彼氏である糸師凛の心の声を聞く話
付き合って早数年。正直、未だに恋人である凛のことが分からないときがある。それは主に私に対しての気持ちだ。そもそも告白したのだって私からだしデートに誘うのも私から。一緒にいても話すのは私ばかりで凛は私といて楽しいのかな?と思うことも度々ある。
「この前二週間ぶりに彼氏に会ったら抱き着かれちゃってさ。『寂しかったぁ』なんて言われてときめいちゃったよね」
「一周年記念日に彼氏がご飯作ってくれてね。それで『これからも大切にするからね』って言ってくれて思わず結婚を考えたよね」
そんなときに友人たちの惚気話を聞いてしまい、私は不安のどん底へと落とされた。
凛に対しての不満は特にない。サッカー一筋で会えない時間が多くても、連絡がマメではないことも、怒る以外の感情表現が下手くそなところも全部ひっくるめて好きになったのだ。
でもふと我に返ったとき私は気づいてしまった。
凛に「好き」と言われたことがない。
これって結構やばくない?いやいや、一度くらいはあるだろうと記憶を遡ってみたがマジでない。
「御影コーポレーションの技術でさ心の声が聞けるイヤホンとか作れないの?」
血迷った私は昔から付き合いのある御影玲王にそんなお願いをしてみた。互いの父親同士が友人で幼少期から玲王くんとも交友がある。
幼馴染からの無理難題に玲王くんは特徴的な丸い眉をゆがめて見せた。
「あのなぁ言語翻訳機作るのとはワケが違うわけ。そんなモン作れねぇよ」
「世の中にはウソ発見器とか犬の気持ちがわかる機械とかあるじゃん」
「あれは脈拍とか音の振動数から予測してるだけであって実際にそこまでの精度はねぇの」
「頼むよレオえもん〜」
「変なあだ名で呼ぶな!」
ごねにごねたがその場で得られた返事はノー。それもそうだ。そんなものができたらタイムマシン並みの世紀の大発明になるだろう。
「それっぽいものはできたぞ」
「マジで?!」
しかしその世紀の大発見をわずか一ヵ月で実現してしまうのが御影コーポレーションだ。玲王くんは「まだまだ試作段階だケド」と言って黒のケースに入ったワイヤレスイヤホンを私に渡した。使い方は簡単で耳にはめるだけ。それだけでその場で一番近くにいる相手の考えていることが言語化され日本語訳されるらしい。
「所詮はおもちゃみてぇなモンだからあんま期待すんなよ」
私はレオえもんに何度も頭を下げそれを家へと持ち帰った。今度会う時には大量のどら焼きを持参しよう。
そして早速そのイヤホンの効果を試すため凛をデートに誘ってみることにした。
◇
来るデート当日。私は例のイヤホンをバッグに入れ待ち合わせ場所へと向かった。
事前に試運転がてら事情を話した友人に協力してもらったところ確かに心の声は拾えていた。どうやら本当に開発できてしまったらしい。科学のちからってすげー。
待ち合わせ時間の五分前に到着すると凛はすでにそこにいた。黒のキャップに黒のマスクをつけているがあのスタイルの良さは遠目からでも一目で凛だと分かる。
私はイヤホンを片耳にだけ付けた。凛相手にどこまで拾えるかは分からないが試してみる価値はありそうである。私は期待を胸に待っている凛の下へと駆け出した。
「凛お待たせ!」
「おう」
「遅くなっちゃってごめんね」
「別に……まだ時間前だし」
キャップとマスクの隙間から覗くターコイズブルーと目が合うがその様子はいつも通りだ。特段変わった様子もない。だからこそここからがイヤホンの出番である。さてはてちゃんと凛の心の声が聞こえるか否か。
(前会ったときより髪伸びてんな。つーか会うのは三ヵ月ぶりか?なんかまた綺麗になった気がする。まさか男ができたとか……にしても今日の服良いな似合ってる。でもスカートのスリット深すぎじゃね?風吹いたら絶対太もも見えんだろ。あっ今アイツナマエの脚見やがった。殺すか?)
ちょ、まっ……早口な上に情報量が多い!
なんだこれバグ?!いきなりスピードラーニング始まったんですけど。こちらの理解が追いつく前に次の話をされるから結果的に何も頭に入ってこなかった。でもなんとなくだけど惚気られたような……というか今のが本当に凛の心の声なの?
「おい、どうした?」
棒立ちのままでいた私を不審に思ったのか凛が心配そうに顔を覗き込んでくる。いかんいかん。あくまで私は普通に振る舞わないと。それに久しぶりのデートってことで今日という日を楽しみにしていたのもある。
「大丈夫だよ。映画の時間もあるしそろそろ行こっか」
「そうだな」
映画館に向けて歩き出す。昼過ぎの街は休日ということもあり人も多かった。こうなってくると凛以外の人の声も拾っちゃいそうだな。このイヤホンの精度を確かめるためにも凛とはできるだけ近い距離にいたい。
「やっぱり人が多いね」
「だな」
「あのさ、逸れちゃうと困るから手繋いでもいい?」
「ああ(可愛いかよ)」
「えっ?!」
なんだ今の?!凛の声が二重に聞こえたぞ?!しかも可愛いって言った?今まで一度だって言われたことがない。普段の凛からは全く想像できない言葉だ。
「どうかしたか?」
こちらの大きな声に凛のことも驚かせてしまったらしい。私は不自然を承知で、なんでもないと言いそのまま凛の手を握った。とりあえず落ち着こう。もしかしたら他の人の声を拾ってしまった可能性もあるし。
(ナマエがこーゆー風に言ってくんのあんまないよな。普段は繋ぎたがんねぇし潔癖かと思ってたわ。にしても指細ぇな力入れたら折れそう。なんかいい匂いすんな香水……いやシャンプーか?)
おぉ……めっちゃ私に対して言ってるじゃん。っていうか凛の方こそ手を繋ぐの嫌なんだと思ってた。外で如何にもな恋人っぽいやり取りは苦手なのかなぁって。だから今まで遠慮してたのだが意外と嬉しいっぽい?
そこで私は一つ大胆な行動をとってみることにした。
「わっ……」
人を避けるふりをしてわざとバランスを崩して見せる。そしてそのまま抱き着くように凛の腕にしがみ付いた。手繋ぎの上位互換である腕を組むこと。果たしてこの行為に凛がどんな反応をみせるか気になったのだ。
「……大丈夫か?」
しかし残念ながら心の声は聞こえなかった。ただ普通に心配されただけ。一人調子に乗って空回りしてしまったようで恥ずかしい。さすがに外でここまでのスキンシップは求めていないってことね。
「あ、うん。ごめん」
絡ませていた腕を引き抜きただの手繋ぎへと戻した。あーどうしようちょっと気まずい雰囲気になってしまった。心の中でも文句すら言われずに無言であったことが余計に気まずいわ。
(胸当たった)
しかし凛の心の声は時間差で叫びとなってイヤホンに届けられた。
(びっ……くりした。直接触るよりも柔らかかった。下着付けてるよな?変に露出が高いやつじゃねぇよな。まぁそれなら見てみたい……って考えんのはさすがに失礼だよな。つーかあのまま腕組んどけよ、なに離してんだ。こっちから腕掴まってろって言うか?でもこの流れじゃさすがに不自然すぎるよな)
「ん゛んッ……!」
居たたまれない!羞恥で身が引きちぎれそうだわ!
凛ってこんなにたくさんのこと考えてたの?いつもはこの十分の一くらいの量しか喋らないじゃん。それに案外男の人っぽいことも考えていらっしゃる……それはまぁ彼女としては嬉しいんだけど、今この状況だと息子の部屋からエロ本を発掘してしまった母親のような気まずさがある。
「今日様子おかしくね?」
再び凛には心配そうな目を向けられた。
いや、様子がおかしいのはそっちだよ。
◇
ずっと気になっていた海外の新作ホラー映画を鑑賞し映画館を後にした。さすがに上映中はイヤホンを外し映画に集中した。それも相まって私の情緒も平常に戻りつつある。だからまた凝りもせずイヤホンを片耳だけに装着してみた。
「映画面白かったね!主人公が湖の中に引きずり込まれるところとかベタだけど怖かったなぁ」
「見せ方が上手かったな。前半に出てきた人形の伏線とかカルト教信者の遺言の部分も後半に生かされてたし」
「あっその遺言のとこなんだけどリッカーって結局なんだったのかな?」
「それは——」
普段は口数の少ない凛でも好きなホラー作品の話になると饒舌になる。だからイヤホンで声を拾うこともなく話を聞くことができた。しかし、もうこれもお役御免かなぁなんて思っていたら肉声とは違う声が聞こえてきた。
(あれ美味そう)
凛の視線の先には一軒のカフェが。そして店前の看板には『生絞りモンブラン』という文字と共にたっぷりのクリームが被せられたケーキの写真が載っていた。確かテレビ番組でも今話題のスイーツだと特集されてたっけ。
「あのモンブラン美味しそうだね」
「ん?ああ、そうだな。入ってみっか?」
「うん!」
こういうの気付けるの便利だよなぁ。それと同時に自分が凛のことをあまり分かっていなかったのだと少し寂しくなる。凛が意外にも甘い物好きだというのもつい最近になって知ったことだった。
「美味かったな」
「だね!満たされた!」
カフェでの食事を終え外へ。すでに時刻は夕方だがまだ寄り道できるだけの時間はある。他にいきたい場所は……そうだ。
「凛はまだ時間大丈夫?」
「ああ」
「もうすぐ弟の誕生日なんだけどプレゼント探しに付き合ってもらってもいい?」
「わかった」
弟の誕生日が近いこともプレゼントを探しにいきたいことも事実だが私の目的は別にある。そう、凛の好みが知りたいのだ。
だって誕生日やクリスマスの度にプレゼント選びにめちゃくちゃ困らされるんだもの。必要なものは大抵自分で買ってしまうしアクセサリーや服なんかを贈ろうとしてもイマイチ自分のセンスに自信が持てない。だからこそ心の声が聞ける今が凛の価値観を知るチャンスだ。
「候補はあんのか?」
「キーケース。最近、新しい車買ったみたいだからこれを機に新しいのを贈ろうと思って」
「ふぅん(ナマエんとこは相変わらず姉弟仲いいな)」
副音声的に聞こえた凛の声に心痛めながらデパートに入る。そこでブランド店が並ぶフロアに降り一件ずつ物色することにした。
「これとかどうかな?」
「俺の意見なんて大して参考にならねぇぞ」
「そんなことないって」
会話を織り交ぜつつ真理を引き出せないか探るがあまり成果はない。ただ、(色はこっちのが無難じゃねぇか?)とか(デザインはいいケド実用性には欠けるな)など、思いのほか真剣に考えてくれていたことはわかった。
ここはあえて距離を取り凛は凛で自分のものを見てもらった方がいいだろうか。男性ものも女性ものも取り合っているブランド店。ここには財布やバッグ、アクセサリーといった商品もあるし色んなものを見てもらった方が……あっあのネックレス可愛い。
「なんか見つかったか?」
って自分の欲しいもの見てどうすんだ。しかも凛と離れたら声が聞こえなくなっちゃうから意味ないし。
「ここはあんまりかも……他のお店行ってもいい?」
「わかった」
弟へのプレゼントを探すべく他の店も物色する。正直、今日見つからなくていいかなぁなんて思っていたけれどちょうどいい物が見つかったためその場で購入することにした。
「よし、これにする!」
「いいんじゃねぇか」
「お決まりですか?」
ガラスケースの商品を指差しそのままレジへと向かう。そのとき店員さんが(彼氏の顔見えなかったけどあれ絶対イケメンだわ!)との心の声が聞こえて笑いそうになってしまった。しかしやたら滅多に心の声を聞くのもよくないことだと思いここでイヤホンは外すことにした。
お会計と共にラッピングをしてもらえるようお願いすれば少し待つように言われた。そこでふと凛がいないことに気付く。店の中にもいないしトイレにでも行ったのだろうか。
「ありがとうございました」
包装してもらったプレゼントを受け取り店を後にする。しかし未だに凛は戻ってこない。一先ず連絡を取ろうかとスマホを取り出せば玲王くんから一件のメッセージが届いていた。
[イヤホンの調子どう?]
そういえば試作品を借りた見返りとして精度の報告をするよう約束をしていたんだった。一先ず簡潔に[すごくいいよ!本当に聞こえる!]と返し詳細は帰ってからまとめるように伝えた。
私はバッグから例のイヤホンを取り出し蓋を開けてみた。なんの変哲もないイヤホンなのに人の心の声が聞こえるなんて不思議なものである。まだ充電もあるみたいだしもう少しだけ使わせてもらおう。
「買い物は終わったか?」
「えっ?!あっ……!」
背後から話しかけられたことに驚き手が滑る。カツン、と床に落ちた二つのイヤホンがそれぞれ転がっていき一つが凛の足に当たった。
「悪りぃ」
「いや、私こそぼーっとしてたから……」
「MIKAGE?」
イヤホンの側面に書かれたロゴを読み上げられる。そして凛は私へと目を向けた。
「なんでナマエがこれ持ってんだ?」
「えっと……玲王くんに借りたんだ」
「翻訳機なんて何に使うんだ?」
「日本語以外の言語も勉強しようかなぁって思って……」
凛は自分たちも使っていた言語翻訳機だと思っているらしい。でも本当は心の声が聞こえる代物だ。それに改めて気づいたとき、勝手に心の中を覗いていた罪悪感が押し寄せた。だからか口から出て来たのは非常に苦しい言い訳になってしまった。
「今日ずっと様子おかしかったよな。なんか隠してるコトあんだろ」
当然ながら凛にもそれが伝わり威圧的な双眼のターコイズブルーが向けられる。
もうこれはどうしようもない。いっそ言ってしまえば楽になれるだろうか。でも心の声を聞いていただなんて人としての道徳性を疑われそうである。だけどこのまま黙っているのも…——
「あっちょっと……!」
私がまごついている隙に凛がイヤホンを耳にはめてしまった。まずい。この状況は非常にまずい。これだと凛に心の声を聞いていたことがばれる……って私の今の声も聞こえちゃってるってことだよね?え、なにこれものすごく恥ずかしい!
「なんかスゲー声がうるせぇんだケド」
「ごめんなさい!」
ダメだ、もう嘘は付けない。
凛に今までのことを説明するため私たちは場所を移した。
チェーン店のカフェに入り一番奥の席へと腰を下ろした。もう日が暮れたとあって店内がほどよく空いていたのが有難かった。そして私は改めてイヤホンをテーブルの上に置き今までのことを白状した。
「一番近くにいる相手の心の声が聞こえる、か」
一通り話を聞いてくれた凛は改めイヤホンを手に取り、物珍しそうな視線を向けた。にわかには信じられないだろうが先ほど身を持って体験し本物だとは理解してくれたのだろう。
「凛って普段あんまり自分のこと話さないから何考えてるか知りたくなってこのイヤホンを作ってもらったんだ。だから今日も何回かつけてみたりして……本当にごめん」
「実際に俺の心の声は聞いたのか?」
「うん。でも凛の声速すぎてあんまり聞き取れなかったかな」
それでも盗み聞いたことに嘘はないのでもう一度謝り頭を下げた。
凛は無言である。その様子にどのタイミングで顔を上げていいか分かりかねているとスッと目の前に箱が現れた。テーブルの上に突如現れたブルーの箱に驚いて顔を上げる。
「それやる」
「え?」
「開けてみろ」
言われるがまま箱を手に取り開けてみればそこにはネックレスが鎮座していた。しかもそれは私が先ほど店で見かけて心奪われた品だった。改めて見てもそのネックレスは可愛い。
「な、なんで……」
「気になって見てただろ」
「そうだけど何でもない日にこんないい物もらえないよ」
嬉しさよりも申し訳なさが勝り素直に喜べない。すると凛は徐にイヤホンケースの蓋を開けそれを私の方へと向けた。付けろということなのだろうか。その意図を汲み取りイヤホンを左右の耳へとはめてみた。
(ナマエに似合うと思ったから買っただけだ)
「えっ?!」
(付けてくれると嬉しい)
「わーっ?!」
むしり取るようにイヤホンを外す。今の、本当に凛の心の声?
しかし真っ赤になって慌てる私をよそに当の本人は涼しい顔をしている。だが私の様子に自分の声が聞こえたことも分かったのだろう。もう一度だけ「それやる」と言った。
「ありがとう。早速つけてみてもいい?」
「おう」
華奢なチェーンを摘まみ上げ首に回す。やや手間取ったがちゃんと付けられた気がする。ただ残念ながら自分でそれを確認することができない。だから凛に聞いてみた。
「どうかな?」
「いいんじゃね」
「もう少し具体的に言ってほしいなぁ」
「分かってんならいいだろ」
凛は誤魔化すように手元のカップを口へと運んだ。
イヤホン越しじゃなくて凛の口から「似合ってる」って聞きたかったんだけどな。でも気持ちは十分に伝わったのでそれ以上は聞かなかった。
私も残りのドリンクを飲み切って、二人で店を出た。
「凛は駅前のホテルに泊まってるんだっけ」
「ああ」
夜となった今は店の看板と街灯が街を照らしていた。明日は朝から取材の仕事が入っていると言っていたし今日はもう解散だろうか。まだ一緒にいたいけど我儘を言うわけにはいかない。
「そっか。タクシーで帰る?なら途中まで一緒に……」
そう提案しかけた時、不意に左手を握られた。凛からこんなことをしてくるなんて珍しい。今日は凛に何度も驚かされているがそれに慣れることはなかった。だから顔を寄せられたときも思わず目を瞑ってしまった。
「今日は帰したくねぇんだケド」
すぐそばで聞こえた声に耳を疑う。私今イヤホン付けてないよね……?でもその声はまぎれもなく凛の声だった。つまり目の前の本人が直接私に言ったセリフということで。
「も、もう一回言って……!」
「その顔、絶対聞き取れてたろ」
凛はわずかに笑ってそのまま私の手を引き歩いていく。そしてちょうど目の前から走ってきたタクシーに手を挙げて車を止めさせた。私たちが車まで近づけば自動で後部座席のドアが開く。
「いいか?」
そして凛はもう一度同じことを言うわけでもなく確認だけを取ってきた。もう少し言葉があってもいいのに。でもあれくらい素直になられたら私が恥ずか死にするのでこのくらい無口で口下手の方がいいかもしれない。
「うん。私も凛と同じ気持ちだよ」
玲王くんへの報告は明日にさせてもらおう。その時にはこのイヤホンの素晴らしさを絶賛させてもらうつもりでいるが、私がこれを使う日は二度と来ないであろう。