不穏な会話をする吉田ヒロフミの話


学校帰り、商店街の一角にあるペットショップへと向かう。通りから見えるガラス面越しにはまだ見ぬご主人を待つかのように、子犬や子猫が思い思いの過ごし方をしていた。そのうちの一番端のゲージの前で足を止める。

「寝顔かわいい……」

ゲージと高さが合うようにしゃがみ込み爆睡を決め込んでいる姿に破顔する。滑らかなブルーの毛並みを持つ子猫に、ここ最近の私はゾッコンであった。

「やぁ、こんなところで何してるの?」

愛くるしい姿を目に焼き付けていれば、フッと影が掛かり周囲が薄暗くなる。ガラスに映り込んだ姿に焦点を合わせていけば、自分の背後に学ランを着た背の高い人物を確認できた。

「吉田君だ、びっくりしたぁ」
「驚かせてごめんね。キミが座り込んでいたから体調が優れないかと思って声を掛けたんだ」

同じクラスの吉田君は中々に心配性である。重い教材を連んでいれば「危ないから手伝うよ」と声を掛けてくれたり、体育の授業で盛大に転べば保健室まで付き添ってくれる。そんな彼を心配さすまいと横を首に振り、目の前のガラスを指さした。

「子猫を見てたんだ」
「ネコ……」

そう呟いてゲージを窺うように私の隣にしゃがむ。すると外の様子に気が付いたのか子猫が薄ら目を開けた。そして首を持ち上げまん丸な目をこちらに向ける。その愛くるしさにテンションが上がり思わず吉田君の肩を叩いた。

「こっち見た!ほら吉田君も見てよ!」
「見てるけど」
「私じゃなくて猫!」
「ああ、ごめん。可愛いね」

しかし好奇心よりも睡魔が勝ったのか一つの欠伸を残しごろんと寝転がった。そんな気まぐれなところも愛おしい。

「幸せそうな顔してる」

じっと見つめながら感嘆の息を漏らす。真綿に包んで一生愛でていたいくらいの寝顔である。

「本当に幸せなのかな」

先ほどと同じ声のトーンで、しかし温度をなくした言葉が耳を差す。隣を見れば端正な顔をした青年が正面を向いたまま口を開いた。

「このネコは毛並みもいいし血統書付きだからきっとそれなりに裕福な家にかわれていくんだろうね」

彼の真っ黒な瞳には何が見えているのだろうか。ゲージの中の猫か、それとも想像上の未来の様子か。

「そして管理された食事と温かな寝床が与えられ、人間に可愛がられながら何の危険も不自由もない生活を送る」

ショップのガラスは曇り一つなく磨かれている。中の様子が見えるはもちろん外の景色までもを反射するほどに。だから目の前には私たちの虚像も映っていた。

「キミはそれが幸せだと思う?」

くるりと首だけを動かして向けられた双眼に、息が止まった。
瞬きを二回し、視線を逸らして、口元のほくろだけを見つめながら声を発した。

「幸せ、なんじゃない……?」

安全な場所でぬくぬく過ごせて、何をせずとも世話をしてもらえる。それは自分だったら羨ましいかぎりだ。休みの日は昼過ぎまで惰眠を貪る私に、母からは「あんたの前世は猫ね」なんて呆れられるけれど、そういう生活が送れるのなら送りたいものである。

「なるほどね」

ほくろの位置がずれて彼が笑ったことが分かる。しかし動かされたのは口元だけで、他の表情筋は仕事をしていなかった。

「あっでもテレビは欲しいかな」

しかし続けた言葉にはきょとんとした顔をされた。

「テレビ?」
「あとコタツも。それさえあれば満足」

その二つは引きこもり極めし私の必須アイテムである。特に冬場にコタツでアイスを食べながら見るチェンソーマン早押しクイズ番組はものすごく面白いから。この前の回なんかうちの生徒会長が決勝戦で負け、足元から崩れ落ち悔しがる姿は最高だった。

「はははっそっか」
「もしかして単純な奴って馬鹿にしてる?」
「まさか」

顎に手を添え、どこか納得したように頷く吉田君の真意は謎である。まぁ学校でもこんな感じだしな。そういえば再来週には期末テストもあるんだっけ。まずい、勉強してないや。

「あーあ。私もお世話される猫になりた……あっ」

現実逃避をしていたところでガラスの向こうで人の腕が横切った。それはショップ店員のお姉さんのもので目の前の子猫へと伸びていく。そしてその後ろには品のよさそうな年配夫婦の姿が見えた。

「飼い主が決まったのかな」
「みたいだね」

これであの子には幸せな未来が約束されたわけだ。管理された食事と温かな寝床が与えられ、人間に可愛がられながら何の危険も不自由もない生活を送る——一生外に出られないまま。でもそれって……

「冷えてきたね。そろそろ帰らない?」
「あ、うん」

本当に幸せなのだろうか。


「そういえば××で悪魔の目撃情報があったらしいよ」
「えっうそ?!」
「何でも一人でいる人間を狙って神隠しのように攫うんだって」
「やだなぁそこうちの近所なんだけど」
「それは怖いね。もしよければ送ろうか?」
「いいの?」
「うん、俺もそっちに用があるし」
まぁ、いっか。私は人間で、そんな暮らしとはこれからも無縁なのだから。
「じゃあお願いします」
吉田君に並び、日暮れの道を一歩踏み出した。



≪昨日、都内の××区において女子高校生一名が行方不明になる事件が発生しました。周囲には黒い液体のようなものが飛散しており、警察は悪魔と人為的犯行の二つの線で捜査を進めているとのことで——≫