好きな子に誕生日を忘れられていた糸師凛の話


ようやく九月に入ったというのに今日も三十度越えの真夏日である。加えて夏休み気分が抜けないこの体に四日連続のフル授業は中々に過酷だ。だから今週ラスト二コマの授業を乗り切るために昼休み時間に購買へと向かった。

「あっ糸師くんだ」
「ン?」

一人廊下を歩いていれば前方に百八十越えの人影を発見。私が名前を呼べば彼は足を止め、絹糸の様な艶のある髪を揺らして振り返った。久しぶりに見た彼の姿にこちらもテンションが上がり、やや小走りになって廊下を進む。そして改めて、よっ!と挨拶をすれば目を瞬かせて「おう」と短く返事をした。

「糸師くんも購買行くの?」
「あぁ、教室暑すぎるからスポドリ買い行く」
「冷房入ってないの?」
「窓際だと日差し強すぎて意味ねぇんだよ。お前は?」
「眠気覚ましにコーヒー牛乳買い行く」
「そこはブラック飲めよ」
「私が飲めないの知ってて言ってるでしょ」

そうジト目を向ければ、フッと糸師くんの口元が緩む。しかし、謝ることもすっとぼけることもせずに「行くぞ」の一言で廊下を歩き出してしまう。内心では、もー!と牛のような声を上げながら。でも、歩く速度がゆっくりなことに気を良くしてすぐに糸師くんの横に並んだ。

「夏休みは何してた?」
「サッカー」
「サッカー!」
「いや、なんでお前が答えてんだよ」
「糸師くんの心を読んでみた!」

まぁ質問する前から分かってたことなんだけどね。糸師くんは小さい頃からずっとサッカーをやっている。私の兄と同じサッカークラブに通っていたから昔からよく知っていた。でもこういう風に話すようになったのは中学に上がってからだ。

「どうせ分かってて質問したんだろ」
「これでも付き合いが長いと自負してるからね。じゃあ私が夏休み何してたか分かる?」
「部活だろ」
「えー!すごい!糸師くんに私の心読まれた!」
「その棒読みやめろ」

三年間同じクラスで一緒の委員会をやることも多かった。そうなれば自然と話す機会も増え、同じ高校に進学するって分かってからは共に勉強をすることもあった。高校では残念ながら別のクラスにはなってしまったけれど、それでも姿を見つければ話しかけるし声を掛けられる。私たちはそんな関係だ。

「充実した夏休みではあったんだけど、あんまり夏っぽいことはしなかったなぁ」

私はコーヒー牛乳を、糸師くんはスポドリを飲みながら購買前の廊下で駄弁る。学校の廊下は冷房が効かないため窓が開けっぱだ。外からの生温い風に当てられながら太陽光に透かされる広葉樹の緑を見た。

「まぁ俺もだな」
「今年って台風も多くてお祭りも中止だったしさ。あーあ屋台回るの楽しみにしてたのに!」
「そこは花火じゃねぇのかよ」
「花火も見るよ?でもチョコバナナとかじゃがバタとかお祭りじゃないと食べれないでしょ。あっそういえば今年はまだかき氷食べてなかった!」

夏を代表するものの一つとしてあげられるかき氷。毎年必ず食べていたのにこのままでは夏が終わってしまう。でも今年はもう無理かなぁ近場で屋台が出るようなお祭りもやらないし。

「かき氷ならその辺で食えンじゃねぇの?」
「あー確かに最近カフェとかにもあるよね」

私も行けることなら行きたい。でも平日も土日も基本的に部活があるから行けるとしてもその後からの時間になる。私としてはそれでも夜遅くなりすぎなければ問題ないのだが、仲のいい子が塾や習い事をしていたり通学に片道一時間以上かかったりするのでちょっと誘いづらい。

「でも一人で行くには勇気出ないかな」
「……行くなら付き合う」
「え?」

木々のエメラルドグリーンから隣りへと視線を移せば双眸のターコイズブルーと交わった。その言葉は確かに私の耳には届いたけれど、理解が出来なかったのでもう一度聞き返す。そうすれば糸師くんは窓枠を背に寄りかかったまま、一拍置いて口を開いた。

「土日の夕方からなら時間つくれる。かき氷食いてぇんだろ」
「いいの?」
「嫌いじゃねぇし」
「やった!えっとね、気になってるお店があるんだけど……ここ!」
「そんなに食いたかったのかよ」

声に出して笑われるもそんなことは気にしない。だって諦めたと思ったかき氷が食べれることになったのだから。しかも屋台のものよりずっと豪華なやつだ。
スマホでお店のページを見せれば「いいんじゃね」と一分もかからずに同意が得られた。

「日にちはどうする?明日にでもすっか?」

もうすぐ昼休みも終わるため、教室へと向かいながら並んで歩く。
もう私の頭は完全にかき氷だったのですぐにでも行きたかった。幸い、明日は土曜日で部活も十六時頃には終わる。

「そうだね……あれ?明日ってもしかして九月二日?」
「あぁ」

ダメだ、月初めの土曜日はいつも家族で近所の祖父母の家に行くことになっている。それならば日曜日でもありだが月曜一限に英語の小テストがあるため少し不安だ。となると最短で行けるのは来週末。

「九日の土曜日でもいい?」
「九日?」

そうお願いすると糸師くんには少し驚いたような顔をされた。何か都合が悪かったのだろうか。そう聞き返せば首を緩く横に振った。

「いや、楽しみにしてる」

そっか、糸師くんの脳もすっかりかき氷に浸食されてたんだな。それならあのお店の季節限定メニューもちゃんと調べておいた方がいいかもしれない。そして当日ちゃんとプレゼンして上げよう。私は一つ頷いて、期待してて!と張り切って答えた。





九月九日、当日——
イチゴミルクや宇治抹茶といった定番から安納芋やモンブランといった季節限定のもの。その他にもピスタチオやティラミスなど多種多様な味が並ぶ。今やかき氷もパフェ並みのボリュームと種類があるため目移りして困ってしまう。

「決まったか?」
「うーん……来る前はマンゴーにしようと思ってたんだけど向こうでチョコレート味の食べてる人見たらそれもいいなって」
「なら俺がチョコ味頼む」
「えっ大丈夫だよ。糸師くんは自分が食べたいのを選んで」
「酸っぱくなけりゃ何だっていい」

そういえば給食で酢の物が出ると残してたっけ。
本当にいいの?と確認すれば返事を聞く前に店員さんが来て糸師くんが注文を通してしまった。マンゴーとチョコレートのかき氷。だからお礼を言って、注文したかき氷は半分ずつ食べた。

「満足したか?」
「うん!この一週間、この日のために生きてきたからね!」

小玉すいかほどのサイズのかき氷もぺろりと平らげてしまった。掛かっていたソースはどちらも濃厚だったけれど所詮は氷なので胃を圧迫し過ぎることはない。ただ体温は下がったので空調が寒いくらいだった。

「大袈裟だな」
「糸師くんは違うの?」

自分も楽しみだと言っていたじゃないか。その意を込めて小さく笑いながら問えば「まぁ……」と目を逸らしながら呟いた。何故だか少し照れているようだ。今の会話に照れる要素なんてあったっけ。

「そろそろ行くか?」
「そうだね」

レジの張り紙に『学割あり』とあったので、私から先に学生証を出してお会計を済ませる。糸師くんを待つ間に他のお客さんもレジに来て混み合いそうだったので、断わりを入れて先に出た。
外に出れば西の空は茜色に染まり出していた。まだまだ夏服で過ごせるほどには暑いが日の入りは確実に早くなっている。それをぼんやりと眺めながら、しかし糸師くんが中々出てこない。何かあったかと店に戻ろうとしたところで扉が開いた。

「時間かかったね、何かあったの?」
「これもらった」

その名刺サイズのカードには『誕生月限定!次回より全品十パーセントオフ!』と記載されていた。へぇ誕生月だとこういうのがもらえるんだ。私も自分の誕生日の月にまた来よっと。……誕生日?

「あのさ糸師くん、」
「なんだ?」
「もしかして今日って誕生日だった?」
「おう…………おい、まさか」

あーっそうだった!確か高校受験の時の願書を一緒に書いた時、誕生日ゾロ目で覚えやすいね〜!みたいな話したわ!それで同じ高校受かったら来年はお祝いするねって言ってたわ!うわぁ完全に忘れてた……

「ご、ごめん!」
「別に……」

誕生日当日にわざわざ会ったというのに、これはプレゼントの用意以前の問題である。
糸師くんも口ではそう言っているが明らかにテンションが低い。いや、元々テンションが高いのなんてサッカーをしているときくらいなのだが、それでも見るからに元気がない。

「えっと、何か欲しい物とかある?」
「別に」
「じゃあ行きたい場所とか!」
「別に」

今なら某テレビ局アナウンサーの気持ちがよく分かる。これ以上こちらからかける言葉が見つからない。
そして気まずい空気のまま歩き続け、ついに交差点まで辿り着いてしまった。私の家はこのまま直進で、糸師くんは横断歩道を渡ることなく左に曲がる。目の前の信号は赤になったばかり。だからこれが最後のチャンスだ。

「糸師くん!」
「…っ、びっくりした」

正面に回り込んで百八十六センチを見上げる。見慣れたターコイズブルーは日が陰ったせいか薄暗かったけれど、それを見つめ返し私が断言した。

「来年は絶対に忘れないから!」
「いや……だから、」
「今年の分も含めてめちゃくちゃ盛大にお祝いするから!」
「もう気にしてねぇよ」
「私が気にするの!だから、来年の今日も私に時間をくれる?」

私のためではなく、糸師くんのための時間を。
まだ何をするか、何をプレゼントするかは決めてないけど絶対に糸師くんを楽しませる。今日、私が楽しかったように。

「分かった」
「やった!じゃあ約束ね!」
「は……」

そう言って糸師くんの手を掬い上げて小指を絡める。もう信号は青になってしまった。だから早口で決まり文句を言いきった。

「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーますっ、指切った!」

これは糸師くんに、というよりは自分への戒めに近い。ただ、もう忘れない自信はある。

「じゃあね」
「あぁ」

最後にちょっとだけ笑ってくれたので、私も安心して家に帰ることができた。
さぁ、来年はどうしようか。次の九月九日が今から楽しみである。