捨てようとしたクッキーをデンジが食べてくれた話


ラッピングされた袋が手元から滑り落ちた。

「おい、これやるよ」
「なんだ?…ってお前が貰った差し入れじゃん。いいのかよ?」
「おう。だってそれ手作りなんだぜ、気持ち悪くね?」

放課後、体育館、バスケ部の試合終わり。片想い中の人がそう話しているのを聞いてしまった。
その人は身長も高くてイケメンでバスケ部のエース的存在だった。私のように片想いしている子はたくさんいて、いつも誰かから差し入れを貰うような人気者。前に勇気を出してお菓子を渡したら「嬉しい」と言って受け取ってくれたから勘違いしていた。どうやらこれが彼の本音だったらしい。

「俺は気にしねぇけどなぁ」
「なら貰ってくれよ。でなきゃゴミ箱行きだ」
「お前最低だな!」

笑い声が遠ざかっていき、人の気配がなくなってから足元の紙袋を拾い上げた。それを握りしめ校舎裏の焼却炉へと早足で向かう。あんな人にあげるのも、そして好きでいたことも全部が馬鹿馬鹿しくなってひと思いに燃やしてやろうと思った。

「せっかく上手く焼けたのになぁ」

一つ取り出し眺めてみる。食べ物に罪はない。しかし、このまま持ち帰ったらもっと惨めになる気がした。だから袋に戻してぐちゃぐちゃに丸めて。そして焼却炉の口に向かって大きく振り被った。

「ちょおっと待ったァー!」
「は、えっなに?!」

金髪の男子生徒が私と焼却炉の間に割って入る。このままではその人に打つけてしまうと思い咄嗟に手を離せば少し離れたコンクリートの上に落ちた。口の開いた紙袋の近くには割れたクッキーが散乱している。

「だぁあぁ!勿体ねぇ!」
「突然なに?!っていうかだれ?!」
「おいテメー食いモン粗末にするんじゃねぇよ!」
「あ…すみません」

得体の知れない人物の突然の説教に萎縮する。しかし彼はそんな私を無視し、ボタンを閉めていない学ランを旗めかせ飛んでいった紙袋のところに歩いて行く。そしてその場にしゃがみ込んでは落ちているクッキーを拾い集めた。

「なぁ、」
「は、はいっ」
「これ捨てんのか?」
「うん、そのつもり」
「じゃあ俺が貰ってもいいか?」
「えっ別にいいけど……」
「よっしゃあ!んじゃいただきまァす!」

拾い上げられたクッキーはそのまま彼の口の中へ……いや、それ落ちたやつだよね?コンクリートの上と言えども砂利ついてるよね?お腹壊さない?というかこの人、正気か?

「いやいやいや!落ちてるもの食べるのはよくないって!」

彼の元へと駆け寄って同じようにしゃがみ込む。彼は本格的にこの場で食べるつもりなのか胡座をかいてもう一枚クッキーを口に入れた。

「今日昼メシ食いそびれちまってよぉ別に腐ってねぇし大丈夫だろ」
「そういう問題じゃ……」
「それよりこれアンタが作ったのか?」

気持ち悪い、と言った彼の言葉が思い出された。この人はこのクッキーが手作りだと知ったら同じ事を言うのだろうか。でも嘘をつくことはできなくて、正直に伝えた。

「……そうだよ」
「へぇスゲーな!菓子って作んの大変なんだろ?でもこれめちゃくちゃうめぇ!」

屈託なく笑いそう言ってのける。彼の様子からそれが決してお世辞ではないことは分かった。

「そう?」
「おう。しかも焼き菓子って作んのムズイだろ。分量きっちり計んねぇと失敗するし」
「料理するの?」
「まぁな。今友達みてーな…妹みてえなヤツと一緒に住んでてさ、俺が面倒みてんの」

失礼ながら彼の見た目からでは想像ができなかった。ただその妹さんが大学に行けるくらい頭がいいと語る横顔は確かに本物だ。

「ちゃんと面倒見てて偉いね」
「は…?いや、まぁフツーつぅか当然つーか!大したことねぇよ?!」
「そんなことないよ。すごい、かっこいい」
「えっマジで?!俺かっこいい?!かっこいい?!」
「うん」
「よっしゃああ!」

ここまで感情豊かだと見ていて楽しくなる。それに素直で単純で裏表もなさそうで。今の私にとって安心できた。

「そういやアンタはこれ食ったのか?」
「食べてないけど」
「じゃあ一枚やるよ」

袋の口を開け、こちらに向けられる。この中の物は地面に落ちていない。促されるまま砕けた一欠片を取り出して口の中に入れた。

「美味しい」
「だろ?!」
「なんでそっちが自信ありげなの?作ったのは私だよ」
「でも美味いって教えたのは俺だし!」
「ふふっそうだね」

思わず笑えば、先程までのちっぽけな悩みなどどうでもよくなっていた。
彼は紙袋の口を畳んで立ち上がった。まだおそらく半分ほど残っている。それはどうするのかと聞けば、お留守番中の妹さんにあげるのだと。

「じゃあな」
「ちょっと待って!」

立ち去る背中に声を掛ければ振り返った。半開きの口からはギザギザの歯が見えて、またあの口から「美味しい」の一言が聞きたくなった。

「クッキー、また貰ってくれる?」
「あ?いいのかよ」
「うん。今度は砂利も付いてなくて割れてないクッキー持ってくる」
「やりぃ!」

分かりやすくガッツポーズをしてそのまま走り出しそうとする。彼の行動もまた素直で単純なようだ。でももう一つだけ聞かなきゃいけないことがある。

「あのっ名前なんていうの?!」
「俺はデンジ!またな!」
「デンジ君、か」

走り去る背中を見つめながらそう復唱した。