糸師冴ガチ恋オタクの女の話
地毛の黒髪は十年以上前に捨て長年染めまくった髪は彼と同じ小豆色。メイクは基本ナチュラル系、だけどシャネルのルージュは外さない。そして日夜ジムに通い鍛え上げられたお尻のラインを強調するスキニーパンツを履いた私は完璧!
「…………あ?」
「お久しぶりです!お元気でしたか?」
「帰れストーカー」
「いや、ちょっ……待って待って!ドア閉めないで!」
閉じかけたドアにジミーチュウの五センチヒールをねじ込んだ。身長が高い彼に釣り合うようにヒールの靴も私の中ではマストアイテムである。
「なんでお前がスペインの家の住所知ってんだよ」
「それはまずフェイスブックから冴様のお父様の勤め先を割り出して転職してそこからスピード出世で役員になり重役の食事会のときにお父様の隣でお酌しまくって酔わせて聞き出しました!」
「よし、今から警察呼ぶからとりあえず中入れ」
「ありがとうございます!」
一先ず追い返されなかったことに安堵する。というかその前に二年以上会っていなかったのに覚えていてくれたことが嬉しい。その時だってサッカーの試合で観覧席から目が合った程度だったのに。これも冴様のSNS更新にはいち早く反応してレスを送り、冴様の試合解説用のYouTubeチャンネルを立ち上げ、冴様がスポンサーをされているブランド商品を軒並み手に入れてはインスタを更新し、月一でクラブチームあてに冴様の好きな塩こぶ茶と塩こんぶを送り続けた賜物か。
「わっすごい!冴様の匂いがする……!」
「…………」
「そういえば冴様が監修された香水予約できました!日本でも人気で秒で売れ切れたんですけど自作ツール使って開始になった瞬間にアクセスしたのでシリアルナンバーも一番です!どんな香りなのか今から楽しみにしてるんですけどもしかしてこの香りですか?!ぜひ香水と比較したいので部屋の空気をジップロックに——」
「飲み物はコーヒーでいいな」
「冴様が淹れてくださるならなんでも!」
いけない。つい興奮して我を忘れてしまった。そして通されたお部屋は想像通りシンプルでシックな造りである。必要最低限の家具類しかないが雑誌の並べ方やスタンドライトの置き方には気品が感じられる。あっあのソファどこの物だろう。ぜひ我が家にもお迎えして「あっ私いま冴様の隣に座ってる…?!」とイマジナリー同棲生活を始めるためにも購入しなければ。
「なにそこで突っ立ってんだ」
「リビングの家具配置を目に焼き付けてました」
「お前ストーカーのくせに盗撮したり盗聴器仕掛けたりはしねぇんだな」
「そんな非常識で身勝手な犯罪行為するわけないじゃないですか!」
「お前の行動も大概だからな。いいからテキトーに座れ」
適当にと言われたのでラグの上で正座になる。そういえば欧米スタイルで靴履いてきちゃったけど脱ぐべきだったかな。冴様は室内履きと見られるサンダルを履いてるけど私の足でこの空間を汚すわけには行かない。
「んなとこ座んな。せめてソファに座れ」
「いやいや私如きが恐れ多いです」
「……その服、」
「はい?」
マグカップ二つをローテーブルに置き、先にソファへと腰を下ろした冴様が脚を組みながらこちらを見た。ローアングルから見ても冴様はやはり麗しい。それにしても服、とは?
「俺がモデル勤めてるブランドのもんだろ」
「…! はい、そうです!」
さすが冴様よくお気づきで! 今日羽織ってきたジャケットは冴様が広告で実際に着ていたもののレディースサイズだ。地がワインレッドなだけあって着こなしには苦労するが冴様とお揃いになりたくて試行錯誤してファッションに取り入れた。
「悪かねぇな」
「そ、それはつまり私に似合ってるという……?!」
「いい加減そこ座ったままだと服がシワになんだろ。こっち座れ」
「はい!」
レディースジャケットの感想かぁてっきり褒められたと思って舞い上がっちゃったよ。
その場から立ち上がり恐れ多くも冴様の隣に腰掛ける。しかししっかりとパーソナルスペースは保ちひと一人分のスペースは空けた。
そしてお礼を言いコーヒーを一口。すごい、豆のいい香りがする。冴様が淹れたものだと思えば私の中ではコピ・ルアクよりも高級に感じられた。
「で、お前はなんでスペインにまで来たんだ」
「実はこれを冴様に見ていただきたくて!」
そうだ、本来の目的を忘れていた。
私はバッグの中からタブレットを取り出しファイルの中からPDFデータを表示させた。それは昨年から今シーズンにかけての冴様の戦績やアシスト数をまとめたものだ。
「クラブチームの方でこういったデータはすでにまとめられてると思うんですけど個人的にも作成してみました」
「案外細けぇな。俺のボール保持時間やタッチ回数までカウントしてある」
一時サッカーコメンテーターという道から冴様とお近づきになることを考えたこともあったが冴様のいるレ・アール以外の試合に全く興味がないので早々に諦めた。第二の某元アイドルのようになるには邪な感情すぎる。
「因みに次のファイルには低カロリー高タンパクの食事メニューをまとめています。栄養士の資格も持っているので栄養バランスにも抜かりありません」
「日本語とスペイン語で書いてあるのはなんでだ?」
「冴様は基本的に自炊されませんよね?スペイン人のハウスキーパーの方でも分かるように二ヵ国後で書いてみました」
今年に入ってようやくDELEのB2の資格を会得できたのでおおよそ間違ってはいないはずだ。一応翻訳機も使ったし。
一通り目を通すと冴様はタブレットの電源を落としローテーブルの上に置く。そして私の方を見た。
「なんでこんなコトまでやんだ?お前には何もメリットねぇだろ」
「それはもちろん私が冴様のことをこの世で一番好きだからです」
その簡単すぎる質問に秒で答えれば冴様は僅かに目を見開いた。この表情はかなりレアだ。だから私は畳み掛けるように冴様の素晴らしさを語った。
「物事をフラットに見れる冴様の決断力にはいつも目を見張るものがありそれがサッカーのパスにも生かされてると思います!そして塩こぶ茶でゼロの自分に戻るっていうのもメンタル管理ができていて尊敬します!あと意外とファンサもよくて三年前日本での試合のとき男の子に…——」
気持ちが昂まり私の口は恐ろしいほど回る。そしてこの勢いに乗って今ならいけると思った。
「私ほど冴様を理解している人間はいないと自負しています!だから私と付き合ってください!」
「断る」
通算十二回目の告白は此度も呆気なく終わる。一見少ないかと思われるがこれは直接本人に言った回数でありSNS上や手紙では千回以上伝えた言葉だった。もちろんそちらに関しては返事をもらったことすらない。
「分かりました。でも私はこれからも冴様のファンでいますからね」
でもだからと言って私が変わることはない。冴様が冴様である限り私は彼のことをずっと応援するつもりでいる。
やや冷めたコーヒーはもうカップの半分もない。これを飲み切ったらお暇しよう。
「俺は今シーズンで現役を引退するつもりでいる」
私が黙れば無言の時が過ぎる。しかしこの沈黙を破ったのは冴様であった。そして私はすぐに会話の流れを察せた。
「……二年前の怪我が原因ですか?」
世間的には完治したと報道されたがそれでも長年見ていたから分かる。彼のパフォーマンスは以前よりも落ちた。パス精度、トラップ技術、ドリブル時の脚の運び——ミリ単位の違和感が少しずつ大きくなっていた。それでも二部リーグや日本のチームなどでまだ十分活躍できるレベルだ。しかしそれを本人が許さない。
「ああ。引退後はUEFAライセンス取って監督業に移行することも考えている。つまりサッカー選手の糸師冴≠ヘいなくなる。そうなりゃお前も興味な——」
「そんなわけないじゃないですか!!」
確かに私が初めに興味を持ったのはサッカー選手の糸師冴≠セ。でも彼を知るうちに自分に厳しい一面や療養中の食育やストレッチメニューを知ってその直向きさに惚れ込んだ。彼という人間が私は好きなのだ——そう、叫ぶように伝えた。
「お前の言っているコトは理解した。だが付き合う気はねぇ」
メンタルは強い方。じゃなきゃこんな長いこと追い続けてなんかいない。勉強も仕事も頑張って美しくあろうとしたのだって全部全部彼のため。不純な動機と笑われて痛い女と馬鹿にされても、おかげでまともな恋愛ひとつしてこなかったけれど後悔なんてない。しかしだからこそ私の気持ちを伝えた上での今の言葉は、刺さった。
「……そう、ですか」
俯いて下唇を嚙み涙を堪える。メイクが崩れるから泣くのは絶対に嫌。最後まで綺麗でいたい。でも眼の淵からは涙が滲んでくる。だめだ、これ以上ここにはいられない。
「おい」
「……っ?!」
しかし逃げ出す前に腕をつかまれた。そしてあろうことかもう片方の手で顎をつかまれ顔の向きを変えられる。目の前には国宝級の御尊顔。そして鼻先には家に踏み入れた時と同じ香りが横切った。
「するなら結婚だ」
「…………は?」
ただでさえ目の前の状況を処理しきれていないのに更なる爆弾が投下された。お付き合いは断られたのに、何故かいま結婚の申し込みをされているのは一体どういうことか。というかこれってつまりプロポーズってこと……?
「お前ができる選択は俺の嫁になるか俺の隣に一生いるかの二択だ」
ターコイズブルーの瞳が「どうする?」と語りかけてくる。
「ぁ、……う」
「答えろ」
もはや二択ではない確定事項での問いかけに一体何の意味があるというのか。ならばもう答えはひとつしかない。
「む、むりです……」
「あ゛?」
色白のこめかみに分かりやすい青筋が刻まれる。片や私は青ざめることしかできない。だって無理なものは無理なんだもの。
「むりです…私には荷が重すぎます……」
「ずっとストーカーまがいなコトしといて今さら何言ってんだ?散々好きだの付き合えだの言ってきてマジの嫌がらせかよ」
「それは違います!ただ、」
「ただ?」
大好きだった人がようやく私を見てくれてそして好意を抱いてくれた。こんなにも嬉しいことはない。でもだからこそ今この瞬間、私は気づいてしまった。
「どうやら私は追われるより追う方が好きみたいです……」
好意を向けられるよりも自分が相手を好きでいたい。一方通行でいい、愛の見返りはいらない。ただ私という存在だけは認知してほしい!みたいな。寧ろ素っ気なくされてた方が俄然燃えるぜ!みたいな。そんな気持ちが大きい。
「なるほど」
さすがは冴様、頭の回転が速い。私の気持ちを察してからか顎から手を放してくれた。そしてソファに座り直し改めてこちらを見て——気づいたら押し倒されていた。
「さささ冴様?!」
「あ?なんだようっせぇな」
「なんですかこの状況は?!」
「何って嫌がらせだ」
「嫌がらせ?!」
さすがは冴様、頭の回転が速すぎて凡人には理解できない。
「秒で付くSNSのコメントに毎回荷物に同封してくる手紙、終いには自分のアカウントで毎日毎日俺のコト呟いてやがる。気づけばお前のコトが頭にチラつくんだよ」
全部見てくれてたんだ。私の一方通行なんかじゃなかった。でも本人はきっと見てないんだろうなって思いながら書いてたから改めて認知されていたと分かると恥ずかしい。あんなに見て欲しかったのに今はこの顔すら見られたくなかった。
「だからお前を俺と同じ目に合わせる」
私の頭と心はすでにいっぱいなのに今さらどうなれと言うんだ。
「やっぱりむり……」
「覚悟を決めろ。異論は認めない」
もう、キャパオーバーです……