自慢できることと言えば、この星空くらいだろうか。
コンビニもなければカラオケ店もない。隣の民家までは500mというのは普通で、外灯も少ないから夜道を照らすのは星くらいしかなかった。
多感な女子中学生が暮らすには不便すぎたこの町での生活も今日で最後。
明日、私は大阪へと転校する。
自分の部屋のほとんどを段ボールに詰めて、布団を後から積めるのはめんどくさいと思い、一枚だけ出しておいた毛布にくるまった。
虫がはいらないようにと閉めていた網戸を開けて、2階の自分の部屋から星を見る。十数年間この窓から見続けた景色はもう二度と見られない。
手を伸ばせば届きそうな星に、今日はめいっぱい手を伸ばしてみた。
でもやっぱり届かなくて、せめてその光景を目に焼き付けるようにその日は網戸を開けて寝た。
◇
大阪の空は、星なんか見えないくらい高いビルと排気ガスで曇っていた。
日が暮れる頃、星を探しながら明日から通う学校への道を辿った。
酔うくらいの人混みも、車から出る排気ガスも、煩いくらいの関西弁も、慣れない環境で吐きそうになる。でも明日から新しい学校に通うのだからいつまでもそうは言ってられない。
スマホを頼りにたどり着いた先には“四天宝寺”と書かれた神社の門のような大きな校門。やっぱり都会はスケールが大きいなぁと思いながらその門を見上げる。そうなると田舎者の私は中も気になるわけで、一応は生徒なのだからと自己確認をして門をくぐった。
手入れされた花壇、動物の飼育小屋、大きな噴水に校長の銅像まで。何もかもが目新しくて当てもなく校内を歩き回った。
「見たか!これが浪速のスピードテニスや!」
肩をビクつかせるほどの大声に、思わずそちらを振り返る。威勢の良い大阪弁と、軽快な音に吸い寄せられるようにそこへ向かうとテニスコートで二人の男の子が打ち合いをしていた。
こんな立派なテニスコートすら見たことなくて、テニスの試合も初めて見た。それがすごく面白くて、彼らの事などお構いなしにフェンス越しそれを眺めていた。
特に金髪の子の方は、右に左にボールを追いかけている姿が流れ星みたいに速くて見入ってしまった。だから私に向かって飛んできたボールにも気付くのが遅れて、目の前のフェンスに当たった拍子に尻もちをついてしまった。
「すんません!当たってないですか?」
先ほどまで見ていた男の子が目の前にいて、移動速度も速すぎでしょ!というのが大阪に来て初めてのツッコミとなったのは言うまでもない。
「フェンスに当たったから大丈夫。あと、勝手に見ててごめんね」
「ほんなら良かったわぁ。ってか自分標準語なんやな。観光かなんかか?」
私が住んでいた場所は、方言よりも訛りがかなり酷かった。そのため都会で馬鹿にされてはいけないと、標準語のイントネーションを練習したかいはあったらしい。
「明日からこの学校に通うの。だからちょっと見に来てて……」
「ホンマか!?自分は2年生なん?」
「そうだよ。あ、もしかして先輩でしたか?」
「いや、俺も2年や!職員室でオサムちゃんが明日うちのクラスに転校生来る言うてたから自分のことやないかと思ってな。俺は忍足謙也!気軽に謙也呼んでくれや」
「じゃあ謙也、よろしくね」
慌てて立ち上がった私に人懐っこい笑顔を浮かべて彼は右手を差し出した。きっと握手のつもりなのだろうけど、フェンスがあるからそんな事は出来なかった。私が笑えば彼もそれに気付いたのかアカンやん!とまたもや大声で叫んだ。
「ほな小指出し」
「こう?」
フェンスの隙間に小指を通したら、彼の小指が絡められた。小指なのに彼の力は結構強くて、ぎゅっと握られて3回上下に揺すられた。
「よし!これで俺が友達第一号や!!」
「四天宝寺の人はこうやって友達作るの?」
「いま俺がそう決めた!」
「謙也は面白いね」
「ホンマか!?」
そんな風に話していたら、コートの中で困ったようにこちらを見ている子がいた。それはさっきまで謙也と打ち合いをしていた人で、すごく顔立ちが整っておりまさに都会のイケメンって感じだ。私が目で彼の事を教えれば、待たせていたことを思い出したのか試合中やった!と大声で叫んでテニスボールをラケットで拾い上げた。
「試合中にごめんね」
「ええんや。ほな明日な!」
絡めた小指をするりと離して、彼は私に手を振ってコートへと戻っていった。
すっかり日が沈んでしまった空には、やっぱり星は見えなくて。
でも田舎で見た星よりも遥かに強く輝く彼は、紛れもなくその日の一番星だった。
◇
不満ばかり言っていたけれど、私がここを好きになるのに時間はかからなかった。
大阪は人情の町とも言うけれど、あながち間違ってはいなかったかもしれない。
「朝から何をそんなにニヤけてんのや」
「おはよう謙也。これ見て!昨日ここに連れてってもらったの」
自分の席でスマホの画面を見ていた私に、謙也はおはようの挨拶よりも早くそう言った。朝練を終え、いつものように予鈴ギリギリに登校して来た謙也に私は画像フォルダから出した写真を見せる。
「なんや?…ってこれただのハンバーガー屋の写真やないか!」
「私が行ったことないって言ったら連れてってくれたの。美味しかった!」
昨日、友達に連れて行ってもらったハンバーガー屋。写真でしか見たことのないお店に食べ物、それが今まで身近になかった私にとっては全てが特別で目新しかった。そんな子供みたいにはしゃぐ私に対しても、みんな笑うけれども馬鹿にはしなかった。
「そんなんで喜ぶ奴初めて見たわぁ」
「初めての事は誰だって喜ぶしはしゃぐでしょ」
「それは否定しいひんよ。でも大阪と言ったらまずタコ焼きやろ!」
「あ、まだ食べてなかった」
「なんやて!大阪来たらまずタコ焼きやろ!週5ペースで食うやろ!」
謙也が朝から叫ぶものだから、暑苦しいわっ!とクラスの男子から苦情という名のツッコミが飛ぶ。それに対してさらに謙也が叫び返し、いよいよ収集がつかなくなりそうになったので私は謙也の服の裾を引っ張った。
「ねぇ謙也!えーっと……どこかオススメのお店とかある?」
「俺を誰だと思うとんねん!!大阪中のタコ焼き屋なら全部知っとるわ」
「じゃあ美味しいところ教えてよ」
「もちろんや!ほな今日は部活休みやから案内したるで」
「え?いいの?」
俺に任せとき、とドーンと胸を叩いて白い歯をのぞかせた。貴重な部活休みの放課後に付き合わせてしまってもいいのかという気持ちもあったのだけれど、そんな気遣いをさせないくらい彼は明るく振舞った。
じゃあお願いね、と約束をして先生がクラスに入ってきたと同時に彼は自分の席へと去っていった。放課後に楽しみができたなぁって、斜め前の席の謙也を見ていたら突然振り返った彼とバッチリと目があって、親指を立ててウインクを飛ばされた。さすがにそれは古すぎるよ、と心の中でツッコミを入れてみた。
「ほな行くで!」
「早すぎ!ちょっと待って〜」
彼は約束通り、HRが終わるや否や私の目の前に現れた。いつ帰り支度をしたんだという速さに、私は急いで自分の荷物をまとめる。
案内してもらうのに、私が遅いのも悪い気がする。それに一々行動が速い謙也からしてみたら今の状況にイライラするかな、とも思ったのだけれど彼は特に急かすことなく私が荷物をまとめるのを待ってくれた。
荷物を全て持ったことを確認し、席を立つ。
「ごめんね、遅くて……」
「気にせんといてな。待つのも結構好きやねん」
「謙也に限ってそれはないよ」
「俺かて3分くらいは待てるわ!」
「でもカップラーメンの3分は待てないでしょ?」
「うっ!なんで分かったん……」
肩を落とす謙也は私の少し前を歩く。歩く速さも行動も、普通の人と比べたら断然速い。でも、だからこそ一歩先の未来から気配りができるのだ。こちらに来てから、寂しいとかつまらないとかそんな考えをさせる暇などないくらい彼は私に話しかけてくれていた。
「お、謙也やん」
「白石!委員の仕事なん?」
ちょうど昇降口近くの保健室から出てきた子がそう彼を呼び止めた。とても顔立ちが整った男の子で、どっかでみたことあるなと思った。あぁそうだ。初めて謙也に会った時、一緒にテニスをしていた子だったと思う。
「謙也はその子とどっか行くん?」
「せや。今からごっつ美味いタコ焼き食わしに連れてったるねん!あ、こいつは白石ゆうてな、俺らテニス部の部長やねん。ほら、最初に会った時俺がテニスしとった相手や」
「おおきに」
「こんにちは。あの時は試合中にごめんね」
「気にせんでええよ。謙也、女の子と一緒なんやから速く歩きすぎひんようにな」
「分かっとるわ!じゃあな白石」
すれ違いざまにお辞儀をしたら、謙也はええ奴やから仲良うしてなぁと優しい声と共に微笑まれた。
「白石君っていい人だね」
「え?」
私のそんな言葉を聞き、さぁ行こかと歩き始めていた彼が足を止めた。白石君の忠告虚しく彼のせっかちさはわずか30秒で再発していた。
「気配りできるし、謙也のこともいい人だって」
そう言った私を、池の鯉みたいにポカーンと口を開けて見ていた。急にモノマネをされてもそれにツッコミをいれるスキルなんて持ち合わせていないのだけれど。
「…その顔は鯉のモノマネでいいの?」
「アホか!いきなり鯉のモノマネなんてせえへんわ!そうやのうて、白石の事そういう風に言う奴初めてやから驚いただけや」
「え?白石君っていい人じゃないの?」
「ちゃうねん!白石はめっっちゃええ奴や!でも女の子は最初にあいつの顔を褒めるねん。でも自分は違ったから…その、感動したんや」
ちょっと恥ずかしそうに彼は一息にそう言い切った。熱くなりやすい性格なのはなんとなく分かっていたけれど、それを目のあたりにすると彼がとても素直で純粋な人だと知れた。
謙也は白石君をすごく大切な友達だと思っている。だからこそ、彼の良さをみんなに理解してほしいのだ。
そのことに対して真っすぐに怒ったり喜んだりできる謙也は、すごくかっこいい。
「謙也も十分かっこよくて良い人だよ!」
「なっ……!」
私の気持ちが伝わるように、謙也の事をしっかりと見てそういった。
でも言ったとたんに謙也の顔が一気に赤くなって、自分がどれだけ恥ずかしいことを口走ったかすぐに気づかされた。でも今さら後になんて戻れない。
きっと今まで彼はその気持ちを誰にも理解されずにいたのだと思う。だからせめて私が、その最初の理解者になりたかった。
「し、白石君に負けないくらいかっこいいから……」
「う、うるさい!はよ行くで!」
でもやっぱり恥ずかしさなんて拭えなくて、最後の方なんか声にもなっていなかったんだと思う。
方向を変え、再度昇降口へ足を向けた彼はやっぱり早足で、私は駆け足で追いかけた。
でも彼は足音で気付いたのか、速度を落として私を待ってくれた。
少しだけこちらを見た彼の耳がまだ赤かったことは言わなかった。
だっていま振り返られたら私の顔も真っ赤だってことがバレてしまうから。
◇
謙也の周りには常に人がいて、笑顔に溢れていて、周りの空気はキラキラと光っているように見えた。
「謙也と私さ、気も合うしよく話すし相性いいと思うんだよね。だからさ、付き合ってくれない?」
でもその光は、決して私にだけ見えるものではなくて、私にだけ与えられるものではないと、どうして早く気付けなかったのだろうか。
放課後。校舎裏。男と女。誰がどう見ても告白現場。
謙也と、知らない女の子が話しているのを見てしまった。
一番最初に話しかけてくれたのも、一番最初に笑わせてくれたのも、一番最初にタコ焼きを食べさせてくれたのも、そして一番最初に友達になってくれたのも謙也だった。
こちらに来てから私の一番は彼だった。
でも、私は彼の一番になれたことはあるのだろうか——
ふたりの姿なんか見ていられなくて、謙也の返事なんか聞きたくなくて全力で走った。
走って走って、やっと止まれたと思ったらそれは転んだ時で、両ひざからは鮮やかな血が溢れ出ていた。
その痛さを言い訳にして私は泣いた。
一番最初に話した相手でも、一番最初に笑わせた相手でも、一番最初にタコ焼きを食べさせた相手でもない。
彼にとって私は何百番の友達。
それが辛くて悲しくて苦しくて。涙が止まらなかった。
「自分どうしたんや!?」
ひとりになりたかったのに、そうはさせてくれなかった。
でも声を掛けてくれた人は、私がいま頭の中に浮かんでいた人ではなかった。
「白石君……」
「めっちゃ血出てるやないか」
「あ、転んじゃって。すごく痛くて涙出ちゃって…子供みたいだよね」
聞かれてもないのに涙の言い訳をして私は立ち上がろうとした。でも思ったより痛くて、力を入れるほど血は溢れ出してなかなか立ち上がることはできなかった。
「保健室連れてったるからおぶさりや」
「え!?重いし、白石君の制服が汚れちゃうからいいよ」
「自分が重いわけないやろ。それにこんな状況で遠慮すんな。はよ乗り!」
あの白石君が怒るなんて想像もできなくて、ごめんねと言って私は彼の背におぶさった。
急ぎ足だけれど、私の足に振動がこないように静かに歩いて保健室まで連れて行ってくれた。
白石君は、おそらく私が痛さのせいで泣いていたのでないと気付いている。そしてひとりになりたかったことも。だからこそ、その事には一切触れないで、私を背負ってから治療が終わるまで一言も話しかけずにいてくれた。
「手当までしてくれてありがとう」
「気にせんでええよ。痕にはならんと思うけど消毒とガーゼ変えるのは毎日やるんやで」
残った包帯を綺麗に畳み、棚に消毒液やガーゼを戻しながらそう言った。
ぐるぐるに包帯で巻かれた両膝、消毒液の匂い、血で汚れた靴下。それを見つめていればまた先ほどの事が思い出されそうになった。
「最近謙也な、君の話しかせえへんのや」
その名前を聞いてまた涙が出そうになる。
白石君は一瞬だけ私を見た。でも私はその顔を見られたくなくてうつむいた。
たぶん私の気持ちに気付いていたのだろう。だからこそ彼はそれが話しを続けていい合図だと受け取って謙也が話していたことを教えてくれた。
俺がなグミ食ってたらその中に一粒だけ星型が入ってたんね。そしたらあいつめっちゃ写真撮ってそれ待ち受けにしとったわぁ。見かねてついそのグミあげてしもたわ。この前話しとったらな、方言がでてめっちゃ可愛いかってん!もっと話してくれるためにはどうすればええやろか。今度、どこ連れてったら喜んでくれるんやろ?白石も一緒に考えてえな。
「謙也から君の名前聞かない日はないわ。あいつええ奴やろ。君は謙也のことどう思てる?」
“どう思てる?”
その言葉が頭の中でこだました。
一緒にいて楽しい人。自分よりも周りの人を優先することができる人。ひとつの事に一喜一憂できる人。
そして、そして、
「大切な友達、だよ」
わずかに震える唇でそう言った。
久しぶりに見上げた空は、いつも通りに高いビルと排気ガスの空気で遠くまで見通すことなんてできなかった。
星を見るには早すぎる時間。でもきっと今日も一番星は見えないんだ。
目を閉じても、あの日に目に焼き付けた星空なんか思い出せなくて。
代わりに彼の顔が思い浮かんだなんて、今さら言えなかった。
◇
相変わらず彼はキラキラキラキラ眩しくて。今の私では直視できないほどだった。
「ユウジにお笑いライブのチケット貰ってん。自分まだ見たことないやろ?今日の放課後見に行こうや」
おはようの挨拶よりも早くそう言って、謙也は私の前に現れた。
昨日の事など何もなかったように、今まで通りの様子だった。みんなに向ける笑顔を私に向けて、でもそれが辛くて視線を逸らした。
「あー……今日はちょっと用事があって」
「そうなん?まだ期限あるし大丈夫な日教えてえな。部活ない日やったら合わせるし」
「それも悪いよ。謙也は友達も多いし他の子誘ったら?」
「はぁ?なんやそれ」
初めて聞いた謙也の不機嫌そうな声。こんな初めてなんていらなかった。
私にも謙也以外に友達は出来た。一緒に帰ってくれる友達も、ハンバーガー屋に連れてってくれる友達も、休日に遊んでくれる友達もいる。
もう無理して付き合ってくれる必要なんてないんだよ。
「ねぇ!隣のクラスの白石と付き合ってるって本当なの!?」
クラスで仲のいい友達が、謙也を押しのけて私の前に現れた。一瞬彼女の言っている意味が理解できなくて数回瞬きを繰り返した。でも私が答えるよりも速く、隣にいたせっかちな彼が口を開いた。
「はぁ?なんやそれ。朝から冗談キツイわ」
「冗談やないし!昨日この子が白石の背中におぶさってるの見た子がいるんよ!で、付き合ってんの?」
ふたりの視線が私に集まる。彼女は楽しそうに私がうん、というのを期待した目で見ている。謙也は…と思ったけれどその顔を見るのが怖くて、私は彼女だけを見た。
「そんなわけないよ。怪我したから保健室に連れてってもらっただけだって」
「そうなんかぁ。でも白石が怪我してる子にそこまでするなんて意外や。彼、女の子苦手なんよ。私はあんたと白石は割とお似合いだと思うねんけどな」
否定したのにおしゃべりが止まらない彼女はぺらぺらと話し出して、顔を見なくても謙也の機嫌が悪くなったのが分かった。だって彼女の話の途中で、ガンっと近くの机を蹴飛ばして自分の席へと戻って行ったから。
物に八つ当たりすんな!って彼女は怒っていたけれど、彼が怒るのも当然だ。だって親友である白石君の彼女に私が間違えられたのだ。何も持ち合わせていない私が、白石君の隣になんて図々しいにもほどがある。
その日、彼は私に話しかけてくることはなかった。
◇
膝に巻かれた包帯が大き目の絆創膏に変わって、カサブタとなった傷跡が痒くなった。
私たちは目に見えて仲が悪くなった。いや、正確に言うと悪くなったわけではない。挨拶はするし、みんながいて話を振られれば会話もする。でも一緒に帰ることもなくなって、目を合わせることもなくなった。彼の光を見ないように、私は空を見ることが多くなった。
友達にはあんたら喧嘩したん?って何回も聞かれた。私もそろそろ謙也離れしようかな、とどこぞの母親のような事を言ってその場を濁した。
「怪我は良くなったん?」
移動教室から戻ってきたとき、ちょうどクラスの前に白石君がいて声を掛けられた。最近は謙也と一緒にいなかったせいか白石君には全く会っていなかった。話をするのもあの怪我をした時以来だろうか。
「お蔭様ですっかり良くなったよ。謙也に用事?」
「いや、今日は謙也やのうて君に用があったんや」
「え、なに?」
これ、と小さく折りたたまれた一枚のルーズリーフを渡された。その場で開けようとしたら止められて教室で見てな、と言われてしまった。そのまま私を通り過ぎて、同じくクラスへと戻ってきた謙也に白石君は声を掛けていた。
私は謙也と目が合いそうになって慌ててクラスへと逃げ込んだ。足早に自分の席へと戻ってルーズリーフを広げる。そこには「放課後、校舎裏に来てください。 ☆より」と書かれていた。おそらく白石君の字なのだろうけど最後に書かれた☆の意味が分からない。呼び出した相手は白石君ではないのだろうか。
「さっき白石になに貰ってん」
ルーズリーフの上に影が落ちて、すぐに顔を上げれば目の前に謙也が立っていた。何日かぶりに見た彼の顔。不機嫌そうな彼からは最初に会った時のような眩しさがなくなっていて、私はルーズリーフを隠して目を逸らすことしかできなかった。
「謙也には関係ないじゃん…」
久しぶりのふたりだけの会話も、そんなことしか言えなかった。休み時間のクラスはいつものように賑やかなのに私の声だけが虚しく響いたような気がした。
「せやな。せやけど……」
いつもならみんなに怒られるくらいの大きい声も、こちらが話す隙も与えないくらい早口な会話も、今の彼からは想像できなかった。
その後に続く言葉も見つからないまま予鈴のチャイムが会話の終わりを告げる。そして彼は黙ったまま自分の席へと戻っていった。
斜め前の席の彼は、消えそうなくらいの淡い光しかなかった。
放課後の校舎裏。そこは先日謙也と女の子がいた場所で、私が自然と避けていた場所でもあった。
ルーズリーフに書かれていた通りに来たけれど、待っても待ってもなかなかその差出人は現れない。ずっと立って待っているのも疲れて非常階段の影になっているコンクリート部分へと腰を下ろした。
自分の膝が視界に入る。あんなに酷かった傷もどんどん治ってきているのに、なぜ私たちの関係は直らないのだろうか。
「やっと見つけたで!!」
不意に頭上から声が聞こえた。私が見上げるよりも早く、ダンッという大きな音と人影が目の前に現れる。その光景はまるで流れ星のようで、砂埃という星屑をいっぱい体につけてやって来た。
「痛い痛い痛いっ!!めっちゃ痛いやんけ!」
「謙也!大丈夫?」
非常階段の二階踊り場から着地した彼は、足を擦りながらコンクリートの上でじたばたと転がっている。おそらく骨は折れていないのだろうけど、あんな高いところからよく飛び降りたものである。
「なんであんな高いところから飛び降りたの?危ないでしょ!」
「一刻も早くお前に会うためや!自分、なんて返事したん?まさか付き合ってしもうたんか?!」
がばっと起き上がって前のめりに早口で話す彼に、思わず後ろへと下がった。でも近づいてきた謙也の左手が私のスカートを踏んずけてそれ以上後ろへは下がれなかった。
「か、顔が近い!」
「え?あっ、す、すまへん」
謙也も距離の近さに気付いたのか、一人分の距離をあけて私の目の前に胡坐をかいて座った。
目を合わせないように俯いて、でも彼の様子が知りたくて前髪の隙間から盗み見た。彼も視線を外して唇をぎゅっと結んで何もないコンクリート部分を見ている。
少しの沈黙。それを先に破ったのは私だった。
「さっきの、どういう意味?」
「……告白の呼び出しされてんやろ?だから慌てて探してたんや」
「え?なにそれ」
「今さらとぼけたって無駄や!白石から受け取ってたアレ、ラブレターやろ!あの時は白石に誤魔化されたけん、さっき問い詰めたら白状したんや!」
確かに呼び出しだけれど、あの内容は告白するような人間が書くものとは思えない内容だ。差出人も不明な上、あんなに待っても来ないのだ。とても好きな人にするような行為とは思えない。
しかもなんで謙也が怒ってるの?自分こそ告白されていたじゃないか。しかも次の日は普通に私に話しかけてきた。告白されたことも報告してこなかったのに、なんで私ばっかり謙也に言わないといけないの?
「人のこと言えないでしょ?謙也こそ前にここで告白されてたよね」
「え?はぁ!?なんやそれ!生まれてこのかた告白されたことなんてあらへんで!」
「この前、放課後ここで女の子が付き合ってって言ってるの聞いたの!」
「なんやそれ!……ん?もしかしてあの事か?」
謙也は思い出したように目を見開いた。聞きたくないという気持ちもあったのだけれど、私が心の準備をする暇なんて与えずに彼は言葉を続けた。
「あれはお笑いライブに付き合ってっちゅう話や!」
「そ、そんなの嘘でしょ!」
「ホンマやて!あの子とは一年のとき同じクラスで、白石誘ったら断られた言うもんやから俺に声かけただけやし!」
じゃあ私は今まで勝手に勘違いして、謙也のこと傷つけて、周りに心配させてたってこと?
なんとも自分勝手で最低な人間ではないか。恥ずかしさと、申し訳なさ喉が燃えるように熱くなっていった。
「それにその誘いは断った。だって俺、いま好きな子がおんねん。ライブには……その子と行きたかったからな」
その言葉に、自分が息を呑むのが分かった。だからますます喉の奥のところが熱くなって、私はぎゅっと自分のスカートの裾を握った。
「俺が好きな子は、標準語しゃべるくせに偶に会話に方言使うてくる子で、初めての事には何にでも驚いて素直に喜べる子で、グミひとつで大はしゃぎできる子で、人の中身をみてしっかりとその人の事を褒めることができる子で、笑顔がごっっつ可愛い子で、…………いま、俺の目の前にいる人です」
早口の彼にしてはその言葉はゆっくりと話し出されて。
ひとつひとつの言葉がキラキラと輝いて、私の心に降り注いだ。
視界がぼやけて、前が見えなくて、瞬きをすれば大粒の涙が頬を流れて、そこでやっと彼の顔を見ることができた。
彼は今まで見た中で、一番キラキラキラキラ輝いていた。そしてこの輝きは私だけしか見えてなくて、私だけの物なのだとはっきりと実感できた。だって彼の目は私だけしか見ていなかったのだから。
「好きです。俺と付き合ってください」
「私も、謙也の事が好きです。付き合ってください」
その輝きが弾けたように、彼は私と同じように、いや、私よりも大粒の涙を流した。それと同時に抱き着かれて、彼の全体重がのしかかった。後ろの壁に寄り掛かりながら、すでに引っ込んでしまった涙にぬれた私の目には謙也の金色の髪の毛が映った。
「ホンマ嬉しいわ!俺が一生かけて幸せにしたるからな!俺の初彼女も、初チューも、残りの初めても全部自分にあげたるからな!だからな、だから自分の一番可愛い顔を他の奴らに見せたらあかへんで」
「うん。ありがとう、謙也」
白石はんのお蔭ですなぁ。
謙也にも彼女にも幸せになって欲しかったからな。
骨が折れることしたばいね。今日の部活でお祝いしよっと?
ってか、謙也さん最初から重すぎひんか?ブログに書き残しとこ。
小春!謙也にも彼女ができたことやし俺達もそろそ———
ユウくん!今ええところなんやから黙っときぃ!
どこからか聞こえてきたその声に、私は心の中で「ありがとう」とお礼を言った。
田舎暮らしの最後の日、確かに星に手は届かなかった。
最初に彼に絡められた小指もすぐにほどけてしまった。
でも今の私には、あの日よりも輝きを放つ星が抱きしめられている。
眩しすぎるだなんて思わない。
もう目は逸らさない。
だってその輝きの中に私はいて、これからはふたりでその強さを増していくのだから。