匂わせ女のマウントを取る糸師冴の話


SNSは面白い。スマホ一つでアクセスできてそこには膨大な情報が流れている。食品メーカーの新商品から美味しくて簡単にできる料理レシピ、流行りのファッションに新色のアイシャドウ。

あとは芸能人の日常が垣間見えたりすることだろうか。最近買ったものの紹介や仲の良い友人とのやり取りが見えるのは面白いし、愛犬や最近ハマっているものを画像で上げてくれるのもいい。

「おお……!」

そして今日も今日とて家でのくつろぎタイム中にSNSを見漁っていればちょうどフォローしている人が画像付きで今日の出来事を投稿していた。

『コスタ・ブランカの海!』

そんな簡潔な一文と共にカットソーにサングラスを掛けた日本人女性が広大な海と砂浜を背景にカメラ目線で微笑んでいた。そして投稿するや否やいいねの数がものすごい数で増えていった。もちろんコメントも。いやはやモデル兼女優である彼女の人気は凄まじいな。

「なに見てんだ?」
「あっ冴くん」

爽やかなシトラスの香りを身に纏いお風呂から上がった冴くんは隣へと座った。私のスマホが気になるようなので先ほどの画面を表示させたまま見せればその眉が顰められる。それもそうか。今の冴くんのストレスの元凶とも言える女性の投稿なのだから。

「お前も随分と物好きだな」
「なんかここまでしてると健気だなって逆に感心しちゃって」

彼女の掛けているサングラスはとある有名サッカー選手が持っているものと同じもの。またカットソーはそのサッカー選手がアンバサダーを務めるブランドショップのものだ。ちなみにコスタ・ブランカとはスペイン東部に位置する海岸線のこと。

「ただのクソきめぇ女だろ」
「そんな言い方してたらファンなくすよ?」
「こんなのはファンじゃなくてストーカー予備軍だ」

そこから連想されるのはスペインのクラブチームに所属する糸師冴というサッカー選手だ。つまり彼女は糸師冴を意識してこの投稿をしたわけである。
現にSNS上では「冴の彼女」「付き合ってる」「スペイン」などの単語がトレンド入りしていた。そして何故ここまでバズっているのかと言えば彼女が糸師冴を連想させるような投稿をするのが今回が初めてではなかったからだ。

「まぁそうとも言う」

レ・アールの試合を現地にまで観戦しに行きその時の動画を投稿していたり、お気に入りのスポットとして彼の地元である鎌倉を上げているインタビュー記事なんかもあった。そうなってくると世間は「糸師冴と付き合っているのでは?」と彼女に感心を寄せるようになる。その憶測を煽るかのように彼女が投稿頻度を増やすものだから私も熱心にそれを追っていた。

「ナマエはこれ見て何も思わねぇのか?」
「え?だから健気だなぁって思ってるけど」
「そういう意味じゃねぇ。俺と付き合ってんのはお前だろ」

しかし現実では冴くんの言う通り彼と付き合っているのは私だった。抜群のスタイルを持つわけでもなく絶世の美人でもない、平々凡々の一般人女性の私が彼女。それを世間には明かしていない。

「確かにそうだけど他の人の意見は割とどうでもいいかな」

その理由は私に迷惑を掛けないため。ただの一般人である私にマスコミやらパパラッチが寄り付かないためには隠しておいた方がいいと冴くんが判断したからだ。もちろん私もその意見には同意している。だからこそこのような世間の反応はある程度割り切っているのだ。じゃなきゃプロサッカー選手の糸師冴の彼女はやってられない。

「……そうかよ」
「えっどうしたの?もしかして冴くんとこの人って実は付き合って……あだ?!」
「ふざけたこと言ってねぇでさっさと風呂入ってこい」

あまりに煮え切らないような表情をしていたから冗談半分でそんなことを言えばデコピンを食らってしまった。割と痛い。
私は逃げるようにしてリビングを後にした。





SNSとは私にとって情報収集と暇つぶしのためのツールだ。だからまさかそこに私の姿が載るとは夢にも思わなかったのだ。

「これはどういうコトだ?」
「えーっと……」

ソファの隅で縮こまっている私に冴くんがスマホ画面を突き付ける。そこには万越えのいいねが付けられたある投稿が映し出されていた。

——これってサッカー選手のリン?!スペインで日本人の女の子とデートしてる!——

その一文と共にカフェテラスでお茶をしている糸師凛と私の画像がSNSに上げられていた。幸い、私に関しては後姿で顔は見えていないが分かる人にはわかるであろう。もちろん冴くんは分かる側の人間だ。

「なんで凛とお前がすっぱ抜かれてんだよ」

それは凛ちゃんが仕事でスペインに来た際、街を案内してくれと頼まれたからだった。今はオフシーズンで取材や撮影でいろんな国を訪れる機会があるらしい。そこで今回、オファーを受けたアパレルブランドの撮影場所がスペインだったので彼はこちらに足を運んだのだった。

「凛ちゃんが仕事でこっちに来てて偶々会って……」
「なんで俺には一言も報告しねぇんだよ。つーかこのバカデケェ街で偶然会うワケねぇだろ」

冴くんも休みだから実の兄に頼んだら?と私は提案したのだが凛ちゃんは断固拒否した。冴くんも忙しくしているが凛ちゃんのお願いとあらば時間は作ってくれると思うんだけどな。しかしそういう問題ではなかったらしい。冴くんに会いたくないどころか自分がスペインに来ていることすら言うなと口止めされてしまったため私は黙って凛ちゃんと出掛けていた。

「それは神様のお導きというかなんというか……」
「チッなら凛に聞いてみるしかねぇな」
「ま、待って!言う、ほんとのこと言うから!」

凛ちゃんごめん。これ以上ややこしくするわけにはいかないんだ。
私は約束を破り洗いざらいすべて冴くんに打ち明けた。何もやましいことはなく、ただ街の案内を頼まれたこと。また冴くんにはスペインに来ていることを言わないでほしいと言われたことも話した。

「ったく紛らわしいコトしてんじゃねぇ」
「ごめんね」

確かに誤魔化そうとはしたが冴くんにこうも心配されるとは思わなかった。心配というよりは疑われるみたいな?私と凛ちゃんがそういう関係になることなんて絶対にないのに。
冴くんは眉間に寄った皺を左手でもみほぐしながらソファに深く座り直した。そして右手でスマホ画面をスクロールする。その目があまりに真剣だったから自分も近づいて覗き込んでみた。

「うわぁ……」

見えたのはトレンド一覧。そこには「熱愛報道」「日本人の彼女」「お似合い」などの文字が並んでいた。そういえば凛ちゃんって今までこっち系の噂が立ったことなかったっけ。だからかSNS上ではかなりの盛り上がりを見せていた。

「どうしよう……」
「明日は暇か?」
「え?……あ、うん」
「出掛けるぞ」

冴くんはスマホの電源を落とし立ち上がる。
脈絡が何もないそのお誘いの意図は分からないがなにか考えがあるのだろうか。私はよく分からないまま返事をして明日を迎えるのを待つことになった。





翌日、冴くんと出掛けた先はスペインの首都マドリード。まずはかの有名なプラド美術館に行きその後はショッピングを楽しみ今はマヨール広場近くのカフェで休んでいる。

「どうした?」

一見するとこれはスペインの観光地を巡るデートだ。何度行っても美術館は面白いし冴くんとショッピングなんてかなりのレアイベント。それに今私の目の前にあるのは揚げたてのチュロスとチョコラテという最高のおやつ。しかし気分は上がらない。

「もう帰りたいです……!」
「¿Es esa Sae?(あれサエじゃないか?)」
「¡Increíble! ¿Es real?(すごい!本物?!)」

何故ならテラス席でとんでもない数の野次馬に囲まれているからである。そりゃそうだ。だって冴くんは帽子も被っていなければサングラスも掛けていないのだもの。そんな彼が観光名所に現れたとあらば皆が注目し、そして後を追いかけるのは言うまでもなかった。

「別に気にするコトねぇだろ。何もやましいコトはしていない」
「いや気にするって!それに写真撮られて拡散されたら冴くんにも迷惑かかっちゃうよ?」

今こうしている間にもスマホを向けて来る人はいる。きっともう手遅れなのだろうけれど被害は最小限に留めたい。

「しょうがねぇな。少し早いがもう行くか」

冴くんは手元のコーヒーを飲み切り席を立った。そして私の方へと歩いて来て左手を差し出した。その様子に私よりも先に群衆が「¡Dios mío!(おお!)」とどよめく。

「あ、えっと……っ」

その手を取るか取らないか迷っていたら遠慮なしに捕まれた。手なんか滅多に繋がない。ましてや冴くんからだなんて私の記憶が正しければ初めてのことだった。

「Estás en el camino. Abre paso.(邪魔だ。道開けろ)」

群衆をかき分けるようにして冴くんは前へと進む。
私は逸れないようにしっかりと手を握り直した。



そこから車で移動して着いた先は飛行場だった。といっても航空機が利用するターミナルではなく個人で使用するような飛行場。そこでおそらくチャーターしたであろうジェット機に乗ってマドリードを発った。その贅沢さに今日ってなんかの記念日だっけ?と頭の中で何度も自問自答した。

「すごい!綺麗!」

そして約一時間の空の旅を経て辿り着いたのは海が見える街バレンシア。白い壁とオレンジ色の屋根を持つ歴史的建造物が美しく、目の前にはマリンブルーの海が広がっていた。スペインでの暮らしはそれなりに長いものの実際に来たのは初めてなので感動を覚える。

「はしゃぎすぎると落ちるぞ」

レストランのテラス席から街を覗き込んでいた私の腰を冴くんが抱き寄せる。踵が地面に付いたことで自分が思いのほか夢中になっていたことに気が付いた。自分の子どもじみた行動に照れ笑いをすれば冴くんの口元もわずかに弧を描く。

「バレンシアの海って本当に綺麗だね。でもどうしてここに来たの?」

バレンシアに来たことにしろマドリードでの行動にしろ、今日の冴くんはどうにも冴くんらしくない。とはいえ無計画に突拍子もないことをする人でもないので何か目的があるとは思っている。しかしその心当たりはない。

「ここは景色がいいからな」
「?」
「ナマエ」

腰に巻き付いていた手により誘導されるように向かい合わせになった。マリンブルーよりも濃くて深いターコイズブルーと視線が交わり心臓が跳ねる。すると冴くんは徐にポケットへと手を伸ばしそこから小さな箱を取り出した——これって……

「いつか言うつもりでずっと持ってた。でも先延ばしにしたって何の意味もねぇよな——受け取ってくれるか?」

中には目視できるほどに大きな宝石が付いた指輪が。説明されなくてもこれが婚約指輪だと言うことは一目瞭然。そして今まさにプロポーズされているのだと気づいたときには両目から大粒の涙が零れていた。

「私でいいの?」
「俺にはナマエ以外いねぇしナマエ以外考えられねぇ。俺と結婚しろ」
「うんっ……!」

力強く言い切られたその言葉に首がもげそうなほどに頷いた。冴くんはそんな私に呆れたように笑いながら左手をとった。そして薬指に指輪を通す。それは元よりそこにあったかのようにぴったりとはまり、そして美しい輝きを見せた。

「ありがとう!」

——カシャカシャカシャンッ
余韻に浸っていれば建物の内側からシャッター音が聞こえた。慌ててそちらを見ればカメラを抱えた人がこちらにそれを向けている。びっくりして冴くんの背に隠れた私をよそに、冴くんはいつも通りのポーカーフェイスでその人へと近づいていった。

「ちゃんと撮れたか?」
「もちろんさ!海を眺めているところから彼女が笑顔で指輪を受け取ったところまですべての瞬間をこのカメラに収めたよ」
「見せろ」

すっかり蚊帳の外となってしまった私はカメラの画面を覗き込む二人を遠巻きに見つめる。それと同時にこのレストランに人っ子一人いなかったことを思い出した。今がランチタイムでもディナータイムでもないことを差し引いてでもこんなに静かなのは明らかにおかしい。故におそらく貸し切り。

「これとこれとこれ、今すぐデータで送れるか?」
「ああ」

そろそろと二人の下へと近づいていき様子を窺う。どうやら撮ったばかりの画像データを冴くんのスマホに送っているようだった。それを背後で背伸びしながら見ていればようやく気付いてくれた冴くんがこちらを振り返る。そして私の目の前にスマホ画面を突き付けた。

「これ投稿しといた」

映し出されていたのは冴くんのSNSアカウント。そこには数秒前に上げられた三枚の画像が映し出されていた——空と海を背景に見つめ合う二人のシルエット、指輪の入った箱を私に見せる冴くんの姿、そして私の薬指に指輪をはめた瞬間の画像。三コマ漫画のようにこの画像だけでどういう状況なのかは読み取れるだろう。そして説明不要とばかりに画像に添えられたのは#propose のハッシュタグだけだった。

「…………え?」
「これでお前がSNSチェックに費やす時間も減るだろ」
「まぁ……」
「これからはその時間を俺に使え」

もしかしてやきもちを焼かれていたのか……?
しかしその後の一週間、SNSもネットニュースもこの話題で持ちきりになったためそんなことを考えている余裕はなかった。