外堀埋めても友だち以上の関係に進展しない桐島秋斗の話


都内屈指の野球名門校としてまず名前が上がるのが甲子園出場常連校の帝徳高等学校。その帝徳と同じ地区で毎年接戦を繰り広げるのが我が氷河高等学校である。
帝徳とも負けず劣らず推薦と言う形で部員を集めその選手層も年々厚みを増している。そして推薦組の彼らは入学前の春休みから練習に参加するのが常であった。



「おーっす!なんだよ相変わらず小っせぇなぁオイ!」
「いだっ」

今日からくる新入部員のためグラウンドの隅で備品の準備をしていれば後ろからド突かれた。加えてデカすぎる声に耳まで痛くなる。幼気な女子マネージャー相手にどこのどいつだこの野郎。しかしこんな失礼なことをしてくる人間は部員にはまずいない。

「俺は身長四センチ伸びたってのに寧ろ縮んだんじゃね?」
「はぁ?そんなわけ……あれ?巻田じゃん」

とりあえず右ストレートいっとくか。しかしいざ振り返ってみればそこには見知った人物がいた。背も高くてガタイもよくてザ・球児といった雰囲気の男子——巻田広伸は弟の友だちで私とも顔なじみであった。

「久しぶりだな!で、アンタは高校でもマネやってんの?」
「そうそう。っていうか氷河受けてたんだね、全然知らなかったよ」
「まぁな!ってことでこれからよろしくな!」
「いっ…?!」

ガッとフレンドリーに肩を組まれたが力が強すぎて首がもげるかと思った。この怪力ゴリラめ。ちょっとは自分の力を考えてほしい。

「なに朝から仲良しこよししとるん?ええなぁ俺も混ぜてー」

巻田に揺さぶられるがままでいれば逆サイドからも腕が回された。東京では珍しい関西弁。そしてこの胡散臭さが混ざった喋り方をするのは間違いなく同学年の狐目であろう。

「あぁ?仲良しこよしだぁ?」
「傍から見たらそう見えたけどなぁ。ただコイツは嫌がっとるみたいやから返してもらうで」

重心が傾いたと思ったらそのまま強い力で引っ張られた。しかし痛みは感じなかった。それは引き寄せられるより先に巻田の手が私を離したからであろう。彼は右手の甲を擦っていた。

「オイ!ピッチャーの手ェ叩き落とすんじゃねェよ!」
「自分ピッチャーなん?霊長目ヒト科ゴリラ属のゴリラやのうて?」
「人間だわ!つーかそれポジションでもなんでもねぇじゃねーか!!」

この特有のノリにも怯むことなく即座に食いついてくる姿はまさにバナナを前にしたゴリラ……ではなく巻田といったところか。それにしても面倒くさいのに絡まれたね。そう巻田へ同情の目を向けつつ、未だに私のことを肘置き代わりにしている男を見上げた。

「桐島、あんまり巻田のこと揶揄わないであげて」
「なんや二人は知り合いなん?」
「うん。弟の友だち」
「巻田広伸だ!このピッチャーである俺様がエースとなって氷河を甲子園へ連れてってやるよ!」
「ほぉ」

よくもまぁ上下関係が特に厳しいと言われる野球部で先輩相手に敬語使わず喋れること。巻田のその無神経さは一周回ってすごいと思う。そしてそれを言いきれる彼の自信もまた称賛されるべきだ。しかし今回は相手が悪い。

「ならまずは俺より上手くなってもらわへんとなぁ今の氷河のエースは俺やし」
「知ってるぜアンタのこと。変化球が得意な左投の桐島だろ?だがアンタの球より俺のストレートの方が上だぜ」
「そこまで言うんやったらゴリラの豪腕ストレート見せてもらおか」
「ゴリラは余計だ!!」

巻田は最後までキレ散らかしつつもやる気はあるのかアップの為にその場を離れて行った。今の彼が桐島を差し置いてエースにはなれないだろうがそれでも有望なピッチャーが入ったのは大きい。投手が増えれば桐島の負担も少しは減らせるだろうから。

「あれだけ煽ったんだから最後まで面倒見なよね」
「嫌やわあんなむさっ苦しいゴリラの面倒なんか」
「今の桐島も中々にむさ苦しいよ」

肩に回された左腕をポンポン叩く。いい加減重いので退けて欲しい。しかし桐島は「俺の肩休ませんのもマネージャーの仕事やろ?」と訳の分からないことを言い出した。だから私は肘置きじゃないから。しかし一応は助けられた身であるので好きにさせておくことにした。そして話を元に戻す。

「あんまり流暢なこと言ってると巻田にポジション取られるよ」
「ストレート言うてただの脳筋元気玉やろ。かめはめ波くらいのモン見せてくれへんと張り合いあらへんわ」
「それどっちも大して変わらないやつじゃん」
「アホか。かめはめ波の会得には五十年の修行が必要やねんぞ」
「いや知らんけど」

桐島の腕を乗っけたままバックネットの方へと歩いていく。すでに集合場所には新一年生や部員たちの人集りができていてそこには巻田の姿もあった。周囲が談笑している中で彼だけが入念なストレッチをしている。ああ見えて、実のところかなりの努力家なのだ。

「私は巻田の投球好きなんだけどなぁ」

そんな彼の投げるストレートは言葉通り真っすぐだ。ボールが投げられた瞬間にグワッと心臓を鷲掴まれたような気持ちになる。そしてそれが綺麗にミットに吸い込まれたときの音には鳥肌が立つのだ。

「桐島も一度見てみ……ぐぇっ」

弟の友だちだし巻田の顔も立てとくかと思っていたら左腕が畳まれそのまま首を絞められた。一瞬だったため息が止まることはなかったが頸動脈を絞められたせいで変な声が出る。

「なんや昨日までは俺の投球めちゃくちゃ褒めとったんに浮気か?」
「はぁ?」

確かに昨日は居残り練してた桐島の投球を見ていたけれど褒めた覚えはない。あっそれともあれか?カーブの練習してたときに、日本橋みたいなカーブ描いてるね!って言ったら「アホか!めがね橋やろ!」ってアーチ橋マウント取ってきたときのことか。それから古今東西にある橋の名前を上げて最終的に、桐島のカーブは橋の枠に収まらないくらいよく曲がるねと言って会話を終わらせたっけ。

「ホンマ嫌やわ〜そうやってすぐそこらの男を誑かしよって」
「うわっマジで風評被害なんだけど。っていうかもしかして他の部員にもそういうこと言ってる?最近、妙にみんなから距離取られるようになったんだけど」

挨拶はしてくれるし会話もできる。でも業務報告以外の話をしようとすると皆、苦笑いしてそそくさと練習に行ってしまうのだ。自分が何かやらかしたのではないかと気に病んでいたがまさかここに犯人がいたとは。

「言うてへんよ。それにこんなに自分のこと可愛がってる俺が本気でそう思っとるわけないやろ」
「なら現に今、私が部員に避けられているのはなぜ?」

私たちがバックネットにまで辿り着けば先ほどまでいたはずの部員たちが蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。そして誰一人としてこちらに目を向けることなく、わざとらしくストレッチをしたり「今日はいい天気だなぁ」などと中身のない会話をしている。

「気のせいやろ」
「ようやく来たな桐島ァ!」

半径五メートル以内に人がいなくなったなかに現れたのは桐島にめでたくゴリラ認定をされた巻田である。アップも済んだのか彼はやる気満々にグローブ嵌め球も準備して来た。

「俺と勝負しろ!」
「まだ監督も来てへんし勝手にやり出したら怒られるやろ。でも、」

ポン、と頭に桐島の左手が乗った。顔に似合わずその手は大きく皮は厚い。そして硬く膨れたマメまである。確実に野球をやっている人の手だ。

「まぁおもろそうやしその勝負受けたるわ」

巻田は自信満々に豪快に笑いマウンドへと駆けていく。そして桐島は最後にもう一度私の頭を撫で巻田の後を追った——しかし、三歩進んだところで足を止めこちらを振り返った。

「俺の投球よぉ見とき」

春空の下で笑みを浮かべてそう言った。余裕そうな顔に見えてこう笑うときの桐島は本気である場合が多い。それを感じ取った私は桐島に向かって声を張り上げた。

「勝負止めなかったことで監督に怒られるの嫌だから向こう行ってるね!」