『世っちゃん』に嫉妬するミヒャエル・カイザーの話


ようやく『彼』がうちに来てくれた!だからちょっと奮発してお高めのワインを買ったし、おつまみだって量産型のチーズではなく足を延ばして専門店まで行きブラータチーズを購入して来た。もう自宅マンションは目と鼻の先、この扉を開ければ『彼』がいる。さぁレッツパーリィータイム!

「おかえりズーセ(愛しい人)、そんなにはしゃいで随分と俺に会いたかったように思える」
「ヒッ……?!」

しかしその先に待っていたのは『彼』ではない国宝級の御尊顔。艶のある色白の肌に瞳は海を溶かしたようなブルー。ミディアムヘアの後ろにはさらに二本の金髪が伸ばされていてその毛先も瞳と同じ色に染まっている。そしてドアを支える左腕には青薔薇のタトゥーが彫られており、まるで彼——ミヒャエル・カイザーそのものが芸術作品かのような美しさがあった。

「おやおやどうした?お前の白薔薇のように美しい肌が今日は鉛の地金のようなひどい色をしている」

そんな彼の職業はモデルではなくプロサッカー選手である。サッカー先進国とも言われるこのドイツの中でも最高峰のクラブチームと言われるバスタード・ミュンヘンにおいてダブルエースの片翼を担っている。その活躍ぶりは二部リーグ時代から一サッカーファンとして彼のことを応援している私がよく知っている。そして今や私の恋人である彼はその場で笑みを浮かべていた。それに応えるように引きつった口角に無理やり力を込めた。

「きっと仕事で疲れているせいね。そんなことよりミヒ、貴男が帰ってくるのは明日だって聞いていたのだけど……」
「運よく今日の飛行機を抑えられてな、連絡を入れたが気付かなかったか?」

慌てて自分のスマホを確認すれば確かに新着メッセージが届いていた。おまけに不在着信まで。仕事を切り上げるや否や早く帰りたい一心で買い物を済ませて足早に家へと向かっていたためスマホを確認する余裕もなかったのだ。

「ごめんなさい」
「そのことはもういい。それより中に入らないのか?」

ミヒには合鍵を渡してあるから今までも家で待たれることはあった。だからいつも部屋は綺麗にしていたし見られたらまずい物はクローゼットに隠していた。しかし今回は完全に油断した。私の記憶が正しければその『まずい物』は今リビングにある。

「アーッミヒ大変!私ったら明日の会議で必要な資料を作り忘れていたわ!悪いけど今から職場に泊まり込みで——」
「おい、」

私を黙らせたのはその場に落ちた絶対零度の怒気。先ほどまでの笑みは一転、その御尊顔は見るからに不機嫌そうな表情に変わっていた。

「中に入ろうな?(さっさと入れクソ野郎)」
「は、はひ……」

副音声付きの命令に、私の退路は完全に断たれた。





改めて、リビングに仁王立ちしたミヒとご対面。
楽しいパーリィータイムはどこへやら。ここからは尋問タイムの始まりである。

「お前の仕事に関しては理解しているつもりだ」

ミヒはそう静かに解き始めた。フィールド上での高慢さも暴言も、そこを離れてしまえば彼はそれなりに良識のある大人である。チームメイトと飲みにいけばジョークを交わし、私の前では寝起きの呆けた姿も見せてくれる。そんな彼が本気で怒るときは怖いくらい静かなのだ。つまり、今。

「忙しいという理由で一週間音信不通になることも付き合いとしての男との食事も、それもお前の仕事の一部ならばと俺は十分に理解している」

一言一言はっきりと、ゆっくり喋るこの感じ。男友達主催のホームパーティーでミヒに連絡せずに朝帰りを決めたとき並に怒っていらっしゃる。

「そしてお前の趣味にも今までとやかく言ったコトはない」

サッカー好きが乗じて今はスポーツ記事を扱う編集者として働いている。そして元よりサッカーファンであるからその手のグッズ集めが私の趣味だった。クラブチームが出しているキーホルダーの収集や特集雑誌を買い占めたりとか。

「そうよね、ミヒは私のことをよく理解してくれてるわよね」

それに対してミヒが私を咎めたことは確かに一度もなかった。せいぜい「ほどほどにしろよ」とため息をつかれる程度。ただし、この程度の収集は氷山の一角に過ぎない。クローゼットの中にあるノエル・ノアのフィギュアも、クリス・プリンスがスポーツ飲料とコラボした際に作ったオリジナル抱き枕があることも、ミヒは知らない。

「だがこれは頂けないなぁ?」

ドン引かれることは目に見えていたのでミヒの前ではある程度は取り繕って生きてきた。しかし、今この瞬間ついに彼にバレた。ミヒが私が今一番注目している選手のグッズを見つけてしまったのだ。それは昨日届いたもので、嬉しくなった私は一先ずリビングに飾ったのだ。そして今夜はそれを眺めながらお酒を楽しもうとしていた。

「それもグッズの一つで……」

ミヒは自分の背後に立つ人物を再び横目で見た。いや『人物』というと語弊があるのかもしれない。しかし平面といえども身長肩幅まで本人と同じならそう言っても過言ではないだろう。さすがはジャパニーズクオリティ。

「クソ世一の等身大パネルがか?」

ミヒと同じクラブチームに所属する、ヨイチ・イサギ選手。彼はミヒと共にバスタード・ミュンヘンのダブルエースと言われており、昨シーズン引退したノエル・ノアの後継者の座をミヒと奪い合っている。

「……はい」

彼のプレーを見た瞬間、私は一瞬にして魅了された。ゴールまでの幾重にもある道筋の中から最善最短を選ぶ瞬時の判断力と決定力。フィールドの全てを掌握し味方をも使って自分のゴールを決めるエゴイスト。しかしその反面、報道記者への丁寧な受け答えや茶目っ気たっぷりに照れながら写真に応じる姿に私の心臓は鷲掴まれた。

「まずはこんな物が売られていたコトに驚いている」
「私も見つけた時は驚いたよ」

そして彼が元いたクラブチーム(という表現が正しいのかは分からないが)ブルーロックではこういったファン向けの商品を多く展開していた。その存在を知ったときには受注期間が終了しており涙を呑んで諦めたのだが、それが数年の時を超えオークションにかけられたのである。それを知った私が貯金をおろして落札したのは言うまでもない。

「コイツのどこが……」
「ちょっと世っちゃんに触らないで!」

ミヒが彼のことをどう思っているのかは試合を見ればよく分かる。心の底から嫌っているわけではないだろうが、確実に言えるのは仲良しこよしの関係ではないってこと。ライバルと言えばいいのか、はたまた同族嫌悪と称すればいいのか。その関係を一言で表すことはできないが、どちらにしろ『彼』をよく思わないのは分かる。だから文字通り、パネルが真っ二つに割られるかと思ったのだ。

「『世っちゃん』……だと?」

ミヒと『世っちゃん』の間に割って入ればミヒの顔が絶望に染まる。それは汚水で煮詰めた雑巾を顔に投げつけられたような、ひどい顔だった。

「イサギ選手はご家族に『世っちゃん』って呼ばれてるのよ」
「そんなコトはクソどうでもいい。ソレを愛称で呼ぶんじゃない、クソ不愉快だ」
「ただの等身大パネルよ?」
「それに愛情を注いでいるのはお前じゃないか」

ミヒは頭を抱えるようにして側にあったソファに腰を下ろした。そして言葉を発さないどころか微動だにしなくなってしまった。その様子を横目で見つつ、おずおずと隣に腰を下ろす。

「ミヒ……」
「そのクソパネルは好きにしたらいい」
「ありがとう」
「ただ一つ聞いておきたいコトがある」
「なに?」
「お前は俺のグッズを持っているのか?」

ミヒのグッズ——サイン入りのユニフォームはあるけれどそれはミヒにもらったもの。他にはミヒが監修した香水やアパレルブランドとのコラボ商品なんかは手元にあるがこれは布教用にと配っていたネスから押し付けられたものだった。

「こういった類の物はないわね」

そもそも等身大パネルなんてものが販売されていることが稀なのだけど。ただミヒのビジュアルの良さを前面に押し出した箔押しポスターやプレー中の姿がプリントされたTシャツなんかは売られていたりする。

「……そうか」

しかしそもそもそれを欲しいとは思わない。

「だってミヒは本物以外いらないもの」

目を閉じればミヒの顔が瞼の裏に映るくらい覚えている。ミヒの付けてる香水の香りも私を呼ぶ甘ったるい声も、何もかも鮮明に思い出せる。ミヒのグッズをどんなに持っていようともそれは脳裏に焼き付いた記憶にも及ばない。そして本物に触れることができる私にそんなものは必要なかった。

「お前は本当に……」

そのまま様子を伺っていれば「ハハッ」という小さな笑いと共に彼がくしゃりと髪を握り潰す。その顏を覗き込んで、ズーサ(愛しい人)顔を見せて?とねだれば唇が緩やかな弧をかいた。そしてフッと顔を上げたミヒの頬は僅かに赤みを帯びていて、整えられた眉は弱々しく下がっていた。これはミヒが気を許した時に見せてくれる顔だ。

「俺を妬かせる天才だな」

ミヒ可愛すぎ。なぁんて言えば「煽るな」と拗ねたように言って、そして唇を掠め取られた。
そのままキスの雨が降ってくる。髪、瞼、鼻、首筋と順に触れられてくすぐったい。

「ちょっとミヒったら」

ミヒの胸板に手を置いて仰け反れば腰元に手が添えられる。そのままグッと引かれたと思えば体が浮いて、気付いた時にはソファに仰向けで寝ていた。

「食べられる覚悟はできてるか?ねずみちゃん」

顔に似合わず逞しい体に上から押さえつけられてしまえば逃げることなどできない。といっても元より逃げるつもりはない。でもちょっと、一旦待って欲しい。だってこの部屋には私たち以外にもう一人『彼』がいるのだから。

「ま、まってミヒ!『世っちゃん』がいるから…!」

ソファを見下ろしているのは東洋出身のストライカー。ミヒよりも深い蒼の瞳がこちらを見ている。喋り出すこともなく動きもしない等身大パネルではあるがこれはちょっと気まずい。そして恥ずかしい。

「世一に見られているからと言って恥ずかしがることはないだろう」

ミヒはチラリと彼を見てから不敵に笑った。それはたかがパネルと馬鹿にした笑いではなかった。寧ろイサギ選手本人に向けるような皇帝の顔だった。

「で、でも…!」
「寧ろ見せつける」

えっもしかしてこのパネルを買ったことにかなりキレてる感じですか?
その答えは翌日ベッドの上から立てなくなった私に聞いて欲しい。