたのか。ジローの奴を見つけたんだが、なかなか起きなくてこの有様だ」

そう言って笑った彼は、体勢を整えてジロー君を背負い直した。
そのままテニスコート近くのベンチに彼を下ろし、静かに横にさせた。一瞬、身じろぎをしたものの彼は気持ちよさそうに眠り続けている。

「宍戸さん。俺達、次はダブルスの練習だって監督が…」
「分かった。岳人の試合が終わるまでは寝てても大丈夫だからここに寝かせとくわ」
「私、ここにいてもいいかな?」
「そうしてもらえると助かるわ。じゃあ頼んだ。行くぞ、長太郎!」

テニスコートに戻る彼らの後ろ姿を見守って、私は未だに眠り続けている彼の顔を見た。
今日の天気は晴れ。本物の太陽から暖かな日差しが降り注ぎ彼の金髪を輝かせる。
その飴色の髪に触れたくて手を伸ばした。細い髪が指の間を抜け、またくるりと元の形に戻る。

「あれ〜…なんで君がいるの?」

彼の目が覚めて、焦点が合わなくまどろんだ目が私をとらえた。
もう少し寝顔を見ていたかった。もう少し触れていたかった。でもそんなことは出来なくて、私は名残惜しく手を引っ込めた。

ジロー君は欠伸をしながら上体を起こし、うーんっと大きく伸びをした。そして空いた分のスペースをぽんぽんと二回たたいてくれたから、私は彼の横に腰を下ろした。

「宍戸君がジロー君を探してたから、心配になってここまで来ちゃった」
「そうだったんだぁ。じゃあ宍戸じゃなくて君に起こしてもらいたかったC〜…」
「そんなこと言ったら宍戸君が可哀そうだよ」
「はぁ〜い…」

宍戸君には申し訳ないけれど、ジロー君の言葉が嬉しかった。私は必要とされてるんだって分かったから。

彼は欠伸交じりに返事をした。
目をこすっている彼はまた大きな欠伸をして、私はまた寝ないか心配になった。関東大会も近いと聞く。正レギュラーでテニスが上手いとはいえ、いつまでもこの調子ではさすがにまずいのではないだろうか。

「そうだジロー君、これあげる」
「ん〜…?」

私は鞄の中に入っていた本から栞を抜き取った。
それは花壇から切り落とした花で作った栞だ。捨てるにしては勿体なかったので色褪せていない花びらを並べて作ったものである。

「きれー!これ花壇のお花で作ったの?」
「うん。栞だけど、お守りとして持っててくれると嬉しいな」
「お守り?」

彼は私と栞を交互に見比べて小首を傾げた。

「"希望"とかW夢"とかW幸福"とか…いい意味の花言葉も持つ花があるから」
「すっげぇ!ありがとう!おれ大切にする」
「うん。だからテニスの大会も頑張ってね」

彼はその後、お昼寝を続けることもなく部活へと行った。
そして続けて三試合をしたジロー君を見て私を含めて皆が驚いていた。

部活が終わってもまだテニスを続けようとしていた彼を部員全員で留めていて、最終的には私も説得に加わった。
向日君や宍戸君を捜索係というなら、私はジロー君の専属マネージャーらしい。

知らないうちに専属マネージャー認定をされていた私は、彼と一緒に下校するまでに至った。
寝ているジロー君もいいけれど、楽しそうに話をする彼も一緒に居て楽しい。
空には一番星が輝き始めていて、今夜はいい夢がみれそうだと確信した。





「お花、綺麗だね」

私の放課後は、この一言から始まるようになった。

梅雨が明け、日中は気温が30度を超えるようになった。そして花壇の花は満開となり、みんなが足を止め花を見てくれるようになった。

男子テニス部は全国の切符を手に入れたのだと、先日の校内新聞で知った。
それなら、これからは毎日ジロー君を起こしに行かないといけないのかな、って思っていたけれどそんな事はなかった。

彼は授業が終われば真っすぐに部活へ行き、下校時刻ギリギリまでテニスをしている。
これは向日君から聞いた話だけど、ジロー君が尊敬している選手と全国で戦えるかもしれないんだって。だから練習にも身が入るらしい。

テニスに取り組んでいる彼を邪魔したくない。
だから私は毎日のように花のお世話をして、彼の笑顔のような可愛らしい花達に水をあげるのだ。

「やっぱりここにいた!」

少し前なら毎日のように聞いていた声に振り返れば、一直線に向日君がこちらに走ってきていた。ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして元気な声を発するいつもの彼とは違い、息を切らして汗を滴らせていた。

「どうしたの?」

私の目の前で止まった彼は肩で息をしていて、深呼吸をして口を開いた。

「ジローの奴が倒れたんだ。今保健室に運んだけど、宍戸がお前にも言っといたほうがいいんじゃねーかって。そんで……」

手に持っていたホースを投げ出して私は駆け出した。水がはねて靴も靴下も濡れたけど、そんなことは全く気にならなかった。
頭の中で嫌なことがたくさん思い浮かんだけれど、それをかき消すように走った。

全速力で走って、走って、やっと着いた保健室の扉をノックもせずに勢いよく開けた。

「ジロー君大丈夫?熱中症?倒れた時、怪我とかしなかった?」

頭に酸素が回ってなくて、声も擦れていた。
保健室には私を見て目を丸くした宍戸君が立っていて、でもそんなことはお構いなしに私はジロー君を探す。

「お前、足速すぎ…」
「とりあえず落ち着けって」

私の後を追いかけてきた向日君も保健室に到着して、二人して息を切らしていた私達に宍戸君は声を掛けた。
視界の端に入った保健室のベッド。布団には膨らみがあり、その事からジロー君がそこにいることが分かった。

「ジローは良く寝てるよ。貧血でも熱中症でもねぇ。まぁ寝不足で倒れたって感じだな」
「あいつ、雨の日に花壇で色々やってたもんな」
「え?」
「向日!それは言うなって言われてただろ」

ようやく呼吸が整った私は向日君の方を振り返った。
しまったという顔で苦笑いをした向日君を、宍戸君は困ったように見ている。

「それ、どういう意味?」

二人は顔を見合わせて、ちらりとジロー君の事を見た。彼の上にかかっている布団は一定の速度で上下に動いている。
気まずくなったこの空間で、最初に口を開いたのは宍戸君だった。

「雨風で花がダメにならないようにって、ジローが花壇にシートを掛けてたんだよ」
「あと、朝練前に掃除とかしてたよな。あいつが早起きとか初めは想像つかなかったわ」

保健室で寝ていた雨の日、彼はジャージを着ていた。
花壇の周りに砂が溜まっていることもなくなった。

彼のお蔭だったんだと知ったら、もう呼吸は整っているのに心拍数が上がるのを感じた。

「お前が気ぃ遣うだろうって、口止めされてたんだがな…」

宍戸君と向日君は全て話してすっきりしたのか小さな声で笑った。
その声にももちろん起きることなく、彼の布団は一定の速度で上下していた。

「俺らは部活に戻るわ。悪りぃがジローの奴、頼んだぜ」

二人が出て行った保健室はしんと静まり返って、この空間だけが別世界になったようだ。そして彼の寝息がこの世界の唯一の音。

「ありがとう。ジロー君」

起きたらちゃんとお礼を言わないと。
でも今は貴方がいい夢をみられるよう、傍でお祈りをさせてください。





夏が終わり、またカーディガンを羽織るようになった。
花壇を明るい色に染めてくれた花達はその役目を終え、私はまだ蕾である苗を花壇に植えることに放課後の時間を費やしていた。
ほとんどの三年生は部活を引退し、男子テニス部もそのひとつだ。園芸部は活動期間など細かく決められているわけでもないから私は今まで通りここにいる。
しかし、起こしに行く相手もいなければ、花壇を見て声を掛けてくれる人もいない。

「また花植えてんのか?寒くなってきたのによくやるなぁ!」

久しぶりに声が掛けられて、元捜索係である彼の事だと振り返らなくても分かった。

「向日君。久しぶりだね」
「だな!そういや最近ジローの奴見たか?」

全国大会を終えた彼を起こしに行く理由はもうない。そして彼が部活を引退したとなれば、専属マネージャーも引退だ。
お願いされることもなくなった今では、その言葉がひどく懐かしく感じられた。

「見てないけど…どうかしたの?」
「いや〜今も放課後はどこかで寝てるっぽいから風邪ひかねーか心配でさ。まあ学校には来てるから大丈夫だろうけど」

それから彼は「お前も風邪ひくんじゃねーよ」という言葉を残し跳ねるように帰っていった。
カーディガンに着いたほこりを払って私はスコップや苗のカップを片付け校舎へと足を向けた。

季節は9月、気温は23度、空が高くて風は吹いていない。
こんな日は少しでも太陽に近づけるよう、空中庭園のベンチで寝ていることが多い。

「ジロー君、風邪ひくよ」

以前と変わらず、私は彼を見つけることができた。
久しぶりに見た彼の寝顔は相変わらず幸せそうで、理由もなく起こすのは躊躇われた。起こす理由もなければ、探す理由もなくなったわけで、その優しく揺れる髪に触れることすらできなかった。

「あれ〜どうしたの?」

何がしたいのか。何をしたらいいのか。
それが分からなくて、しゃがみこんでベンチで寝ている彼の寝顔をじっとみていたら不意に目が合った。

「ジロー君が風邪ひくと困るから探しに来た、かな?」
「本当?うれC〜!」

彼は大きな瞳をキラキラさせてにっこりと笑った。
いつかのあの日の様に心拍数が上がった。

「あのね、あのね、また夢をみたんだ」
「どんな夢だったの?」
「お昼寝する夢」
「また夢の中でも寝てたの?」

彼はすごく楽しそうに夢の話をした。
風が吹いて、お花の香りがして、それに今日はおまけで羊やウサギも出てきたんだって。そんな夢のような場所も、彼が話すと現実にもあるような気がしてしまう。

「それでね、今日は君も一緒にお昼寝をしてたんだよ!それでそれで、目が覚めたら君がいて、すっごく嬉しくなったんだ」

彼の言葉が嬉しかった。
でも私がいる意味はもうなくて、彼を起こす理由もない。

「私は、まだジロー君の傍にいていいのかな?」

子供のような拗ねた言い方になってしまった。

「だって部活も引退したし、私が起こす必要もないし……」
「やだやだやだ!」

びっくりして顔を上げれば、彼もまた子供の様に声を上げた。

「どこにいても君が見つけてくれて、君の声で目が覚めて、一番に君の顔が見れる。俺が安心して寝られるのは君のお蔭なんだよ!」
「そんな風に思ってくれてたの?」
「うん!だって俺、君の事が好きだから!」
「え?」
「あっ!」

彼は両手で顔を覆って顔を伏せた。そして彼の口からはもごもごと言葉にならない声がこぼれ落ちていた。
私はというと、正直彼の声なんか全然頭に入ってこなかった。ただ一つ思ったことは、これからも彼の傍にいれる安心感だった。

私はジロー君の袖を引っ張った。
それに気付いた彼はゆっくりと手をずらしていき私に視線を合わせた。彼の瞳はわずかに潤んでいる。
先ほどは伸ばせなかった手を伸ばして彼に髪に触れた。

「これからも私がジロー君を起こしてあげる」
「…ほんと?」
「うん。私もジロー君の事が好きだから。その代わりにね、」

重そうな瞼はぱっちりと持ち上げられて、キラキラとした瞳はまた真っ直ぐと私をみてきた。

「夢の場所に連れてってくれるかな?」
「もちろん!」



夢の中の貴方もきっと寝ているのでしょう。
でもね、眠っていても大丈夫だよ。
これから先も、貴方を起こすのは私だから。




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