残業してたら吉田ヒロフミと飲みに行くことになった話


*吉田・・・公安所属/20↑ 設定


ノストラダムスの大予言に、死・飢餓・戦争の悪魔による脅威。そしてチェンソーマン信者による暴動が始まり、今の日本は確実に世紀末への道を辿っていると言えよう。そして一足先に終末を迎えたここはまさに地獄だった。

「これで国土交通省へ送る書類は揃った!ねぇ、特異七課からの建設物損壊の始末書って……」

デスクの上にあるのは山積みの書類とコーヒーの空き缶と栄養ドリンクの瓶。キャスター付きのイスを滑らすことでそれらの障壁を超えて隣のデスクを覗く。が、そこにあったのは屍だった。六連勤目の土曜、二徹を迎えた同僚のところにもついにお迎えが来てしまったらしい。

「彼も逝ってしまったか……」

同じく新卒枠で公安の総務部に入社し「公務員なら将来食いっぱぐれることもないし年功序列で楽に昇進して退職金がっぽりもらって悠々自適な年金生活送ろうぜ!」と語り合っていた日々が懐かしい。あとは任せろ、お前の分の仕事はこの前の飲み会でウザ絡みして来た上司に押し付けてきてやるからな。

「えぇー……」

しかし立ち上がった瞬間、この場で動ける人間が自分しかいないことを悟る。辺りを見回すも視界に映るのは書類・書類・書類・屍・書類・屍・屍・屍のスリーコンボである。スロットならばここでコインが大量に落ちて来るだろうが、生憎床に散らばっているのはブラックコーヒーの空き缶だ。

「いっそのこと私も過労でぶっ倒れたかったわ」

連日の悪魔事件によりもはや事後処理が追いついていない状態であった。前線に立つデビルハンターのような命の危険はないにしろ、各行政からの圧で裏方も中々に死線を強いられている。その結果、徹夜残業が当たり前で皆が交代で仮眠を取りなんとか仕事を回してきた。しかし月末ともなればこの有様も納得である。

「お疲れ様です」

そして誰もいなくなった——もう首でも吊ってしまおうかと天を仰いだ時、部屋の戸が音を立てて開けられた。
白のワイシャツに黒のネクタイ、ジャケットは着ていなかったからソードベルトがその白を締め付けているのがやたらと目を引いた。その皺の寄り方を見るに、顔に似合わずかなりの筋肉質であることが窺える。

「吉田君じゃん。久しぶりだね」
「ご無沙汰してます、先輩」

目にかかるほどの黒髪を揺らして挨拶をしたのは吉田ヒロフミという公安所属のデビルハンターだ。数年前に岸辺さんの紹介で出会い、彼が民間から公安に移る時に助力した。そのためか、敬意の意味も含めて彼は私のことを「先輩」と呼ぶ。

「ご無沙汰だけど活躍ぶりは聞いてるよ。さすが岸辺さんが見込んだだけあるね」
「買い被り過ぎですよ。それはあの人が俺に厄介事を押し付けるための方便みたいなものですから」
「またまたぁ」

吉田君は空き缶を蹴散らすこともなく器用に除け私の元へと真っすぐに歩いてくる。屍に目もくれずに闊歩する姿は清々しくておもしろい。

「不備で戻ってきた書類持って来たんですけど確認してもらっていいですか?」
「えー……」
「あと、これは遅くまで残業を頑張っている先輩に差し入れです」

差し出された書類の受け取りを渋っていたら、その紙の上に包みが置かれた。片手で持てるサイズの立方体の箱。そしてその箱を覆う包みには某高級チョコレート店のロゴが印字されていた。少なく見積もっても四つ入り三千円はくだらない。

「相変わらず女の扱いが上手いね」
「人を女たらしみたいに言わないでくださいよ。先輩が喜んでくれると思って買ってきたんですから」

逆に女たらしでない方が怖いと思えるくらい柔らかい声色で言ってみせる。しかしチョコは欲しいし、存外イケメンに弱い私はころっと落ちて書類ごと箱を受け取った。

「悪魔の死体利用の確認で……えーっと」
「ここです、不備があった箇所」

再びキャスター付きのイスに腰掛け書類を確認していれば、隣からスッと長い指が伸ばさる。どうやら吉田君もどこからかイスを持ってきたのか私の隣に座っていた。その距離は髪が触れ合うくらい近い。いっそのこと吉田君はホストにでもなった方がいいんじゃないかな。

「うん、大丈夫。確かに受け取りました」
「よかった」
「ねぇ、これ早速食べてもいい?」
「どうぞ。じゃあ飲み物はどっちがいいですか?」

承認済みファイルへと書類を収め、包みへと手を伸ばす。そうすれば吉田君は左右のジャケットからマジックのように缶を取り出した。ひとつはブラックコーヒーでもうひとつはカフェオレ。それには迷わずカフェオレを受け取った。

「だと思いました」

そう小さく笑い、吉田君はプルタブを開けてから私にそれを渡してくる。眠気覚ましでこそ飲むが、実のところブラックが苦手であることを彼は知っているのだ。

「今日は怖いくらい至れり尽くせりだね」

箱を開ければ予想通りチョコレートが四つ。その一つを摘まんで舌の上で味わう。先に飲んだカフェオレとほのかに混ざり合って甘さが引き立った。

「久しぶりに先輩に会えて嬉しいんですよ」

手元のブラックコーヒーをひと口飲んで、私へと視線を投げる。揶揄われていることは分かりつつも疲れ切った脳ではこれ以上余計なことを考える気にはなれなかった。

「私も久しぶりに吉田君に会えて嬉しいよ」
「本当ですか?」
「うん、可愛い可愛い『後輩』君に会えて嬉しい」

気付けば四つ目のチョコもすでに口の中。味わって食べようと思いつつも欲するがままに食べきってしまった。そしてごくりと飲み込んだところで、この場が静寂に包まれていることに気付く。正確にはいびきや歯ぎしりの音はあれど、会話は途切れていたのだ。
ん?と思い隣を見れば微笑む吉田君と目が合った。

「え、なに?」
「可愛い可愛い後輩からのお願いなら優しい先輩は聞いてくれますよね?」

そう言って食べ終えた包みの上に置かれたのは一枚の領収書。『飲食代 二七,二五〇円』——桁がおかしい。

「接待の仕事なんて入ってたっけ?」
「接待ではないですがそれに近しいことをして掛かった経費です」
「だからって喫茶店でこの金額はおかしいよね?」
「俺もそう思います」

吉田君は申し訳なさそうな顔をするわけでもなく、また「お願いします」の一言もなく、ただただじっとこちらを見て来る。くっ……このチョコも優しさも、全部これを経費で落とすための算段だったな。

「今回だけだからね!」
「ありがとうございます」

業務に追われている今、きっと上司も詮索してくることなく処理をするだろう。最悪、私が怒られたら吉田君に脅されましたって言おう。

「これでもう提出するものはない?」
「はい」

イスから立ち上がる吉田君を目で追えばその先の壁掛け時計が視界に入る。もう二十一時を過ぎていた。

「先輩ももう上がりますか?」
「うん、そうしよっかな」

自分の仕事は終わってるし皆が寝ている今、帰ったって何の問題もないだろう。同僚の分の仕事はまた週明けにでも手伝うこととして先に上がらせてもらおう。

「じゃあこの後飲み行きません?」

自分の荷物をまとめながら、吉田君はいつまでいるんだろうと考えていた時にその言葉を掛けられた。振り返ってジト目を向ければこれまた人の良さそうな笑みを浮かべている。これ以上イケメンに惑わされて堪るか。

「遠慮しとこうかな」
「可愛い後輩からの誘いですよ」
「吉田君ならその辺でいくらでも女の子引っ掛けられるでしょ」

空き缶を蹴らないよう気を付けながら出口へと向かう。

「俺は先輩と行きたいんですよ」

今すぐにでもベッドにダイブして寝たい。しかし、連勤から解放されたテンションと明日は日曜休みということから飲みに行きたい気持ちはあったりする。

「吉田君の奢りならいいよ」

奢ってくれるなら一緒に行ってやらなくもない。

「えー経費で落としてくださいよ」

クソ。

「冗談ですって。俺が誘ったんですから奢りますよ」

廊下を競歩で進むもそもそも脚の長さが違うので吉田君にはすぐに追いつかれた。しかしこれ以上は会話の無駄だと判断しだんまりを決め込む。

「確か先輩ってローストビーフ好きでしたよね?」

その発言にぴたりと足が止まった。確かにそれは私の大好物だ。給料日後には総菜コーナーで買って帰り、自宅でワインと共に食べるのが常だ。だがそれはどちらも安物である。

「美味しいお店教えてもらったんですよね。その店、ワインの種類も豊富だから先輩と一緒に行けたらなって思ってて」
「行こうか」

食い気味に頷けば「先輩って可愛いですよね」と言ってのける。副音声で「チョロいな」と聞こえた気がしなくもないがローストビーフに免じて許してやろう。
——その数時間後、吉田君の隣で目を覚ました私は首を吊りたくなるほどの後悔をした。





「は?」
「あっ起きました?」

目が覚めたらイケメンのドアップ。大きなベッドの枕元にはやたらと照明を調節するボタンが付いている。改めて自身の胸元に触れればそこに衣服はない。そして思い出されるは昨夜の出来事……やらかした。

「ごめん……」
「どこまで覚えてます?」
「もう寝たいって言ってここに入ったところまでは」

その後は流れのままに。どちらも加害者であり被害者だ。だけどどちらかといえば私の方が縋っていたような気がする。

「まぁいいじゃないですか。お互い子どもってわけじゃないんだし」
「そう言ってもらえると少しは救われるかも」

寝返りを打って天井を見つめる。一人賢者タイムに入っていれば髪を引っ張られた。何かと思えば吉田君が指先に髪を巻きつけて遊んでいる。そしてその状態のまま昨日の出来事を逐一丁寧に語り始めた。なにこれ、拷問か?

「可愛くない後輩だね」
「はははっ俺は後輩である前に一人の男ですよ」

あ、ずっと怒ってたんだ。
そう気付いた時には吉田君が上に覆い被さっていた。