お気に入りのカフェに通う吉田ヒロフミの話


扉に付けられたカウベルがカランコロンと音を立てた。

「いらっしゃいませ」

テーブルを拭いていた手を止めて視線をゆっくり持ち上げる。入り口近くの観葉植物よりも高い頭が見えればそれは彼だと確信した。出迎えるために足早に向かえばその人は「こんにちは」と口先だけを動かして薄っすらと笑う。

「今日も一人なの?吉川君」
「別に俺の勝手でしょう。それと俺の名前は吉田ね、吉田ヒロフミ」
「ふふっ知ってるよ。それではお一人様ご案内〜」

案内しなくたってこのお店は広くもなければ人気店というわけでもない。だから平日の午後はいつもガラガラだし正直どこに座って貰っても構わない。でも私は吉田君を窓際の二人掛けのテーブル席へと案内した。

「カウンターでもよかったのに」
「せっかくなら日当たりのいい席の方がいいでしょ」
「本当にそれだけ?」
「ごめん嘘。実はこの席、外からも見えるんだよね。だからかっこいい人が座ってると女の子の入店が増えるんだ」

この店は私の祖父が早期退職をして始めたお店だ。本人は趣味みたいなもんだとそこまで売上のことを気にしていないが儲けゼロはさすがにまずい。だから吉田君で集客を図ろうとしていた。

「俺って客寄せパンダなの?」

お客ながらも軽口を叩けるのは彼が自分と同い年であると知ったからだった。
ある日、店に来た吉田君が勉強をしていて、そしてペンケースを忘れていったのだ。それを走って届けたのがキッカケで仲良くなった。

「客寄せイケメンだよ。でも気を悪くさせたならごめんね、空いてるから好きな席座っていいよ」

だが親しき仲にも礼儀ありだ。つい調子に乗ってしまったことを謝れば吉田君は黙ったまま二人掛けのテーブルについた。そして荷物を足元のボックスに仕舞い、顔を上げる。しかし何も言わない。じーっとただ見つめてくるだけ。怒ってるのかどうかも分からない。

「えっと、吉田君…?」
「なに?」
「その席でいいの?」
「いいよ」
「そしてどうして私を見てくるの?」
「認識されてたんだなと思って」

認識、とは?私が首を傾げれば吉田君はそれ以上に、こてんと首を横に倒した。一度瞬きをした彼の瞳は艶のある黒目をしていて凝視されれば見つめ返すしかない。そして吉田君の綺麗な弧を描いた唇がゆっくりと開かれ私の視線は釘付けになった。

「イケメンってこと。キミにそう見られてるのは意外だったから」
「えっそう?最初から思ってたよ」
「でも俺に話しかけてこなかったでしょ。精々注文を取りに来たくらいだ」

言っている意味が分からない……それが顔に出ていたのか吉田君が言葉を続けた。曰く、自他共に認めるイケメンの吉田君は店に入れば女の子から絡まれたり連絡先をもらったりするらしい。私からしてみれば実に羨ましい限りだが吉田君はうんざりしていたよう。

「ここは学校からも距離があるし静かで気に入ってるんだ」
「そうだったんだ」
「でも一番の理由はキミに会えることだけどね」

蜜菓子のように甘く微笑んでそんなことをさらりと言ってのける。

「ぅぁ、……っ」

思わず持っていた伝票で顔を覆えば自分のおでこを打つけていた。イケメンの笑顔は猛毒だ。そして吉田君の声は脳を麻痺させる。喉を鳴らすような笑い声に頭がぐつぐつと沸いた。

「ご、ご注文を!」
「顔が赤いけど大丈夫?」
「大丈夫!」

完全に遊ばれてる。吉田君が女の子から言い寄られるのってもしかして顔だけじゃないのでは?そういう思わせぶりをするからみんな勘違いするんだよ。

「じゃあコーヒーとロイヤルミルクティー、あとおすすめのケーキを二つ」
いつもより顔の近くに寄せた伝票に注文の品を書いていく。ただそれは明らかに一人で頼む数ではなかった。
「あとで誰か来るの?」
「うん」
「そっか」

ほらやっぱり思わせぶり。多分お相手は女の子だ。ロイヤルミルクティーは女子受けするちょっと高めのメニューだから間違いない。私も好きだし。

「全部一緒に持ってきてくれていいからね」
「分かった」

伝票を片手にカウンターの奥へと向かう。その時、ちらりと後ろを振り返れば吉田君と目が合って。それで小さく手を振られたからびっくりして脚をカウンターにぶつけた。



祖父は飲み物の準備を、そして私はケーキの盛り付けを行っていく。添える生クリームと苺は少し多めにサービスしておいた。しかし吉田君の待ち人は一向に姿を現さない。

「おじいちゃん、もう出していいか聞いてくるね」
「分かった。これ運んだら今日は上がっていいからな」
「はーい」

頬杖をつき窓の外を見ている吉田君は何とも絵になる。その甘いマスクから正面に座るだけでブラックコーヒーが何杯でも飲めそうだ。

「もう準備できたんだけど出しても大丈夫?」
「うん」

二つ返事を貰ったためトレーで飲み物とケーキを運んでいく。吉田君の前と、そして誰もいない席へと注文の品を並べた。

「ご注文の品は以上でお揃いですか?」
「いや、」

聞くまでもないが形式上のお決まりの言葉。しかし予想しなかった返事がきた。

「え?」
「キミ」

人は驚くと声が出なくなるらしい。『は』の形で口を開けたままの私とは裏腹に吉田君は楽しそうに笑みを深くした。

「もう上がりの時間だよね」
「そ、……うだけど」

はくはくと口を動かす。

「一緒に食べない?」
「でもこれ他の人の分じゃないの?」

そう尋ねてみても黙ったまま。ずるい人。

「ほらミルクティー冷めちゃうよ」
「じゃあ……」

だから結局、吉田君の思い通りになってしまうのだ。

「このケーキ美味しいね」
「そうだね」

手と口を動かすが食べている気がしない。どうやらイケメンの毒に当てられ私の味覚はなくなったようだ。

「そういえばミルクティーでよかった?カフェオレと迷ったんだよね」
「うん。コーヒーよりも紅茶が好きだから」
「よかった」

飲み物は基本的にミルク入りが好き。その趣向を何故吉田君が知っているのかなんて考えている余裕もなかった。

「吉田君、」
「なに?」

コーヒーカップを口から離しソーサーへと戻す。その所作は特段丁寧なわけではなかったけれど何故か目で追ってしまう。一つ一つの動作をゆっくりと行うことで視線を惹きつけるのだ。天然なのか計算なのか、その答えはまだ知らない。

「食べてるとこ、見ないで」

少しむくれて言って見せれば大きな瞳を少しだけ細められた。そして、これまたゆっくりとした動作で右手で頬杖をつく。黒い六つのピアスが光を反射して、これは確信的にやったなと思った。

「目の前にいるんだからしょうがないでしょ」
「じっと見るのやめて」
「なんで?」
「それは……」

言葉に詰まり目を逸らす。そしたら小さく笑われて、居心地が悪くなればカップに手を付けるしかなくなる。それでも感じる目の前からの圧力。しかし完全無視を決め込んでカップを傾けた——だがここまで彼の計算の内だったようだ。だからこそ最大の場面でとんでもない爆弾を落とされた。

「そろそろ俺のこと好きになってくれた?」