吉田ヒロフミからホワイトデーのお返しをもらう話


欠伸を噛み殺しながら上履きを取り出す。今日提出の課題をすっかり忘れていて、結局寝たのは夜の一時過ぎだった。その甲斐あって無事に終わったのだが学校に着いた時点で既に眠い。これはもう一限目の授業はHP回復に勤めさせてもらうしかない。

「随分と眠たそうだね」
「ふぁッ?!」

いよいよ欠伸を抑える力すら尽き大口開けて酸素を吸い込んだ時だった。なんとも間が悪い……というよりは図ったかのようなタイミングで話し掛けられ変な声が出てしまった。確認するよりも先にクスクスと小さな笑いが降ってくる。絶対に確信犯でしょ吉田君。

「昨日は夜更かしでもしたの?」
「課題やってたら寝るのが遅くなっただけですー」
「ああ、数学のプリントだっけ」

私よりも低い位置に下駄箱がある吉田君はその大きな背を折り畳んで靴を履き替える。だからその隙に先に教室に行ってやろうとしたけれどライフ1であることを思い出し諦めた。吉田君って目立つから一緒に教室まで歩きたくないんだよね。女子の視線が怖いし。

「そうだよ。吉田君はやってきた?」
「もちろん」
「えっうそ?!」

踵までしっかり履いて背筋を伸ばす。その顔には「当たり前」の文字が書かれていたが吉田君は遅刻欠席課題忘れの常習犯。だから大抵私がノートを見せ課題も手伝ってあげているのだが今日はちゃんとやってきたらしい。

「心外だなぁ」
「それはごめん……でも正直驚いた」
「まぁいつもお世話になっているのは事実だけどね。というわけで、これ受け取ってくれるよね」

目の前に小さな紙袋が差し出された。それは黒色で手持ちの部分に赤いリボンが結ばれている。見るからに高級そうなもので思わず吉田君の顔を二度見してしまった。しかし彼は平然と眉一つ動かさずに笑みを浮かべている。

「カラフルなクッキー……?」

恐る恐る受け取って中を見れば透明なケースにピンク、黄色、緑のお菓子が収められていた。

「マカロンっていうお菓子だよ」
「初めて知った。でもこんな高そうなお菓子もらえないよ」
「お返しなんだから受け取ってくれないと困るんだけど」
「お返し?」
「今日はホワイトデーでしょ」

そうか、確かに三月十四日の今日はバレンタインのお返しをもらう日だ。でもね吉田君。私は五円チョコすらあげた覚えがないんだけど。

「えっ吉田君にあげたっけ?」
「うん」

いや、そんな確固たる意思を持った瞳で見つめられても私の記憶改ざんはできないぞ。これはきっとお返しと称して物を贈り、後に厄介事を押し付けてくる常とう手段ではなかろうか。吉田君ならアリよりのアリ。

「その手には乗らないよ!」
「キミは何の話をしているの?」
「それはこっちの台詞だから。とにかく吉田君にチョコレートはあげてないんだから貰えないよ」
「確かにチョコレートは貰わなかったね」

んん?これは一体何の謎々なのだろうか。その答えは未だに分からないが、だからこそ受け取れない。少し惜しい気もするが紙袋を返そうと吉田君の前に差し出す。でもその手はやんわりと大きな掌に包まれて押し返された。

「だから……」
「バレンタインの日、キミは俺にノートを見せて"あげた"でしょ」

授業ノートの事だろうか。吉田君にはしょっちゅう貸しているのでその日に貸したかどうかも正直覚えていない。それにしてもものすごい発想の転換だな。

「まぁうん、そうだったかもしれないけど……」
「だから受け取ってくれるよね?」

お返しと言われるとそれは違うと断れるが、日ごろのお礼と考えれば受け取れなくもない。また、このマカロンというお菓子を食べてみたいという気持ちも正直ある。それにこれ以上拒否するのも失礼だよね。うん、貰おう。

「ありがとう」

改めて受け取り、もう一度中を見てみた。カラフルな見た目が何とも可愛らしい。そこでふと吉田君の手元に目がいった。彼はスクールバッグこそ肩に掛けてはいるが他に荷物は持っていなかった。

「吉田君、ホワイトデーのお返しは持って来てないの?」
「今キミの手の中にあるだろ。もしかして足りなかった?」
「いやそうじゃなくって。バレンタインチョコたくさん貰ってたからさ」

先月の十四日はすごかった。クラス、学年関係なく多くの女の子が吉田君の元へ訪れチョコレートをプレゼントしていた。机の上にラッピング袋の山ができて「授業が受けられないので帰ります」と言って本当に帰った姿も記憶に新しい。

「ああ、あれは貰ったというよりは押し付けられたって感じだったからね。特別何かを用意してはないよ」
「えっじゃあこれだけしか持って来てないの?」
「渡したいと思ったのがキミしかいなかったからね」

私だけが特別な存在——なんてときめくわけもなく、何てことしてんだコノヤローという気持ちしかなかった。全女子生徒の標的になりそうな爆弾を渡されただけである。これが吉田君からの物とバレれば上履きの中には画鋲を入れられトイレの個室に入れば上から水をかけられる未来しかない。

「せっかくなら教室まで一緒に行こうよ」

せめてもの危機回避のためにお礼を言ってすぐさま立ち去った私を当然の如く追いかけて来た。まぁそもそも向かう先は同じ教室なんだけどね。割と競歩には自信があるのだが高身長故の脚の長さの差でどうしたって吉田君を巻くことはできなかった。

「皆に勘違いされちゃうとお互い困るでしょ?教室には別々で入ろうよ」
「俺は別に困らないけどキミには不都合なことがあるの?」
「大アリだよ!吉田君と仲良くしてたら一人だけ抜け駆けしてるって思われて女子生徒全員を敵に回すことになるんだから」
「なるほど。じゃあ勘違いされて嫌がらせを受ける前にそれを真実にすればいいんじゃないかな」

この階段を上りきればすぐ傍が教室だ。
私が踊り場で足を止めれば吉田君もぴたりと隣で立ち止まった。

「はい?」
「俺と付き合わない?」

なにそれ名案!即日採用!——ってことにはならないからね。やはりこの一連の流れは吉田ヒロフミの常とう手段か。その手には乗らないぞ。

「今が一番嫌がらせを受けてるかもしれない」

吉田君にとって私はノートを見せてくれる都合のいいクラスメイトで、それでいて他の子達のようにキラキラした目で彼を見ていないから色恋沙汰に発展する可能性がない女と認知されているはず。だから周囲に私を彼女だと思わせて女子からのアプローチ数を減らそうって魂胆だな。

「ノートも貸すし今まで通り勉強も教えるけど面倒事は御免だから!」

自身が辿り着いた推理を披露し一気に階段を上りきった。

「本気で言ったんだけどなぁ。これで通じないんなら外堀埋めた方が早いか」

——この一週間後、私は泣きながら吉田君に彼女にしてくれと頼み込むのだが、その過程があまりにも複雑すぎるのでここでは割愛する。