公安に戻りたくない女vs引き抜きたい公安所属の吉田ヒロフミの話


悪魔三体殺して六十万、そこから仲介手数料諸々を引かれても手元に半分以上は残る。これならもう今月は働かなくていいんじゃない?東京と埼玉の県境であるここは都市部と違って物価も安いのだ。さぁ今日の夕飯はピザにでもしようかな。それで溜め込んでた録画ドラマ一気見しちゃお。あ〜やっぱり民間に転職してよかった〜!!

「まさかこんなところに引っ越してたなんてね。田舎が嫌だから東京に来たんじゃなかったっけ?」

厚みを増した財布と共に意気揚々と銀行を出ると、いた。
白のVネックに黒のジャンパーを羽織って、同じく黒のパンツを履いている男。カジュアルに見えて実はその服がいいところのブランド物であることを知っている。それなりに付き合いも長かったので。

「げっ」
「え?」

だからこの男がここに何しに来たのかもすぐに分かった。故に私は黒い風のように走った。小石を蹴飛ばし、雑草を踏みつぶし、ぬかるみを飛び越え、少しずつ沈みゆく太陽の、十倍も早く走った。しかしそれはセリヌンティウスのためではなく自分の命のためだ。

「はぁ、はッ……巻けた…?」
「いやぁ思ったよりも動けて安心したよ。来た甲斐があったな」
「ヒッ?!い、今すぐ立ち去れ吉田ヒロフミ!」
「はははっ俺の名前覚えててくれたんだ」

民間デビルハンターの吉田ヒロフミ、私が公安にいた頃に何度か悪魔処理の支援を頼んだことがある。そして共に岸辺さん——先生からこの世界の戦いを学んだ。私の方が年上だけど仕事仲間としては同期のようなもの。だから教えを受けている間は共に行動することも多かったし、バディみたいな形で仕事をしていた時期もあった。

「当たり前だ!この疫病神め!今すぐ帰れ!」
「ひどいなぁ俺たち唯一の同期でしょ」
「人を悪魔の口の中に付き落としたり囮役として使う人間を信用できるか!」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」

そして私はとにかく吉田ヒロフミという男が苦手だった。
彼は強い。使う蛸の悪魔の力もさることながら体術にも長けナイフの扱いも一級品である。因みに彼と組み手をして私は一度も勝てたことがない。向こうは両手両足に各二キロの枷を付けていたにもかかわらずだ。
このようにデビルハンターとしては一流の部類に入るが代わりに人としての良心を持ち合わせていない。まぁデビルハンターとして長生きするには大切なことなのだが。

「もうアンタには関わりたくないから今すぐ帰って!」

肩で息をしながら声を上げれば吉田の目がスッと細くなった。元より光を映さない瞳が陰る。その姿に鳥肌が立った。美丈夫の真顔は怖いのだ。この顔の良さも私の苦手とするところの一つだった。

「今日はお願いがあって来たんだ。話だけでも聞いてくれるかな?」

正直嫌だ。この人の場合、ここではっきりと断れば身を引いてくれるだろう。でもその罪悪感に駆られた私が後日、吉田に連絡するところまでは容易に想像できた。それも分かってて吉田は「お願い」という言葉を使っているのだ。ずるいなぁ。

「……聞くだけだからね」
「ありがとう。じゃあ早速行こうか」
「どこに?」
「キミの家」
「は?」
「だってこの辺りには喫茶店すらないだろ。案内してもらっていい?」

こういうところ、ほんと嫌い。



木造二階建ての1DKアパートが私の住まい。木造とはいえ近くにショッピングセンターが作られたのを機に建てられたのでそれなりに新しくて綺麗だ。

「どうぞ」
「お邪魔します。これどこに置けばいい?」
「玄関とこでいいよ」

押し切られるまま吉田を家まで連れてきてしまったわけであるが私もそこまで聞き分けのいい女ではない。そのため家に上げるという条件で買い出しを手伝ってもらった。洗剤とかトイレットペーパーとか、日用品の買い出しってめんどくさいんだよね。もちろん費用は吉田持ちである。

「食べ物は机の上に置いとくよ」
「じゃあピザは開けてもらっていい?それとお茶とコーラどっちがいい?」
「お茶で」

グラスにお茶とコーラをそれぞれ注ぎ、リビングのローテーブルまで持って行く。部屋の中はテリヤキチキンとシーフードの香りが充満していた。

「で、話ってなに?仕事の手伝い?」

乾杯の挨拶もそこそこに早速ピザを一切れ頂く。うん、チーズが伸びて美味しい。

「まぁそんなとこだね。公安のデビルハンターとしてキミに声を掛けに来た」
「公安?え、吉田いま公安にいるの?」
「うん」
「報酬の額見て仕事を選んでいた吉田が?公安からの依頼に『金額にゼロ一つ足りてないですよ』って言ってきたあの吉田が?」
「公安手帳見る?」

手渡された革の手帳、開けば確かに公安所属を示すエンブレムと証明写真がはめ込まれていた。というかこの写真、若い頃の先生にものすごく似てるな。基本的に写真の更新はしないので先生の手帳には黒髪傷なしの姿が収められている。

「確かに本物だね。でもなんでまた民間から公安にいったの?」

吉田は手帳を受け取ってポケットに戻し、そしてようやくピザに手を付けた。シーフードピザを食べてるけどいいのかな。蛸の悪魔に嫉妬されそう。

「それには色々と訳があってね」
「ふぅん」

深入りはしたくないので敢えて聞かないでおく。それにしてもこのタイミングで公安ねぇ。寧ろ辞め時だと思うんだけどな。マキマさん——支配の悪魔が現れ、それはチェンソーマンによって処理された。しかし支配の悪魔による犠牲は決して少ないものではなく、責任問題やら何やらで上層部も当時は相当荒れていた。

「ともかく今の公安は深刻な人手不足でね。だから元公安の優秀なデビルハンターであるキミに来てもらえるとすごく助かるんだ」
「へぇ大変だね。頑張って」

支配の悪魔討伐の中でも運よく残った命。そして公安という組織を信じられなくなったから私は退職したのだ。故に戻る気はさらさらない。

「なら民間デビルハンターへの依頼って形ならどう?」
「依頼ぃ?」

ピザに飽きたのでサイドメニューで買ったフライドポテトを摘まみながら視線を吉田に移す。そしたら彼もまたポテトに手を伸ばそうとしていたので先にティッシュを数枚取って渡しておいた。ポテトをシーフード味にしないでくれ。

「ありがとう」
「どーも。それで依頼って?」
「キミが前に俺に頼んできた内容と同じさ。派遣みたいな形でいいから公安の仕事を手伝ってもらいたい」
「期間は?」
「こっちの人材が揃うまで」
「はい、却下」

吉田の前からフライドポテトの入った箱を取り上げて抱え込む。宙を切った手は寂しそうだったがそんなこと知ったことではない。そんな目で見てもダメ。

「ひどいなぁ」
「公安なんて万年人手不足じゃん。つまりは一生手伝えってことでしょ」
「さすがにそこまで烏滸がましくはないよ」
「あぁ、一生じゃなくて死ぬまでってことね。なおさらやりたくないや」

一度に三本摘まんでむしゃむしゃとポテトを食べる。これは一人で食べきってやるつもりだ。吉田は仕方なしに再びピザへと手を伸ばしていた。

「研修中の新人が一人いる。その人が来るまでの間でいい、手を貸してくれないか?」
「その新人はいつ来るの?」
「順調にいって三ヵ月後かな。まぁ研修期間中に辞めなきゃの話だけど」

約三ヵ月間か……最近のニュースを見るにチェンソーマンを恐れているのか以前よりも悪魔の出現率は少なくなったように思える。だからか都心部から逃げて来た悪魔がこのような田舎にやってきたりする。そう考えると東京でもこちらでも悪魔の強さは変わらないか。つまりは危険度はそれほど変わらないってこと。

「……因みにどのくらいお金貰えるの?」
「なに?引き受けてくれる気になった?」
「話は聞くって言ったでしょ」

手元のポテトを食べきって言ってやれば「へぇ」と薄ら笑いを浮かべられた。その顏、ムカつくからやめて。

「とりあえずこんなもんかな」

そう言って吉田はティッシュで手に付いた油をふき取って、小ぶりのショルダーバックの中から茶封筒を取り出した。それを受け取り三つ折りにされた紙を取り出す。中を開いて確認し、それで金額を見て目を疑った。えっ数字と桁合ってます?

「ほんとにこの額貰えるの?!」
「あぁ、それと活躍によっては更に色も付ける」
「なっ……?!」
「どう?キミにとっても悪い話じゃないだろう」

ぶっちゃけ楽しく生きるための金があってこその命だと思っている。うちの家はとにかく田舎の貧乏暮らしで、着る物はいつも御下がりだったし、食べ物もタダで採れる山菜がほとんどだった。そんな生活から抜け出したくて東京に出てデビルハンターになったのだ。

「……分かった。でもあくまで民間のデビルハンターとして仕事を手伝うってだけだからね」
「じゃあ決まりだ。手続きに関してはこっちで済ませておくからキミはいつでも東京に来れる準備をしておいて」
「りょーかい」

上手く丸め込まれた気がしなくもないが、まぁ報酬も申し分ないし文句はない。うまくいけば半年は無職でいても悠々自適に暮らせる額だ。私はこの仕事を大義や復讐でやっているわけでもないので相応のお金さえもらえれば何でもいい。



「そういえば時間大丈夫?」

仕事の話が済めばあとはダラダラと冷えたピザを食べながら近況報告をしあった。この職業での同期は案外貴重なもので積もる話もあるものだ。

「もうこんな時間か」
「駅前にでも宿取ってるの?二十二時以降にバスはないしタクシー呼ぶにもあんま遅い時間だと来てくれないよ」

時刻は二十一時を過ぎた。東京では日付を超えても交通機関は生きているが利用客が少ないこの地では早々に営業終了してしまう。

「いや、ここまで長居するつもりはなかったから宿は取ってないよ」
「じゃあどうするの?」
「さすがに野宿はできないから泊めてもらっていい?」
「は?」
「同期のよしみで泊めて」

普通に嫌なんですけど。吉田と私に限って男女の関係になることはないだろうが、この当たり前に泊めてもらえるスタンスでいることが気に入らない。面のいい男って頼めば何でも女が言うこと聞くと思ってるよね。まぁ早川先輩は例外だったけど。

「隣に住んでるおねーさん、毎回連れてくる男が違うんだよね。きっと吉田なら泊めてもらえるよ」
「それは嫌かな。見ず知らずの人の家に泊まるだなんて気持ちが悪いだろ」
「私だって見ず知らずの吉田ヒロフミを家に泊めるの嫌だよ」
「もしかして如何わしいことでも考えてる?生憎キミに対して性的な感情は一切持ち合わせていないから安心してもらっていい」
「なんか私がフラれたみたいになってるの腹立つんだけど」
「え?もしかして俺のこと好きだった?」
「今すぐ出てけ!」

その後、隣人から壁ドンを喰らうくらいには喧嘩をしたが、結局吉田はうちに泊まることになった。これは私の温情によるものであって決して宿代として金を貰ったからではない。

「布団はないからこの辺りのクッション敷き詰めて適当に寝て。あとで毛布は持ってくるから」
「ありがとう」
「お風呂場の物も自由に使っていいからね。でもさすがに着替えはないよ」
「それは大丈夫、実はさっき着替えも買ってきてたんだ。タグ切るからハサミ借りるね」

この家に来た時点で泊まるつもりだったのかよ。
そういうところだぞ、吉田ヒロフミ。