猫を隠したい女の子と吉田ヒロフミの話


この世で最も可愛い生き物は何かと問われれば、 〇.一秒の間もなく「猫」であると即答する。大きなお目めに片手に収まるほどの丸い顔。顔を洗う姿は愛らしいし鳴き声も言わずもがな可愛らしい。かと思えば気まぐれにどこへ行ってしまうのだがそんな姿も好きだった。

「おーい」

そんな私だったから学校に現れた迷い猫にもついつい構ってしまっていた。体育館裏の倉庫近く、生い茂る草のその場所で彼女と出会った。

「ニャア」

短く鳴いて姿を現したのは一本の混じり気もない綺麗な黒い毛並みを持つ一匹の猫。アーモンド形の金色の瞳を光らせて足元にすり寄って来た。

「今日はいた!」

倉庫の影に隠しておいた皿に購買で買ってきた牛乳を注ぎ、猫缶は蓋を開けて差し出す。彼女は二つとも匂いを嗅いでから先に牛乳へと口を付けた。

「うわぁ毛やわらかい…!」

そしてこの瞬間は自由に触ることが許される。
彼女との出会いは一ヵ月ほど前、美化委員の仕事でここへ訪れた際に見つけた。毎日いるわけではないけれど三日に一度の割合で彼女は姿を現す。

「満足した?」
「ニャ、ニャア〜」
「えっお腹も触らせてくれるの?!」

今日は大盤振る舞いだ!と好きなだけもふもふさせてもらう。これぞ至福のひと時。こんな時間がずっと続けばいいのに。

「そんなところでどうしたの?」
「…っ?!」

足音も聞こえず、気配も感じなかった。しかし振り返ればそこには学ランを着た男子生徒が一人。強く拭いた風が長く伸びた前髪を払いのけ、そこからは大きな瞳がこちらをじっと見つめていた。

「何してるの?」

二度目の質問に我に返り、急いで自分の体で背後を隠した。

「く、草むしり…!」
「草むしり?」
「そう、私美化委員でこの辺りの掃除を頼まれてるの」

猫の世話をしているとバレれば先生達にも目を付けられる。それに彼女が保健所に連れて行かれる可能性だってある。だからこのことは誰にも言いたくなかった。

「ふぅん…そうなんだ。大変だね、頑張って」

苦し紛れの嘘だった。しかし声を掛けて来た割にその男子生徒はあっさり納得し立ち去っていった。



ただそれは序章に過ぎず、あっさり……なんてことはなく彼にしつこく付き纏われる日々が始まった。

「吉田君、今日も来るの?」
「うん。あの広さを一人じゃ大変だろう?俺も手伝うよ」

彼は吉田ヒロフミと言った。クラスは違うが同じ学年で、彼は放課後になると私のクラスにやって来ては私の後を付いてくる。そして嘘をついてしまった手前、こちらも本当に草むしりをする羽目になってしまった。

「じゃあ吉田君はここをお願い。私は向こう側やってくるから」
「分かった」

三日連続の草むしりでこの辺りも大分綺麗になった。しかしこれまでの法則に乗っとるならば今日あたりにきっと彼女は姿を現す。そしたらいよいよ誤魔化しがきかなくなる。どうか今日も来ませんように……

「ニャァ」

と、そんな私の願い虚しく尻尾を揺らして現れたのはノワールの彼女。満月よりも眩い瞳を輝かせて微笑んでいた。これはまずい。

「何か動物の声がしなかった?」

そして何故かこの場にいる吉田君。わざと遠くの場所を割り当てたのに全く意味がなかった。

「私の声だね、今動物のモノマネにハマっててさ」
「モノマネ?」
「じゃあ犬のモノマネやります!ヴァゥヴァフッ」
「想像以上に本格的だね」
「ニャー」
「おや?」

しかしそんな私のお家芸虚しく、彼女は我関せずにするりと私と吉田君の間に割って入った。興味津々と言った様子で彼女は吉田君をじっと見上げている。

「出てきちゃダメだって!」
「ネコだ」
「…ッ、シャー!」

しかし警戒心はあったのか、吉田君が伸ばした手に思いっきり猫パンチを喰らわせる。そして茂みへと姿を隠しそのまま学校の塀を乗り越え逃げてしまった。

「あれ?もしかして嫌われちゃったかな」
「ちょっ、吉田君!血!血が出てるよ?!」
「本当だ」
「いやなに普通にしてんの?!水道行こう!」

猫は確かに可愛いがその体は病原体に塗れていると言っても過言ではない。それが予防接種等も受けていない野良猫ともなればさらに危ないのだ。呑気にしている吉田君の腕を掴み、水道へと急いだ。

「一応病院には行った方がいいと思う」

傷口を水で洗い流し、持っていた消毒液と絆創膏で応急措置をする。吉田君は「ありがとう、分かった」なんて言ったけど絶対病院には行かないんだろうな。

「キミが隠したがっていたのはあのネコのこと?」

救急セットを片づけていれば核心をつく質問が飛んでくる。やっぱり嘘だってバレてたんだな、と苦笑しつつ素直に白状した。

「本当はうちに連れて帰れたらよかったんだけどペット禁止のアパートでね。ここでお世話してたんだ」

と言っても彼女が気まぐれに来るだけなのでお世話と言うほどのことはしていないが。

「そうだったんだ」
「それでね、このことは誰にも言わないでほしいんだけど……」
「もちろん。二人だけの秘密ってことで」

吉田君が理解のある人でよかった!これならまだしばらくは猫に癒されるライフ生活が送れそうである。

「それにしても、」
「え?」

吉田君は絆創膏の貼られた手の甲を見つめながら。しかし数秒後には肩を小さく振るわせていた。

「イヌの鳴き声とか……ふふっ」

どうやら思い出し笑いの最中らしい。前言撤回、この人ものすごく失礼だな。

「長年の研究成果の賜物なんだけど」
「褒めてるんだよ」
「因みに鳩の鳴き声もできるよ」
「それは気になるな」

と、じっとこちらを見てくるものだからしょうがないので披露してみせた。そしたら屋根の上で羽を休めていた鳩も反応し始めたので驚く。ついに本物を超えてしまったか…

「はははっ ねぇ、他には何があるの?」

ものすごく食いついてくるね。でももう欲しがるな。私は動物モノマネのジュークボックスじゃないんだわ。



私に対する疑いも晴れたわけだが吉田君は変わらず放課後になると後ろに着いてきた。相変わらず彼女には嫌われているがそれでも構わないらしい。そして私が満足すれば家まで送ってくれる。が、彼にとっては暇つぶし程度の相手なのだろう。

「あれ?」

ある日、彼女が瞳と同じ色の首輪をつけて姿を現した。タグ付きのそれにはローマ字が刻まれている。おそらく誰かに付けてもらった名前なのだろう。

「拾われたみたいだね」

吉田君の言葉に答えるように、ナァと短く応えた。となるともうここには来なくなってしまうのだろうか。現に彼女は私が伸ばした手を無視して倉庫の裏に行ってしまった。

「行っちゃった……」

そう落胆していれば吉田君に肩を叩かれる。何事かと思い顔を上げれば、トタトタと小刻みに足を動かしこちらに戻ってくる彼女の姿が見えた。その口元には何かが咥えられているように思える。そして私の目の前で足を止め、誇らしげにその何か≠目の前に置いた。

「ぎゃー?!」

——それはネズミの死骸だった。

「お礼のつもりだったんだろうね」

吉田君は倉庫にあったスコップでネズミを掬い上げ、近くに穴を掘って埋めてくれた。

「気持ちは有難かったんだけどね……」

しばらくは肉料理を食べられないかもしれない。そう思うまでにグロッキーになっていた。

「てっきり初めはキミが魔人でも匿っているのかと思ったんだ」

抜け殻のようにコンクリートブロックの上で空を見上げていたらスコップを片付けた吉田君がこちらにやって来た。

「魔人?匿う?」
「デビルハンターなんだ」
「へぇ〜そうなんだ」

その事実には驚いたが今は猫が立ち去ってしまったショックの方が大きい。確かにあの子にとってはちゃんとした人に飼われて温かい寝床と美味しいご飯を貰えた方がいいに決まっている。でもこの猫ロストは私の心に風穴を開けるには十分すぎることの出来事だった。

「あーあ…私の日々の癒しがなくなってしまった」

猫が消えていった先の塀を見つめる。そして魂が抜け出るほどの大きなため息をついていれば、フッと目の前に影が現れた。

「それなら、これからは俺がその代わりになろうか」
「はい?」

膝を抱え込むように目の前にしゃがみこみ、大きな瞳をこちらに向ける。

「尽くしてもらった恩には誠意をもって返すし」

そう言って綺麗になった手の甲をこちらに向けた。

「よくネコっぽいって言われるからいけると思うんだけどな」

大きな体を縮こまらせて、こてんと右に首を傾げる。そうすれば髪がなびいて左耳に付けられたピアスが怪しく光った。

「吉田君は吉田君だから無理かな」
「あはははは、それは残念」

全く悔しくもなさそうにそう言って一頻り笑う。何が面白かったのか私には理解ができなかったがいつまでもここにいるわけにいかない。もう行くか、と腰をあげようとしたところで、先に立ち上がった吉田君の右手が差し出された。

「帰ろっか」
「え?あ、うん」

反射でその手を掴みに行けば強い力で引っ張られた。


「やっぱりさっきのはなしね」
「なんで?」
「だってネコの代わりじゃ彼氏になれないから」