バニー・イグレシアスに執着される女の子の話
友人の誘いに乗って参加したパーティーが全ての始まりだった。
正直いつもは誘われたって行きやしない。だってそういう場はいつも酒とタバコとドラッグで溢れてるから。でも今回はそういうパーティーではないと言われ「ナマエも驚くようなビッグゲストも来るんだから!」と丸め込まれ結局足を運んだのだ。
「ほら来たよ!本日の主役!」
「えっ嘘……本物のバニー?!」
そしてその場にいたのはスペインサッカーのニュースターとも呼び声高いバニー・イグレシアス。新世代世界十一傑への選出もほぼ確実と言われておりFCバルチャのトップチームへの加入も秒読みとまで言われている。まだ一軍選手ではないにしろサッカーファンである父の影響で彼のことはよく知っていた。
「挨拶してきなって!」
「いやでも恐れ多くて」
「ここで逃したらいつ会えるか分からないでしょ!彼氏にもフラれたばかりなんだから行ってきな!」
「それ今は関係ない!」
友人に背中を押されるままバニーの前へ。彼も私の存在に気付いたのかまんまるな瞳をこちらに向けた。ここまで来たら腹を括るしかない。
「あのっ私ナマエって言います!先日のバニー選手が出てた試合観ました!」
「そうなの?下部チームとの試合だったからテレビでもやってなかったはずだケド」
「父と一緒に現地にまで観に行ったんです。ハットトリックも決められてて本当に感動して……」
「そうなんだ。ありがと」
捲し立てるように感想を言う私に対し彼は笑みを浮かべてみせた。でもなんだろう、やけに冷たく感じる。愛想笑いとも違う無機質な笑顔。その裏には孤独とも思える寂しさが見え隠れしていた。
パーティー会場での会話はそれっきりで終わった。
バニー・イグレシアスの対応は確かに悲しくはあったけど元より彼のプレーが好きだったから今さら彼に抱く感情は変わらない。これからも一人のファンとして彼のことを応援しよう。
「ちょっと何やってんの?!」
「え?」
だからこそ川に掛かるコンクリート橋の上に立っている彼を見つけた時、思わず声を掛けたのだ。
「危ないから早く降りなって!」
「なんで?キミには関係ないじゃん」
パーティー会場はまだ賑わっていたが私は早々に帰宅することにした。友人はまだ残ると言っていたし他のメンバーもかなりいたからてっきり主役の彼もまだ残っているかと思いきや私と同じく抜け出してきたらしい。
「目の前で怪我されたくないの!」
「なにそれ。キミって偽善者?」
「違う!将来医者志望ってだけ!」
「へぇ」
彼は私を見下ろしてその口元に弧を描く。そして飛び上がったかと思えばトン、と軽やかに着地してみせた。巨体に似合わぬ身軽さはフィールド上でのプレーを思い出させる。
「すごい。お医者さんだ」
「まだ学生だから免許持ってないけどね」
「でも勉強はしてるんでしょ」
一歩、二歩と歩み寄られ気付いた時には目の前にいた。同じ地面に足をついているけれど身長の高い彼からは相変わらず見下ろされたままだった。
「まぁ……」
「じゃあさ、俺のコトも診てよ」
「は?」
私が眉を顰めれば彼は子どものような笑みを浮かべる。先ほどとはまた違う、イタズラを思いついた時のような悪い顔だった。
彼はそれこそお願い≠するようにわざとらしく腰を折って私と目線を合わせた。
「なんかさぁ幸せそうな人見ると死にたくなるんだよね♪この病気治してよ」
「…………それ、殺したくなるの間違いなんじゃない?」
「えっ」
その驚いた表情に自分が試されたのだと理解した。
この人はそんな自虐的な人間じゃない。自分を犠牲にしたがる人があんなプレーをできるわけがないのだ。情熱の国と言われテクニックと創造性を求められるスペインのサッカー界において、そんな人間が上に這い上がれるほど甘くない。
「貴方は自己犠牲的な人間でもないでしょう?」
周りの幸せを妬んで死ぬくらいなら全員消し去って自分だけの世界を創る——そんな利己的な考えを彼からは感じた。
「あははっキミって面白いね。そういえば名前なんだっけ?」
「もう会うことはないから覚えなくていいよ」
「そんなコトないよ。将来的にキミにはボクの専属医になってもらいたいし」
「生憎、私は婦人科医になりたいの。精神科医は別を探してちょうだい」
「冷たいなぁ。あっちょっと置いてかないでよ」
「着いてこないで」
危機意識を感じて彼から逃げる。これ以上関わってはいけない。絶対ヤバい奴。フィールドの外側から見ているくらいがちょうどよかったのだ。
「そうだ思い出した。ナマエだ」
しかし向こうが外へと出てきてしまってはもう距離の取りようがなかった。
◇
実習を終えて外へと出れば分厚い雲からポツポツと水滴が落ち始めていた。そんな曇天に向かってお気に入りの傘を開く。今朝、天気予報を見逃さなかった私えらい。
ちょうど来たバスに乗り、家最寄りのバス停で降りスーパーマーケットへ。ここ最近は惣菜に甘えていたが今日は時間もあるし帰って何か作るのもいいだろう。少し肌寒いしコシードあたりがいいかもしれない。ソーセージと野菜とひよこ豆を用いたそれは唯一の得意料理だ。
会計を済ませ再び外へと出れば雨足が強くなっていた。家まではあと少し。再び傘を開いて帰路を急いだ。
「ん?」
そして自分のマンションが見えてきたところでその前に人影を発見した。その人はこの雨の中、膝を抱えるようにして歩道の段差のところに座っている。親の帰りを待つ子どもだろうか。いや、それにしては随分と大きいような……
「えっバニー?」
「あっナマエ!やっと帰ってきた」
そうでないとあってほしいと願うも私が名前を呼べば本人で、その場から立ち上がった。薄ピンクの上着は色が変わるほどにずぶ濡れになっており帽子からはみ出た毛先からは水が滴り落ちる。当然ズボンもスニーカーも水を含んでいた。
「こんなところで何やってんの?!」
この雨の中、どうしたら傘もささずに待ってようと思うのか。様子を見るに少なくとも三十分以上はここにいたはずだ。しかしバニーに家の前で待たれたのは今回が初めてではない。
「なんか急に人恋しくなってさぁ会いに来ちゃった」
友人宅のホームパーティーで日付を超えて帰ってきた時もいたし、かと思えば早朝ゴミ出しに出た時にもここにいたことがあった。その理由は「人恋しくなっちゃった」だ。だからと言って私のところに来ないでほしい。初めてバニーと出会ったあの日の夜、不用意に家まで着いて来させたことを今さらながら後悔している。
「傘はどうしたの?!」
「どうしたもこうしたも……それってそんなに必要なモノ?」
この際、無視を決め込んでもいいのだがバニーのこういう危うい発言を聞く度にほっとけない気持ちになる。人としての常識が欠落したような言動は見ているこっちが不安になる。
「はぁ……もう分かったからとりあえずうち入って」
「うん。あっその荷物持とうか?」
「食材が濡れるのでご遠慮します」
濡れ鼠……もといい濡れ兎と一緒に家へと入った。
あの姿のままリビングへと上られたらひとたまりもない。だから迎え入れて早々にバニーをバスルームへと突っ込んだ。
その間に私はキッチンへ行き鍋を火にかけコシード作りに専念をする。火が通りやすい具材を選んだからそこまで時間をかけずにできるだろう。
「この服捨てずに取っておいてくれてたんだね」
付け合わせとして買ってきたバケットを切っているとシャワーを浴び終えたバニーが姿を現した。
彼は濡れた髪をタオルで拭きながらもう片方の手で自身が着ている服の襟元を引っ張ってみせた。
「それブランド物でしょう?簡単に捨てられないよ」
シンプルなデザインの長袖と黒のジャージ。しかしさりげなく入れられたロゴからは一着数万はくだらないことが想像できる。以前、バニーがうちに来たときに脱ぎ捨ていった服だ。
「そうなの?貰いモノだからよく分かんないや」
着られればいいのか、それとも拘りがないのか。はたまた自分に興味がないのかも分からないがそのあたりの感覚は鈍いらしい。
そんなバニーは鼻先をスンと動かしキッチンの方へとやってきた。
「なんかいい匂いがする〜」
「コシード作ってた」
そしてそのまま私の首筋に顎を乗っける。背の高い彼からしたらここがジャストフィットの定位置らしい。これに関してはもはや慣れてしまいインコを肩に乗っけているような感覚だった。
「ボクの分は?」
「あるよ」
「やったぁ」
「お皿出してくれる?」
「わかった」
この家にはもう片手では足りないほどに来ている。だから勝手知ったる我が家とばかりに皿とスプーンを出してくれた。ついでに頼んでもいない果物も戸棚から引っ張り出してきた。どうやら林檎を剥いてほしいらしい。
「ナマエまたあれやってよ、ウサギさん♪」
「そんなに気に入ったの?」
「うん」
日本には林檎をウサギの形に切る文化があるらしい。それを知り、試しにバニー相手にやってみたところ大層気に入ってくれたらしい。
「じゃあ食べよっか」
「はーい」
スープとバケット、ウサギ型の林檎に、あり物で作ったサラダも添えて夕食は完成である。一人だけならここまで手の込んだことはしないがプロサッカー選手も口にするならばと形だけでも栄養バランスに気を使ってみた。
「ウサギさん可愛い〜」
皿の料理はみるみるうちに消費され一通り腹を満たしたバニーはデザートへと手を伸ばした。ウサギの鼻先を見つめながら「可愛い可愛い」と連呼している。
「そんなに愛でてたら食べづらくならない?」
お腹いっぱいになりデザートまで食指が動かなくなった私はバニーの一人遊びを見守っていた。
「そう?可愛いモノほど食べちゃいたいって思うケド」
なにその思考。サイコパスかっての。一々バニーの言動を間に受けていてはこちらまで頭がおかしくなりそうだ。人の感性はそれぞれなので否定はしないがそれに染まりたくはない。
「そういうもんか」
「うん。ってコトであーん」
「は?……あがっ?!」
にっこりと笑ったかと思えば顎を片手で掴まれる。それから無理やり口を開かされた。
目の前には赤い耳を持つ林檎のウサギ。食べたいわけでもないがすでに唇に当たっている。仕方なしにウサギを口の中へと迎え入れればバニーの笑みが深くなった。しかし一口では食べきれず、結局五口ほどに分けて齧りとった。その間、バニーはずっと林檎と私の顎を支え続けた。
「ほら美味しいでしょ?」
溢れた果汁を拭うように親指で唇を撫でられる。しかしその親指は離れようとはしなかった。もっと言えばそのままふにふにと摘んでは離して、と弄び始めた。
「わかったからもう離して……っ」
その遊びを止めるためにバニーの手首を掴めば一瞬にして表情が抜け落ちた。ハイライトのなくなった瞳に息を呑み腕を掴む力も抜ける。スープで温まった身体も一瞬にして冷めてしまった。
「可愛いモノほど食べたくなっちゃうんだよなぁ」
「バニー……」
「なぁんてね!」
パッと顎から手が離され全身の力が抜ける。そして深く息を吐き出したところで自分が今まで息を止めていたことに気が付いた。想像以上に気を張っていたらしい。
「ご馳走してもらったお礼に洗い物はボクがやるね」
「私がやるからいいよ」
「遠慮しないで。それよりナマエもシャワー浴びてきなよ」
今バニーと一緒にいる方が危ないかもしれない。
私は彼の申し出を有難く受け入れたフリをしてバスルームへと逃げ込んだ。
シャワーを浴びて入念に髪を乾かしわざと時間をかけたというのに、リビングに戻ればまだバニーがいた。
ソファの上で膝を抱えながら熱心にテレビを見ている。どうやら私がサブスク登録しているBLTVのアーカイブを観ているらしい。
「バニーがそういうの見るの珍しいね」
この様子だと今夜はお泊まりコースなのだろう。この雨の中帰らせたところで傘をささないことも目に見えている。ならば泊めおいた方が安心か。
「んーちょっとコイツが気になってて」
「ヨイチって子?」
「うん」
バニーの隣へと腰を下ろせばその巨体を遠慮なくもたれ掛からせてきた。肩が外れそうに重い。しかし彼は私に気を遣うことなくテレビからは目を離さなかった。
「バスミュのカイザーと張り合ってた子だよね。それでブルーロックランキング一位の子だ」
日本はサッカー後進国のイメージしかなかったがこの番組を見て価値観が変わった。新世代の勢い凄まじくW杯でも面白い試合が見れそうでサッカーファンとしては今から楽しみである。
「すごく楽しそうにサッカーの話をする奴なんだよね。だから彼を見てると死にたくなるんだ」
「死にたく、じゃなくて殺したくなるの間違いでしょ」
「はははっ」
バニーはそう世間話のように言ってのける。本人にとってはその程度のことなのだろう。しかし聞かされる身としてはあまりいい気がしない。
私は肩に乗った頭を後ろから支えるようにして手を回した。
「冗談でもそういうこと言わないで」
「それはお医者さんとして?」
「違う、私が嫌なの。あと笑いたくもないときに笑わなくていいから」
あやすように頭をポンポン撫でてやる。するとさらに重心をこちらに乗せてきた。マジで重い。
私が、圧死しそうなんだけどと伝えるとバニーはようやく退いてくれた。
「ねぇ、今日泊まっていってもいい?」
「最初からそのつもりでしょ」
家の場所がバレてからバニーは我が家に転がり込んでくるようになった。ご飯だけ食べて帰るときもあれば人気店のドーナツ片手に訪れることもある。そして最近ではそのまま泊まることも。だからバニーの着替えも置きっぱなしなのだ。
「うん」
「じゃあ私がソファで寝るからバニーはベッド使って」
「ヤダ。一緒に寝る」
「狭い」
「寝る」
そして一緒に寝るまでがワンセット。だからと言って付き合ってるわけでもなければ体の関係があるわけでもない。本当にただ言葉通りに寝るだけ。
「もう少し大きいベッド買ったら?」
「一人で使うにはこれで十分なの」
「ボクがいると狭いよ」
「じゃあバニーがウサギくらい小さくなりなよ」
「ナマエは面白いコト言うね」
セミダブルベッドと言えども相手が一九〇超えとあってはやはり狭い。しかし文句を言いつつもバニーは一緒に寝ると言い張るのだ。
「寒くない?」
バニーに背を向けた状態で横になっていると背後からぎゅっと抱きしめられる。私が、うんと頷けば「よかった」と言って髪に鼻先を埋めた。
この寝方ももはやお馴染みになりつつある。狭いベッドで二人で寝るにはこのスペースの使い方が一番無駄がないのだ。そして顔を見なくて済む。
「私、明日も実習で朝早いから六時には起きるよ」
「そっか。ボクも練習前に一度家に帰りたいから早く起きると思う」
「先に家出るなら鍵はポストに入れてね」
「そろそろ合鍵くれない?」
「だめ」
ベタベタと引っ付いてくるくせに朝になると忽然と姿を消してしまう。いっつもそうだ。そしてまた思い出したようにやってきては存分に甘えてくる。
「ケチ」
「ほらもう寝るよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
腹に回された腕に力が込められより体が密着する。しかし何をされるわけでもなくしばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。今日も私は何を期待してたのだろう。
この虚しさの理由を知る前に私も深い眠りへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
まだ日も上らぬ早朝。暗い室内には一人分の寝息しか聞こえない。それは腕の中で眠っている彼女のものだ。
「可愛い」
上体を起こし未だに眠る彼女を見下ろしながら頬を撫でる。くすぐったかったのか指先から逃げるように顔を逸らされた。その仕草すら愛おしくて頬にキスを落とす。
「ウサギはね、寂しいと死んじゃうんだって」
そんなことはロマンティストな人間が創り上げた迷信だ。ウサギはそんなに弱くない。年中発情期と言われるくらいには生存本能がある。だからバニーは彼女にもう一度キスを落としながら起こさない強さで抱きしめた。
「ボクはナマエがいなくなったら死んじゃうんだろうなぁ」
ロマンティックな迷信に乗っかって笑えないことを言う。しかし本心である。
だって付き合ったら、もし互いの気持ちが通じ合ってしまったら、殺したくなると思う。ボクは寂しがり屋で心配性だからキミが他の人を好きになったりでもしたら生きていられなくなる。だから、たぶん、キミのコトを殺すんだ。その時の互いの気持ちを永遠にするために。
「ナマエは誰のモノにもならないでね」
だから今のままがいい。
平行線をたどりながら。
ずっとずっとこのままで。
ふたりで一緒にいられればいい。