夜行性ロック

飲み屋街へと続く南口の改札は、この時間ではさほど混み合っていない。

学校を終え、学生服姿では躊躇われるその場所も臆する事なく歩けるようになったのはそれほどその場所に通い詰めている証拠なのだろう。

店の準備をする白い服を着た従業員を横目に見ながら、どんどん細い道へと進んでいく。
雑居ビルの隙間に、土地開発の並みに乗り遅れたであろうその店は傍からみたら潰れているように見える。
錆びついたそのドアを押せば、同じくドアの上に取り付けられた錆びついたベルが鈍く鳴った。

駅ビルの中にどれほど大きなCDショップが出来たとしても、この店の品揃えには敵わない。
私の好きなインディーズバンドの楽曲は、やはりマイナーな音楽でファンが限られてしまうため販売される数が限られる。それにも関わらず、この店は店内いっぱいにそれが並べられている。

数ヶ月前にネットで見つけたこの店は、オーナーがその手の大ファンらしく趣味を高じて店を作ったのだそう。私が生まれる前のレコードまで揃えているという徹底ぶり。私からしてみれば聖地である。
店内にはポツポツと人がいる。客の大半は五十〜六十代くらいの人が多い。
まぁ、いつも通りの光景だ。

「いらっしゃい。また新しいの入荷したから見てきや」
「ありがとうございます」

この店のオーナーともすっかり顔馴染みだ。若い客すら珍しい上、女子高生ともなればより目立つ。

店奥のお目当てのコーナーまで一直線に突き進んでいけば、一月前にイギリスで発売されたCDが平積みで置かれていた。
私の好きなバンドのセカンドアルバム。ネットでの販売もないため、手にするのを諦めていたにも関わらずこの店はさすがである。

それを一枚手に取って、裏に書かれた楽曲を見る。今まで発表されていた曲に加え、新たにレコーディングされた曲が入っていた。
ネットで無断転載動画を見ずに今日まで待っていたかいがあった。

レジへと向かおうと振り向いた瞬間、肩に何かがぶつかってよろめいた。

「す、すみません」
「…いえ」

肩にぶつかってしまったその人を見上げると、気怠そうな瞳と目が合った。真っ黒の髪に、左右の耳についた計五つのピアスが特徴的な男の人だ。とんだイケメンだなと思っていたらその人は私の横を通り過ぎ、同じCDを手に取った。
先程は顔しか見ていなかったがよく見ればその人の制服には私と同じ校章の刺繍が施されていた。

同じ学校といえど、あまりジロジロと見るのは失礼だろう。なんだかガラも悪そうだし、あまり関わらない方がいいかもしれない。
そう思った私はそそくさとレジへと向かい、足早に家へと向かった。





朝の通学に聞く音楽は、もちろん昨日手に入れたものだ。
メジャーデビューの予定もなく、メディアに取り上げることも滅多にないが私は永遠にこのバンドのファンであり続ける自信があった。
ハードなロックからバラードまで、私好みのサウンドで朝からテンションが上がる。

「おい!」
「えっ?!」

後ろから腕を引かれ、イヤホン越しでも分かるくらい耳元で声をかけられた。
振り返れば鼻をかすめるくらい近い距離に男の人がいて驚いて飛び退いた。

「あんたは猫か」

鼻で笑ってそう言ったのは昨日CDショップで見かけた人で、彼は空いてしまった分の距離を一歩詰めた。

「これ落としましたよ。あんたのでしょ」

両耳のイヤホンを外し、片手で受け取った。それは自分の鞄に付けていた限定物のストラップだった。付け根の部分が痛んでいたのだろう。プツリと切れていた。

「あ、ありがとう」
「それファーストシングルの初回限定版に付いてたやつ。よく手に入ったな」

まさかこんなニッチなバンドを知っているのか。いや、昨日あのCDショップにいた時点で彼もかなりコアなファンではないのだろうか。
ふつふつと彼への好奇心が沸き上がる。

「親戚の人が旅行に行った時に買ってきてくれて…あの、昨日見てたCD買ったん?君もファンやろか?もしかしてインディーズ系の音楽も好き?」
「急によう喋るなぁ」

表情を和らげて彼は歩き出した。その隣を着いて行きながら私は同士を見つけてしまったことが嬉しくて彼にベラベラと話し続けた。
途中でうざがられてしまうかもという不安もよぎったが、彼はそんなそぶりも見せずに私の話に耳を傾けていた。ひとしきりそれを聞き終えれば自分の番かと口を開く。

「俺はネット動画で聞いて好きんなった。ギターとベースの掛け合いが独特で、そっからファンになってん」
「もしかして九十年代ロックも好きだったりするん?あのバンド、昔の曲調とか模倣しとるやんか」
「自分、話わかるやん」

昨日感じた第一印象とは裏腹に、彼は思ったよりも気さくでよく話した。
だんだんと周囲に同じ制服を着た人たちが増えてきて、気付けば学校まで残り数メートルに迫っていた。

「俺、一年三組の財前光。あんたは?」

名乗ってくれたところを見るとまた話しかけてもいいという事なのだろうか。
私も組と名前を教えた。まさかこの学校に同じバンドを愛する人がいるなんて思いもよらなかった。
高校生活で初めて、音楽を聴かずに校門をくぐった日だった。





あの日から、彼とは廊下で会えば声を掛け、気になる楽曲を見つければ一緒にショップに行たりする間柄になっていた。
学校でも時間が合えば二人して曲を日本語訳してみたり、その解釈について意見を交換したり、想像したり——。彼といる時間が増え、一緒に居ることがすごく楽しかった。
そして、バンドは好きだが、音楽知識の乏しい私としては彼の話が大変参考になった。

「これ、何の楽器?ピアノやないよね」
「チェンバロ。これ失恋ソングやねん。より繊細な音出したかったからピアノやなくてチェンバロで演奏しとるんやと思う」
「へぇ〜初めて聞く音や」

昼休み時間、屋上のベンチで財前君のスマホに入っている音楽を聞きながらそんな会話をした。
聞かせてもらっている曲は二年ほど前に解散してしまった彼が好きだったバンドの曲だ。

「他にこのバンドの曲ないの?」
「音源として残っとるのはこれだけや。他にも何曲かあるけどネットからも消されとる」
「そっかぁ」

この他の楽曲も聞いてみたかったが、非常に残念である。
それにしても財前君も恋愛系の曲も聞くとは少し意外だった。だからこそ、この流れでずっと聞いてみたかった質問を彼に投げかけた。

「財前君は恋したことあるん?」

これはつい最近知った事だが、財前君はかなりモテるらしい。
イケメンであることはもちろんのこと、同学年の男子よりも落ち着いている雰囲気がかっこいいのだとか。入学して数ヶ月、すでに告白もされているそう。

「なんやねん、急に」

不機嫌そうに眉をひそめたところを見ると、この手の話は嫌いなのか。でもここで引いたら一生聞けなくなりそうだ。ここは何としてでも聞いておきたい。
何故なら、少なからず私は彼に友達以上の感情を持っていたからだ。

「失恋ソング聞いてたくらいやから、何かあったんかなぁと」
「アホか。俺はこのバンドの曲が好きなんや。そういうのは関係あらへん」

スマホを操作し、曲を止めた。
天気予報では梅雨明けはまだとの事だが、空には抜けるような青空が広がっていた。

「自分はどうなん?」
「え?」
「恋、したことあるんか」

屋上へと続く階段下からは、話し声や足音が聞こえる。
その雑音が心地よくもあり、それがあったからこそ気まずい雰囲気にはならなかった。

「んー…ない、かな?」

今までそれなりに好きかなぁと思える子は何人かいた。しかし付き合った事があるわけでもないし、学校が変わればその人達の顔や名前も思い出せないほどに記憶が曖昧だ。

「じゃあ彼氏いたこともないんやな」

彼は不意に目を細めて優しく笑って、私はその仕草にどきりとした。
イケメンの笑顔は心臓に悪い。

「財前君は?」
「もう授業始まる。戻ろか」

服についた砂を払って彼は階段の方へと歩いていく。
聞き逃げなんて、ズルくないですか?

私を教室の前まで送ってくれたけれど、彼がその問いに答えてくれることはなかった。
ただ、その日は財前君から私に放課後のお誘いがありコンビニで甘味を奢ってくれたことを考えれば、答えなんてどうでもよくなっていた。





今日は珍しく一人でCDショップへと向かっている。財前君は部活があるので一緒に行くことは叶わなかったが「暗くなる前には帰れ」と言われた。

「お母さんみたい」と突っ込めば、おでこを小突かれた。彼なりに心配してくれたのが、照れ臭かった。

いらっしゃい、といつも通り迎えてくれたオーナーに挨拶をし今日は雑誌コーナーに向かった。
インディーズバンドは好きだが、だからといって日本のバンドが嫌いというわけではない。
最新号の表紙には“夏フェス”の文字が大きく印刷されていた。行きたいとずっと思っていたけれど、一度も行けたことのない夏フェスに今年こそは行ってみたいと思った。

では一緒に行く相手は誰なのか。
それを想像しただけでにやけてしまう私は、すでに恋に落ちていたのだ。

「今日は彼氏と一緒じゃないんか?」
「えぇ!?彼氏?!」

妄想を膨らませながらお会計をしようとすればそうオーナーに笑われてしまった。
それはもしかしなくても財前君の事だろう。慌てて訂正すれば「若いっていいねぇ」と声を出して笑われた。

「これ、よかったら二人で行ってきな」

目の前に見せられたのは、二枚のチケット。
それは今週の土曜に行われるライブハウスのチケットだった。

「いいの?」
「大学生の息子がバンドやっとるんよ。若い子もぎょうさんおるから気軽に行ってき」
「ありがとうございます!」
「デート、楽しんできぃや」
「〜〜!」

私の顔が真っ赤になればオーナーは満足そうに白い歯を見せた。

私って、そんなに分かりやすい?
でもね、もう好きにならない理由がないんだよ。
私は、財前君の事が好きだ。





「財前君、今週の土曜ひま?」
「土曜は部活あるんやけど」
「あの、夜やねんけど…」

昼休み、昨日買ってきた雑誌を見せると約束をしていた私はいつも通り屋上に来ていた。
学校帰りに出掛けるのとはわけが違う。変な汗で手が湿る。
ちらちらと様子を伺うと、彼はスマホを操作しスケージュールを確認しているようだった。空いてますように、空いてますように、と心で祈りながら彼の言葉を待った。

「まぁ見たい音楽番組があるくらいやな。何で?」
「ライブ行かへん?チケット貰うてん!」

雑誌の間にしまってあったそれを見せた。もしかしたら、財前君は素人の演奏は苦手かもしれない。それに人が多いところも嫌いだと前に行っていた。
それでも一緒に行きたかった私はベラベラと話す。
大学生のサークルや地元の人たちが出るライブで、オリジナル曲だけじゃなくてカバー曲もやること。特にイギリスのバンド曲もやるみたい、と必死に説明した。

ククッと喉を鳴らした彼の声に、我にかえる。

「そんなに一生懸命話さんでもあんたと一緒ならおもろそうやな」
「わ、私?」

別に私が何かするわけではないのだけれど…
それでも笑った彼の顔に、ドキリとした。

「ええよ。行こうか」

頭がくらくらするのは、頭上から降り注ぐ日差しのせいなのか、彼のせいなのか。

答えはもう知っている。
けれど、今年の夏は、やけに暑いということにしておいた。





動きやすく、且つ女の子らしく見えるような服を選んだ。軽く化粧もして、髪もまとめて、手には好きなバンドのシュシュをつけた。

待ち合わせ場所に十分ほど早く着けば、すでにそこにはイヤホンを付けて待っている財前君がいた。
シンプルな私服はとても彼らしくてかっこよかった。

「お待たせ」

彼の視界に入るよう手を振れば、二度ほど瞬きを繰り返された。

「何で驚いとるん?」
「雰囲気違うたから、誰だか分からへんかった」
「それ褒めとるん?」
「ほな行こうか」

彼はスマホからイヤホンを抜き取って、雑に巻いてポケットに突っ込んだ。
少しは意識してくれたのか、可愛いと思ってくれたのか。こんなときくらいポーカーフェイスを決めてくれなくていいのにと思いながら彼の後ろをついて行った。

ライブハウスはCDショップからそう遠くはない場所にある。そのためいつもの飲み屋街を抜けるのだが土曜の夜は賑やかだった。
ましてライブハウスの近くはホテル街でもあり、目に痛いネオンが光始めた時刻だった。

「私、生でライブ見るの久しぶりや」
「意外やな」
「一緒に行ける友達が少なくてね。財前君は?」
「兄貴に連れられて年に二、三回くらいやな」
「いいなぁ。一緒に行けるお兄さんがいて」
「兄貴しかおらんのや」

私じゃダメなん?
と言いかけて口をつぐんだ。

服を決めるのに一時間かかった。
化粧をして自信が付いた。
夏、夜、いつもと違う雰囲気———
それが、私を積極的にさせているのかもしれない。

雑居ビルの地下にあるそのライブハウスの入り口にはすでに人が多く集まっていた。オーナーが言っていた通り若い人が多く、とても賑わっていた。



ライブが始まってからはそれはもう凄かった。
始めこそ大きな声を出すのは恥ずかしかったけれど、周りの熱気に後押しされ気付けば財前君と共にジャンプして手を振りながら声を出していた。
冷房も効いてないんじゃないかと思えるくらい汗をかいて、終わる頃には雨に降られたくらいシャツや髪がしっとりと濡れていた。

「本当すごかったね!三組目のベースの人めっちゃかっこよかった!」
「せやな。難しい曲なんに、よう弾けてたわ」

私がかっこいいといった人はオーナーの息子さんで、選曲も最高だったので記憶に残っている。息子さんには実際に会った事はなかったが、赤髪に金色のメッシュを入れていると聞いていたのですぐに分かった。

「あの人たちのオリジナル曲もよかったよね!CDあったら絶対買うし…あれ、財前君?」

夢中になって話していれば、すぐ隣にいた財前君は見当たらない。ライブハウスから地上に出る階段は込み合っているしはぐれてしまったのだろうか。
とりあえず路上まで出てみたが、階段を上ってくる人の中に財前君は見当たらない。

「ねぇ、君」

肩を叩かれて振り返ると、例の赤髪に金色のメッシュを入れた男の人が立っていた。

「親父の店によく来てくれる子やろ?たまに俺が店番しとるときにも来てくれはってたから覚えとるよ」
「そうです!あの、今日の演奏最高でした!めちゃくちゃかっこよかったです!」
「おおきに。あれ、それもライブグッズ?」

彼は私の腕に付けていたシュシュを見てそう言った。初めてライブを見に行ったときに買ったそれは、私の宝物だった。

「はい!私、日本だとこのバンドが好きで…」
「ちょお見せて」

その人が私の手を取ろうとした瞬間、急に重心が傾いて後ろによろめいた。背中に暖かいものがあたり、耳元で荒い息遣いが聞こえた。

「何やっとん」

振り返れば、ライブハウスにいたときよりも多くの汗を流して、ものすごい不機嫌な顔の財前君がいた。

「探したんやけど」
「ごめん。あのね財前君、この人……」
「俺の彼女にちょっかいかけんといてくれます?」

私の顔は夏の蒸し暑さのせいではないくらい真っ赤になっていたと思う。
薄暗い路上では、光といえば雑居ビルに入っているスナックの看板くらいしかなくて、それが有難かった。

肩に置かれた手が、そのまま私の右手を掴んだ。人にぶつかりながらも彼はどんどん先へ進んでいく。
雑踏の中で「若いっていいねぇ!」とオーナーと同じように言った彼の言葉にまた頰が熱くなった。



「あのなぁ、」

人が少なくなった路地裏まで来たところで彼は振り返って私を見た。
相変わらず彼は不機嫌だ。表通りから差し込んでくるピンク色のいやらしいネオンの光が、彼の横顔照らす。それを色っぽいと思ってしまった私はすでに熱さに侵されていたかもしれない。

「俺を今日誘ったんは男自慢するためか?」
「え?」
「ずーっとあの男の話してたん、気付いてないんか?」

彼の顎を伝って、一粒の汗が流れ落ちた。
それが光を反射して星のように輝いていた。

「デートやと思て浮かれてた自分がアホみたいやん」

財前君が怒っているにもかかわらず、その大真面目に勘違いしている姿が嬉しくて、愛おしくて、笑ってしまった。
彼もどうやら夏の夜の暑さに侵されていたらしい。

「はぁ?なに笑っとんねん」
「あの人はCDショップのオーナーの息子さんだよ。チケットはあの人から貰ったの」

彼の顔は、ネオンのピンクに負けないくらい赤く染まった。
ぐしゃりと頭をかいた彼を見て、ようやく歳相応な姿を見れた気がした。

「俺の勘違いとかめっちゃダサい……」

それを見て、私は確信した。

告白してもいいかな?
告白してもいいよね。

「私ね、財前君のことが」
「これ以上、俺に恥かかせんといて」

ずっと繋がれていた右手を引き寄せられ、私の言葉は彼の口付けによって遮られた。

視界がチカチカするのは決してネオンの光のせいだけではない。
角度を変えて、何度もついばまれる口付けはどんどん深くなっていく。
苦しくて、生理的に流れた涙が頬を伝って星のように煌めいて落ちた。

「好きや、愛してる」

余裕がなさそうにそう言って、私が返事をするより先にまた唇が寄せられる。
どんどん深くなる口付けは、夜の始まりに過ぎなかった。




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