かかとを3回鳴らす時

コツコツコツ———
赤い靴のかかとを3回鳴らせば家へと帰れる。
そうしてドロシーは元の場所へと帰れたというのに、私の靴は虚しく床を蹴っただけだった。



「どうしたの?君は楽しんでいないのかなぁ」

オレンジ色の盛り上がったヘアスタイルに、エメラルドグリーンの瞳。人懐っこい笑みを浮かべて私の横に腰を下ろしたのは同じクラスの男、千石清純だ。

「そ、そんなことないよ」

3年生となり、親睦を深めるためにと企画されたクラス会。休日にみんなで集まってカラオケ店に来たのはいいものの、2年時に一緒だった子は体調不良で欠席し、引っ込み思案な私は端っこの席で一人オレンジジュースを飲んでいた。

「歌うのとか苦手?そういう子もいるから俺はボーリングを押したのにー」
「そうだね。ボーリングでもよかったかもね」

ズコッ、と下品にもストローが音を立てて氷をすすった。
そんなに気を遣わなくていいよ。千石君は盛り上げ役なんだから他の子たちのところに行ってくれていいのに。

「どこ行くの?」
「飲み物取りに行ってくる」
「じゃあ俺も行こーっと」

クラスのみんなに迷惑にならないよう、静かに部屋を出た私の後ろを着いてくる。

おろしたての赤いパンプスが床を鳴らす。コツコツコツコツ——
姉がネットで買ったらサイズが合わないということで私に譲ってくれたもの。ヒールを履きなれていない私は、まだ歩き方が分からず無駄に大きな音を立ててしまう。

「その赤い靴可愛いね」
「え?」

次は紅茶にしようか、そんなことを考えていたら彼が私の足元を見てそう言った。

「白のブラウスに紺色のスカート、そこに赤い靴っていう今日の服装と似合ってるよ。せっかくなら髪も弄ればいいのに」
「は、はぁ…」
「前髪を分けてハーフアップにするとかどう?顔周りがすっきりしてもっと可愛くなれると思うよ」

足元から視線を辿り、観察するように私の全身を見た。
話し掛けられるのが嫌で、美容院にも滅多に行かない私の髪は只々長く伸びている。もっと気を遣うべきかもしれないが、私の髪型なんて気にする人もいないし寝癖さえなければいいや、というのが本音である。

「考えてみるよ」
「うんうん。それがいいって」
「あっ!千石、次の曲始まるよー」

クラスの、いわゆる上位カーストの女の子たちが部屋から顔をのぞかせて千石君を呼んでいる。
ほらほら、君の世界はあちらなのだから早く戻った方がいいんだって。

「俺戻らなきゃ。またゆっくり話そうね」
「うん」

メロンソーダが入ったグラスを揺らし、彼は女の子たちが待つ部屋へと戻っていった。

きっと戻っても私の席なんてなくなってるんだろうな。そう思うと今すぐにでも家に帰りたくなる。
私にもう少し人と話す勇気があればよかったな。

コツコツコツ———
赤い靴のかかとを3回鳴らす。
先ほどと同様、家に帰れるはずもなくその音だけが廊下に響いた。





洗面所の鏡でじとりと自分の髪を見る。前髪は自分で切っているとして、後ろ髪は伸び放題。確か一年は美容室に行っていなかったと思う。
何となく、千石君に言われたことを思い出してハーフアップに髪をまとめてみる。が、やはり前髪も重いせいで似合っていない。そして分けようにもそもそもの量が多いからバランスが悪い。

「あんた何してんの?」

珍しく姉ではなく私が洗面所を独占している姿を、母は目を丸くして見ている。ヤバイ、面倒くさいことになりそう。

「少し髪切ったら?」
「別にいいよ」
「お金なら出してあげるから」
「そういう問題じゃないって」
「お姉ちゃん、明日美容院連れてってあげて!二人分のお金出してあげるから」

やっぱりこうなった。
2階から階段を駆け降りる足音。嬉しそうに二人分のお金をもらってはしゃぐ姉。
姉は私とは違い社交的だ。私の分のコミュニケーション能力も吸い取って生まれてきたに違いない。

ふたりにバレないように小さくため息を付いて、鏡に映った自分を見た。





「その髪どうしたの!?」

教室に入って一番先に声を掛けてきたのは2年の時同じクラスでカラオケに行けなかった子。その声を聞けば、彼女の体調は回復したのだとすぐに分かった。

私はといえば朝からそれはもうげっそりと疲れていた。
腰まで伸びていた髪はボブくらいまでの長さに、そして前髪はすいてもらって横に流されている。朝、姉がコテを使ったせいで毛先は軽く内巻きになっている。
姉行きつけの美容院で、姉の注文のまま切られた髪の毛。あんた自分じゃ言えないでしょ!と信用した私が馬鹿だった。

そしてコテで巻いてあげると言った姉との攻防、視界が開けたことでやけに周りからの視線が気になった。
そのため朝の時点で、私の体力はほぼ使い果たされてしまった。

「髪の毛切ったの?一瞬,誰か分からなかった。超かわいいよ!」

振り返ればすぐ後ろに千石君がいて、注目度の高い彼の一言でクラス中の視線が私に集まった。もう注目されたくないのに、私の体力をゼロにする会心の一撃が放たれた気分だ。

「え、あの、……」
「ほんとだ!めっちゃ可愛い!今の方がいいよ」
「ねぇ、どこの美容院に言ったの?」

あれよあれよと、今まで違う世界にいたと思っていた女の子たちが私を囲む。髪を触られ、LINE IDを聞かれ、息つく暇もなく私は彼女たちの質問を返していった。
きっと傍からみたら白鳥の群れに紛れ込んだアヒルなんだろうな。
息継ぎをするように少しだけ背伸びをしてみれば、遠くでオレンジ色の髪が揺れるのが見えた。



その場のノリかと思いきや、白鳥たちは快く私を迎え入れ、お昼ご飯まで一緒に過ごしてしまった。正直、近寄りがたいと思っていたけれど話してみたら普通の子たちですっかり仲良くなった。上位カーストとくくり、避けた自分に反省する。

放課後、裏庭で揺れるオレンジ髪を発見した。彼にしては珍しく一人で、私は裏庭へと急いだ。

「あの、千石君」
「うん?」

ちょうど自販機からペットボトルを取り出して、エメラルドグリーンの瞳と目が合う。

「どうしたの?」
「えっと、今朝、その…髪型褒めてくれてありがとう」

今朝もそうだけど、あの時のこともだ。彼が私の髪型について言ってくれなければ、美容院に行くこともなかったし、友達を作ることもできなかった。

「俺は思ったことを言っただけだよ。女の子が可愛くなることは良いことだし」

人懐っこい笑みを浮かべてうんうんと頷いている。今日一日で耐性はついたとはいえ、彼のサラッというこういう発言はなんかむず痒くなる。

「お蔭でクラスの子たちとも仲良くなれたし、ありがとう」
「そうなんだ。じゃあ、もっと可愛くなっちゃわない?」
「え?」
「ほら、俺がプロデュース的な?明日、姉さんから雑誌借りてくるよ」
「いや、あの、ちょっと……」
「じゃあ今から部活だからまた明日ね」

パチリとウインクが投げられて、身を翻しテニスコートへと向かって行ってしまった。

風が吹いて、短く切った髪が頬を撫でてくすぐったい。
私にもう少し知恵があればこんなことにはならなかったのかな。

コツコツコツ———
履きなれたローファーのかかとを3回鳴らした。

最近癖になりつつあるこのしぐさ。
特に行きたいところがあるわけではないけれど。
でもやっぱり音が鳴るだけで、今日はおまけに土煙が舞った。





おはようの言葉が行き交う朝の教室。一番に目に付いたオレンジ髪の彼は、女の子と楽しそうにお喋りをしていて、さすがだなぁと寝ぼけた頭の隅っこでそう思った。

「おはよ!ねぇ、今日カラオケ行かない?」

仲良くなった白鳥の、いや、もう友達と呼べるようになった彼女が声を掛けてくれた。せっかくのお誘い、そして親睦を深めるチャンスである。もちろん快くお返事をして、放課後の予定を埋めた。

「ねぇねぇ、放課後カラオケ行くの俺も行きたーい」
「あ、千石君」
「えー。男子禁制だから千石はダメ」

ちゃっかり話を聞いていたらしい千石君はさっそく話の輪に加わるも、彼女の一言で一蹴される。他の女の子たちにも声を掛けに行くと言った彼女は、私たちをその場に残して行ってしまった。

「残念だなー。あ、そうだ昨日言ってたやつ」

可愛い女の子が表紙で、大きく“モテ女がやってる10の事”と書かれた雑誌を渡される。あの約束はどうやら本気だったらしい。

「本当に持ってきてくれたんだ」
「当然だよ。カラオケに行くならちょうどいい事書いてあるよ。ほらここ、“選曲ベスト5”ってあるでしょ」
「本当だ。ってこれ、この間、千石君が歌ってた曲じゃない?」
「え?あー…バレちゃった?」

なるほど。こういうとこから女心を知って、女の子に声を掛けているんだな。
幸い、そのベスト5に書かれている曲は私も知っている。姉が寝る前に毎日大音量で流すため、覚えるくらいまでには聞かされている。

「じゃあ今日はこの曲歌ってみるね」
「本当?あーやっぱり俺も行きたいなぁ」
「また怒られちゃうよ。それに千石君は部活でしょ?」
「えーそれもバレちゃうのかぁ」

今までそれは楽しそうに話していたのに肩を落とす千石君を見て、思わず笑ってしまった。いつもニコニコしている印象の彼がこんな表情もするのだと、その時初めて知った。

「君、笑うと可愛いね」

きょとんとしたエメラルドグリーンの瞳に見られ、笑うのをやめた。さすがに笑うのは失礼だったかもしれない。いつものテンションではなく、素の状態でこぼれ落ちた言葉はもしかしたら嫌味に近い意味かも。

「あ、馬鹿にしたとかそんなんじゃなくて……」
「それは分かってるよ。でも初めて笑ったとこみたから、その〜…」

スラスラと話す彼にしては言葉が詰まって、予鈴が鳴ったと同時に「席に戻らなきゃ」と言った彼は雑誌を残して姿を消してしまった。
残された雑誌にはよく見ると何カ所かに付箋が付けられていて、こうなると昨日のプロデュースの話も現実味を帯びてくる。
先生に見つからないように、鞄の中にそれをしまって私も自分の席へと向かった。





隅々まで読み込んだ、彼から借りた雑誌。それを持って裏庭へと向かった。
さすがは“モテ女”が進める選曲ベスト5の効果は絶大で、友達にも褒められカラオケもなかなかに盛り上がれたと思う。それから数日間、雑誌を借りて今日の放課後返す約束をしている。

「千石君、おまたせ」
「あ、ちょうどよかった。君は今何が飲みたい?」
「え?ミルクティーかな」
「はい。これどうぞ」

自販機のボタンを押して、取り出したペットボトルが目の前に差し出される。それは私が言ったばかりのミルクティーで、慌てて鞄からお財布を取り出した。

「お金払うよ」
「いいよ。これオマケで当たったやつだから。俺ってラッキーだよね」

どうぞと握らされたペットボトルに有難くお礼を言って、二人でベンチへと移動した。
頂いたミルクティーでのどを潤し、私は雑誌を彼に渡す。

「これありがとう。すごく参考になったよ。来月からは自分で買ってみる」
「それは良かった。じゃあ次はこんなのはどう?」

彼が新しく出したのは、“モテ女の仕草”という本。さすがはプロデューサー、選ぶ本のセンスも私では到底手に取らないものを持ってきてくれる。

「そんなものもあるんだね」

受け取った本をパラパラとめくる。イラスト付きで解説が吹き出しになって載っている。

「飲み物を飲むときは指をそろえてグラスを持つこと」「物を拾うときは横に屈んで拾い上げること」「机の上で遠くのものを取るときは物から遠い方の手でクロスさせるように取ること」等々…

「外見だけ繕ってもね。でも君は言葉遣いも歩き方も綺麗だし、こんなの必要ないかもしれないけど」

一つ一つの動きに気を遣っていたら毎日が疲れてしまいそうだ。でも、日本には“大和撫子”と言う言葉もあるくらいだ。やる気に満ち溢れている今なら、少しくらい努力するのもありかもしれない。

「千石君、これ借りてもいいかな?」
「別にいいけど…。でも、」
「でも?」
「うーん……。君は、そのー…男にモテたいと思っているのかな?」

千石君にしては歯切れの悪い言い方。
モテたい?私が?
いやいや、男女問わず好かれたいくらいは思っているけれど、逆ハーレム的なものを望んでいるわけでもない。最近ようやく男子ともまともに会話をするようになった私が、彼氏を望むほど大それた欲もない。

「そんなことは全然考えてないよ。ただ、新しくできた友達はみんな可愛いから中身も磨いてかないとなぁって」
「例え髪が長かった頃の君に戻っても、みんな友達をやめるわけではないと思うけど…」
「確かにそうだけど、もっと頑張ってみたいの」
「そっかぁー……」

千石君ならもっと応援してくれると思ったのに、彼の口から出たのは何ともぼんやりした返事。
でも、私も千石君の「プロデュースする」という言葉に甘えすぎていたのかもしれない。本を貸してくれるだけでも十分すぎるほどの気遣いだ。

目次から興味がある項目を探し、そのページをめくる。

コツコツコツ———
3回かかとを鳴らす音が聞こえた。
その主である千石君を見れば、エメラルドグリーンの瞳を空に向けて別世界を見ていた。





“カップルの話は最大の参考書”という助言が今月号の雑誌に書かれていた。
恋バナを聞かせてほしいと言った私に、じゃあ誰もいない方がいいでしょという提案のもと、放課後の教室で友達と肩を並べている。
私にはこんな身近に彼氏持ちと言う頼もしい白鳥の友達がいるのだ。リアルな生の意見ほど参考になるものはない。

「どっちから告白したんですか?」

リポーター風に拳を握り、マイクのように彼女に差し出す。今日はやけに張り切ってるね、と言いながら私の茶番に付き合ってくれる彼女は、やっぱり中身も素敵で彼氏持ちなのも頷ける。

「向こうからだよ。放課後、呼び出されて言われた」
「やっぱり!なんで付き合おうと思ったの?」
「その時ちょうど彼氏欲しいなぁって思ってたから」
「え?」

私と彼女の間をせわしなく動いていた私の拳マイクが止まった。

「その時クリスマスも近かったからね。でも今も続いてるから付き合ってよかったと思ってるよ」

サラリと言ってのけた彼女は、彼氏からLINEが来たと言いスマホを確認している。
さすがに少女漫画並みのピュアな出会いを想像していたわけではないが、もっとトキメキの一つくらいあるものだと思っていた。しかし現実はそんなものらしい。

「違うと思ったら別れればいいし、そんな難しく考えなくていいんじゃない?」
「そんなものなんだね。でも私は告白される予定もないから大丈夫だよ」
「そんなの分かんないじゃん」

彼女のスマホが通知を知らせ、再びディスプレイを確認している。
もう少し相手の気持ちも考えるべきではないのか。でも相手からの告白なら受け入れた方が失礼にはならないのだろうか。
まぁ私には縁がなさそうなので悩む必要もないのだけれど。

「ごめん、彼氏に一緒に帰ろうって言われちゃった」
「そっか。もう大丈夫だよ」

帰るそぶりを見せたので、私も荷物を持って立ち上がろうとしたら彼女にそれを制された。

「え?どうしたの?」
「ちょっと5分くらいここで待ってて!」
「なんで?」
「いいから、とりあえずまだ教室にいて!」

彼女はスマホを確認しながら、そう言い残して教室を出て行った。
一人取り残された私は意味が分からず立ち尽くす。新手のいじめかとも一瞬思ったけど彼女に限ってそれはない。意味もなく嘘をつく子でもないし、おとなしく5分ほど待つことにした。

その間、千石君に借りた“モテ女の仕草”の本をめくる。隅々まで読んだとはいえ、実践となるとなかなか難しい。
そういえば最近は千石君とあまり話せていない気もする。まぁ彼は私以外にも女友達はいるわけで、わざわざ私と話す必要などないのかもしれないけれど。

トントントン——
気付けば上履きのかかとを3回鳴らしていた。
それと同時に教室の後ろ扉が音を立てて開いて、驚いて振り返った。もしかしたら千石君かもしれない。

でもそんな期待も視界に入った黒髪に、現実へと引き戻された。
入ってきたのは、最近よく話すようになったクラスの男の子。そういえばこの子と話すようになったから千石君と話す時間も少なくなった気がする。

「どうしたの?忘れ物?」
「いや、そうじゃなくて…ここにいるって聞いて急いできた」

私がここにいると知っているのは先ほどの彼女だけだ。もしかしてLINEの相手は彼氏じゃなくてこの子だったのかな?

「私に何か用だった?」

よく見れば、陸上部のその子は体操着で、どうやら部活を抜け出してきたらしい。そこまで重要な用事とは何なのだろうか。

「ずっと言いたいことがあって…。俺、君の事が好きで付き合ってほしいと思ってる」

は?



茜色に染まる教室に、下校時刻を知らせるアナウンスが流れる。
重い体を起こして、荷物を持ち立ち上がった。

こんなことがまさか自分の身に起こるなんて思いもよらなかった。
告白されたのも初めてで、すぐに返事なんてできなかった。少し時間をもらえるようお願いをして、彼は部活へと戻っていった。

そういえば、彼は私のどこを気に入ってくれたのだろうか。
でも少し前ならこんなことは考えられなかったのだ。これも外見と内面を磨いたおかげだと思うと素直に嬉しい。

茜色の空に、オレンジ色の髪を揺らして歩く人が視界に入った。大きなテニスバックを担いで、おそらく部活終わり。
走り慣れてはいないローファーのかかとを鳴らしながら、彼の後を追いかけた。

「千石君!」
「あれ?まだ残ってたんだ」

この時間に声を掛けられるのは意外だったようでエメラルドグリーンの瞳が揺れる。でもそんな表情もすぐに人懐っこい笑顔に変わって、それが久しぶりに私へと向けられた。

「こんな時間に会えるなんてラッキー。一緒に帰らない?」
「うん。あと、千石君に話したいことがあるから聞いてほしい」
「君から話しなんて期待しちゃうな」

そうだ。私が告白されたのはきっとモテ女に近づいた証拠なのだ。それならば、そう私を変えてくれた千石君に一番に報告する必要がある。
ふたりで校門を潜り抜け、茜色に塗られた道を歩く。

「話って何かな?」
「あのね、私告白されたの。生まれて初めてだよ?これってやっぱりモテ女に近づいてきたってことだよね。千石君の言う通り頑張ってよかった。まだ仕草の方はあんまり自信がないけど、これからもっと頑張れば結果はついてくると思うの。それでね、———」

その日は自分の努力が実った嬉しさと、久しぶりに千石君と話せたのが嬉しくてとても饒舌になってたんだと思う。

コツコツコツ———

だから、私はその音を聞いて初めて千石君が足を止めて距離を開けていることに気付いた。
エメラルドグリーンの瞳は夕日を受けてキラキラと光って、本物の宝石のように見えた。でも普段の彼からは想像できないほど表情は硬くて触れたら壊れそうなほどだった。

「千石君?」

私の言葉に笑みを浮かべるまでもなく、あの日と同じく遠くの世界を見ていた。

「じゃあ、俺はもう必要ないよね?」
「え?」
「君は可愛くなって自信もついた。そして彼氏もできれば俺なんかいなくても大丈夫でしょ?」
「あの、千石君。ちょっと待ってよ…」
「そういえばグリップテープ買いに行かないとだった。それじゃあね」

私を追い抜かして、街へと続く曲がり角をまがった。
走れば追いつける距離なのにそうはできなかった。

私にもう少し優しい心があれば彼の気持ちが分かったかもしれない。

コツコツコツ———
ローファーのかかとを3回鳴らした。

行きたいところがあったけど、口にするには勇気がなくて、言い訳するほどの知恵もなくて、優しい心も持っていない私は、その場所へ行くことはできなかった。





すごく、ぎくしゃくしている。というわけでもなく、いつも通りの日々が過ぎていった。
変化と言えば、告白の手助けをした友達が「早く付き合っちゃえばいいのに!」と一日3回くらい言ってくることくらいだろうか。

私に告白をしてくれた陸上部の子は、話しやすくて真面目でいい子で一緒にいて楽しい。でもそれは恋愛的な意味の“好き”とは違う気がした。
“好き”という言葉を思い浮かべると千石君のことが頭に浮かぶ。あのエメラルドグリーンの瞳をずっと見てみたいと思う。



「そろそろ返事を聞かせてもらってもいいかな?」

随分と待たせてしまい、彼には申し訳ないことをしてしまったと思っている。
それは彼に協力し、私の話に付き合ってくれた彼女にも言えることだ。
でもやっぱり、私は“好き”でない人とは付き合ってはいけないと思う。

「ごめんね。私、好きな人がいることに気付いたの」



かかとを3回鳴らして、私は地面を蹴って駆け出した。
自分から行動する勇気も、その知恵も、人を想う心も、私はすでにそれらを持っていて気付かせてくれたのは彼だった。それなのに、私は待っているだけで自分から動き出そうとはしなかった。

かかとを3回鳴らしたら、私は足を動かしてその場所に行くことができるのだ。
スマホが震えて通知を確認した。

<早く付き合っちゃえばいいのに!>
<千石と!>
<校舎裏の自販機のとこでみたから急ぎな!それとね、———>

私の友達には全てお見通しだったようだ。南の魔女もびっくりである。


コツコツコツ———
自販機のところには誰も居なくて、その音を聞いた私は校舎裏の花壇の方へと足を向けた。

「千石君っ」
「え?あれ、君なんでここに………」

先ほどの彼女からのLINEが思い出される。<それとね、>から先の部分を思い出して口を開いた。

「私、千石君のおかげで変われた。千石君のおかげで自分の今まで気付けなかったことにも知ることができた。でもね、やっぱりまだ千石君にはいてもらいたい。だって私、千石君の事が好きだから」

<それとね、千石は好きな子には奥手だから頑張って>

「本当に?」
「千石君が好きだよ」

告白するってものすごい勇気がいるのもなんだね。
心臓の音が怖いくらい波打って、全身を震えさせる。

「最初は君の事、純粋に可愛くしてあげたいなって思ってたんだ。でも可愛くなっていくうちに周りの男の視線が君に注がれていくのが気になって、それが嫌で君に八つ当たりしちゃって……。あの時は本当ごめん。それで、俺も君の事が好きです」
「私と付き合ってくれますか?」
「もちろん、喜んで」

エメラルドグリーンの瞳が細められて、彼にしては不器用に笑った。

もう、かかとを3回鳴らす必要はない。
自分自身で願いを叶える術を、私はもう手に入れているのだから。




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