片想いをしている吉田ヒロフミにチョコを渡す話
三姉妹の我が家では毎朝が戦争だ。早起きは三文の徳ではなく洗面所を占領できる時間に値する。最近では新しく彼氏ができた姉と中学生になり色気づき始めた妹との板挟みでその戦いも激化していた。そしてそれがバレンタイン当日ともなれば火を見るよりも明らかだった。
「あのっバレンタインのチョコ受け取ってくれますか?」
「これはフランスのショコラティエが作った限定二百個のチョコなんだよ」
「きっとチョコレートばかり貰うと思って私はクッキーにしてみたの」
「中に手紙も入ってるから読んだら返事もらえないかな」
さて、三姉妹戦争に敗れた私はチャイムが鳴る五分前に教室に辿り着いたわけであるがここもある意味戦場だった。一番後ろの窓際の席には女子生徒で溢れかえっており、その隣の私の席すら近寄れない。初売りセールを彷彿とさせる光景ではあるが皆のお目当ては服ではなくとある男子生徒である。
「おはよう吉田君。朝からすごい人気だね」
チャイムが鳴って人が引きようやく自分の席へ辿り着くことができた。そして隣へと目をやればその机には可愛らしくラッピングされたプレゼントの山が詰まれている。それらの貰い主は「おはよう」と返しながら視線を私へと移した。
「今日ってバレンタインだったんだね。朝からやたら物を貰うから誕生日プレゼントかと思っちゃった」
「えっもしかして誕生日なの?」
「違うけど」
思わせぶりな台詞を言っては笑ってみせる。チャイムが鳴っても先生はまだ姿を現さない。だから私達の会話はそのまま続けられた。
「まぁ吉田君の日と言っても過言ではないんじゃない?きっと学校中の女の子が吉田君にチョコをプレゼントするよ」
顏が良くて高身長というだけでもモテるのに、具合の悪そうな女子生徒に声を掛けてあげる優しさもある。そして学ランは一番上のボタンまで閉めるほどの優等生——かと思いきやサボりがちで左耳には六個もピアスを付けている。そのギャップとミステリアスの乗数効果で女子からの人気は高い。
「そうなの?じゃあキミからも貰えるのかな」
そして私も吉田君に思いを寄せる一人だった。初めはかっこいいなぁくらいにしか思っていなかったのだけど隣の席になって話す機会が増えて。彼の独特な言い回しと会話のテンポに、いつの間にか好きと思えるほどの感情まで抱くようになっていた。
「私から貰わなくてももう十分なんじゃない」
バッグの中には本命チョコが一つ。この日の為に何回も練習して作った。でもいざ彼の前に積まれたものを見て委縮してしまう。私のチョコなんて埋もれるに決まってるし寧ろ迷惑になる気しかしない。
「でもチョコは持って来てるんでしょ?しかも本命だ」
「なんでそう言い切れるの?」
「まず髪型がいつもと違う。それとマスカラもしてる。あと香水…じゃなくてコロンかな、柑橘系の香りがする」
淡々と指摘される度にこちらの頬は段々と熱くなってくる。時間ギリギリまで粘って身支度をしたのだ。その姿を一番見て欲しかったのは吉田君のはずなのにいざバレると恥ずかしい。
「あとは、」
「も、もういいから!」
「あぁそうだ」
顔を背けたもののそこで言葉を区切られてしまえば気になってくる。だからしょうがなく視線を隣りへと移せばその口元には綺麗な弧が描かれていた。その口元を指差してかさついた唇が開けられる。
「リップ塗ってるんだ。美味しそう」
今度こそ思いっきり顔を背けた。その勢いがすごすぎて逆隣の人には驚かれてしまった。私の気など知らない吉田君はクツクツと喉を鳴らして笑っている。それは先生が着た後も収まらず、お陰で顔のほてりも収まらなかった。
◇
結局、渡せないまま放課後になってしまった。休み時間になれば他クラスからも女子が押し寄せ、放課後も授業が終わるや否やすぐ教室を出て行ってしまった。そんな彼は今まさに校舎裏で女の子と二人きりだ。
「あっアイツまた食いモンもらってる」
その様子を二階の廊下の窓から見下ろしていれば隣からそんな声が聞こえた。視線を移せば制服を着崩した金髪の子が「なんでアイツばっかモテんだよ」と舌を出して嫌な顔をしていた。
「あんなにかっこよくて優しいんだからモテるに決まってるでしょ」
「優しいぃ??アイツ性格悪りぃぞ!」
盛大な独り言なのだろうけど思わず口を挟めば彼は窓のサッシに上半身を預け私と同じように校舎裏を見下ろした。
二人は何やら話しているが内容までは聞き取れない。それでも見続けていれば一歩踏み出した女の子が吉田君に抱きついた。見たくないのに目は逸らせない。そして吉田君はそれを拒む様子もなく片腕を女の子の背に回した。
「うそでしょ……」
「おい見ろよ!ああやって女とイチャついてんだよ!」
モテることは知っていた。でもずっと彼女を作らなかったから油断していた。
今日だってチョコを渡すつもりでいたけれど告白するつもりはなかった。ただ、渡すことで少しだけ今よりも意識してもらえるんじゃないかって思ったんだ。彼女にしてなんて贅沢言わないから少しだけ特別になれたらいいなって。でも吉田君にいつまでも彼女がいない保証はない。
「ねぇフォンダンショコラは好き?」
「ふぉ…ちょこら?」
「割るとチョコレートが溶け出すカップケーキみたいなやつ」
「へぇ〜よく分かんねぇけど美味そうだな」
「じゃあこれ貰ってくれる?」
ありふれたものを渡しても埋もれてしまう。だから他の人が作らなそうなチョコレート菓子にした。
捨てるのも躊躇われるし持ち帰って自分で食べるのだって虚しすぎる。それに少なからず彼は私の話を聞いてくれたわけで、そのお礼も兼ねてあげようと思った。
「えっマジで?!やりぃ!………あっ」
「やぁデンジ君。悪いけどこれはキミの物じゃないよ」
差し出した紙袋が横から掻っ攫われる。目の前の彼と一緒に振り向けばそこには吉田君の姿があった。さっきまで校舎裏にいたと思ったのにいつの間に来たのだろうか。
「はぁあ?テメェ吉田ふざけんな、それは俺が貰ったやつだ!」
「じゃあこうしようか。これは俺が貰うからその代わりデンジ君にはこのたくさんのチョコレートをあげる」
そう差し出した手には五つの袋が握られていた。手作りと思われるものから中には言わずと知れた高級店のものまである。しかし一貫して言えるのはそれが全て本命だってことだ。
「なっえ、マジで?」
「うん。それと俺のロッカーにあるチョコも全部デンジ君にあげる。合計したら百個くらいあるんじゃないかな」
「後で返せって言うなよ!」
「いいよ。俺が欲しいのはこれだけだから」
デンジ君という人が立ち去った後も私は状況が飲み込めずに立ち尽くしたままだった。吉田君がここにいるのも、貰ったチョコを渡したのも、そして私のものは欲しいだなんてすべて理解が追いつかない。
「本命チョコなら誰かれ構わずあげない方がいいんじゃない。はい」
「えっあ、ありがとう」
吉田君の手に渡ったものが私へと返される。……なぁんだ、これが欲しいだなんてその場しのぎの嘘だったんだ。そう納得しつつも、そのまま貰ってはくれないんだと落ち込む自分もいる。でもじゃあなんでそんな嘘をついたのか。
「そういえば今年は一つもチョコを貰えなかったな」
ぐるぐると考えを巡らせていればそんなことを言い出した。いや、たくさんもらってたじゃないかと言いたいところだが結果的に獲得数はゼロである。ただそうしたのは本人なのだけど。
「キミが今日は俺の日だって言うから期待してたんだけどな。このままだと俺はキミを嘘つき呼ばわりしないといけなくなりそうだ」
口を挟む間もなく言い切られこちらをじっと見つめてくる。しかもチョコではなく私の目を見ている。それが何とも恥ずかしくて。でも走って逃げることもできず、その視線を遮るように紙袋を差し出した。
「吉田君」
「なに?」
分かってるくせに。でもその先の言葉は私が言うまでずっと待ってるんだ。
「これ、受け取ってくれますか?」
「俺でいいの?本命チョコなんでしょ」
「うん。吉田君のことが、好きなので」
「本当?俺もキミのことが好きだったんだ。じゃあこれで両想いだね」
言わされた告白はてっきり受け流されるかと思いきやあっさり受け入れられた。そして紙袋を受け取って微笑まれる。え、これって信じていいの?というかそうなると校舎裏の出来事は何だったの?
「さっきの女の子は良いの?」
「さっき?誰のこと?」
「そこで抱き合ってた子」
「……あぁ、あれは告白されて断ったら泣き付かれたってだけだよ。全くもって何にもない」
そう断言されるが未だに両想いの事実を信じきれない私は良い顔をしていなかったのだと思う。それに気付いた吉田君が「これで信じてくれる?」と距離を詰めた。
二月の廊下は寒くて、おまけに窓も開けていたから冷たい風が服の隙間を擽った。でも頬に添えられた手と重なった唇が熱くて五秒後にはブレザーを脱ぎたくなっていた。
「ちょっと、まって、なに、いまの」
「キスしたら信じてくれるかなって。試しにもう一回してみる?」
「いや大丈夫です!気持ちは十分伝わったので!」
「そっか。よかった」
放課後に引き直した桜色のリップ。まだ早い春を感じさせるその色は目の前の唇にも移っていた。それを見ながら一つ深呼吸。そして少しだけ冷静になればふとある言葉が思い出された。
「吉田君って実は性格悪い……?」
恐る恐る尋ねれば無言のまま口角が上げられる。善人であることを全面に押し出したその顔に、もう何も聞く気は起きなかった。
「好きな子には一途だよ」
そう言って指先を絡め取られて握られた。えーっと、とりあえず喜んでいいんだよね……?