きっと最後はバッドエンド

関東の桜の開花時期は三月下旬〜四月上旬にかけて。
それは今年も例外ではなく、始業式の後に友達と近くの河原でお花見をしたのも記憶に新しい。

だから、私は目の前にいる日吉若の言う事が不思議でしかたがなかった。

「明日からの連休、暇だろ。桜を見に行かないか?」

暇だろ、の後にクエスチョンマークが付かなかったことに少しだけムッとして私は答えた。

「もうすぐ五月だよ。桜なんて咲いてるわけないじゃん」
「神奈川との県境にまだ咲いている場所があるらしい」
「それ本当?誰かの見間違いでしょ」
「だからこそ確かめたいんだよ」
「じゃあ日吉君が確かめてきてよ。本当に桜が咲いていたかどうか、後で教えて」

彼は先ほどまで目を通していた四月号の学校新聞を机に置いた。そこには私が書いた新入生へ向けた部活紹介一覧が記されていた。

「報道委員長サマが締め切り日を間違えてて、その分の取材を手伝ってやったのは誰だったか」
「うっ……」

日吉君の冷ややかな視線が刃物のようにグサリと心臓に突き刺さる。
報道委員長である私は三月に各部長にそれぞれ取材を申し込んでいたのだが、あろうことに原稿の締め切りを一週間間違えていたのだ。それに気付いたのは男子テニス部部長で、報道委員の副委員長でもある日吉君で、「なんで日付を間違えるんだ」と散々怒ったあと取材を手伝ってくれたのだ。

無事に記事を作り終えた私は、日吉君には土下座する勢いでお礼を言った。
そして、この話を出されてしまえば、私は何一つ彼に逆らう事はできないのだ。

「決まりだな」

日吉君もそれが分かっているのか、鼻を鳴らして満足そうに私を見た。

「この時期に桜なんて咲いてないと思うけど……」
「明日の朝九時に駅前集合だ」
「え!?ちょっと……」

私の最後の抵抗も虚しく、彼はさっさと荷物をまとめて教室から出て行ってしまった。
一気に静まり返ってしまった教室で、改めて椅子に座り直す。
「はぁ」とため息を付き、先ほど日吉君が置いて行った四月号の学校新聞を見る。
私の記事とは別に、他の委員が担当したコーナーには学校内の桜の写真が載せられていた。

「桜なんて、咲いてるわけないじゃん…」

そう呟いて、しばらくその桜を見ながらうなだれた。





「お前には十分前行動という常識は備わっていないのか?」

待ち合わせ場所に来て、会ってすぐの言葉がこれだ。

「まだ八時五十七分。遅刻はしてないよ」
「部活中だったらありえないがな。まぁいい、九時二十五分発の電車に乗るぞ」
「え!?じゃあ集合時間もう少し遅くても良かったよね?」
「お前が遅れると見込んでの集合時間だ」

相変わらずの上から目線であるが、朝も弱く、時間にも割とルーズな私は何も言い返せない。しかし、小言があるわりには私が来ないかもしれないという心配は彼にはなかったらしい。この様子だと、彼は十分以上も前からここで私の事を待ってくれていたのだろう。素直じゃないが、こういうところを見るとどこか憎めない。

「おい、早く行くぞ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
「はぁーい!」

自分の背にあるリュックを背負いなおし、小走りで日吉君の後を追いかけた。



ゴトンゴトンと電車に揺られ、窓から見える景色も高層ビルから山や畑に移り変わっていく。移動時間はそんなに長くもなかったけれど、少し移動すれば都内でも割と緑に溢れた場所があるのだということを初めて知った。
降りた駅は、ほぼ無人駅といってもいいくらい閑散とした場所で同じ駅で降りた乗客は一人もいなかった。

「ここからどうするの?」
「この坂を真っすぐ上っていく。そうすると山へ続くハイキングコースがあるからそれを辿って山を入る」
「なるほど……」

目の前の坂道は緩やかであるが、その先の山を見上げるとなかなかに果てしない道のりだ。

「まぁ頂上まで登る気はない。あの山の中腹くらいに桜はあるらしいからな」

私の顔色を察してか、彼は山の真ん中当たりを指さしてそう言った。
日吉君の服装はジーンズに耐水性もありそうなパーカーにスニーカ、そしてリュック。私も大方似たような服装だ。登山ってほどではないが、かなり歩くのだろうなと予想してきただけあって服装はこれで合っていたらしい。

「少し気持ちに余裕ができたよ。頑張ろう」
「ペースはお前に合わせてやる。だから最後まで付き合えよ」
「え、日吉君なんで優しいの?」
「…なんだその言い方は」
「“遅れたら置いてくからな”とか言うと思ったから」
「女子相手にそこまでは言わない。それに一応付き合ってもらっているからな」

恥ずかし気に視線を逸らした日吉君の横顔を見つめる。
学校新聞のこと然り、彼は部長業務が忙しい中でも報道委員会のことも気にかけてくれている。前に出て仕切るのは私だけれど、彼は裏では私の事を支えてくれていて相談にもよく乗ってくれていた。
だから日吉君が見かけによらず優しい人であることはよく分かっていたけれど、こう態度や言葉に出されると少しこそばゆくなる。

「おい、早く行くぞ!」

私の視線が恥ずかしかったのか、頬を赤く染め歩き出した。その顔を見てこっそりと笑い、彼を追いかけて横に並んだ。



しばらくはコンクリートで固められた道を歩き、山の麓からはハイキングコースに入った。偶にぬかるんでいるところもあったが、それでも歩きやすく標識に沿って進んでいけば迷わず山の中腹まで来ることができた。

「ここで休憩するか」
「そうだね」

約束通り、日吉君は私のペースに合わせて歩いてくれた。私が急ごうとすれば、かえって速度を落としてくれたし、転びそうになったら手を取ってくれた。
そんなに疲れを感じなかったのも、彼がいつもよりおしゃべりだったかもしれない。普段、互いにプライベートな話をする機会なんてなかったから部活の事とか趣味の話とか、いろんなことを話すうちにここまでたどり着いていた。

「そこに食堂もあるし、昼飯でも……」
「あの、私お弁当作ってきたんだけど…日吉君の分も」

目の前にあった食堂も兼ねた売店に入ろうとした日吉君の腕を引いた。
「山にいくならお弁当は必要でしょ?」と言われた母の言葉に頷き、早起きして二人分のお弁当を作った。共働きである我が家では毎日自分の分のお弁当は自分で作っている。二人分作るのも大して労力は変わらないため彼の分も作って来たのだ。

「本当か?」
「うん。もしよかったら」
「じゃあ、もらってもいいか?」
「もちろん」

近くにあったベンチに並んで座り、一つの弁当箱を差し出した。
「いただきます」と丁寧に手を合わせてから蓋を開けた日吉君は小さく声を漏らした。そして卵焼きを一つ摘まんで口に運んだ。

「これ、わざわざ出汁で味付けしてあるんだな」
「うん。もしかして卵焼きは甘い方が良かった?」
「いや、甘いよりこっちの方がいい。すごく美味しい」

それがお世辞ではなく本音だということは、日吉君の顔を見ればすぐに分かった。
卵焼きも、私にとってはいつもの味付けだったけれど、今日はやけに美味しく感じた。

「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」

食べる時と同じく丁寧に手を合わせて、彼はお弁当を食べ終えた。
その顔を見て満足した私はお腹だけでなく、心も満たされたような気がした。

「で、ここからどうすればいいの?」
「この売店の裏手に広場があるらしい。その外れにある大きな桜が今も咲いているという噂だ」

リュックを背負いなおし、まずは広場に向かい歩いていく。
歩道から見るよりも草木の量が増え、風に乗り甘い花の香りがした。
そこでふと疑問に思う。どこで日吉君はその桜の事を知ったのだろうか。町はずれのこんなところの桜など、少なくともうちの生徒は知らないだろう。彼は怪奇現象のような話が好きだしその関連で知ったのだろうか。

「ねぇ、日吉君はどこでその噂を知ったの?こんなところに桜があることすら、なかなか知っている人はいないと思うんだけど」
「前に桜についてのオカルト話を調べたことがあるんだ。ほら、よく言うだろ。“綺麗な桜の下には死体が埋まってる”って」
「え、ちょっと待って。今から行く桜の下に死体が埋まってるってこと!?」

思わず足を止める。それに気付き、振り返った日吉君と目が合えば、そうとう酷い顔をしていたのか声を出して笑われた。
怪談などの怖い話は正直苦手だ。ましてや実際にそういう場所に行くのは論外である。幽霊や地球外生命体については信じている分、関わりたくはないと言うのが本音だ。

「わ、私帰る!」
「おい、待てって」

踵を返そうとしたとき、腕を掴まれ正面を向かされる。
思いのほか、日吉君の顔が近くに合って思わず息を呑んだ。

「安心しろ。そこに死体は埋まっていない。ただの狂い咲きの桜というだけだ」
「本当?死体とか幽霊とかいないよね?」
「何かあっても俺がいるから安心しろ。ほら行くぞ」

日吉君の手が、私の腕から手に移動してそのまま優しく包み込まれた。そしてそのまま彼に引かれるように私は足を踏み出した。
彼らしく、「守ってやるよ」と言われた気がして顔が熱くなった。



「この辺りのはずなんだが…」

ぽっかりと空いた広場を抜け、辺りを探すも桜が咲いているような木は見つからない。日吉君とそれぞれ手分けをして散策する。

近くの木を見上げれば薄緑の葉を通して空の青が見え、足元を見れば小さな花がいくつか咲いていた。
空気も綺麗いで、何より日吉君と一緒にここに来られただけで私は充分だった。彼の事をここまで知れるとは思わなかったし、新たな彼の優しさも知れたのだから。

「咲いている桜は見つからないね」
「あぁ、桜の木はいくつかあるが散ってるな」

「もう諦めようか」、そう日吉君に言おうとした時、風が吹いて先ほどと同じ甘い花の香りがした。先ほどよりも香りが強い。それに誘われるように先へ進んでいき私は目の前の景色に声を上げた。

「日吉君!こっち来て!」
「見つかったか?」

私の声に振り返った日吉君を手招きして、目の前に広がる光景を指さした。
そこには、濃いピンクに染まるツツジが一面を覆っていた。
桜ではなかったけれど、その光景は息を呑むほどのものだった。

「すごいな……」

こんなにたくさんのツツジを見たことがなくて、しばらくその景色を黙って見つめていた。
ツツジには白や薄ピンク色の種類もあるけれど、目の前にある花はピンクというには濃すぎるほどの色をしていた。

花として見るにはゾッとするほどの色合い。
なるほど、“綺麗な桜の下には死体が埋まってる”と表現した人もこのような光景を見て思ったのだろうか。そう表現すれば、きっと皆その桜を「綺麗だね」の一言で終わらせずに済むのだから。

「結局、桜は咲いてなかったな」
「うん。でもあの景色が見れただけで充分だったよ」

太陽が真上から西に傾いてきた。
左半分が照らされている日吉君の顔を見ながら、私達は駅を目指し道を下っていた。
目をつぶれば、まだあの毒々しいほどのピンクが瞼の裏に焼き付いている。私はその景色が見れただけで充分だったけれど、日吉君は桜が見れなかったのが残念だったようで少し元気がなかった。

「ねぇ、もし私が桜の下に埋まったら五月にも咲かせることができるかな?」

ひとつ、提案をしてみた。
私なんかでは綺麗な桜を見せられないけれど、丸一月分くらいの養分にはなるのではないかと。

「怖い話は苦手なんじゃなかったのか?」
「怖いじゃなくてファンタジーの話だよ」
「じゃあその時は俺も一緒に埋まってやるよ」
「何で?」

思いのほか嬉しそうに彼は笑っていた。

「お前ひとりじゃ心細いだろうと思ってな」
「傍から見たら心中だと思われそう」
「階段話として語り継がれるのも面白いだろう?」
「きっとその話は悲劇だね」



五月の学校新聞——
“狂い咲きの桜の下で告白すると結ばれる”
明治時代、無理心中をした男と女がいた。その友人らはせめて死後の世界で結ばれるようにとその町で一番大きな桜の下に二人を埋めた。その桜に宿った二人の魂が恋を成就させると言われており———

その学校新聞を日吉君に見せれば真っ赤になって、普段の彼からは想像できないような甘い言葉を私に言った。
毒にもなりそうなその甘い言葉を、私は素直に飲み込んだ。

あぁ、胸が苦しい。
でもこれは悲劇というにはあまりにも愛おしすぎる。


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