面食いだけど吉田ヒロフミには惚れたくない女の子の話


同じクラスの吉田君はイケメンだ。前髪で隠れていても分かる大きな瞳に形の整った眉、鼻は高くて口元のホクロは色っぽい。儚げな印象にも関わらず背は高く、その甘いマスクとは裏腹に左耳には六つもピアスを付けている。アンニュイでアンバランス、ミステリアスな面も含めて私は吉田君に好意を抱いていた。

「ほらデンジ君、ポテトあげるよ」
「ほらデンジ君、おにぎり」
「ほらコーヒーだよ」

——のは数分前までの話であり、今はただのクソ男にしか見えない。

「液体は落とさないでくれ〜…」

なんと一人の男子生徒に床に落としたものを食べさせていたのだ。金髪のデンジ君と呼ばれたその男子生徒は這いつくばって床に溢れた液体を舐めている。彼は「液体は」と言ったがポテトもパンも落ちたものは食べるべきではないと思う。

「ん?」
「あ……」

その一部始終に釘付けになっていれば不意にこちらを見た吉田君と目が合ってしまった。いつもの私なら、吉田君と目が合っちゃった!寿命延びた!なんて大はしゃぎだけどクソ男とわかった今となっては最早悪魔にしか見えない。
私は軽く会釈だけして足早にその場から立ち去った。



いくら顔が良くてもあれはないわ。恋は盲目とも言うが一瞬で目が覚めた。それに気付いた私は授業が終わると共に早々に教室を後にした。

「合計で五百四十円になります」

そして向かったのはコンビニ。こんなクソみたいな気分の時には癒しスポットに行くに限る。だからそこへ向かう前に立ち寄ったのだが、レジ前で私は慌てることになった。

「えーっと……」

お財布にあると思った千円札がない。そうだ、一昨日漫画買ったの忘れてた。なら小銭入れは……と見てみるが百円もない。うわっこれじゃあ二缶どころか一缶も買えないよ。

「これと一緒で」

恥ずかしいけど断りを入れよう、そう思っていたのだが後ろから伸びてきた手に阻まれた。そしてカウンターの上には水のペットボトルと千円札。

「三百六十円のお返しになります」

理解が追いつく前に会計が終わる。そして私の右側からは学ランの腕が伸びてきた。それを辿るように視線を持ち上げればアルカイックスマイルとご対面。

「よ、吉田君……?!」
「やぁ」
「なんで、」
「ここだと邪魔になるから店を出ようか」

吉田君は私の商品も入ったビニール袋を持ってさっさと外へと行ってしまう。その背中を追いかけて私も慌てて店を出た。

「はい、これはキミの分ね」

そして吉田君は自分のペットボトルだけを抜き取って袋を私に差し出した。

「ありがとう、お金は明日学校で返すね」

クソ男の認識はあるがやはり顔がいいので面食いな私の心臓は相変わらずうるさかった。でも騙されてはいけない。

「わかった」
「じゃあ、また……」
「ネコ飼ってるの?」
「えっ?!」

この顔面に惑わされる前に今すぐ立ち去らなければ。しかし私の意に反して呼び止められる。吉田君とは同じクラスメイトとてそんなに話したことはない。いつも遠目から見て頬を緩ませるのが私の日常だった。

「ネコ缶買ってたから」

それが今や手を伸ばせば届く距離にいて、そして世間話までしている。

「いや、飼ってはない…です」
「そうなの?」
「うん……じゃあ私はもう行くね!」

逃げるようにしてその場から走り去る。せっかく話しかけてくれたのに勿体ない気もしたけれど自分の中で何度もクソ男だと復唱する。イケメンに惑わされるな、もう絶対に吉田君とは関わらない!

「へぇこんなところにネコの溜まり場なんてあったんだ」
「……っ?!」

だというのにその十分後には吉田君と再会していた。

「な、なんでいるの?」

銀行裏の路地は猫の溜まり場になっている。その大半は野良猫で、銀行の人や近所の人たちがご飯をあげたりして面倒をみていたりする。だから私も猫用のご飯を買ってきてはここでみんなにあげていた。

「偶然通りかかったんだ」

猫目当て人ならまだしも偶然≠ナ通りかかるほど利便性のいい道でもない。

「そうなんだ」

もしや着けられたのだろうか。でも一体何のために……もしかして走り去ったことに怒ってるとか?でも吉田君がそこまで私に関心があるとは思えない。

「エサあげてるの?」

目の前のお皿にはウェットタイプのご飯が乗っかっている。二缶分あったそれも五匹の猫によりほとんど食べられていた。

「うん」
「毎日来てるの?」
「偶にだよ」

ご飯を平らげた猫に手を伸ばせばそのままじゃれついてくる。野良猫でも人慣れはしているので逃げはしないのだ。吉田君は私の隣にしゃがみ込みその様子をじっと見ている。

「可愛いね」
「うん」
「俺にも触らせてくれるかな?」

そう言って手を伸ばせば近くにいた猫に牙を剥き出しにされていたのですぐに引っこめていた。

「俺じゃダメみたい」

しょんぼり……というオノマトペ付きで目を伏せた吉田君の横顔にどきりとする。儚げな美少年と言わんばかりのその顔に、私は自ら張った予防線を乗り越えて吉田君に話しかけていた。

「これあげたら触らせてくれると思うよ」

バッグの中から取り出したのは煮干しである。それを見た猫たちは待ってましたとばかりに鳴き出した。食後にあげているこれは猫にとってはデザートみたいなものなのだ。

「へぇ少しもらってもいい?」
「うん」

袋の中から数匹の煮干しを取り出して吉田君の手の上に乗せる。その瞬間、私はしまったと思った。
男子生徒に落ちたものを食べさせていた吉田君、そんな彼にエサ≠握らせようものなら同じことをすると思ったのだ。いくら相手が猫といえどもそれは私の中で許されたことではない。

「あのっ……!」
「あっほんとだ。撫でさせてくれるね」

一言だけでも言おう、しかしその必要はなかった。吉田君は猫一匹ずつに手ずから煮干しを与えていた。そして近寄ってきた猫の首を撫でたり背中を触ったりしている。

「そ、そうだね……」
「今度俺もちゃんと用意してこようかな」
「また来るつもり?」
「いけなかった?」

猫から私へと視線が移される。今までで一番近い距離で見た吉田君の瞳は吸い込まれそうなほど大きく深い色をしていた。

「ううん…!きっと猫たちも喜ぶと思う!」

そして顔がいい。
私が全力で首を縦に振れば吉田君は小さく笑った。



「ところでさっき何か言いかけなかった?」

猫を愛で終え大通りへと出る。そこで吉田君が思い出したように聞いてきた。

「何のこと?」

てっきり聞き流されたと思っていたのに今さら言及されるなんて。でももう取り立てて話すことでもないものだからすっとぼけることにした。

「ほら俺に煮干しをくれたとき、焦った感じで何か言おうとしてただろう?」
「あー……大したことじゃないよ」
「その割には食い気味だったけど」

思いのほか粘ってくる。それでも私が誤魔化そうと必死になっていれば、フッと抜けるような声が頭上から落ちてきた。

「もしかして俺がわざと地面に煮干しを落としてネコに食べさせるとでも思った?」
「えっ?!」
「図星だ」

当たったことにか、それとも私が余程面白い顔をしていたのかは分からないが弾んだ声でそう言った。あのとき私が目撃していたことも覚えていた上で聞いてきたのなら吉田君は中々性格が悪いと思う。だからこちらも不服そうな顔を全面に押し出して口を尖らせた。

「人にやってたくらいだもの。そう思っちゃうのはしょうがないでしょ」
「デンジ君だからそうしたんだ、ネコ相手にやらないよ」
「普通は人間にこそやらないよ。それはもうイジメじゃない」
「ひどいな、彼とは友達さ」
「それってイジメをしてる人が使う常套句だよね」

どちらにしろ吉田君とはあまり関わらない方がよさそうだ。イケメンは遠くから愛でておくに限る。

「ごめん、ちょっと待ってて」
「え?」

だからこそ早いこと解散したかったのに、その言葉だけを残して吉田君が消えた。このまま自分だけ帰ってもよかったけれどお願いされた手前待たないわけにもいかない。仕方なしに道の端に避け待っていれば、間もなくして吉田君がカップに入ったアイスクリーム片手に戻ってきた。なんで?

「お待たせ」
「あ、うん。アイス食べたかったの?」
「俺は別に食べたくないかな。だから、はいどうぞ」
「は…………」

目の前にアイスが差し出される。しかもそれはご丁寧にプラスチックのスプーンに乗せられた形で。つまりは一口分にすくいとられたアイスが目と鼻の先にあった。

「バニラにしたんだけど苦手だった?」
「そうじゃなくって……え、なっ…なんで?!」

これ恋人同士でやるやつじゃない?!いや寧ろこんな恥ずかしい行為、恋人同士でもやらないでしょ!少なくとも道端ではやらない!現に周囲からの視線が痛い!

「勘違いされたままなのも嫌だからさ」
「勘違いとは?!」
「床に落とした物を食べさせるような人間だってこと」

勘違いと言うか現にその現場を目撃してるんですけど……しかしそんなことよりも今は目の前のことにいっぱいいっぱいだった。スプーンの上のアイスは頭上からの太陽光により溶けだしていた。そしてぽつりとバニラが滴り落ちれば「ほら口開けて?」と促される。目の前のイケメンに、思いがけない神イベント。こんな機会もう二度とないかもしれないと思った私は意を決して口を開けた。

「あー……んっ」
「どう?」
「お、おいしい……です」

ぶっちゃけ味なんかしなかった。口に入れた瞬間、秒で溶けたし。しかし私の気など知らない吉田君はアイスをすくい取ったスプーンを再びこちらに向けた。えっなにこれ。私もしかして明日死んだりする?

「はい、どうぞ」
「もういいです!」
「どうして?」
「お腹いっぱいだから!あとは吉田君が食べていいよ!」
「そうなの?まいったな、スプーン一つしかもらってこなかったよ」
「! やっぱりそれ全部ちょうだい!」

これ以上は私の心臓が持たない!そう判断しすぐさま吉田君の手からアイスのカップを奪い取った。

「吉田君ってよくこういうことするの?」
「どういう意味?」
「アイスをその……食べさせたりとか?」
「どうかな。キミの想像にまかせるよ」

思わせぶりだなんてずるい人。じゃあなんで私に……なんてことまでは聞く勇気が出ずにそれ以上は追求しなかった。そしてものすごい勢いで食べ進めた結果、もうカップの中は空になりかけていた。私はスプーンを持ち直して最後の一口をすくい取る。

「もっと距離感大事にした方がいいよ。吉田君はかっこいいんだから好きになっちゃう子がいるかもしれないからね」

それだけ言って最後の一口を運び入れる。空になったカップはふやけて少し潰れていた。それをプラスチックのスプーンと一緒にまとめながらゴミ箱を探す。案の定、アイスクリーム屋さんの隣にゴミ捨て場があった。しかしそこへ向かう前に横からカップが攫われた。

「捨ててくるよ」
「えっ待ってよ!」

歩き出す吉田君の後ろを慌てて追いかける。様子を伺うために横に並んだがその顔は相変わらずの無表情。

「じゃあキミで試そうかな」

そして唐突にこちらを向いたかと思えばそんなことを言い出した。吉田君って意外と言葉足らずだったりする?意味が分からず聞き返せば口元に綺麗な孤を描いた。

「好きになるかどうか」

空のカップは音を立てて捨てられた。だから、きっと今のセリフは私が聞き損じただけだ。でも無視もできなかったから本日二度目のすっとぼけを披露しておくことにした。

「吉田君って冗談言うんだね」
「キミこそ」

この人にはもう関わらない方がいい。
でも吉田君からは逃げられそうにない。