午前二時のアブナイお客
赤子も眠る丑三つ時。レジカウンターの後ろで求人雑誌をめくっていれば不意に陽気な音楽が流れ込む。コンビニ特有の入出店時の電子音だ。
「……しゃいませー」
数時間ぶりに声を発したせいか形式上の挨拶は声がかすれて大した音も発せられなかった。それでもそのお客は気にする様子も、またこちらを見ることもなくまっすぐにチルドコーナーへと向かう。物寂しい棚からサンドイッチを一つ取り、そして隣の棚から紙パックを一本。それから思い出したように店の奥へと向かっていく。姿は見えないが音からしてペットボトル飲料を持ち出してきたのだろう。それから店内をぐるりと回る形でレジに来てカウンターの上に商品を置いた。
「六百九十六円になります」
ミックスサンドに野菜ジュース、そしてミネラルウォーターとゼリー飲料。夜食なのか朝食なのかイマイチ分からないラインナップである。それらをビニール袋に詰めている間にトレーの上に千円札が投げ出される。本来ならここでポイントカードの有無を聞くのだが持っていないことは分かりきっているので聞かなかった。
「三百四円のお返しになります」
右手を差し出されたのでその上に硬貨を置く。そしてそれはブルガリの二つ折り財布の中へと転がり落ちた。さすが金を払って水を買う男はいい物を使っていらっしゃる。
「ありがとうございました」
財布はジーンズのポケットへ、ちらりと見えたベルトはディーゼルか。そして掻っ攫うようにビニール袋を受け取って来たとき同様の電子音を潜り抜けてその人は店を出て行った。
不定期ではあるが週に三度ほど深夜に訪れる男の客。目元まで隠れるほどの前髪をもってしても分かる顔立ちの良さ。髪色と同じ黒いピアスを片耳に六つも付け一言も喋らず食料品を買っていく。初めはホストなのかとも思ったけれど香水やタバコの臭いがしないので多分違う。となるとバイト帰りの大学生か。しかしそれにしては財布やベルト然り、そのブランド物から苦学生というわけではないように思える。ならば遊んだ末の深夜帰りと言う線が妥当か。そして加えるならばきっと女の類。だって彼からはアルコールの臭いがしないから。
総括:親のすねかじりの遊び人
一ヵ月前に過労で倒れ晴れてブラック企業から退社できた私からしてみれば実に羨ましい限りである。私も実家が太い美人に生まれたかったわ。しかしすぐにそんな夢は頭の中から追い出して現実を見据えるためレジ下に隠した求人情報誌を引っ張り出す。バイトが終わるまであと三時間。私は欠伸を一つ噛み殺し、端を三角に折ったページから再び目を通し始めた。
◇
空調はいつも通り効いているはずなのに手はじっとりと汗ばんでいた。背中には一筋の雫が伝いそれが嫌に冷たく感じる。頭の中は真っ白で、しかしそれに反して目の前の光景は赤い。早くなんとかしなければ。だというのに、頭も働かなければ足も動かない——しかし、そこで鳴り響いたお決まりの電子音に我に返ることができた。
「…っ、いらっしゃ…ませ」
そこで初めて呼吸を止めていたことに気が付いたが反射的に決まり文句が出たのはバイト生活の賜物か。しかし内心はそれどころではない。心臓はうるさいくらいに音を立て私を責め立てるように脈が波打つ。
「すごっ」
その一言が聞きとれなくて初めは何と言ったか分からなかった。その言葉を理解する前に軽快な足音が店内に響く。そしてキュッと靴底を鳴らして足を止めその場にしゃがみ込んだ。彼の黒髪が視界に入り普段では絶対に見られないつむじが見えた。
「これ、お姉さんがやったの?」
目の前には頭から血を流している男が一人。数分前に来た客だった。
「いや、あのっ仕方なく…!包丁出されて、お…っ脅されて!」
近くに転がっている刃渡り十八センチの包丁を指差す。しかしそれよりも目を引くのは血の付いた金属バットか。店長が何かあった時のためにと防犯対策でレジカウンターの裏に隠しておいたバット。その何か≠ェ起きた数分前、私はバットを掴んで大きく振りかぶっていた。
「額に一発。その後、側頭部にも一発ってとこか」
包丁を突き付けられ金を出せと脅された。言わずもがな強盗犯だ。もしかしたら怪我をしていたかもしれないし最悪、殺される場合もあった。だから私の行動は正当防衛。
「瞳孔も開いているし脈もない。もう死んでるね」
「うわ…あ、あぁ……ッ」
でも結果として人を殺した。これは罪になるのだろうか。逮捕、留置所、加害者、刑事訴訟、懲役——仮に減刑されたとしても経歴には残る。再就職どころか一生肩身の狭い思いをして生きることになる。
「大丈夫?顔色すごく悪いですよ」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」
「俺に謝られても困ります」
立っていることもできずに崩れ落ちるようにその場に座り込む。嗚咽を吐きながら顔を両手で覆い、涙とも鼻水とも分からないものが掌を濡らす。そして譫言のように謝り続ける私の背中を彼は優しく擦った。
「大丈夫ですか?」
「うッ…ごめっ……うぅ」
「ハンカチ使います?」
目の前に差し出されたそれを縋るように受け取った。涙を拭って深呼吸をして。そうすると少しだけ考える余裕が生まれてくる。しかしこの状況で脳内に浮かんだことといえば罪に問われるだとかこれからの事だとかでもなく、私の背を撫でる男の異様な行動だった。
「あのっ…け、警察とか、呼ばないんですか……?」
「あぁ、呼んだほうがよかった?」
なにこの人……一つ疑問が生まれれば他にもおかしな点が次々と頭に浮かんでくる。殺人事件に出くわして冷静でいる様子、迷いなく死体に触れ簡単な検視までも行ってしまうその知識。そして死んだ男よりも殺しをした私に同情しているようにも思える。
「いや、えっと……でも」
「必要ならすぐ呼ぶけど」
「やめて!」
ポケットから取り出された携帯を目にして私は叫んだ。どうせ朝になれば全部バレる。いや、今別のお客さん現れたらすぐにでも通報されるであろう。
「分かった。それなら呼ばないから安心してくれていい」
またも予想に反した返事と共に私に視線を合わせニコリと微笑みかける。その時、初めてまともに彼の顔を見た。大きな瞳に筋の通った鼻、肌は店内の照明くらい真っ白。だからこそ前髪に陰った表情が彼のアンニュイさに拍車をかけ薄気味悪い笑顔に思えた。それにこの人、目が笑ってない。
「このこと秘密にしたい?」
そして彼は目を合わせたままとんでもないことを言い出した。秘密ってこの殺人をってこと…?隠ぺいするという意味なのだろうか。でも凶器もはっきりしているし店内は血に染まり、男が倒れた拍子に棚だって一部壊れてしまっている。何より遺体を隠すアテもない。
「無理に決ってるじゃないですか、そんなこと……」
「できるさ。全部、魔人の仕業ってことにしたらいい」
魔人とは悪魔が人間の死体に憑依した存在のことを言う。そのため見た目も人間に近いのだが頭部に人間にはないものが発現するためそれで見分けがつく。例えば角が生えてたり額の形状が違ったりする。
「遺体が発見されたらバレますよ」
「頭を潰せばいい」
「目撃者がいるじゃないですか」
いくらか冷静になり始めた私は彼を見つめ返す。すると数秒の間をおいて彼の目が僅かに見開いた。あぁ、俺のこと?でも言いたそうな、そんな顔。私を馬鹿にしているのか、それとも余程の天然か。しかし私の言いたいことは伝わっていたようで彼はポケットの中からあるものを取り出した。
「公安のデビルハンターなんだ。だから警察に口を利くこともできる」
彼の証明写真と共に『公安対魔』の文字がそこには印字されていた。そして公安であることを示すエンブレムもその手帳には嵌められていた。もちろん本物を見たことはないが、彼が公安デビルハンターであることを証明するには、今の私にとっては十分すぎるほどの証拠であった。
「そう、なんですね……」
「必要なら手を貸すよ。で、どうする?」
どうするって……魔人は悪魔よりもその脅威は小さいものの人を襲うため排除の対象となっている。だから魔人のやったことにしてしまえば私は罪を免れる。それどころか世間的には賞賛されるほどの出来事になるだろう。でも、
「私の罪を隠すことで、貴方に何のメリットがあるんですか?」
ただのコンビニ店員に、ただの客である彼が私に手を貸す理由が分からない。考えられることと言えば、このネタで一生金をむしり取られるか体目当てと言ったところか。でもコンビニでバイトしている時点で大したお金を持っていないことは分かるだろうし、この顔の良さで女に困っているとも思えない。だからこそ彼の底が見えなくて信用できない。
「意外と頭悪くないんですね」
「は?」
「いえ、馬鹿にしてるわけじゃないです。すみません」
フッと笑った彼は、今までで一番人間らしい顔をしていた。ますますこの人のことがよく分からなくなってくる。
「一体何なんですか、貴方」
「だから公安のデビルハンターですって」
「そうじゃなくて…!」
「今後キミには俺の仕事を手伝ってもらいたいんだ」
彼は淡々と話しながらその場に胡坐をかいた。先ほどまでも私の隣りでしゃがんでいたのだがその座り方に警戒心を緩めたことが分かる。私が彼を信用していないように彼もまた私のことを窺っていたようだった。
「仕事?」
「そう。公安も人手不足でね、猫の手も借りたいくらいなんだ」
「でも私はデビルハンターじゃないですよ。ただの一般人です」
「人ひとり殺しておいてただの一般人≠ナすか」
痛いところをついてくる。私が顔をしかめたのが分かったのだろう。彼の口角が僅かに上がった。その様子に苛立ちを覚えつつも相手のペースに飲まれないよう、私は口を開く。
「言っておきますけど戦ったりとかは無理ですよ?今回のこれはその…火事場の馬鹿力みたいなものです」
「俺もそんなことはキミに期待してないよ。誰にでもできる簡単な仕事しか任せない」
その手の謳い文句は求人情報誌で散々見たな、と頭の片隅で思う。そしてそれは大抵ロクな仕事ではない。
「誰でもいいなら私でなくてもいいんじゃないですか?」
「相手の弱みを一つか二つ握ってた方が逃げられなくて済むだろう。それにお姉さんお金に困ってそうですし。働きに応じてそれ相応の報酬は出しますよ」
この人、段々素が出てきたなと感じられるくらいには彼の口調は砕けたものになっていた。そして言われたことが的を射ており、私は頭を悩ませることになる。彼の提案に乗ればこの人殺しもなかったことになり、おまけにコンビニバイトよりも時給のいい仕事にありつけそうである。しかし些か都合が良すぎて怪しすぎるか……すっかり黙り込んでしまった私を横目に彼がダメ押しとばかりに「それと、」と口を開いた。
「包丁を突き出されて要求に応じるんじゃなくて反攻するって普通じゃ中々できないですよ」
彼の瞳は冷めきっていて、そして目の前の屍もすっかり冷えていた。気付けば自分が殺した人間の前でかれこれ三十分以上座り込んで話している。改めて目の前の死体を見てみてもすでに何の感情も沸いてこなかった私は確かに普通≠カゃないのかもしれない。そしてそんな私が導き出した結論は笑ってしまうくらい彼の想定通りだった。
「分かりました。貴方の仕事手伝います」
「なら交渉成立ってことで。じゃあこれ&ミしますね、あと防犯カメラってあそこにあるのだけですか?」
分かり切っていたであろう答えを聞いたあとの彼の行動は早かった。コンビニに設置された防犯カメラをすべて破壊し死んだ男の顔も原型が分からないくらいぐちゃぐちゃにしていた。それから警察に連絡して私も事情聴取を受けて——そして事件がひと段落したころには辺りが明るくなっていた。
「後日、警察から連絡があるかもしれませんが普通にしてたら大丈夫ですから」
「はい」
「それと携帯って持ってます?連絡先教えてください」
そうだ、これで何もかも終わりってわけじゃないんだ。寧ろここから始まる。
私はポケットから折り畳み式の携帯を出して画面を開く。そして電話番号を教え合ったところで手が止まった。
「あの、名前聞いてもいいですか?」
彼は私の名札を見て名前を知っているがこちらには彼の情報がない。いや、さっき公安手帳を見せてもらったとき確かに彼の名前も書いてあった気がしたのだけど手帳自体に圧倒され確認し損ねたのだ。
「あぁ」
私が声を掛けると彼は初対面の時から一転、友好的な反応を見せた。右手を差し出して淡く微笑む。朝日の加減か、その顔はひどく美しく見えた。しかしその瞳だけは未だに夜の帳が下ろされたまま。
「俺は吉田、これからよろしくね」
怖い、怪しい、胡散臭い。この三拍子が見事にそろった男は今もまだ信用できないけれど、
「……よろしく」
この人のことをもっと知りたい。その欲が勝って私は吉田君の手を握り返した。