怖いと思っている吉田ヒロフミに外堀を埋められる話


塾終わりの帰り道、住宅街の十字路に蹲っている人がいた。すぐそばの外灯は切れかけているのか、カンカカンッと不規則な点滅を繰り返している。だから蹲っているものが人と認識するに、思いの外時間を要した。

「だ、大丈夫ですか?!」

地面を汚す血痕を目にし、現実を理解して慌てて声を掛けた。膝を地面につけ顔を覗き見る。あれ?この人うちの学校の人じゃ……

「あぁ、大丈夫で……」
「ぎゃー!めっちゃ血ぃ付いてる?!」

これが私と吉田君の出会いでした。



「隣のクラスの吉田君ってイケメンだよね」
「それに公安でデビルハンターやってるんでしょう?」
「イケメンで強いとか完璧じゃん!」
「えっ普通に怖くない?」
「「「は?」」」

ようやく午前授業を終えた昼休み、机を合わせていつものメンバーでご飯を食べる。そして私がタコさんウインナーを頬張ったタイミングで三人の目が向けられた。その見開いた瞳孔に一瞬怯むが、何とか咀嚼しウインナーを胃に流す。

「だって何考えてるか分からないしデビルハンターって悪魔を殺す仕事でしょ。怖くない?」

数日前に目撃したあの光景は今も目に焼き付いている。スニーカーや上着、頬にまでべっとりと付いた赤い血に、足元には悪魔のものと思われる内臓が散らばっていた。

「そこがミステリアスでかっこいいんでしょうが!」
「悪魔殺すのだって正義のためでしょう?悪いことはしてないじゃない」
「うーん……でもなぁ」
「それに優しいとこもあるんだよ!この前ノート運んでる時、階段で落としちゃってさ。そしたら拾ってくれて運ぶのも手伝ってくれたの!」
「優しい〜!」
「何それ羨ましい!」

きゃあきゃあ盛り上がる友人達を横目に弁当を食べ進める。確かにその話を聞く限り悪い人ではなさそうだが些か第一印象が悪すぎて好感度は上がらない。

「そういえば私も合同体育の時ボール片付けしてたら手伝ってくれた!」
「私だって吉田君に落とし物届けられたことあるし!」

そして吉田君を褒める会からいつしかマウントの取り合い会になっていた。生憎、私はどちらにも興味がない。それにしても他クラスの女子にまで優しくできるだなんて人間が出来すぎてて逆に勘繰ってしまう。

「なんか女たらしみたいに聞こえる」
「「「は?」」」

率直な意見を述べれば三人からは説教をくらい、如何に彼ができた人間であるかを説かれた。これは新手の宗教だろうか。なんか吉田君が教祖みたいで益々怖くなった。
新興宗教の勧誘を巻くべく放課後は図書室へと駆け込んだ。逃げてきた身ではあるが借りたい本もあったのでちょうどいい。
目的の本棚にまで辿り着きお目当ての本を探す。中々見つからなくて本棚を三周もしてしまったが一番上の段にタイトルの背表紙を見つけた。踏み台を持ってくるのが手間なので背伸びをして手を伸ばす。

「どの本を取りたいの?」
「え?……げっ」

親切心からの言葉にも関わらず最悪な顔をしてしまった。だって私に声を掛けてくれたのは吉田君だったから。

「苦労しているようだったからさ。もしよければ代わりに取ろうか?」
「あー…じゃあ草迷宮って本取ってもらってもいい?」
「草迷宮ね」

背伸びしても上の棚に指をかける事すらできなかったのに吉田君は腕を伸ばすだけで簡単に本を取ってのけた。「はい」と差し出されたそれを受け取って、そこで初めて吉田君の目を見て、ありがとうとお礼を言った。

「他に借りたい本はある?」
「うん……えぇっと」
「川端康成の片腕」
「そう、それ!よく分かったね」
「現国の先生の推薦書だろ。俺のクラスでも言ってた」

吉田君は本棚を一つ分移動してまた同じように一番上の棚から本を抜き取った。

「借りたことあるの?」
「いいや」

確かな足取りは既に場所を知っているようだった。
二冊目の本も受け取りお礼を伝える。しかしその場からは立ち去れなかった。何故なら吉田君がじーっとこちらを見ていたから。どんな言葉を掛ければいいか分からず首を傾げる。

「よかった」
「何が?」
「てっきり嫌われてるのかと思ってさ。ほら夜道で会った時は随分と驚かせちゃったから」

血だらけの吉田君と出会った夜を思い出す——叫んだ私に対し吉田君は小さく笑って「返り血だから大丈夫」と言った。そんな彼に、ゆっくりお風呂入ってね!と的外れな言葉を掛けてその場を立ち去ったのだった。

「いや、嫌いとかじゃなくてびっくりして…!あの時は私から話しかけたのに逃げてごめんね」
「俺の事怖いって思ってる?」
「ないない!今も親切にしてもらったし友達も吉田君のこと優しいって言ってたし!」

吉田君の言葉がチクチクと刺さる。だから手を振りながら慌ててその場を繕った。本当はまだ少し怖くて、でもそれを悟らせないように。
その様子を見ていた吉田君の口角が上がる。そして光も映さぬ深淵の目が私を捉えた時、ぞわりと何かが背中を這い上がった。

「優しくしたのはキミの友達だからだよ。将を射んと欲すればまず馬を射よって言うだろ」

急に何を言い出すかと思えば。それは教祖様の座右の銘なのだろうか。でもこの場合の将って……

「なんてね」
「あー…あはは」

いやいや思い上がるな私。きっとこれは信者を増やすための文言に過ぎないのだ。
もう一度お礼を言い、そそくさとカウンターへと歩き出す。……吉田君も着いてきた。

「その本、次借りたいから読み終わったら教えてくれないかな?」
「それなら吉田君が先に借りていいよ」
「いや、キミの後でいい。そうしたら読み終わった後にキミが俺に会いに来てくれることになるだろう」

後ろからぐっと心臓を掴まれたようだった。
思わず足を止めれば吉田君は私にぶつかることもなく横を通り過ぎる。そして三歩先で振り返り人好きの良さそうな笑みを浮かべた。

「理由を説明するのはまだやめておこうかな。好きに解釈してくれて構わないよ」

またね、と片手を上げて吉田君は爽やかにその場を後にした。