無自覚に乙女心を射止めるデンジの話


あっ今日ってホワイトデーだったんだっけ。
そう気付いたのは下駄箱から自分のスニーカーを取り出した時だった。

「お返しにゴディバのチョコレート貰っちゃった!」
「えっすごい!本当に三倍返しだったね」

二人組の女の子の背中を見送り自分も靴を履き替える。そもそもそういった色恋沙汰に疎く、またバレンタインも仲のいい友達にチョコ菓子を配った程度だったのですっかり忘れていた。しかし忘れていたからと言って不都合があるわけでもない。私にとってはごく平凡な三月十四日という日が終わるだけにすぎないのだから。

「アーッ!やっと見つけた!」

帰ったら宿題をするか借りてきた本を読むか。そんなことを考えていれば後ろから大声が聞こえ思わず肩を揺らしてしまった。いや、でも私じゃないか。こんな輩に絡まれるような学校生活は送っていないので。

「おい無視すんなって!アンタだよ!アンタ!」
「うわっ?!」

アイアム空気。そう風景と一体化してこの場を去ろうとした私の目の前に、パッと男子生徒が飛び出した。
くすんだ金髪に制服を気崩した姿はまさにチンピラという表現があっていて正直あまり関わりたくないタイプ。現に約一年間同じクラスだけれど言葉を交わした回数は両手で足りるほどだった。

「やーっと気づいた!」
「ご、ごめん!どうしたの?」

お金の為なら女子のイスになることも厭わない。少し……いや、かなり変わった人であるデンジ君。そんな彼が私に用とは?
少し身構えながら言葉の続きを待っていれば彼が何かを隠し持っていることに気が付いた。しかしこちらからでは体の後ろに隠された右手はよく見えない。もはや偏見しかないが、その右手に虫でも握っていて私を驚かそうとしているのではないだろうか。この顔ならありそう――そう確信した瞬間、突然右腕が目の前に振られ思わず目を閉じた。

「これアンタにやるよ!」

ミミズでもカエルでもムカデでも何でも来い!でもゴ……だけはやめてください!そう願いながら恐る恐る目を開ければ彼の手には花冠が握られていた。白い花びらと中心の黄のコントラストが美しいマーガレットで作られている。

「え?いや、あの、なんで…?」
「バレンタインのお返し!俺にチョコくれただろ!」

私があげたのは女友達だけで……いや、あげたな。確か色んなチョコが入った大袋のお菓子を持って行って、でもホワイトチョコを食べられる人がいなかったからあげたんだよね。「あの人なら何でも食べそうじゃない?」という友達の一言で、ぽけ〜と窓の外を見ていたデンジ君にどうぞって。

「あ〜そうだったね!でもいいよ、大したものじゃなかったし」
「バレンタイン貰ったらホワイトデーに返すのが普通なんだろ?遠慮しなくていいぜ!」
「だからって何で花冠……ってこれ花壇のお花じゃない?!」

学校内にある花壇は環境委員が世話をしている。今日だってその委員会に所属している私は昼休みと放課後を使って手入れをしてきたのだ。いくら綺麗な花冠でもそれが花壇から盗られたものとあっては許せない。

「勝手に摘まないでよ!花壇荒らし!」
「ハあ!?ちげーし!これは袋の中にあったモンかき集めて作ったんだよ!」
「袋の中?」
「体育館横の倉庫んとこに花が詰まった袋があったんだよ!」

それは私が昼休みに花壇周りの掃除をしてまとめたゴミだ。そういえばさっきそのゴミを焼却炉にまで捨てに行ったけど、確かに結び目には誰かが開けた形跡があった。

「ホワイトデーって知ったの学校来てからだったからよぉ購買で売ってるモンはパッとしねぇし、せっかくならアンタに合う物渡せたらなって」
「それでこれ……?」
「おう!毎日花瓶の水換えてくれてっし花壇の手入れしてんのも知ってたからな。だから花が好きかと思ってよ」

教室に飾られている花を気にする人なんて私以外にいたんだ。担任の先生ですら花を持ってくるだけで手入れは全て生徒任せなのに。花壇だって、もう花があるのが当たり前で誰も見てないんじゃないかって思ってた。

「私が貰っていいの?」

好きでやってるようなことだし、それに委員なんだから仕事として当たり前のことをしているだけ。誰に褒められたいわけでもお礼を言われたいわけでもない。でも知っていてくれただけで、どこか救われたような、とても嬉しい気持ちになった。

「いいに決まってんだろ。ほらよ」

一歩距離が詰められ、ふわりと頭の上に花冠が乗せられる。小さい頃、花を結んで指輪に見立てて遊んだことはあれど冠ほど立派な物は作らなかった。いや、作れなかったと言った方が正しいかもしれない。これくらい大きくなると輪になる前に茎が解けるか切れてしまうから。それほどまでに手間がかかるものをデンジ君が作ってくれた。そして被せてもくれた。

「おー似合ってるぜ」
「あ、…りがとう……!あと、さっき怒っちゃってごめんね」
「いーよ。じゃあまた明日な」
「うん、また明日」

デンジ君はスニーカーに履き替えて、来たときとは打って変わり大人しく背中を少し丸めて帰っていった。
今まではただのチンピラだと思ってたのに。お金の為にイスになるような変わり者だと思ってたのに。窓の外をぽけっと見てるようなアホな人だと思ってたのに。
私の中のデンジ君が全て覆った日になった。